京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

中村昇・東京地裁判決(要旨・2001年5月30日・永井敏雄)

【中村昇被告に対する判決の要旨】
(量刑の理由)
 一 本件の特質
 本件は、松本サリン事件、サリンプラント事件、○○リンチ殺害事件および○○拉致事件という四つの事件で構成されている。
 右各犯行は、いずれも松本(智津夫)が企図し、教団組織を利用して実行したものである。松本サリン事件、サリンプラント事件および○○リンチ殺害事件については、被告人は、松本やその意を受けた教団幹部から命ぜられるままに、教団における出家信者の仕事をこなしたものであって、そこに被告人固有の犯行動機は存在しない。右各犯行については、当初からその全貌を知らされていたわけではなかったものであり、被告人の立場は、松本や中心的な役割を果たした教団幹部に比べれば、従属的ないし追随的なものであったということが出来る。また、○○拉致事件については、松本の命を受けた被告人が他の教団幹部と共に主導的に犯行に及んだものではあるが、その性格は基本的に他の各犯行と同様であって、そこに被告人固有の犯行動機はやはり存在しない。しかし、松本が企図した本件各犯行は、いずれもはなはだ凶悪な事案であった。そして、被告人自身、結局は自らの意思で各犯行に加功したものである。これらの各犯行に加わった被告人の刑事責任は、はなはだ重いといわざるをえない。
 以下、刑の量定に際し重要と考えられる事情について、個別的に検討していくこととする。
 二 松本サリン事件の犯情
 1~5(略)
 6 被告人に固有の事情
 被告人は、噴霧が妨害された場合にこれを排除するよう指示され、噴霧中にワゴン車内で周囲を見張りつつ、いつでも飛び出せるように待機していたのであり、本件では実際に妨害者を排除しなければならない事態は生じなかったものの、本件犯行を確実に遂行するための役割を担当している。そして、被告人は、本件被害について格別慰謝の措置を講じていない。
 しかしながら、他方、被告人は、新実(智光)から言われるままに右のような行為を担当したものであり、本件犯行の首謀者である松本やサリンの噴霧を担当した村井(秀夫)のような教団幹部と比較すれば、被告人の果たした役割は、従属的かつ追随的なものにとどまっている。また、先に判示したとおり、被告人についても、殺意の存在は認められるが、本件犯行前においては、致死的な毒性に関する被告人の認識は確定的なものではなく、本件のような重大な被害が生ずることを被告人があらかじめ明確に予測していたとは認め難い。
 三 サリンプラント事件の犯情
 1~2(略)
 3 被告人に固有の事情
 被告人は、松本の意を受けた教団幹部らの指示に従い、動員された者の一人として、与えられた作業を行ったものであって、共犯者の中にあっては、その立場は、従属的かつ追随的なものであった。また、被告人は、犯罪の成否は別として、実際に本件犯行に加わったのは、九四年七月ころからであり、現実的な関与が部分的であったことは、犯情として斟酌すべきものと考えられる。しかしながら、他方、被告人は、松本サリン事件に関与してサリンの致死的な毒性を十分認識していたにもかかわらず、自戒することなく、サリンにかかる本件犯行に加わったものであり、その点で犯情極めて悪質といわざるをえない。
 四 ○○リンチ殺害事件の犯情
 1~4(略)
 5 被告人に固有の事情
 被告人は、拷問、絞殺行為、死体の焼却等を自ら直接行ったわけではないが、拷問中に優しく語りかけて自白を導き出す役割を担当し、他の共犯者が絞殺行為に及んでいる際には○○の脈を取ってその有無を報告し、○○の死体を焼却用のドラム缶内に入れたりしたのであって、本件犯行において果たした役割は決して小さくない。また、被告人は、被害者側に対し格別慰謝の措置を講じていない。しかしながら、役割分担でそうなったに過ぎないとはいえ、実際に○○を絞殺した者と脈を取っただけの者との間には、その責任に相応の差異が生じるのは当然というべきであり、被告人が本件犯行に積極的であったとの事情は認められない。
 五 ○○拉致事件の犯情
 1~4(略)
 5 被告人に固有の事情 被告人は、松本の指示により、井上(嘉浩)とともに主導的に本件を敢行しており、その果たした役割は大きい。特に、被告人が○○の姿を認めて拉致に着手している点で被告人の責任は重大である。被告人は、拉致は無理だと思っていたなどと本件犯行に消極的であったかのように述べるが、被告人の右行動からはそのような様子をうかがうことは出来ない。また、被告人は、自分の役割は拉致まででその後のことには関心がなかったなどとも述べるが、仮にそうであったとすれば、そのような無責任な態度自体が厳しい非難に値するというべきであって、特別斟酌すべきものがあるとは認められない。さらに、被告人は、格別慰謝の措置を講じていない。
 六 本件全体における被告人固有の事
 被告人は、古くからの教団信者であり、自らが教団の幹部でもあったものであるが、教団に入信して以来、松本やその意を受けた他の教団幹部に指示されるまま教団における仕事に従事し、その中で本件のような凶悪な犯行に加担することとなったものである。既に述べたように、そこには被告人固有の犯行動機はなく、特に、松本サリン事件、サリンプラント事件および○○リンチ殺害事件においては、指示を吟味して理性的に行動することを放棄した結果であり、その無責任な姿勢は厳しい非難に値する。被告人は、松本サリン事件においても、○○リンチ殺害事件および○○拉致事件においても、それぞれの死に衝撃を受けたことを供述しており、実際にそのような被告人の様子が他の教団信者によって語られてもいる。しかし、そのような衝撃を受けても、被告人は、教団および自らの非を悟って教団から離れることはなく、独り善がりな宗教的意味付けをして事件を正当化していったのである。
 被告人質問における被告人の応答状況をみると、被告人らか多数の被害者の人生を無惨にも踏みにじったという事の重大性に対し、被告人自身がどれだけ真摯に向き合っているのか疑念を禁じえない点が少なからず見受けられる。被告人は、被害者の遺族に対して直接謝罪の弁を述べることすらしていない。本件審理の過程において、被告人は、「自分自身の悪業を積まなければいけなかったカルマについて反省するのが第一で、それによって迷惑をかけたすべての被害者の魂に哀悼の念を感じるような瞑想をすることが自分のやり方であり、被害者の名前を知ることは重要ではない」などとも述べていた。被害者がこれまでどのような人生を送ってきたのか、そしてそれが奪われることでどのような影響が出ているのか等については関心がなく、自分の宗教観で反省すればよいとの独善的な考えが言動の端々に見受けられる。被告人は、審理の最終段階に至って、自己の行為に対する反省の念と被害者や遺族に対する謝罪の弁を被告人なりの言葉で述べ、最終陳述では、自己の死により被害者と遺族の悲しみや苦しみが少なくなってほしいなどとも述べて、従来の態度を詫びている。しかし、被告人にまず必要なのは、自己の加担した犯行により生じた現実的な結果を正面から受け止めることであり、それが出来ない状態での反省は、不十分なものにならざるをえないであろう。
 また、被告人は、いまだに松本およびその教えに執着しており、法廷において、松本に対しては帰依の気持ちは持ち続けたいと思っている、現実的なものとしてでなく、自分が目にした良い部分の集積としての松本のイメージに帰依心を抱いているなどと供述している。被告人には、悪い部分やつらい部分からは目をそらしていたいという甘えがあり、そのことが本件各犯行に安易に加担した原因でもあったものと認められる。
 七 被告人の刑事責任
 以上を前提として、被告人の刑事責任について検討する。
 本件各犯行は、教祖である松本が構築した教団の独善的な思考の下に、松本の指示により組織的に敢行された極めて反社会的で悪質な犯行というべきであって、これにより失われた尊い生命も多数に上っており、このような教団の犯行は社会一般に大きな不安と恐怖を与えたものである。各犯行に関与した被告人の刑事責任は、基本的に重大であるといわざるをえない。
 ところで、被告人の量刑に当たっては、化学兵器に使用される毒ガスを用いた無差別テロであり、多くの死傷者を出した松本サリン事件が、最も重要な要素であると考えられる。しかしながら、松本サリン事件において被告人がした具体的な行為は、妨害者排除の警備役としてワゴン車内において待機していたなどというものであり、犯行の首謀者である松本やサリン噴霧を主導的に行った村井のような教団幹部とは、行為の実質に大きな差異があることは否定出来ない。また、主観的においても、被告人が噴霧物質をサリンであると知っていたとは認められず、その致死性の認識は未必的なものにとどまっていたものである。
 次に、松本サリン事件以外の各犯行をみると、被告人は松本サリン事件の後も引き続き教団にとどまってこれまでと同様の生活を送り、半月も経たないうちに、九四年七月上旬ころ○○リンチ殺害事件に加担し、同月ころから十二月下旬ころまでサリンプラント事件に関与し、翌九五年二月末から三月初めにかけて○○拉致事件を敢行しているのであって、人を死に至らしめるような犯行に関与し続けた被告人の罪責には重いものがある。しかし、既に指摘したとおり、被告人は、○○拉致事件を除いてはその関与は従属的かつ追随的であった。サリンプラント事件においては、松本や教団幹部の指示に従ってプラントの設置や稼働に部分的に関与したにとどまり、犯行計画の中心にいたわけではない。そして、○○リンチ殺害事件は、誠に残虐非道な犯行であるが、被告人自身は、拷問および殺害行為を直接行ったわけではなく、首謀者でもない。また、○○拉致事件は、大胆かつ凶悪な犯行で一人の尊い生命が奪われており、社会的影響も大きかったものであって、その実行に際し中心的な役割を果たした被告人の責任は重大であるが、○○が上九一色村に連行されてから死亡するまでの間については被告人の関与は少ない。
 本件について、検察官は死刑を求刑している。死刑は、各種刑罰の中でも最も峻厳な究極の刑罰であり、その選択に当たって極めて慎重な態度が要求されることは当然であり、諸般の事情を併せ考察したとき、その罪責が誠に重大であって、罪刑の均衡の見地からも、一般予防の見地からも、真に極刑がやむをえないと認められる場合に限って、これを選択すべきものと考えられる。
 確かに、先に述べたとおり、被告人は、今なお独自の宗教観にとらわれ、生じた結果を現実のものとして受け止めていない嫌いがあり、真摯な反省があるとは認め難い。そのような被告人の態度は、道義的・倫理的にも許し難い点がある。しかしながら、そうした事情があるとしても、各犯行において被告人が実際にした行為に由来する責任の域を超えて、更に刑を加重するのは、相当ではないであろう。また、本件の審理過程全体を通じてみると、その最終段階に至って、被告人の言動にも若干改善の兆しが見えるようにうかがわれる点がある。以上のようなこれまでに説示してきた諸般の事情にかんがみると、被告人については、いまだ真に極刑がやむをえない場合とまでは認めることが出来ない。
 他方、被告人の刑事責任が有期刑の域にとどまるものでないことも、これまでに説示してきたところに照らし、おのずから明らかである。
 以上のとおりであって、本件各犯行の罪質、態様、動機、組織性、計画性、結果の重大性、遺族の被害感情、社会的影響、公判廷における被告人の態度等を総合考慮すると、被告人に対しては主文の刑が相当であると認められる。

底本:『オウム法廷12』(2003年、降幡賢一朝日新聞社