京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

新実智光・東京地裁判決(要旨・2002年6月26日・中谷雄二郎裁判長)

新実智光被告に対する判決の要旨】
(犯罪事実、証拠、法令の適用については略)
〔争点に対する判断〕
 第1 内乱罪の主張について
 1 麻原は、無差別大量殺戮によって国家機構や社会秩序を破壊し、軍事力の行使によって国権を奪取するという武装革命を企図していた面もあり、その指導下にあった教団において、そのような企図に沿って武装化・軍事化しようとする一連の流れがあったことも否定出来ないのであり、本件各犯行のうち麻原が無差別大量殺人を指示した松本サリン事件および地下鉄サリン事件の動機としては、この武装革命なるものの思想背景となった麻原個人の国家権力に対する敵愾心があったこともうかがわれる。
 2 しかしながら、この武装革命なるものの内実は、麻原個人の具体的な戦略や現実認識を欠いた空想的な企てないし願望の範疇を超えるものではなかったというべきであり、本件各犯行も、一貫性のある目的や戦略に基づく一体の犯罪ではなく、それぞれがその時々の状況に応じた個別の動機ないし目的に基づく全く別個独立の犯行であったと認められる。そして、本件各犯行の目的は、教団の組織防衛という点では共通しているものの、松本サリン事件のように、サリンの殺傷能力を検証するとともに教団を被告とする民事訴訟を妨害したり、地下鉄サリン事件のように、強制捜査を阻止したり、○○事件、坂本事件、○○事件、○○事件および一連のVX事件のように、教団や麻原に敵対する者またはそのように麻原が考えた者を殺害して排除しあるいは私的制裁を加えたり、中原監禁事件のように、出家信者の下向を阻止したり、松本剛蔵匿事件のように、教団による犯罪行為の発覚を防いだりしようとしたものであって、いずれも朝憲紊乱、すなわち、憲法の定める統治の基本秩序を壊乱することを直接または間接を問わずその目的として敢行されたものとは到底認められない。
 3 したがって、本件各犯行について内乱罪が成立しないことは明らかである。
 第2 地下鉄サリン事件における幇助罪の主張について
 被告人は、自動車運転手としてサリン散布の実行役を送迎したに過ぎないが、本件犯行における運転手役の役割および被告人も参加した渋谷のマンションにおける最終確認の謀議としての重要性、被告人の本件犯行への積極的な加担状況、さらに、麻原や村井秀夫の指示から最終確認に至る共同実行の意思の形成過程等をも総合すると、被告人は、最終確認において本件犯行の謀議に加わった後、自己の犯罪として本件犯行に積極的に加功したものと認められるから、被告人が本件犯行全体について共謀共同正犯の罪責を負うことは明らかである。
 第3 適法行為の期待可能性の主張について(略)
〔量刑の理由〕
 1 本件各犯行は、出家信者に家族との絶縁を強いるなどして社会との軋轢を深めた教団が、ハルマゲドンが迫っている、教団を弾圧する国家権力等に対抗する必要があるなどと説いて、サリン等を製造するなどの武装化を進め、やがて排他的で危険極まりない狂信的で反社会的な犯罪集団としての性格を明確にするに至った一連の過程において、指導者である麻原の指示であれば、殺人すらも、悪業を積んだ者の魂を高い世界に転生させる救済になるなどとする極めて危険な教義を背景に、衆生の救済を標榜して、被告人を始めとする教団信者らにより相次いで敢行された一連の犯行である。このように、本件各犯行は、教団の反社会的な組織体質および人間性を無視した教義内容に根ざすものであり、かつ、麻原やその教義に帰依する多数の信者が関与して歯止めなく多数回にわたり実行された、組織的・計画的で累行性の高い犯行である。さらに、教団に敵対する者ばかりでなく、麻原の意に沿わない者、更には教団に属しないすべての人々の生命や自由、権利や生活、意思や感情を全く顧みることなく、かつ、教団の組織防衛のためには手段を選ばず無軌道に敢行された、誠に非人間的かつ独善的な犯行であって、その態様、結果ともに犯罪史上稀にみる凶悪かつ重大な犯罪群である。
 しかも、本件各犯行は、解脱や人類の救済を説き、現代社会の矛盾や人生の疑問に悩む多くの人々が救済を求めた宗教団体が、その教義の実践と称して、残虐非道な犯行、とりわけ無差別なテロ行為を繰り返したものであって、我が国の社会に与えた衝撃や恐怖感はもとより、世界全体に与えた衝撃も誠に大きく、我が国の安全に対する信頼を大きく揺るがすものであった。
 そして、被告人は、最古参の信者であり、かつ、教団の最高幹部の一人として、教団が関与した数多くの違法行為の中でもとりわけ殺人等の最も凶悪な部分に終始積極的に加担したものである。
 2 以下、個別の犯行について、被告人の犯情を順次検討する。
(d)○○事件
 ア~エ (略)
 オ 被告人は、他の共犯者らより積極的に実行行為を行い、○○死亡に最も力をつくしたものであって、他の実行犯と比較しても、被告人の責任は重大である。
(2)坂本事件
 ア~オ(略)
 カ 被告人は、麻原との謀議から犯行後の罪証隠滅工作まで、本件犯行に終始一貫して関与しているところ、麻原から、坂本弁護士の殺害を指示されるや、直ちにこれを承諾し、その後、家族もろとも殺害する旨計画が変更されても、さほど逡巡することもなくその指示に従うことにした上、犯行に際しては、早川紀代秀に次いで坂本方に入り、いきなり都子に襲いかかって実行行為の口火を切り、その身体の上に乗りかかって口をふさぐなどし次いで、既に中川智正に襲われて瀕死の状態にあった龍彦を認め、何らの躊躇を覚えることもなく、その頸部を手で絞め圧迫してとどめを剌したものである。このように、被告人は、本件犯行において、実行犯の中心人物の一人として重要な役割を積極的に果たしたものであり、その責任は、実行行為に及んだ他の共犯者らと同様に極めて重大である。
(3)○○事件
 ア~エ (略)
 オ 被告人は、本件犯行のすべての過程に積極的に関与するなど、重要かつ不可欠な役割を果たしており、その責任は重大である。
(4)松本サリン事件
 ア~エ (略)
 オ 被告人は、教団での警備関係の責任者として警備役の共犯者らに連絡を取って犯行に参加させ、自発的に下見を行って、運転手役の共犯者に事前に予定の道筋をたどらせるなど、準備行為の重要部分に関与している。さらに、犯行当日も、出発が遅れて、裁判所を標的とすることが実行不可能となるや、標的を裁判所宿舎に変更することを提案しており、被告人なくしては、本件の悲惨な結果は発生していなかった。しかも、被告人は、実行犯の中では、村井に次いで教団内の地位が高く、他の共犯者らからは、村井と並んでリーダー的な地位にある者と認識され、実際、その自覚をもって積極的に本件犯行に当たっていたことがうかがわれる。
 さらに、被告人は、本件犯行に先立つテロ未遂事件においてサリンに被曝して瀕死の重傷を負った体験を有し、その毒性や殺傷能力、被曝した際の苦しさ等を身をもって体験していたことも考慮すると、その責任は極めて重大である。
(5)○○事件
 ア~ウ(略)
 エ 被告人は、麻原から直接に指示を受け、○○がスパイであるとの麻原の言に疑問を抱いたにもかかわらず、自治省大臣として教団内のスパイ摘発を担当していた自負や面子、麻原に対する帰依の姿勢から、無条件にその指示に従うこととし、○○の拷問からその殺害、遺体の焼却に至るまで、その一連の犯行を終始主導したものである。しかも、被告人は、杉本繁郎に拷問を加えさせた上、物足りないとみるや、自らも一層苛烈な拷問を加え、殺害の際も、杉本より遥かに強い力でロープを引っ張ったものであって、被告人の行為は、無慈悲で余りにも残忍である。
 したがって、本件犯行に関し、被告人は、実行犯の中で最も重い責任を負うべき立場にあることは明らかであって、その責任は誠に重大である。
(6)中原監禁事件(略)
(7)VX事件
 ア~ウ(略)
 エ 被告人は、本件各犯行のいずれについても、井上嘉浩と共に実行グループを指揮統括する立場にあったことがうかがわれる。この点、被告人は、当時、麻原から、実質的なステージは井上の方が上とか、おまえは井上に従えなどと指示され、○○事件後は、自分の立場が実質的に井上に劣後するようになったとも供述している。しかし、被告人の述べるような当時の井上との関係を考慮しても、本件各犯行に積極的に加担しその遂行に多大の寄与をした被告人の責任は、誠に重大である。
(8)地下鉄サリン事件
 ア~エ (略)
 オ 被告人は、サリン散布の実行役である林郁夫を地下鉄の駅まで送迎する運転手役として本件犯行に関与しているところ、被告人が更に重要な役割を果たしたと認めるに足りる証拠はなく、本件犯行を指揮した村井や井上、サリン散布の実行役らと比べると、その役割の重要さに差異のあることは否定出来ない。
 しかしながら、本件犯行における運転手役の存在の重要性に加え、被告人は、渋谷のマンションで井上から本件犯行の概要を知らされるや、何ら逡巡することなく、犯行に加担することとし、自己に与えられた役割を忠実かつ積極的に果たし、犯行遂行に不可欠の重要な役割を果たしたものと認められる。しかも、被告人は、犯行後、多数の死傷者が出たことを知って興奮し、「これからも頑張るぞ」などと大声を上げて他の共犯者に制止されるような状態になったというのである。
 他方、被告人が担当した路線では、営団地下鉄の職員二名が死亡しているが、この両名は、不審物があるとの連絡を受け、サリンの入った袋を手で運び、車内等に流れ出たサリンを拭き取るなど最後まで自己の職責を果たし、その結果、サリンの犠牲となったものである。これら両名の責任感、そして、被害者らがいずれもそれぞれの人生を懸命に生きて社会を支える真面目な市民であったことに思いを致すとき、被告人の卑小さや軽薄さ、本件犯行の愚劣さや卑劣さは一層際だってくる。
 いずれにせよ、本件犯行の悪質性・重大性に照らすと、運転手役であった被告人についても、その責任はやはり極めて重大である。
(6)松本剛蔵匿事件(略)
 3 その他被告人の全体的情状
(1)被告人は、麻原からの信頼の厚い最高幹部の一人として麻原の身近にいて教団の勢力拡大に貢献したほか、○○事件以降は、他の信者らの先頭に立って、麻原の指示に無条件に従い、あるいはその意向を推し量って、教団の関与した違法行為の多くに積極的に加担し、それぞれ重要な役割を担っていた。また、被告人は、教団が武装化に拍車をかけてからは、その中核を担ったほか、自治省大臣として、信者に対するスパイチェックや懲罰を精力的に実施し、教団内で、麻原に異を唱えることを許さない風潮を醸成するのに尽力したものである。このように、被告人は、教団が独善的・反社会的な体質を増進させ、尖鋭化していった一連の経過において、極めて重要な役割を果たしたというべきである。
(2)ア また、被告人は、本件各犯行を始め、教団の一連の違法行為において、麻原の意図を忠実に実現ずべく、終始、積極的かつ熱心に活動し続けたものである。そして、被告人は、麻原に対する誰よりも帰依の強い弟子であろうと努め、その自負を持って行動しており、特に違法活動においては、このような自負の下、誰よりも熱心に麻原の期待に応えて、その意図を実現しようとの思いを抱いていたことが明らかであるから、被告人の積極的姿勢が、このような麻原に対する帰依の強さの誇示あるいは麻原や他の信者に対する自負の反映であることは疑いを容れない。
 イ 半面、被告人が、本件各犯行当時、麻原から指示を受けた違法行為の意味、自分の採るべき行動や振る舞いについて、真摯に考えたり、深く思い悩んだような形跡は全く認められない。教義上、被告人ら教団信者が、グルである麻原に対する絶対的な帰依を求められていたとはいえ、他の信者と対比しても、被告人の積極さや熱心さは際立つものがある。すなわち、被告人は、自己の有りようを深く顧みることもなく、麻原の指示に対して、あえて一切の思考を停止させ、その場の雰囲気に流されるままに、遮二無二その実現に励んだものとしか認められず、誠に浅慮で盲目的なものであったというほかない。
(3)ア さらに、被告人は、本件各犯行を次々と累行する中で、自らの良心を摩耗させ、被告人の本来の人間性を失っていったものである。すなわち、被告人は、○○事件では、犯行後、良心の呵責に苦しんで麻原に相談し、坂本事件の後も、激しく動揺して思い悩んだことがうかがわれる。ところが、被告人は、その後、ボツリヌス菌を用いた教団として最初の大量無差別殺戮計画に散布役等として携わり、坂本事件から四年後の○○事件では、積極的に○○の殺害に賛意を示し、保田に対して自ら考案した殺害方法を教示している。また、被告人は、松本サリン事件では、何ら逡巡することなく犯行に加担し、○○事件では、○○がスパイであることに半信半疑であったというのに率先して凄惨な拷問を加え、殺害行為にも及んでいる。さらに、地下鉄サリン事件に至っては、事件後、テレビで被害の結果を目の当たりにしながら、「これからも頑張るぞ」などと言って興奮していたというのである。このように、被告人は、次々に違法行為を重ねるうちに、犯罪に対する抵抗感、被害者の心情や苦痛に対する想像力、他者の生命や人生に対する共感や畏敬の念を喪失し、規範意識を摩耗させていったというはかない。
 イ そして、被告人は、麻原の意図を正しく認識しながら、本件各犯行に加担し続けたものであるが、その過程において、麻原の説くところの、教団による犯罪行為を正当化するための独善的な教義内容に逃避し、自らを強いて納得させて良心の呵責等を押さえ込んでいったこともうかがわれる。
 しかしながら、各犯行における麻原の意図は、いかに言葉を飾っても正当化する余地のないものであった。ところが、被告人は、最初の犯行である○○事件から逮捕されるまでの六年以上にわたって、ついぞ麻原の指示や自己の行為の持つ意味ないし問題性に真摯に向き合うことなく、教団の一連の犯行の最も凶悪な部分にかかわり続けたものである。そして、その動機の中には、自分が麻原の最も忠実な弟子であるとの自負、麻原の信頼を繋ぎ止めたいという意地、さらに、他の弟子に対する優越感すらうかがわれるのであって、決して強制されたり騙されたりするものではなく、正にその自主的判断に基づき自発的に選択決定したものというべきである。
(4)ア 被告人は、当公判廷において、麻原および教団の教義に対する帰依をあくまで貫く態度をとり、本件各犯行についても全く反省する姿勢を示さず、かえって、これらを教義に仮託して正当化しようとする態度に終始している。すなわち、
(ア)被告人は、本件各犯行への関与について、自己は、シャンバラ(理想郷)化計画を実現するために、多くの人の喜びのため、多くの人の救済のために、その身体・生命を投げ捨てて殉じようとしたとか、自己の行為は、多くの人々を救済するために自己を犠牲にするものであって、菩薩道・慈悲の実践に他ならないなどと述べて、衆生を救済するために犯行に加担した旨述べている。
(イ)また、本件各犯行については、ポアであって魂の転生を高める行為であるとか、麻原と縁が出来ることは未来際における速やかな解脱に繋がるなどと述べて、あたかも被害者にとっても利益ないし幸いであったかのように述べ、被害を受けたことについては因果応報であったと言い切り、さらに、遺族等に対しても、その悲しみや怒りは理解出来ると述べながら、未来際に絶対的な平安の境地に達してほしい、自己の言葉で傷つくというのならば傷つかない心を持ってほしいなどと述べ、自己の非を認めた一片の謝罪の言葉もない。
(ウ)さらに、教団の教義とされるヴァジラヤーナについては、善悪の二元論を超えた全き善であり、グルに対する絶対的な帰依が求められるとして、将来においてもグルと定めた者が殺人を命じた場合には、喜んで実践するように心掛ける、本件各犯行については長い輪廻転生の観点から判断されるべきであるなどと述べて、悔悟する姿勢を全く示していない。
(エ)なお、被告人は、最終陳述において、自己が行った殺生等について赦してほしい、被害者の悲しみを癒すために自身の身を投げ捨てることが出来るなら喜びであるなどとも述べている。しかし、その趣旨は、あたかも自己を被害者やその遺族、その他の一般の人々よりも高位の修行者と位置付け、自ら刑を受けることにより、多くの人々の幸福のために自らの身を捨てて犠牲になる殉教者として振る舞おうとするものであって、自らの行為によってどれほど悲惨な結果を惹起したのかということに対する真摯な内省は、最後まで見いだせないのである。
 イ しかし、いかに言葉を尽くして宗教的潤色を施そうとも、本件各犯行はいずれも、教団の利益や麻原の意向のみを優先する独善的で自己中心的なものに過ぎず、これらに対する被告人の積極的加担も、所詮は自らの教団内における地位を守り、個人的な自負や意地、他の信者らに対する優越感を満たそうとする世俗的な欲望により動機付けられたものというべきである。また、被告人が積極的にかかわった本件各犯行の態様や犯行後の罪証隠滅工作等からは、被害者らに対する一片の慈悲の心もうかがえない。さらに、被告人自身、麻原が唱えたシャンバラ化計画が破綻して中途挫折したことは認め、教義の根幹をなすとされるヴァジラヤーナの教えの正しさは、いまだに検証されておらず、教義や麻原の正しさは、自分が仏陀の境地に達し、自分で実証しない限りは判断をすべきでないとも述べているのである。
 そうすると、被告人の供述は、現在においても、本件各犯行に対する評価として、自己を正当化するために事後的に教義を仮託して逃避しようとしているものとしかいいようがない。そして、被告人のこのような言葉が、理不尽にも命を奪われた多くの被害者を愚弄し、全く予期せずして肉親を失った多くの遺族を傷つけてやまないものであることは多言を要しない。
 ウ この点、被告人は、当公判廷において、自己が直接に手を掛けた被害者について語るとき、うつむいて小声になり、また、当公判廷に出廷した被害者の遺族に対して頭を下げるなどしたことが認められる。
 また、被告人は、当初かばって黙秘していた麻原の本件各犯行への関与について、当公判廷のみならず、麻原の面前においても詳細に供述し、最終的にはグルすらも幻影であるなどとも述べるに至っている。しかも、麻原の法廷や当公判廷でも、麻原の不誠実な態度を目の当たりにしている。したがって、被告人の麻原に対する気持ちが、被告人の述べるような純粋なものでないことは優に看取出来るところであって、このような被告人の態度が、麻原への確固たる帰依に基づく確信に満ちたものとは認め難い。
 さらに、行為の結果が余りにも重大であるため、今となっては、因果応報の名の下に、本件各犯行も、長い輪廻転生の来には、被害者らにとっても救済に至る一つのプロセスとなるはずであると信じようとする心情は全く理解出来ないというわけでもない。声高に自己の正当性を主張し続ける被告人の姿は、被告人自身の弱さの現れということも出来る。
 エ しかしながら、被害者らがいつかは救済されるはずとの考えは、凶暴かつ残忍で卑怯かつ陰湿な本件各犯行の態様や被告人の積極的関与の状況等に照らすと、被告人らの犯行によりもたらされた悲惨な結果に目を閉ざす安易な自己欺瞞に過ぎないというべきである。被告人は、いまだに、自己の犯行の罪深さ、自らが惹起した結果の重大さ、悲惨さを直視出来ていないというほかなく、その言葉は何らの感銘力や説得力をも持ちえない空疎な弁解にとどまっているのである。被告人の当公判廷における態度が、厳しい非難を免れないことは当然である。
 4 被告人のために酌むべき事情
(1)犯情において酌むべき事情
 被告人は、本件各犯行のうち殺人、殺人未遂および死体損壊の各事件については、いずれも麻原の指示の下に敢行したものである。
 この点、目の不自由な麻原にとっては、被告人らのように実際に実行行為を担当する者がいなければ、本件各犯行はいずれも実現不可能であったのであり、その意味からすると、被告人が麻原に対する関係で全く従属的な立場にあったと評価することは出来ない。
 もっとも、麻原が、自己に対する帰依心を求め、教団に対する危機意識を煽り、ヴァジラヤーナの実践などと称して、被告人ら多くの信者を違法行為に加担させることにより、自己の欲望を満たし、自己や教団の利益を図り、信者らをして自己や教団から離れられないよう仕向けてきたことは、明らかである。被告人は、麻原に対して帰依の強い弟子であろうと雙
命に努め、そのような者であろうと行動してきたものであるところ、麻原によって、このような帰依心、他の信者らに対する競争心を巧みに煽られ、麻原の欲望や利益のために利用され、麻原の言動に翻弄され続けた側面のあることも否定し難い。
(2)その他考慮すべき事情
 ア 被告人の供述状況
 被告人は、第一回公判において当時の起訴事実を否認し、その後、黙秘を貫いていたが、被告人質問に至って詳細に事実を供述するに至ったものである。この点、被告人は、あくまでも麻原および教団の立場から事実を明らかにするとしており、いわば、自分たち教団の正史を残すために供述しているものといえ、その動機は決して首肯しうるものではない。
 しかしながら、被告人は、事件に正面から向き合っていくことが、自己の一番の償いであるとも述べているところ、その供述内容や態度からは、本件各犯行の全貌、とりわけ麻原と被告人だけしか知らない謀議状況等、さらに、被告人自身はもとより、当初かばっていた他の共犯者らの関与状況に関しても、おおむね率直かつ正直に記憶に即して供述していることがうかがわれる。また、被告人は、当公判廷だけでなく、麻原の法廷においても、そのような態度を維持しているのである。
 その随所に見られる宗教的意義を強調する点は、決して是認出来るものではなく、遺族等多くの事件関係者の心情を慮るとき、むしろ厳しい非難に値するというべきであるが、本件各犯行の真実の解明に寄与したこと自体はそれなりに評価することが出来る。
 イ 被告人の資質、経歴等
(ア)被告人は、前科がなく、教団での違法行為以前に何らかの犯罪か触法行為に及んだこともうかがわれないのであって、生来的に凶暴な性格であったとは認められず、本件各犯行前から犯罪性向を有したとも認められない。被告人が、教団に入信し出家するに至った経緯についても、取り立てて非難すべき事情は見当たらない。また、被告人は、当公判廷における供述からも、本件各犯行について、麻原から救済であるなどと言われ、自らもそのように信じようと努めたが、最後までわだかまりを捨て切れなかったことがうかがわれる。
(イ)以上に照らすと、被告人は、その元來の人格性向において特に悪性があったとまでは認められず、家庭環境にも恵まれ、健全な社会生活を営んでいたものであって、麻原に師事することさえなければ、本件各犯行のような凶悪な犯罪に手を染めることはなかったものと考えられる。
 とはいえ、被告人は、教団が違法行為を行うようになって以降、他の多くの元信者らのように、いつでも教団を脱会するなど、違法行為を回避することが可能であったのに、自ら進んで本件各犯行に手を染めたものと認められるから、以上のような事情を過大に重視することは相当でない。
 5 結論
 以上の諸事情を総合し、本件各犯行は、その罪質、目的、態様等に照らして、いずれも犯罪史上稀にみる悪質なものであり、また、被害者やその遺族の処罰感情は厳しく、坂本事件、松本サリン事件、地下鉄サリン事件を筆頭に、社会に対して大きな衝撃を与えたものである。そして、最古参の信者であり、教団の最高幹部の一人であった被告人の本件各犯行に対する責任はいずれも誠に重大である。
 この点、前に検討したとおり、被告人に対して酌むべき事情も認められるが、何よりも、被告人は、自主的判断に基づき自発的に選択決定して自己の犯罪として本件各犯行に加担し、積極的に犯行の遂行に努めており、被告人の行為の結果、二十六名という多くの被害者が理不尽にもその生命を奪われたのである。しかも、被告人は、現在に至るまで反省の姿勢をとることを拒絶し、独善的な弁解を強弁し続けて、被害者を愚弄し、被害者の遺族の心情を深く傷つけているのであり、その更生を期待することも困難である。
 そうすると、以上の諸事情、特に本件各犯行の悪質さ、結果の重大さ、被告人の果たした役割の重さ、犯行後の情状は、被告人のために酌むべき事情を完全に凌駕している。
 死刑が、人の生命を奪い去る究極の刑罰であり、真にやむをえないと認められる場合にのみ選択が許されるものであることを考慮しても、死刑制度が存続する限り、被告人に対しては、死刑をもって臨むほかはない。
 なお、死刑およびその執行方法を含む現行の死刑制度が、残虐な刑罰に当たらず、憲法一三条にも違反しないことは、最高裁判所の累次の判例が示すところであり、弁護人らの指摘する諸事情を十分考慮しても、当裁判所は上記判例と見解を同じくするものであって、その変更の要を見いだすことは出来ない。
〔主文〕
 被告人を死刑に処する。

底本:『オウム法廷12』(2003年、降幡賢一朝日新聞社