京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

メモ025 憲法記念日に インターネット文化になにができるか?

電子書籍がひろまってから、約10年がたっている。
しかし、いろいろ復刊された本があるが、私が知るかぎり、個人(熱心な)の電子データのもちこみというのはないようだ。
朝日新聞は、『オウム法廷』全13巻の電子データのもちこみについて、ひきとり不可能の返信すらしていない。



もしかしたら、著者の降幡賢一氏に連絡すらしていないかもしれない。そんなはずはないのだが、もしそうだとしたら、社会人の最低限の信義に反している。もちろん、そんなことはあってはならない。
これは、朝日新聞社だけの問題ではない。2020年5月現在まで、実質的に、出版社が電子書籍化するかしないか、ということを判断する、読者は判断しなくていい、ということになっている。ウソだと思うならば、そういう例をもってきてほしい。
たとえば、この本だって、いつの間にか電子化されていた。一般読者にはほとんど何の連絡もなかったのである。

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そのことを、おかしいと思わないといけない。それを放置して、憲法だ、生存権だ、というのは、「表現の自由」(しかも限定されたそれ)だけしか論じられない社会運動と、どれほど違うというのか。そのような視点は究極的に、戦後日本列島のひとびとの営みの膨大な切り捨てにつながっている。切り捨てられたなかには、『サザエさん』の革新的部分もはいっているし、おそらく、『ドラえもん』もそうだ。こう書くと驚く人が多いだろう。その点も、わたしをイライラさせることの一つだ。