京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

検証1-2 1995年3月18日~3月20日の麻原彰晃(松本智津夫)の動向――『オウム法廷』第2上下巻より

(以下、敬称略。原則として、名前はあいうえお順)

麻原彰晃松本智津夫)の動向、およびその根拠となる証言

1995年3月18日午前2時ころ、上九一色村へ帰るリムジンの中で、村井秀夫、井上嘉浩、遠藤誠一青山吉伸、I(教団幹部)と相談(いわゆる「リムジン謀議」)。
1996年9月20日麻原彰晃松本智津夫)第9回公判、井上嘉浩、2下巻P121-139(『オウム「教祖」法廷全記録』第1巻にほぼ同じ内容が収録されている。)

1995年3月18日午前8時から9時、第六サティアン3階の村井の部屋で、村井秀夫から林郁夫、豊田亨林泰男広瀬健一横山真人に「サリンをまく」という話がされた。このときの村井の話の中に、「麻原(松本)とサリンをまく方法について相談した」という内容がふくまれていた。その時間は午前4時から8時の間と推定される。
1996年6月19日外崎清隆公判、広瀬健一、2上巻P265-266
1996年6月3日、井上嘉浩第4回公判、林郁夫、2上巻P210

1995年3月19日午後1時ころ、第六サティアン1階の麻原(松本)の部屋に、村井秀夫と井上嘉浩がきた。このとき麻原(松本)は、「お前らやる気ないみたいだから、今回はやめにしようか」「じゃあ、お前たちにまかせる」などと言った。
1995年3月20日午前2時ころ、第六サティアン1階の麻原(松本)の部屋に、井上嘉浩が自作自演事件についての報告にきた。このとき麻原(松本)は、「なんでお前(井上)は勝手にうごくんだ」などと言った。少し後に村井秀夫が、さらにその後に遠藤誠一がきた。このとき麻原(松本)は「ジーヴァカ、この中に(サリンが)入ってるんだろ」などと言った。
1996年9月20日麻原彰晃松本智津夫)第9回公判、井上嘉浩、2下巻P121-139(『オウム「教祖」法廷全記録』第1巻にほぼ同じ内容が収録されている。)

豊田亨広瀬健一横山真人の証言を示す)
1995年3月20日、午後5時ころ、第六サティアン1階の麻原(松本)の部屋に、村井秀夫、豊田亨広瀬健一横山真人が報告にきた。
このとき、麻原(松本)は、「科学技術省の者にやらせると結果が出るな」「偉大なるグル、ならびにシヴァ大神、すべての真理勝者方にポアしてもらってよかったね」などと言った。
1996年6月19日外崎清隆公判、広瀬健一、2上巻P285-286
1995年3月20日午後3時ころ、第六サティアン1階の麻原(松本)の部屋に、村井秀夫、豊田亨広瀬健一横山真人が報告にきた。
このとき麻原(松本)は「シヴァ大神とグル、真理勝者方にポアされてよかった」などと言った。
1996年7月?、井上嘉浩第8回公判、豊田亨、2下巻P064ー065
1995年3月20日~21日時刻不明(証言者の横山真人は時刻を記憶していない)、第六サティアン1階の麻原(松本)の部屋に、村井秀夫、豊田亨広瀬健一横山真人が報告にきた。このとき麻原(松本)は「マントラを唱えるように」などと言った。
1996年11月20日土谷正実公判、横山真人、2下巻P168-169

1995年3月20日午後4時ころ、第六サティアン1階の麻原(松本)の部屋に、新実智光、杉本繁郎、林泰男が報告にきた。このとき麻原(松本)は、「君たちはこれから瞑想しなければいけない。今から言う詞章を唱えなさい。グルとシヴァ大神とすべての真理勝者方に祝福され、ポアされてよかったね。これを一万回、唱えなさい」などと言った。
1996年7月1日井上嘉浩第6回公判、杉本繁郎、2上巻P327-329

1995年3月20日午後10時から11時、第六サティアン1階の麻原(松本)の部屋に、林郁夫が報告にきた。このとき麻原(松本)は、「シヴァ大神、もろもろの真理勝者方にポアされてよかったね」「世間では地下鉄サリン事件をオウムが引き起こしたと言っているそうだが」などといった。
1996年6月3日、井上嘉浩第4回公判、林郁夫、2上巻P226-228

1995年3月18日午前2時ころ、上九一色村へ帰るリムジンの中で、村井秀夫、井上嘉浩、遠藤誠一青山吉伸、I(教団幹部)と相談(いわゆる「リムジン謀議」)。
1995年3月19日午後1時ころ、第六サティアン1階の麻原(松本)の部屋に、村井秀夫と井上嘉浩がきた。このとき麻原(松本)は、「お前らやる気ないみたいだから、今回はやめにしようか」「じゃあ、お前たちにまかせる」などと言った。
1995年3月20日午前2時ころ、第六サティアン1階の麻原(松本)の部屋に、井上嘉浩が自作自演事件についての報告にきた。このとき麻原(松本)は、「なんでお前(井上)は勝手にうごくんだ」などと言った。少し後に村井秀夫が、さらにその後に遠藤誠一がきた。このとき麻原(松本)は「ジーヴァカ、この中に(サリンが)入ってるんだろ」などと言った。
1996年9月20日麻原彰晃松本智津夫)第9回公判、井上嘉浩、2下巻P121-139(『オウム「教祖」法廷全記録』第1巻にほぼ同じ内容が収録されている。)


〇引用

2上巻

P210

 サリンの撤き方については科技省の人たちが何かをアタッシェケースを置いて撒こうとしたがうまくいかなかったとかで、複雑なものはだめだと、それで麻原のアイデアだが、ジュースか何かの入れ物にふたを開けてひっくり返すような話をしていた。しかし、それは非常にやりにくいし、自分たちに危険がふりかかるし、見つかる可能性も高いという話だった。そのアイデアは麻原のだが、みんな納得できなかった。でも麻原のアイデアだから、このような方法で準備すると考えておいてくれ、と村井が言った。

P226-228

 その日のうちに、上九に戻った。第六サティアンの三階だ。ちょうどそのとき、麻原が探していたみたい、と看護婦が言ったので麻原の自室へ行った。たぶん、午後十時か十一時ころのことだ。
 一階の自宅のリビングというか床の間で会った。麻原はいつも座っている一人がけのソファに座っていた。まず自分の名を名乗り、『今戻りました。やってきました』と言った。『そうか』と(首を上下にし)こういうようにうなずいた。
 そのころ教団として治療棟の完成が近かった。地下に隠すものがあるので助力してくれ、と麻原が言った。村井の要望だ、ということだった。彼のいう二種類の薬品を隠すのだった。三塩化なんとかとフッ化ナトリウムだが三塩化なんとかの『リン』が聞き取れずノートに書き取った。
 それからマントラを千回唱えろ、と言った。そのとき聞いたのは『シヴァ大神、もろもろの真理勝者方にポアされてよかったね』というのだった。ポアされてよかったね、というのは、私たちが麻原の指示で無差別に人を殺したが、その人たちがもろもろの人々によって高い世界に送られてよかった、という内容で、お前たちは悔いることはない、と言ったんだ、と解釈した。
 その内容をノートに書き取っていたが、麻原は大声で『書くな』と言って怒鳴ったので、くしゃくしゃにした。
 礼をし、正座をし、引き下がったが、そのとき、『世間では地下鉄サリンをオウムが引き起こしたと言っているそうだが』と麻原が言うのを聞き、正直ムッとした感じがした。それは新宿などで一般の人の反応をみて、前に松本サリンとか一月一日の新聞とかで、必ずオウムの仕業と思われると、心の中で知っていたからだ。(麻原は)矛先を変えることが出来ると思って命令したが(世間の人はみんなオウムと思っている)、これはただの意味のない殺人をやらされたに過ぎない。私としては一生懸命だったのに、と思ってムッとし、わざと大きな声で『はい』と答えた。万感の意を込めたつもりだった。
 ちょうど立ったときに、村井と渡部(和実被告)が来た。三塩化リン、フッ化ナトリウムを隠すように言われた。村井が第二サティアンに来るように言ったので、引き続いて、隠す作業をした。地下に隠す入り口をコンクリートでふさぐ作業だった。三時間かかるというのでつきあっていられない、と思って立ち去った」

P265-266

 ――なぜか。
「村井の話からそう思った。村井がサリンを撒く方法について説明したが、『尊師が地下鉄に撒け』と言ったので、私(村井)が(右腕を上下にして)このように撒きましょうか、と言ったら、松本は、だからお前は馬鹿なんだ。そのようにしたら自分がやられてしまう。容器に穴を開け、ひっくりかえして徐々に出せばいいだろう、と言った、という話だった。ほかに松本の指示として、実行役はカツラをかぶれ、ということだった。(略)

P285-286

 上九へは北村の運転で同乗者はいなかった。午後二時か三時ころ着いた。到着後、第六サティアン三階の自分の部屋で休んだ。
 松本への報告は、午後五時ころ、第六サティアン一階の松本の自宅瞑想室だった。瞑想室は六畳から八畳の部屋で、室内はドアを入ると左にベッド、右側の前の方に、松本がソファに腰かけていた。ゆったりした一人用のソファで、床は畳だったと思う。
 村井、豊田、横山と一緒に報告した。村井から尊師に報告しよう、と言われて報告した。松本の前に座ったその座り方は覚えていないが、三人が横一列に並んだので、正座をしていたかもしれない。村井は松本を見て右側に座っていた。
 松本は私が入るか入らないうちに、『科学技術省の者にやらせると結果が出るな』と言った。待っていたぞという感じだった。そして、『ポアは成功した。シヴァ大神、すべての真理勝者方も喜んでいる』と言った」
 ――ポアが成功した、という意味は。
「自分たちの起こした事件で亡くなった方が高い世界に転生出来た、という意味だ。
 松本の前で、最初に豊田が、『姿を見られてしまいました』と言った。すると松本は『ちゃんと変装していたんだろう、大丈夫だ』と言った。私は女子中学生に気付かれそうになったので車両を出たこと、新聞紙に包まないでそのまま置いたことを報告すると、松本は『わしはみんなの足取りを追いかけていたが、サンジャヤ(広瀬被告の宗教名)のアストラルがずっと暗いのでどうしたのか、と思っていたが、そういうことだったのか』と言った。横山の話は覚えていない。
 さらに松本は『サンジャヤが一番修行が進んだな』とほめた。松本の評価では私はヴァジラヤーナに沿っておらず、マハーヤーナ(大乗)に留まっていたのが、ヴァジラヤーナの実践である地下鉄まで行った。武力を使った救済は得意ではなかったので、今日はよくやった、と。私は、それまでは、自分の身の行為として、悪いことをするのをおそれて、マハーヤーナの救済、通常の救済にこだわっている、と言われていた。ほめられて、気を使っているな、と思った。
 それからマントラを一万回唱えろと指示された。『偉大なるグル、ならびにシヴァ大神、すべての真理勝者方にポアしてもらってよかったね』という、これまで聞いたことのないマントラだった。

P327-328

 食事を終えた後、八王子インター付近で井上と別れた。新実、林、私の三人で紺色のギャランで上九へ向かった。前日、上九を出るとき、河口湖インターは使うな、と指示されていたので、他のインターを使った。第二上九に、午後四時ころ着いた。
 ちょうどそこで遠藤誠一と会った。第六サティアンの教祖の自宅出入り口から出て来た。車から出たところへ近づいてきて、『ちょっと、ちょっと』と言いながら、車の中に乗るような様子だった。少しニヤニヤと笑っている感じで、『東京で死者が出ているようですよ。尊師のところに行かれたらどうですか。私も会ってきました。今なら、サティアンで起きているから、会うことが出来ますよ』と教祖に今回の報告をするように言われた。私も指示が本当に教祖から出ていたのか、自分を運転手役に選んだのは教祖かどうか確認したかった。今度のことが、ヴァジラヤーナの教義にあるポアであるなら、それを実際に出来るのは教祖だけ。他には出来ない。もし教祖の指示以外に私が使われたのなら、自分としても納得出来ないので確認したかった。そのころはポアや救済を百パーセント信じていたわけではないが、信じ込もうとしていた。
 第六サティアン一階の教祖の自宅の教祖の部屋で、教祖に会った。ソファに座っていた。他にはだれもいなかった。教祖の前に座った。教祖が『だれがいるんだ』と言うので、それぞれ、新実、林、杉本の順でそれぞれホーリーネーム(宗教名)を名乗った。すると教祖は『今日はご苦労だったな』と言った。新実がニュースで東京の方で死者が出ているようです、と報告すると、『ウンウン』という感じでうなずいていた。それを見て、これは、教祖や新実らが打ち合わせをして計画したんだな、と思った。
『ずいぶんと帰りが遅かったじゃないか』と教祖が聞いた。新実が少し要領を得ない答え方をしたので、私が『多摩川の河原で(ゴミを)燃やしたので遅れました、そこでアーナンダ師(井上被告の宗教名)と別れました』と報告すると、教祖は『そうか』と言った。
 すると教祖は『これはポアだからな、分かるな』と言った。私たちは『はい』と答えた。『君たちはこれから瞑想しなければいけない。今から言う詞章を唱えなさい。グルとシヴァ大神とすべての真理勝者方に祝福され、ポアされてよかったね。これを一万回、唱えなさい』と言われた。全員で『はい』と答えた。このとき、おはぎとジュースをもらった。それは出入り口付近にあって、教祖が持って来いというので、新実が細長い段ボールに入っていたのを持ってくると、教祖が修法(手にとって瞑想をする)をし、それぞれに手渡された。教祖からおはぎをもらうのは初めてで、今回の褒美としてくれたのだ、と思う。もらった後、部屋の外へ出て、それを食べた。

2下巻
P064-065

 上九には正午ごろ着いた。第六サティアン三階の自分の部屋で休んでいた。村井が来て、尊師のところに報告に行こうという趣旨の指示をした。村井は何も言わなかったが、サリンの実行に関する報告と理解し、なんと言ったかは分からないが承諾した。広瀬、横山も一緒に行った。
 松本被告は第六サティアン一階の自宅にいた。三時(後の証言では日が暮れる前)あたりかと思う。部屋の中に松本被告がいた。村井が代表して『三人が帰ってきました』と報告した。松本被告は『シヴァ大神とグル、真理勝者方にポアされてよかった』というマントラを唱えるように指示した」

※P121-139の井上嘉浩証言は、『オウム「教祖」法廷全記録』第1巻にほぼ同じ内容が収録されているので省略する。右書籍は2020年3月現在でも購入可能。

P168-169

 ――以後、最初に麻原と会ったのはいつか。
「時間は分からない。多分、その日か次の日だと思う。第六サティアン一階の教祖のいる部屋です。私の記憶では、広瀬さん、豊田さんがいたと思う。村井さんがいたかどうかははっきり覚えていない。教祖にマントラを唱えるように、と言われた。一万回です。自分たちから何か報告したことは記憶にない」

〇補足
・3月20日の証言について、おかしなところを、少なくとも3つ指摘できる。
強制捜査について発言する人が見つからないこと。
午前8時から午後3時ころまで麻原(松本)または村井秀夫を見た人が見つからないこと。
警察の動向を諜報している人が見つからないこと。