京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

横山真人・東京地裁判決(要旨・1999年9月30日・山崎学裁判長)

横山真人被告に対する判決の要旨】
(量刑の理由)
 一 本件は、オウム教団科学技術省次官の地位にあった被告人が、松本(智津夫)や多数のオウム教団幹部らと共謀の上、無差別大量殺人を企図し、通勤時間帯に、東京都内の地下鉄車内に科学兵器であるサリンを発散させ、十二名の乗客や営団地下鉄職員を殺害するとともに、多数の者に重軽傷を負わせたが殺害の目的を遂げず(地下鉄サリン事件)、また、同じくオウム教団幹部らと共謀の上、自動小銃約一〇〇〇丁を製造しようとしたが未遂に終わり、さらに、小銃一丁を製造した(小銃製造事件)という事案である。
 二 まず、地下鉄サリン事件についてみるに、松本を中心としたオウム教団幹部は、公証役場事務長監禁致死事件がオウム教団の犯行であると発覚することを危惧し、オウム教団施設に対する強制捜査を阻止するため、首都中心部を大混乱に陥れようと企図し、本件事件を敢行したものであるが、被告人は、このような目的の完遂を意図するとともに、松本の指示を絶対視して、サリン散布の実行役になったもので、その動機は、帰するところ、教団の利益のためならば手段を選ばず、他人の尊い生命に一顧だにしないという狂信的かつ独善的なもので、正に社会秩序に対する無謀な挑戦である。松本を教祖とするオウム教団は、教条主義的な教義に基づき、教団が己の教義を理解しない一般社会や国家権力から弾圧を受けていると称して、武装化を推進していたのであるが、このような松本やオウム教団の有する反社会的で破壊的な教義自体が地下鉄サリン事件を引き起こした原因となっていることも看過することはできない。
 地下鉄サリン事件は、大気中に一立方メートル当たり一〇〇ミリグラムの濃度で存在すれば、一分間で半数の人間が死亡するといわれるほど殺傷能力の高い化学兵器であるサリンを用いて、朝の通勤時間帯を狙って、閉鎖された地下空間で、かつ、混雑した地下鉄車内において、同時多発的に敢行された無差別テロであり、犯罪史上でも類を見ない人間の尊厳をおよそ無視した卑劣かつ残虐な犯行である。また、本事件は、松本を首謀者として、多数のオウム教団幹部らが、その有する高度の専門知識や財力を利用してサリンを生成する一方で、犯行場所、日時、方法、逃走手段等につき謀議を遂げ、現場の下見、自動車の調達、犯行の予行演習をするなどの準備を重ね、サリン製造役、実行役、運転手役等それぞれの役割を果たした組織的かつ計画的犯行である。
 犯行の結果は、死亡者が十二名、サリン中毒症の傷害を負ったものが十四名、そのうち重篤な者が二名という深刻なものである。被害者は、いずれも、通勤客や営団地下鉄職員らであって、もとより何の落ち度もないばかりか、サリンで攻撃されるいわれも全くなく、単に犯行現場に居合わせたばかりに、理不尽な犯行に巻き込まれ、その犠牲になったものである。十二名の死亡者は、二十一歳から九十二歳までの様々な年齢層にわたり、これまで各自の人生を懸命に生き、それぞれの夢と希望を持った普通の市民であって、いずれも原因すらわからずに意識を失い、そのまま快復せずに絶命したのであり、その苦悶、恐怖、さらには無念さには、想像を絶するものがある。また、死亡者の中には、身重の妻の出産を待ちわびていた会社員、乗客の安全を図るなどの使命感から、危険を顧みることなく、サリン入りの袋を素手で片付けるなどした営団地下鉄職員も含まれ、痛ましいというほかない。後遺症によって治癒の見込みさえ立たない二名の重篤者は、意識障害、記憶障害、四肢機能障害等が残り、一名はいまだ日常生活には介護が必要な状態であり、その闘病生活の苦しさ、はけ口のない無念さの程度は、死亡した被害者に勝るとも劣らない。また、一瞬にして家族の一員を奪われ、不幸のどん底に陥れられた遺族の悲嘆、怒りには計り知れないものがあり、しかも、遺族の中には、悲しみと絶望から、心身疲弊して病床に伏したものも少なくなく、その状況は悲惨というほかない。また、重篤者の家族の各種負担や苦悩等も見過ごすことができない。そうすると、遺族、被害者およびその家族が地下鉄サリン事件の犯人に対して極刑を望んでいるのはむしろ当然のことである。
 さらに、地下鉄車内や駅構内においては、痙攣を起こし、口から血の混じった泡を吹き、壁を爪で掻きむしるなど塗炭の苦しみを味わい、縮瞳、吐き気、頭痛等で苦悶する者が続出し、六〇〇人を超える人々が救急車で病院に搬送されるなど、都心の中心部が一瞬にしてパニック状態に陥り、さながら地獄絵と化す凄惨な状況になった。また、本事件は、一般市民を対象にした無差別大量殺人として人々を震撼させ、我が国の治安に対する信頼を根底から揺るがし、無差別テロに対する恐怖、不安、怒りを掻き立てたのであり、我が国のみならず世界各国に与えた衝撃は誠に甚大である。
 ところで、被告人は、地下鉄サリン事件の共謀に加わり、実行役として丸ノ内線の電車内にサリンを発散させたのみならず、村井(秀夫)の指示に基づき、広瀬(健一)とともに、実際の犯行には使用されなかったものの、サリンを入れる適当な容器等を購入して散布方法を試行するなど犯行の完遂に寄与したのであり、本事件の重要な役割を担ったものである。また、被告人は、サリン中毒の予防薬を事前に服用した上、サリン入りの袋を突くや直ぐさま車内から逃走し、犯行後もサリンの付着した傘の先や靴を洗って、自己の生命の安全を図っておきながら、一方で、複数回サリン入りの袋を突いて、四名の乗客にサリン中毒症の傷害を負わせている。さらに、被告人は、犯行を終えた後、他の実行役とともに松本の元に報告に赴き、「偉大なるグル、シヴァ大神、すべての真理勝者方にポアされてよかった」旨のマントラを唱えるよう指示され、死者の冥福を祈るつもりで繰り返し唱えたというが、誠に独善的であって、「ポアされてよかった」などという一節は、被害者を愚弄するものである。
 三 次に小銃製造事件についてみるに、松本は、オウム教団武装化の一環として、自動小銃約一〇〇〇丁を密かに量産しようと決意し、幹部数名をロシアに派遣してAKー七四の調査と資料収集を行った上、入手したAKー七四の実物を分解した部品の一部を密かに本邦に持ち込んで製造方法の検討を進め、多額の資金を投入して、MC、NC旋盤、深穴ボール盤ほか多数の工作機械を備えた製造工場を造り、多数の信者らを動員配置して製作等に当たらせ、多量の特殊鋼材等を調達して主に部品の製作を続けていたものである。その間には、発見押収されただけでも膨大な数に上る部品が製作されたばかりか、かなりの殺傷能力を持つ本件小銃を完成させている。このように、本事件は、動機においても、社会秩序を全く無視した許し難いものであるし、犯行態様も、過去に類例を見ない、大規模で組織的かつ計画的なものであって、悪質極まりない銃器密造事件である。発覚が遅れれば、遠くない将来に、より高度の殺傷能力を持つ自動小銃が大量に製造されていた可能性を否定できず、深刻な事態を惹起したであろうことは想像に難くなく、社会に与えた衝撃や不安には尋常でないものがある。
 被告人は、松本から小銃製造の責任者として指名され、ハルマゲドンに対する防備という目的を理解した上、その設計図の製作から、材料の選定、部品の製作方法の決定、工作機械の選定等を担当し、それに基づいて部下である多くの信者を指揮して自動小銃製造に当たったもので、本事件において、被告人が果たした役割は重要である。また、被告人が他の信者とともに、強制捜査を恐れて、部品の一部を隠匿するなどの罪証隠滅工作を行っていることも見過ごすことはできない。
 四 ところで、弁護人は、無期懲役刑が確定した林郁夫の情状と対比しつつ、本件各犯行は、松本のマインド・コントロール下にあった被告人が、その指示に抗し反対動機を形成すべき何の手段も持ち得ないまま、あるいはこれが極端に困難な状況下でなされたものであることや、被告人担当路線においては、死亡者が一名も出なかった上に、負傷者の傷害の程度も軽く、他の路線に対して、生じた結果には歴然とした差があることなどは、被告人にとって特に有利に斟酌すべき事情であり、他方、被告人が、公判廷において、十分な供述をせずに、殺意や調書の任意性を争う態度を示したことを量刑上不利に斟酌することは黙秘権の侵害等につながるなどとし、被告人に対し、極刑を科することは許されない旨主張するので、これらについて検討することとする。
 1 まず、マインド・コントロールの点であるが、弁護人の主張をそのまま採用することはできないとしても、松本が、信者、とりわけ被告人ら幹部信者に対し、説法、薬物を利用した修行、神秘体験等を通じ、あるいは、睡眠時間や食事を制限した極限の生活環境を強いることにより、徐々に尊師である松本の指示を絶対視し、その指示に疑念を抱くのは、自己の修行が足りないものと思い込ませるなどして、松本の命令に従わざるを得ないような心理状況に追い込んでいったことに照らすと、被告人が、松本や村井から、本件各犯行を指示された際に、それに抗することは心理的に困難であったことは、否めない事実である。この事実は、責任能力や期待可能性の存否に影響を与えないとしても、被告人にとって、一定限度では酌むことができる。しかしながら、翻って考えてみるに、まず、松本が説く教義や修行の内容は、およそ荒唐無稽なものであり、教義の中にはポアと称して人の生命を奪うことまで是認する内容も含まれ、また、松本から指示されたいわゆるワークは、約一〇〇〇丁の自動小銃の製造など著しい反社会性や違法性を有するものであって、通常人であれば、たやすく、松本やオウム教団の欺瞞性・反社会性を看破することができたというべきである。ところが、被告人は、このような契機をいたずらに見過ごし、自己の判断と意思の下に、オウム教団に留まり続け、遂には地下鉄サリン事件を迎えたものであって、いわば、自ら招いた帰結というべきである。そうすると、前述の事実は、被告人にとって、それほど有利に斟酌すべき事情とはいえない。
 2 次に、被告人担当の丸ノ内線車内における被害結果には、他の路線と歴然とした差があるとの点であるが、確かに、死亡者が一名も出ず、負傷者の傷害の程度も、相対的には軽度であったことは事実である。しかしながら、被告人が、共謀共同正犯者として、他の路線をも含めた結果全体について責任を負うべきであるとの法律的解釈は無論のこと、量刑上の観点から、本事件の態様、被告人の関与の度合い、認識をみてみると、結果全体を考慮に入れて刑の量定をしても、何ら不合理ではないというべきである。すなわち、まず、地下鉄サリン事件は、実行役五名が都内五つの地下鉄路線に分かれて、午前八時という通勤時間帯に一斉に、化学兵器であるサリンを撒き、不特定多数の乗客らを殺傷するという極めて計画的、組織的犯行であって、被告人は、実行役らが参集した打ち合わせの席等に連なり、右計画内容全体を熟知し、自らの役割を十分に理解した上で、一路線における実行行為という重要不可欠な役割を担当して、組織的犯行の一翼を担っている。加えて、被告人は、捜査段階においては、五つの路線全体で多数の死傷者が出て、大混乱に陥ることはわかっていた旨自認している。しかも、被告人が、サリン入りの袋を一回突き剌した後、降車寸前に、乗客に後ろから押されながらも、「あともう少し穴を開けようと思い、二、三回くらい、新聞紙の上から傘の先を突き立てました」と捜査官に自供していることからすれば、そこには、手加減どころか、かえって犯行遂行の強固の意思を見て取れる。してみれば、被告人担当路線における被害結果が、他の路線のそれに比して軽度に止まったことは、量刑判断上、一定の限度で被告人にとって有利に斟酌すべきではあるが、過大視することはできないというべきである。
 3 最後に、被告人の公判廷における供述態度の問題であるが、確かに、被告人がある段階から供述をしなくなったことを不利益に評価することは、黙秘権の侵害という観点からすると問題があるといえる。しかしながら、被告人は、単に黙秘権を行使しただけではなく、証拠上優に認定できるサリンの毒性に対する認識や殺意をいたずらに否認した上に、警察官から歯が折れるほどの暴行を受けたなどと、明らかに客観的証拠に反する供述を繰り返している。そして、何よりも、四年あまりの公判の間、関係各証拠書類、他の実行役らの事実関係を率直に供述する証言、遺族の悲痛な証言等により、地下鉄サリン事件の全貌と被害の悲惨さを目の当たりにしたにもかかわらず、松本個人や教義の欺瞞性あるいはオウム教団自体の危険性、反社会性に覚醒することなく、いまだオウム教団を脱会せず、松本に対する帰依の念を捨てきれない様子が窺える。これらの事情に照らせば、被告人の反省悔悟の念は、とうてい真摯なものということはできず、不利益な事情と評価せざるを得ない。
 五 以上に述べてきた、本件各犯行の罪質、動機・目的・態様の悪質性、結果の重大性、遺族の処罰感情、社会に与えた影響、本件各犯行における被告人の役割の重要性、犯行後の諸事情等に照らすと、被告人の刑事責任はあまりにも重大である。
 そうすると、被告人については、小銃製造事件のうち、大量生産を企図したものは未遂に終わっていること、父母の協力の下、オウム真理教犯罪被害者支援基金に三〇〇万円を寄付していること、地下鉄サリン事件被害者弁護団に対し、被害者への謝罪と被害弁償の申し入れをしていること、前科・前歴がないことなど被告人のために酌むべき事情を最大限に斟酌した上、被告人が松本の指示に抗することは心理的に困難であったこと、被告人担当路線においては死亡者が出ていないことを許される限度で考慮し、かつ、死刑が真にやむを得ない場合にのみ科し得る究極の刑罰であることや林郁夫に対する量刑に思いを致しても、被告人に対しては死刑をもって臨まざるを得ないと考える。
 主文
  被告人を死刑に処する。

底本:『オウム法廷8』(2002年、降幡賢一朝日新聞社