京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

『カラマーゾフの兄弟』P298-309   (『ドストエーフスキイ全集』第12巻(1959年、米川正夫による翻訳、河出書房新社))[挑戦17日目]

県内でも一ばん丁寧な注意ぶかい医者てかなり年輩の上品な老人であった)、これはなかなか激烈な発作だから、『心配な結果にならないともかぎらぬ』、しかし、今のところ、まだはっきりしたことはわからないが、もし今日の薬がきかなかったら、明日また別なのを盛ってみると述べた。病人はグリゴーリイ夫婦の部屋と並んだ離れの一室に寝かされた。
 フョードルはその後ひきつづいて、いちんちいろんな災難にあい通した。第一、食事はマルファの手で整えられたが、スープなどはスメルジャコフの料理にくらべると、『まるでどぶ汁のよう』だし、鶏肉はあまりからからになりすぎて、とても噛みこなせるものでなかった。マルファは主人の手きびしい、とはいえ道理のある小言に対して、鷄はそれでなくても、もともと非常に年とっていたのだし、またわたしだって料理の稽古をしたことがないから、と抗議をとなえた。それから夕方になって、また一つ心配がもちあがった。もう一昨日あたりからぶらぶらしていたグリゴーリイが、折も折、とうとう腰が立たなくなって、寝込んでしまったという知らせを受け取ったのである。
 フョードルはできるだけ早く茶をすまして、ただひとり母家へ閉し籠った。彼は恐ろしい不安な期待の念に胸を躍らしていた。そのわけは、ちょうどこの夜グルーシェンカの来訪を、ほとんど確実に待ちもうけていたからである。今朝ほどスメルジャコフから、『あの方が今日ぜひ来ると約束なさいました』と言う、ほとんど言づけといってもいいくらいの情報を受け取ったのである。強情我慢な老人の心臓は早鐘のごとく打ちつづけた。彼はがらんとした部屋部屋を歩き廻って、ときおり耳を傾けるのであった。どこかでドミートリイが彼女を見張っているかもしれないから、耳をさとくすましていなければならぬ。そして、彼女が戸を叩いたら(スメルジャコフは例の合図を彼女に教えたと、一昨日、フョードルに報告した)、できるだけ早く戸を開けてやって、一秒間も無駄に入口で待ださないようにするのが肝要である。彼女が何かに驚いて逃げ出すようなことがあったら大変だ。フョードルはずいぶん気がもめはしたものの、彼の心がこんな甘い希望に浸ったことも、今までついぞなかった。今度こそ彼女が間違いなしにやって来る、と確実に言うことができるのではないか!



第六篇 ロシヤの僧侶

   第一 ゾシマ長老とその客

 アリョーシャは胸の不安と痛みをいだきつつ、長老の庵室へ入った時、驚きのためにほとんどそのまま入口で立ちすくんだ。もう意識を失って死になんなんとしているに相違ないと恐れ危ぶんでいた長老が、思いもよらず肘椅子に腰かけているではないか。病苦のために衰えはててはいながらも、やはり元気のいい愉快そうな顔をして、まわりを取り囲む客人たちを相手に、静かな輝かしい談話を交換しているところであった。とはいえ、彼が床を起き出したのは、アリョーシャの帰って来るようやく十五分前のことであった。客人たちはすでにその前から庵室へ集って、長老が目をさますのを待っていた。それはパイーシイ主教が、『長老はいま一度、ご自分の心に親しい人たちと物語をするために、必ずお目ざめになるにちがいない。ご自分でも今朝がたそう言って約束なされました』と固く予言したからである。パイーシイはこの約束を、長老のすべての言葉と同様に、どこまでも信じて疑わなかったので、たとえ長老の意識ばかりか呼吸までとまってしまったのを、自分の目で見ても、もう一ど目をさまして別れを告げるという約束を聞いた以上、彼は死そのものさえ信じようとせず、死にゆく人がわれに返って約束をはたすのを、いつまででも待っているに相違ない。実際、今朝ほど長老ゾシマは眠りに落ちるまえ彼に向って、『わしの心に親しいあなた方と、もう一ど得心のゆくだけお話をして、あなた方のなつかしい顔を眺め、もう一度わしの心をすっかりひろげてお目にかけぬうちは、決して死にはしませんじゃ』とはっきりした調子で言ったのである。
 この最後の(と思われる)長老の談話を聞きに集ったものは、ずっと昔から彼に信服しきっている同宿である。その数は四人あった。ヨシフ、パイーシイ両主教のほか、一人はミハイル主教という、まださほど年をとっていない庵室ぜんたいの取締役で、大して学問があるわけでもなく、僧位も中どこにすぎないけれど、毅然たる精神を持って、朴直で不抜の信仰をいだいており、見かけは気むずかしそうな顔をしているが、心の中では深い法悦に浸っている人である。彼は少女のような羞恥をもってその法悦を隠していた。四人目の客は貧しい農夫の階級から出で、アンフィームという小作りな平《ひら》の老僧で、ほとんど文盲といっていいくらいであった。静かな寡黙の性質で、ろくろく人と口をきくこともないが、謙抑な人たちの中でもとくに謙抑な人物で、何かとうてい自分の知恵におよばないほど偉大な恐ろしいもののために、永久に慴かされたようなふうつきをしていた。長老ゾシマは、常に慄えおののいているようなこの老僧を非常に寵愛して、一生のあいだ、なみなみならぬ尊敬をもって彼に対した。もっとも、ほかの誰に対するよりも、この老僧に対しては口をきくことが少かった。そのくせ、以前は長年の間この老僧とともに聖なるロシヤ全土の遍歴をしたこともあるのだ。それは四十年ばかり前、あまり人に知られていない貧しいコストロマの僧院で、ゾシマが初めて僧侶として苦行の道に入った頃のことである。それから間もなく、貧しいコストロマの寺院に報謝を乞うため諸国を行脚するアンフィームの同行《どうぎょう》となったのである。
 一同は、主人も客も、長老の寝台の据えてある第二の部屋に座を占めた。これは前にも述べたとおり、きわめて手狭な構えであるから、四人の客はやっと長老の肘椅子をとり巻いて、第一の部屋から持って来た椅子に腰をおろすことができた(ただし、、聴法者のポルフィーリイはしじゅう立ったままであった)。早くも夕影になりそめた。部屋は聖像の前なる燈明と蝋燭の光に照らし出された。アリョーシャが入口に立ってもじもじしているのを見て、長老は悦ばしげにほお笑みながら、その方へ手をさし伸べた。
「よう帰った、倅、よう帰った、アリョーシャ、いよいよ帰って来たな、わしも、今に帰って来るじゃろうと思うておった。」
 アリョーシャはそのそばに近寄って、額が地につくほどうやうやしく会釈したが、急にさめざめと泣きだした。何かしら心臓が引きちぎれて、魂が震えだすように思われた。彼は慟哭したいような気持になってきた。
「お前は何としたことじゃ、泣くのはもう少し待つがよい。」長老は右の手をアリョーシャの頭にのせて、にっこり笑った。「わしはこのとおり腰をかけて話をしている。この分なら、本当にまだ二十年くらい生きられるかもしれんて、昨日|上山《ヴィシェゴーリエ》からリザヴェータという娘を抱いて来た、あの親切な優しい女房の言うたとおりかもしれんて。神様、どうぞあの母親と娘のリザヴェータをお守り下さりますように!(と彼は十字を切った。)ポルフィーリイ、あの女の施物をわしの言うたところへ持って行ったか?」
 これは昨日、元気のいい信ふぶかい女一男が、『わしより貧乏な女にやって下さりやし』と言って寄進した、例の六十コペイカのことを思い出したのである。この種の寄進は、われから好んでおのれに課した一種の難行といった形で行われるのだが、その金はぜひとも自分の労働で得たものでなければならなかった。長老はもはや昨晩のうちにポルフィーリイを使いとして、ついこのあいだ火事で丸焼けになった町人の後家にその施物を贈った。この女は火事にあった後、幾たりかの子供をつれて袖乞いに歩いているのであった。ポルフィーリイはもう用件をはたして、金は言いつけられたとおり、『無名の慈善家』という名義で贈ったことを急いで報告した。
「さあ、倅、起きなさい」と長老はアリョーシャに向って語をついだ。「一つお前の顔を見せてもらおう。お前、うちの人たちを訪ねて行ったか、そして兄に会うたか?」
 長老がこんなに正確な断乎たる調子で、兄だちと言わずにただ兄と訊いたのが、アリョーシャには不思議なことに思われた。しかし、どっちのことだろう? どっちにしても、長老が昨日か今日も自分を町へ送ったのは、その一人の兄のために相違ない。
「二人のうち一人のほうだけに会いました」とアリョーシャは答えた。
「わしが言うのはな、昨日わしが額を地につけて拝をした、あの上の兄のことじゃ。」
「あの兄さんとは昨日会ったばかりで、今日はどうしても見つかりませんでした」とアリョーシャは答えた。
「急いで見つけるがよい。明日はまた、急いで出かけるのだぞ。何もかも棄てて急ぐのだぞ。まだ今のうちなら何か恐ろしい変を未然に防ぐことができようもしれぬ、わしは昨日あの人の偉大なる未来の苦患《くげん》に頭を下げたのじゃ。」
 彼は急に言葉をきって、何やら思い沈むかのようであった。それは不思議な言葉であった。昨日の礼拝を目撃したヨシフ主教は、パイーシイ主教と目くばせした。アリョーシャはたまりかねて、
「長老さま、お師匠さま」となみなみならぬ興奮の体で言った。「あなたのお言葉はあまり漠然としております……一たいどのような苦患が兄を待ち伏せしているのでございましょう?」
「もの珍しそうに訊くものでない、昨日わしは何か恐ろしいことが感じられたのじゃ……ちょうどあの人の目つきが、自分の運命をすっかり言い現わしておるようであった。あの人の目つきが一種特別なものであったので……わしは一瞬の間に、あの人が自分で自分に加えようとしている災厄を見てとって、思わずぞっとしたのじゃ。わしは一生のうちに一度か二度、自分の運命を残りなく現わしているような目つきを、幾たりかの人に見受けたが、その人たちの運命は、――悲しいかな、――わしの予想に違わなんだ。わしがお前を町へ送ったわけはな、アレクセイ、兄弟としてのお前の顔が、あの人の助けになることもあろうと思うたからじゃ。しかし、何もかも神様の思し召し次第じゃ。われわれの運命とてもその数にもれぬ。『一粒の麦、地に落ちて死なずばただ一つにてあらん。もし死なば多くの実を結ぶべし。』これをよう覚えておくがよい。ところでな、アレクセイ、わしはこれまで幾度となく心の中で、そういう顔を持っているお前を祝福したものじゃ、今こそ打ち明けて言うてしまう。」長老は静かな微笑を浮べながらこう言った。「わしはお前のことをこんなふうに考えておる、――お前はこの僧院の壁を出て行っても、やはり僧侶として世の中に暮すのじゃぞ。いろいろ多くの敵を作るであろうが、その敵さえもお前を愛するようになる。また人生はお前にかずかずの不幸をもたらすけれど、その不幸によってお前は幸福になることもできれば、人生を祝福することもできるし、またほかの者にも祝福させることができるであろう、――それが何より大切なのじゃ。よいか、お前はこういったふうな人間なのじゃ。皆さん」と彼は悦ばし吁にほお笑みつつ、客人たちのほうを向いた。「この若者の顔がわしの心にとって、なぜこれほど懐しいものになったかというわけを、今まで当人のアレクセイにさえ一度も言うたことがない。今はじめてこれを打ち明けますじゃ。この少年の顔はわしにとって、まるで追憶と予言のように思われる。わしの生涯の曙に、わしがまだ小さな子供のとき、一人の兄があったが、花の盛りの十八やそこらの年に、わしの目の前で死んでしまいましたじゃ。その後、自分の生涯を送って行くうちに、わしはだんだんこういうことを信じるようになった、――この兄はわしの運命にとって、神の指標とも予定とも言うべき役割を勤めた、とな。もしこの兄がわしの生活の中に現われなんだら、もしこの兄という人がまるっきりなかったら、わしは決してこんなことを考えるようにならなかったのみか、僧侶の位を授かって、この尊い道へ踏み入ることもなかったに相違ない。その出現はまだわしの幼い頃のことであったが、今わしの旅路も下り坂となった時に、その再来とも言うべきものが、まざまざと現われたのじゃ。皆さん、不思議なことに、アレクセイは顔から言えばさほどでもないが、精神的になみなみならず似通うておるように思われて、わしは幾度この若者を、あの年若い肉親の兄と信じようとしたかしれぬほどですじゃ。わしの旅路の終りになって、追憶と接心のためにひそかにわしを訪れたのではないか、というような気がしてなりませぬ。まったく、われとわが奇怪な空想に驚かるるばかりですじゃ。ポルフィーリイ、今の話を聴いたか?」彼は傍らにはんべる聴法者に問いかけた。「わしがお前よりもアレクセイのほうをよけい愛するために、お前の顔に悲しみの影が現われるのを、わしは幾度となく見受けたが、今こそどういうわけかわかったであろうな。わしはお前をもやはり愛しておるのじゃ。それは承知しておってくれい。わしもお前が悲しむのを見て、ずいぶんつらい思いをしたわい。そこで皆さん、わしは今、この若者のことを、――わしの兄のことをお話ししようと思います。なぜと言うに、わしの一生涯のうちであれ以上に尊い予言的な、感動的な出来事はないからですじゃ。わしの心は歓喜の情に顫えました。今この瞬間、わしは自分の生涯を、まるでもう一度あらたに経験しておるかのように、まざまざと思い起すことができますじゃ……」

 ここで断わっておかねばならぬのは、長老が生涯の終りの日に客人だちと試みた談話は、一部分、覚書となって保存されていることである。これはアレクセイ・カラマーゾフが、長老の死後しばらくたってから、記念のために書きとどめたのである。しかし、これがその時の談話そのままであるか、それともアレクセイが以前の談話の中からも何か抽出してこの覚書につけ加えたか、そこは何とも決しかねる。のみならず、長老の談話はこの覚書で見るときわめて流暢にできあがっていて、さながら長老が友達に向って、自分の一生を小説体に述べたかなんぞのように思われるが、事実つぎの物語は幾分ちがったふうに述べられたのである。なぜならば、この晩の談話は一座の全体にわたっていたから、客人たちもあまり主人の言葉を遮ろうとはしなかったが、それでも自分たちのほうからも談話に口を入れたばかりか、何かの報告や物語さえ試みたほどである。その上、この物語がああ流暢な形をとり得るはずはない。なぜと言えば、長老はときどき息がつまって声が出なくなるので、休息のため床についたことさえあった。もっとも、長老のほうでも、すっかり寝つきはしなかったし、客人たちも自分の席を捨てて、立ち去るようなことはなかった……一度か二度、福音書の朗読のために、談話の途切れたこともある、読み手はパイーシイ主教であった。なお注目すべきは、客人たちのうちの誰ひとりとして、長老がこの夜死んでしまおうとは、夢にも思わなかったことである。昼間ふかい眠りにおちいったこととて、彼はこの生涯の終りの夜、友達を相手の長物語の間じゅう、自分の体をささえるにたるほどの新しい力を獲得したかのように思われた。それは彼の体内に、ほとんど信ずることができないほどの活力を維持してくれた最後の法悦であった。しかし、それも長い間のことではなかった。なぜと言うに、彼の兪の綱はふいにぶつりと切れてしまったからである……が、このことはまた後に語るべき時がくる。今は談話の始終の顛末をくだくだしく述べないで、ただアレクセイ・カラマーゾフの覚書によって、長老の物語を伝えるにとどめておこう。これだけは読者に知っておいてもらいたい。そのほうが比較的簡潔で、読むにも骨が折れまいと思われる。もっとも、いま一ど断わっておくが、アリョーシャが以前の談話の申からも多くのものを取ってきて、打って一丸としたのはもちろんである。

   第二 故大主教ゾシマ長老の生涯
         長老みずからの言葉をもといとして、アレクセイ・カラマーゾフこれを編む

    (A) ゾシマ長老の年若き兄

 愛すべき諸師よ、余は遠き北方の某県下なるV市に生れた。父は貴族であったが、さして名門の生れでもなければ、高い官位も持っていなかった。彼は余がようやく三歳の時にこの世を去ったから、余は少しも父のことを覚えていない。彼が余の母に遺したものは、ささやかな木造の家と、そこばくの財産であった。それはさして大きなものでなかっだけれど、母が子供らをつれて格別不自由なく暮してゆくには十分であった。われわれ兄弟はたった二人きりであった。すなわち余ジノーヴィイと兄マルケールである。彼は余よりも八つの年かさで、熱しやすい癇癖の強い性質であったが、人を馬鹿にしたようなところはもうとうなく、不思議なほど無口な人であった。うちにいて、母や、余や、召使などに対する時はそれが一そうはなはだしかった。中学校の成績はいいほうであったが、友達とは喧嘩こそせぬ、一向に親しむふうがなかっ究。少くとも、母の記憶するところではそうであった。
 なくなる半年ばかり前、もはや十八の春を迎えた時、兄は余らの町へ押し籠められた一人の政治犯の流刑囚のもとへ、しきりに出入りしはじめた。これは自由思想のためにモスクワから余らの町へ流された人で、大学でも有数の学者であり、かつ優れた哲学者であった。彼はなぜかマルケールを愛し、出入りを許すようになったのである。青年は、この人の家に毎晩毎晩入りびたりの有様で、その冬を過したが、やがてこの流刑囚は彼自身の願いによって、官へ奉職のためペテルブルグへ呼び戻された。というのは、彼が幾人かの保護者を持っていたからである。そのうちに四旬斎が始まったが、マルケールは精進をしようとせず、口汚く罵って、冷笑するのであった。『そんなことはみんな寝言だ、神なんてものは決してありゃしない』などと言って、母や召使のものばかりか、年少の余までも気死させた。余も十やそこらの少年ではあったけれども、こういう言葉を聞いて、いたく驚いたものである。余の家の召使は四人いたが、みな農奴ばかりであった。彼らはことごとく知合いの地主の名義で買われたのである。今でも覚えているが、母はこの四人のうち、下働きのアフィーミヤという跛の老婆を六十ルーブリで売り払って、その代りに普通の女中を傭ったことがある。
 ところが、六週間目に、とつぜん兄が病気になった。もっとも、兄は普段から健康ではなかった。きゃしゃでよわよわしく、肺病にかかりやすそうな体格であった。背は決して低くなかったが、曵せてひょろひょろしていた。しかし、顔立ちはととのって上品であった。はじめは風でも引いたのだろうくらいに思っていたが、医師は来て見るとすぐに母に耳打ちし、急性の肺病だからこの春一ぱいもたないかもしれぬ、と囁いた。母は泣きだした。そして、兄に向って用心ぶかい調子で(それは要するに、兄をびっくりさせないためであった)、どうかお精進をして聖餐をいただくようにと頼んだ。そのころ兄はまだ床についていなかったので、これを聞いたとき、非常に怒って教会を罵倒したが、それでも妙に考えこむようなふうであった。つまり自分の病気が重いので、母はまだ自分の気力があるうちに精進をさしたり、聖餐を受けさせたりしようと思っているのだ、と察したのである。もっとも、自分でもとうから健康の勝れないことを知っていた。もう一年も前のことであるが、一ど食事の時、余や母に向って落ちつきはらった調子で、『僕はこの世に住むべき人じゃないですよ。たぶん、一年とあなた方の間で暮すことができないでしょう』と言ったことがあるが、それが予言のような工合になってしまった。三日ばかりたって、神聖週間がやってきた。その火曜日の朝から兄は精進するために、教会へ赴くようになった。
『これはね、お母さん、ただ、あなたのためにするんですよ。あなたを悦ばして安心させるためなんですよ』と兄は母にこう言った。すると、母は悦びと悲しみのあまりに泣きだした。
『あの子が急にあんなに変ったところを見ると、もうこのさき長いことはないだろう。』
 しかし、兄は長く教会へ通う暇もなく床についてしまったので、懺悔の式も聖餐の式も、家でしてもらわなければならなかった。その頃は毎日、あかるい晴れ晴れした、薫りに充ちたような天気がつづいた。その年の復活祭《パスハ》は、例年より遅かった。余の覚えているところでは、兄は夜っぴて咳をし通して、ろくろく眠れない様子であったが、朝になると、いつもきちんと着替えをして、柔かい肘椅子に坐ってみようと言いだした。今でもその姿を覚えているが、兄は静かにつつましく腰をかけて、病人とはいいながら楽しく悦ばしげな顔をしていた。彼は精神的にもすっかり変ってしまった、――思いがけなく彼の心中に霊妙な変化が生じたのである! 例えば、年とった乳母が兄の部屋へ入って、『ごめん下さいまし、若旦那、お部屋のお像へ燈明を上げようと思いますが』と言うと、前には、そんなことを許すどころか、吹き消してまでいた兄が、『ああ、お上げ、ばあや、お上げ、僕はせんにお前だものすることをとめたりして、本当に罰当りな人間だったねえ。お前がお燈明を上げながらお祈りすれば、僕はお前を見て悦びながらお祈りをするよ、つまり、二人とも同じ神様を祈ることになるんだ。』
 こんな言葉は余らにとって、不思議なものに感じられた。母は居間に閉じ籠って泣いてばかりいた。そして、兄の部屋へ入る時にやっと涙を拭いて、面白そうな顔をして見せるのであった。
『お母さん、泣くのはおよしなさいね』と彼はよくこんなことを言った。『僕はまだまだ長く生きていられます。まだまだ長くみんなと楽しむことができます。ねえ、人生というものは、本当に人生というものは、楽しい愉快なものじゃありませんか?』
『まあ、お前なにを言うの、毎晩毎晩熱と咳で苦しめられて、胸が裂けはしないかと思われるくらいだのに、何の楽しいことなんかあるものですか?』『お母さん』と兄は答えた。『泣くのはおやめなさい。人生は楽園です。僕たちはみんな楽園にいるのです。ただ僕たちがそれを知ろうとしないだけなんです。もしそれを知る気にさえなったら、明日にもこの地上に楽園が現出するのです。』
 一同はこの言英に深く驚いた。それは兄の言い方がいかにも奇妙で、きっぱりしていたからである。余らは感激して泣きだした。知り人が訪ねて来ると、
『あなた方は優しい親切なお方です。一たい僕はどんな値うちがあって、あなた方に愛していただけるのでしょう。何のためにあなた方は僕みたいな人間を愛して下さるのでしょう? そして、僕はなぜ今までそれに気がつかなかったのでしょう? なぜ有難いと思わなかったのでしょう?」
 部屋へ入って来る召使に向っては、ひっきりなしに、
『お前がたは優しい親切な人たちだ。何のためにお前がたは僕に仕えてくれるのだ? 一たい僕はそんなに仕えてもらう価値があるのかしらん? もし神様のお恵みで生きながらえることができたら、僕は自分でお前たちに仕えるよ。なぜって、人はみなお互いに仕えあわなければならないからね。』
 母はこれを聞きながら頭をひねっていたが、
『これ、マルケール、お前は病気のためにそんなことを言うんですよ!』
『お母さん』と兄は答えた。『そりゃ主人と下僕《しもべ》の区別がまるっきりなくなるはずはありませんが、しかし、僕が家の召使の下僕となったっていいじゃありませんか、ちょうど召使たちが 僕のためにつくしてくれると同じようにね。お母さん、僕はさらに進んでこう言います、――僕たちは誰でもすべての人に対して、すべてのことについて罪があるのです。そのうちでも僕が一ばん罪が深いのです。』
 母はそのとき薄笑いすらもらした、泣きながら笑ったのである。
『お前どういうわけで、自分が誰よりも一ばん罪が深いなんて、そんなことをお言いなんだえ? 世間には大殺しだの強盗だのだくさんあるのに、一たいお前はどんな悪いことをして、そんなに誰よりも一ばんに自分を責めるんだえ?』
『お母さん、あなたは僕の大事な懐かしい血潮です(兄は当時、こういうふうな思いがけない、愛情のこもった言葉を使いはじめた)。ねえ、お母さん、まったくどんな人でもすべての人に対して、すべてのことについて罪があるのです。僕は何と説明したらいいかわかりませんが、それが本当にそのとおりだってことは、苦しいくらい心に感じているのです。まったく僕たちは今までこの世に暮していながら、どうしてこれに気がつかないで、腹を立てたりなんかしたのでしょう?』
 こういうふうに、彼は次第に強く感激と、歓喜の情を味わいつつ、愛のために胸を躍らしながら、毎日、眠りからさめて起き出すのであった。よく医者が見にくると(ドイツ人のアイゼンシュミットというのが来ていた)、
『ねえ、先生、まだ一日くらいこの世に生きていられるでしょうか?』と冗談を言うことがあった。
『一日どころか、まだ幾日も幾日も生きていられます』と医者は答える。『まだまだ幾月も、幾年も生きていられますよ。』
『一たい年が何です、月が何です?』と兄は叫ぶ。『何も日にちなぞ数えることはないじゃありませんか。人間が幸福を知りつくすためには、一日だけでもたくさんですよ。ねえ、皆さん、僕たちは喧嘩をしたり、互いに自慢しあったり、人から受けた侮辱をいつまでも憶えていたりしていますが、それよりか、いっそ庭へ出て散歩したりふざけたりして、互いに愛しあい讃めあって、接吻したらいいじゃありませんか。自分らの生活を祝福したらいいじゃありませんか。』
『あの人は、お宅の息子さんは、この世に住むべき人じゃありませんよ。』母が玄関まで見送りに出たとき、医師はそう言った。『あれは病気のため精神錯乱におちいられたのです。』
 兄の部屋の窓は庭に向っていたが、庭には古木が立ち並んで欝蒼たる陰をなし、その枝にはもう春の若芽がふくらんでいた。小鳥は早くも渡って来て、窓さきで歌ったり囀ったりしていた。彼はこれらの小鳥を眺めて楽しんでいるうちに、突然、小鳥に向って赦しを乞い始めるのであった。
『神の小鳥、悦びの小鳥、どうぞ私を赦してくれ。私はお前らにも罪を犯しているのだ。』この言葉にいたっては、余らのうち誰ひとり了解し得るものがなかった。ところが、兄は嬉しさのあまり泣きだしながら、『ああ、私の周囲には、こうした神の栄光が充ち満ちていたのだ。小鳥、木立、草場、青空、――それだのに、私一人だけは汚辱の中に住んで、すべてのものを穢していた。そして、美も栄光もまるで気がつかないでいたのだ。』
『それじゃ、お前、あんまり自分に罪をきすぎるじゃないかね』とよく母は泣きながら言った。
『お母さん、大事なお母さん、僕が泣くのは嬉しいからです、決して悲しいからじゃありません。僕がすべてのものに対して罪人《つみびと》となるのは自分の好きですよ。ただ腑に落ちるように説明ができないだけなんです。だって、みなの者を愛するにはどうしたらいいか、それさえわからないんですもの。僕はすべての人に罪があったってかまやしません、その代り、みんなが僕を赦してくれます。それでもう天国が出現するのです。一たい僕はいま天国にいるのじゃないでしょうか?』
 まだたくさんいろいろのことがあったけれど、いちいち思い出すこともできないし、また書き入れることもできない。ただ一つ、こんなことを憶えている。ある時、余はただひとり兄の部屋へ入って行った。ちょうど兄のほかには、誰ひとりいなかった。それは晴れ晴れした夕方のことで、日はまさに没せんとして、部屋ぜんたいを斜かいに横切って光線を投げている。兄は余を見つけると、手を上げてさし招くので、余はそのそばへ近寄った。すると、兄は両手を余の肩にかけ、さも感激したような懐かしげなまなざしで、じっと余を見つめるのであった。何もものを言わないで、一分間ばかりこうしてじっと見つめていたが、
『さ、もうあっちい行ってお遊び、僕の代りに生きでおくれ!』と言った。
 で、余はそのとき部屋を出て外へ遊びに行った。その後、一生涯の間に幾度となく、兄が余に向って、自分の代りに生きよと言いつけたことを、涙とともに思い起すのであった。こういうふうに、当時の余らにとっては、不可解であったけれども、美しい驚嘆すべき言葉を、まだまだ数多く残していった。彼は復活祭《パスハ》から三週間目に、意識を保たっままで生を終えた。むろん、口こそきけなくなったが、最後の一瞬間まで、いささかも変るところがなかった。顏つきは依然として、悦ばしそうで、目には愉悦の色をたたえ、視線をめぐらして余らの姿を見いだすと、ほお笑みながらさし招くのであった。町の人でさえも、兄の死をさまざまに語り伝えたほどである。これらすべての出来事は、当時の余の心を震撼したが、しかし大したことはなかった。もっとも、兄を葬った時には、余もむしょうに泣いたものである。実際、余は幼い子供であったけれども、心の奥には一切が拭うことのできない痕を残し、感動を秘めていたので、時いたれば自然と頭を持ちあげて、反響を起すのは当然である。はたせるかな、事実それに相違なかった。

    (B) ゾシマ長老の生涯における聖書の意義

 そのとき余は母と二人きり取り残された。間もなく、親切な知人の誰かれが母に勧めて言うのに、これであなたのところでは、息子さんがたった一人になったわけだが、家が貧しいというわけでなく、小金も持っていることゆえ、よその人の例に倣って、息子さんをペテルブルグへやったらいいではないか。こんなところにうかうかしていたら、息子さんの立身出世を妨げるようなものだ、――こう言って、人々は、余をペテルブルグの陸軍幼年学校へ送り、後に近衛師団へ入れるように、母を説いたのである。母は、たったひとり残った子供をどうして手放すことができようかと、長いあいださまざまに迷っていたが、少からね涙を流した後、ついに余のためを思って肚をきめた。母は余を携えてペテルブルグへ赴き、入学の手続きをしてくれた。そのとき以来、余はついに母を見ずに終った。彼女は三年の間、ふたりの子供を思って嘆き悲しんだ末に、とうとうこの世を辞したのである。
 父母の家から余が取り得たものは、ただ貴い記憶ぼかりであった。なぜならば、人間の貯えている記憶のうちで、もの心のついた頃に父母の家で獲得した記憶ほど貴いものはないからである。もし家庭内に僅かばかりでも愛情と融合があったなら、これは常にそうなのである。いや、最もみだれた家庭においてすら、その人の心が貴いものを捜しだす力さえ持っているなら、貴重な記憶を残すことができるのである。余は家庭の記憶の中へ、聖書物語に関する追憶をも数え入れようと思う。余は父母の家にいる間に、まだほんの子供ではあったけれども、この物語を知ることに非常な興味を感じた。当時、余は『新旧聖書より取りたる百四つの物語』という標題で、美しい挿絵のだくさん入った一冊の本を持っていた。この本によって余は読書を学んだのである。今でもこの本は、余の居間の棚の上にのっている。貴い記念として保存しているのである。
 しかし、まだ読書ということを学ばないうちに、ようやく生れてから九つにしかならない時分、初めて精神的直覚ともいうべきものが余の心を訪れたことを憶えている。それは神聖週間の月曜日であった。母は余ひとりだけを連れて(そのとき兄がどこにいたか覚えていない)、教会の祈躊式へ赴いた。余はいま追想しているうちにも、目の前にまざまざと見えるような思いがするが、晴れ渡った美しい日で、香炉からは香の煙が立ち昇って、ゆるゆる上のほうへ舞い昇ると、上のほうからは円天井の小さな窓を洩れて、神の光が教会の中なる余らの上に降りそそぐ。香の煙は波のように揺れながら、そこまで昇って行くと、いつともなく日光の中に溶け込むのであった。それをば感激のまなこをもって見ているうちに、余は生れてはじめて、神の言葉の最初の種子を、意識的に自分の魂へ取り入れた。一人の小さな少年が大きな本をかかえて、――その時やっとの思いでさげて歩いているように思われたくらい、大きな本をかかえて、会堂の真ん中へ進み出た。そうして、それを教壇の上にのせて、ページをめくって読み始めた。余はその時はじめて、何とも言えぬあるものを感じた。教会で読むのはどんなものかということを、生れてはじめて悟ったのである。
 ウズの地にヨブという正直で潔白な人が住んでいた。彼は莫大な富を有し、無数の駱駝と羊と驢馬とを飼っていた。子供らも楽しげに戯れ遊び、彼もその子供らを愛でいつくしんで、常に彼らのことを神に祈っていた。ことによったら、彼らも嬉遊のあいだに何か罪を犯したかもしれぬ。ところが、ここに悪魔は神の子らとともに神のみ前へ登って、地上地下を隈なくへめぐった由を言上した。
『わしの下僕《しもべ》のヨブに会ったか?』と神はこう訊いて、偉大にして神聖なる自分の下僕ヨブのことを、悪魔に自慢せられた。神の言葉を聞いて、悪魔はにたりと笑いながら、
『あの男を、わたくしにおまかせ下さいませんか。そうすれば、あなたの神聖なる下僕が不平を訴えて、あなたのみ名を呪うところをごらんに入れますから。』
 そこで神は自分の愛する下僕を悪魔の手に渡した。すると、悪魔は彼の子供らと家畜の群をことごとく亡ぼしつくした上、神の雷《いかずち》のわざのように、莫大の富を須臾の間に蕩尽させたのである。ヨブはわれとわが着物を裂き捨てて、大地にがばと身を投じながら、
『母の胎内から裸のままで飛び翔したのだから、裸のままで大
地に帰ればいいのだ。神様が授けて下すっこものを、神様がお取り上げになったまでだ。どうか、主のみ名が今より永久に祝福されますように!』と叫んだ。
 親愛なる諸師よ、今の余の涙を許したまえ、――何となれば、余の幼時がふたたび眼前に髣髴して、当時八歳の小さな胸で呼吸したと同じ呼吸を、今も余はこの胸に感じ、あの当時と同じ驚異と惑乱の喜悦とを、現にまざまざと感じているからである。実際そのとき駱駝の群と、神に話をしかけた悪魔と、自分の下僕を滅亡に追いやった神と、『ああ、神様、あなたはわたくしに罰をお下しなさいましたが、それでもあなたのみ名が祝福されますように』と叫んだ下僕とが、余の想像を一ぱいに充してしまったのである、――それから『わが祈りは聞かるべし』という静かな甘い唱歌の声が堂内に響き渡って、煙はふたたび僧の持っている香炉から立ち昇った。やがて人々は跪いてお祈りをはじめた。
 その時からというもの、余は涙なしにこの神聖なる物語を読むことができない、――現につい昨日もこの本を手に取ったほどである。まったくこの物語の中には、想像もできないほど偉大で神秘なものが、いかに多く含まれていることであろう!余はその後、嘲笑者、誹識者の言葉を聞いたが、それは傲慢な言葉であった。
『主はどういうわけで、自分の聖者中もっとも愛する寵児を悪魔の慰みにゆだねてしまって、彼の手から子供らを奪い取った上、彼自身をもさまざまな業病の餌食となし、壺のかけらをもって自分の傷口から膿を汲み取らねばならぬような、そんな恐ろしい目にあわすことができたのだろう? しかも、それが何のためかというと、ただ悪魔に自慢したいがためにすぎない。「それみろ、わしの聖徒はわしのために、こういう辛苦をも忍ぶことができるではないか!」と言いたいがためにすぎないのだ。』
 しかし、そこに神秘がある、そこでは蜉蝣《かげろう》のごとき地上の姿が、永久の真理と相接触している、――それが偉大なのである。そこでは、創世主が創造の最初の幾日かの間、『わが創りたるものはよし』という讃美をもって、おのおのの日を完成せられたと同じように、神はヨブを見てふたたびおのれの創造を誇られたのである。またヨブが神を讃美した時、彼は単に神一人に仕えたのみならず、神の創造、しかも代々永久の創造にまで奉仕することとなった。それは、初めからそういう使命を授けられていたからである。ああ、実に何という書物であろう、実に何という教訓であろう! この聖書は何という書物であろう、何という奇蹟であろう! そして、この書物によって、何という力が人間に与えられたことであろう! 世界と人間と、そして人間の性質とが、さながら浮彫りにされているようである。一切のものが永久に名ざされている。そうして、いかに多くの秘密が解決され、かつ啓示されていることであろ ほかでもない、神はふたたびヨブを奮起せしめて、ふたたび彼に富を与えたのである。こうして、さらに夥多の歳月が流れて、もう彼は新しい別な子供らの親となり、その子供らを愛することとなった。ところが、人は『ああ、何たることだ! 以前の子供らがいなくなったのに、以前の子供らが永久に奪い去られたのに、どうして彼はこの新しい子供らを愛することができたのか? どんなに新しい子供らが可愛く思われるにもせよ、以前の子供らのことを思いだして、前と同じように十分な幸福を味わい得るだろうか?』ところが、それが可能なのである。大いに可能なのである。昔の悲しみは人生の偉大な神秘によって、次第次第に静かな感激に充ちた悦びと変ってゆく。若い時の湧き立つような血潮の代りに、つつましく晴れ晴れとした老年が訪れるのである。余は日々《にちにち》の日の出を祝福し、余の心は依然として朝敏に向って歌を歌うけれども、しかしどちらかというと、むしろ入日のほうを愛する。斜めにさす夕日の長い光線を愛する。それを眺めているうちに、静かな、つつましい感激に充ちた追憶や、なつかしい人の面影などが、長い祝福すべき生涯の中から甦ってくる、――そうしたすべてのものの上に、人を感激せしめ和解せしめ、かつ一切を許す神の真理がさし昇るのである! 余の生涯はまさに終らんとしている。それは自分でもわかっている。しかし、僅かに残れる日の訪れごとに、余の地上の生活がすでに新しい、限りない、まだ知られない、とはいえ近く訪れるべき生活と、相触れんとしているのが感じられる。その生活を予感すると、余の魂は歓喜に顫え、知性は明らかに輝き、感情は喜悦に咽び泣くのである…… 親しき友なる諸師よ、余は一度ならず次のようなことを聞いた。ことに今、――最近にいたって、なお一そう耳に入ることが多くなった。ほかではない、わが国の僧侶が到るところで(といっても、地方の僧侶においてことに著しい)、収入の少いことと地位の低いことを、涙っぽい調子で訴えるばかりか、さらに進んで新聞雑誌で、――余は自分で読んだことがある、――われわれはあまり収入が少いから、もはや人民に福音書