京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

検証1-11 1995年3月18日~3月20日の麻原彰晃(松本智津夫)の動向――『オウム法廷』第11巻より

(以下、敬称略。原則として、名前はあいうえお順)

麻原彰晃松本智津夫)の動向、およびその根拠となる証言

1995年3月18日午前2時ころ、上九一色村へ帰るリムジンの中で、村井秀夫、井上嘉浩、遠藤誠一青山吉伸、I(教団幹部)と相談(いわゆる「リムジン謀議」)。
(第11巻収録の証言には、この場面の時刻について書かれていない)
(2人の被告は、謀議の内容について井上嘉浩の証言と異なる内容の証言をしている)
1999年7月8日?、青山吉伸青山吉伸第38回公判?、P029
1999年11月8日、青山吉伸への論告求刑公判、P89
2000年3月7日、I(教団法皇官房トップ)、土谷正実第74回公判、P255-257



○引用
第11巻
P029

 第九編『諜報省長官 井上嘉浩』(五三ページ参照)で紹介した井上嘉浩被告公判での地下鉄サリン事件「リムジン謀議」を中心とする証言を青山被告が拒絶したのは、その翌日のことだった。青山被告はその理由としてここでも、「(自分の話は)宗教的な悩み苦しみについて真剣に考えたことがない人が聞ける内容ではない」と証言をあくまで突っぱねるのだった。

P89

 地下鉄サリン事件の二日前、リムジンの中で行われたとされる事件の「謀議」に、被告が同席していた、と元教団幹部の井上嘉浩被告が述べていることについても、被告は結局自分の法廷でも他の被告の法廷でも、何も言わずに裁判を終えた。
 あのお辞儀は、いつも大事件のほんの少し外に身を置いて、スルリとそこを通り抜けてしまった教団「超エリート」の、一つの自負の姿勢なのだろうか。

P255-257

弁護人の解任〔土谷正実被告〕

 前年(一九九九年)七月、井上嘉浩被告の法廷に証人として出廷したとき、地下鉄サリン事件の二日前、事件について最初の「謀議」が行われたとされるリムジンに乗り合わせたことを認めたものの、その内容が聞こえなかったという奇妙な弁明をした、教団法皇官房の実質的トップだったI元信徒(第九編『諜報省長官 井上嘉浩』四一ページ以降参照)が再び証人として出廷したのは、中川智正被告が「ジフロの秘密」を明らかにしてから一週間後、教団のサリン製造の中心人物土谷正実被告の法廷だった。井上公判ではどこか自信がなさそうだったI元信徒は、その経験で自信を持ったのか、八カ月余たったこの日、証言に疑問を呈する検察官に大声を上げて反論してみせた。

土谷正実被告 第74回公判 教団法皇官房トップIの証言 2000年3月7日 東京地裁

 オウム真理教の「教祖」松本智津夫麻原彰晃)被告の参謀としてその後継者ともいわれ、地下鉄サリン事件の二日前、謀議が行われたといわれるリムジン車内にいながら、内容が聞こえず計画は知らなかった、と主張してきた教団「法皇官房」実質的トップのI元信徒は、元教団化学班トップ土谷正実被告の公判に弁護側証人として出廷し、その疑惑について聞く検察官に声を荒らげて反論してみせた。謀議の場にいた中でただ一人、他の事件を含めても一切の訴追を免れた元信徒は、もはや身の危険はない、と自信を持っているのだろう。
 証人が突然に大きな声を上げたのは、反対尋問した検察官が、教団の一連の事件についてまともに答えようとしない態度に、「証人はすべてを話しているように見えない」と述べたときだった。
「そのような前提で聞かれるのは心外です」と突然激高した証人は、検察官が「リムジン車内で地下鉄にサリンをまく話が出たでしょ」と弁護側の主尋問にもないことを聞くのに対し、「サリンという言葉は絶対に出ていない。そういう計画と気付くようなことは聞いていない」と絶対という言葉に力を込めて早口で答えた。
 反論しようとする検察官を制して、「しかも乗ってみられたらわかるが、(リムジンに搭載していた)空気清浄器がどれだけの音がするか。検事さんはそれを確かめられたんですか」と熱弁をふるうのを見て、検察官が思わず、「ますます怪しい」と口走ると、証人は「心外です」とまた大声を出した。
(略)

○補足
第11巻P94-102に供述調書が収録されている。
この調書を読んでいると、計画犯罪の計画性とは何か、という疑問がわいてくる。