京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

検証1-6 1995年3月18日~3月20日の麻原彰晃(松本智津夫)の動向――『オウム法廷』第6巻より

(以下、敬称略。原則として、名前はあいうえお順)

麻原彰晃松本智津夫)の動向、およびその根拠となる証言

1995年3月20日午前2時ころ、第六サティアン1階の麻原(松本)の部屋に、井上嘉浩が自作自演事件についての報告にきた。このとき麻原(松本)は、「なんでお前(井上)は勝手にうごくんだ」などと言った。少し後に村井秀夫が、さらにその後に遠藤誠一がきた。このとき麻原(松本)は「ジーヴァカ、この中に(サリンが)入ってるんだろ」などと言った。
(第6巻収録の証言には、この場面の時刻について書かれていない)
1998年3月19日、井上嘉浩、地下鉄サリン事件民事訴訟、井上嘉浩本人尋問、第6巻P141-142、P145-146



○引用
第6巻
P041

 唐突といえば、あまりに唐突だった。この日、公判終了間際、地下鉄・松本両サリン事件の訴因変更手続きで、被告人の意見を改めて求められた遠藤被告は、ごく簡単なメモを読み上げた。地下鉄サリン事件サリン製造について「(以前の)私の意見書で述べた、村井さん(秀夫元幹部)の指示とあるのを、村井さんと松本さんとの指示に変更します」。そう述べて被告席に戻った被告に、ふいを突かれた形の検察側が聞き返した。「念を押すようだが、松本さんと言ったのは、麻原彰晃こと松本智津夫のことですよね」。被告はそれに青白い顔で、こっくりと黙ってうなずいた。

P053-054

地下鉄サリン事件についての冒頭陳述変更部分】(【 】内の《 》の部分が変更した内容)
 2 被告人らの共謀状況等
 かかる状況から、被告人は、近く、警察の教団に対する大規模な強制捜査が実施されるという危機感を抱き、九五年三月十八日米明ころ、【《教団幹部の》とあるのを余東京都杉並区高円寺南三丁目所在の教団経営にかかる飲食店「識華」での》に変更】会合から帰途の車中で、村井および【《青山》とあるのを《井上》に変更】らに対し、警察の強制捜査の可能性につき意見を求めたところ、同人らは、強制捜査の可能性が高い旨意見を述べた。
 そこで、被告人は、首都中心部を大混乱に陥れるような無差別テロを敢行することにより右強制捜査の実施を事実上不可能にすることが、警察組織に打撃を与えることになる【《とともに、被告人の前記の特殊な教義にも合致する》とあるのを削除】と考え、松本サリン事件でその効果を実験済みであったサリンを地下鉄列車内で撒き、多数の乗客らを殺害することを決意し、村井に対し、「お前が総指揮でやれ」などと、本件犯行計画を具体化して実行するよう命じ、同人は、被告人の右命令を了解した。
 4 村井の部屋における犯行の謀議等
 一方、村井は、九五年三月十八日早朝ころ、第六サティアン三階の自室において、【《井上に対し、地下鉄内でサリンを撤くという本件犯行の実行者らを支援して右犯行を成功させるよう指示し、また、そのころ、同室において、》とあるのを削除】林泰男、広瀬、横山および林郁夫の四名に対し、警察の強制捜査の目先を変えるために、同月二十日の朝、東京都内の地下鉄の列車内にサリンを撒くことを指示し、林泰男らは、いずれもその実行意思を明らかにした。(中略)
 その際、村井らは、サリンをどのような容器に入れて地下鉄の列車内に持ち込んで撤くかという具体的な方法についても話し合ったが、それは決定するに至らず、【《同人がサリンを準備するまでの間、さらにそれを検討することになった》とあるのを、《さらにそれを検討することとし、また同人は、林泰男ら実行者に対して、東京へ向かうように指示した》に変更】
【《その後、村井は、》とあるのを、《また、被告人は、同月十九日の正午過ぎころ第六サティアンの自室において、村井に対し》に変更】各実行者を犯行現場まで自動車で送迎するなどの支援をする者として、【《自治省大臣の新実、同省次官の杉本、同北村、同外崎清隆および井上が大臣をしているCHS所属の高橋克也の五名を選定した上、実行者と運転者の組み合わせも決め、井上にそれを伝えるとともに、自らもしくは井上らを介して、実行者および運転者らに東京に行くよう指示した。》とあるのを、《新実のほか、自治省次官の北村、同杉本、同外崎清隆およびCHS所属の高橋克也の五名を充てること、そして各実行者と運転者との組み合わせについて指示した。これを受けて村井は、井上に対し、すでに東京へ向かっていた実行者らに対して、右組み合わせを伝えるように指示した。》に変更】(以下、被害者関係略)

P067-068

 なぜ事件に参画したか。林被告は、「断ったら制裁がある。恋人との仲がばれて、私は殺され、家族にも累が及ぶ。その思いが一番強かった」と説明した。これまでに登場した他の「実行犯」が、「麻原(松本智津夫被告)の指示は絶対」「ヴァジラヤーナの救済と信じた」と述べたのと、彼一人だけが違う。
 井上被告の弁護団は、林被告の捜査段階の調書の内容と、法廷での証言の食い違いを指摘し、その信憑性を崩そうとする作戦だったようだ。しかし、林被告の証言は揺るがなかった。「捜査段階では他の被告と記憶が違うと、検事さんに『反省していない』と怒られた。そう言われてしまうと調書に署名するしかなかった。調書の通りに話すのが反省になるならその通り話すが、裁判ではやはり記憶通り正直に話そうと思っている」

P141-142

地下鉄サリン事件民事訴訟 井上嘉浩被告本人尋問 1998年3月19日 東京地裁

 地下鉄サリン事件の前日、「教祖」松本智津夫麻原彰晃)被告に、「お前は動くな」と言われたのに、実行犯らを支援する行動をしたのはなぜか。事件の遺族らが起こした損害賠償請求訴訟で、そう聞かれたオウム真理教元幹部、井上嘉浩被告は、「僕は常に教団の犯罪行為の現場にいた人間です。自然と体が動いた」と、そのときの心境を語った。事件について、自分は実行のメンバーではなく、ただ指示を伝達しただけ、と述べてきた井上被告に、少し心境の変化があったのかどうか。「現場指揮者」の自負を述べた法廷で被告は、将来は自分の知ることのすべてを書いた本を出版してその印税を遺族らにささげたい、との希望を述べた。

P145-146

 ――三月二十日に指示に反している。動けば失敗すると言われたんですね。
「そういう言い方ではない。村井に任せろと言われたのであって、お前が動けば失敗するとは言われていない。正確に言うと、人間同時にやってもできないから、マンジュシュリー(村井秀夫元教団幹部の宗教名)に任せろ、と。松本智津夫氏としては、私が自作自演をしながらサリンに手を出したことを心配して、動くなと言ったのだと思う。(私が)現場において、様々な重要なポストにいたのは間違いないので、そういう関係で、そういう場に立ち会った(「実行犯」が出動した後のアジトにいたことを指す)のは事実です」
(以下略)

○補足
遠藤誠一の訴因変更手続きについては、第6巻の記述だけでは、自信のある説明ができないと判断し、「動向」の項目に入れなかった。
ほかにも、第6巻には、訴因変更という、あまり例のないことに関する資料が掲載されている(P53-54)。