京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

山形明証言・3つのVX襲撃事件(1994年12月2日~1995年1月4日)について(『オウム「教祖」法廷全記録』第5巻より)

■第135回公判

「尊師が期待している」

(略)
検察官「新実の言葉で初めて松本の指示と分かった?」
証人「違います。禁じられている殺生がポアになるのは、松本の指示があった時だけですから」
検察官「Mさんを襲う理由の説明はあったか」
証人「平田から『教団の秘密を握っている人物がいるから』と中途半端な説明があっただけ」
(略)
 その日の午後、山梨県上九一色村の教団施設で、山形服役囚、井上被告、新実被告、高橋容疑者が松本被告に報告したという。
検察官「松本被告は何と言っていた」
証人「『この毒液はVXといって、最新の化学兵器だ』と。そこでVXを初めて知った」
検察官「そのほかに何か話はあったか」
証人「井上と新実が企業から盗んだレーザー関連の資料を出して『手に入った』と報告した。活動資金と2人がいったので、松本は娘を呼び、いつも持たせているショルダーバックから200万~300万円くらいを出させて新実に渡していた。その中から新実は3万円を私に渡してくれた」
検察官「何と言って」
証人「『何かに使えよ』と。非合法なことをして金を渡され、まるでヤクザの論理のようで、恐ろしく思った」
(略)
検察官「Hさんの事件にかかわった経緯は」
証人「平成6(94)年12月11日に教団所属の楽団のコンサートが大阪であり、その警備を終えて帰ろうとしたら、大阪支部でサマナ(出家信者)から『ミラレパ師(新実被告)の指示で残って下さい』と言われた」
検察官「どう思った」
証人「再びVXのような非合法ワークの手伝いだと」
(略)

「責任かぶせるまねやめてほしい」

(略)


■第136回公判

自衛隊員が教団武装化に貢献

(略)

毒ガス攻撃には「半信半疑」

(略)
 弁護人は、94年当時の教団の様子を質問した。
弁護人「証人は、94年に教団が極端化していったと証言しているが、どういう意味か」
証人「毒ガス攻撃に対抗しなければいけないなど、危機感が高まって異様な雰囲気だった」
弁護人「あなた自身、危機感は持っていたのか」
証人「正直いって、半信半疑だった。『飛行機で毒ガスをまいているからビデオで撮影する』などと言うが、素人目でも、もっと低空飛行じゃないとまけないと思った」
(略)
弁護人「平田からは『教団の秘密を握っている人物がいるから倒す必要がある』という言葉を言われたのか」
証人「だいたいそういう内容だった」
(略)
証人「漠然と。どう考えても普通のワークとは思えないでしょう。分かりますか」
(略)
弁護人「失敗して怒るのは、新実だけと思っていたのではないですか」
証人「当然、松本からも怒られると思っていました」
(略)


■第140回公判

「新実被告イコール非合法」

(略)
弁護人「(最初に)MさんにVXをかける時、躊躇(ちゅうちょ)する気持ちがあって、半分ぐらい捨てたというような説明があったが、今回もそうだったのか」
証人「そういう気持ちはあった」
弁護人「気持ちはあった」
証人「もし、威力があったらどうしようかという感じで」
弁護人「それでは、できないのでは」
証人「近づきながら考えたので」
(略)

「僕は幹部たちの道具」

(略)
 弁護人「あなたのように実行犯として重要な役割をした人は、結果報告に行かないんですか」
 山形服役囚は、当時の幹部らへの怒りがよみがえったのか、語調を強める。「幹部たちは、僕を道具としてしか見ていないんですよ。『お前は知らなくていいよ。俺たちの言う通りにしていればいいんだ』という姿勢があった。それがすごく嫌だった」
(略)


■第141回公判

「逃げられないと自暴自棄に」

(略)
弁護人「平成6(1994)年12月31日昼ごろ、新実(智光被告)さんから電話で『東京に行くから準備しろ』と言われたと」
証人「はい」
(略)
弁護人「新実さんに『Nさん(を襲撃すること)は捜査が始まる。尊師に言って、考え直してもらえないか』と言ったのは事実ですか。新実さんの調書には『尊師が決めたことに(異議を)言えるはずがない』とありますが」
 当時の緊迫したやり取りを思い出したのか、証人はさらに声を張り上げた。「ああいうことを言ったのは、最初で最後だった」
(略)
弁護人「そのあとテレクラの事務所に忍び込んで、顧客名簿を盗み出したのはNさんの事件と関係あるの」
証人「全然関係ないです。新実らが偶然手が空いて、顧客名簿で人を脅迫して金を取ろうとしただけです」
 山形服役囚らがNさんを港区の自宅近くの路上で襲撃したとされるのは95年1月4日。弁護人はその前後の状況を質問する。
弁護人「平田(悟服役囚)さんの調書では、今川を出発する際、サリンのことを報じた(95年)1月1日の読売(新聞)に皆で目を丸くしたとあるが、記憶は」
証人「僕はないですね」
証人「犯行の前日の1月3日に見た記憶はあります」
(略)

「自分の愚かさ感じる」

(略)
裁判長「最後に言っておきたいことは」
 山形服役囚は「何ていうか……そうですね」と言葉を探して話し始めた。
証人「(教団)幹部たちの態度で一番腹が立ったのは昇進の話。非合法をやって、帰りの車の中で新実から、『これで昇進だな』などと言われた。井上君や新実、松本をぶっ飛ばしたかった。そう言えば僕が喜ぶとでも思っていたのか。言われた通りやった僕は最低の人間だ。青臭い言い方かもしれませんが、人の心をぼうとくする態度だ。新実なんか犯行が終われば『ご苦労さん』で終わり。幹部にとって僕はVXとかAK銃のようなものだったんだ。僕のせいで同い年のHさんが亡くなった。自分の愚かさを感じる。僕にできることは、Hさんを忘れないこと。それを死ぬまで続けるつもり。松本には何を言っても無駄だとは思いますが、『あきらめろ』とひと言、言ってやりたい」

底本:『オウム「教祖」法廷全記録』(2000年、毎日新聞社会部、現代書館)第5巻