インターネット文化の「一次資料を収集する力量」は倍以上に過大評価されている。それに、かなりいびつである。
一つ例を挙げる。
網野善彦氏と石母田正氏の約40年の「交友」がどんなものだったか、インターネットで検索しても、大した一次資料(引用された資料)は出てこない。CiNIiで調べたほうがはやいぐらいだ。一番確実なのは、図書館で2人の著作を調べることだが。
みないそがしい。しかし、インターネットの利用者は百万人単位のはずである。そして、この2人の歴史学に対する貢献ははかりしれない。その2人の「交友」を調べてみようという人が1人もみあたらないとは、どういうことだろう。
わたしには、インターネット文化に、大変な不信感がある。そう、「文化」に不信感がある。