京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

富田隆・東京地裁判決(要旨・1998年6月12日・大渕敏和裁判長)

富田隆被告に対する判決の要旨】
(量刑の事情)

一 松本サリン事件について
 本件は、教団の最高指導者松本智津夫の指揮の下、教団所属の者多数により、無差別大量殺人を狙って敢行され、七名に対する殺人および四名に対する殺人未遂という結果を生じた事件である。
1 松本は、将来のサリンの大量撒布に備え、市街地におけるサリン使用の実効性を検証したいと考えていたが、長野県松本市内で施設建設のために教団が取得した土地の民事訴訟に関して、審理の行方が教団に不利であったため、右事件の担当裁判官らを殺害して、教団に不利な司法判断を免れる目的も併せて実現するため、本件犯行を敢行したものであり、独善的、反社会的思考に基づき、民主主義社会を支える司法制度を根底から破壊しようとしたもので、酌量すべき余地は一切ない。さらに、本件犯行の態様は、住民多数が安心して寝静まった夜間の時間帯に、多数の住宅が密集する市街地に、殺人兵器である大量のサリンを一挙に噴霧して周囲に拡散させたというのであって、無差別大量殺人を企図した犯行として、甚だ凶悪かつ残虐な犯行と評価すべきであるし、極めて周到に準備、計画された組織的犯行でもある。しかも、本件犯行の結果は、審理対象とされただけでも、死亡者七名、重傷者四名と多数であり、深刻かつ甚大な被害を生じさせている。死亡した被害者七名は、当時十九歳から五十三歳の男性五名と女性二名であり、将来に希望を抱きながら、平穏な日常生活を送っていたのに、突如猛毒のサリンに見舞われ、原因さえわからないまま死に至る苦痛の中で絶命させられたのであって、その無念さはもちろんのこと、愛する家族の貴重な生命を理由なく一方的に奪われた遺族らの受けた衝撃の深刻さは筆舌に尽くし難いものがある。また、サリン中毒症により、意識が回復しない者を含んで、四名の重い障害を負わされた被害者とその家族の受けた深刻極まりない苦痛も到底軽視することが出来ない。しかるに、これらの被害に対して、被告人や本件犯行に関与した教団関係者からはまったく慰謝の措置が講じられていないのであり、被害感情は癒されることなく今日に至っており、遺族や被害者らが厳重処罰を求めるのは当然のことである。加えて、本件犯罪の性格からして、松本市周辺の住民だけではなく、社会一般に対しても、深刻な衝撃を与えたほか、深刻な不安感、恐怖感を醸成させたものである。
2 被告人は、本件犯行に際して、警察官等に発覚した場合、これを実力で排除するという重要な役割を担って犯行現場に臨んでいたのであり、犯行現場との往復の経路において、共犯者を搬送するためにワゴン車を運転するという役割も果たしており、その刑事責任は甚だ重大というべきである。
二 サリン生成プラント事件について
 本件は、松本の指示により、サリンのヘリコプターによる撒布を計画し、教団所属の者多数がサリンの大量生産に加担したという事案である。
1 本件犯行の動機も、松本サリン事件と同じく、無差別大量殺人を意図してサリンの生成を企てたというものであり、独善的かつ反社会的思考に基づくものであって、酌量の余地はまったくない。
 本件犯行の態様を検討しても、無差別大量殺人兵器であるサリンの生成を教団の組織を挙げて大規模に敢行したものであり、危険かつ悪質極まりない犯行と言わなければならない。
2 被告人は、サリンの生成工程の一部に現実に加わっており、サリンの強力な毒性を熟知していながら、本件犯行に関与したものとして、犯情悪質というほかはない。
三 被告人の個別的情状について
 被告人が各犯行に際して果たした役割等をかんがみると、被告人の刑事責任が極めて重大であることは明らかである。しかしながら、松本サリン事件の際には、現実には警察官等と接触することはなかったのであり、松本や村井(秀夫)と比較した場合にはもちろんのこと、新実(智光)、中川(智正)、遠藤(誠一)らの役割等と対比した場合、これら共犯者の刑事責任が被告人のそれに比べて一層重大であることは否定出来ない。また、サリン生成プラント事件の際、被告人は、他の末端の信者と同様の立場で犯行に関与していたことがうかがわれるのであり、松本や村井、渡部(和実)、滝沢(和義)らの刑事責任が被告人のそれよりも一層重いことも否定出来ない。さらに、本件各犯行について、被告人は、サリンの認識の有無などの主観的な面に関しては否認しているが、被告人が果たした役割等の客観的事実関係については捜査段階以来ほぼ一貫しておおむねこれを認めているのであり、被害者や遺族に対する謝罪の意思を表明しており、反省の態度も認められるのである。しかも、被告人は、八八年には出家しており、教団内では古参信者に数えられるが、音楽と踊りを担当する部門の責任者を務め、松本の護衛役を果たしていた程度にすぎず、教団内では重要な地位を与えられてはいなかった上、九四年年十二月には、妻であった女性信徒とともに教団を脱走して、教団から脱会しており、逮捕状が出されていることを知ると、自ら警察署に出頭し、松本サリン事件に関与したこと等を捜査官に対して供述しているのである。
四 結論
 このような諸事情、特に、松本サリン事件の凶悪かつ残虐さ、被害結果の甚大さ等をかんがみると、被告人の刑事責任が極めて重大であり、被告人に対する科刑としては無期懲役をもって臨むことも考えられないではない。しかし、被告人に有利な前記諸情状に加えて、松本サリン事件およびサリン生成プラント事件の関与者に対する科刑の状況、さらには、他の教団所属の者による各種事件に対する科刑の状況等をも併せ考慮するときには、被告人に対する無期懲役の科刑は重きに過ぎると言わざるを得ないのであり、主文掲記の有期懲役刑を科すのが相当であると思料する。

 

底本:『オウム法廷7』(2001年、降幡賢一朝日新聞社