京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

『カラマーゾフの兄弟』P310-321   (『ドストエーフスキイ全集』第12巻(1959年、米川正夫による翻訳、河出書房新社))[挑戦18日目]

講義するわけにゆかぬ。よしルーテル派やその他の異教徒が、羊の群を奪い始めようとも、勝手に奪わせるほかはない。自分らの収入が少いのだから、などと断言して憚らないものさえある。ああ、神よ、彼らのためにかほどまで貴き収入を、いま少し多分に与えたまえ、と余は考えた(なぜならば、彼らの訴えにもまた道理があるからである)。しかし、真実のところを言うと、もしこれについて誰か罪があるとすれば、それはなかば余ら自身なのである。なぜなれば、たとえ余暇がないとしても、たとえ二六時中、労働と勤行にさいなまれているという彼らの申し分に道理があるとしても、せめて一週間にたった一時間でも、神のことを思い起す時がありそうなものではないか。それに、年じゅう仕事のあろうはずはない、初めのうちはただ子供だけでもよい、一週間に一ど夜分わが家へ集めるがよい、――そのうちに父親たちも囀を聞いて、やがて聴聞に来るようになるであろう。しかし、何もこのために大きな家など建てることはいらね。ただ自分の小屋へ招けばよいのである。決して心配することはいらね。自分の小屋を汚されるようなことはない、僅か一時間ばかりの集りではないか。それからこの本をひろげて見せて、むずかしい言葉を使ったり気どったり、高いところから見おろしたりするような態度をとらず、優しいつつましい調子で読んで聞かしてやるがよい。その際、自分の読んでいることを、みなの者がじっと聞きとり了解してくれると思って、みずから悦ばしい感じをいだかねばならぬ。自分で自分の読んでいる言葉に愛を持たねばならぬ。そして、ときおり朗読をやめて、民衆にわからない言葉を、説明して聞かせるがよい。いや、何も心配することはない、みんな会得してくれる。正教の民は何でも会得することができるから! アブラハ厶のこと、サラのこと、イサークのこと、レヴェッカのことなど読んで聞かせるがよい。それからヤコブがラバンのところへ行って、夢に神と戦い、『このところは恐ろし』と言った話をもして聞かせて、民衆の正直な心に驚異を与えるがよかろう。
 また民衆に、とりわけ子供らには、次の話を読んで聞かすがよい。兄たちが肉親の弟ヨセフを、――夢判断に長じた偉大な予言者で、同時に可憐なる少年を、奴隷に売っておきながら、父には獣が弟を八つ裂きにしたと告げて、血にまみれた弟の着物を出して見せる。その後、兄たちは穀物を取りにエジプトへ赴いたが、ヨセフはもはや兄たちも弟と気がつかないほどの廷臣となっているのを幸いに、兄たちの罪を責めてさんざんに苦しめた上、弟ベニヤミンを召し捕ってしまった。しかも、これらすべてのことは、愛しながらしたことなのである。『私はあなた方を愛しています。愛しながら、苦しめるのでございます。』なぜと言うに、彼は自分がかつてどこかの砂漠の井戸のそばで、奴隷として商人に売られたことや、そのとき兄たちに向って、よその国へやらないでくれと祈ったことを、これまでたえまもなく思い出していたけれども、こうして長の年月を隔てて会ってみると、ふたたび量りがたい愛を感じたからである。しかし、愛しながらも、彼らを苦しめ悩ますのであった。ついにヨセフは心の悩みにたえかねて、彼らの傍らを去り、床の上に身を投げながら、啼泣する。やがて涙を払って、晴れ晴れした明るい顔をしながら部屋を出て、『兄さん、わたくしはヨセフです、あなた方の弟です』と名乗りをあげた。それから、なお進んで、老父のヤコブが、愛するわが子のまだ生きていることを聞いた時、故郷を棄てて、エジプトさして慕って行っだが、ついに他郷の土と化してしまった。そのとき彼は一生涯、自分のつつましい臆病な胸の中に、人知れず秘めていた偉大なる言葉、すなわち、彼らユダの一族より、全世界の希望、全世界の和解者、全世界の救済者が出現するであろうという言葉を、末世末代までの誓約として言い遺した。こういうことも読んで聞かしたらよかろう。
 親愛なる諸師よ、どうか怒ることなく許したまえ。余は諸師のすでに熟知せられ、かつ余自身より数百倍も巧みに整然と語り得らるる事柄を、幼児のごとく、とくとくとして説いている。しかし、余は感激を包みかねて物語るのである。しかして、余の涙をも許していただかねばならぬ。なぜなれば、余はこの書物を愛するからである! これを民衆に読み聞かす僧侶にも、感激の涙が望ましい。さすれば、聴衆の胸もこれに応じて顫えるのが、認められるであろう。必要なのは、ただ一粒の小さな種子だけである。これを民衆の胸に投げさえすれば、種子は生涯ほろびることなくその胸に生きて、あたかも一点の光のごとく、偉大なる暗示のごとく、罪悪の闇と悪臭との間にひそむであろう。しかし、くだくだしく説き諭すことはない、そんな必要は少しもない。彼らは素直に一切のことを会得するであろう。
 はたして諸師は、人民に会得の力がないと思われるか? さらば試みに進んで、美しきエスチイーリと傲れるバスチヤの、哀れな感動すべき物語を読んで聞かせるがよい。でなければ、鯨の腹へ入った予言者ヨナの驚嘆すべき物語でもよかろう。それから同じように、キリストの寓話をも忘れぬようにしなければならぬ。これは主としでルカ伝からとるがよい(余もそういうふうにしてきた)。また使徒行伝の中からはサウルの告白(これはぜひぜひ読んで聞かせねばならぬ!)、また最後には『殉教者伝』の中から神の子アレクセイの生涯と、偉大なるが中にも偉大なる悦びの殉教者であり、神の実見者であり、キリストの崇拝者である尼僧、エジプトのマリヤの生涯を読み聞かすがよい、――すると、これらの単純な物語で、民衆の心を刺し貫くことができるのである。それも一週間に僅か一時間でよい。自分の俸給の少いことなど意に介せず、ただ一時間だけ犠牲にすればよいのである。さすれば、いかにわが国の民衆がなさけ深く、感謝の心に富んでいるかを、おのずから了解するに相違ない。民衆は、僧侶の熱心と感激に充ちた言葉をいつまでも覚えていて、百層倍もあつく酬いるであろう。すなわち、彼の畠の仕事なら喜んで手伝おうし、家の仕事も同様に手伝うであろう。そして、以前にまさる尊敬を払うにちがいない、――それだけで、もはや彼の収入は増すことになる。これはまったく単純な思いつきであるから、場合によっては、何だばかばかしいと笑われはせぬかと思って、人に話すのが躊躇されるくらいである。とはいえ、これが何よりも確かな方法なのである! 神を信じないものは、民衆をも信じない。民衆を信ずるものは、それまで少しも信じていなかった神の尊い恵みをも見抜くようになる。ただ民衆と民衆の未来の精神力のみが、生みの土からもぎ放されたわが国の無神論者を、正しい道へ引き戻すことができるのである。事実、キリストの言葉といえども、実例なくしては何にもならぬ。神の言葉がなかったら、民衆はただ滅亡あるのみではないか。民衆は神の言葉に渇し、すべて美しきものの感受に饑えている。
 余の若い時であるから、もはやずいぶん占いことである。かれこれ四十年ばかり前、余はアンフィーム師とともにロシヤ全土を遍歴して、ある僧院のために寄進を集めたことがある。ある時、余らは船の通っている大きな河の岸で、漁師らとともに一夜を明かした。その時、ひとり顔かたちの整った農夫出の若者が、余らの傍ら近く座を占めた。見受けたところ、もう十九ばかりの年頃らしかったが、明日さる商人の艀《はしか》を曳船しようというので、目的地をさして急いでいるのであった。見ると、若者は感激に充ちたはればれしい目つきをして、向うのほうをじっと見つめている。それは明るい、静かな、暖い七月の夜で、ひろびろとした河面からは水蒸気が立ち昇り、人の気持を爽やかにしてくれる。ときどき魚がぴちりと跳ねるくらいのもので、小鳥どもは声をおさめ、あたりは気高く静まりかえって、すべてが神に祈りを捧げているようであった。その夜、寝ないでいたのは余らふたり、つまり余と若者ばかりであった。余らは神の世界の美しさと、その偉大なる神秘とを語りあった。一もとの草、一匹の甲虫、一匹の蟻、こがね色した蜜蜂、すべて知性を持っていないこれらのものが、驚かるるばかりおのれの道を心得ていて、神の秘密を証明し、みずからその秘密をたゆみなく行っているではないか。このような話をしているうちに、可憐な若者の心が燃えてくるのが、余にはよくわかった。この若者の話によると、彼は鳥さしで、森や森の小鳥が大好きだとのことであった。彼は小鳥の啼き声を一つ一つ聞き分けて、どんな小鳥でもおびき寄せるすべを弁えていた。
『わたくしは森の中にいるのが一番すきでございます』と彼は言った。『けれど、何でもみんなよろしゅうございます。』
『そのとおりじゃ』と余は答えた。『何でもみんなよい、何でもみんな美しい、なぜなら、すべてが真であるからじゃ。まあ、馬を見てごらん。あれほど大きな獣が人間のそば近く立っておるではないか。また牛をごらん、いつももの思わしそうに頭を垂れながら、人間に乳を与えたり、人間のために働いたりする。まあ、牛や馬の顔を見るがよい、何というつつましい表情であろう。たびたび自分を無慈悲に鞭うつ人間に対し、何という愛慕の情を示しておることであろう。また何という悪びれない、一途に人を頼るような表情であろう。また何という美しい顔であろう。こういう獣にはいささかも罪がない、ただこう考えるだけでも涙が溢れるではないか。なぜなら、人間をのぞくすべてのものは、少しも罪のないように創られておるから、キリストさまはわれわれよりもさきに、牛や馬につき添うて下さるのじゃ。』
『へえ、それでは』と若者はたずねた。『牛や馬にもキリストさまがつき添うていらっしゃいますか?』
『つき添うて下さらないで何としよう』と余は言った。『なぜなら、道《ことば》はすべてのもののために存在するからじゃ。すべての創造物《つくりもの》は、たとえ一枚の木の葉でも、その道を目ざして進みながら、神様の栄えを歌い、キリストさまのために嬉し涙を流しておるのじゃ。しかし、自分でもそれを知らずにおる。ただただ無垢の生活の秘密がこれを行ってくれるのじゃ。なあ、それ、森の中には恐ろしい熊がうろついている。もの凄い、だけだけしい獣じゃ。しかし、そのことは毫も熊の罪にはならぬじゃて』と言って、余は森の中の小さな庵で行いすましている大聖者のところへ、あるとき一匹の熊がやって来た話をして聞かせた。大聖者はこの熊が可愛くてたまらなくなったので、恐れげもなくそのそばへずかずかと立ち寄り、一片のパンを与えながら、『もう行け、キリストさまがついていらっしゃる』と言うと、猛き獣は少しも害を加えないで、おとなしくそこを立ち去ってしまった。
 若者は、熊が少しも害を加えないで立ち去ったことや、熊にもキリストさまがついていらっしゃるということなどに、すっかり感動してしまった。
『ああ、面白い話でございますなあ。本当に神様のものは何でもみな結構で、立派でございますなあ!』若者はじっと坐ったまま、静かな甘いもの思いに耽っている。余の言葉が腹に入ったらしい。やがて、余の傍らで、軽い無垢な眠りに落ちてしまった。『主よ、青春を祝福したまえ!』余はそのとき眠りにつく前に、若者のために祈ってやった。『神よ、みずから創りたまいし人々に、やわらぎと光を送りたまえ!』

    (C) 俗世にありしゾシマ長老の青年期に関する回想――決闘

 ペテルブルグでは幼年学校の中にずいぶん長く、八年ばかりもいた。そして、新しい教育を受けるとともに、幼い頃の印象を大部分どこかの隅のほうへ追いやってしまった。もっとも、何一つ忘れはしなかったのである。その代り、いろいろ新しい習慣や意見を摂取したので、ほとんど野蛮といっていいくらい残酷で、愚昧な動物となりおおせた。礼儀と社交術の上っ光りはフランス語とともに手に入れるし、学校で余らのために仕えてくれる兵隊どもは、余らの目から見ると、何のことはない、ただの牛馬同然に思われた。余もやはり同じように思っていた。いや、ことによったら、余が一番ひどかったかもしれぬ。というのは、余は万事につけて、友達仲間でも一ばん感受性が鋭かったからである。余らは将校として学校を出たとき、傷つけられたるわが連隊の名誉のためには、自分の血を流すのもいとわないくらいの勢いであった。しかし、真の名誉が何ものであるかは、余らのうち誰ひとりとして弁えるものがなかった。よしまた知ったところで、余自身まっさきになって、それを罵倒したに相違ない。飲酒、放蕩、伊達気取りなどは、ほとんど自慢の種にならないばかりであった。
 しかし、何も余らが穢らわしい人間であったというわけではもうとうない。これらの青年はすべて善良な人間であったが、ただ素行が悪かったのである。中でも余は、最もはげしかった。何よりおもな原因は、余に自分の財産というものができたことである。それゆえ、年少の血気にまかせて、おのれの快楽に向って盲目的に突進した、つまり、ありったけの帆をあげて船を走らせたのである。しかし、ここに奇妙なことがある。ほかではない。その時分でも余は書物を読んでいたばかりか、読書には非常な快楽を感したほどである、けれど、聖書だけは当時一度もひもといたことがない。そのくせ、決して肌身をはなしたこともなく、どこへ行くにも、持って歩いたものである。まったく、自分でもそれと意識しないで、この本を大事にかけていた。『もう一時間たったら、もう一日たったら、もう一月たったら、もう一年たったら』という心持だったのである。
 このような有様で、四年ばかり勤務した後、ついに余は当時連隊の駐屯していた。K町に住むこととなった。町の社交界にはさまざまな毛色の変った人が大勢いて、なかなか賑やかではあるし、客あしらいはいいし、それにずいぶん贅沢であった。余はどこへ行っても、よくもてなされた。それは、余が生れつき快活な性質であった上に、小金を持っているという噂が通っていたからである。まったくこれは社交界で少からね意義を有している。ところが、ここに一つの事件がもちあかって、一切のことの発端となったのである。
 余は若い美しい一人の令嬢と近づきになった。彼女は町の名士を親に持った、聴明で品格のある、高尚で明快な性質の女であった。その一家は地位も財産もあり、相当な権力も持っていた。家の人は余の訪問を優しく愛想よく迎えてくれた。そのうちに、この令嬢が余を憎からず思っているというような気がしたので、余の心はその想像に煽られて、燃え立ってきた。それからずっと後に、余も目がさめて、自分はあの令嬢をさほど熱烈に愛していたわけでなく、ただその高尚な性格と知性(これは実際まちがいなかった)を尊敬していたにすぎない、と悟ったのである。とはいえ、その時は利己心に妨げられて、結婚の申し込みができなかった。つまり、そうした血気さかんな年頃ではあるし、おまけに金まで持っていたので、自由放佚な独身生活の誘惑と別れるのが、苦しくも恐ろしくも感じられたのである。しかし、少々匂わすくらいのことはしたが、とにかく断然たる行動はしばらく見合せていた。
 そのとき突然、ひと月ばかり他郡へ派遣されることとなった。二カ月たって帰ってみると、意外にも令娘はもう結婚しているではないか。男は郊外の富裕な地主で、余にくらべると幾つか年上ながらまだ若い人で、首都――しかも上流の社会で、多くの知人縁者を持っている(余にはこれがまったく欠けていた)。ごく愛想のいい人で、おまけに教育もあった。しかるに余はまるで無教育ものなのである。余はこの思いがけない出来事に打ち挫がれて、頭がぼうとなってしまった。しかし主なる理由は、この若い地主がすでにとくから令嬢の許婚であったということと(余はその時はじめてこのことを耳にしたのである)、余自身も幾度となく同家でこの男に出会いながら、自分の価値をすっかりうぬ惚れていたために、今まで少しも気がつかなかったということである。
『一たいどういうわけでみんな誰でも知っていることを、おれ一人知らなかったのだろう?』こういった想念が何よりも余を侮辱したのである。余は急にたえがたい憎悪を感じた。
 余は顔を赧らめながら、以前のことを回想し始めた。ほとんどあからさまに自分の恋を打ち明けようとしたことも幾度となくあった。そのとき彼女が余の言葉をとめようともせず、また事情を知らせようともしなかったところを見ると、疑いもなく彼女は余を弄んだのだ、とこういう結論に達した。もちろんずっと後になっていろいろ思いあわしたすえ、彼女は少しも弄びなどしなかったばかりか、かえってそうしたふうな話を冗談のように遮って、話頭を他へ転じようとしたことを思い出した、――しかし、当時はそんなことなど思いあわしている余裕がないので、ひたすら復讐の念に燃えていた。時おり思いだすたびに驚きを禁じ得ないことであるが、こうした復讐や憤怒の念は、余自身にとっても苦しくいまわしいものであった。なぜなら、余は生来軽快なたちであり、誰に対しても長く腹を立てていることができなかったので、まるでわれとわが心に火をつけるようにしていた。その結果、ついにはいまわしい愚かな人間となりはてたのである。
 余は時のいたるのを待っていたが、突然あるとき大勢の一座の中で、まるっきり関係のないことが原因になって、うまく自分の『競争者』を侮辱することができた。つまり、当時の重大なある出来事(一八二五年十二月十四日にいわゆる十二月党事件が起った)(それは一八二六年のことであった)に関する彼の意見を冷やかしたのである。人の話によると、その冷やかしがなかなかうまく辛辣にいったとのことである。それから無理やり彼に話合いを要求したが、その話合いの際、思うさま無礼な態度をとったので、ついに彼は余ら両人の間の格段な相違をも顧みず、――なぜというに、余は彼より年も若く、社会上の地位も官等も微々欠るものであったから、――余の挑戦に応じたのである。これは後になって確かな筋から聞いたことだが、彼もやはり余に対する嫉妬の情から余の挑戦に応じたとのことである。彼は以前、妻の処女時代に幾分余を嫉視していたから、いま凌辱を受けながら、断然決闘を申し込むことができなかった、などということが妻の耳に入ったら、彼女は自然と夫を軽んずるようになり、したがってその愛もゆらぐに相違ない、とこう考えたのである。余はただちに介添人を探し出した。それは同じ連隊の中尉であった。当時、決闘は厳重に処罰されたが、軍人仲間ではそれがまるで流行のようになっていた。それほどまでに人間の偏見は野蛮な成長を遂げ、固く根を張ることがある。
 おりしも七月の終り頃で、二人の決闘は明朝七時、場所は郊外ということになっていた、――と、思いがけなく、全運命を顛覆するようなあるものが、余の心に生じたのである。その夕方、獰悪な醜い形相で家へ帰った余は、従卒のアファナーシイに腹を立てて、二度ばかり力まかせに、血が滲み出るほど横つらを擲りつけた。彼はもうずっと前から余のもとに勤務していたので、前にもよく擲りつけたことがあるけれど、こんな野獣のように残忍なことは、ついぞしたことがない。こう言ったとて、諸師は信じもせられまいが、四十年たった今日にいたるまで、このことを思い出すたびに、羞恥と苦痛を感ずるのである。
 余は床についた。三時間ばかり眠った後、目をさましてみると、すでに夜は明けかかっていた。余はくるりと起きて、――もう寝る気にならなかったので、――窓に近づいて扉を開けた。余の窓は庭に面していたが、と見ると、日はまさに昇ろうとして、暖い美しい景色である。小鳥が鳴きだした。一たいどうしたのだろう?(ふと余はこんなことを考え始めた)、どういうわけで心の奥に何かしら穢れた、卑しいものを感じるのだろう? これから人の血を流しに行こうとしているからだろうか? いや、どうもそうでないらしい。それとも死が恐ろしいからだろうか、殺されるのが恐ろしいからか? いや、まるでちがう、全然ちがう…… と、ふいに余は事の何たるやを悟った。ほかでもない、昨夕アファナーシイを擲ったからである! すべての光景がもう一ど繰り返されたかのように、まざまざと脳裏に描き出された。目の前にはアファナーシイが立っている。すると、余は力まかせにその顔の真ん中を擲りつける、彼は列中に立っているように不働の姿勢をとって首をまっすぐにささえながら、目を大きくむき出している。一つ打たれるごとに、ぴりりと身を慄わすばかりで、自分を庇うために手を上げることさえし得ないのだ。ああ、人間が人間を打つとは、人間もこれほどまでに堕落するものか! ああ、何という犯罪! それはちょうど鋭い針で魂をぐさりと突き通されたような気持であった。余は腑抜けのように立っていた。窓外には太陽が輝いて、木の葉は悦しげにきらめき、小鳥らは、ああ、小鳥らは神をたたえていた。余は両手で顔を蔽うや、そのまま床の上へくず折れて、声をあげて慟哭し始めた。そのとき余は兄のマルケールと、彼が臨終のまえ召使らに言った言葉を思い起した。『お前たちは優しい親切な人間だ。一たいお前たちは何のために僕に仕えてくれるのだ。何のために僕を愛してくれるのだ。一たい僕はお前に仕えてもらうだけの値うちがあるのかしら?』『ああ、本当におれにそんな値うちがあるかしら?』という考えがふと余の胸中にひらめいた。『実際、どういう値うちがあって、おれは自分と同じ人間を、神の姿に似せて創られた人間を、自分に奉仕させている政だろう?』この疑問が、生れて初めて、余の心を深く貫いたのである。『お母さん、あなたは僕の大事な懐かしい血潮です。ねえ、お母さん、まったく人は誰でもすべてのことについて、すべての人に対して罪があるのです。人はただこのことを知らないだけなのです。もしこれを知ったなら、すぐ天国が出現するでしょうにねえ!』――『ああ、神様、これが本当のことでないでしょうか』と余は泣きながら考えた。『まったくわたくしは、すべての人に対して罪があるのでございます。いや、もしかしたら、誰より一ばん罪が重いかもしれません。世界じゅうで一ばん劣った人間かもしれません!』そのとき忽然として、事の真相が余の胸裏に隈なく照らし出された。一たい余は、これから何をしようとしているのか? 自分に対して何一つ罪のない、善良にして聡明な、高潔なる紳士を殺そうとしているではないか? そうしてこの行為によって、その妻を不幸におとしいれ、非常な苦悶を与えた挙句、ついには殺してしまおうとしているではないか。
 余は床の上へうつ伏しに身を投げだし、枕に顔を埋めたまま、時のたつのも知らずにいた。ふいに同僚の中尉が、二挺のピストルを持って余を誘いに来た。
『ああ、よかった、もう起きてたんだね。もう時間だよ、行こうじゃないか。』
 余は急にうろたえて騒ぎだした。やがて二人は馬車へ乗るべく外へ出た。
『ちょっと待ってくれたまえ』と余は彼に言った。『ちょっと一走り行って来るから、金入れを忘れたんだ。』余は一人で家のほうへとってかえし、アファナーシイの部屋へ駆け込んだ。
『アファナーシイ、おれは昨日お前の顔を二度なぐった。どうかおれを赦してくれ』と言った。
 彼は慴えたように慄えあがって、余の顔を見つめていた、――が、これだけではたらぬように思われたので、ちょうど礼服を着けていたが、そのままふいに、彼の足もとへ身を投じ、額を床につけて『おれを赦してくれ!』と言った。このときは彼もすっかり度胆を抜かれてしまった。
『中尉殿、旦那さま、あなたはまあ、何を……それに、わたくしがそんなことをしていただく値うちが……』突然彼は、先刻の余と同じように泣きだした。両手で顔を蔽いながら、くるりと窓のほうへ向き、せぐり上げる涙に全身を顏わせるのであった。余は同僚のほうへ走って行って、馬車に飛び乗るやいなや、『やれ』と叫んだ。
『おい、君、勝利者を見たかい。』余は友に向って叫んだ。『それはいま君の前にいるんだ!』
 余は何ともいえぬ歓喜を覚えたので、みちみち笑いながら喋って喋って喋り抜いたが、何を喋ったかは、少しも憶えていない。友は余の顔を見て、
『いや、君はまったくえらい、確かに軍服の名誉を保ち得るよ。』
 やがて余らは定めの場所へ到着した。敵手はもうその場にあって余らを待っていた、余らふたりは互いに十二歩の距離をへだてて、別れ別れに立たされた。第一発の権利は相手方に与えられた、――余は愉快そうな顔つきをして、面と面を向け合せながら彼の前に立ち、瞬きもせずに、愛情をこめて彼の顔を見つめていた。余は自分のなすべきことがわかっていた。ついに彼は火蓋を切った。が、僅かに余の頬をかすめて、耳に触ったばかりである。
『ああ、いいあんばいだった』と余は叫んだ。
『人間ひとり殺さないですみました!』こう言って、自分のピストルを取り、くるりとうしろ向きになると、いきなり森の中へ投げ込んでしまった。『そら、そこがお前に相当した場所だ!』それから余は敵のほうへ向きなおって、『あなた、どうぞわたくしを、この愚かな若者を赦して下さい。わたくしは自分が悪いために、かえってあなたを侮辱した上、どうしてもピストルを撃たねばならないように仕向けました。わたくしはあ
なたより十倍も、いや、あるいはそれ以上劣った人間です。どうかこれをあのお方に、――あなたがこの世の誰よりも尊敬していられる方に伝えて下さい。』
 余がこう言い終るか終らぬかに、三人のものは声を揃えて叫び出した。
『まあ、考えてもごらんなさい』と敵は言った(彼はむしろ腹を立てていたくらいである)。『もし喧嘩をしたくないのなら、どうしてこんな手数をかけたのです?』
『昨日は』と余は答えた。『昨日は、まだ馬鹿だったのですが、今日は少し利口になりました。』余は愉快そうな調子でこう言った。
『昨日のことはわたしも本当にしますが、今日のようなことになると、あなたのご意見だけでは、何とも了察しかねます。』
『まったくです』と余は両手を拍って叫んだ。『わたくしもあなたに同意です、それが当然の報いなのです!』
『一たいあなたは撃つのですか、撃たないのですか?』
『撃ちません。しかしお望みなら、あなたもう一度お撃ちなさい。が、お撃ちにならないほうがいいでしょう。』
 両方の(とくに余のほうの)介添人も喚きだした。
『決闘の場で敵に謝罪するなんて、本当に連隊を穢すというものじゃないか。ええ、こんなことと知ったら!』 余は彼ら一同の前に立ったまま、もはや笑おうとしなかった。
『皆さん、一たい今の世の中に、自分の愚を後悔して、罪を公衆の面前で謝する人間を見るのが、あなた方にはそれほど奇妙に思われるのですか?』
『しかし、何も決闘の場でしなくとものことじゃないか』と余の介添人はまた叫んだ。
『それはこういうわけなんですよ』と余は一同に向って答えた。『そこが奇妙なところなんですよ。なぜなら、元来わたしはここへ着くとすぐ、相手から火蓋を切らないさきに謝罪して、相手方の人を恐ろしい殺人の菲におとしいれないようにすべきはずだったのです。けれども、われわれはみずから社会組織を極度に醜悪なものとしてしまったために、そういうことをするのはほとんど不可能になったのです。わたしが十二歩の距離をおいて、敵の発射を受けた後、わたしの言葉は初めて世間の人にとって、何らかの意味をおびて来るのです。もしここへ着くとすぐ、相手方から火蓋を切らないさきにそんなことをしたら、世間の人は頭ごなしに、臆病者、ピストルが怖くなったのだ、あんなやつの言うことなど聞くがものはない、と言い捨ててしまうに相違ありません。皆さん。』突然、余はまごころから叫んだ。
『まあ、あたりを見廻して、神様の恵みをごらんなさい。晴れ渡った空、清らかな空気、しなやかな草、小鳥、自然は実に美しく無垢な姿をしているではありませんか。それだのに、われわれは、ただわれわればかりは、愚かにも神を信じないで、人生が楽園だということを知らずにいるのです。実際、われわれが理解する気にさえなれば、楽園はただちに美しい粧いをこらして現出し、われわれは互いに抱き合って泣くようになるのです……』
 余は言葉をつづけようとしたが、できなかった。何かしら甘い、若々しい感激に息がつまるような心持がし、胸には今までかつて経験したことのない幸福感が、充ち溢れるのであった。
『あなたのお言葉には、なかなか道理がある、高潔なものです。』相手は余に向ってこう言った。『何はともあれ、あなたは一風変った人ですねえ。』
『どうか勝手にお笑い下さい』と余も笑いながら、『後になったら、あなたも自分から褒めて下さるでしょう。』
『いや、わたしは今でもお褒めすることをいといません。どうかお手を握らして下さい。なぜって、あなたは本当に真剣らしいですからね。』
『いいえ、今はいけません。このさきわたしがもっと優れた人間になった時、――本当にあなたの尊敬に値するようになった時、そのとき握手をしていただきましょう、そのほうがよろしいです。』
 余らは帰途についた。介添人はみちみち余を罵倒したが、余は彼を接吻するのみであった。同僚たちは早速この出来事を聞きつけて、その日すぐ余を裁くために集合した。『軍服を穢した男だ、退職願いを出させるがよい』と言うものがあると思うと、また余に味方するものも現われて、『それでも敵の発射を受けたではないか。』『それはそうだ、しかし、その次の弾を恐れたものだから、決闘の場で謝罪なんかしたのだ。』すると余の味方はこれに対して、『もし弾が怖かったのなら、謝罪をする前に自分のほうから撃ったはずだ。ところが、事実、彼はちゃんと装填してあるピストルを、森の中へ投げこんでしまったではないか。いや、これには何かまるで別な、一風変った事情があるのだ。』
 余はじっと聞いていた。人々の様子を見ていると愉快になってきた。
『皆さん』と余は言った。『退職願いのことなら、どうぞ心配しないで下さい。わたくしはもう、手続きをすませました。もう今朝ほど、人事局へ願書を提出しました。辞令の下り次第、すぐ僧院へ入ります。わたくしが退職するのもそれがためなのです。』余がこう言いきるやいなや、一同は一人の洩れなしにどっと笑いだした。
『じゃ、はじめから知らせてくれればよかったのに、これですっかり解決がついた。なにしろ坊主を裁判するわけにはいかんからなあ。』人々はなかなか笑いやまなかった。しかし、それは決して冷笑ではなくて、優しい愉快そうな笑い声であった。一同は、最も過激な反対党でさえ、急に余を愛し始めた。辞令が下りるまで、まる一カ月の間というものは、ほとんど余を抱いて歩かないばかりの有様であった。誰でも彼でも『おい、君、坊さん!』などと優しい言葉をかけてくれたが、中には余を惜しんで、志をひるがえすようにと勧めるものもあった。『君は自分で自分をどうしようというのだ?』とか、『いや、この男はわれわれ仲間でも勇敢な男だから、敵の発砲を見事に受けたが、自分のほうから撃つことができなかったわけは、前の晩に坊主になれというお告げを夢に見たからだ。そうなんだよ』などと言った。
 交際社会でもそれと同じことが生じた。以前はとくにこれというほど目をつけてくれたわけでなく、ただ愛想よく迎えたというにすぎなかったが、今は急にみなが争って、余を知ろうとし、自宅へ招待するのであった。人々は笑いながらも余を愛してくれた。ついでに断わっておくが、世間の人は余の決闘のことを公然と話していたけれど、長官はこれを見て見ぬふりをしていた。なぜと言うに、相手のほうが隊の閣下と近しい親戚であったのと、事件が血を見ないで冗談かなんぞのようにすんでしまったのと、それに余が退職願いを出したのとで、本当に冗談ということにしてしまったのである。余は世間の人の嘲笑をも顧みず、公然と恐れげなしに話した。なぜなら、彼らの冷笑は意地わるでなく、善良なものだったからである。こうしたふうの会話はおもに夜会の席、婦人たちのサークルで行われた。当時、婦人たちのほうがよけいに余の話を聞くことを好んで、男子連まで傾聴させるのであった。
『一たいどうしてそんなことが言えるのでしょう。わたしがすべての人に対して罪があるなんて?』とみなは面と向って余にこう言った。『例えば、わたしはあなたに対して罪があるでしょうか?』
『どうしてどうして、あなた方にそんなことがわかってたまるものですか』と余は答えた。『世界ぜんたいが間違った道へ踏みこんで、根もない偽りを真理だと思って、他人からもまた同じような偽りを要求しているんですもの。ところが、わたしが生れて初めて思いきって、誠意をもって行動すれば、どうでしょう、あなた方はわたしをまるで宗教的畸人《ユロージヴァイ》あつかいになさるじゃありませんか。そりゃもちろん、愛しては下さるけれど、しかし、わたしをからかってもいらっしゃるのです。』
『どうしてあなたのような人を愛さずにいられましょう?』と女あるじは余に向って声高に笑った。
 この夜の来客は大勢あった。見ると、とつぜん婦人たちのサークルから、一人の若い美人が席を立った。これこそ余に決闘を申し込ませた女、ついこの間まで余が内心わが妻をもって擬していた当の婦人である。余は彼女がこの夜会へ来たのに、少しも気づかなかったのである。彼女は立ちあかって余に近づき、手をさし伸べながら言った。『失礼でございますが、わたくしこそあなたのことを笑わない第一の人間だってことを申し述べさせていただきとうございます。それどころか、あの時あなたのなすったことを、涙ながらに感謝いたしました。どうかあなたに対する尊敬の情を現わさして下さいまし。』
 このとき彼女の夫も近寄って来た。つづいて一同が余のそばへ押し寄せて、ほとんど接吻しないばかりの勢いであった。余は何ともいえない悦ばしい気持になったが、そのとき突然、かなりの年輩をした一人の紳士が、みなと同じように余のほうへ近づいて来るのが、誰よりも一ばん目についた。余は以前からこの人の名前を知っていたが、べつに知合いというわけではなかったので、この晩まで一度も彼と言葉を交わしたことがなかった。

    (D) 謎の客

 それはずっと以前からこの町で勤めをしている人であった。立派な社会上の位置を占め、すべての人から尊敬せられ、かつ慈善家として聞えた金持であった。彼は養育院や孤児院に莫大な金を寄付したのみか、そのうえ匿名で秘密に多くの慈善を施したことが、その死後ことごとく明白になった。年の頃五十ばかり、容貌は厳めしく、口数は少いほうであった。結婚したのはやっと十年ばかり前のことで、夫人はまだ若い女である。二人の間に年のゆかね子供が三人いる。ちょうど余が夜会の翌晩、自宅にこもっていると、とつぜん戸が開いて、この紳士が入って来た。
 ちょっと断わっておかねばならぬが、当時余はもう以前と違った宿に住まっていた。辞表を提出すると同時に宿を引き払って、ある老婦人――官吏の後家さんのところに間借りして、その家の女中で身の廻りの用をたしていた。余がこの家へ引っ越したのは、ほかでもない、あの日、決闘から帰って来ると同時に、アファナーシイを中隊へ送り返したからである。あんなことをしたあとで、彼の顔を見るのが恥しかったのだ、――実際、心に準備のできていない俗世の人間は、自分の正しい行いすら、恥じがちなものである。
『わたくしは』と入って来た紳士は言いだした。『もうこのごろ毎日ほうぼうの家であなたのお話を伺って、非常な好奇心を感じましたので、とうとう直接お目にかかって、もっとくわしくお話がしてみたいという希望を起したのでございます。あなたはこの大きな願いをかなえて下さいましょうか?』
『それはわたくしにとって非常に愉快なこと、と申すより、むしろ名誉なくらいでございます』と余は答えたが、自分では何だか気味が悪いようであった。それほど彼の姿は最初から余を驚かしたのである。それまでは、みんな好奇心をいだいて余の話を聞いてはくれたが、これほど真面目な厳めしい心の影をおもてに浮べながら、余に近づいたものは誰ひとりとしてなかったからである。のみならず、この人は自分のほうから余の宿を訪れたではないか。彼は座に着いた。『わたくしは』と彼は語をついで、『偉大なる精神力をあなたの中に看取することびできます。なぜと言うに、あなたはすべての人から、朗笑を受けねばならぬような事件に処して、敢然と恐れげなしに真理のために奉仕されたからです。』
『あなたの讃辞はあまり誇大されているかもしれません』と余は言った。
『いや、誇大されてはいません』と彼は答えた。『まったくああいう行為を敢行するということは、あなたのお考えになるよりもはるかに困難なことです。実のところ、わたくしはただこのことだけに感心してたので、それでお宅へ伺ったようなわけです。一たい決闘の場で謝罪しようと決心なすったとき、はたしてどんな感じをおいだきになったのでしょうか? もし、このような失礼な質問にご立腹なさらなかったら、そしてもし覚えていらっしゃいましたら、一つ話して聞かせて下さいませんか。どうかわたくしの質問を、軽率な動機から起ったものと思わないで下さい。それどころか、こんな問いを発するについては、わたくし自身も秘密の目的を有しているのです。もし神様が私たち二人をもっと親しぐ近づけて下さったら、あるいは後日お話しするかもしれません。』
 彼がこう言っている間、余はその目をひたと見つめていた。すると、突然この紳士に対して強い強い信頼の念と、そうして(今度は逆に余のほうから)異常な好奇心を感じた。余はこの人の心中にも何かしらなみなみならぬ菘密かある、ということを直覚したのである。
『わたくしが敵に謝罪した瞬間、どんな感じがしたかというお訊ねですが』と余は答えた。『それよりいっそ、はじめからお話ししたがいいでしょう。これはまだ誰にも話さなかったことなのです』と言って、余は例のアファナーシイとの出来事から、額を地につけて彼に謝罪したことまで、すっかり話して聞かせた。『これだけお話ししたら、ご自身でもおわかりになるでしょうが』と余は言葉を結んだ。『決闘の時には、もう心持がずっと楽でした。なぜと言って、わたくしはもう家で皮切りをしたのですものね。一たんこの道程へ踏み込んだら、それからさきはべつにむずかしいどころじゃない、かえって愉快に楽しく運んでゆきました。』
 聞き終った時、彼は実に気持のいい目つきをして余を眺めた。
『いや、どうも実に面白うございました。わたくしはまた二度も三度もお邪魔にあがります。』
 それ以来、彼はほとんど毎晩のように通い始めた。もし彼が自分のことも話したら、余らはもっともっと親しくなったに相違ない。しかし、彼は自分のことはほとんど一ことも話さないで、いつも余のことばかり根掘り葉掘りしていた。にもかかわらず、余は非常に彼を愛し、心の底から信頼してしまった。『あの人の秘密なぞ聞いて何になる、そんなことをしなくとも、あの人が正しい人間だってことはちゃんとわかっている』と考えたからである。その上に、彼は重要な地位を占めた人ではあるし、年齢からいっても、余とは大変な相違があるにもかかわらず、余のような青二才のところへやって来て、豪も余をあなどる気色がなかった。それに、きわめて聰明な天であったから、余はこの人からいろいろ有益なことを学んだ。『人生が楽園だってことは』とつぜん彼はこんなことを言いだした。『わたくしも前から考えていました。』それから急にまた