京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

検証1-3 1995年3月18日~3月20日の麻原彰晃(松本智津夫)の動向――『オウム法廷』第3巻より

(以下、敬称略。原則として、名前はあいうえお順)

麻原彰晃松本智津夫)の動向、およびその根拠となる証言

1995年3月18日未明、第六サティアン3階の村井の部屋で、村井秀夫から林郁夫、豊田亨林泰男広瀬健一横山真人に「サリンをまく」という話がされた。このときの村井の行動に、「(首を上にあげて下げながら)」というものがふくまれている。
1997年12月9日、林郁夫第21回公判、被告人質問、P162ー163

1995年3月20日午後10時から11時、第六サティアン1階の麻原(松本)の部屋に、林郁夫が報告にきた。このとき麻原(松本)は、「シヴァ大神、もろもろの真理勝者方にポアされてよかったね」「世間では地下鉄サリン事件をオウムが引き起こしたと言っているそうだが」などといった。(2上巻に関連証言が収録されている)
1997年12月10日、林郁夫第22回公判、被告人質問、P184



〇引用
第3巻
P158-159(1995年3月18日午前2時ごろの麻原(松本)の発言に対する林郁夫の評価)

「井上証言だと、井上、村井の言ったことでやろうとした、ということだが、もともと九四年二月にサリンを地下空間に撒く、という考えがあった、ということです。それから考えると、弟子が捜査の矛先をそらすと言っているとき、実は麻原は、今まで自重してきた元々の計画で暴動を起こそう、と考えたのではないか。麻原のイメージは周りと違うのではないかと思う」
 ――麻原はボツリヌス菌に失敗した。「Tではなく妖術」(Tはボツリヌス・トキシン、妖術はサリンの隠語と井上被告は証言している=筆者注)で、と井上が言うと、村井が地下鉄にサリンを撒こうと言った。それは正しい前提か。
「だから私はさっきのように思った。もともと尊師通達のとき、破れかぶれで何かをしようと考えていた。なので、その『妖術』でピンときて、触発されて、やってやれということになったと思う」
 ――あなたの名前を出したのは一石二鳥を狙ったのか。
「そうですね、尊師通達で正悟師になるのが遅い人ほど逆比例して、不安感が強い人、要注意の部類に入る人、ということで、私とか岐部(哲也元被告、建造物侵入で九五年十月に懲役一年の判決確定。第一編『グルのしもべたち』上巻九二ページ参照。地下鉄サリン事件には参画していない=筆者注)さんとか林泰男(被告)が選ばれたと思う」
 ――行動を起こすことがもともとあって、井上もチラッと言っていたが、かつて暴動を起こして支配者になる方法として地下空間にサリンを撒く話があって、それでそれを思い出して、もう破れかぶれで強制捜査を免れるだけでなく、反撃、反攻に出た、と。そういうことか。
「そうですね、麻原の心理分析、性格から考えると、麻原には現実認識が甘いところがあるから、自分には何かの僥倖がある、ひょっとしたら自分に都合のいいことが起こる、と考えているところがある」
 ――つまり、麻原と弟子との間で認識の差があったということか。
「村井はよく分からないが、少なくとも騒ぎを起こして強制捜査を遅らせる、という程度の認識でしかなかったのではないか。他の弟子も、その後の会話を見るとそう思う」
 ――リムジン内では、サリンじゃないとダメだと、井上に言ったというが。
「井上のイメージと麻原のイメージは完璧に違う。麻原にとってはそんな余分なこと(井上被告が硫酸を撒いたらどうか、と言ったこと)をするというようなレベルが違う、ということではないか。(強制捜査を)回避するというようなもんじゃないんだぞ、ということですね」
 ――ボツリヌス・トキシンを三月十五日にアタッシェケースで撒こうとした、その段階ではサリンを使おうとしていないが、リムジン以降とはどう違うのか。
「危機感の違いというか、麻原は十六日の段階で(強制捜査が来るのは)絶対間違いないと納得出来たのではないか。危機感への思い入れがずいぶん違ったのではないか」

P162ー163

(略)最初に指示を聞いたのは村井の部屋で三月十八日未明という言い方をずっとしている。しかし、(共犯者とされる)広瀬(健一被告)は午前七時とか八時とか朝だと言っているが、あなたは暗いうちという記憶か。
「それは未明とずっと思っている」
 ――まず村井が呼んでいる、と林泰男に言われたので、自分だけと思ったということだったが、村井から呼ばれるようなことが今まではなかったか。
「なんだろう、とものすごくいぶかしい思いがした。私たちは一対一(の関係)だからだれかを使って呼びに行くことはない。また村井から私が指示だの話だのを受けるのは、そのときのオウムの状況ではあり得ないことだった」
 ――村井の部屋に行くと泰男が来る、他のメンバーも来る。(林郁夫被告が最初の証言で部屋にいたと言っていた)豊田(亨被告がいたかどうか)はともかく、いずれも科学技術省の次官だった。
「はい。全部が次官だった」
 ――メンバーを見て何の用だと思ったか。
「全然分からない」
 ――みんな科学技術省なのに、あなただけ異質だ。単に村井の用ではないと分かったのではないか。
「ものすごく異質に感じた。一体何だろうという感じだった。村井が話し始めて、ああやっぱり麻原の指示だと分かった。そうでないとあり得ないことだ。みんな集まってからだと思う。村井は近く強制捜査がある。サリンを撤くのは、その矛先をそらすためだ。もし抵抗があったら、(断ってもいい)ということを言った」
 ――(首を上にあげて下げながら村井が)からだからね、と言ったとき、やっぱり麻原の指示だと思ったか。
「ええ」

P184

 ――上九に戻って麻原に報告した。最後に麻原は世間ではオウムの犯行と言われているようだが、と言ったとき、これに怒りを感じたのはなぜか。
「他の人が言うのなら構わないが、麻原が見切って強制捜査がなくなるといったのに、と思った。とんでもないことだったのだと、いろんなものを賭けてやったつもりなのに何なのだろうと」

P303-306(内容の重大さを考えて、全文引用した)

【林郁夫被告の最終弁論後の意見陳述要旨】
 私は、一連の事件を実行し……あるいはそれに加担したことについては検察官のご指摘を待つまでもなく、まったく弁解の余地はなく、厳しく責任を問われることを覚悟しており、深く悔悟し、反省もしております。
 ……ちょうど、三年前の今日、三月二十日の……朝の……(言葉につまり眼鏡をとり、ハンカチで目を拭う。証言台のへりをつかみ、それからメモを取り上げ、また台に置く。すすり泣きを始め、またメモを取る。メモがかすかに震えている)朝のことを昨日のことのように……ありありと思い出し、時間があの前に戻らないかという気持ちで悔やんでも悔やみ切れません。私の卑劣な行為により、高橋一正様、菱沼恒夫様をはじめ、十二名(ウウウ、と泣き声、ハンカチを口に押し当てて泣き声を抑えるが、抑えきれない)十二名の方の尊い命を奪い、さらに数多くの方に、今の深くつらい悲しみを与え、本当になんと申し上げていいのか分からないほど申し訳なく思っています。
 また仮谷清志様にもなんとお詫び申し上げてよいか分からないほど申し訳なく思っています。また○○様、○○様(監禁事件の被害者の実名を言っているが匿名にする=筆者注)にも本当に申し訳なく思っております。
 これらのことは私の不明から生じたことであり、私をそれまで育ててくれたたくさんの方々や社会に対しても、恩をあだで返すような不安と混乱に陥れたことをただただ恥じ入るばかりで、心からお詫び申し上げます。(ハンカチを口に押し当てて、また声なく涙し、再びメモを下に置く)
 医師の名を汚し、宗教や信仰を泥まみれにさせてしまったことも本当に罪深く、心からお詫び申し上げます。
 私は、今あるように、少しでも人間らしい気持ちを取り戻せたきっかけは、高橋一正様、菱沼恒夫様が、地下鉄職員として、強い使命感から文字通り殉死されたことを知り、私自身も人のために役立とうとして医師になり、医療の手が及ばず亡くなった人の魂を救いたいと思い、出家までしたはずなのに、それに反する……反するようなことをしてしまったことのあまりにも落差の大きさに衝撃を受けたことでした。
 それがきっかけで、亡くなられた高橋一正様、菱沼恒夫様の無念さと、大切な方を失って嘆き悲しまれているご遺族の存在に気づいたとき、教団や麻原のまやかしに気づくことができ、心を切り離すことができました。
 このような言い方は不遜ですが、私が今生でせめて人間らしい心を取り戻せたのは、亡くなられた高橋様、菱沼様のお陰だと思っております。
 この裁判で、私に対する被告人質問や弁護人宛ての手紙の取り調べなどに、十分な時間を割いていただき、私自身、もう裁判で言い残すことはないという気持ちです。この手紙は、私が知る限り、すべての事実を記すことで、オウムのこのような事件が二度と起きないようにと思って書いたものです。限られた時間のため、文章はまとまりがなく稚拙ですが、私なりに一生懸命書いたつもりです。私はこれを書くに当たり、あらかじめ何かを主張しようとしたのではありませんが、文章にすることで、これまで気がつかなかったことや、考えが及ばなかったようなことについてもじっくり考えることができました。
 麻原を除き、現在被告人となっているかつての仲間は、みんな真面目な出家修行者のつもりでしたが、多くの人を傷つけ殺したのだから、その事実を認め、素直に社会に対して謝罪すべきだと思います。
 オウムは、教団としても何をさておき被害者の方々や社会の皆さまに謝罪すべきだと思います。
 今なお、教団に残っている者、特に幹部の中には、さまざまな違法行為に参画していた人がいることを私自身知っています。そのほとんどが古参幹部ですが、自分自身を偽り、何も実態を知らない信徒をだまし、その人生を利用し、傷つけるのはやめてほしい。宗教人のつもりなら恥を知ってほしいと思います。
 前回の裁判の被告人質問の後、地下鉄サリン事件の被害者の方の手記集『それでも生きていく』を読みました。『アンダーグラウンド』とはまったく違う、別の意味で感じ入るところがあって、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
 ただ、被害者の方々の苦しみや痛みが分かる、などということ自体、加害者の傲慢さの表れのような気がしてなりませんし、また被害者の方には何も出来ない加害者の私が口を出すことではなく、身の程知らずと重々承知していますが、被害者の方々が国とか公の援助を受けられるようにと心から願わずにはいられません。
 私はこれからも与えられた限りの日々を、私どもの卑劣な行為によって亡くなられた方々のご冥福と、今もなお心と体に傷を負っておられる方の一日も早いご回復をお祈りさせていただきます。
 最後に、この世のすべての人々に心からお詫び申し上げます。

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〇補足
・麻原(松本)の「世間ではオウムの犯行と言われているようだが」という発言に対する解釈を、林郁夫は出すことができなかった。これは私たち第三者の問題である。わたしが知るかぎり、この発言はほとんど重要視されていないが、この発言は見逃せない。1995年3月20日の流れで、この発言が出る理由がみあたらない。本当に、どういうことだろう? いま、わたしが言えることは一つだけ、「逃がさん」。