京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

豊田亨、広瀬健一、杉本繁郎・東京地裁判決(要旨・2000年7月17日・山崎学裁判長)

豊田亨広瀬健一、杉本繁郎被告に対する判決の要旨】
〔争点とこれに対する判断〕
第一~第六(略)
第七 責任能力
 一~二 (略)
 三 検討
 1 問題点
 以上の各弁護人の主張および高橋意見を総合的に考察すると、両被告人について、
(一)カルトパーソナリティー(カルト的二重人格)を形成していたこと、(二)精神医学的観点からみると、感応性精神病類似の感応症状や解離性障害に陥っていたこと、(三)極厳修行等により、心理的影響あるいは脳生理学的な身体的影響などを受け、被暗示性が高まったこと、(四)犯行目的、動機が了解不可能であったことなどの諸点を指摘して、責任能力を問題視していることに集約されると解せられるので、まず、これらの諸点を取り上げて検討した上、両被告人の責任能力の有無について判断する。
 2 カルトパーソナリティー形成
(一)違法行為に対する躊躇 高橋意見は、本来の人格の上に、カルトの人格が覆い被さることにより、カルトパーソナリティーを形成した者は、たとえ本来の人格において行為の違法性を認識していても、表面を覆っているカルトの人格は、判断を停止しており、違法行為の指示を受けても、淡々と躊躇なくこれを行うとする。
 しかしながら、被告人豊田は、検察官に対する供述調書において、自己の関与した全事件について、「内心ではサリンを撒いて人を殺すとか青酸ガスを発生させるとか、あるいは爆弾を製造するとか、自動小銃を密造するなどということは、やらずにすむならばやりたくありませんでした」と述べて、一般的に、抵抗感を有していたことを自認し、公判廷においても、サリン撒布を村井から指示された際、いろいろな気持ちがわき上がり、非常に混乱していたと述懐しているが、その一方で、実行前は、躊躇や葛藤があったことを率直に認めている供述部分もあって、被告人豊田の心境としては、葛藤や躊躇を乗り越えた末、実行行為時には、既に躊躇を感じなくなったというに過ぎない。
 また、被告人広瀬も、捜査段階において、地下鉄サリン事件に関し、人殺しであり、間違っているのではないかと思い、大変な心の葛藤があった旨一般的にその心情を述べた上、実行直前の状況につき、「目にした女学生を含め、乗客は死亡すると思い、自分のやろうとしていることが人殺しであると改めてひしひしと感じ、何の罪もない人をこんな方法で殺していいのだろうかと思った」とか、「いよいよサリンを撒く直前には、心臓がどきどきして、本当にこんなことをしていいのだろうかと思った」旨その躊躇の様子を赤裸々に述べている。
 ところで、高橋は、被告人らの躊躇した旨の供述と自己の意見の食い違いを指摘され、①カルトの人格は躊躇しないはずであるから、被告人らは、カウンセラー等特定の人物に対する過度の依存ないし同一化という症状を呈するマインド・コントロール後遺症のため、捜査官らに誘導されてそう供述しているにすぎず、犯行時の心理状態を正確に述べていないとし、②あるいは、マインド・コントロールのかかり方の強弱という観点を持ち出して、躊躇している場合は、マインド・コントロールヘのかかり方が少ない場合であり、本来の人格が少し芽を出して、カルトの人格と本来の人格が併存している状態であると説明を加え、③さらには、判断停止という状態について、それは表層的に停止しているだけで、カルトの人格が勝っているのであると分析している。しかしながら、これらの説明は、その相互間において矛盾を来しており、場当たり的であるといわざるを得ない。また、これらの説明を、カルトパーソナリティーについての高橋意見の根幹部分、すなわち、本来の人格はカルトの人格に覆い包まれてしまって判断に関与しないはずの本来の人格が芽を出し、カルトの人格が併存している場合とはいかなる状態なのかの各点について、さらに合理的な説明が必要といわざるを得ない。かえって、被告人豊田は、①および③の点に関し、公判廷において、新宿青酸ガス事件が失敗に終わって安堵したという気持ちは、事件当時の気持ちである旨明確に指摘している。そうだとすると、高橋の右の説明は説得的でなく、与することは出来ないといわざるを得ない。
 以上のとおり、被告人豊田および被告人広瀬とも、犯行指示の内容に驚愕したり、抵抗感を示したり、躊躇を感じるなどして気持ちを乱していたことが認められ、淡々と躊躇なく指示を行う旨の高橋意見とはほど遠い心境であったといえる。
(二)成功と喜び
 高橋意見は、カルトパーソナリティーを形成した者は、教祖の指示どおりに成功した場合には喜び、失敗した場合には修行が足りず、教祖に対して申し訳ないという気持ちになるという。
 しかしながら、被告人豊田は、地下鉄サリン事件について、渋谷アジトにおいて、テレビで被害状況の映像を見た際、やってしまったかと思ったと述べ、多数の死者が生じたことを知ったときの気持ちについては、ショックを受けたという気持ちがなかったわけではないと説明する。また、新宿青酸ガス事件についても、失敗に終わったことを知って、ほっとした気持ちになったとか、都庁爆弾事件についても、被害者に対して申し訳なかった旨供述する。また、被告人広瀬も、地下鉄サリン事件実行後の心情として、自已にサリン中毒症状が発症した際、ほんの少し吸った自分でさえこうなるのだから、電車の中は大変なことになっていると思ったとか、人が倒れているというニュースに接し、本能的に、人が死ぬことに対して重い気分になったなどと述べている。
 そうすると、被告人豊田や被告人広瀬は、高橋意見とは異なり、指示どおり成功させて、「喜んだ」などという感情を発現させておらず、かえって、自己が惹起させた結果に対して憂慮の念を示しているのである。
(三)まとめ
 以上まとめると、結局、被告人らについてカルトパーソナリティーが形成されていると指摘する高橋意見は、違法行為を実行するに際して躊躇を感じないとか、指示どおり成功させると喜ぶなどとするカルトパーソナリティーの最も特徴的な点において、被告人らの実際の心理状態と齟齬している上、その意見自体に、矛盾点、曖昧な点を包含するものであるといわざるを得ない。
 3 精神障害の有無
(一)高橋意見の指摘する精神障害
 高橋意見は、精神医学的観点からみると、被告人豊田には、感応性精神病や解離、筒抜け体験(自我の限界性の障害)などの自我障害が認められ、被告人広瀬は、感応性精神病類似の感応症状および解離性障害に罹患していることが認められると述べる。そこで、高橋意見が指摘する「解離性障害」「感応性精神病」「筒抜け体験」に着目して以下検討する。
(二)解離性障害
 高橋意見は、マインドーコントロールによる解離性障害は、前記ICD-10(世界保健機関精神障害の診断基準)あるいはDSM―Ⅳ(米国精神医学会が設定した診断基準)にいう「特定不能解離性障害 3長期間にわたる強力で威圧的な説得(例……洗脳、思想改造、または人質になっている間の教化)を受けていた人に起こる解離状態」との記述中の洗脳等による説得の際に起きてくる解離性障害であるとし、この理解は精神科医や社会精神医学者の間では一般的であるとする。しかし、検察官から、ICD-10やDSM-Ⅳの高橋意見指摘にかかる箇所には、マインド・コントロールによる場合も含まれるなどとは記載されていないではないかと指摘されるや、高橋は、それは、DSM-Ⅳ等の診断基準を作る研究者は、診断基準の専門家で、宗教病理など細かいことを理解していないため、洗脳もマインド・コントロールも同じ意味で使っていると思う旨答えるが、前記理解が一般的であるならば、診断基準の作成者がそれを知らないというのは、いかにも不自然である。
 加えて、高橋意見は、被強制感を伴う洗脳による解離と、被強制感を伴わないマインド・コントロールによる解離とを同列に位置付けることについて、両者とも葛藤により解離が生じる点で類似の構造を持つ旨説明するが、既に述べたとおり、何故、カルトの人格と、それに覆い包まれていて判断に関与しないはずの本来の人格との間で葛藤が生じるのか、さらに合理的な説明を要するというべきである。
(三)筒抜け体験
 また、高橋意見は、「筒抜け体験こそが、松本の指示をそのまま実行したといえるくらいの中核的な役割を果たしている」とか、「犯行時の心理状態において、筒抜け体験が中心的な役割を果たしている」と説き、被告人三名に係る精神病理として、精神分裂病において見られる注察妄想(自分が他人から注目され、観察されているという妄想)類似の筒抜け体験を挙げる。
 しかしながら、高橋意見のいう筒抜け体験に関する説明自体をみても、高橋は、弁護人の主尋問および検察官の反対尋問に対し、一旦は、オウム教団における神秘体験の中核は筒抜け体験であり、高橋がカウンセリングした末端信者二十名についても軽度であるがこれが認められたとか、オウムにおけるマインド・コントロールでは筒抜け体験が中心的役割を果たしていたとか答えておきながら、一方では、末端信者には筒抜け体験は認められないがマインド・コントロールにはかかっている旨検察官に述べたため、その供述の矛盾について追及を受け、「マインド・コントロールにかかっている信者が犯罪行為を行うに当たって、筒抜け体験が中核となった」と証言を訂正するに至った。このように、その訂正に納得出来る説明を加えておらず、マインド・コントロールと筒抜け体験との関係についての説明も曖昧といわざるを得ない。
 ところで、被告人豊田および被告人広瀬が、松本において、すべての弟子の心を見通す能力があると感じていたことは証拠上確たる事実である。しかしながら、被告人豊田も被告人広瀬も、注察妄想類似の筒抜け体験があったが故に、本件各犯行時において、松本の犯行指示に反し得なかったなどと述べておらず、かえって、既に認定したように、両被告人が違法行為であっても、あえて実行した動機は、帰するところ、松本の指示を救済と信じたからなのである。そうすると、注察妄想類似の筒抜け体験が、被告人豊田および被告人広瀬の犯行を犯した心理状態の中核であるとする点においても、高橋意見は被告人らの心理状態に即しているのか疑問が残る。
(四)感応症状
 高橋意見は、松本の妄想が移っている点において、被告人らの精神病理は、感応性精神病二人の精神障害者から、その者と親密な結びつきのある他の一人またはそれ以上の人々へ、その妄想観念や異常行動が転移される精神疾患)の構造と同様であるとし、松本の妄想とは、集約すると、ハルマゲドンと毒ガス攻撃などの存在についてであるという。
 しかしながら、被告人豊田および被告人広瀬の本件各事件の動機は、帰するところ、救済と信じたという自らの宗教観に基づくものであり、また、その犯行目的も、オウム教団を取り巻く客観情勢からして、現実昧も帯びている。そうすると、高橋意見のいうハルマゲドンや毒ガス攻撃などの存在を妄想したというものとは、明らかに別物である。なお、被告人豊田は、自動小銃製造事件の目的について、捜査段階においては、ハルマゲドンに対する備えである旨供述しているが、公判廷では、自動小銃製造事件も含めてすべての事件を救済と位置付けている。
 したがって、被告人豊田および被告人広瀬について、高橋意見のいう、松本からの妄想の転移という感応性精神病類似の状態は認められない。
(五)まとめ
 以上検討したように、被告人らについて、「解離性障害」「感応性精神病」「筒抜け体験」という精神障害を指摘する高橋意見には、その説明自体が説得的でなかったり、曖昧であったり、被告人らの述べる心理状態と齟齬するなどの問題点が指摘出来る。
 4 被暗示性
 高橋意見は、オウム教団における極厳修行等の影響として、脳生理学的影響を受け、あるいは知覚変容を伴う過換気症候群に陥り、神秘体験を得て、被暗示性が高まるとしている。
 確かに、両被告人とも、松本の提唱する教義に基づき、極厳修行を含む厳しい修行やワークを中心とした出家生活を送り、神秘体験あるいはある種のそれを経験したことなどから、通常人には容易に信じ難い松本の教義を信じ、救済を希求して本件各事件に関与していることは、両被告人について、被暗示性の高まりを推認させるに十分である。そうすると、その被暗示性の高まりもあって、松本の指示に抗することが困難であったことは否定し難いところである。
 しかしながら、既に摘記した被告人らの心理状態、すなわち、違法行為の指示に接した際に生じた自然な驚愕、抵抗感、尊師の指示を優先するに当たっての葛藤、実行に対する躊躇、実行後の良心の呵責等は、被告人らにおいて、なお、行為の違法性の大小や結果の重大性を判断し、それに応じた抵抗感や躊躇を示しつつも、葛藤を乗り越えて、自己の意思により、松本の指示に従うことを選択し、実行に及んだことを示すものといえるのであって、松本の指示に抗することがおよそ不可能であったとは認められない。
 なお、高橋意見は、被告人らについて、厳しい修行等が与える身体的影響として、ある種の脳内物質が分泌され、その記憶が神経回路を形成し、痕跡として意識に深く残った(脳生理学的影響)とか、過換気性症候群に陥っていたとか述べるが、被告人らについて、そのような状態にあったことを認める具体的な証拠はない。
 5 犯行動機・目的の了解可能性
 ところで、被告人豊田の弁護人は、同被告人が本件各犯行を起こした動機、目的が了解不能であることが精神障害を疑わせる根拠の一つであると指摘する。
 これまでに認定してきたように、本件各犯行の動機や目的は、松本の提唱する教義を信じ、松本に帰依していた被告人らの立場、強制捜査および松本逮捕の客観的可能性が高まったオウム教団を取り巻く当時の情勢からすれば、通常人をその立場に置いてみても、ある程度了解可能なものであったといえる。なお、弁護人は、松本の提唱する教義は荒唐無稽であり、それを安易に信じるに至った点で、被告人豊田の行動に了解可能性がないというが、同被告人においては、被暗示性が高まっていることはあるものの、既に検討したように、何らかの精神障害があるという状態ではなく、結局は自己の意思により、松本の指示に従うことを選択し、実行に及んだと認められるのであるから、弁護人指摘の点は、動機、目的の了解可能性を左右するに足りない。
 6 小括
 以上検討したように、弁護人の主張および高橋意見を総合的にまとめた問題点(前記三の1)は、前提とする事実を異にしたり、その理論構成自体に矛盾を内含するなどしており、被告人らの責任能力の判断に当たり、問題視する事情とはなり得ないといわざるを得ない。この結論は、本件において精神鑑定を経ていないなどの弁護人らのその他の指摘を十分に考慮しても変わらない。
 四 判断
 翻って、前掲関係各証拠により、被告人豊田および被告人広瀬による本件各犯行の遂行状況、経緯、動機等を改めてみてみることにする。まず、本件全証拠によっても、先に検討したように、被告人両名が当時精神の障害を有していたという証拠は見当たらない。また、被告人らは、本件各犯行の謀議の段階から犯行の準備、実行行為、罪証隠滅に至るまでの一連の中で、冷静かつ合目的行動をとっている。また、被告人らの犯行動機や目的も被告人らやオウム教団が当時置かれていた立場や状況からすると、いずれもある程度了解可能なものであったといってよい。加えて、被告人両名は、本件各犯行当時、自己の行為が一般社会において、法律上許されない犯罪行為に当たることは十分に理解していたことを自認している。これらの事実に照らすと、被告人豊田および被告人広瀬は、本件各犯行当時、行為の是非善悪を弁別し、これに従って行動する能力が著しく減退した状態にはなかったものと認めることが出来、弁護人らの主張は採用出来ない。
第八 期待可能性
 一 弁護人の主張
 被告人豊田および被告人広瀬の弁護人は、オウム教団の、松本の指示、命令は救済に繋がるが故に、絶対に従わなければならないとの教義や省庁制という組織上、被告人両名に対しては、本件各犯行当時、松本らの指示に反し犯行を思いとどまるという適法行為に出ることを期待することは全く出来ないか、著しく困難であって、期待可能性がなかったと主張する。
 二 期待可能性の認定
 そこで検討するに、本件各犯行時に両被告人を取り巻いていた客観的状況をみても、それにより強制されて抵抗出来ないというような、何らかの現実的危険性を伴う状況になかったことは明らかである。加えて両被告人の心理状態をみても、責任能力の項において繰り返し述べてきたように、犯行指示に驚愕し、抵抗感を示し、躊躇等した上で、結局は自らの意思で、教義や松本の指示に絶対服従するしかないとの心理状態に追い込まれ、あるいはそのような客観状況の存在を誤信していたとも認め難い。よって、弁護人らの主張は採用出来ない。

〔量刑の理由〕
 一 本件は、オウム教団の代表者松本が、いわゆるハルマゲドンへの備えと教団等に対する宗教弾圧への対抗から、教団の武装化を企図するとともに、悪業を積んだ者などを高い世界に転生させるためには、殺害することさえポアと称して正当化するという内容の教義を唱え、その企図と教義のためと称して、被告人らを含む多数のオウム教団幹部と共謀して敢行した地下鉄サリン事件(殺人・同未遂)、自動小銃製造事件(武器等製造法違反)、○○事件(殺人)および○○事件(殺人・死体損壊)ならびにオウム教団幹部間で共謀の上引き起こした新宿青酸ガス事件(殺人未遂)および都庁爆弾事件(爆発物取締罰則違反・殺人未遂)の合計六件から成っている。そのうち、オウム教団科学技術省次官であった被告人豊田は、地下鉄サリン事件自動小銃製造事件、新宿青酸ガス事件および都庁爆弾事件の四件に、同次官であった被告人広瀬は、地下鉄サリン事件および自動小銃製造事件の二件に、自治省次官であった被告人杉本は、地下鉄サリン事件、○○事件および○○事件の三件に関与している。
 二 地下鉄サリン事件は、被告人豊田、被告人広瀬および被告人杉本が、松本や多数のオウム教団幹部らと共謀の上、東京都内の地下鉄の不特定多数の乗客らを殺害しようと企て、通勤時間帯に、東京都内の地下鉄車内に化学兵器であるサリンを発散させ、十二名の乗客や営団地下鉄職員を殺害するとともに、多数の者に重軽傷を負わせたが殺害の目的を遂げなかったという事案である。
 松本を中心としたオウム教団幹部は、公証役場事務長逮捕監禁致死事件がオウム教団の犯行であると発覚することを危惧し、オウム教団施設に対する強制捜査を阻止するため、首都中心部を大混乱に陥れようと企図し、本事件を敢行したものであり、大量殺人を企図した無差別テロ以外の何ものでもない。松本らの動機・目的は、帰するところ、教団の利益のためならば手段を選ばず、他人の尊い生命に一顧だにしないという狂信的かつ独善的なもので、正に社会秩序に対する無謀な挑戦である。松本を教祖とするオウム教団は、教条主義的な教義に基づき、教団が己の教義を理解しない一般社会や国家権力から弾圧を受けていると称して、武装化を推進していたのであるが、このような松本やオウム教団の有する反社会的で破壊的な教義自体が地下鉄サリン事件を引き起こした原因となっていることも看過することは出来ない。
 本事件では、大気中に一立方メートル当たり一〇〇ミリグラムの濃度で存在すれば、一分間で半数の人間が死亡するといわれるほど殺傷能力の高い化学兵器であるサリンを用いて、午前八時という通勤時間帯を狙って、閉鎖された地下空間で、かつ、混雑した地下鉄車内において、同時多発的に敢行された無差別テロであり、犯罪史上類のない人間の尊厳をおよそ無視した卑劣かつ残虐な犯行である。また、本事件は、松本を首謀者として、多数のオウム教団幹部らが、その有する高度の専門知識や財力を利用してサリンを生成する一方で、犯行日時、場所、方法、逃走手段等につき謀議を遂げ、現場の下見、自動車の調達、犯行の予行演習をするなどの準備を重ね、総指揮者、サリン製造役、実行役、運転手役等それぞれの役割を果たした組織的かつ計画的犯行である。
 犯行の結果は、死亡者が十二名、サリン中毒症の傷害を負った者が十四名、そのうち重篤な者が二名という深刻なものである。被害者は、いずれも、通勤客や地下鉄職員らであって、もとより何の落ち度もないばかりか、サリンで攻撃されるいわれも全くなく、単に犯行現場に居合わせたばかりに、理不尽な犯行に巻き込まれ、その犠牲になったものである。十二名の死亡者は、二十一歳から九十二歳までの様々な年齢層にわたり、これまで各自の人生を懸命に生き、それぞれの夢と希望を持った善良な市民であって、いずれも原因すらわからずに意識を失い、そのまま回復せずに絶命したのであり、その苦悶、恐怖、さらには無念さには、想像を絶するものがある。また、死亡者の中には、身重の妻の出産を待ちわびていた会社員、乗客の安全を図るなどの使命感から、危険を顧みることなく、サリン入りの袋を素手で片付けるなどした営団地下鉄職員も含まれ、痛ましいというほかない。後遺症によって治癒の見込みさえ立たない二名の重篤者は、意識障害、記憶障害、四肢機能障害等が残り、一名はいまだ日常生活には介護が必要な状態であり、その闘病生活の苦しさ、はけ口のない無念さの程度は、死亡した被害者に勝るとも劣らない。また、一瞬にして家族の一員を奪われ、不幸のどん底に陥れられた遺族の悲嘆、絶望、怒りには計り知れないものがあり、しかも、遺族の中には、悲しみと絶望から、心身疲弊して病床に伏した者も少なくなく、その状況は悲惨というほかない。また、重篤者の家族の経済的、精神的、身体的負担や苦悩等も見過ごすことが出来ない。そうすると、遺族、被害者およびその家族が地下鉄サリン事件の犯人に対して極刑を望んでいるのは至極当然のことである。
 さらに、地下鉄車内や駅構内においては、痙攣を起こし、口から血の混じった泡を吹き、壁を爪で掻きむしるなど塗炭の苦しみを味わい、縮瞳、吐き気、頭痛等で苦悶する者が続出し、七百人近くの人々が救急車で病院に搬送されるなど、都心の中心部が一瞬にしてパニック状態に陥り、さながら地獄絵と化す陰惨な状況になった。また、本事件は、一般市民を対象にした無差別大量殺人として人々を震撼させ、我が国の治安に対する信頼を根底から揺るがし、無差別テロに対する恐怖、不安、怒りを掻き立てたのであり、我が国のみならず世界各国に与えた衝撃は誠に甚大である。
 ところで、被告人豊田は、本事件の犯行目的を警察権力によるオウム教団弾圧への対抗と理解し、松本の指示は、人類の救済に繋がると考えて、サリン撒布の実行役になったものである。被告人広瀬は、松本らが意図した強制捜査の阻止という目的を承知し、タントラ・ヴァジラヤーナの教義による救済と信じ、同じ実行役となった。いかに救済という美名を標榜しても、その実質は、独善的な教義を盲信して大量殺人に関与することを決意したものであって、弁解の余地はない。被告人豊田および被告人広瀬は、渋谷アジト等での事前共謀に加わり、実行役として担当路線の地下鉄内にサリンを発散させ、その結果、被告人豊田においては、一名の死者と二名のサリン中毒症者を、被告人広瀬においては、一名の死者と重篤者を含む三名のサリン中毒症者を出している。実行役の両被告人は、サリン中毒の予防薬を事前に服用した上、サリン入りの袋を突くや直ぐさま車内から逃走し、犯行後もサリンの付着した傘を危害が及ばないように処置し、自己の生命の安全を図っておきながら、一方で、複数回サリン入りの袋を突いて、地下鉄内に直にサリンを撒布している。さらに、両被告人は、犯行を終えた後、他の実行役とともに松本の元に報告に赴き、「偉大なるグル、シヅア大神、すべての真理勝者方にポアされてよかった」旨のマントラを唱えるよう指示され、死者の冥福を祈るつもりで繰り返し唱えたというが、誠に独善的であって、「ポアされてよかった」などという一節は、被害者を愚弄するものである。
 被告人杉本も、松本の犯行目的を疑問視しつつも、結局はこれを容認し、今更オウム教団を抜けることも出来ないなどと考えて運転手役を果たしたもので、自己保身以外の何ものでもない。実行役とともに現場の下見をしたり、犯行に用いた自動車を受け取りに赴くなどの犯行の準備に深く関与した上、結果的には、五路線中最も多くの死者八名を出した林泰男の運転手役の務めを全うしている。犯行後も、林泰男らとともに、犯行に使用した傘、実行役の衣類、犯行計画を記載したメモ類等を焼却して証拠隠滅を行った後、被告人豊田らと同様、松本の元で前記のマントラを唱えるよう指示されている。誠におぞましい限りである。
 三~六(略)
 七 以上検討してきた諸事情をその関連する被告人ごとにみてみても、被告人三名の刑事責任は、程度の差があるにせよ、いずれも誠に重大であって、相応の重刑に処せられるべきは至極当然である。しかるに、各弁護人は、被告人らの刑事責任がいかに重大であっても、なお被告人らには有利に斟酌すべき事情があることに照らし、被告人豊田および被告人広瀬については、極刑は相当ではなく、被告人杉本については、無期懲役刑を減軽すべきである旨主張する。そこで、被告人三名にとっていかなる事情を有利に斟酌すべきか、また、有利に斟酌すべきとしても、どの程度斟酌すべきか、特に被告人豊田および被告人広瀬については、極刑を回避すべきかの観点から慎重に検討することとする。
 1 共通事情
 まず、被告人三名に共通な事情から考察することとする。
(一)松本およびオウム教団の影響
 被告人三名の各弁護人は、マインド・コントロールという用語を用いるか否かは弁護人ごとに異なるが、次に述べるような被告人らの心理状態や思考傾向は、責任能力や期待可能性の有無等に影響を与えないとしても、少なくとも被告人らに有利に斟酌すべき事情になる旨主張する。すなわち、被告人らは、松本やオウム教団の最高幹部から、説法、極厳修行、神秘体験、ワークと称する作業等を通じ、あるいは、睡眠時間や食事を制限した過酷な生活環境を強いられることにより、徐々に尊師である松本の提唱するタントラ・ヴァジラヤーナの教義による人類救済や解脱を唯一無二なものと盲信するようになる。また、被告人らは、松本の指示はすべて救済に繋がり、それに背くと地獄に落ちるのは当然として、疑念を抱くことさえ、自己の修行が足りないものと信じ込まされ、次第に松本の指示を絶対視するようになる。被告人らか本件のような凶悪な犯罪を事もなげに敢行したのは、このような理由からであるというのである。
 なるほど、本件全証拠によると、被告人豊田および被告人広瀬が、弁護人主張のような心理状態や思考傾向に陥り、松本らから本件各犯行を指示された際に、それに抗することが困難な状態であったことは、否めない事実である。これは、既に検討したように責任能力、期待可能性、緊急避難の存否自体に影響を与えないとしても、両被告人にとって、酌むことが出来るといわなければならない。被告人杉本については、松本の教義や私生活に疑念を抱いていたことを自認しており、前記のような心理状態や思考傾向には完全になかったことが明らかであるから、それほど酌むべき事情にはなり得ないと考える。
 しかしながら、翻って、被告人豊田と被告人広瀬について考えてみるに、まず松本が説く教義や修行の内容は、およそ荒唐無稽なものであり、教義の中にはポアと称して人の生命を奪うことまで是認する内容も含まれ、また、松本が、幹部信者とともに、衆議院選に立候補し、全員落選するという愚行を目の当たりにし、さらに、松本から指示されたいわゆるワークは、約一千丁の自動小銃の製造など著しい反社会性や違法性を有するものであって、通常人であれば、たやすく、松本やオウム教団の欺瞞性、反社会性を看破することが出来たことも事実である。ところが、両被告人は、その有する生真面目さや純粋さも災いして、このような契機を見過ごし、自己の判断と意思の下に、オウム教団にとどまり続け、遂には地下鉄サリン事件を迎えたものであって、いわば、自ら招いた帰結というべきである。そうすると、松本らの指示に対し抗することが困難な状態に陥っていたことは、両被告人にとって、過大視することが出来ず、一定限度の斟酌にとどまるべきである。
(二)反省状況
 被告人三名は、いずれも自ら犯した犯罪の重大性や悪質性、遺族の悲惨さ、被害者の苦しみなどを知り、真摯な反省・悔悟の念を深め、自己の捜査のみならず、オウム関連事件全体について、捜査および裁判に全面的に協力してその念を表し、当然のことながら、全員オウム教団を脱退している。また、被告人ら、とりわけ、被告人豊田および被告人広瀬の裁判に臨む態度は、当然とはいえ、誠に真摯なものであった。被告人豊田においては、自責の念や被害者に対する配慮から、言い逃れをしたり、感情を露わにしないとの姿勢を保ち続け、自己の死をもって、その責任を全うする覚悟を表明している。被告人広瀬においては、深い悔悟と松本の教義からの訣別の念により、公判の最終段階で、精神状態に変調を来した。これらの両被告人の態度からすると、真摯な反省の念と被害者への謝罪の気持ちには、偽りがないというべきである。そうすると、被告人らの反省状況は、量刑上有利に斟酌するに値する。
(三)前歴・人格等
 被告人らは、それぞれ、両親に養育されて成長し、大学あるいは大学院まで進んで高等教育を受けた者であり、オウム教団による非合法活動に関与するまで、前科もなく、社会規範を遵守して生活してきた。その人柄や優秀さは、被告人豊田については、公判廷に証人として出廷した学生時代の複数の友人が、律義で責任感があり、人望も厚く、一緒にいて気持ちがよい男である旨異口同音に述べ、被告人広瀬については、同じく、証人として、大学院時代等の指導教授か、自己の論文作成に欠かすことの出来ない優秀な学生であったと述べ、実際、同教授と共同執筆した論文は海外で高い評価を受けた旨証言しており、友人も、その人間性について、誠実、穏健、生真面目などという言葉で表現していることに端的に表れている。オウム教団に入信した動機をみても、解脱を求めるなど、いずれも真摯な理由に基づくものであった。このように、被告人ら、とりわけ、被告人豊田および被告人広瀬は、オウム教団に入信する以前は、人格高潔で、学業優秀な人物であったことは事実であり、有利に斟酌することが出来る。
 しかしながら、被告人らかいかに人格等において優れていたとしても、それは、地下鉄サリン事件等の被害者にもいえることであって、被告人らか自らの意思でオウム教団に入信し、自らの意思で犯行に及んでいるのに比し、被害者らは、自らの意思や責任から被害に遭遇したものではなく、何らのいわれもなく、無念のうちにその生命を断たれた者がいることに照らすと、被告人らの人格や優秀さを斟酌するとしても、過大視することは出来ないといわなければならない。
 2 個別事情
 以上の共通事情のほか、被告人らには、以下に述べるように、有利に斟酌すべき個別事情がある。
(一)被告人豊田
(1)自動小銃製造事件のうち、被告人豊田が関与する大量製造を企図した事実は、未遂に終わっている。また、新宿青酸ガス事件については、シアン化水素ガスが発生せず、犯行が未遂に終わり、一人の負傷者も出ていない。さらに、都庁爆弾事件のうち、殺人の部分についても、未遂に終わっている。
(2)自動小銃製造、新宿青酸ガスおよび都庁爆弾各事件においては、刑法四二条一項にいう「自首」と評価出来ないが、捜査がそれほど本格化していない段階で、捜査官に対し、自分が犯行に関与していることを認める供述をし、事件の解明に協力した。(3)両親が、面会を許された地下鉄サリン事件の遺族三名に、謝罪し、都庁爆弾事件の被害者(匿名にする=筆者注)宛に謝罪の書簡を出し、その妻に謝罪している。さらに、両親は、被告人豊田の妹とともに、九九年六月二日オウム真理教犯罪被害者支援基金に対し、八百万円を寄附した。
(二)被告人広瀬
(1)自動小銃製造事件のうち、大量製造を企図した事実については、未遂に終わっている。
(2)被告人広瀬は、担当路線において死亡した被害者(匿名にする=筆者注)の遺族に対し、三百万円の弔慰金とともに謝罪の意思を表した書簡を送付している。また、重篤被害者(匿名にする=筆者注)の家族に対し、二百万円の見舞金を支払い、書簡で謝罪している。
(三)被告人杉本
(1)地下鉄サリン事件においては、林泰男の運転手役を務めているが、その役割や地位に照らすと、被告人杉本の犯情は、首謀者松本、総指揮の村井、枢要な役割を担当した井上および実行役五名のそれに比較すると、一線を画するといわざるを得ない。また、○○事件では、被告人杉本自身、殺害の実行行為を行っていない。
(2)○○事件および○○事件について、被告人杉本は、九五年五月二十九日、捜査機関に対し、刑法四二条一項にいう自首をし、両事件の解明に貢献している。
(3)被告人杉本は、両親を通じて九九年六月十一日オウム教団破産管財人が管理するサリン事件共助基金に対し、地下鉄サリン事件、○○事件を含むオウム教団が関与した犯罪の被害者への償いとして、百万円を寄附している。また、○○事件においては、被害者の両親に謝罪の手紙を書くとともに、九八年十月二十六日三百万円を支払い、その後も毎年五十万円ずつ支払うことを表明している。
八 以上縷々述べてきたことを総合すると、本件各犯行の罪質、動機・目的・態様の悪質性、結果の重大性、遺族の処罰感情、社会に与えた影響、本件各犯行における被告人らの役割の重要性、犯行後の諸事情に鑑みると、被告人らの刑事責任はいずれも誠に重く、とりわけ被告人豊田および被告人広瀬のそれはあまりにも重大であって、被告人らについて、個別事情として述べた有利な事情や反省状況を最大限考慮した上、松本らの指示に抗することが困難な状態に陥っていたことやその人格等を一定限度で斟酌し、林郁夫受刑者に対する量刑との均衡等弁護人らか指摘するその他の事情を視野に入れ、かつ、極刑が真にやむを得ない場合にのみ科し得る究極の刑罰であることに照らしても、被告人豊田および被告人広瀬に対しては極刑を、被告人杉本に対しては無期懲役刑をもって、それぞれ臨まざるを得ないと考える。

〔主文〕
 被告人豊田亨および被告人広瀬健一をいずれも死刑に処する。
 被告人杉本繁郎を無期懲役に処する。

底本:『オウム法廷10』(2002年、降幡賢一朝日新聞社