京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

『カラマーゾフの兄弟』P304-315   (『ドストエーフスキイ全集』第13巻(1959年、米川正夫による翻訳、河出書房新社))

たことであります。つまり、もはやこれ以上要求しない、父親との遺産争いはこの六千ルーブリでけりをつける、とこういう意味の書面が残っています。そのとき彼は初めて、高尚な性格と立派な教養をもった、一人の年若い処女に出くわしたのです。ああ、私はここで詳しく繰り返すのをやめましょう。これはあなた方がただ今お聞きになったとおり、名誉と自己犠牲の問題ですから、私はもはやあえて言いますまい。浮薄で淫蕩ではあるが、しかし真の高潔と高遠な理想の前に跪いた若者の姿は、われわれの前に非常な同情の光をもって照らし出されたのであります。ところが、そのすぐあとで突然、同じこの法廷において、メダルの裏面が現われました。私はここでもまた推察を慎しんで、なぜそうなったかというような解剖はやめにします。この婦人は、長いあいだ隠していた忿懣の涙にくれながら、彼のほうがさきに相手を軽蔑したのであると述べました。つまり彼女の不注意な、抑制のない、とはいえ寛大、高潔な突発的行為のために、軽蔑したのであります。彼は、この処女の許婿たる彼は、誰よりも第一に嘲笑的な微笑をもらしました。彼女も男がもらしたこの微笑だけは、いかにしても忍ぶことができなかったのであります。男がもはや自分にそむいたことを知りながら、――女は将来どんなことでも、男の変心さえも忍ばねばならぬものだと信じて、そむいたことを知っていながら、彼女はわざと男に三千ルーブリの金を渡しました。そして、これは許婿の変心を助けるために渡すのであるということを、はっきりと、十分はっきりと男に悟らせたのであります。『どうです、受け取りますか、それほどあなたは恥知らずなのですか?』と彼女は試すような目つきで、無言の質問をしました。彼は相手の顔を見て、その肚の中をすっかり悟りながら(さっき彼自身あなた方の前で、ちゃんと悟っていたと申し立てました)、否応なくその金を着服して、新しい恋人と一緒に、僅か二日でつかいはたしてしまったのです。
「一たいわれわれはどちらを信じたものでしょう? 最初の伝説、――善行の前に跪いて最後の生活費を投げ出した高潔な心の衝動を信ずべきでしょうか、それとも、かの厭うべきメダルの裏面を信ずべきでしょうか? 人生において両極端に遭遇した場合、その中間に真理を求むるのが普通ですが、この場合は断じてそういうわけにゆきません。最初の場合にも、彼はしんから高潔であり、第二の場合にもしんから下劣であったというのが、最も正確なところでしょう。では、なぜか? われわれロシヤ人の性格が広汎だからです。カラマーゾフ式だからです、――つまり、私はこのことを言いたかったのです、――ロシヤ人の心は極端な矛盾を両立させることができ、二つの深淵を同時に見ることができるのです。われわれの上にある天上の深淵と、われわれの下にある最も下劣な、悪臭を放つ堕落の深淵とを、見ることができるのであります。カラマーゾフの一家を親しく深刻に見てきた若い観察者、すなわちラキーチン君の先刻のべられた立派な意見を、あなた方は記憶していられるでしょう。ラキーチン君は、『放縦不羈な性格を有する彼らにとっては、低劣な堕落の実感が、高尚で高潔な実感と同様に、必要欠くべからざるものである』と言われましたが、事実そうなのであります。まったく、彼らには絶えずこの不自然な混合が必要なのです。二つの深淵、同時に二つの深淵を窺う、――それがなければ、われわれは不幸、不満なのであります、われわれの生活は充実しないのであります。われわれは広汎です。母なるロシヤと同じように広汎です。われわれはさまざまなものを内部に共存させています。種々雑多なものと一緒に暮すことができます。
陪審員諸君、ついでながら言っておきます、われわれは今この三千ルーブリの問題にふれましたが、ここでちょっと一こと先廻りさせていただきたいと思います。考えてもごらんなさい。ああした性格の所有者たる彼が、ああいう羞恥、ああいう不名誉、ああいう極端な屈辱を忍んで、あの時あの金を受け取っておきながら、考えてもごらんなさい、その日のうちに三千ルーブリの半ばを割いて、守り袋の中に縫い込み、あらゆる誘惑や極度の欠乏と戦いながら、その後、一カ月間も頸にかけていたというのです! 方々の酒場で酔っ払っている時にも、競争者たる自分の父親の誘惑から恋人を救うために、ぜひなくてはならぬ金を、誰からという当てもなく借りようとして、町を飛び出した時にも、彼はあえてこの守り袋にさわろうとしなかったのであります。あんなに嫉妬していた老人の誘惑から、恋人を救い出すためだけでも、彼はその守り袋を開かなければならんはずだったのです。そして、恋人のそばを離れずにじっと張り番していて、彼女が最後に『わたしはあなたのものです』と言って、今の恐ろしい境遇から少しでも遠いところへ、二人で逃げて行くように頼む時を、待っていなければならなかったはずです。けれども、彼はそうしなかった。彼は自分の守り袋に手もつけなかったのです。そもそもどんな理由で手をつけなかったのでしょうか? 最初の理由なるものは、前にも言ったとおり、『わたしはあなたのものです、どこへでも連れて行って下さい』と言われた時、二人の逃走費に必要だということであります。しかし、この第一の理由は、被告自身の言葉によると、第二の理由のために力を失ってしまったのであります。『自分がこの金を持っている間は』と彼は言っています。『卑劣漢ではあっても泥棒ではない。』なぜかと言えば、いつでも自分の辱しめた女のところへ行って、だまし取った金の半分を突きつけたうえ、『さあ、このとおり、僕はお前の金を半分つかいはたした。これは僕が意志の弱い不道徳な人間だという証拠なんだ、もし何なら卑劣漢と言ってもいい(私は被告の言葉どおりに言います)。けれど、たとえ卑劣漢ではあっても、僕は決して泥棒じゃない。なぜなら、もし僕が泥棒なら、この残り半分をお前のとこへ持って来ないで、最初の半分と同じように、自分の懐ろへ入れてしまったはずだから。』こういつでも言えるからです、――なんと驚くべき説明ではありませんか! この非常に乱暴であると同時に、あんな屈辱を忍んでさえ、三千ルーブリの誘惑をしりぞけ得なかった弱い人間が、突然こんな堅固な克己心を発揮して、千ルーブリ余の金に手もつけず、頸にかけていたというのです! これが今われわれの解剖している性格と、多少なりとも一致するでしょうか? いや、本当のドミートリイ・カラマーゾフならば、よしんば事実、金を袋の中へ縫い込もうと決心したにしろ、そんな場合にどんなやり方をすべきであるか、今あなた方にお話ししましょう。まず第一の誘惑が生じた時、――つまり初め半分の金を捧げた新しい恋人を、またもやどうかして慰めねばならぬようなことが起った時、彼は自分の守り袋を開いて、その中から、――初めまず百ルーブリぐらい取り出したことでしょう、――なぜなら、必ず半分、すなわち千五百ルーブリ返さなければならんというわけはない、千四百ルーブリでもたくさんだからです。まったくどっちにしても結局、同じことになります。『僕は卑劣漢だが泥棒ではない。千四百ルーブリだけでも返しに来たからね。もしこれが泥棒なら、残らず取ってしまって、一文だって返すものか」という気持なのです。が、それからしばらくすると、また袋を開いて、二度目の百ルーブリを取り出す、次に三度め四度めを出すという工合で、わずか一カ月の終り頃には、とうとう最後の百ルーブリを残したきりで、みんな取り出してしまうでしょう。そして、この百ルーブリだけでも返しに行けばそれでいい、何といっても、『卑劣漢だけれど泥棒じゃない。二千九百ルーブリは費ったが、百ルーブリだけ返したからな。泥棒ならそれさえ返しゃしない』とこう言うでしょう。ところが、いよいよ一文なしになってしまうと、今度は最後の百ルーブリに目をつけて、『百ルーブリくらい持って行ったってしようがない、――いっそのこと、これも使っちまえ!』とひとりごちたでしょう。われわれの知っている本当のドミートリイ・カラマーゾフなら、こうするはずです。この守り袋云々という伝説は、想像することもできないくらい実際と矛盾しています。何だって仮定できないことはありませんが、こればかりは仕方のない話です。しかし、この問題はまたあとで論じることにしましょう。」
 イッポリートは父子間の財産あらそいについて、すでに当局の知り得たことを、順序ただしく述べた後、さらに若干の証拠をあげ、この遺産の分配問題について、誰が善くて誰が悪いなどと決めることは、断じて不可能であるという結論を下し、それから、ミーチャの頭に固定観念のようにこびりついていた三千ルーブリ問題に関して、医学鑑定の批評に移っていった。

   第七 犯罪の径路

「医師の鑑定は、被告が狂人であり偏執狂《マニヤ》であることを、われわれに証明しようと努力したようです。ところが、私は被告は確かに正気であると主張します。しかし、これがかえって何よりも悪いのであります。もし彼が狂人なら、おそらくもっと利口なやり方をしたことでしょう。被告がマニヤであるという説には、私も同意します。ただし、それはただ一つの点だけ、すなわち、父親から三千ルーブリの金を支払われなかったという、被告の見解なのであります。しかし、被告がこの三千ルーブリの問題について、常に狂憤を感じていた事実を説明するためには、彼が狂気におちいりやすい傾向をもっていたということよりも、はるかに適切な理由を発見することができると思います。私一個としては、若い医師のヴァルヴィンスキイ君の意見に、ぜんぜん賛成です。同氏が言われるには、被告は普通の完全な精神作用をもっていたし、また今でも持っている、ただ極度に憤激して、憎悪の念に駆られたのだ、とこういうことです。つまり、そこなのです。被告が常に自己を忘れるほど憤激していた理由は、三千ルーブリとか何とかいう金額にふくまれているのではありません。そこにはある特別の原因がひそんでいて、彼の憤怒をそそったのです。その原因とは、ほかでもありません、――嫉妬です!」
 ここでイッポリートは、グルーシェンカに対する被告の宿命的な情熱を、絵巻物でも展開するように描きだした。彼は被告が『若い女』のところへ出かけて、『彼女を殴り殺そうとした』――彼は被告の言葉を借りて説明した、――そもそもの初めから述べたてた。
『しかし、殴り殺す代りに、彼女の足もとにひれ伏してしまいました、これがこの恋愛の発端なのです。同時に被告の父親なる老人も、その女に色目を使っていました、――驚くべき宿命的な合致です。なぜかと言えば、二人とも前からこの女を見もし知りもしていたのに、ちょうど時を同じゅうして、とつぜん二つの心が燃えだし、抑えがたいカラマーゾフ一流の情熱に囚われたからであります。ところが、ついさきほど彼女自身『わたしは両方とも笑っていました』と自白したとおり、彼女は急に二人をからかってやりたくなったのです。最初はそうでもなかったのだが、突然そういう考えが彼女の頭に浮んだのです。で、結局、二人とも彼女の前に、敗北者としてひれ伏すことになりました。拝金宗の老人は、女が自分の住みかを訪ねてくればやると言って、すぐ三千ルーブリの金を準備しましたが、やがて、女が自分の正妻となることさえ承諾してくれれば、自分の名前も財産も、全部かの女の足もとに投げ出して、なお幸福に思うほど熱しました。これには確かな証拠のあることです。ところで、被告はどうかといえば、彼の悲劇は現にわれわれの目前にあります。しかし、それが若い女の『戯れ』だったのです。まどわしの女はこの不幸な若者に、いささかの希望すら与えなかったのであります。真の希望は、被告が自分を虐げる女の前に跪いて、競争者である父親の血に染まった両手をさし伸べた、かの最後の瞬間に、初めて与えられたのです。つまり、こういう状態で彼は捕縛されたのであります。『わたしも、わたしもあの人と一緒に懲役へやって下さい。わたしがあの人をこんなにしてしまったんです。わたしが誰よりも一ばん罪が深いんです!』被告が捕縛された瞬間、彼女は心底から悔悟してこう叫びました。この事件を叙述しようとした才能ある青年は、――すなわち、先刻すでに述べたラキーチン君は、――この女主人公の性格について、簡にして要を得た批評を下しました。『彼女は自分を誘惑して棄てた情人によって、あまりにはやい幻滅と、偽瞞と、堕落とを経験し、ついで貧困と、潔癖な家族の呪詛とを味わい、最後に、今でも彼女が恩人と崇めているある富裕な老人の保護を受けるようになった。彼女の若い心は、多くの善良なる要素をもっていたであろうが、しかし、すでに早くから憤怒をひそめていた。かようにして、資産を蓄積しようとする打算的な性格が形づくられた。かようにして、社会に対する冷笑と、復讐心とが形づくられたのである』とラキーチン君は言いました。こうした性格論を聞いてみれば、彼女が単にただいたずらのために、意地わるいいたずらのために、二人を嘲笑したことが首肯されます。それで、この一カ月間、希望のない愛に苦しみ、道徳的に堕落し、婚約の女を裏切り、名誉にかけて渡された他人の金を着服した被告は、なおそのうえ、不断の嫉妬のためにほとんど喪心し、狂乱せんばかりでした。しかも、その嫉妬の相手は誰か? ほかでもない、現在の父親なのであります! しかし何よりもたまらないのは、気ちがいじみた老人が、この三千ルーブリの金でもって、被告の情熱の対象たる女を、誘惑しようとしたことなのです。しかも、その金は被告が自分のもの、つまり、自分に譲られた母親の遺産だと思い込んで、父親を責めていた金なのであります。そうです、これは被告としてたえ得ないことです。その点には、私も同意します! こういう場合には、実際マニヤさえ起りかねません。問題は金ではない、忌わしい無恥な態度で、この金を利用し、彼の幸福を破壊しようとする点にあるのです!」
 次にイッポリートは、どうして被告が次第に親を殺そうと考えるようになったか? という問題に移り、事実によってそれを究明した。
「初め彼は、ただ到るところの酒場を吹聴して廻るばかりでした。まる一カ月のあいだ吹聴していました。ああ、彼はしじゅう大勢の人に取り巻かれて、どんなに非道な危険な考えでも一切見さかいなしに、この連中に話すのが好きなのです。他人と思想の交換をするのが好きなのであります。そして、なぜかわからないが、その連中から、すぐに十分の同感をもって、自分の言葉に答えるようにと要求します。自分の憂慮、不安に立ち入って同情し、相槌を打ち、自分の気持に逆らわないことを要求します。それでなければ、腹を立てて、酒場をぶち毀しそうなほど、乱暴を働くのです(ここで、二等大尉スネギリョフの逸話が述べられた)。この一カ月間、被告に逢って、その言うことを聞いたものは、これは単なる威嚇や怒号のみでない、こうした威嚇は、こうした無我夢中の場合、えて実行に移りがちなものだ、ということを感じたのであります(ここで検事は、僧院における家族の会合と、被告とアリョーシャの対話と、被告が食後、父親の家へ闖入して暴行を働いた時の見苦しい光景を物語った)。被告が前もって父親を殺してしまおうと、周到に計画していたなどとは、私も断言しようと思いません」と、イッポリートはつづけた。「しかし、この考えは幾度も被告の心をおそったのです。彼はこれを仔細に熟考したのであります、――それには事実もあがっています。証人もあります。彼自身の自白もあります。陪審員諸君、」こうイッポリートはつけ加えた。「実際、私は、被告があらかじめ、十分な意識をもって犯罪を計画していたものと認めることを、今日まで躊躇していました。被告はすでに前もって、たびたびあの兇行の瞬間を考察したが、それもただ考察して可能と認めただけで、まだ実行の時期も手段も決めていなかった、と私は確信していました。私は今日という今日まで、カチェリーナ・イヴァーノヴナが法廷に提出された、あの恐ろしい証拠を見るまで、迷いつづけていたのであります。諸君、あなた方もあの婦人が、『これは計画です、これは人殺しのプログラムです!』と叫んだのを、お聞きになったでしょう。彼女は、不幸な被告の悲しむべき『酔っ払い』の手紙を、こう名づけました。実際、この手紙はプログラムの意味を、予定計画の意味をもっています。この手紙は、犯罪の二昼夜まえに書かれたのです。それによって考えると、被告はその恐るべき計画を敢行する二昼夜まえに、もし父親が、翌日金をよこさなかったら、『イヴァンが立つやいなや、彼を殺して、赤いリボンで結んだ封筒の中に入っている』あの金を、枕の下から取り出そうと心に誓ったのです、それはもう今となったら、事実と認めるよりほかありません。どうです、『イヴァンが立つやいなや』というからには、もうすっかり熟考して、段取りもきまっていたわけではありませんか、――そして、結果はどうです、何もかも、書いたとおりに実行されたのであります! あらかじめ計画され、熟考されていたことは、もはや疑う余地がありません。犯罪は掠奪の目的で遂行されたに相違ありません。これは現に公言され、記録され、署名されたことなのです。被告も自分の署名を否認してはいません。あるいは、酔っ払って書いたのだ、と言う人があるかもしれません。しかし、それは毫も罪を軽減するものではありません。いな、むしろ正気で考えたことを、酔っ払って書いたのだとも言えます。正気の時に考えていなかったら、酔っ払った時に書きはしないでしょう。では、彼はなぜ自分の計画を到るところの酒場で吹聴したか? そういうことをあらかじめ計画[#「あらかじめ計画」に傍点]している人間なら、黙っておし隠しているはずだ、とこう言われるでしょう。ごもっともです。しかし、彼が吹聴したのは、まだそうした計画や予定ができていず、ただ希望や衝動だけあった時分のことです。それで、彼もあとになると、あまりそれを吹聴しないようになりました。この手紙が書かれた時、彼は料理屋の『都』でうんと酒を飲みましたが、いつもと違って口数も少く、ちょっと玉突きをしただけで、隅のほうに腰かけたまま、誰とも話をしませんでした。ただ当地のある番頭を追っ払ったくらいにすぎません。が、これとてもほとんど無意識にしたことで、例の喧嘩癖のためなのです。彼は酒場へ入ると、こういうことなしにはすまされないのであります。もっとも、最後の決心をすると同時に、被告はあまり町じゅう触れ廻りすぎたから、この計画を実行した時に、露顕と断罪のもとになりはしないかという心配が、当然念頭に浮ばなければならないはずです。けれど、もういかんとも仕方がない、吹聴した事実は取り消すわけにゆかない。まあ、前にも自分を救った僥倖が、また今度も救ってくれるだろう。諸君、彼は自分の星を頼みにしたのです! そのうえ、彼がさまざまな手段を講じて宿命的な瞬間を避けようとしたことや、血腥い結末を避けるために苦心惨憺したことは、私も認めなければなりません。『僕は明日、あらゆる人から三千ルーブリの金を借りるつもりだ』とこう彼は独得の口調で書いています。『が、もし人が貸してくれなければ、血を流すまでだ。』もう一度くり返して言いますが、彼は酔っ払って書いたとおりを、しらふで実行したのであります。」
 こう言ってイッポリートは、ミーチャが犯罪を避けるために金を手に入れようとして、いろいろ骨を折った顚末を詳しく述べた。彼はミーチャがサムソノフを訪ねたことや、レガーヴィのところへ旅行したことなど、いずれも証拠をあげて述べたてた。
「この旅行のために時計を売り払った彼は(しかし、金を千五百ルーブリも持っていたと言うのです、――怪しい、しごく怪しい!)町に残っている愛の対象が、自分の留守にフョードルのところへ行きはしないかという嫉妬の疑いに苦しめられながら、疲れ、飢え、冷笑されて、ついに町へ帰って来ました。さいわい、女はフョードルのところへは行っていなかったので、彼は自分で女をその保護者サムソノフの家へ送って行きました(不思議なことに、彼はサムソノフに対しては嫉妬をいだきません。これはこの事件中もっとも注意すべき心理的特点であります)。ついで彼は『裏庭』の見張所へ飛んで行きました。そこで彼は、スメルジャコフが癲癇を起し、も一人の召使が病気にかかっていることを知りました。邪魔はすべて取り除かれ、しかも彼は『合図』を知っているのであります、――何という誘惑! しかし、彼はなおも自分に反抗しました。彼は、当地に一時居住して、われわれ一同に尊敬されているホフラコーヴァ夫人のもとへ赴いたのであります。早くから彼の運命に同情していたこの夫人は、最も賢明な忠告を試みました。つまり、この放蕩と、醜い恋と、だらしない酒場めぐりと、こういう若い精力の浪費を棄てて、シベリヤの金鉱へ行ったほうがいい。『そこには、あなたの荒れ狂う力と、冒険に飢えているロマンチックな性格の、はけ口がありましょう』と言ったのであります。」
 イッポリートはこの会話の結末から、ひいて被告が突然グルーシェンカの偽り、すなわち彼女が全然サムソノフの家へ行かなかったことを知った瞬間を語り、彼女が自分を欺いて、今フョードルのもとへ走っていはせぬかと考えた時、神経に悩まされた嫉妬ぶかいミーチャが、不幸にもたちまち無我夢中になったことを述べて、最後にこの場合の恐るべき影響に注意しながら語を結んだ。
「もし女中が、彼に向って、恋人は『争う余地のないもとの男』と一緒にモークロエにいる、と言いさえすれば、決して何事も起らなかったでしょう。ところが、女中は恐ろしさに慌ててしまって、ただ何も知らないと誓うばかりだったのであります。その場で被告が女中を殺さなかったのは、いきなりまっしぐらに、裏切り女のあとを追って駈け出したからです。しかし、ここにご注意を煩わしたいことがあります。被告は夢中になって前後を忘れているにもかかわらず、それでもやはり、銅の杵を手に取ったのであります。なぜ銅の杵を取ったか? なぜほかの道具を取らなかったか? けれど、もし彼が一カ月間もこの計画を熟考し、その準備をしていたとすると、何かちょっとでも兇器らしいものが目に映ったら、すぐそれを兇器として掴むに相違ありません。また、この種のいかなる物件が兇器として用い得るかということは、もう一カ月以上も考え抜いたのであります。だからこそ、その銅の杵を一瞬にして否応なく兇器と認めたわけです。それゆえ、何といっても、彼がこの恐ろしい杵を取ったのは、無意識に、知らず識らずやったものとは考えられません。やがて、彼は父の家の庭に現われました、――障害ははない[#「障害ははない」はママ]、見つける者もない、夜はふけて真っ暗です。嫉妬の焙はひらひらと燃えあがりました。彼女はここにいるのだ、自分の競争者なる父に抱かれているのだ、ことによったら、いま自分を笑っているかも知れぬ、こういう疑いが起ると、もう息がつまりそうです。もはや今は疑いばかりではない、疑いどころか、だまされていたことは明白であります。彼女がそこに、その光の洩れている部屋に、あの衝立ての陰にいることは明瞭であります。その時、不幸なる被告は窓の側に忍び寄り、うやうやしく窓を覗き込み、おとなしく諦めをつけて、何か非道な恐ろしい間違いの起らないように、賢くも不幸を避けて、急いでそこを立ち去った、とこうわれわれに信じさせようとするのであります。しかし、われわれは被告の性格を知っています、この場合の彼の精神状態を理解しています。われわれはその状態を事実によって承知しています。そのうえ彼は、すぐにも戸を開けて家の中に入ることのできる合図を知っていたのではありませんか。」ここでイッポリートは、その『合図』のことから、スメルジャコフについて一言する必要を認め、彼が下手人ではないかという余興的嫌疑を十分に考究し、一挙にしてこの問題をきっぱり片づけるために、ちょっと論告を中断して、岐路に入った。これを試みた彼の態度が詳密をきわめているので、一同は彼がこの嫌疑に対して軽蔑の色を見せているにもかかわらず、やはり内心それに重大な意義を認めていることを悟った。

   第八 スメルジャコフ論

「第一、いかなる理由で、こうした嫌疑が現われたのでしょうか?」とまずイッポリートはこの質問から口をきった。「最初にスメルジャコフを下手人と叫んだのは、被告自身であって、捕縛される瞬間のことでした。しかし、彼は初めてそう叫んだ時から、今日この公判の時にいたるまで、スメルジャコフの犯罪を証明するような事実を、一つとして挙げ得ませんでした。いな、事実ばかりか、単に常識判断で首肯し得るような事実の暗示さえも、全然あたえ得なかったのであります。そのほかに、スメルジャコフの犯罪を確信しているものは、たった三人だけでした。すなわち被告の弟二人と、スヴェートロヴァであります。しかし、二人の弟のうち、イヴァンは今日はじめて自分の疑いを述べたので、それも争う余地のない興奮と、狂気の発作におそわれたためであります。以前は、私たちも熟知しているとおり、兄の罪を深く信じきって、この世評に抗弁しようとさえ思わなかったほどであります。が、このことはとくにあとで述べることにします。次に、その弟のほうは先刻もわれわれに言ったとおり、スメルジャコフの犯罪を証明するような事実を、微塵も持っていないけれど、ただ被告の言葉とその『顔いろによって』、そう信じているのでありまして、この驚くべき有力な証明は、先刻二度までも彼の口から述べられました。ところで、スヴェートロヴァはさらに驚くべき申し立てをしました。『被告の言うことを信じて下さい。あの人は嘘を言うような人ではありません。』被告の運命に非常な利害を感じているこの三人が提供した、スメルジャコフ有罪論の事実的証明は、ただこれだけなのであります。しかし、それにもかかわらず、スメルジャコフに対する嫌疑は、これまで世間に噂されてもいたし、今も噂されています、――一たいこれが信じ得ることでしょうか? 想像し得ることでしょうか!」
 この際、検事イッポリートは、『興奮と狂気の発作のために自分の生命を断った』スメルジャコフの性格を、簡単に描き出す必要を認めた。検事の言うところによると、スメルジャコフは知力の鈍い人間で、漠然とした初歩の教育らしいものを受けていたが、自分の知力以上の哲学思想に惑わされ、広く一般に瀰漫している奇怪な現代の責任観念、ないし義務観念に脅かされたのである。これを実際的に教え込んだものは、ほとんど彼の主人、――あるいは父親であったかもしれない、――フョードル・パーヴロヴィッチの放埒な生活であり、理論の上では、彼を相手にいろいろ奇怪な哲学上の談話を交わした息子のイヴァンであった。おそらくイヴァンは退屈しのぎか、あるいは心中にわだかまっている皮肉のやり場が、ほかになかったためであろう、好んでスメルジャコフにそんな話をしたのである。
「彼は自分で私に向って、最近、主人の家にいた頃の精神状態を話しました」とイッポリートは説明した。「もっとも、ほかの者たち、例えば被告自身も、彼の弟も、「召使のグリゴーリイさえも、――つまり、彼に親近しているものが、ことごとく同じことを証明しています。のみならず、スメルジャコフは癲癇の発作のために健康を害して、『まるで牝鶏のように臆病』でありました。『あいつは私の足もとに倒れて、靴に接吻しました』と被告はわれわれに語りました。まだそのとき被告は、そういう陳述が自分にとっていくぶん不利なことを、意識しなかったのであります。『あいつは癲癇にかかった牝鶏です』と、彼は例の独得な口調で、スメルジャコフを評しました。そこで、被告は彼を自分の相談相手に選んで(このことは被告自身で証明しています)、さんざん彼を脅迫したものですから、とどのつまり、彼は被告のために密偵となり、間諜となることを承諾するにいたったのであります。この家庭内の密偵という職務のために、彼は自分の主人にそむいて、金の入っている封筒のありかや、主人の部屋へ侵入する合図を、被告に告げたのであります。また、どうして告げずにいられましょう。『殺しそうなんでございます。どう見てもわたくしを殺しそうなんでございます』と彼は審問の時こう言いました。もうその時は、彼を脅かし苦しめた暴君が捕縛されて、二度と復讐に来るようなおそれはなかったのですが、それでもぶるぶる身ぶるいしているのです。『あの人は始終わたくしを疑っていられましたので、わたくしは恐ろしさに慄えておりました。で、どうかしてあの人の怒りを鎮めようと思って、大急ぎで秘密という秘密を残らず打ち明けてしまいました。こうもすれば、わたくしがあの人に悪い考えを持っていないことを見抜いて、無事に赦してもらえるかと思いました。』これはスメルジャコフ自身の言葉であります。私はこの言葉を書きつけてもおいたので、ちゃんと記憶しています。『よくわたくしはあの人に呶鳴りつけられると、いきなりあの人の前に膝をついたものでございます。』生来ごく正直な若者で、主人の紛失した金を拾って返した時から、その正直を認められて、深く主人の信任を得ていたので、不幸なスメルジャコフは、恩人として愛している主人を売ったことを後悔し、ひどく煩悶したものと考えなければなりません。博識な心理学者の証明するところによると、ひどい癲癇にかかっているものは、常に病的な不断の自己譴責におちいりやすいものであります。彼らはよく何の根拠もないのに、何かにつけて、また誰かに対して、自分の『罪』を認め、良心の呵責を感じて煩悶します。彼らは常に誇大的に考えて、自分からさまざまな罪悪や犯罪を考え出すのであります。こうした種類の人間は、単なる恐怖と驚愕のために、実際、犯罪人となることさえあります。のみならず、彼は自分の眼前に行われているさまざまな事件からして、何かよからぬことが生ずるだろうと予感していました。イヴァンが兇行の直前に、モスクワへ出発しようとした時、スメルジャコフは彼に向って、どうか行かないようにと哀願したのですが、例の臆病からして、自分のいだいている危惧の念を残らず明瞭に、きっぱり打ち明けることをなし得ないで、ただ軽く暗示を与えるだけにとどめました。けれど、その暗示を悟ってもらうことができなかったのであります。ここに注意すべきことは、彼がイヴァンを自分の保護者のように見なして、この人さえ家にいれば、決して不幸は起らないと、信じきっていた点であります。ドミートリイの『酔っ払った』手紙の中にある『イヴァンが立ったらすぐ親父を殺してやる』という文句でもわかるとおり、つまり、イヴァンの存在は家内の平穏と秩序の保証のように、誰からも思われていたのであります。ところが、イヴァンは出発しました。すると、スメルジャコフは、若主人が出発してから一時間後に、癲癇の発作におそわれたのであります。しかし、それは至極もっともなことであります。なおここで言っておかなければならぬことは、さまざまな恐怖と一種の絶望に打ちひしがれていたスメルジャコフが、この二三日とくに強く、発作の襲来を感じていたことであります。それまでも、発作はいつも精神的緊張や震撼の瞬間におそってきたそうです。むろん、この発作のくる時日を予測することはできないが、どんな癲癇病者でも、発作の起りそうな徴候を前もって感じ得るのは、医学の告げるところであります。で、イヴァンが屋敷から出てしまうやいなや、スメルジャコフは自分の孤独な頼りない身の上をしみじみと感じながら、やがて家の用事で穴蔵へおもむきました。彼は穴蔵の階段を降りながら、『発作が起りはしまいか、もし起ったらどうしよう?』と考えた。すると、こうした気分、こうした想像、こうした疑問のために、いつも発作の前にやってくる喉の痙攣が起って、彼は無意識に穴蔵の底へ転げ落ちたのであります。ところが、世の中にはご苦労千万にも、この最も自然な出来事を疑って、あれはわざと[#「わざと」に傍点]病人の真似をしたのだ、とほのめかす人々があります! けれど、もしわざとしたものとすれば、すぐ『何のために?』という疑問が起ってくるわけです。いかなる打算、いかなる目的があったのでしょう? 私はもう医学のことは言いますまい、――科学は偽ることがある、誤ることがある。医者は病気の真偽を見分け得るものではない、――こう言う人があるなら、それはそのとおりとしておいてもよろしい。しかし、その前に、なぜ病人の真似をしなければならなかったか? という問いに答えてもらいたい。よし殺人をもくろんだとしても、癲癇など起したら、前もって一家の注意を自分に惹きつけることになりはしないでしょうか? 陪審員諸君、諸君もご存じでしょうが、兇行の当夜、フョードルの家には五人の人がいました。第一に、フョードル・パーヴロヴィッチ自身ですが、しかし彼は自殺したのではない、それは言うまでもありません。第二に、召使グリゴーリイですが、この男は自身でも危く殺されようとしたくらいです。第三に、グリゴーリイの妻、女中のマルファ・イグナーチエヴナですが、その女が自分の主人を殺したなどとは、考えるさえ恥しいほどです。そうすると、残るのは被告とスメルジャコフの二人きりです。しかし、被告は自分が殺したのでないと主張しますから、どうしてもスメルジャコフが殺したことになってしまいます。でなければ、ほかに下手人を見いだすことができません、ほかに犯人を挙げることができません。こういうわけで、きのう自殺した不幸な白痴に対するこの『狡猾な』、途方もない嫌疑が生じたのであります! つまり、ただほかに誰も嫌疑をかけるべき人がないからにすぎません! もし誰かほかの人に、誰か第六人目の人に、影ほどでも疑わしい点があれば、被告はスメルジャコフを挙げるのを恥じて、この六人目の人を挙げたことと信じます。なぜなら、スメルジャコフにこの殺人の罪をきせることは、絶対に不合理だからであります。
「しかし、諸君、心理解剖はよしましょう、医学上からの批評もやめましょう。いな、それどころか、論理さえ抛擲しましょう。そして、事実、ただ事実だけを考察して、事実がわれわれに何を告げるかを検分しましょう。かりにスメルジャコフが殺したものとしても、一たいどういう工合にして殺したのでしょう? 一人でしょうか、それとも被告と共謀して殺したのでしょうか? まず第一の場合、すなわちスメルジャコフ一人で殺したものと考えてみましょう。彼が殺したとすれば、むろん、何か目的を持っていなければなりません、何かためにするところがあったはずです。スメルジャコフは、被告のもっていたような憎悪、嫉妬などというような兇行の動機を、影すら持たなかったのですから、犯人を彼とすれば、疑いもなく金のためだけです。あの三千ルーブリの金のためです。主人がその金を封筒に入れるところを、現に彼は見たのであります。ところが、兇行を企らんだ彼は前もってほかの人物に、――しかも非常な利害関係を有している被告に、金のことや、合図のことや、封筒がどこにあるか、その上に何と書いてあるか、何にくるまれているか、というような事柄をすっかり教えました。ことに何より重大なのは、主人の部屋へ入る『合図』を教えた事実であります。どうして彼はこんな自分を裏切るようなまねをしたのでしょう? 同様に忍び込んで、その封筒を盗み出すおそれのある競争者を作るためだったのか? しかし、それは恐ろしさに教えたのではないか、とこう言う人があるかもしれません。が、それはどうしたわけでしょう? そういう大それた獣のような行為を考えついて、それを実行することさえ、あえて辞さないほどの覚悟をした男が、世界じゅうで自分一人だけしか知らないようなことを、――自分が黙ってさえおれば、世界じゅうで誰ひとり察しるもののないようなことを、むざむざ他人に明かすものでしょうか? いや、どんな臆病な人間でも、もしそうした犯罪を企てたからには、たとえどんなことがあろうとも、決して誰にももらすものではありません。少くとも封筒と合図のことだけは言わなかったでしょう。それを明かすということは、将来自分を裏切る結果になるからであります。もし人から情報を求められた場合には、何か都合よく言い拵えるか嘘をつくかして、肝腎なこの点については、口を開くものではありません。それどころか、繰り返して言いますが、もし彼がせめて金のことだけでも黙っていて、それから主人を殺して、金を取ったとすれば、世界じゅう誰ひとりとして、金のために人殺しをしたと言って、彼を責めることはできなかったでしょう。なぜかと言えば、彼のほかには誰もこの金を見たものもなく、第一、この金が家の中にあるということも知らなかったからです。たとえ彼が人殺しの罪をきせられても、何かほかの動機から殺したのだと思われるに相違ありません。しかし、誰も以前そんな動機を彼に認めていなかったのです。いや、むしろ彼が主人に愛され、信用されていることを、世間一同が知っていました。だから、嫌疑がかかるとしても、彼は一ばん最後にあたる人間で、まず誰よりも第一に疑われるのは、これらの動機をもっているもの、自分の口から呶嗚りたてていたもの、少しも隠そうとしないで、あからさまにさらけ出していたもの、すなわち一言で言えば、被害者の息子ドミートリイ・フョードロヴィッチであるべきはずなのです。スメルジャコフが殺して、金をとって、息子が罪をきせられる、――このほうが下手人のスメルジャコフにとって、有利じゃないでしょうか? ところが、彼は兇行を思い立っておきながら、息子のドミートリイに金や、包みや、合図のことを教えています、――いやはや、何たる論理でしょう? なんと事理明白なことでしょう ※[#感嘆符二つ、1-8-75]
「スメルジャコフが企らんだ兇行の日が来た時、彼はわざと癲癇の発作におそわれたようなふりをして、寝込んでしまいました。これは何のためでしょう? それはむろん、第一に、誰も家の番をするものがなくなったため、自分の体の療治[#「療治」はママ]をしようと思っていた下男のグリゴーリイに、療治[#「療治」はママ]をあとまわしにして番をさせることになります。第二に、誰も家の番をするものがなくなったから、息子の来襲をひどく恐れていた(それは彼も隠そうとしませんでした)主人の心配を増させ、警戒を一段と厳重にさせることになります。最後に、これは言うまでもなく、最も重大なことですが、彼スメルジャコフは普段みんなと離れて、ひとり料理場に寝起きして、出入り口もすっかり別になっていたのに、癲癇におそわれるとすぐ、離れの一方にあるグリゴーリイの部屋へ担ぎ込まれて、夫婦の寝床から三足ばかりしか離れていない、仕切り板の陰に寝かせられることになるのです。彼は発作にかかりさえすれば、主人と苦労性なマルファの取り計らいで、いつもそうされていたのであります。ところが、その仕切り板の陰に寝ておれば、彼は本当の病人らしく見せるために、むろん、どうしても唸りつづけて、グリゴーリイ夫婦を夜どおしのべつ起さなければなりません、――(これは、グリゴーリイ夫婦の証明したところであります)――一たいこういうようなことが、とつぜん起きあがって、主人を殺すために便利だと言われましょうか!
「しかし、またある人は、彼が仮病をつかったのは嫌疑を避けるためで、金のことや合図を被告に教えたのは、被告を誘惑して、彼に忍び込ませて父親を殺させるためだった、とこういう説をするかもしれません。しかし、どうでしょう、被告が殺害して、金を奪って出て行く時、必ず騒々しい物音を立てて、証人たちの目をさまさせるに違いありません。その時にどうでしょう、スメルジャコフものこのこと起きあがって、出かけるつもりだったのでしょうか? 一たい何のために出かけるのでしょう? それは、もう一ど主人を殺して、すでに奪われた金を取るつもりだったのでしょうか? 諸君、あなた方はお笑いですか? 私自身もかような仮定をするのは恥しく思います。ところが、どうでしょう、被告はこれを主張するのであります。被告は、自分がグリゴーリイを倒して、騒動を引き起し、さて家から出てしまったあとで、あいつが起きあがって出かけて行き、主人を殺害して、金を盗み取ったのだと申し立てています。興奮のあまり正気を失った息子が、ただうやうやしく窓を覗いただけで、現在合図を知っていながら、みすみす獲物を彼スメルジャコフに残して退却するということを、どうしてスメルジャコフが前もって見抜くことができたか? などというようなことについては、もう今さららしく言及しますまい! 諸君、私は真面目にお訊ねします。いつスメルジャコフはその犯罪を行ったのでしょうか? その時を示して下さい。なぜなら、それがわからなければ、彼を罪する[#「罪する」はママ]ことはできないからであります。
「しかし、あるいは、癲癇は本物であったけれど、病人はとつぜん正気に返って、叫び声を耳にして出て行ったのかもしれません、――まあ、かりにそうだとすれば、一たいどうなるでしょう? 彼はあたりを見まわして、『よし、一つ旦那を殺して来ようか?』とひとりごちたとします。しかし、彼はそれまで気絶して寝ていながら、どうしてその間に生じたことを知ったのでしょう? けれど、諸君、こうした空想はいい加減にしま