京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

「井上嘉浩被告 検察官調書からの抜粋」(『オウム法廷』9巻)

【井上嘉浩被告 検察官調書から抜粋】
 第二サティアンの三階の麻原彰晃尊師こと松本智津夫氏の部屋にたどりっくと、そこには大勢の古い幹部連中が集まっておりました。
 正大師・正悟師はもちろんのこと、古い師の連中もたくさんいました。
 そして、その場で、麻原彰晃尊師こと松本智津夫氏は、村井秀夫さん、青山吉伸さんや、ティローパこと早川紀代秀さんらを中心とする弟子たちと、何か話しておりました。
 そのとき、私は、信徒から集めたお布施と現役自衛隊員の信徒から入手した自衛隊の内部資料を持っていたので、その場で、麻原彰晃尊師こと松本智津夫氏にそれらを渡しました。
 すると、麻原彰晃尊師こと松本智津夫氏は、いきなり、私に対して、「お前のところは今日からCHSだ。お前は、CHSの長官だ」と言ったのです。
 私は、何のことかさっぱりわからなかったので、「は、CHSですか」と聞き返しました。
 すると、麻原彰晃尊師こと松本智津夫氏は、「そうだ、オウムはこれから省庁制の形をとるんだ。諜報省という名前にしようかと思ったが、それではまずいから、ローマ字の頭文字をとって『CHS』にしたんだ。お前の役割は、これから敵の情報収集をするんだ。わかったな」という内容のことを言ったのです。
 私は、その時点では、「省庁制」ということの意味があまりよくわからなかったこともあり、面食らった感じを受けました。
 麻原彰晃尊師こと松本智津夫氏は、そのような私の、自分が指示された役割をよく理解していないような態度を察したようで、「今までどおりのワークをすればいいんだ。わかったな」という内容のことを言いました。
 それで、私自身にも、私が統轄する部署の名前がCHSになっただけで、具体的なワークの内容には特に変更があるわけではないことが、わかったのです。(1996年3月31日付供述調書)

【井上嘉浩被告 検察官調書から抜粋】
 このような、尾崎豊さんの歌にある詩の内容に、現代の若者を中心とした多くの人たちが共感を覚えていったという事実が存在する理由は、戦後、この日本に、経済成長と共に、「経済的に、物質的に、豊かになることが、幸せなんだ」というような価値観が広まっていった結果、その中において精神性を失ってしまった日本の現実の中で、多くの人たちが、この「物質主義」で出来た現実の中で、本当の自分を確かめようとし、「精神性」を必死になって見つけだそうとする衝動を有していたからだと思います。
 一方、私たちを豊かにするはずだった物質主義は、人類そのものを破滅に導いてしまうような、「核兵器」等の様々な近代兵器の開発にもつながって、「第三次世界大戦の恐怖」が現実的なものとして感じられるようになり、かつ、次の世代が生きていけないような「地球規模における大規模な環境汚染」を生じさせていくことにもなっていったのです。
 そして、昭和六十一年(一九八六年)、旧ソ連において、「チェルノブイリ原子力発電所」が大規模な事故を起こし、ヨーロッパの諸国に放射能の恐怖が広がって、現実として「世紀末の予感」が漂いましたが、そのころに、麻原彰晃尊師こと松本智津夫氏は、この日本において、「解脱・悟りといった精神的な進化こそが、人類を救済する道である」と説き、自ら、「最終解脱者である」と称し、解脱や悟りといった精神的な進化の条件とされている、霊的エネルギーである「クンダリニー」の覚醒を、自らの「シャクテイーパット」というイニシエーションによって、最も短期間に覚醒していく、といった教えを説き始めました。(1996年3月5日付供述調書)