京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

メモ026 伏見事件について(その4) こんな無内容な記事を平気で書く連中に、わたしは激怒している

以下の社説を3回読んで、あまりの無内容さに引き裂いてやろうかと思った。

社説:京アニ事件逮捕 襲撃の動機、真摯に語れ|社会|社説|京都新聞
京アニ放火逮捕 真相の徹底的な解明を:東京新聞 TOKYO Web

社説というのは、もってる有利な情報はすべて書いている、という前提の記事である。
それが、実行犯Aの人物像について、9か月前の記事とほとんどなにもつけくわえることがない、とはどういうことなのか。
住所の半径30キロ内(※1)での”余罪”についても、事件前1年間のインターネット上のトラブルについても、京都アニメーションのイベント(※2)のトラブルについても、十分調査しなかった、そう判断していいのか。
一点だけ、以前から気になっていることを指摘する。実行犯Aが社会的地位上昇を求めていたならば、「京都アニメーション大賞」だけに作品を応募したというのは考えにくい。ほかの賞にも応募した可能性がある。しかし、そのような調査結果をわたしは見たことがない。わたしはライトノベル業界についてほとんど知らないが、すべての応募作品の住所を調べるぐらいのことは可能なはずである。今回のような重大事件ならば、各会社も拒否することはないだろう。まさか、日本中のメディアのすべてが、そんな簡単なことすら調べてない、というのだろうか。もしそうだとしたら、それは、足元が崩れ落ちるような、恐ろしい事件、スキャンダルである。

メディアが中途半端な調査結果をたれながすならば、まっとうな調査を求める人たち(※3)が無駄な苦労をさせられるのである。あのふざけた『日本国紀』(幻冬舎)の大流行など、その被害は計り知れない。第一、若者(と中高老年)の学習にとってきわめてマイナスである。”エライ人”が「調査など大した価値はない」と叫んで回ってるようなものだ。
わたしはいま、本当に激怒している。
各メディアがいま、やれる調査はすべてやって、できない調査があるならば、はっきり言ってくれ。そうしないならば、メディアは存在意義など一切ない(※4)(※5)。
もし反論があるならば、コメント欄に書いてほしい。事件の重大さから考えて、わたしだけが恥をかくならば、たいへんいいことである。



※1 軽重とわず犯罪者の行動範囲の限界のめやすがこれぐらいらしい。
※2 単純な映画上映をふくめる。
※3 わたしもその末端にいる。
※4 わたしの考えでは、少し調査して、大したものがでなかったから中断したのだと考えているが、本当にそうなのか。「これだけの調査をしたのだが、こうだけのものしか見つからなかった」、ちゃんとそう書けばいい。
※5 以下、わたしがまとめた、京都新聞の記事の題名一覧のURLを示す。
伏見事件 新聞記事・雑誌記事の一覧 『京都新聞』その1(2019年7月18日-11月21日) - オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会