京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

検証1-13 1995年3月18日~3月20日の麻原彰晃(松本智津夫)の動向――『オウム法廷』第13巻より

(以下、敬称略。原則として、名前はあいうえお順)

麻原彰晃松本智津夫)の動向、およびその根拠となる証言

1995年3月19日夜(不純物をふくんだサリンが生成された後)、第六サティアンの麻原(松井)の部屋に遠藤誠一が報告に来た。そのとき、麻原(松本)は「「いいよ、それで」と言って、サリンを分留せず、混合液の状態のままで本件犯行に使用することを了承した。」
(第13巻収録の証言には、この場面の時刻について書かれていない)
2002年11月15日、中川智正中川智正第104回公判被告人質問、P135-137


麻原彰晃松本智津夫)地裁判決、P627-644
以下の判決文の「ⅩⅢ 地下鉄サリン事件」に、全文が掲載されている。
松本智津夫被告 法廷詳報告 林郁夫被告公判



○引用
第13巻
P135-137

「当時、はっきりわかっていなかったが、今は、麻原氏に報告し、分留するかの相談に行ったとわかっています。当時、報告に行っているのかなというくらいのことはわかっていたと思う」
 ――土谷さんの調書では、たしか中川さんがジエチルアニリンを除くことが出来るかと尋ねてきた。分溜すれば除けます、というと、どのくらいかというので、一日ぐらい見た方がいい、と答えたとある。このことはあったか。
「それはなかったです。それは十九日明け方に土谷君から聞かされた話に似ているが、十九日夜になって、ジエチルアニリンを除くにはどうしたらいいということを聞くことはない、と思います」
 ――なぜ土谷さんがこういうことを言うか、わかるか。
「十九日未明の段階で、土谷君から分溜すればサリンが出来る話は聞いています。おそらく、そのことを十九日夜の段階で遠藤さんから土谷君にそういう質問があったのではないか。そのことを混同していると思う。もともとサリンを取り出すには分溜をするという知識はあった。(九三年の最初の)サリン生成のころから知ってますので、私が聞く内容ではないと思うんですね。僕はそんなことは尋ねないと思う。わかりきっているので」
 ――遠藤さんが聞くのはありうるか。
「教科書的知識は遠藤さんの方が上なので、そういうことを確認してもおかしくない」
 ――遠藤さんと土谷さんの間で分溜の話が出たかは知っているか。
「知りませんでした」
 ――遠藤さんの調書に、村井さんや麻原さんに完成を報告して分溜しなくていいと麻原さんから許可が出たとあるが、その話も中川さんは知らないか。
「知らない」
 ――中川さんはどう認識していたか。
「遠藤さんがどこかへ行ってしまい、ひょっとして報告にでも行っているのかな、と思いました。(その後で教団大阪支部への)強制捜査の話を聞いて、どうなるのかな、と思っていると、足音をどんどん踏みならして帰ってきて、袋詰めするぞ、と言われた。それが私の認識です」
 ――強制捜査が入ったと聞いて、どう思ったか。
「そのときは横にサリンが五リットルある。非常に不安になった。やめて逃げ出したくなった」
 ――その後は。
「その後、遠藤さんが足音響かせて急いで帰ってきて、サリンを袋詰めすると言ってきた」
(略)


P426

土谷正実被告弁護側最終弁論の要旨
(略)
(1)被告人は犯行後、犯行結果等について、誰かに報告したというようなこともないし、逆に報告を受けたようなこともない。
 地下鉄サリン事件のあと、いわゆる実行犯たちや遠藤、中川は麻原の部屋に呼ばれ、おはぎをふるまわれたり、マントラを唱えるようにと指示されたりしているが、被告人にはそのようなことはない。

○補足
まず、基本情報を集めた。見落としがあるかもしれないが、ほとんどの証言を収集できたと思う。
かなり疲れた。少し休みたい。次の更新は、5月24日にする。