京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

中川智正・東京地裁判決(要旨・2003年10月29日・岡田雄一裁判長)

中川智正被告に対する判決の要旨】
〔認定した犯罪事実等〕(略)
〔事実認定の補足説明〕
第1 坂本事件(殺意および共謀について)
 被告人は、犯行前に現場近くで、教団幹部の早川紀代秀から、坂本堤を妻子共々殺害する旨の麻原の新たな指示を告げられた後、共犯者らと相前後して坂本方に赴いた上、ただちに、共犯者らが坂本堤の頸部を絞め付けているのを認織しただけでなく、自らも、共犯者らとともに、妻坂本都子や長男坂本龍彦の頸部を絞め付けたり口をふさぐなどという、殺人の実行行為を共同して行った。したがって、被告人も、坂本堤とその妻子を殺害する旨の麻原の意図に賛同し、同人やその指示を受けた共犯者ら全員との間で、その旨意思を相通じて共謀を遂げていたものと認められる。
 なお、当初の計画は、被告人が塩化カリウムを相手に注射して殺害するというものであったところ、被告人は、抵抗する相手に無理やり塩化カリウムを静脈注射することが実際上可能かどうかにつき疑念を抱いていた旨述べている。しかし、被告人は、上記のとおり殺人の実行行為を分担しただけでなく、実際に塩化カリウム入りの注射器を携行して、効果のほどはともかく、犯行の最中に坂本堤や坂本都子の体にこれを注射しようとしていたのであるから、被告人が当初の計画の実現可能性に疑念を抱いていたとしても、被告人の殺意や共謀に関する認定は左右されない。
第2 ○○事件(幇助犯の主張について)(略)
第3 滝本サリン事件(サリンの致死性の認識等について)(略)
第4 松本サリン事件(殺意および幇助犯の主張について)
 本件の死亡や受傷の被害発生が、被告人らか発散させたサリンを被害者らが吸入したことに起因するものであることは明らかである。そして、もともと、本件サリンは、被告人が、共犯者と協力して研究し合成に成功したものであり、その過程で、サリンの毒性を十分に認織し得たはずであることに加え、被告人らか、サリン発散行為に及んだ際、防毒マスクを装着し、その中に酸素ボンベから酸素を流入させ、外気を吸入しないような措置を講じていたこと、被告人が、サリン中毒の予防薬や治療薬を携行し、事前に共犯者らに予防薬をのませたほか、治療薬をすぐに注射出来るように準備していたことなどに照らせば、被告人は、本件サリンが十分な毒性を有することを明確に認識した上、それを前提とした行動をとっていたものと考えられる。確かに、噴霧車にサリンを充填する際の被告人の装備がやや軽装であったり、計画では、サリン発散行為の際に妨害者が出現した場合、共犯者の一部が車外に出てこれを排除することになっていたところ、その共犯者もサリンを吸入する危険性があることが軽視されているなど、被告人らのサリンの毒性に対するやや安易で手前勝手な考え方もうかがわれるが、それぞれサリンの毒性への対策を全く講じていなかったというわけではなく、むしろ、被告人らなりにその毒性を前提とした対策も講じていたのであり、妨害排除役の者らの乗った自動車が、噴霧車の風上に離れて待機していたことなども併せ考えれば、被告人において本件サリンが十分な毒性を有することを認織していたとの認定は左右されない。また、被告人は、本件サリンは毒性の弱い光学異性体を含み、致死性はないと思っていた旨述べるが、捜査段階ではそのような供述をしておらず、一緒にサリンを合成した共犯者らとも、光学異性体のことを話題にした形跡はないから、被告人の供述は信用し得ない。
 さらに、被告人は、サリン発散行為そのものを行っていないが、サリンの毒性について明確に認識していながら、噴霧車にサリンを注入し充填するという重要な行為を担当したばかりか、サリン発散の際に着用する防毒マスクや酸素ボンベのほか、サリン中毒の予防薬や治療薬を準備して現場に同行したうえ、共犯者らに、防毒マスクの使用方法を説明したり、事前に予防薬をのませ、治療薬をすぐに注射出来るように準備しておくなど、サリン発散行為を円滑に遂行し、これを全うするために不可欠ともいえる重要な行為を、積極的に分担していたのであるから、被告人に殺意が認められるのはもとより、共謀共同正犯の刑責も免れない。
第5 VX事件(殺意および幇助犯の主張等について)(略)
第6 地下鉄サリン事件(殺意および共謀について)
 被告人は、教団幹部の村井秀夫から、サリンの合成に重要な原料であるジクロを用いず、ジフロを用いて早急にサリンをつくるようにとの指示を受け、取り急ぎ、共犯者らと協力して研究し、犯行前夜までに、入手したジフロを用いて新たにサリン溶液を合成し、その溶液中にサリンが十分に含まれていることを確認した上、不純物の混じったままで構わないとの麻原の指示で、分溜しないまま、ただちにビニール袋十一個に小分けして封入し、村井に渡したところ、このサリンが本件でそのまま使用された。このような経緯や村井の指示内容等に照らし、サリンの毒性につき十分に認識していた被告人も、麻原や村井らが、合成したサリンを近々多数の者を殺害するために散布しようと企てていることを察知していたものと考えられる。そうであるのに、被告人は積極的に本件サリンの合成を行い、小分けしてビニール袋に封入するなどの重要な行為を行ったのであるから、本件サリンの発散行為には直接関与しておらず、実行役の者との謀議にも加わっていないとはいえ、サリン散布により強制捜査を阻止するという麻原らの意図を察知して賛同し、暗黙のうちに本件殺人の共謀に加わったと認められ、被告人に殺意があったことも明らかである。
 もっとも、被告人らかサリンの合成に用いたジフロにつき、かねて被告人が隠匿していたものと断定するのは、証拠上やや疑問が残り、結局、村井が被告人にサリンの合成を指示した際、どこかに保管していたものを被告人に渡したとみるほかはないが、そうであっても、被告人の殺意や共謀に関する認定は左右されない。
 なお、被告人は、このサリンは保管用のものであると思ったとも述べているが、サリンの保管に適するとはいえないビニール袋に小分けしたことや、当時、既に教団施設に対する強制捜査が不可避と思われる状況下で、新たにサリンを合成して保管するというのは考えにくいことなどに照らし、被告人の供述は信用し得ない。
第7 新宿青酸ガス事件(殺意について)(略)
第8 都庁爆弾事件(殺意について)(略)

責任能力および適法行為の期待可能性について〕
 被告人は、高学歴で、教団入信後麻原に重用されて教団幹部の一人にまでなったことからも明らかなとおり、思考力および判断力に優れており、また、本件各犯行当時、精神病等の精神障害の状況にもなかった。その上、被告人の、本件各犯行の謀議から、その準備や実行行為への関与の重様に加え、犯行後の犯跡隠蔽工作等への関与の態様などをみても、被告人は、本件各犯行に際し、麻原の指示又は意図を了知し、あるいは、関係者の話などから推察した上で、これを確実に遂行するために、自分なりに合理的な思考を巡らせながら、一貫して周到かつ合目的的な行動をとっていたといえる。そして、被告人が、捜査段階で、麻原の指示を受け、犯罪行為として到底許されない行為に関与していることを理解し、ためらいを感じることもあった旨述べていることなども併せ考えれば、結局、被告人は、本件各犯行が違法なものであることを理解しながらも、教団にとどまることで精神的な平穏や充足感を得たいといった動機も含めた自己の判断により、教団の利益や麻原との関係を優先させ、あえて適法行為を選択しなかったというほかはない。なお、被告人が、教団信者をしての修行に専念する過程で、麻原の説く独善的な教義を徹底して教え込まれ、これに影響されてその価値基準が一定程度変容を受けていたとしても、被告人の人格それ自体が破壊されていたというわけではなく、麻原の指示に従うことを物理的に強制されるなどの極限的な状況に追い込まれていたというような事情も見当たらない。
 以上のとおり、本件各犯行に際し、被告人に完全責任能力があったことは明らかであり、適法行為の期待可能性もあったと認められる。

〔量刑の理由〕
1 背景事情と事件の流れ
 麻原が創設した新興宗教団体「オウム真理教」(教団)は、活発な布教活動により徐々に信者を増やしてその組織を拡大し、一九八九年八月に宗教法人化に成功すると、九〇年二月施行の衆議院議員総選挙に、麻原のほか多数の教団信者が立候補するなど、勢力拡張と社会的基盤の確立に努めていた。その一方、教団では、入信した者に対し、全財産を教団に寄付して出家することを奨励しており、出家をすると、家族を含む世俗社会とは完全に絶縁し、教団施設内で一般社会から隔絶した閉鎖的な集団生活を送りながら、教団の定めた修行に専念しなければならなかったことから、その身を案じる家族らとの間で紛議が頻発して大きな社会問題となっていた。そして、八九年六月下旬ころに、坂本堤弁護士が中心となってオウム真理教被害対策弁護団(以下「被害対策弁護団」という)が結成され、同年十月下旬ころには、信者の家族らが集まってオウム真理教被害者の会(以下「被害者の会」という)が結成され、両者が相協力して、出家信者を教団から離脱させて家族のもとへ帰す活動を精力的に行うようになったばかりか、麻原の神秘的能力や教団内で行われている儀式等に嘘やまやかしがあるとか、宗教活動に名を借りて種々の違法行為が行われている疑いがあるなどとして、教団の活動全般を厳しく批判し、さらに、同弁護士らがマスコミを通じた教団批判までも展開し、マスコミの一部もこれに同調する動きを見せ始めていた。これに対し、麻原は、教団幹部らに命じ、マスコミに抗議して謝罪を求めたり、損害賠償請求訴訟を提起するなど、一貫して強い姿勢で対抗したため、ますます対立が先鋭化していった。なお、同様の状況は、教団支部の建設を計画していた長野県松本市などでも生じており、教団と、その進出に強く反対する住民との間で、訴訟に発展する事態にまで立ち至っていた。
 このような状況下で、麻原は、被害対策弁護団や被害者の会の活動を、教団の宗教活動を妨害し、その発展を阻害する、黙過し難い反教団活動であると考え、さらには、坂本弁護士らの画策により、宗教法人規則認証が取り消される事態さえ生じかねないと強く危惧し、反教団活動の中心人物と目された坂本弁護士を亡き者にしようと企て、教団斡部らに命じ、坂本事件を犯すに至った。その後、上記衆議院議員総選挙で立候補した麻原を含む教団信者全員が落選したころから、教団の反社会的性格は一層顕著なものとなり、麻原は、教団内で化学兵器の一種であるサリンやVXといった神経剤をつくら々教団に敵対するとみなした者や、教団にとって不都合な者をひそかに殺害し排除しようなどと企て、教団幹部らに命じ、これらの神経剤を用いて、滝本サリン事件、松本サリン事件およびVX事件を次々と犯したほか、その間、教団に敵対する行動に出た元信者を殺害するという○○事件を犯し、多額の財産を教団に寄附して出家する予定の教団信者が身を隠したことから、教団幹部らに命じ、その兄を無理やり教団施設内に連行し、麻酔剤を用いた尋問によりその信者の居場所を聞き出そうとして、兄を死亡するに至らせる等の仮谷事件を犯すなど、犯罪行為を累行した。そのため、教団に対する捜査機関の強制捜査が不可避と思われる状況に追い込まれるや、麻原は、教団幹部らに命じ、強制捜査を妨害しようという意図の下に、無差別大量殺人というべき地下鉄サリン事件を犯したが、更に窮地に陥り、麻原自身は逮捕を恐れて身を隠す中、その後も、麻原の意思を継承した教団幹部らが、引き続き、強制捜査を妨害または攪乱しようなどという意図の下に、青酸ガス発生装殼や爆発物を用いた新宿青酸ガス事件や都庁爆弾事件を犯したものである。
2 個別の犯情(略)
3 その他被告人に関する全体的情状
 このように、被告人は、出家した直後の八九年十一月の坂本事件への関与を皮切りに、教団が既に崩壊状態に陥った九五年五月の新宿青酸ガス事件や都庁爆弾事件に至るまでの約五年半の間に、上記のとおり多数の犯行のいずれにも深く関与していた。しかも、そのほとんどが、尊い命を奪うことにかかわる人倫に背く重大犯罪で、死者の数は合計二十五名、負傷者の数は訴因に掲げられているだけでも合計二十二名と膨大な数に上るのであり、被告人はこれまで教団が犯してきた幾多の重大犯罪のうちの大半にかかわっていたといえる。のみならず、被告人は、出家後まもなくかかわった坂本事件などはともかく、その後は、麻原からその能力を高く買われた教団幹部の一人として関与していたとみられるのである。
 翻ってみると、このような教団信者らのかかわった重大な犯罪行為が累行された原因については、麻原の説く教義や教団の性格そのものが大きくかかわっていると考えざるを得ないところ、麻原自身が一切を語ろうとせず、事実上同人に次ぐ地位にあった教団幹部の村井も既に死亡しているため、必ずしも十分に明らかにすることは出来ないとはいえ、上記のとおり教団が次第に社会との対立関係を深める中で、少なくとも、麻原の説く教義の内容が、もともとは要するに衆生の救済を標榜し、信者は解脱し救済されることを求めて修行に専念するというものであったところ、次第に過激で排他性の強いものとなり、他の宗教団体をはじめ、教団を批判する者等を敵視するにとどまらず、国家権力との対決姿勢さえも示すようになった。そして、ハルマゲドンが迫っているとか、教団が毒ガス攻撃を受けているなどと作り事、絵空事を述べ立て、信者の危機感をあおって、教祖である麻原自身への盲目的・絶対的な帰依を求める一方、「ヴァジラヤーナの実践」と称して、救済のためには犯罪行為に及ぶことも許されるとか、悪業を積んだ者を「ポア」と称して殺害することも、その者の魂をより高い世界に転生させて救済することになり、最終解脱者を自称する麻原がそれを命じることが出来るなどという、独善的かつ荒唐無稽なものであるのみならず、極めて反社会的性格の強いものに変容していったという事情がうかがえるのであり、それに伴い、教団そのものも、組織や麻原を守るためには手段を選ばず、犯罪行為に及ぶことも辞さないという、危険極まりない犯罪集団同然のものに転化していったものと考えられる。
 一方、被告人は、心身の平穏を得たいなどという、被告人なりにやむにやまれぬ思いから教団に入信し、まもなく出家をするに至ったものであるところ、坂本事件で、突然、麻原の指示を受けて、初めて教団の違法行為に関与した後は、麻原の指示または意向を忠実に実現しようという意図の下に、次々と犯罪行為に関与したもので、坂本事件を含めて、その都度、重要な役割を積極的に果たしたということは、疑いようのないところである。確かに、被告人は、坂本事件の際には、出家直後ということもあって、人命を奪う犯罪行為に加担することにかなりのためらいを感じており、犯行後も、自責の念もあって体調を崩すほどであったという事情もうかがえる。被告人の経歴やその当時の教団内における地位等を考えると、被告人なりに相当深刻な葛藤に苦悶したであろうことも想像に難くなく、もともとの被告人が、およそ犯罪などとは無縁で、むしろ医学の道を志したことからもうかがえるとおり、他人に対して優しさをもって接するような人物であったことは、家族や友人をはじめ衆目の一致するところである。しかし、その後の被告人の行動をみると、幼児を含む坂本弁護士一家三名の殺害行為に関与した際に感じた心の葛藤に思いを致すどころか、かえって、○○事件に関与して友人であった被害者を手に掛け、その後も強い殺傷能力を有する化学兵器サリンの研究・合成に携わるとともに、それを使った重大犯罪にも次々と関与し、前代未聞の無差別大量殺人へと突き進んでいったのであって、サリンよりも殺傷能力の強いVXを使用した犯罪への関与や、教団が崩壊状態に陥った後でさえ、自ら率先して青酸ガスや爆弾を用いて殺人行為等に及ぼうとしていたこととも併せ、その間の被告人の行動等は当初の他人への優しさといった人間らしい感情を置き去りにし、教団内にとどまり、麻原に盲目的に帰依することを優先させ、その意向や指示に対しては、それがいかなる残虐な犯罪行為であろうとも、唯々諾々と従い、むしろそれを完遂することに全力を傾注するという姿勢でほぼ一貫していたといえるのであり、被告人が、その犯罪性向、凶悪性を深化させていった過程をみることが出来る。前述のとおりの独善的、反社会的な考え方により、被告人を次々と犯罪行為へと導いていった麻原の責任が極めて重いのは当然であるが、これに従うことを選択した被告人の責任もまた、重いものがあるといわざるを得ない。とりわけ、被告人は、恵まれた家庭に育ち、十分な教育を受け、医科大学に入学して医学を学び、医師の資格も得て、その間当然ながら、人命の尊さについても人並み以上に学んだはずであるのに、むしろその豊富な知識を犯罪の円滑な遂行に悪用さえしていたというのであるから、この点でも篏しい非難を免れないというべきである。
4 被告人のために酌むべき事情
 被告人は、本件各犯行のうち、新宿青酸ガス事件および都庁爆弾事件を除いては、首謀者ではなく、首謀者である麻原の指示があったからこそ、各犯罪行為に加担したものであり、新宿青酸ガス事件および都庁爆弾事件にしても、麻原の意向を体現したという意味合いが強い。しかも、被告人は、坂本事件においては、出家直後ということもあって、人の命を奪う行為に加担することにかなりのためらいを感じながら、麻原や教団幹部らの指示や行動に付き従ったという一面も強く、○○事件でも、呼ばれて謀議の中途から犯行現場にやって来たもので、その段階では、既に○○殺害の謀議は成立しており、事の次第も十分に把握するいとまもないまま、その犯行に関与することになったという事情もある。また、滝本サリン事件は、幸いにして未遂に終わり、被害者である滝本弁護士も、法廷で、被告人を死刑に処することを望まない旨述べていること、○○VX事件および○○VX事件も、幸い未遂に終わっており、○○VX事件では、被告人自身はその犯行現場に赴いていないこと、被害者○○が、被害者の会を通じて被告人の家族とも交流があることもあって、被告人の処罰につき複雑な心境であるとうかがわれること、地下鉄サリン事件では、被告人が、麻原を交えた事前の謀議や実行役との謀議には参加しておらず、サリン散布の計画内容の詳細も知らされていなかったとうかがわれること、新宿青酸ガス事件では、青酸ガス発生装置が発火したが、火が消し止められて幸い青酸ガスは発生しなかったこと、都庁爆弾事件では、幸い殺人の点は未遂に終わったことなどの事情もある。
 加えて、被告人は、本件各犯行をいずれも深く反省悔悟しており、法廷でも被害者に対する真摯な謝罪の言葉を述べている。そして、被告人は、公判段階の当初こそ、事件について語ろうとしなかったこともあったが、被害者の遺族から真実を話してほしい旨言われたこともあってか、後には、関与した事件と否とを問わず、教団が行ってきた違法行為について進んで供述するようになり、共犯者らの法廷にも幾度となく証人として出廷して、被告人なりに事案解明に協力しようと努めている。さらに、被告人は、共犯者らの法廷に証人として出廷した際に受け取った日当を積み立てた中から、これまでに合計二十五万円余りをサリン事件等共助基金に贖罪の趣旨で寄附しているほか、本件各犯行の被害者や遺族等にあてて、合計四十八通の謝罪の手紙を書いて、その送付を弁護人に託すなど、被告人なりに出来得る限りの謝罪の意思を表している。
 ところで、被告人は、前科は全くなく、もともとは、他人に対する思いやりや、人を和ませる穏やかな性格の持ち主であり、教団に入信し、坂本事件にかかわるまでは、およそ犯罪とは無縁の人物であった。そして、前述のとおり、被告人の本件各犯行への関与が、基本的には麻原の指示やその影響によるものであったことからすると、かつての教団が崩壊し、被告人も、少なくとも麻原の影響そのものからはほぼ脱したと思われる現在、弁護人の指摘をまつまでもなく、将来被告人が犯罪に手を染めるということはまず考えられないといえる。
 また、被告人の家族は、今なお被告人を見捨てることなく、その身を案じ続けており、被告人に代わって、その犯した犯罪被害に対するせめてもの償いにと、被害者の墓参やおわびに赴くなどしている。
5 結論
 以上の諸事情を総合して検討すると、本件は、犯罪史上稀にみる悪質・重大事犯を含むものであり、このような犯罪行為に次々と関与した被告人の刑事責任は、誠に重大である。確かに、上記のとおり、被告人のために酌むべき事情も多々認められる上、とりわけ、麻原の影響を脱し、自らの非を認めて反省悔悟している現在の被告人に、再犯のおそれが認められないことはいうまでもないところである。しかし、被告人は、それのみでも十分に重大かつ凶悪な犯罪である坂本事件において、いたいけな幼児をも直接手に掛けるなど、これに深く関与した結果、強い罪悪感、後悔の念にさいなまれたはずであるにもかかわらず、その後は逆に次々と重大犯罪への関与を繰り返していたのであり、急速に規範意識を鈍麻させ、犯罪性向を深めていったというほかはない。その結果、坂本事件を除いても被告人が関与した事件によって合計二十二名の者が死亡し、その他多くの罪もない人々が重篤な傷害を負って苦しめられたという厳然たる事実は、被告人のために酌むべき事情をはるかに凌駕するものというべきである。その意味で、死亡した被害者の遺族ら多数の者が、異口同音に、極めて厳しい被害感情を述べた上で、このような重大犯罪にかかわった犯人たちに極刑を求めているのも、容易に理解することが出来るのであり、そのような被害感情も、量刑に当たっては、十分に考慮せざるを得ない。
 死刑が、人の生命を奪い去る峻厳な究極の刑罰であり、その選択に当たって極めて慎重な態度が求められることは当然であり、諸般の事情を併せ考慮したとき、その罪責が誠に重大であって、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも真に極刑がやむを得ないと認められる場合に限って、その選択が許されるものであることもまた当然というべきである(なお、死刑が、残虐な刑罰に当たらず、憲法一三条、三一条、三六条に違反しないことは、累次の最高裁判所判例が示すところであり、当裁判所もこれと見解を同じくするものであって、弁護人が主張する諸点を考慮しても、その見解を変更する必要を認めない)。そして、本件各犯行を敢行した被告人の刑事責任は、罪責、態様ことに殺人のための化学兵器を合成して使用するという手段方法のむごさと計画性、結果の重大性、被告人の果たした役割の重要性、遺族の被害感情、社会的影響等いずれの点からしてもこの上なく重大であって、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からももはや被告人に対しては死刑をもって臨むほかはない。
〔主文〕
 被告人を死刑に処する。

底本:『オウム法廷13』(2004年、降幡賢一朝日新聞社