京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

林泰男・東京地裁判決(要旨・2000年6月29日・木村烈裁判長)

林泰男被告に対する判決の要旨】
(量刑理由)
 一 本件は、オウム真理教の出家信者であった被告人が、①教祖の麻原および教団幹部らが、長野県松本市内の住宅街において、サリンを充填した加熱式噴霧器搭載の普通貨物自動車を駐車させ、右噴霧器でサリンを加熱・気化させてこれを周囲に発散させ、多数の付近住民を死傷させた犯行を行うにつき、右加熱式噴霧車を製作して右犯行を幇助した殺人幇助・殺人未遂幇助の事案(松本サリン事件)、②麻原および教団幹部らと共謀の上、通勤時間帯を狙って、多数の地下鉄乗客を殺害する目的で、東京の地下鉄電車内にサリンを散布し、多数の者を死傷させた殺人、殺人未遂の事案(地下鉄サリン事件)、③他の教団幹部らと共謀の上、新宿の地下街にある公衆便所の利用者等を殺害する目的で、公衆便所内に青酸ガス発生装置を仕掛けたが、青酸ガスを発生させるに至らなかった殺人未遂の事案(新宿駅青酸ガス事件)である。
 二 松本サリン事件について
 1(略)
 2 被告人の本件幇助行為は、麻原の命を受けた村井の指示により、サリンを噴霧するための加熱式噴霧車を製作したというものであるところ、住宅街においてサリンという猛毒ガスを大がかりに散布し、しかも、散布者がサリンを吸引することなく素早く逃走するという目的を果たすには、本件噴霧車を製作することが必要不可欠であったのであり、その役割は極めて重い。
 しかも、本件噴霧車自体、三個の銅製容器、大型送風扇、遠隔操作のためのスイッチや自動バルブ等を使用した大がかりな構造を有し、かつ、発覚を免れるために塗装を工夫するなど偽装工作が施されていたものであり、加えて、多数の関与者の有する各技術によって短期間に完成したものであることに鑑みれば、幇助行為自体をみても、その組織性、計画性は明らかで、本件幇助行為の関与者の責任は重大である。
 3 被告人は、他のワークと同様に、教祖である麻原の命を受けた村井の指示に従って、本件幇助行為たる噴霧車の製作作業に関与したものであるが、バッテリーの設置、配線等の重要な電気系統の作業を担当した上、遅くとも噴霧実験の時点では、これがサリン噴霧車であることを知ったにもかかわらず、何の躊躇もなく引き続き再充電、掛け金等の購入、偽装工作等を行って完成させたものであり、被告人の分担した面に限っても、その役割は重要である。
 4 以上によれば、本件幇助行為における被告人の責任は重大と言わなければならない。
 三 地下鉄サリン事件について
 1(略)
 2(一)被告人は、本事件において、教団ないし麻原に対する帰依の下に、麻原の命令に従い、教団の存続、麻原の利益、さらには自分自身の修行を進めるという身勝手な利益のために、何ら落ち度のない多数の一般市民の生命を犠牲にしたのであって、そのような動機自体、あまりにも独善的、自己中心的であって、酌量の余地は全くなく、極めて強い非難に値する。
(二)被告人は、本事件において、麻原に対する疑問と恐怖の念を抱きつつも、あえて思考を停止させ、サリンを地下鉄電車内に散布するという役割を担ったのであって、本事件における責任は極めて重いと言えるところ、具体的な実行に至る経緯においても、総指揮者である村井の指示を受けて、他の実行役らとサリン散布の実行方法について話し合ったり、本事件の目的を達するために極めて重要であった運転手役を付けることについて村井に提案し、その後、杉並アジトにおいては、既に集合していた実行役らに対して、運転手役との組み合わせを仮に割り振ったり、犯行現場を下見したり、変装用具を購入するなど、井上のいないところにおいては、主導的な役割を果たしており、また、実行後においても、罪証隠滅工作として犯行に使用した傘、衣服等を焼却する場所を自ら提案したりしており、その果たした役割は実行役の中でも積極的であったと言える。
(三)また、具体的な実行の場面をみるに、被告人は、事前の指示どおりにサリン中毒の予防薬を服用したり、運転手役には自分に万が一のことが起きた場合における善処を頼んだりするなど、指示を忠実に遂行し、かつ、自らはサリン中毒に陥らないようにするための周到な措置を取った上で、所携のビニール傘の先でサリン袋三袋を思い切り何度も突き刺して、他の実行者に比しても多量のサリンを散布するなど、犯行を冷静かつ忠実に実行しているのであって、それ自体が強い非難に値すると言わなければならない。
(四)そして、被告人がサリンを散布した地下鉄電車内および駅構内では、極めて広範囲で多数の死傷者が出ており、とりわけ、他の実行者に比べて格段に多い八名もの死亡者が生じたのであって、被告人は、サリン散布の実行役の中でも格別に重い結果を生じさせたものである。
 四 新宿駅青酸ガス事件について
 1(略)
 2(一)被告人は、既に地下鉄サリン事件の実行役として自らの手で多数の死者を生じさせていたにもかかわらず、本事件においても、教団ないし麻原に対する帰依の下に、麻原の逮捕を免れさせ、教団を存続させるために、何ら落ち度のない多数の一般市民の生命を犠牲にしようとしたのであって、そのような動機自体、あまりにも独善的、自己中心的で酌量の余地は全くない。
(二)(略)
 五 犯行後の行動について
 1(略)
 2 被告人は、その後、かねてから交際していた女性信者その他数名とともに逃亡生活に入り、千葉県内のアパートに潜伏した後、名古屋市内、京都市内等において、同女に偽名を使わせて飲食店等で働かせ、生活資金を得ながら従業員寮等で潜伏を続け、さらに、九五年八月中旬から九六年十一月下旬までの長期間にわたり京都市内のアパートで同女と同棲生活を送り、警察に所在を掴まれたと察知するや、直ちに逃走して石垣島に向かい、同年十二月三日に同女とともに逮捕された。
 被告人のこのような逃亡生活は、捜査機関による全国的な追跡にもかかわらず、女性信者を巻き込んだまま約一年半にわたって継続していたものであり、一日も早く犯人検挙を願う被害者、遺族等の思いを逆なでするものと言うほかない。また、被告人は、長期間逃亡して検挙を免れていたことにより、一般市民に対し、被告人らにより再度凶悪なテロが敢行されるのではないかという強い恐怖や不安を与え続けていたのであって、報道等において使用された被告人に対する「殺人マシン」という呼び名は、まさにそのような深刻な恐怖や不安を言い表したものとも言い得る。
 3 このように、被告人の犯行後の行動は、いずれの点からみても極めて強い非難に値するものである。
 六 犯情において酌むべき事情
 1 まず、松本サリン事件においては、被告人は幇助犯にとどまり、また、幇助行為自体をみても、本件噴霧車の製作の初期の段階から関与を指示されたわけではなく、その点、製作現場の責任者として最初から関与した渡部らと比べれば、幇助犯者の中の被告人の役割・地位はそれと一線を画するものと言える。また、被告人は、本件噴霧車の製作に関与した当初からこれをサリン噴霧車であるとの認識を有していたわけではなく、噴霧実験の段階からこれを有するに至ったと認められる上、右認識自体も未必的なものにとどまる。
 2 次に、地下鉄サリン事件においては、被告人は、サリン散布の実行役という直接の実行者として重い責任を負うのは当然のことであるが、その一方で、麻原の命を受けた総指揮者の村井から指示を受けて実行役となったもので、首謀者や指揮者に比べて犯情が同一であるとは言い難い。サリン入りビニール袋三袋を引き受けた点についても、麻原と村井が事前に決定の上で、共犯者らの前で被告人に仕向けたものであるとともに、被告人においても、他の共犯者が嫌がっている状況を察知して申し出たという面が窺われるのであって、当初から積極的に引き受けたものではない。また、サリン入りの袋を手にするとき、二重袋の内袋が破れ、サリンが外袋へ漏出しているのを見て、あえてその袋を引き受けたのも、教団への忠誠の姿勢を示したものではなく、他の者が嫌がることを進んで自ら引き受けるという被告人の性格的な側面の現れとみられる。
 3 また、新宿駅青酸ガス事件においては、当初から麻原の護持に積極的であった井上が、麻原から直接無差別テロの指示を受けてその具体化に奔走し、本事件を含む一連のテロ行為の中心になり、中川において、青酸ガスによるテロ行為を最初に提案し、発生装置を考案して製作し、これを地下街の公衆便所に仕掛けたのであって、井上および中川と比較し、被告人の犯情がこれらの者と同一とまでは言えない。
 4 そして、本件各犯罪の背景に麻原の説くヴァジラヤーナの教義があること自体は、これを格別被告人に有利に斟酌することは出来ず、むしろこれに従って一連の犯罪に関与したこと自体非難に値することは前記のとおりであるが、他方、いずれの事件においても、麻原が被告人をはじめとする教団信者の帰依心や教団への強い帰属意識等を巧みに煽って、自らの権力欲の満足や保身を図るために、各犯行を実行させたのであって、被告人において麻原に利用された側面も否定出来ない。
 七 その他考慮すべき事情
 1 被告人は、中学校三年のころ、父親が朝鮮国籍から帰化した者であることを知り、これまで朝鮮人等を差別していた自分自身の偏見と歪みに悩み、葛藤するようになった。そして、二十歳のときに父親の死に遭遇し、これをきっかけ忙人間の死後の世界に関心を持つとともに、人間は何のために生きているのかという根本的な疑問を抱くに至った。大学卒業後、右疑問を解明するため、通算約三年間にわたり世界を旅行するなかで、チベット仏教等にその解決を見いだそうとしたが、修行を実行するには至らなかった。その後も仏教、特にチベット仏教への関心を深めつつ、煩悶を続けていた折、麻原の著書『生死を超える』を読み、麻原が触れたという臨死体験に関心を持つとともに、麻原の下で修行をすれば、麻原と同じような体験が出来、これまで抱いてきた「生と死」の疑問も解けるのではないかと考え、教団に入信したものである。
 このように被告人は、中学三年のころから自己の心の中の差別心に思い悩み、二十歳のとき父親の死に遭遇したことを機に、「人間の生と死」の問題を探求しつつ、海外へも赴くなどし、真面目に宗教への関心を深めていたものであって、教団への入信もこのような精神遍歴の結果生じた被告人なりの求道心に裏付けられたものと認められるのであって、教団入信の動機自体を非難することは出来ない。
 2 しかるに、被告人は、九〇年の衆議院議員選挙の前ころから教団における違法活動に関与し始め、盗聴行為を続けるにつれて、麻原の予知能力等に対して疑問を有し始めていたが、このころにおいては、いまだ大きな疑問にはなっておらず、むしろ、このような違法活動は正しい教えを広めるためには仕方がないことであるとさえ思っていた。その後、麻原がヴァジラヤーナの教義を強調し始め、被告人において、毒ガス攻撃についての説法を受けたり、これへの対策と称したワーク、ロシア射撃ツアー、軍事キャンプ、第七サティアンサリンプラントの建設等を経験するにつれ、麻原の説法や手法等について大きな疑問を持ち始めたにもかかわらず、いまだに、これらは麻原が信徒の修行を促進するための方便として行っているのではないかとも考えていた。そして、松本サリン事件に関与し、多数の死傷者を出したことに強い衝撃を受けたにもかかわらず、このような一般市民を殺害するような教団ないし麻原に対する帰依を断ち切ることもなく、麻原が村井らの進言で狂わされたなどと考えたにすぎなかった。その後も教団は数々の違法活動を繰り返していたにもかかわらず、下向ないし脱会等の具体的な行動を取らなかった。そして、ついには、教団ないし麻原の護持のために、地下鉄サリン事件、続いて新宿駅青酸ガス事件という重大な犯罪にも関与し、その後も、教団における仲間と離れることが出来ず、恋愛関係にあった女性信者をも巻き込み、一年半以上にもわたって逃亡生活を継続し、逮捕直前まで麻原への帰依を断ち切ることが出来なかったのである。
 結局被告人は、教団ないし麻原に対し、前記のように幾度となく疑問を感ずることがあったにもかかわらず、その都度麻原の指示をあえて正当化し、教団ないし麻原への信奉を完全に断ち切ることが出来ないまま、数々の違法活動を行い、ついには本件のような重大な犯罪に関与したのであって、被告人の所為は、まさに被告人が基本的な生活信条として大切にしてきたという「人間としての良心」を失った者の所業と言うほかない。
 3 しかし、被告人は、長期間の逃亡生活の末に逮捕された後は、良心を取り戻し、捜査・公判段階を通じて、各犯罪事実の客観面すなわち自己の行為により多数の死傷者を生じさせたことについては、これを全面的に認め、当公判廷においては、これらについて反省の情を示した上で、とりわけ地下鉄サリン事件については、自己が自ら散布したサリンによって死亡した被害者の名前を一人一人挙げるなどしながら、被害者に対する謝罪の言葉を述べてきている。また、被告人は、地下鉄サリン事件の被害者の遺族に対して謝罪の手紙を書くことを試み(ただし、通り一遍の内容のものでは真の謝罪にならないとして、いまだこれを発送していない)、拘置所の中では毎日懺悔の日々を送っている。
 そして、被告人は、麻原をはじめ共犯者らの法廷に、証人として度々出廷し、記憶のある限り事実関係を供述して事案の解明に協力するなど、教団が惹き起こした一連の事件の審理に寄与、貢献している。加えて、被告人は、当初から極刑が予想されていたのに、自らの公判審理の長期化を望まず、公判審理の促進に積極的に協力し、地下鉄サリン事件の他の共犯者より公判開始が約二年近く遅れたにもかかわらず、ほぼ同時期に審理を終えるに至ったことは、被害者や遺族らに対するせめてもの懺悔と謝罪の念の現れと理解出来る。さらに、被告人の当公判廷に臨む態度は、礼儀正しく、質問に対する応答も真摯である。
 以上のような逮捕後の諸事情は、被告人の犯した犯罪の重大性自体を減殺するものではなく、これによって被害者や社会を到底納得させられるものではないが、右のような被告人の態度を通じて明らかとなった被告人なりの真摯な反省・悔悟の情は、これを十分酌むべきものである。
 なお、被告人は、松本サリン事件では犯意を否認し、地下鉄サリン事件および新宿青酸事件では確定的殺意を否認するなどしてきたものであるが、これらは、被告人が逮捕後の取り調べや審理を通じて、関係者の種々の供述等を知り、様々な心理的葛藤を経験した結果、意識的あるいは無意識的に次第に自己保身的な論理を構築するに至ったものと思われるところであり、そのような態度自体に非難すべき点がないとは言えないが、自己が各犯罪に関与したという最も基本的な事実自体は捜査・公判を通じて一貫して認めてきているのであり、右のような弁解の態度のみで、前記のような被告人の反省・悔悟の真摯性自体を否定し去ることは出来ない。
 4 被告人は、元来凶暴・凶悪な性格ではなく、教団での違法活動を除けば、毒物及び劇物取締法違反の罰金前科一犯および道路交通法違反の罰金前科二犯ならびに傷害の前歴一件を有するのみであって、犯罪性向を有するとは言い難い。
 また、被告人は、定時制高校に入学した後は、真面目に学業および仕事に励んでいたのであり、大学では成績優秀者として表彰も受けている。加えて、被告人は、魚屋を営む知人が病気で倒れて休業した後、病み上がりの体で商売をする姿を見かね、自己のそれまでの仕事を犠牲にして住み込みで同人を手伝ったこともあり、被告人には善良な性格を見て取ることが出来る。その他、被告人の母親、林郁夫らの証言および被告人の前記法廷における態度等に照らせば、麻原および教団とのかかわりを捨象して、被告人を一個の人間としてみるかぎり、被告人の資質ないし人間性それ自体を取り立てて非難することは出来ない。
 5 およそ師を誤るほど不幸なことはなく、この意味において、被告人もまた、不幸かつ不運であったと言える。
 八 結論
 以上の諸事情を総合し、被告人の量刑について判断する。
 死刑は、人間存在の根元である生命そのものを国家の手によって永遠に奪い去る冷厳な極刑であり、誠にやむを得ない場合における究極の刑罰であるから、犯行の罪質、動機、態様ことに殺害の手段方法の執拗性・残虐性、結果の重大性ことに殺害された被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状等各般の情状を併せ考察したとき、その罪責が誠に重大であって、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむをえないと認められる場合にのみ、これを選択することが許されるものであることは、累次の判例で示されているとおりである。
 これを本件についてみるに、本件各犯罪事実は、前記のとおり、いずれも悪質重大であるところ、特に、量刑上最も重要な地下鉄サリン事件は、その罪質、犯行の動機・目的の独善性、犯行の組織性、犯行態様の危険性・残虐性、結果の重大性、被害感情の厳しさ、社会的影響の深刻さ等に照らし、極めて悪質重大と言うほかない。とりわけ、被告人は、地下鉄電車内にサリンを散布する実行役として、無差別大量殺人の実行行為そのものを行い、死者十二名にものぼる極めて悲惨な結果を惹起していること、他の実行役よりも一袋多い三袋のサリン入りビニール袋を何度も突き刺してサリンを多量に漏出させ、被告人の担当路線のみでも八名の死者を出していることに鑑みれば、その罪責は誠に重大である。
 したがって、被告人のために酌むべき各事情を最大限に考慮しても、被告人に対しては、罪刑の均衡の見地および一般予防の見地からも極刑をもって臨むほかない。

 【主文】
 被告人を死刑に処する。

底本:『オウム法廷10』(2002年、降幡賢一朝日新聞社