京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

メモ017 オウム事件には、”虚偽自白のような証言”がいくつもある。しかし、なぜかそれを指摘する人が少ない。

地下鉄サリン直前のオウムの状況は、今の日本社会と重複する(森達也) | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

地下鉄サリン事件が起きる少し前、上九(一色村のサティアン)にいたとき、遠くの空にヘリコプターが見えたんだ」

一審判決後に訪ねた東京拘置所の面会室。透明なアクリル板越しに座る林泰男はそう言った。そのとき彼は施設の外にいて、すぐそばにはサリン事件から1カ月後に刺殺された村井秀夫がいたという。ヘリコプターを認めた村井は慌てて電話をかけ、「米軍のヘリがサリンをまきに来ました」と報告した。相手は麻原だ。そんな様子を眺めながら林は、「何であれが米軍のヘリと分かるんだ」と内心あきれたという。しかし目のほとんど見えない麻原は、村井の誇大な報告を否定する根拠を持てない。

そんなエピソードを話した後に、「あのとき村井にひとこと『あり得ないです』って言っていたら、その後の状況も変わっていたかなあ」と林は言った。地下鉄サリン事件を防げたかもという意味だ。でも言えなかった。この時点で村井のステージは正大師。林は師長。会社でいえば常務と課長ほどに違う。だから林は沈黙した。個ではなく組織の一員として。そして、そんな自分を悔いていた。

この記事のこの部分を読んで、正直にいって、非常にあきれてしまった。
『オウム法廷』全13巻(降幡賢一)を読んでも、地下鉄サリン事件前後に、麻原(松本)自身が実行犯たちに毒ガス攻撃妄想を語ったという証言は1つも見つからなかった(※1)。
3月19日夜にオウム大阪支部強制捜査がはいり、そのことを村井秀夫、豊田亨中川智正遠藤誠一土谷正実などは3月19日中にこのことを知っていた。なのに、各人の証言から、この問題をどうするかというやりとりはほぼまったくみあたらない(※2)。
ひょっとしたら、実行犯たちは地下鉄サリン事件のことで頭がいっぱいで、強制捜査のことはうっかり忘れていたかもしれない。
そこをなぜ森達也氏や、支持者の斎藤美奈子氏は気がつかないのか。
批判者の、滝本太郎氏や江川紹子氏もこの点を批判したことがないらしい(※3)。
わたしの見落としなのか? いったいどうなっているんだ……



わたしはここで、森、斎藤、滝本、江川氏らの見落とし、論理構成のミスを批判したいだけではない。それよりずっと大事なことがある。
さっき、「実行犯たちは地下鉄サリン事件のことで頭がいっぱいで、強制捜査のことはうっかり忘れていたかもしれない。」と書いた。書いた自分が驚いているぐらいだ。「うっかり忘れていたかもしれない」というのも、もちろん極論である。しかし、たとえば3月19日夜の大阪支部への強制捜査についてのやりとりはほぼまったくみあたらない。また、3月20日夜、10人の実行犯たちが帰ってから、麻原(松本)に「強制捜査は行われるのか行われないのか」と聞いた人は1人もいない。井上嘉浩、新実智光もふくめて、である。
ここで井上、新実の名前をあげたのは、理由がある。オウムが強制捜査の動きをどこまで予想していたか(していなかったか)、という問題を正面から検討するとき、問題になることがあるからである。強制捜査が結局、3月22日朝に行われることをオウム認識したのは、どうも3月21日の新実の部下の報告だったらしい、そして奇妙なことだが、その前(つまり、少なくとも3月18日以降)には強瀬捜査の情報をえようとする活動はほとんどなにもやっていないらしい、ということである(※4)。
そんなことって、ありうるだろうか。類例とくらべても、オウムの実行犯たちの行動はかなり鈍感で、かなり不自然におもえる。

わたしはこのことに気がついたとき、ひょっとしたら虚偽自白じゃないか、と疑った。
虚偽自白については、以下の論考を読んでほしい。
虚偽自白を読み解く - 岩波書店
CiNii 論文 -  二十次再審請求に提出された自白・目撃供述の心理学鑑定書
CiNii 論文 -  講演録 大崎事件にみる日本の刑事司法と再審の問題点
連載「検証・大崎事件」|【西日本新聞ニュース】
無知の暴露 - apesnotmonkeysの日記
袴田事件・供述の変遷とその分析 その1 - apesnotmonkeysの日記


一番ありうるのが、わたしが証言の大事なところを見落としている可能性。
しかし、『オウム法廷』全13巻をすべて電子化(約5MB)し、単語検索で1995年3月19日の大阪支部への強制捜査に関する証言をあつめたが、ほんとうに少ないことを確認した(※2)。「3月19日夜から3月20日午前8時の間、大阪支部への強制捜査の問題についてのやりとりはほとんどなかった、すくなくとも『オウム法廷』全13巻に記録されなかった」、この点についてはほぼ断言できる。
地下鉄サリン事件前後の諜報活動の実態については、まだ検証不足であることを正直に書いておく。
二番目にありうるのが、刊行書籍がこのことを見落としている可能性。
供述調書の全体が公開されていない以上、この可能性が残っている。
ただし、ここで一点、指摘しておく必要があることがある。
いわゆる「目黒事件」をのぞいたすべての事件に参加した新実智光は、地下鉄サリン事件で事件を主導するような言動はほとんどとっていない、ということである。麻原(松本)にしても新実にしても、もし強制捜査に対して極度の緊張状態にあったならば、「逃げないか監視しておけ」ぐらいの指示があったと考えるのが自然である。この点については、判決文でも少し書かれているし、わたし自身も検討したことがある(※5)。そして、新実以外の実行犯の証言もこのことを補強している。この奇妙な点を、裁判所も認めざるをえなかった、ということは指摘しておきたい。
三番目にありうるのが、オウム事件の捜査では多数の虚偽自白がつくられた、という可能性。
もしそうだったならば、オウム事件は、世界でもまれにみる大冤罪事件だった可能性すらある、ということになる。
さて、ここで白状しなければならないことがある。
わたし自身は、オウム事件では、すくなくとも極刑か無罪かを左右する虚偽自白はつくられなかった、と考えている(※6)。
その最大の理由は、そのような内容の再審請求がなかった、という点である(※7)。虚偽自白にはそこまでの力はない、というのが研究者の一致した意見である。

ここで、論点を最初に戻さないといけない。オウム事件には、”虚偽自白のような証言”がいくつもある。しかし、虚偽自白そのものではないらしい。
いったいこれはどういうことだろうか?
「虚偽自白の分析」という問題を体系的に論じた浜田寿美男氏は、『ほんとうは僕殺したんじゃねえもの 野田事件・青山正の真実』(1991年)の中で、こう書いている。

いかなる人間の、いかなる言動にも、かならずその人の生の脈絡にそった意味がある。

ふりかえって考えてみるとき、オウム事件をめぐる問題は、オウム真理教の信者で、犯罪者になった(なってしまった)人々の、「生の脈絡」の大事な部分が読めていないのではないか、という問題につきる。
オウム事件と自白分析が出会う地点は、まさにここである。虚偽自白でないならば、なにがなんでも「生の脈絡」を解読しないといけない(※8)。


※1 
『A3』(森達也)への検証:本論2 地下鉄サリン事件に関して「毒ガスがらみの被害妄想」は立証できるか? - 『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部(記事の整理中)
※2
『オウム「教祖」法廷全記録』全8巻(1997年~2004年、毎日新聞社会部、現代書館) - 『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部(記事の整理中)
1995年3月19日の大阪支部への強制捜査に関する証言(その1) - オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会
1995年3月19日の大阪支部への強制捜査に関する証言(その2) - オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会
※3
第三十五回 『A3』についての感想
やや日刊カルト新聞: 森達也氏『A3』の講談社ノンフィクション賞に弁護士らが抗議
JSCPR抗議書.pdf - Google ドライブ
※4
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/817/005817_hanrei.pdf
上判決文のP35を参照。強制捜査対策の諜報活動という項目はない。
※5
※4の判決文P42~43および、
『A3』(森達也)への検証:本論4 地下鉄サリン事件における新実智光の行動の”非積極さ”を検討する。 - 『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部(記事の整理中)
※6
裁判所での証言には、「検察官に証言の意味を変えられた」というものがいくつもあることを書いておく。
※7
井上嘉浩の再審請求の場合は、死刑か無期懲役か、という事例で、全面無罪を求めるものではなかった。」
※8
最後に一点、オウムが犯罪集団へと変わっていく1980年代から1990年代の文化を幅広く検討する必要があることをつけくわえておく。このころの”文化”、たとえばのちに「クールジャパン」と称賛されるサブカルチャーは、ほんとうに危険性を自己管理できていたのだろうか? 見えやすいミリタリズムとセクシズムだけ問題にしていればいいのだろうか?
「オウム真理教という鏡――消費社会の転換と宗教動員」(中西新太郎、雑誌「前夜」第1期第7号、2006年) - オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会
「「よい子」の幸福論の破綻」(「若者たちに何が起こっているのか」2004年、中西新太郎、花伝社、に収録) - 『梶村秀樹著作集』完全復刊をめざす会・第6支部(記事の整理中)