京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

『カラマーゾフの兄弟』P268-279   (『ドストエーフスキイ全集』第13巻(1959年、米川正夫による翻訳、河出書房新社))

 男連はむしろ検事と、有名なフェチュコーヴィッチとの論争に興味を惹かれていた。たとえフェチュコーヴィッチのような天才でも、こうした絶望的な手のつけようもない事件は、どうすることもできないだろうに、と驚異の念をいだきながら、彼の奮闘ぶりに一歩一歩緊張した注意を向けていた。けれど、フェチュコーヴィッチはみなにとって最後まで、すなわち彼が弁論にかかるまで、一個の謎であった。玄人筋の人々は、彼には独得のシステムがあるから、もう心の中で何かあるものを組立ててい[#「組立ててい」はママ]、確乎たる目的をもっていることと予想していた。けれど、その目的が何であるかは、誰しもほとんど推察することができなかった。が、とにかく、彼の信念と自信だけは一目して明瞭であった。それに、彼がこの土地へ来てから、まだ間もないのに、――やっと三日かそこいらにしかならないのに、十分事件の真相をつきとめ、『微細にそれを研究した』らしいのを見て、人々は非常な満足を感じた。例えば、あとでみんな愉快そうに話し合ったことであるが、彼は機敏にも、検事側の証人にうまく『かまをかけ』、できるだけ彼らをまごつかしたばかりか、ことに彼らの素行に関する世評に泥を塗った。したがって、彼らの申し立てにもけちをつけたわけである。けれど、人人の目には、彼がこんなことをするのは遊戯のためである、いわば法曹界の名誉のためである、つまり、単に弁護士の常習手段を忘れないためである、と思われた。なぜなら、こんな『泥塗り』などでは、何ら決定的な利益をももたらし得ないということを、みなよく知っていたからである。それに、察するところ、彼自身もまた別にある計画を用意していて、すなわち別な弁護の武器を隠していて、時機を計って突然それを持ち出すつもりらしかったから、その辺の消息をよく承知していたに違いない。が、さしむき今のところ、彼は自分の実力を意識しながら、戯れたり、ふざけたりしているような形であった。
 例えば、以前フョードルの従僕を勤めていて、『庭の戸が開いていた』という、きわめて重要な申し立てをしたグリゴーリイ訊問の時など、弁護士は自分の質問の番になると、ぐっとグリゴーリイの懐ろ深く食い込んで放さなかった。ここで言っておかなければならぬことは、グリゴーリイが法廷の荘厳にも、大勢の傍聴者の列にも、いっかな悪びれる色もなく、いくぶんものものしく思われるほど落ちつきはらった態度を持して、法廷へ入って来たことである。彼は、妻のマルファと二人きりで話でもしているように、綽々として余裕のある態度で申し立てをした。ただ、いつもよりいくらか丁寧なだけであった。彼をまごつかすことはとうていできなかった。まず検事は彼に向って、カラマーゾフの家庭の事情を、詳細に亘って長々と訊問した。そこに家庭内の光景が鮮やかに描き出された。その話しぶりから言っても、態度から言っても、なるほどこの証人は素直で公平らしかった。彼は深い敬意をもって故主のことを申し述べたが、それでも、ミーチャに対するフョードルの態度はよくなかった、大旦那の『子供たちに対する養育の仕方は間違っていた』と言った。『あの人は、あの子は、もしわしというものがいなかったら、虱に食いころされてしまったこってしょうよ。』ミーチャの幼年時代を物語りながら、彼はこうつけ加えた。『また父親の身でありながら、現在息子のものになっている母方の財産を横領したのも、よいことじゃありません。』フョードルが息子の財産を横領したというには、一たいどんな根拠があるのか、こういう検事の訊問に対して、グリゴーリイは不思議にも一こう根底のある返答をしなかったが、それでもやはり、息子の財産相続に関する計算が『不正』であった、フョードルはどうしても息子に『まだ幾千ルーブリかを払わなけりゃならなかった』のだと主張した。ついでに言っておくが、その後、検事はこの訊問を、――フョードル・パーヴロヴィッチが実際ミーチャに対して払うべきものを払わなかったかという質問を、とくにしつこく繰り返して、訊けるだけの証人に、ひとり残らず訊いた。アリョーシャやイヴァンさえも除外しなかった。けれど、誰からも的確な返答を得ることができなかった。誰も彼も単にその事実を肯定するだけで、いくぶんでもはっきりした証拠を提供するものは誰一人なかった。それからグリゴーリイは、ドミートリイが食堂へ躍り込んで、父親を殴打したあげく、もう一ど出直して殺してやるぞと、嚇して帰った時の光景を物語った時、一種陰惨な空気が法廷に充ち渡った。それはこの老僕の落ちついて無駄のない、一風変った言葉で物語ったのが、かえって非常な雄弁となったからである。ミーチャがそのとき自分を突き椡したり、顔を殴ったりして侮辱したことについては、今はもうべつだん怒っていない、とっくに赦していると言った。死んだスメルジャコフのことを訊かれた時、彼は十字を切りながら、あれはなかなか器用な若い者だったが、馬鹿で病気に打ちのめされて、そのうえ不信心者であった。この不信心を教えたのはフョードルと、その長男だと申し立てた。ところで、スメルジャコフの正直なことは熱心に主張して、スメルジャコフがあるとき主人の紛失した金を見つけ出したが、それを隠そうともしないで、すぐ主人に渡したので、主人はその褒美に『金貨を与えて』、このとき以来、何事によらず彼を信用するようになった、と言った。庭から入る戸口が開いていたことは、彼はあくまで、頑固に主張した。が、彼に対する訊問はあまり多かったので、筆者は今すっかり思い出すことができない。
 最後に弁護士が訊問する番になった。彼はまず、フョードルが『ある婦人』のために三千ルーブルの金を隠したとかいう、例の封筒のことを調べにかかった。『君は自分でその封筒を見ましたか、――君はあれほど長い間、ご主人のそばについていたじゃありませんか』と問うた。グリゴーリイは、そんなものを見もしなければ、また『今度みんなが騒ぎだすまで』誰からも聞きもしなかったと答えた。フェチュコーヴィッチはまたこの封筒のことを、訊き得るだけの証人に残らず訊いた。そのしつこさは、ちょうど検事が財産分配のことを訊いたのと同じくらいであった。けれど、やはり誰からも、その封筒の話はよく聞きはしたが見たことはない、という返答しか得られなかった。弁護士がとくにこの訊問に執拗なことは、最初からすべての人が気づいていた。
「ところで、恐縮ですが、も一つ訊かしてもらえませんか」とフェチュコーヴィッチはだしぬけに訊いた。「予審での申し立てによると、君はあの晩寝る前に、腰の痛みを癒そうと思って、バルサム、すなわち煎薬をお用いになったそうですが、その薬は何を調合したものですか?」
 グリゴーリイは鈍い目つきで訊問者を見つめていたが、ややしばらく沈黙の後こう言った。
「サルヒヤを入れました。」
「サルヒヤだけでしたか? まだほかに何か思い出せませんか?」
「おおばこもありました。」
「胡椒も入ってたでしょう?」とフェチュコーヴィッチは、ちょっと好奇心を起してみた。
「胡椒も入っとりました。」
「まあ、そういったふうなものなんでしょう。で、それがみんなウォートカに漬けてあったのでしょう?」
「アルコールです。」
 傍聴席でくすくすという笑い声が微かに聞えた。
「それごらんなさい、ウォートカどころじゃない、アルコールさえ使ってるじゃありませんか。君はそれを背中に塗って、それから、おつれあいだけしか知らない、ある有難い呪文と一緒に、残りを飲んでしまったのでしょう、そうでしょう?」
「飲みました。」
「およそどのくらい飲んだのです? およそのところ? 盃に一杯ですか、二杯ですか?」
「コップ一杯くらいもありましたろう。」
「コップ一杯! 一杯半もあったかもしれませんね?」
 グリゴーリイは返事をしなかった。彼は何やら合点したらしかった。
「コップ一杯半のアルコールと言えば、――なかなか悪くありませんね。あなたはどう思います? 庭から入る戸口どころじゃない、『天国の戸が開いている』のさえ見えるでしょうよ?」
 グリゴーリイはやはり黙っていた。法廷にはまたくすくす笑う声が起った。裁判長はちょっと身動きした。
「ねえ、どうでしょう」とフェチュコーヴィッチはさらに深く食い込んだ。「君は庭から入る戸が開いているのを見た時、自分が眠っていたかどうか、はっきり憶えておられんでしょうな?」
「ちゃんと立っていましたよ。」
「それだけでは、眠っていなかった証拠にはなりませんよ(傍聴席にはふたたび盗み笑いが起った)。その時、もし誰かが君に何か訊いたとしたら、例えば、今年は何年かと訊いたとしたら、君はそれに答えることができたと思いますか?」
「それはわかりません?」
「では、今年は紀元何年ですか、キリスト降誕後何年ですか?ご存じですか?」
 グリゴーリイは、自分を苦しめる相手をじっと見つめながら、戸迷いしたような顔をして立っていた。彼は実際、今年が何年であるか知らないらしかった。それはちっと奇妙に感じられた。
「だが、君の手に指が幾本あるか、それは知っているでしょうね?」
「どうせわしは人に使われてる身分ですからね、」グリゴーリイは突然、大きな声で、一句一句切りながらこう言った。「もしお上がわしをからかおうとなさるのなら、わしはじっとこらえとるより仕方がござりません。」
 フェチュコーヴィッチはいくぶんたじろいだ様子であったが、そのとき裁判長が口を挾んで、もっとこの場合に適当した訊問をしてもらいたい、と弁護士に注意した。フェチュコーヴイッチはこれを聞くと、威厳を失わないように頭を下げて、自分の訊問は終ったと告げた。むろん、傍聴者や陪審員の間には、薬の加減で『天国の戸を見た』のかもしれないおそれがある上に、今年がキリスト降誕後何年であるか、それさえ知らないような人間の申し立てに対して、一脈の疑念が忍び込んだ。つまり、弁護士はともあれ自分の目的を達したわけである。が、グリゴーリイの退廷前に、もう一つの挿話が生じた。ほかでもない、裁判長が被告に向って、以上の申し立てについて、何か言い分はないかと訊いたとき、
「戸のことのほかは、みなあれの言ったとおりです」とミーチャは大声に叫んだ。「私の虱を取ってくれたことは、お礼を言います。殴ったのを赦してくれたこともお礼を言います。あの爺さんは一生涯正直でした。親父に対してはむく犬七百匹ほど忠実でした。」
「被告、言葉をつつしまなくてはなりませんぞ」と裁判長は厳めしく注意した。
「わしはむく犬じゃありませんよ」とグリゴーリイも言った。
「では、私がそのむく犬です、私です!」とミーチャは叫んだ。「もしそれが失敬なら、むく犬の名は自分で引き受けます。そして、あれには謝っておきます。私は獣だったから、あれにも残酷なことをしました! イソップにも残酷なことをしました。」
「イソップとは?」また裁判長は厳めしく訊いた。
「あのピエロです……親父です、フョードル・パーヴロヴィッチです。」
 裁判長はまたまた厳めしい語調で、言葉づかいに注意しなければいけないと、ミーチャにさとした。
「そんなことを言うと、君自身のためになりませんぞ。」
 弁護士は証人ラキーチンの訊問においても、同様の手腕を示した。ちょっと断わっておくが、ラキーチンは有力な証人の一人で、検事も彼に重きをおいていたことは疑いを容れない。彼はすべてのことを知っていた。驚くほどさまざまなことを知っていた。彼は誰の家にでも出入りして、何もかも見ていた、誰とでも話をしていた。フョードル・パーヴロヴィッチをはじめ、カラマーゾフ一家の経歴をも詳しく知っていた。もっとも、三千ルーブリ入りの包みのことは、ミーチャから聞いて知っているだけであったが、その代り、『都』という酒場におけるミーチャのとっぴな行動、すなわち彼を不利におとしいれるような言葉や動作を、詳しく述べたてたうえ、二等大尉スネギリョフの『糸瓜』事件をも物語った。しかし、財産配当について、フョードルがミーチャにいくらか借金していたか、どうかという特別な点については、ラキーチンもやはり何一つ申し立てることができず、ただ軽蔑するような語調で、『あの手合いのいい悪いを、誰が決めることができるものですか。あんなカラマーゾフ一流の混沌の中では、誰だって自分の位置を悟ることも、決めることもできやしませんよ。したがって、誰が誰に借りがあるかなんて、そんなことはとても計算できやしません』と、概論めいたことでごまかしたにすぎなかった。彼はまたこの悲劇の全体を農奴制度、および適当な制度の欠乏に苦しんで無秩序に沈湎《ちんめん》しているロシヤのさまざまな旧習の所産であると論じた。こうして、彼は滔々数千言を連ねた。この時はじめて、ラキーチン氏は自己を世に紹介して、多くの人に認められるようになったのである。検事は、証人ラキーチンがこの犯罪に関する一論文を、雑誌に発表しようとしていることを知っていたので、論告の際に(それはあとで書く)この論文中の一節を引用したほどである。つまり、前からこの論文を読んでいたわけである。ラキーチンが描き出した運命的に陰惨な光景は、十分つよく『有罪』を証明していた。全体としてラキーチンの叙述は、その思想が独創的、かつきわめて潔白高邁なために、すっかり傍聴者を魅了したのである。彼が農奴制度や、無秩序に苦しんでいるロシヤのことなど述べた時は、思わず二三の拍手さえ起った。けれど、なにしろまだ年が若いので、ラキーチンはちょっと失言をしてしまった。フェチュコーヴィッチは、すかさずそこにつけ込んだのである。ほかでもない、グルーシェンカについてある訊問に答える際、自分の答弁の成功と(彼はむろんそれを自覚していた)、高翔した気分につり込まれたラキーチンは、いくぶん彼女を軽蔑して、つい『商人サムソノフの囲い者』と言ってしまった。彼はその後、自分の失言を取り消すために、どれほど高価な代償をも惜しまなかったに相違ない。いかにフェチュコーヴィッチでも、こんな短時日の間にこうまで詳細に事件の裏面を探りつくしていようとは、ラキーチンといえども思いがけないことだったからである。
「ちょっとお訊ねしますが」と弁護士は訊問の番が廻って来ると、非常に愛想のいい、しかも慇懃な微笑を浮べながら言った。「むろんあなたは、地方教会本部で発行した『逝けるゾシマ長老の生涯』という小冊子の著者ラキーチン君でしょうね。私はあの深遠な宗教的思想に充ち渡って、高僧に対する気高い敬虔の念の溢れたご高著を、最近、非常な満足をもって読了しました。」
「あの書物は出版するつもりで書いたのじゃないんですが……とうとう印刷されてしまったので。」突然、何だか毒気を抜かれたような、ほとんど恥しそうな様子をしながら、ラキーチンはこう言った。
「いや、あれは立派な書物です! あなたのような思想家は、きわめて広い社会の、あらゆる現象を取り扱うことができますし、また取り扱わなければならないのです。長老猊下のご庇護によって、あの有益な著述は広く読まれて、また相当の利益をもたらしたことと思います……が、それよりも、一つあなたにお訊ねしてみたいと思うことがあるのです。あなたはたった今、スヴェートロヴァさんと大そう親密な間柄のようにおっしゃいましたね?」(Nota bene. グルーシェンカの姓は『スヴェートロヴァ』であることがわかった。筆者《わたし》はそれをこの日はじめて審理の進行中に知ったのである。)
「僕は自分の知人のすべてに責任を負うわけにゆきません……僕はまだ若いんですから……誰だって自分の会った人のことで、一々責任を負えるものじゃありませんからね。」ラキーチンは、いきなりかっとなった。
「わかっています、よくわかっています!」フェチュコーヴィッチは、何だか自分のほうでばつがわるくなって、大急ぎで謝罪しようとするように、こう叫んだ。「あの婦人は、当地の青年の粋ともいうべき人たちに、平素好んで接していたのですから、あなたもほかの人たちと同じように、ああいう若い美しい婦人と近づきになることに、興味をお持ちになったって、あえて不思議はないはずです。けれど……たった一つ確かめたいことがあるのです。われわれの聞くところによると、スヴェートロヴァは、二カ月まえに、カラマーゾフの末弟アレクセイ・フョードロヴィッチと知合いになることを熱望して、当時まだ修道院の服を着ていた彼を、そのまま自分の家へ案内してくれとあなたに依頼して、連れて来次第、すぐ二十五ルーブリの礼金を贈るという約束をしたそうですね。聞くところによると、その約束が取り結ばれたのは、ちょうどこの事件の基礎になっている悲劇の突発した夜だったそうですが、あなたは実際アレクセイ・カラマーゾフをスヴェートロヴァさんの家へ案内して、――そして、そのとき約束の案内料を、スヴェートロヴァから受け取られたそうですね? 私が訊きたいのは、つまりこれなんです。」
「そりゃ冗談ですよ……なぜあなたがこんなことに興味をおもちになるのか、僕にはその理由がわかりません。僕は冗談半分に受け取ったんです……あとで返すつもりで……」
「じゃ、受け取ったんですね。ですが、まだ今日までその金を返さないじゃありませんか……それとも、お返しになりましたか?」
「それはつまらないことですよ……」とラキーチンは呟いた。「僕はそういうお訊ねに答えるわけにゆきません……僕はむろん返します……」
 裁判長は口を挾んだが、このとき弁護士は、ラキーチン氏に対する訊問は終了したと告げた。ラキーチン君はいくらか名誉を穢されて、舞台をしりぞいた。彼の高邁な演説の印象は、少からず傷つけられたのである。フェチュコーヴィッチは、彼を目送しながら、聴衆に向って、『諸君の高潔なる弾劾者は、まあ、こんなものですよ』とでも言うようなふうつきであった。筆者の記憶するところでは、このときミーチャは、またもや一場の挿話なしではすまされなかった。グルーシェンカに対するラキーチンの口吻に激昂させられたミーチャは、とつぜん自分の席から『ベルナール』と叫んだ。ラキーチンの審問がすんで、裁判長が被告に向って、何か言うことはないかと訊いた時、ミーチャは声高に叫んだ。
「あいつめ、もうちゃんとおれから、被告のおれから金を借りて行きやがった! 軽蔑すべきベルナールめ! 策士め、あいつ神様を信じてないんだ。あいつは長老をだましやがったんだ!」
 むろんミーチャはまた乱暴な言葉づかいを注意された。しかし、ラキーチン氏はすっかり面目玉を潰してしまった。二等大尉スネギリョフの証明も不運に終った。が、それはぜんぜん別な理由のためであった。彼はぼろぼろの汚い服をまとい、泥まみれの靴をはいて、法廷へ現われた。そして、前からいろいろ注意され、『検査』されていたにもかかわらず、意外にもすっかり酔っ払っていたのである。ミーチャに加えられた侮辱を訊問された時、彼はとつぜん返答をこばんだ。
「あんな人たちなんかどうでもよろしゅうがすよ。わたくしは、イリューシェチカから止められていますので。神様があの世で償いをして下さるでしょう。」
「誰があなたに口止めしたのです? あなたは誰のことを言っているのです?」
「イリューシェチカです、わたくしの息子です。『お父さん、あいつは、お父さんをひどい目にあわしたのね!』と石のそばで言いましたよ。あの子はいま死にかかっています……」
 二等大尉は急に声を上げて泣きだしたかと思うと、裁判長の足もとにがばと身を投げた。彼は傍聴人の笑いに送られながら、すぐさま廷外に連れ出された。で、検事が傍聴人に与えようと企てた感銘は、まったくものにならなかった。
 しかし、弁護士は相変らずさまざまの方法を用いながら、事件を細かい点まで知悉していることによって、ますます傍聴人を驚かした。例えば、トリーフォン・ボリーソヴィッチの申し立てなどは、強い印象を与えて、もちろんミーチャにはなはだしい不利益をもたらした。彼はほとんど指折り数えるばかりにして、ミーチャが兇行の一カ月ばかりまえ、はじめてモークロエヘ行ったときにつかった金は、三千ルーブリを下るはずがないと述べたてた。よし三千ルーブリ欠けたところで、それは『ほんの僅かですよ。ジプシイの女たちにだけでも、どのくらい撒き散らしたかわかりゃしませんや! 虱のたかった村の百姓どもにさえ、「五十コペイカ玉を往来へ投げつける」どころじゃない、内輪に見つもっても、二十五ルーブリずつもくれてやったんですからね。それより少かありませんでしたよ。それに、あのとき土地の者が、どのくらいあの人の金を盗んだやら! 一ど盜んで味をしめたものは、決してやめるこっちゃありません。あの人が自分で振り撒くんですもの、盗人《ぬすっと》のつかまりっこはありませんや! まったく、村のやつらは盗人です、人間らしい心なんかもってやしませんよ。それに、娘たち、土地の娘たちに、どれだけの金が渡ったことやら! あのとき以来、土地のやつらは金持になりましたよ、以前は素寒貧でしたがね。』こういうふうに、彼はミーチャの出費を一々列挙して、算盤ではじいて見せぬばかりに述べたてたので、ミーチャの消費した金額が千五百ルーブリで、残金は守り袋の中へ入れておいたという仮定は、どうしても成り立たなくなった。『わっしはこの目で見たんでございます。あの人が三千ルーブリの金を握ってるところを、この目でちゃんと見ましたんで、わっしどもに金の勘定ができなくて、何としましょう!』と、トリーフォンは極力『お上』の気に入ろうと努めながら、こう叫んだ。
 ところが、弁護士の審問に移った時、彼はほとんどトリーフォンの申し立てを弁駁しようともせず、とつぜん主題を変えて、馭者のチモフェイと百姓のアキームが、ミーチャの最初の遊蕩の時、すなわち捕縛の一カ月まえにモークロエで、ミーチャが酔っ払って落した百ルーブリの札を玄関の床から拾い上げ、それをトリーフォンに渡したところが、トリーフォンは二人に一ルーブリずつくれたという事実に転じた。そして、『ところで、どうです、あなたはその時、その百ルーブリをカラマーゾフ君に返しましたか、どうです?』と訊ねた。トリーフォンははじめ言葉を左右にして、事実を否認していたが、チモフェイとアキームとが訊問されるにおよんで、ついに百ルーブリひろったことを白状した。ただし、金はそのときドミートリイに返した、『潔白にあの人に手渡ししたのだが、あの人はそのとき酔っ払っていたので、ことによったら、思い出せないかもしれません』とつけ加えた。しかし、彼は二人の百姓が召喚されるまで、百ルーブリの発見を否定していたのだから、酔っ払ったミーチャに金を返したというその申し立ては、自然はなはだ疑わしいものとなった。こうして、検事側から出した最も危険な証人の一人は、やはりきわめてうさんな人間と見なされ、面目を失って退廷したのである。
 二人のポーランド人もやはり同様であった。彼らは傲然と堂堂たる態度で出廷した。そして、まず第一に自分たちが『君主に仕えていた』こと、『パン・ミーチャ』が二人の名誉を買うために、三千ルーブリの金を提供したこと、ミーチャが巨額の金を握っていたのを、自分の目でちゃんと見たこと、――などを大きな声で証明した。パン・ムッシャローヴィッチは、話の中にたびたびポーランド語を挾んだが、それが幸い裁判長や検事の目に、自分をえらい者のように映じさせているらしいのを見てとると、しまいにはすっかり勇気を振い起して、全部ポーランド語で喋りだした。しかし、フェチュコーヴィッチは彼らをも自分の網に入れてしまった。ふたたび喚問されたトリーフォンは、いろいろ言葉を濁そうとしたが、結局パン・ヴルブレーフスキイが、彼の出したカルタを自分の札とすり換えたことや、パン・ムッシャローヴィッチが胴元をしながら、札を一枚ぬき取ったことなどを、白状しないわけにゆかなかった。これは、カルガーノフも自分の申し立ての際に確証したので、二人の紳士《パン》は人々の嘲笑を浴びながら、すごすごと引き退った。
 その後もすべての危険な証人たちは、ほとんどみなこういう憂き目にあった。フェチュコーヴィッチは、彼ら一人一人の面皮を剥いで、すごすごと引き退らせることに成功した。裁判通や法律家連は感心して見とれながらも、ほとんど確定したとさえ言えるような、こうした大きな罪状に対して、それしきのことが何の役にたつかと不思議がった。なぜなら、また繰り返し念をおしておくが、人々はみんな一様に、ますます絶望的に証明されてゆく犯罪の絶対性を、否応なしに感じたからである。しかし、彼らはこの『偉大な魔術師』の自信ありげな態度によって、彼がある期待をいだきながら、落ちつきはらっているのを見てとった。『こうした人物』がわざわざペテルブルグから来る以上、手を空しゅうして帰るはずがないからである。

   第三 医学鑑定 一フントの胡桃

 医学鑑定も被告にとってあまり有利なものではなかった。それにまた(これはあとでわかったことだが)、フェチュコーヴィッチ自身も、あまりこの医学鑑定を当てにしていないようであった。もともとこの鑑定は、カチェリーナの希望によって、モスクワからわざわざ名医を呼び寄せたために、初めて成立したのであった。むろん、この鑑定のために、弁護が不利になるようなことは少しもなかった。いや、どうかすると、いくらか有利な点もあったのである。けれど、一方には医師の意見の齟齬から、多少滑稽なことがもちあがったりなどした。鑑定者は、モスクワから来たその名医と、土地の医師ヘルツェンシュトゥベと、若い医師のヴァルヴィンスキイであった。あとの二人は単に証人として、検事に召喚されて出廷した。最初に鑑定者として訊問されたのは、ヘルツェンシュトゥベであった。この医師は、禿げた胡麻塩頭に、中背で岩乗[#「岩乗」はママ]な骨格をした七十がらみの老人であった。彼はこの町で大へん人気があり、みなから尊敬されていた。心がけの立派な、性質の美しい、信心ぶかい人で、『ボヘミヤの兄弟』だか、『モラヴィヤの兄弟』(清教徒に類する分離派の一つ)だかであった、――しかし、筆者も確かなことはわからない。彼はもう長くこの町に住んでいて、常に威厳をもっておのれを持していた。彼は善良で同情ぶかい性質だったので、貧乏な患者や百姓たちをただで治療してやったり、わざわざ貧しいあばら屋へ見舞いに出かけて、薬代さえ恵んでやったりした。けれど、彼は騾馬のように、ばかばかしく強情であった。何か一たん、こうと考えつくと、てこでも動かすことはできなかった。ついでに言っておくが、モスクワから来た医師が、この町へ着いてから二三日たつかたたぬうちに、医師ヘルツェンシュトゥベの技倆について、非常に侮辱的な批評をあえてしたということは、ほとんど町ぜんたいに知れ渡っていた。それはこうである。モスクワの医師は、二十五ルーブリ以上の往診料を取ったにもかかわらず、町内のある人々は非常に彼の来着を喜んで、金を惜しまずに、争ってその診察を乞うた。これらの患者は、彼が来るまで、みなヘルツェンシュトゥベの診療を受けていたので、モスクワの医師は到るところで、彼の診療ぶりに無遠慮な批評を加えたのである。しまいには、患者のところへ行くとすぐいきなり、露骨に『誰があなたをこんな台なしにしたのです、ヘルツェンシュトゥベですか? へっ、へっ!』などと訊くようになった。むろん、ヘルツェンシュトゥベはこのことをすっかり知っていた。こういう状態で、三人の医師が審問を受けるために、かわるがわる出廷した。ヘルツェンシュトゥベは、『被告の心的能力が変態であることは自明の理です』と申し立てた。次に、彼は自分の意見を述べて(ここではそれをはぶく)、この変態性は、第一、過去における被告のさまざまな行為によって証明されるばかりでなく、今この瞬間にも歴然たるものがあると言いたした。今この瞬間とはどういうことか、その理由を説明するように要求せられた時、老医師は持ちまえの単純な性格から率直にこう述べた、――被告は先刻、法廷に入って来る際、『状況にふさわしくない、妙な様子をしていました。彼は兵隊のような歩き方をしながら、目をじっとまともに据えていました。ところが、本来、婦人たちの腰かけている左のほうを見なければならんはずなのです。なぜかと言えば、彼は非常な女性の憧憬家ですから、いま婦人たちがどんなふうに自分を見ているだろうと。必ず考えなけりゃならんはずですからな』と、老人は独得な語調でこう結論した。この際、ちょっとつけ加えておかなければならないことがある。彼は好んでロシヤ語を用いたが、しかしどういうわけか、その一句一句がドイツ流になってしまうのであった。が、決してそのために臆するようなことはなかった。彼は常に自分のロシヤ語を模範的なもの、すなわち『ロシヤ人の中でも最も優れた言葉』と考える弱点をもっていたからである。彼はロシヤの諺を引用するのが大好きで、しかもそのつど、ロシヤの諺は世界じゅうの諺の中で一ばん立派な、一ばん表情的なものだとつけ加えるのであった。もう一つ言っておくが、彼は話の中についうっかりして、ごく普通の言葉さえ忘れることがたびたびあった。よく知っている言葉でも、突然どわすれして出て来ないのであった。もっとも、ドイツ語で話をする時でも、やはりそういうことがしょっちゅうあった。そういう時、彼はまるで忘れた言葉を捉まえようとでもするように、いつも自分の顔の前で手を振った。そうなると、もうどんな人でも、そのど忘れした言葉を捜し出すまでは、彼に話をつづけさせることができなかった。被告が入廷する際、婦人たちのほうを見るべきはずであったという彼の申し立ては、傍聴席にふざけたような囁きを呼び起した。この土地の婦人たちはみなこの老医師を非常に愛して、彼が敬虔で潔白な独身者であり、女性を一だん高尚な理想的存在と見ていることを知っていたので、思いもよらぬこの申し立てをはなはだ奇異なものに感じたのである。
 自分の番が廻って審問された時、モスクワの医師は被告の精神状態を、『極度に』アブノーマルなものと見なす旨を、強くきっぱり断言した。彼は『感情発作《アフェクト》』と『偏執狂《マニヤ》』について、種々もっともらしい言葉を述べた後、蒐集した多くの材料によって、被告は捕縛の数日前から、すでに疑いなき病的affectにおちいっていたので、彼がもし実際兇行を演じたとすれば、たとえそれを意識していたにせよ、ほとんど不可抗的に行ったのである。すなわち、彼は自分を支配している病的な精神衝動と戦う力をぜんぜん欠如していたのである、と論断した、が、彼はaffect以外に、maniaをも認めた。彼の言葉にしたがうと、そのmaniaは純然たる狂気におちいることを、前もって予言していたのである。(Nota bene.筆者《わたし》は自己流の言葉で語っているが、実際、医師は非常に学術的な専門的な言葉で説明したのである。)『彼のすべての行動は常識と論理に反しています』と彼はつづけた。『私は自分の実見しないこと、すなわち犯罪そのもの、兇行そのものについては述べませんが、現に三日前、私と話をしている時でさえ、被告の目はじっと据っていて、そこに一種説明しがたいものが現われていました。彼は、ぜんぜん不必要な場合に笑ったり、絶えず不可解な興奮状態におちいったり、「ベルナール」とか、「倫理《エチカ》」とか、その他ぜんぜん必要のない、奇妙なことを口走ったりしました。』しかし、医師は被告のmaniaを認めるおもな理由として、つぎの点を挙げた。ほかでもない、彼が欺き取られたものと思い込んでいる三千ルーブリを口にするたびに、一種異常な興奮を示さないことがない、しかるに、その他の失敗や恥辱について語る時はいたって平静である。また最後に、彼は三千ルーブリのことにふれるたびに、必ず夢中になるほど激昂するが、しかし人々は彼の無欲淡泊を証明している、と述べた。『学識ある同輩の意見によれば、』終りに臨んでモスクワの医師は皮肉らしくこうつけ加えた。『被告が法廷へ入る際、婦人席のほうを見るべきであるにもかかわらず、そうせずに、正面を見ていたということでありますが、私はこれについて、ただこれだけ言っておきましょう、――そういう断案は滑稽であるばかりか、根本的に間違っています。なぜと言って、被告が自分の運命の決せられる法廷へ入る場合、あんなふうにじっと自分の正面を見るはずはない、それは実際この瞬間、彼が精神の常態を失っていた徴候であるという説には、私もまったく賛成しますが、それと同時に、むしろ被告が左側の婦人席のほうでなしに、かえって右側の弁護士のほうを物色すべきはずであったと断定します。なぜならば、彼はいま何よりも弁護士の援助に希望を繋いでいるからであります。この場合、彼の運命は、全然この人に左右されているのではありませんか。』
 医師は自分の意見を大胆かつ熱心に述べた。けれど、最後に訊問された医師ヴァルヴィンスキイの思いもよらぬ結論は、二人の博学な鑑定者の意見乖離に、独得な滑稽味を添えた。ヴァルヴィンスキイの意見によると、被告は今も以前も同じように、まったく通常の精神状態にあるとのことであった。もっとも、捕縛される前には実際、非常な神経的興奮状態におちいっているべきはずであったが、それはきわめて明瞭な多くの原因、すなわち嫉妬、憤怒、不断の泥酔状態などから生じたものと言うことができる。しかし、この神経的興奮状態は、いま論ぜられたような特別のaffectを毫も含んでいるはずがない。また被告が入廷の際、左を見なければならないとか、右を見なければならないとかいう問題については、彼の『貧弱な意見にしたがうと、』被告はその場合、実際の状況が示したように、必ず正面を見るのが当然である。なぜかと言うに、この際、彼の全運命を左右する裁判長や他の裁判官たちが、正面に腰かけていたからである。『ですから、彼が正面を見ながら入廷したということは、すなわちその瞬間、彼の精神状態がまったく普通であったことを証明するわけであります』と若い医師はいくぶん熱をおびた調子で、こう自分の『貧弱』な証明を結んだ。
「ドクトル、大出来!」とミーチャは自席から叫んだ。「まったくそのとおり!」
 むろんミーチャは制止された。けれど、若い医師の意見は、裁判官にも傍聴人にも最も決定的な影響を与えた。それはあとでわかったことだが、みんな彼の意見に同意だったからである。が、今度はすでに証人として訊問せられたヘルツェンシュトゥベが、まったく思いがけなく、ミーチャに有利な証言を与えた。この町の古い住人として、昔からカラマーゾフの家庭を知っていた彼は、有罪説を主張する側にとって、非常に興味のある幾つかの申し立てをした後、こう言いたした。
「けれど、この憫れな若者は、もっと比較にならぬほど立派な運命をうけてもよいはずだったのであります。なぜなら、この人は子供の時分にも、成人の後にも、立派な心をもっていたからであります。私はそれを知っています。だが、ロシヤの諺に、『知恵者が一人あるのはよい、けれど知恵者がもう一人客に来るとなおよい。なぜなら、その時は知恵が一つでなくて二つになるから」とこう言ってあります……」
「知恵は結構、しかし二人の知恵はなお結構でしょう」と、検事はもどかしそうに口を挾んだ。のろのろと長たらしい口調で話をして、聴き手の退屈には一こうおかまいなく、かえって馬鈴薯のような鈍いひとりよがりのドイツ式警句を過度に尊重する老人の習慣を、彼はもうずっと前から知っていたのである。老人は警句を吐くのが好きであった。
「ああ、さよう、さよう。私の言うのもそれと同じであります」と彼は頑固に引き取った。「一人の知恵は結構だが、しかし二人ならはるかに結構であります。けれど、この人のところへはほかの知恵が行かなかったので、この人は自分の知恵をそのまま使ってしまったのです……ところで、一たいあの人は自分の知恵をどこへ使ったのでしょう? ええと、どこだったか……私はちょっと、その言葉をどわすれしました。」自分の目の前で片手を振り廻しながら、彼はこう語りつづけた。「ああ、そうそうSpazieren.」
「遊蕩でしょう?」
「ええ、そうです、遊蕩です。だから、私もそう言っとるのであります。あの人の知恵は遊蕩に使われました。そして、とうとう深いところへはまり込んで、路を迷ってしまったのです。ですが、この人は恩義を感ずる情の深い青年でしたよ。ああ、私はこの人がまだこんな子供だった時分を、よく憶えておりますが、父親からまるで面倒を見てもらえないで、靴もはかずに、ボタンの一つしかつかないズボンをはいて、地べたを駈けずり廻っておりました……」
 この潔白な老人の声には、とつぜん感情的なしみじみした語調が響いた。フェチュコーヴィッチは何か予感したように、ぶるっと身ぶるいすると、すぐその話に吸い寄せられた。
「ああ、そうです、私もその時分はまだ若かったものです……私は……ええ、そうです、私はその時分四十五歳で、ちょうどこの町へ来たばかりでした。私はその時この子が可哀そうになりましてな、この子に一|斤《フント》買ってやってならんというわけがあろうかと、こう考えました……ええと、何を一フントだったかな。何といったか忘れてしまった……それは子供の大好きなものです、何だったかな……ええと、何だったかな……」と医師はまた手を振った。「それは木に生るもので、それを集めて子供らにやるものであります……」
「林檎ですか?」
「い、い、いーや! フント、フント。林檎は十、二十と数えるでしょう、フントとは言いません……いいや、何でもたくさんあるものですよ。みんな小さいもので、口の中に入れて、かりかりっと咬み割るものです!………」
「胡桃ですか?」
「ええ、そう、その胡桃です、だから私もそう言ってるのです。」医師は、すこしも言葉など忘れてはいなかったというように、落ちつきはらってこう言った。「私は一フントの胡桃をその子に持って行ってやりました。なぜなら、その子は一度も誰からも一フントの胡桃をもらったことがないのですからな。私が指を一本立てて、子供よ! Gott der Vater(父なる神)と言いますと、向うも笑いながらGott der Vaterと言いました。私がGott der Sohn(子なる神)と言いますと、子供は笑ってGott der Sohnと廻らぬ舌で言いました。私がGott der heilige Geist(聖霊なる神)と言うと、その子はやっぱり笑って、やっとどうにかGott der heilige Geistを繰り返しました。それで私は帰りました。三日目に私がそばを通りかかりますと、その子は大きな声で、『小父さん、Gott der Vater, Gott der Sohnと言いましたがGott der heilige Geistを忘れていましたので、教えてやりました。私はまたその子が可哀そうでたまりませんでした。が、その後、子供はよそへ連れて行かれて、それからついぞ見かけませんでした。そのうちに二十三年の月日がたちました。ある朝、もう白髪頭になってしまった私が、自分の書斎に坐っておりますと、突然ひとりの血気さかんな若者が入ってまいりました。私はそれが誰なのか、どうしてもわからなかったのですが、その界は指を上げて笑いながらGott der Vater, Gott der Sohn und Gott der heilige geist. 僕は今この町へ帰るとすぐ、一フントの胡桃のお礼にまいりました。あの時分たれ一人[#「たれ一人」はママ]僕に一フントの胡桃をくれるものもなかったのに、あなただけは、一フントの胡桃を下すったのです』とこう言いました。そのとき私は、自分の幸福な若い時代と、靴もはかずに外を駈けずり廻っていた不幸な子供を思いだしました。すると、私の心臓ほどきっとしました。私はこう言いました、――お前さんは恩義を忘れぬ青年だ、お前さんは子供の時分にわしが持って行ってやった、一フントの胡桃を憶えていたのか、こう言って私は、この人を抱いて祝福しました。私は泣きだしました。この人も泣きながら笑いました……ロシヤ人は泣かなければならぬ場合に、よく笑うものであります。とにかくこの人は泣きました。それは私が見ました。ところが、今は、ああ!………」
「今だって泣いています、ドイツ人さん、今だって泣いていますよ。あなたは神様のような人です!」と急にミーチャは自分