京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

『カラマーゾフの兄弟』P166-171   (『ドストエーフスキイ全集』第13巻(1959年、米川正夫による翻訳、河出書房新社))

え? じゃ、あれに三ルーブリもたせて、肉入りパイを十ばかり紙に包んで届けさせておくれ。だからね、アリョーシャ、わたしが紳士《パン》たちに肉入りパイを持たせてやったって、あんたぜひミーチャに話してちょうだい。」
「どんなことがあったって話しゃしません」とアリョーシャはにっこり笑った。
「あら、あんたはあの人が苦しんでいるとでも思ってるの。だって、あれはあの人がわざとやいてるのよ、だから、あの人にとっては何でもありゃしないんだわ」とグルーシェンカは悲痛な声でそう言った。
「どうして『わざと』なんです?」とアリョーシャは訊いた。
「アリョーシャ、あんたも血のめぐりの悪い人ね。あんなに利口なくせに、このことばかりはちっともわからないとみえるわ。わたしね、あの人がわたしみたいなこんな女をやいたからって、それで気を悪くしてるんじゃなくてよ。もしあの人がちっともやかなかったら、それこそかえって癪だわ。わたしはそういう女なのよ。わたし、やかれたからって、腹なんか立てやしないわ、わたし自分でも気がきついから、ずいぶんやくんですもの。ただ、わたしの癪にさわるのはね、あの人がちっともわたしを愛していないくせに、『わざと』やいて見せるってことなのよ。わたしいくらぼんやりでも盲じゃないから、ちゃんとわかってるわ。あの人は今日だしぬけに、あのカーチカのことを話して聞かせるじゃありませんか。あれはこれこれしかじかの女で、おれの公判のために、おれを助けるためにモスクワから医者を呼んでくれただの、非常に学問のある一流の弁護士を呼んでくれただのって言うのよ。わたしの目の前でほめちぎるんですもの。ミーチャはあの女を愛してるんだわ、恥知らず! あの人こそわたしにすまないことをしてるのに、かえってわたしに言いがかりをこさえて、自分よりさきにこっちを悪者にしようとしてるのよ。『お前はおれよりまえにポーランド人と関係したんだから、おれだってカーチカと関係してもかまやしない』って、わたし一人に罪を着せようとするのよ。ええ、そうですとも! わたし一人に罪を着せようとしてるんだわ。わざと言いがかりをしてるんだわ、それに違いない。だけど、わたし……」グルーシェンカは、自分が何をするつもりか言いも終らぬうちに、ハンカチを目におしあてて、烈しくすすり泣きをはじめた。
「兄さんはカチェリーナさんを愛してやしません」とアリョーシャはきっぱり言った。
「まあ、愛してるか愛してないか、それは今にわたしが自分で突きとめるわ。」グルーシェンカはハンカチを目からのけて、もの凄い調子を声に響かせながらこう言った。
 彼女の顔は急にひんまがった。優しい、しとやかな、そして快活なその顔が、にわかに陰惨な毒々しげな相に変ったのを見て、アリョーシャは情けない気持になった。
「こんな馬鹿な話はもうたくさんだわ!」彼女は急にずばりと切り棄てるように言った。「わたし、こんなことであなたを呼んだんじゃないんですもの。ねえ、アリョーシャ、明日、明日はどうなるでしょう? わたし、それが苦になってたまらないのよ! わたしが一人だけで苦労してるのよ! 誰の顔を見ても、このことを考えてくれる人はまるでないんですもの、誰もみんな知らん顔してるんですもの。せめてあんただけは、このことを考えてくれるでしょう? あす公判じゃありませんか!ねえ、公判の結果はどうなるんでしょう? 聞かしてちょうだい。あれは下男がしたことだわ、下男が殺したんだわ、下男が! ああ、神様! あの人は下男の代りに裁判されるんです。誰もあの人の弁護をしてくれるものはないんでしょうか? だって、裁判所じゃ、一度もあの下男を調べてみなかったんでしょう、え?」
「あれは厳重に訊問されたんですが」とアリョーシャは沈んだ口調で言った。「犯人じゃないときまっちゃったんです。今あれはひどい病気にかかって寝ています。あの時から病気になったんですよ、あの癲癇のとき以来ね。本当に病気なんですよ」とアリョーシャは言いたした。
「ああ、どうしよう、じゃ、あの弁護士に会って、このことをじかに話して下さらない? ペテルブルグから三千ルーブリで呼ばれたんだそうじゃなくって。」
「それは、私たち三人で三千ルーブリ出したんです。私と、イヴァン兄さんと、カチェリーナさんとね。ですが、モスクワから医者を呼んだ二千ルーブリの費用は、カチェリーナさん一人で負担したんです、弁護士のフェチュコーヴィッチはもっと請求したかもしれないんですが、この事件がロシヤじゅうの大評判になったから、したがって、自分の名が新聞や雑誌でもてはやされるというので、フェチュコーヴィッチはむしろ名誉のために承諾したんです。なにしろ、この事件はひどく有名になってしまったもんですからね。私は昨日その人に会いました。」
「そして、どうして? その人に言ってくれて?」とグルーシェンカは気ぜわしげに叫んだ。
「その人はただ聞いただけで、何にも言いませんでした。もう確とした意見ができてると言っていましたが、しかし、私の言葉も参考にしようと約束しました。」
「参考も何もあるものですか! ああ、誰も彼もみんな詐欺師だ! みんながかりで、あの人を破滅さしてしまうんだ! だけど、お医者なんか、あのひとはなぜお医者なんか呼んだのかしら?」
「鑑定人としてですよ。兄は気ちがいで、発作にかられて無我夢中でやった、――とこういうことにしようっていうんです。」アリョーシャは静かに微笑した。「ところが、兄さんはそれを承知しないんでね。」
「ええ、そうよ、もしあの人が殺したとすれば、きっとそうだったのよ!」とグルーシェンカは叫んだ。「あの時、あの人はまったく気ちがいだったわ、しかも、それはわたしの、性わるなわたしのせいなのよ! だけど、やっぱりあの人が殺したんじゃない、あの人が殺したんじゃないわ! それだのに、町じゅうの者はみんな、あの人が殺したって言ってるんだからねえ。うちのフェーニャさえ、あの人が殺したことになってしまうような申し立てをしたんだもの。それに、店の者も、あの役人も、おまけに酒場の者まで、以前そういう話を聞いたなんて言うんだもの! みんな、みんなあの人をいじめようとして、あのことをわいわい言いふらすのよ。」
「どうも証拠がやたらにふえましたからね」とアリョーシャは気むずかしそうに言った。
「それに、グリゴーリイね、グリゴーリイ・ヴァシーリッチが、戸は開いてたなんて強情をはるのよ。自分でちゃんと見たって頑固に言いはって、とても言い負かされることじゃない、わたしさっそく駈けつけて、自分で談判してみたけれど、悪態までつくじゃないの!」
「そう、それが兄さんにとって、一ばん不利な証拠かもしれませんね」とアリョーシャは言った。
「それにね、ミーチャが気ちがいだと言えば、なるほど、あの人は今ほんとうに、そんなふうなのよ」と、グルーシェンカは何かとくべつ心配らしい、秘密めかしい様子をしてささやいた。「ねえ、アリョーシャ、もうとうからあなたに言おうと思ってたんだけど、わたし毎日あの人のところへ行って、いつもびっくりさせられるの、ねえ、あんたどう思って? あの人はこのごろ何か妙なことを言いだしたのよ。何かしきりに言うんだけど、わたしにゃちっともわからないの。あの人は何か大へん高尚なことを言ってるけれど、わたしが馬鹿だからわからないんだろう、とこうも考えてみるの。でも、だしぬけに、どこかの餓鬼のことなんか言いだして、『どうして餓鬼はこうみじめなんだろう? つまり、おれはこの餓鬼のためにシベリヤへ行くんだ。おれは誰も殺しはしないが、シベリヤへ行かなけりゃならない!』なんて言うのよ、一たいどうしたことでしょうね、餓鬼ってのは何でしょう、――わたしてんでわからないの。わたしこれを聞くと、ただもう泣いてしまったわ。あの人の話があんまり立派で、それに自分でも泣くんだもの、わたしも一緒に泣いちゃったわ。そしてね、あの人はだしぬけにわたしに接吻して、片手で十字を切ったりするの。何のことでしょうね、アリョーシャ、聞かしてちょうだい、『餓鬼』って一たい何でしょう?」
「なぜかラキーチンが、しじゅう兄さんのところへ行きだしたから……」アリョーシャは微笑した。「だけど……それはラキーチンのせいじゃあない。私はきのう兄さんのところへ行かなかったから、きょうは行きます。」
「いいえ、それはラキーチンのせいじゃないわ。それは弟さんのイヴァンが、あの人の心を掻き廻すんだわ。イヴァンさんがあの人のところへ行ってるから、それで……」と言いかけて、グルーシェンカは急に言葉を切った。
 アリョーシャはびっくりしたように、グルーシェンカを見つめた。
「え、行ってるんですって? ほんとにイヴァン兄さんがあそこへ行ったんですか? だって、ミーチャはイヴァンが一度も来ないって、自分で私にそう言いましたよ。」
「まあ……まあ、わたしどうしてこうなんだろう! つい口をすべらしちまって!」グルーシェンカは急に顔を真っ赤にし、どぎまぎしながらこう叫んだ。「ちょっと待ってちょうだい、アリョーシャ、だまってちょうだい、もう仕方がない、つい口をすべらせちゃったんだから、本当のことをすっかり言ってしまうわ。イヴァンさんはね、あの人のところへ二度も行ったのよ、一度は帰ってくるとすぐなの、――あの人はすぐモスクワから駈けつけたから、わたしがまだ床につく暇もないくらいだったわ。二度目に行ったのは、つい一週間まえなの。そして、ミーチャには、自分が来たことをアリョーシャに言っちゃいけない、決して誰にも言っちゃいけない、内証で来たんだから、誰にも言わないでくれって、固く口どめしたのよ。」
 アリョーシャは深いもの思いに沈みながら、じっとしていた。そして、しきりに何やら思い合せるのであった。彼はたしかに、グルーシェンカの話に驚かされたのである。
「イヴァンはミーチャのことなんか、私に一度も話をしないんです」と彼は静かに言いだした。「それに、全体この二カ月の間というもの、兄さんは私とろくに口をきかないんです。私が尋ねてゆくと、いつでもいやな顔をしてるんです。だから、もう三週間ばかり兄さんのとこへ行きません。ふむ……もしイヴァンが一週間前にミーチャのところへ行ったとすれば……実際この一週間以来、ミーチャの様子が何だか変ってきたようですね……」
「変ったわ、変ったわ!」とグルーシェンカはすぐに相槌を打った。「あの二人の間にはきっと秘密があるのよ、前からあったのよ! ミーチャもいつか、おれには秘密があるって、自分でそう言ったわ。それはね、ミーチャがじっと落ちついていられないような秘密なのよ、だって、以前は快活な人だったでしょう、――もっとも、今だって快活だけれど。でも、ミーチャがこういう工合に頭を振ったり、部屋の中を歩き廻ったり、右の指でこう顳顯の毛を引っ張ったりする時には、わたしちゃんとわかってるわ、あの人に何か心配なことがあるのよ……わたしちゃんとわかってるわ!………でなきゃ、あんな快活な人だったし、今日だってやはり快活そうだったけど!」
「でも、さっきはそう言ったじゃありませんか、兄さんがいらいらしてたって?」
「いらいらしてもいたけど、やはり快活だったわ。あの人はいつもいらいらしてるけど、それはほんのちょっとの間で、すぐ快活になるのよ。だけど、また急にいらいらしだすわ。ねえ、アリョーシャ、わたし本当にあの人には呆れてしまうのよ。つい目の前にあんな恐ろしいことが控えてるのに、あの人ったらよく思いきってつまらないことを、面白そうにきゃっきゃっ笑ってるじゃありませんか。まるで子供だわ。」
「ミーチャがイヴァンのことを、私に言わないでくれって口どめしたのは、そりゃ本当なんですか? 言わないでくれって、ほんとにそう言いましたか?」
「ほんとにそう言ったわ、――言わないでくれって。ミーチャは何より、一等あんたを怖がってるのよ。だから、きっと何か秘密があるんだわ。自分でもそう言ったわ、――秘密だって……ねえ、アリョーシャ、あの人たちにどんな秘密があるのか、一つ探って来て、わたしに聞かせてちょうだい。」グルーシェンカは、急に騒ぎたちながら頼んだ。「可哀そうなわたしが、どんな運命に呪われているのか、知らせてちょうだいな! 今日あんたを呼んだのは、そのためだったのよ。」
「あなたは、それを何か自分のことだと思ってるんですか? そうじゃありませんよ。もしそうなら、兄さんはあなたの前でそんなことを話しゃしません。」
「そうかしら? もしかしたら、あの人はわたしに話したかったんだけど、思いきって言えなかったのかもしれないわ。それで、ただ秘密があるとほのめかしただけで、どんな秘密か言わなかったのよ。」
「で、あなたはどう考えるんです?」
「どう考えるって? わたしの最後が来たんだ、とこう思いますわ。あの人たちが三人で、わたしをどんづまりに追いこんでるのよ。なぜって、カーチカってものがいるんですもの。これはみんなカーチカがしたことなんだ、カーチカから起ったことなんだわ。ミーチャがカーチカを、『これこれしかじか』だなんて褒めそやすのは、わたしがそんなふうでないのを当てこすっているんだわ。それはね、あの人がわたしをうっちゃろうという企らみを、前触れしてるんだわ。秘密ってこのことよ! 三人でぐるになって企らんでるんだわ、――ミーチャと、カーチカと、イヴァンの三人でね。アリョーシャ、わたしとうからあんたに訊きたいと思ってたのよ。あの人は一週間ほど前、突然わたしにこんなことを打ち明けるの、ほかでもない、イヴァンはカーチカに惚れてる、だから始終あの女のところへ行くんだって。これは本当のことでしょうか。あんたどう思って? 正直にひと思いにとどめを刺してちょうだい。」
「私は正直に言います。イヴァンはカチェリーナさんに惚れてやしませんよ、私はそう思います。」
「ほら、わたしもそう思ったのよ! あの人はわたしをだましたんだ、恥知らず! あの人が今わたしをやくのは、あとでわたしに言いがかりをつけるために違いない。本当にあの人は馬鹿だね、頭かくして尻かくさずだわ。あの人はそういう正直な人なんだから……だけど、今に見てるがいい、今に見てるがいい! 本当にあの人ったら、『お前、おれが殺したものと思ってるだろう』なんて、そんなことをわたしに言うのよ、わたしにさ。それはつまり、わたしを責めたわけよ! 勝手にするがいい! まあ、待ってるがいい、わたしは裁判であのカーチャをひどい目にあわせてやるんだから、わたしあそこでたった一こと、いいことを言ってやるから……いいえ、みんな洗いざらい言ってやるんだ!」こう言って、彼女はふたたび悲しげに泣きだした。
「グルーシェンカ、私はこれだけのことを確かに言い切ります」とアリョーシャは立ちあがりながら言った。「まず第一に、兄さんはあなたを愛してるってことです。あの人は世界じゅうの誰よかも[#「誰よかも」はママ]、一番あなたを愛しています。あなた一人だけを愛しています。これは私を信じてもらわなけりゃなりません。私にはわかってます。もうよくわかっています。第二に言うことは、兄さんの秘密をあばくのを望まないってことです。けれど、もし兄さんがきょう自分からそれを白状したら、私はそれをあなたに話す約束をしておいたと、正直にそう言います。そうしたら、今日すぐここへやって来て知らせます。しかし………その秘密というのは……どうも……カチェリーナさんなどとぜんぜん関係がなさそうですよ。それは何か別のことなんでしょう。きっとそうですよ。どうも……カチェリーナさんのことらしくない、私には何だかそう思われます。じゃ、ちょっと行って来ます!」
 アリョーシャは彼女の手を握った。グルーシェンカはやはり泣いていた。アリョーシャは、彼女が自分の慰めの言葉をあまり信じてはいないけれど、ただ悲しみを外へ吐き出しただけでも、だいぶ気分がよくなったらしいのを見てとった。彼はこのまま彼女と別れるのが、残り惜しかったが、しかし、まだたくさん用件を控えているので、急いでそこを出かけた。

   第二 病める足

 用件の第一は、ホフラコーヴァ夫人の家へ行くことだった。アリョーシャは、少しでも手早くそこの用件を片づけて、遅れぬようにミーチャを訪ねようと思い、道を急いだ。ホフラコーヴァ夫人はもう三週間から病気していた。一方の足が腫れたのである。夫人は床にこそつかないけれど、それでも昼間は華美な、しかし下品でない部屋着をまとって、化粧室の寝椅子の上になかば身を構えていた。アリョーシャも一度それと気がついて、無邪気な微笑を浮べたことだが、ホフラコーヴァ夫人は病人のくせに、かえってお洒落をするようになった。いろんな室内帽子を被ったり、蝶結びのリボンを飾りにつけたり、胸の開いた上衣をきたりしはじめたのである。アリョーシャは、夫人がこんなにお洒落をするわけを悟ったが、浮いた考えとしていつも追いのけるようにした。最近二カ月間、ホフラコーヴァ夫人を訪ねて来る客の中に、かの青年ペルホーチンが交っていたのである。アリョーシャはもう四日も来なかったので、家へはいるとすぐ、急いでリーザのところへ行こうとした。彼の用事というのは、つまりリーザの用だったからである。リーザはきのう彼のもとへ女中をよこして、『非常に重大な事情が起ったから』すぐに来てもらいたいと、折り入って頼んだ。それがある理由のために、アリョーシャの興味をそそったのである。けれど、女中がリーザの部屋へ知らせに行っている間に、ホフラコーヴァ夫人はもう誰からか、アリョーシャの来たことを知って、『ほんの一分間でいいから』自分のほうへ来てくれるようにと頼んだ。アリョーシャはまず母親の乞いをいれたほうがよかろうと思った。彼がリーザのそばにいる間じゅう、夫人は絶えず使いをよこすに相違ないからである。ホフラコーヴァ夫人は、とくにけばけばしい着物を着て、寝椅子に横になっていたが、非常に神経を興奮させているらしかった。彼女は歓喜の叫びをもって、アリョーシャを迎えた。
「まあ、長いこと長いこと、本当に長いこと会いませんでしたわね! まる一週間も、本当に何という……あら、そうじゃない、あなたはたった四日前、水曜日にいらっしゃいましたっけねえ。あなたはリーザを訪ねていらしたんでしょう。あなたったら、わたしに知られないように、ぬき足さし足であれのとこへ行こうと思ってらしたんでしょう。きっとそうに違いありませんわ。ねえ、可愛いアレクセイさん、あれがどのくらいわたしに心配をかけてるか、あなたはご存じないでしょう。だけど、これはあとで言いましょう。これは一ばん大切な話なんですけど、あとにしますわ。可愛いアレクセイさん、わたしうちのリーザのことを、すっかりあなたに打ち明けます。ゾシマ長老が亡くなられてからは、――神様、どうぞあの方の魂をお鎮め下さいまし!(彼女は十字を切った)――あの方が亡くなられてからというものは、わたしあなたを聖者のように思っていますのよ、新しいフロックが本当によくお似合いになるんですけれど。あなたはどこでそんな仕立屋をお見つけなすって?でも[#「?でも」はママ]、これは大切なことじゃありません、あとにしましょう。どうかね、わたしがときどきあなたをアリョーシャと呼ぶのを、許して下さいね。わたしはもうお婆さんですから、何を言ってもかまいませんわね」と彼女は色っぽくほお笑んだ[#「ほお笑んだ」はママ]。「けれど、これもやっぱりあとにしましょう、わたしにとって一ばん大事なのは、大事なことを忘れないことなんですの。どうぞ、わたしが少しでもよけいなことを喋りだしたら、あなたのほうから催促して下さい。『その大事なことというのは?』と訊いて下さいな。ああ、いま何が大事なことやら、どうしてわたし