京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

『おかしな人間の夢』その1   (『ドストエーフスキイ全集15 作家の日記下』P117~P128、1970年、米川正夫による翻訳、筑摩書房)[挑戦15日目]

   おかしな人間の夢    ――空想的な物語――

      1

 おれはおかしな人間だ。やつらはおれをいま気ちがいだといっている。もしおれが依然として旧のごとく、やつらにとっておかしな人間でなくなったとすれば、これは、位があがったというものだ。だが、もうおれは今さら怒らない、今となってみれば、おれはやつらがみんななつかしい、やつらがおれのことを嘲笑するときすらも、なぜか特別になつかしいくらいだ。おれは自分からやつらといっしょになって、笑ったかもしれない、――これもおれ自身を笑うのではない、おれにとって、彼らを見ているのが、こんなに憂鬱でないなら、彼らを愛して笑うのだ。憂鬱なのは、やつらが真理を知らないのに、おれだけ真理を知っているからだ。おお、ただ一人真理を知るというのは、なんと苦しいことか! だが、やつらにはこんなことはわかりゃしない、とうていわかりっこない。
 ところで前には、おれは自分がおかしな人間に見えるというので、ひどくくよくよしたものだ。見えたのではない、そうだったのだ。おれはいつもおかしな人間だった、そして、おれはちゃんと承知しているが、これはおそらく生まれた時からのことに違いない。どうやらおれはもう七つの時から、自分がおかしな人間だということを知っていたらしい。やがて、おれは小学校で、それから大学で勉強したが、どうだろう、おれは学問をすればするほど、自分がおかしな人間であることを、いよいよはっきり知ったのだ。だから、おれにとっては、おれの大学時代の学問は、すべてひっくるめて、それに深く没頭すればするほど、結局のところ、自分がおかしな人間であることを自分に証拠立て、説明するためのみに存在したようなものだ。生活においても、学問の場合と同じことだった。おれがあらゆる点において、おかしな人間だという相も変わらぬ意識は、一年ごとに、おれの内部で生長し、根を張っていった。おれはいつもみなに嘲笑された。が、もしもこの世の中に、おれがおかしな人間であるということを、一番よく知っているものがいるとすれば、それはおれ自身だということを、彼らはだれ一人として知りもしなければ、察しもしないのだ。これが、彼らがそれを知らないということが、おれには何よりも癇ざわりだった。しかし、それについては、おれ自身に罪があった。おれはいつも非常に傲慢だったので、どうあっても、そのことをだれにもうち明けなかった。この傲慢心は、おれの胸中で、一年ましに生長していった。で、もしおれが、自分はおかしな人間だということを、だれにもせよ、他人の前でうち明けるような真似をしたなら、おれは早速その晩、自分の頭にピストルの弾丸《たま》を撃ち込むに相違ない、と思われるほどだった。おお、おれはよく少年時代に、もしひょっと我慢しきれないで、ふいに何かの拍子で、友だちにうち明けてしまいはせぬかと、どんなに懊悩したかしれやしない! けれど、一人前の青年になってからというものは、一年ましに、いよいよ深く、自分の恐ろしい性質を知るようになってはきたが、なぜかまえよりいくぶん平気になった。まったくなぜかなのだ。というのは、おれはいまだにその理由を、はっきりさせることができないからである。おそらく、それはおれの魂の中で、おれのぜんぶよりも無限に高遠なある事情に関連して、恐ろしい煩悶がつのってきたからであろう。それはほかでもない、世の中のことはどこへ行っても、なにもかも[#「なにもかも」に傍点]要するに同じこと[#「同じこと」に傍点]だという確信が、おれの心をつかんだからである。おれはずっと前から、これを予感していたが、完全なる確信としては、最近の一年間に、何かこうとつぜんやって来たのだ。おれは忽然として世界が存在しようがしまいが、あるいはなに一つどこにもなかろうが、おれにとっては同じことだ[#「同じことだ」に傍点]と感じた。おれは自分の全実在をもって、おれの身についているものはなに一つない[#「おれの身についているものはなに一つない」に傍点]のだ、ということを直感するようになった。はじめのあいだはなんといっても、以前にはその代わり、いろいろたくさんあったような気がした。が、やがてそのうち、前にもやっぱり何もなかったのだ、ただなぜかそう思われたのだと悟った。それから、おれは次第次第に、これからさきだって何にもありゃしないのだと、確信した。そこで、急におれは人に腹を立てることをやめた。それどころか、人をほとんど眼中におかなくなった。じじつ、これはほんのささいなことにまであらわれた。例えば、おれは通りを歩いていながら、人にぶつかるようなことがちょいちょいあった。しかも、それは考え込んでいたからではない、おれに何を考えることがあろう、おれはその頃まったく考えることをやめてしまったのだ。おれにはどうでもよかった。問題の解決でもできたら、どんなによかったかしれないのだが、おお、おれは一つとして解決できなかった、そのくせ、問題は山ほどあったのだ! けれど、おれはどうでも同じこと[#「同じこと」に傍点]だったので、問題もすべて遠のいてしまった。
 こういうわけで、それから後になっておれは真理を知ったのだ。去年の十一月、はっきりいえば十一月三日に真理を知ったのだ。その時以来、おれは一つ一つの瞬間を覚えている。それは陰鬱な、この世にあり得るかぎりの陰鬱をきわめた晩であった。おれはその時、夜の十時過ぎに家に帰っているところだったが、まったくこれ以上陰鬱な時はあるまい、と思ったことを覚えている。自然現象までもそうなのだ。雨がいちんち降りつづいていたが、これがまた実に冷たいうっとうしい雨で、人間に対して明らかに敵意を持った、なんとなく威嚇的な雨でさえあった、おれはこれを覚えている。それが突如、十時過ぎにぱったりやんで、恐ろしい湿けが始まった。雨の降っている時よりも、もっと湿けて寒々とし、街上の一つ一つの石からも、横丁という横丁からも、すべてのものから、一種の蒸気が立ち昇った。遙かに通りのほうから横丁の奥をのぞき込むと、蒸気の湧いてくるのが見すかされるのであった。おれはふと、もし到るところのガスが消えたら、いくらか心が愉しくなっただろう、ガスがついていると、かえって憂鬱になってくる、なぜなら、ガスがこれらすべてのものを照らすから、といったような気がした。おれはその日ろくろく食事をしないで、夕方早くからある技師のところにねばっていた。そこにはもう二人友だちが来ていた。おれはずっと黙りこくっていたので、みんなくさくさしていたらしい。彼らは何か煽情的な話をして、とつぜん、興奮さえしたほどである。だが、その実、彼らはどうだって同じことなので、おれはそれに気がついていた、彼らはただちょっと興奮してみただけなのである。おれはだしぬけにそのことをみんなにいってやった。「諸君、そんなことなどきみがたにとって、どうでもいいんじゃないか」でも、彼らは腹を立てもせず、みんなでおれのことを笑いだした。これというのも、つまり、おれがいっこう非難の調子など響かせないで、ただおれ自身どうだってかまわないという気持ちでいったからである。彼らもおれがどうだってかまわないのを見てとって、みんな愉快になってきた。
 おれは往来でガスのことを考えた時、ふと空をふり仰いだ。空は恐ろしく暗かったが、ちぎれ雲の間々に、底のない真っ暗な斑紋をまざまざと見分けることができた。とつぜん、おれはこうした斑紋の一つに、小さな星を見つけて、じっとそれを見つめだした。というのは、この星がおれにある想念を吹き込んだからである。おれはその晩に自殺しようと決心した。このことはもうふた月前から、しっかり腹をきめていたので、ずいぶん貧乏暮らしはしていたが、素晴らしいピストルを買い込んで、その日さっそく弾丸《たま》をこめておいたのである。しかし早くも二か月経過してしまったのに、ピストルは相変わらず引出しの中にしまったままである。おれはあまりにもいっさいがどうだって同じことだったので、それほど無関心でないような一瞬を捉えようと思ったのだ。なんのためにそんなことをしたのか、おれは知らない。こういった次第で、このふた月の間というもの、おれは毎晩、家へ帰りながら、今日こそ自殺しようと考えた。そうして、たえずきっかけを待っていた。ところが、今この小さい星がおれに暗示を与えたので、今夜こそいよいよ間違いなく[#「間違いなく」に傍点]実行するのだと、きめてしまった。なぜ星が暗示を与えたのか、――おれは知らない。
 さて、おれが空を振り仰いだとき、ふいにあの女の子がおれのひじをつかまえたのだ。往来はもうがらんとして、人っ子一人いなかった。だいぶ離れたところで、辻待ち馭者が馬車の上で居眠りをしていた。女の子は年のころ八つばかり、頭をきれで包んで、着ているものは一枚きり、しかも身体じゅうぐっしょり濡れていた。が、おれはとくに濡れたぼろ靴が目についた。今でも覚えている。なんだか特別ちらちらとおれの目に映ったのだ。女の子はいきなりおれのひじを引っぱって、呼びはじめた。彼女は泣きもしないで、妙に引っちぎったような調子で、何かえたいの知れぬ言葉を吐き出すのであったが、それもはっきりとは発音ができない。悪寒におそわれて、全身を小刻みにふるわしていたからである。彼女はどうしたのか恐怖におそわれて、「おっ母ちゃん! おっ母ちゃん!」と絶望の調子で叫んでいるのだ。おれはそのほうへ顔を向けようとしたが、しかし一こともものをいわないで、そのまますたすたと歩みをつづけた。女の子は駆け出して、おれのひじを引っぱったが、その声には、ひどくおびえた子供に絶望の表示としてあらわれる一種の響きがあった。おれはその響きを知っている。彼女は、言葉を満足に発音できなかったけれども、その母親がどこかで死にかかっているのだな、とわたしは察した。親子の身の上に、何事かがもちあがったので、彼女はだれか呼ぼう、母親を助けてくれる人を見つけだそうと、そとへ駆け出したに相違ない。しかし、おれはその跡からついて行こうとしなかったばかりか、かえって、この娘を追っ払おうという考えさえ、ふいに浮かんだほどである。おれははじめ彼女に、巡査をさがし出すようにいった。けれど、彼女はとつぜん、小さな両手を合わせて、しゃくりあげたり、息をつまらせたりしながら、たえずおれの横について走りつづけ、いっかな離れようとしない。そこでおれは、威嚇するように足踏みして、どなりつけてやった。女の子はただ「旦那、旦那!………」と叫んだばかりで、急におれを棄てて、一目散に往来を横切って駆け出した。向こうにやはり同じような通行人の姿があらわれたので、彼女はそれを目がけて飛んで行ったらしい。
 おれは自分の五階の部屋へ昇って行った。おれはここで部屋を又借りして住んでいるのだ。ここは下宿屋のようになっていたのだ。おれの部屋は貧しい小さな部屋で、屋根裏式に半円形の窓が一つついている。模造皮張りの長いす、本の載ったテーブル、小いす二脚、それに古い代物ながら、ヴォルテール式の安楽いすが一つある。おれは座について、蠟燭をともし、さて考えはじめた。板で仕切ったお隣りの次の間では、相変わらず騒動がつづいていた。これはもう一昨日らいつづいているのだ。そこには退職大尉が住んでいて、来客中なのである、――六人ばかりの曖昧な連中(原語ではStriutskie、『作家の日記』一八七七年十一月、第1章1を参照)で、ウォトカを飲んだり、古いカルタでシュトスをやったりしている。昨夜は喧嘩があって、中の二人が長いこと髪のつかみ合いをしたのを、おれはちゃんと知っている。主婦は苦情を持ち込みたいと思ったけれども、大尉殿がこわくてたまらないのである。ほかの借間人といっては、小柄なやせた婦人がたった一人きりしかなかった。それは、連隊夫人(連隊の軍人に専属の形になった売春婦)らしく、小さいのを三人つれていたが、三人ともこの下宿で、さっそく病気してしまったのだ。彼女も子供も、気が遠くなるほど大尉殿をこわがって、夜っぴてがたがたふるえながら、十字を切っていたものだ。いちばん小さい子供は恐ろしさのあまりに、何かの発作を起こしたくらいである。この大尉はどうかすると、ネーフスキイ通りで通行人を引き止めては、合力を乞うている。これはおれがたしかに知っている。彼はどこにも勤め口が見つからないのだけれど、不思議なことには(つまり、これがために、おれはこんなことを細かく話すのだが)、大尉はこの下宿へ越して来てからまるひと月というもの、おれには少しもいまいましいという気持ちを起こさせなかった。近づきになることは、そもそもの初めから避けるようにしていたが、先方でも初対面の時から、おれと話すのは退屈そうであった。しかし、先生たちが、板仕切りの向こうでどんなにわめき散らしても、どれだけ大勢人が集まっても、おれはいつも同じことであった。おれは夜っぴてじっとすわっていたが、まったくのところ、彼らの声など耳に入らなかった。――それほどこっちでは、彼らのことなど忘れてしまっていたのだ。なにしろ、おれは夜の白々と明けるまで毎晩まんじりともしない。しかも、それがもうかれこれ一年からつづいているのだ。おれは夜っぴてテーブルの前の安楽いすに腰をかけたまま、なんにもしないでいる。書物を読むのは昼間だけである。じっとすわったまま考えごとさえしない。ただなんとなしに、いろいろ妄想が浮かぶけれど、おれはそいつを勝手にうっちゃらかしておくのだ。蠟燭は一夜のうちにすっかり燃えきってしまう。おれは静かにテーブルに向かって腰を下ろし、ピストルを取り出して、前においた。前においた時、おれは「これでいいのか?」とみずから問いかけ、「これでよし」とはっきりみずから答えたのを、今でも覚えている。つまり、自殺しようというのだ。おれは、いよいよ今夜こそ間違いなく自殺するのを承知しているが、それまでにまだどれくらいテーブルに向かって腰かけているつもりだったのか、そこまではわからなかった。そしてまた、もちろん自殺を遂げたに相違ないのだ、もしあの女の子さえいなかったなら。

      2

 実のところ、おれはどうだってかまわなかったとはいい条、例えば、痛みといったようなものは、やはり感じずにいられなかったわけだ。もしだれかおれをぶんなぐったとすれば、おれは痛みを感じたに相違ない。精神的方面からいっても同じことで、何か非常に哀れなことがおこれば、おれが人生のすべてをどうでもいいと思わなかった時代と同様に、憐憫の念を感じるはずである。そこで、おれはさきほど憐憫を感じたのだ。おれはきっと間違いなく、あの子供を助けてやるところであった。ところが、どうして助けてやらなかったのか? それはあのとき念頭に浮かんだ一つの想念のためである。女の子がおれのひじを引っぱって呼び立てた時、そのとき突如として、おれの眼前に一つの疑問が立ち塞がって、どうしても、それを解決できなかったのだ。それは呑気な疑問ではあったけれど、おれはすっかり腹を立ててしまった。もしいよいよ今夜自決すると決心したとすれば、今こそいつにもまして世の中のいっさいが、どうでもよくなるのがあたりまえではないか、という推論の結果、むかっ腹を立てたのである。なぜ急におれは無関心でなくなって、あの女の子をかわいそうに思うのだ? 今でも覚えているが、あれはまったくかわいそうでたまらなかった。なにかしら不思議な痛みを感じるほどで、おれの立場としては、実際、あるまじきことと思われるほどであった。正直なところ、おれはその時、自分の心をかすめた刹那の感触を、これ以上うまく伝えることはできないけれども、その感触は、すでに家へ帰って、テーブルに向かった時でさえつづいていた。おれはもう長いこと覚えなかったほど、無性にいらいらしていた。いろんな考えが次から次へ流れ出した。もしおれが人間であって、まだ無でないとすれば、無に化してしまわない間は生きているのであり、したがって、自分の行為に対して苦しみ、怒り、羞恥を感ずることができる。そのことがはっきりと頭に浮かんできた。それならそれでかまわない、しかし、例えば、二時間後におれが自殺するとすれば、あの女の子などおれにとって何するものぞ、またその時は羞恥にしろ、何にしろ、およそこの世のいっさいが、おれになんの用があるのだ? おれは無に帰するのだ、絶無の零になるのだ。そして、おれがいま完全に[#「完全に」に傍点]存在しなくなり、したがって何物も存在しなくなるという意識が、はたして少女に対する憐憫の情や、卑劣な行為の後に残る羞恥の情に、いささかの影響をも与えることができないのだろうか? おれが不仕合わせな女の子に、地団太を踏んで見せたり、乱暴な声でどなりつけたりしたのは、要するに、憐憫の情を感じないばかりか、不人情な陋劣な所業をさえしたところで、二時間たてば、いっさいが消滅してしまうのだからかまわない、といった気持ちがあったからである。つまり、そのためにどなりつけたのだということを、読者は信じてくれるだろうか? おれは今それをほとんど完全に確信している。生活も世界も、いわばおれ次第でどうでもなるのだということが、はっきり頭に浮かんできた。それどころか、今では世界もおれ一人のために造られたものだ、とさえもいうことができる。おれがどんと一発やったら、世界も失くなってしまう、少なくとも、おれにとってはそうなのだ。実際、おれの死んだ後は、いっさいが何人《なんぴと》のためにも存在しなくなるのかもしれないのだ。おれの意識が消えるが早いか、全世界はさながらおれ一人の意識の付属物かなんぞのように、幻のごとく消えて失くなってしまうかもしれない。なぜなら、この世界ぜんたいも、これらすべての人々も、結局、おれ自身、おれ一人だけにすぎないからかもしれないのだ。こんなことは今さらいうまでもない。今でも覚えているが、おれはじっとすわったまま、あれこれと考え耽りながら、後から後からとひしめき寄せるこれらの新しい疑問を、ぜんぜん反対の側にひっくり返して、それこそほんとうに新しい思想を考え出した。例えば、忽然として、おれの頭に奇妙な想像が浮かんだものである。もしおれが以前、月か火星に住んでいて、そこでおよそ想像し得るかぎりの破廉恥で不名誉な行為をし、そのためただ夢の中にのみ、時として見る悪夢の中でのみ体験するような、罵詈嘲笑を浴びた後、この地上に現われ、しかも別の遊星でした行為に関する意識を保ちつづけ、しかもそのうえもはや決して二度ともとの遊星には帰らない、ということを承知していたとすれば、地球から月を眺めながら、おれははたして無関心[#「無関心」に傍点]でいられるかどうか? その行為に対して羞恥を感ずるかどうか? なにしろ、ピストルがもう目の前に横たわっていて、あれ[#「あれ」に傍点]はもういよいよ間違いなしということを全身に感じていた時であるから、こんな疑問はあまりにも呑気な、用のないものではあったが、おれは興奮していらいらしてきた。今となっては、あらかじめある何物かを解決せずには、もう死ぬことさえできないような気がした。一口にいえば、あの女の子がおれを助けたのだ。なぜなら、おれはさまざまな疑問で、引き金をおろす瞬間を延ばしたからである。かれこれしているうちに、大尉の部屋でもだんだんひっそりしてきた。彼らは勝負を終わって、寝支度にかかったらしく、しばらくぶつぶついったり、大儀らしくののしり合ったりしているだけであった。その時、おれはふとテーブルの前の安楽いすに腰かけたまま、眠りに陥《おち》てしまった。こんなことは、これまでかつてなかったのである。おれは自分でもまったく気のつかぬうちに、寝てしまったのだ。夢というものは、ご承知のとおり、はなはだもって不思議千万なものである。あるところはあきれるほど明瞭に、宝石細工のように細かな点まで、まざまざと現われるかと思えば、またあるところは、まるで空間も時間も無視したように、無遠慮に飛び越して行くのである。どうやら、夢を押し進めて行く力は、理性でなくて希望であり、頭脳でなくて心情であるらしい。が、それにもかかわらず、どうかするとおれの理性は、夢の中で狡知をきわめた芸当をやって見せることがある! しかし、夢の中では、おれの理性に摩訶不可思議なことが生じるのだ。早い話が、おれの兄は五年前に死んだ。おれは時おり夢に見る。兄はおれの仕事に仲間入りをして、二人は大いに興味を感ずる。にもかかわらず、おれはずっと夢のつづいている間じゅう、兄貴はもう死んでしまって、埋葬されたということをはっきり知りもし、覚えてもいるのである。兄が死人でありながらおれのそばにいて、いっしょにまめまめしく働いているのを、なぜおれは不思議に思わないのか? なぜおれの理性はそれを平気で見のがしているのか?だが[#「しているのか?だが」はママ]、もうたくさん。いよいよ夢の話に移ろう。さてその時、十一月三日におれはこんな夢を見たのだ! 今みんなは、そんなことはただの夢でしかないじゃないかといって、おれをからかう。しかし、この夢がおれに真理を告げ知らせてくれた以上、夢であろうとなかろうと、同じことではないか? いったん真理を知り、真理を見た以上、それはあくまで真理であって、眠っていようと醒めていようと、それ以外の真理はあり得ないではないか。が、まあ、ただの夢でもいい、かまわない。しかし、諸君のそれほどありがたがる生命を、おれは自殺で抹殺しようとした。ところが、夢は、おれの夢は、――おお、あの夢は新しい、偉大な、更生された、力強い生活をおれに告げ知らせてくれたのだ! まず聞いてもらおう。

      3

 前にもいったとおり、おれはいつの間にか、というより、相変わらず同じようなことばかり瞑想しつづけながら、そのまま寝入ってしまった。ふとこんな夢を見た。おれはピストルを取りあげて、すわったままいきなり心臓へおしあてた、――頭ではなく心臓なのだ。ところが、おれは前から必ず頭を射とう、右のこめかみを射ち抜こうときめていたのである。胸にピストルをあてて、おれは一秒か二秒待っていた。すると、蠟燭も、テーブルも、壁も、おれの前にあるものが急に動きだし、ふわふわと揺れはじめた。おれは大急ぎで引き金をおろした。
 どうかすると、夢で高いところから墜ちたり、人に斬られたり打たれたりするが、決して痛みを感じないものである。ただほんとうに自分で何かの拍子に、手や足を寝台にぶっつけた時は別で、そういう折には痛みを覚え、ほとんど常に痛みのために目をさます。おれの夢もそのとおりで、痛みなどは感じなかったが、発射と同時に、おれの内部でなにもかもが震動して、いっさいのものが忽然と消えてしまい、まわりがすっかり真っ黒になったような気がした。おれはさながら目も耳もつぶれたようなあんばいだった。と、いつしか仰向けに長くなって、何か固いものの上に横たわっている。なに一つ見えもせず、指一本、動かすこともできない。みんながやがや歩きまわったり、わめいたりしている、大尉のだみ声が聞こえるかと思うと、主婦の金切り声もする。――そのうちとつぜんまたいっさいがとぎれて、やがておれは、蓋をした棺の中に入れて担いで行かれる。おれは棺が揺れるのを感じて、そのことを心に考える。とふいに、おれはもう死んだのじゃないか、すっかりこと切れたのじゃないかという考えが初めて強く心を打った。おれはそれを承知して、いささかも疑いをいだかない。目も見えず身動きもできないながらしかもそう感じ考えるのだ。けれど、間もなく、それにも諦めがついてしまった。夢の中の常として、文句なしに現実をそのまま受け入れるのだ。
 やがておれは土の中に埋められる、人はみんな行ってしまって、おれは一人きり、まったくの一人ぼっちになってしまう。おれは身動きしない。以前、おれが墓に葬られる有様をうつつに想像したとき、いつも墓というものを湿けと寒さの感触に結びつけたものだ。今もやはりそのとおりで、おれはひどく寒い気がした。わけても、足の指さきに寒さを覚えたが、そのほかのことはなんにも感じがない。
 おれは横になっていたが、不思議なことには、なに一つ期待しなかった。死人に何も待つことなんかありゃしないという観念を、文句なしにおとなしく受け取ったわけである。しかし、しめっぽかった。どれぐらい時がたったか、――一時間か、二、三日か、それともうんと日数がたったか、そこはおれにはわからぬ。が、ふとおれの閉じた左の目に、棺の蓋から滲み込んだ水が一しずく落ちた。それから一分ほどしてまた一しずく、それからまた一しずく、といったふうにつづいてゆく。みんな一分おきなのだ。はげしい憤懣の念が、突如、おれの心に燃え立ってきた。やがて、ふいにそれが肉体的な痛みに感じられた。「これはおれの傷口だ」とおれは考えた。「これはおれの射ったところだ、あすこに弾丸があるのだ……」水滴はのべつ一分ごとに落ちてくる。それがきまっておれの閉じた左の目の上なのだ。おれはとつぜん、おれの身に起こっているいっさいの命令者である何者かに向かって呼びかけた、ただし、声に出してではない、おれは動けないのだから、――自分の全存在をもって呼びかけたのである。
「たといお前が何者であろうとも、もしお前というものがあるならば、そして現在、行なわれているものよりも合理的なものが何かあるならば、その合理的なものがここにもあるようにしてくれ。もしお前がおれの無分別な自殺を、これからさきの醜い愚かしい存在で罰しようとしているのなら、これだけのことを知ってもらいたい、――たとえいかなる苦悶がおれの身にふりかかるにもせよ、その苦しみの幾百万年かのあいだ、おれが無言のうちに嘗めなければならぬ侮辱とは、とうてい同日の論ではないのだ!………」
 おれはかく呼びかけて口をつぐんだ。ほとんどまる一分間ふかい沈黙がつづいて、さらに一滴の水すらもしたたり落ちたが、必ずや今すぐすべてが一変するに相違ないということを、おれは知っていた。知っていたばかりか、堅く限りなく信じていたのだ。すると、忽然、おれの墓がさっと開いた。といって、だれかが墓を掘りあばいたのかどうか知らないが、おれはだれともしれぬ模糊とした存在に抱き取られて、二人はいつしか無限の空間の中にいるのであった。おれはとつぜん目が開いた。それは深い深い夜で、このような暗さはかつてどこにもなかった! おれたちは、もはや地上遙かに離れた空間を翔《かけ》っていた。おれは、おれを運んで行く者に何もきかなかった。おれは待っていた。そして、傲然としていた。おれは、恐れてはいないぞと、自分で自分にいいきかせた。そして、恐れていないのだと考えると、うれしさに息がつまりそうな気がした。おれはどれくらいのあいだ飛んで行ったか覚えていない。思い浮かべてみることもできない。すべてが、いつも夢の中で経験するのと同じようなふうであった。夢の中では空間も、時間も、存在と理性の法則も飛び越してしまって、心の夢見る点にのみ停止するものである。とつぜん、暗黒の中に一つの小さな星を認めたことを、おれは覚えている。「あれは狼星だね?」と、おれはふいにたまりかねて問いかけた。というのは、何事もいっさいたずねまいと思っていたからである。「いや、あれはお前が家へ帰りしなに、雲のあいだに見つけたあの星なのだ」と、おれを運んでいた存在物は答えた。この存在物は、なにか人間みたいな面影を持っていたのを、おれは知っていた。奇妙なことながら、おれはこの存在物が好きでなかったのみならず、深い嫌悪の念さえも覚えたほどである。おれは完全な無を期待していたので、つまりそれがために、自分の心臓に弾丸を打ち込んだのだ。ところが、いまおれはある存在物の手に抱かれている、もちろん、人間ではないけれど、とにかく、現にある[#「ある」に傍点]ものだ。存在しているものだ。「ははあ、してみると、死後にも生活があるのだな!」とおれは夢に特有の不思議な軽率さでこう考えた。けれど、おれの心の本質は、おれといっしょに深い奥底に残っていた。
「で、もしさらにいちど生存[#「生存」に傍点]しなければならないのなら」とおれは考えた。「だれかの、いなみがたき意志によって、生きなければならぬとしたら、おれは征服され、屈辱をうけるのなんかいやなことだ!」――「お前はおれがお前を恐れていることを知っているだろう、だもんだから、おれを軽蔑しているんだろう」とふいにおれは、ピンででも剌されたように自分の屈辱を胸に感じて、我慢しきれずに道づれに問いかけたが、この問いの中には告白が含まれていたのである。彼はおれの問いに答えなかったが、おれは忽然として、自分は軽蔑されてはいない、嘲笑されてもいない、憐れまれてさえもいない、おれの道はおれ自身にだけ交渉のある、未知の、神秘な目的をもっているのだ、ということをさとった。おれの胸の中に次第に恐怖がつのっていった。なにかしらあるものが、言葉もなく、しかし苦痛を伴って、沈黙の道づれからおれに伝わってき、おれの内部にまで滲透するような具合だった。おれたちは、暗い未知の空間を翔ってゆく。もうだいぶ前から、見覚えのある星座の星々が、目に入らなくなっていた。この宇宙の大空には、光が地球へ達するのに幾千年、幾万年もかかるような星があることを、おれは知っていた。もしかしたら、おれたちはもう、そうした空間を飛び過ぎたのかもしれない。胸を悩ます恐ろしい憂愁の中に、おれは何やら待っていた。すると、ふいに、なにかしら馴染みのある、はげしく呼び招くような感じが、おれの全心をゆすぶった。見ると、思いがけなく、わが太陽が目にはいるではないか! おれは、これがわれわれ[#「われわれ」に傍点]の地球を生んだわれわれ[#「われわれ」に傍点]の太陽であり得ないことを知っていた。おれたちは、われわれ[#「われわれ」に傍点]の太陽から、無限の距離にへだてられているのだ。にもかかわらず、おれは自分の全存在をもって、これはわれわれの太陽とまったく同じようなものである、その反覆であり、双生児であるということを知った。甘い呼び招くような感情が、おれの魂の中で歓喜の曲をかなではじめた。光、おれを生んだ光のなつかしい力が、おれの心の中に反応し、それをよみがえらした。おれは生命を感じた。墓に入って以来はじめて、もとの生命を感じた。
「だが、もしあれが太陽だとすれば、われわれの太陽とまったく同じものだとすれば」とおれは叫んだ。「いったい地球はどこにあるのだ?」すると、おれの道づれは、闇の中でエメラルドのような輝きを放っている小さな星をさし示した。おれたちはまっすぐにそのほうへ飛んで行った。
「いったい宇宙にはこうした反覆があり得るものだろうか、いったい自然の法則とはこういうものだろうか?………もしあすこに地球があるとすれば、それはわれわれの地球と同じものだろうか……あれとそっくりそのまま、不仕合わせな、貧しい、しかし永久に愛すべき貴いものであって、自分の最も忘恩な子供たちの心にさえ、苦しい、愛着の念を呼びさます力を持っているのだろうか?………」と、おれは自分の見棄てて来たもとのなつかしい地球に対する、やむにやまれぬ烈しい愛情に身をふるわせながら叫んだ。かつて辱しめた哀れな娘の面影が、おれの眼前をひらめき過ぎた。
「なにもかも今にわかるよ」とおれの道づれは答えたが、その言葉の中には何かある哀調が響いていた。しかし、おれたちはぐんぐんとその遊星に近づいた。遊星は、見ているうちに大きくなってきて、おれは大洋を見分け、ヨーロッパの輪郭を認めるようになった。とふいに、なにかしら偉大な、神聖な嫉妬とでもいったような、不思議な感情がおれの心に燃えあがった。「どうしてこんな反覆があり得るのだろう、またいったいなんのためなのだ? おれはただおれの見棄てて来た地球を愛するのみだ。忘恩なおれが心臓に撃ち込んだ一発の弾丸で、われとわが生命の火を消したときの、おれの血のしぶきが残っているあの地球のみしか、愛するわけにゆかない。おれは決して一度だって、あの地球を愛することをやめはしなかった。あの夜だって、生命に別れを告げながらも、いつにもましていっそう悩ましく、地球を愛していたかもしれないのだ。いったいあの地球にも苦悶があるだろうか? われわれの地球では、真の愛はただ苦悶とともに、苦悶を通してのみ味わうことができるのだ! われわれはそれよりほかの愛し方ができず、それ以外の愛を知らない。おれは愛せんがために苦悶を欲するのだ。おれは今この瞬間、涙を流しながら、おれの見棄てて来たあの地球に接吻したい、ただあの地球のみを渇望する、そのほかの生活なんか望まない、いっさい受けつけない!………」
 しかし、おれの道づれはもうおれを見棄ててしまった。おれは突如として、まるきり自分でも気がつかないうちに、楽園のように美しい、のどかな太陽の光を浴びながら、この第二の地球の上に立っているのだった。おれはどうやら、われわれの地球ではギリシャ多島海にあたる群島の一つか、さもなくば、この多島海に隣接している大陸の海岸にいるらしかった。おお、なにもかもがわれわれの地球と同じであった。ただうち見たところ、到るところさながら祭りのようで、なにかしらようやく達せられた偉大にして神聖な勝利の喜びに、輝いているかのようであった。優しいエメラルド色の海は静かに岸を打って、ほとんど意識的と見えるばかり明瞭な愛情をもって、石や砂を舐めている。高い見事な樹々は鮮かな緑の色を誇りかに[#「誇りかに」はママ]聳え、無数の葉は静かな、愛想のよいささやきでおれを歓迎し(おれを信じて疑わない)、あたかも、何か愛の言葉を語っているかのよう。若草は目もさめるような香ぐわしい花々に燃え立っている。小鳥どもは群れをなして空を飛び交い、恐れげもなくおれの肩や手にとまって、その愛らしいふるえおののく翼で、喜ばしげにおれを打つのだ。やがてそのうちに、おれはこの幸福な地球の人々を見つけ、それと気づいた。彼らはみずからおれのほうへやって来て、おれを取り囲み、おれに接吻するのであった。太陽の子、おのが太陽の子、――おお、なんと彼らの美しいことよ! おれはわれわれの地球上で、人間のこのような美しさを、かつて見たことがない、ただきわめて幼いわれわれの子供たちに、この美しさのおぼろな、弱々しい反映を見いだし得るのみである。これらの幸福な人々の目の中には、明らかな輝きが燃えていた。その顔は叡知と、すでに平穏に達するまでに満たされた意識に輝いていたけれども、しかし、それらの顔は愉しそうであった。彼らの言葉や声には、子供らしい歓びが響いていた。ああ、おれは彼らの顔を一目みるなり、たちまちなにもかもすべてを悟ってしまった! それはまだ堕罪にけがされない土地であって、そこに住んでいるのは、罪悪を知らない人々なのだ。全人類の伝説によると、われわれの祖先が堕罪の前に住んでいたのと、同じような楽園に住む人人なのだ。ただ違うのは、ここでは到るところが、同じような楽園であるということだ。これらの人々は悦ばしげに笑いながら、ひしひしとおれのそばへ集まって来て、優しく愛撫するのであった。彼らはおれを自分たちのところへつれて行った。だれもが、おれの気をおちつかせたくてたまらなかったのだ。おお、彼らはおれになに一つたずねようとしなかったが、どうやらなにもかも知っているらしい様子で、少しも早くおれの顔から、苦痛の陰を追いのけたいふうであった。

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 ところで、もう一度お断わりしておくが、なにぶんこれはただの夢にすぎないのである! しかし、これらの無垢な美しい人たちの愛の感触は、永久におれの内部に残って、おれは今でも、彼らの愛があちらから、おれにそそぎかけられているような気がする。おれは自分で彼らを見、彼らを認識し、確信したのだ、おれは彼らを愛し、後には彼らのために