京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

『カラマーゾフの兄弟』P322-333   (『ドストエーフスキイ全集』第12巻(1959年、米川正夫による翻訳、河出書房新社))[挑戦19日目]

こんなこともつけたした。『わたくしはこのことばかり考えているのです。』余の顔を見て微笑し、『わたくしはそれをあなた以上に確信するものです。なぜかってことは、あとでおわかりになりますよ。』
 これを聞いて余は心の中で思った。『この人はきっと何か打ち明けるつもりにちがいない。』
『楽園はおのおのの人に隠されています。現に今わたくしの中にも隠されています。だから、自分でその気にさえなれば、明日にもその楽園が間違いなく訪れて、生涯うしなわれることはないのです。』見ると、彼は感激したようなふうつきで語りながら、何かもの問いたげに、そっと余の顔を見つめている。『そこで』と彼は語をついで、『どんな人でも自分の罪以外、すべての人に対して罪があるというあなたのお考えは、ぜんぜん真実です。ああいうふうに突然、この思想を間然するところなくお掴みになったのは、まったく驚嘆すべきことです。人間がこの思想を了解する時、天の王国は彼らにとって空想でなく、事実において現出するのです。それは真実正確な話です。』
『ああ、それはいつ実現されるでしょう、』余は愁いの調子をおびて、こう叫んだ。『そして、本当にいつか実現する時があるでしょうか? これはただの空想ではないでしょうか?』
『ああ、それじゃ、あなたも信じていらっしゃらないのだ。自分で宣伝しながら、信じていらっしゃらない。よくお聞きなさい、あなたのいわゆるこの空想が必ず実現するということは、お信じになっていいんですよ。しかし、今じゃありません。なぜって、何事にも特殊な法則がありますからね。もともとこれは心理的、精神的な問題ですから、全世界をあらたに改造しようというには、人間自身が心理的に新しい道へ転じなければなりません。人間がすべての人に対して本当に兄弟同様にならないうちは、世界同胞の実現されるはずはありません。どんな科学の力を借りても、またどんな利子をもって釣ったところで、決して人間は不平なしに財産や権利を分配することはできません。常に自分の分けまえの不足を訴え、互いに羨んで滅ぼしあうに相違ありません。あなたは、いつ実現するかとお訊ねになりましたが、実現することはしますけれど、まず最初に人間の孤独[#「孤独」に傍点]時代というものが閉されねばなりません。』
『どんな孤独ですか?』と余は彼に訊いた。
『ほかでもありません、今――ことに現世紀において、到るところに君臨しているようなものです。しかし、この時代はまだなかなか閉されません。まだ終るべき時期が来ないのです。今すべての人はできるだけ自分を切り放そうと努め、自分自身の中に生の充実を味わおうと欲しています。ところで、彼らのあらゆる努力の結果はどうかというと、生の充実どころか、まるで自殺にひとしい状態がおそうて来るのです。なぜと言うに。彼らは自分の本質を十分に究めようとして、かえって極度な孤独におちいっているからです。現代の人はすべて個々の分子に分れてしまって、誰も彼も自分の穴の中に隠れています。誰も彼もお互いに遠く隔てて、姿を隠しあっています。持ち物をかくしあっています。そして、結局、自分で自分を他人から切りはなし、自分で自分から他人を切りはなすのがおちです。ひとりひそかに富を蓄えながら、おれは今こんなに強くなった、こんなに物質上の保証を得たなどと考えていますが、富を蓄えれば蓄えるほど、自殺的無力に沈んでゆくことには、愚かにも気づかないでいるのです。なぜと言うに、われ一人を恃むことに馴れて、一個の分子として全を離れ、他の扶助も人間も人類も、何ものも信じないようにおのれの心に教え込んで、ただただおのれの金やおのれの獲得した権利を失いはせぬかと戦々兢々としているからです。真の生活の保証は決して個々の人間の努力でなく、人類全体の結合に存するものですが、今どこの国でも人間の理性はこの事実を一笑に付して、理解しまいとする傾向を示しています。しかし、この恐ろしい孤独もそのうちに終りを告げて、すべての人が互いに乖離するということが、いかに不自然であるかを理解する、そういった時期が必ず到来するに相違ありません。そういった時代風潮が生じて、人々はいかに長いあいだ闇の中に坐ったまま、光を見ずにいたかを思って、一驚を喫するに相違ありません。その時こそ、人の子の旗が天上高くかかげられるのです……しかし、何といっても、それまでは旗を大切に守らねばならぬ。そうして、まだまだと思っているうちに、たといただ一人であろうとも、宗教的畸人《ユロージヴァイ》のそしりを受けようとも、みずから進んで範を示し、人間の霊魂を孤独の中から相愛的結合の努力の道へ導いてゆくものが出現すべきはずです。それは偉大なる思想を亡ぼさないために必要なのです。』
 こうした歓喜の燃え立つような談話のうちに、二人のよなよなは流れ去ったのである。余は社交界をも棄てて、あまり客間へ顔を出さなくなってしまった。それに、余を招待する流行も下火になりかけていた。これはべつに非難の意味で言うのではない。なぜなれば、人々は依然として余を愛し、愉快な調子で応対してくれたからである。しかし、社交界は事実少からず流行に支配されていた。このことは認めないわけにはゆかない。ついに、余は謎のような訪問者を、歓喜の目をもって眺めるようになった。そのわけは、彼の叡知によって愉楽を得るのみならず、彼が一種の意図をいだいて、何か偉大な苦行を心組んでいるということを、だんだん予感し始めたからである。しかし、余はあからさまに彼の秘密に興味をいだかないで、直接きいたこともなければ、謎をかけたこともない、これが彼の気に入ったのかもしれぬ。が、そのうちに彼自身、何か余に打ち明けたいという望みに悩んでいるのに、余も気がつきだした。少くとも、彼が余を訪問しはじめてから、ほぼひと月ばかりたった頃、それがあまり見えすきすぎるほどになった。
『あなたご存じですか、』あるとき彼はこう訊いた。『町ではわれわれ二人に、非常な好奇の目を向けていますよ。わたしがこんなにたびたびお宅へあがるので、びっくりしてるんです。しかし、うっちゃっといたらいいです。そのうちにすっかりわかりますから[#「そのうちにすっかりわかりますから」に傍点]。』
 時として、ふいに彼は、異常な興奮におそわれることがあった。そんな時は大ていいつも立ちあかって、帰って行くのが常であった。どうかすると、長い間、まるで刺すように余の顔を見つめることがあった。『今に何か言いだすな』と思っていると、急に気を変えて、何かわかりきった世間なみの話を持ちだすのであった。また、彼はしばしば頭痛を訴えるようになった。ところが、ある時、長いこと熱烈な話をしたあとで、急に思いがけなく彼の顔がさっと蒼ざめ、まるでひん曲ったようになってしまった。彼はじっと穴のあくほど、余の顔を見つめるのであった。
『どうしたのです』と余は言った。『気分でも悪いのじゃありませんか?』
 ちょうどその前に、彼は頭痛を訴えたのである。『わたしは……実はねえ……わたしは……人を殺したのです。』
 こう言って、にやりと笑ったが、そのくせ、顔はさながら白墨のように真っ蒼になっているのであった。なぜこの人は笑っているのだろう、――まだ何を考える暇もないうちに、この想念は突然、余の胸を刺し貫いた。余の顔もさっと蒼ざめた。
『あなたそれは何のことです?』と余は叫んだ。
『おわかりですか、』依然として蒼ざめた微笑をふくみつつ、彼はこう答えた。『わたしは最初の一言を口に出すのに、ずいぶん高い価を払いました。しかし、今はもう本当の道へ出たようです。もう前進すればいいのです。』
 余は長く信じることができなかった。信じはしたけれど、それは一朝一夕のことでなく、彼が三日のあいだ余の住家へ訪れて、一切の事情をくわしく物語って聞かせた後のことである。はじめ余は彼を目して狂者としたが、ついに大いなる悲しみと驚きをもって、事実を確信せざるを得なくなった。
 十四年前、彼はある富裕な婦人、年若く美しい地主の未亡人に対して、恐ろしい大罪を遂行したのである。この婦人はときおり来遊の場合の用意として、この町に自分の家を構えていた。彼はこの未亡人に熱烈なる愛慕を感じたので、とうとう自分の恋を打ち明け、結婚を懇望したのである。しかし、彼女はすでにそのとき別な人に心を許していた。それは官位低からぬある立派な軍人で、当時、行軍中であったけれど、間もなく自分のところへ倔って来るものと、彼女は心待ちにしていた。で、彼の申し込みを拒絶し、今後、自分の家へ出入りしないでくれと頼んだ。出入りはやめたが、彼は女の家の勝手を心得ていたので、ある夜、大胆不敵にも、見とがめられる危険をものともせず、女の家の庭から屋根の上へ攀じ登った。しかし、最も大胆に行われる犯罪は最も成功しやすいものだ、それは世間にもよくある話である。通風口から屋根裏へ忍び込んだ彼は、そこから梯子を伝って、彼女の寝起きしている部屋をさして下りて行った。彼は、梯子の下の戸が召使の不注意によって、ときどき鍵がかからないのを知っていた。今日もこの手落ちを当て込んだのであるが、はたしてそのとおりであった。
 下の部屋へ入り込むと、彼はくら闇の中に燈明の光っている女の寝室をさして進んだ。ちょうど誂えたように二人の小間使は、近所に、――同じ通筋《とおり》に催された命名日の宴会へ、断わりなしにこっそり出かけたあとであった。その他の下女下男は、下の男部屋や、台所で眠っていた。眠れる女の姿を見ると、彼の心中には情欲の焔が燃えたったが、すぐまた復讐と嫉妬にかわく憤怒の念が彼の心をつかんだ。まるで酔っ払いのように前後を忘れて、そばへ寄るやいなやいきなり、ぐさとばかり、ナイフを心臓のただ中へ突っ込んだ。女は声も立て得なかった。それから、鬼のような恐ろしい分別をめぐらして、下男に疑いがかかるように仕向けた。彼は女の紙入れを盗むことを忘れなかった。枕の下から取り出した鍵で箪笥を開け、幾つかの品物を盗みだしたが、それをさもさも無教育な下男がしたことのように拵えた。つまり、貴重な書類はそのままにして、ただ現金だけを取り出したのである。その上、割合にかさ高な金属品を幾つか盗み出しておきながら、その十倍から高価なものではあるが、かさの小さいものには手をつけなかった。それから、自分の記念のために取っておいたものもあるけれど、このことはまたあとで話そう。この恐るべき行為をなしとげてから、彼はもとの道を通って外へ出た。
 次の日、騒ぎの始まった時も、またその後一生涯の間いかなる時も、この本当の兇行者を疑うなどという考えは、誰の頭にも浮ばなかったのである! そればかりか、彼の恋についても、誰ひとり知るものがなかった。いつも無口な性質で、自分の胸中を打ち明けるべき友を持たなかったからである。彼は最後の二週間ばかり、一度も女を訪ねたことがなかったので、人人は彼を単に被害者の知人、それも大して近くない知人くらいにしか思っていなかった。
 嫌疑はただちに農奴の下男ピョートルに落ち、しかもちょうどこの嫌疑を確めるような事実が、幾つも幾つも重なったのである。彼女は、自分の領地からさし出すべき新兵として、この下男を軍隊へ送ろうと思っていた。それはこの下男が独り身でもあったし、品行も悪かったからである。このことは当の下男自身も承知していた(女主人もべつに自分の意向をかくそうとしなかったので)。これに憤慨した彼は、ある居酒屋で酔いにまぎれて、あいつを殺してやると脅し文句を並べたことがある。こんなことも人の耳に入っていた。女主人の横死の三日前、彼は家を逃走して、町うちのどこかに潜伏していた。兇行の翌日、彼は町はずれの路ばたで、死人のように酔い潰れているところを発見された。その際、彼はかくしにナイフを隠し、しかも右手をなぜか血に染めていた。当人は鼻血だと弁解したが、誰も本当にするものがなかった。おまけに小間使らは自分たちが宴会に出かけたので、帰るまでと思って玄関の戸を開け放しにしておいた、と白状した。そのほか、これに類した証跡がいろいろ発見されて、ついに無辜の下男は逮捕された。それからすぐ裁判が始まったが、ちょうど一週間たった時、被告は熱を病んで、意識を失ったまま病院で死んでしまった。それで事件も落着して、その後は神のみむねに任された。で、一同の者は、裁判官も、警察も、社会も、犯人は死んだ下男のほかにないと思い込んでしまった。これから神の罰が始まったのである。
 謎の客、――いや、今はすでに余の親友は、次のように説明して聞かせた。初めのうちはぜんぜん良心の呵責など感じなかった。長いあいだ苦しんだのは事実であるが、原因が別であった。つまり、情欲の火はなおも自分の血の中に燃え残っているのに、愛する女はすでにない、彼女を殺すことによって自分の愛を殺したのだ、といったような苦しみであった。自分の流した無辜の血、人殺しというようなことは、当時ろくろく考えもしなかった。それより自分の殺した女が、もしあのままでおいたら、他人の妻になったのだという想念は、しょぜんたえ難いものに思われたので、彼は長いこと、自分の良心に照らしてみて、ああよりほかに仕方がなかったのだと確信していた。
 初めの間、下男の逮捕がいくぶん彼の心を悩ましていたが、急な発病とそれにつづく死亡とは、すっかり彼を安心させてしまった。なぜなら、彼の死因は明らかに逮捕や驚愕のためでなく、逃走の際、死人のように酔い潰れて、一晩じゅう湿った土の上でごろごろしていたとき風邪《かぜ》を引き込んだためだ、とこう彼はその当時判断したのである。盜んだ品物や金などは、あまり彼を当惑させなかった。つまり、彼の考えによると、この盗みは物欲のためでなく、ただ嫌疑を他へ転ずるためにしたことだからである。盗んだ金額は些細なものであったから、間もなくこの金額を、いや、それよりさらに多くの金を、当時この町に建てられた養育院へ寄付した。これは盗みに関して自分の良心を安めるため、わざとしたことなのであるが、不思議にもしばらくの間、というよりもむしろ長い間、彼は本当に安心してしまったのである、――彼は自分で余にこう伝えた。
 それから、彼は大いに勤務のほうへ力をそそぎ始めた。面倒な骨の折れる仕事を、たって自分から引き受けて、二年ばかりそれにかかっていた。そして、元来つよい性格の人であったから、過去の出来事をほとんど忘れてしまった。思い出した時には、頭からそのことを考えないように努めた。彼は慈善のほうにも力を入れ、この町でさまざまな施設や寄付をしたばかりでなく、両首都までも慈善家という名前を知られて、モスクワおよびペテルブルグにおける慈善会の委員に選ばれた。しかし、それでもついに悩ましいもの思いがはじまって、自分の力にかなわなくなってきた。ちょうどそのころ、美しい聡明な一人の令嬢が彼の意にかなって、間もなくその女と結婚してしまった。それは、結婚によって孤独の憂愁を追いのけることもできよう、新しい道程に上って、妻子に対する義務を一心不乱にはたしているうちに、恐ろしい追憶からすっかり遠のくこともできよう、とこう空想したからである。
 しかし、事実はこの期待とぜんぜん正反対であった。もう結婚の最初の月から、『ああ、こうして妻は自分を愛してくれるが、もしあのことを知ったらどうだろう?』という考えが絶えず彼の心を乱すようになった。妻が初めて妊娠して、そのことを彼に知らせた時、彼はとつぜん狼狽した。『おれは命を与えようとしているが、かつて命を奪ったことがあるじゃないか。』やがて、つづいて三人子供が生れた。『どうしておれは子供らを愛したり教えたり、養育したりすることができよう、どうして徳行を説いて聞かせることができよう。おれは人間の血を流したではないか。』子供らが愛らしく成長した時、彼らを撫でてやりたくなる、すると、『おれは彼らの無邪気な、はればれしい顔を見ることができない。おれにはそれだけの値うちがないのだ。』
 ついに自分の犠牲となった血、自分の亡ぼした若い生命が、恐ろしいもの凄い形をおびて、彼の心をおそうようになった。血が復讐を叫び始めたのである。彼は恐ろしい夢にうなされるようになったが、剛健な気性の人であるから、長い間この苦悩をたえ忍んだ。『この秘密の苦悩をもって一切を贖うことができる』と思ったが、この望みもあだであった。時をふるにしたがって、苦痛はいよいよ烈しくなってきた。社会は慈善的な行為のために彼を尊敬しはじめた(もっとも、一同はその厳格で陰欝な性格を恐れていたけれど)。しかし、世間の尊敬が高まるにつれて、彼はなおたえ難くなってきた。余に自白したところによると、ひと思いに自殺しようかと考えたくらいである。けれど、自殺の代りに別な空想が彼の脳裡にひらめいた、――それは初めのうちこそ、気ちがいめいた不可能なことのように思われたが、だんだんと彼の心に食い入って、ついには引き放すことができなくなってしまった。その空想はほかでもない、奮然立って公衆の前へ赴き、自分が人を殺したことを一同に告げようというのである。
 彼はこの空想をいだいたままで三年を過した。その間、この空想はいろいろな形をおびて、絶えず彼の目さきにちらついていた。ついに彼は自己の犯罪を打ち明けた時、はじめて確実に霊魂をいやし、永久に安心を得ることができると、心の底から信じるようになった。が、信じはしたものの、胸の奥に恐怖の念を感じた。どうして実行したらいいだろう? と思い迷っているうちに、余の決闘事件が生じたのである。『あなたを見ているうちに、今やっと決心がついたのです。』
 余は彼の顏を見つめた。『一たいまあ』と余は両手を拍って叫んだ、『あんなつまらない事件が、あなたの心中にそうした決心を生むことができたのでしょうか?』
『わたしの決心はもう三年前から生れていました』と彼は答えた。『あなたの事件はただ衝動となったばかりです。あなたを見ているうちに、わたしは自分を責めてあなたを羨みました。』何となく不興げな色を浮べつつ彼はこう言った。
『しかし、誰もあなたの言うことを本当にする人はないでしょう』と余は注意した。『もう十四年もたったんですからね。』
『確実な証拠を持っていますから、それを提供します。』
 そのとき余は涙を流して彼を接吻した。
『たった一つ、たった一つあなたの決断を仰ぎたいことがあります!』と彼は言った(ちょうど一切のことが余の手で左右されるかのように)。『妻や子供をどうしましょう! 妻は悲しみのあまりに死んでしまうかもしれません。そして、子供らは士族の籍や、領地を奪われもしないでしょうが、しかし、要するに罪囚の子です、しかも、死ぬまでそうなのです。それに子供らの心にどんな記憶を、本当にどんな記憶を歿すことになるでしょう!』
 余は無言でいた。『え、彼らと別れるべきでしょうか、永久に見捨てるべきでしょうか? え、永久に、永久に!』
 余は無言のままじっと坐って、心の申で祈禱の言葉を囁いていた。ついに余は立ちあがった。何だか恐ろしくなったのである。
『どうです?』彼は余を見上げた。
『いらっしゃい』と余は言った。『行ってみんなに告白なさい。 一切は過ぎ去って、真実のみが残るでしょう。お子さんたちも大きくなったら、あなたの決心にどれくらいの大度量があったか、自然と了解されるに相違ありません。』
 彼はそのとき断乎たる決心を採ったようなふうつきで、余のもとを立ち去った。しかし、その後も依然として決心がつかず、二週間ばかりぶっ通しに毎晩やって来ては、いつまでも心の準備にかかっていた。彼は私の心をへとへとに疲らした。どうかすると、決然たる様子でやって来て、感激したようなふうで言いだすこともあった。
『今こそわかりました。わたしのために天国が訪れようとしています。告白と同時に訪れるのです。十四年のあいだ地獄の中で暮しましたが、今こそ本当に苦しみたくなりました。苦痛をわが身に引き受けて、本当の生活を始めます。偽りをもってこの世を過したら、もはや取り返しがつきません。今は自分の同胞ばかりでなく、わが子すらも愛する勇気がなくなりました。ああ、子供らも、私の苦痛がいかなる価を要したかを了解して、私を咎めはしないでしょう! 神は力の中でなく、真理の中にあるのですからねえ。』
『了解しますとも、みんな、あなたの偉大な行為を了解します』と余は言った。『今すぐでなければ、後になって了解します。なぜと言って、あなたは真理に奉仕なすったのですもの、この世のものでない高遠な真理に……』
 で、彼は尉藉を得たかのさまで、余のもとを立ち去るのであった。けれど、翌朝になると、また突然、蒼ざめた毒々しい顔つきでやって来て、嘲るように言いだした。『わたしがお宅へあがるたびに、あなたは「まだ告白しなかったのか?」といったような、好奇の目を輝かしながら、わたしをごらんになりますな。しかし、もう少しお待ち下さい、そして、あまりわたしを軽蔑しないで下さい。これはあなたのお考えになるほど、なまやさしいことじゃないですからね。もしかしたらもう一生言わないかもしれませんよ。その時あなたわたしを訴人しませんか、え?』
 しかし、余は愚かしい好奇の目を輝かしたことがないばかりか、彼の顔を見るのも恐ろしいくらいであった。余は病気でも起しそうなほど悩みもだえ、心は涙で一ぱいになっていた。夜の眠りさえ失ったのである。
『わたしは今』と彼は語をついだ。『妻《さい》のところからやって来たのです。一たいあなたに妻というものがどんなものだか、おわかりになりますか? わたしが出て来る時、子供らは、「いってらっしゃい、お父さん、早く帰って来てちょうだい、一緒に少年読本を読みましょうね」と喚くじゃありませんか。いや、これはあなたにゃわかりません! 他人の不幸は理解を超越しますからな。』
 彼は目を輝かせ、唇を慄わしていた。と、いきなり拳を固めて、上にのせたものが躍りだすほどテーブルを叩いた。平生は温和な人で、こんなことを見るのは初めてであった。
『一たいそんな必要があるのでしょうか?』と彼は叫んだ。『そんなことをしなくちゃならないのでしょうか? 誰ひとり罪をきせられたわけでもなく、誰ひとりわたしのために懲役にやられたものもないじゃありませんか。あの下男は病気のために死んだのです。ところで、自分の流した血のためには、すでに苦痛をもって罰せられています。それに、わたしの言うことを本当にするものは断じてありません。わたしがどんな証拠を出したって、本当にするものは断じてありません。実際自訴する必要がありましょうか、え? 自分の流した血のためには、一生涯苦しんだっていとやしません。ただ、妻子を悲嘆にくれさせたくないのです。一たい妻子までも自分と一緒に滅ぼすのが正しいことでしょうか? われわれの考えは間違っていないでしょうか? はたして世間は真理を認めて評価してくれるでしょうか、尊敬してくれるでしょうか?』
『ああ!』と余は心の中で考えた。『こんな時に世間の人の尊敬なぞを口にしている!』そのとき余は彼が気の毒でたまらなくなり、その苦しみを減ずるためには、自分で彼と運命をともにしてもいい、とまで思いつめた。見ると、彼は逆上しきったようなふうである。余はこういう決心に対して、いかなる代価を払わなければならないかを、単なる理知のみでなく生ける霊魂で直覚し、慄然としておののいたのである。『早く運命を決して下さい。』彼はまたこう叫んだ。
『行って自訴なさい』と余は囁いた。息が切れて声が出なかったが、確固たる調子で囁いたのである。やがてテーブルの上から露訳の福音書をとって、ヨハネ伝第十二章二十四節を開けて見せた。
『誠に実になんじらに。告げん、一粒の麦地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん。もし死なば、多くの実を結ぶべし。』余は彼の来るちょっと前に、この一節を読んだばかりであった。彼は読んでみて、
『本当です』と言い、苦笑をもらした。『こういう本の中では』やや無言の後、彼はこう言った。『実に何ともいえない恐ろしい文句に出くわすものですよ。しかし、これを人の鼻さきへ突きつけるのはやさしいことです。ところで、これを書いたのは誰です、人間でしょうか?』
『精霊が書いたのです。』
『そんなことを言うのは、あなたにとって何でもないことでしょうよ。』彼はいま一ど薄笑いをもらしたが、今度はさもにくにくしげであった。余はふたたび書物を取って別なところを開き、ヘブル書第十章三十一節を示した。彼は読んでみた。
『生きたる神の手に落つるは恐るべきかな。』
 読み終ると、彼はそのまま本を投げ捨てた。全身わなわなと慄えだしたほどである。
『恐ろしい言葉です』と彼は言った。『一言もありません、よく拾い出しなすった。』彼は椅子から立ちあがった。『じゃ、さよなら、ことによったら、もう来ないかもしれません……天国で会いましょう。「生きたる神の手に落ちて」からもう十四年、――つまりこの十四年は、こういうふうに呼ばるべきなのです。明日はこの手に向って、放して下さいと願いましょうよ。』
 余は彼をかき抱いて接吻したかったが、それをあえてする勇気がなかった。それほど彼の顔は妙に歪んで、重苦しい様子をしていたのである。彼は帰って行った。
『ああ』と余は思った。『あの人は一たいどこへ行ったのだろう?』余はいきなり、どうとばかり聖像の前に跪いて、霊験あらたかな保護者たる聖母マリヤに、彼の身の上を泣いて祈った。余が涙ながら祈っているうちに、三十分ばかりたった。もうだいぶ夜もふけて、かれこれ十二時頃であった。と、急に戸が開いて、またもや彼の姿が現われた。余ははっと思った。
『あなたどこにいたんです?』と訊ねた。
『わたしは、――わたしは何か忘れたような気がするので……ハンカチか何か……いや、忘れはしなかったのですが、ちょっと坐らして下さい……』
 彼は椅子に腰をおろした。余はそのそばに立っていた。『あなたもお坐んなさい』と言うので、余は腰をかけた。こうして二分ばかり坐っていた。彼はじっと穴のあくほど余の顔を見つめていたが、だしぬけににっと笑った。余はこのことを覚えている。それから立ちあかって、しっかりと余を抱きしめながら、接吻するのであった。『覚えていてくれたまえ、僕が君のとこへ二度目にやって来たということをね。いいかね、覚えていてくれたまえ!』
 彼は初めて余に向って君という言葉を使った。やがて立ち去った。『明日だ』と余は心に思った。
 はたしてそのとおりであった。ちょうど翌日が彼の誕生日に相当していることを、余はその晩すこしも知らなかった。三四日のあいだ一度も外出しなかったから、誰からも聞くわけにゆかなかったのである。この日は毎年、彼のところで大宴会が催され、ほとんど町じゅうこぞって寄り集るのが例になっていた。今年もやはり大勢の客が集った。食事が終ったのち、彼は部屋の真ん中へ進み出た。その手中には一葉の書面があった。これは警察へ宛てた正式の訴状である。ちょうど警察長官がその場に居合せたので、彼は即座にその書状を客一同に向って読み上げた。それには、犯罪の顛末がいとも詳細に記されていたのである!『余はおのれを悪漢として人間社会より弾劾す、余は神の訪れを受けたるをもって、苦しむことを欲するなり』と彼は結んだ。
 それから、彼は即座に、自分の犯罪を証明しようと思って、十四年間保存していた品物を、すっかりテーブルの上へ並べて見せた。それは、嫌疑を他へ転じるために掠め取った金細工の品、被害者の頸からはずした大形のロケットと十字架(ロケットには婚約の夫の写真があった)、手帳、それから最後に二通の手紙であった。一通は婚約の夫が近日中に到着する旨を報じた被害者あての手紙、いま一通は彼女が書きさしにしたまま、あす郵便局へ出そうと思って、テーブルの上へのせておいた返書である。この二通の手紙を、彼は自分の家へ持って帰った、――それは何のためか? その後、証拠品として破棄すべきところを、十四年間も保存したのは何のためであっだろう? しかし、ついに次のようなことがもちあがった。一同は恐怖と驚愕に捉われた。誰ひとり信じようとするものがなかった。すべての人はなみなみならぬ好奇心をもって耳をすましたが、それは病人の譫言を聞くような態度であった。二三日たった時には
どの家でも、あの人は可哀そうに気がちがったと決めてしまったのである。
 警察も裁判所も、事件の審理に着手せぬわけにはゆかなかったが、やがて彼らも一時手を引くことにした。提出された物品や書状は一応の考察を強要するけれど、たといこれらの証拠物件が正確なものであろうとも、やはりこれのみを根拠として、有罪を宣告することはできない、とこう議決したのである。のみならず、これらすべての物品も、被害者の知人たる彼が委任によって保管していた、というのもあり得べきことである。もっとも、余の聞いたところによると、証拠物件の出所の正確なことは、その後被害者の知人や縁者の多数によって証明されたので、それについては疑いの余地がなくなったとのことである。しかし、この事件は、ついに裁判所で審理せらるべき運命を持っていなかった。五日ばかりたった時、この不幸な人が発病して、今は命さえ危まれているという噂が、人々の耳に入った。どんな病気にかかったかは、説明することができないが、人の話では脈搏不調とのことである。しかし、間もなく、次の事実がわかってきた。医師たちは夫人の強請によって立会いの上、患者の精神状態を診察したところ、すでに発狂の症状がある、という結論に到達したのである。
 人々が先を争って事情を訊きに来たけれど、余は何一つ打ち明けなかった。しかし、余が彼を見舞いたいと言いだしたとき、人々は(おもに彼の妻であった)長いこと余にそれをさし止めた。『あの人の心を乱したのはあなたです。あの人はとうから沈み勝ちな性質で、ことに去年あたりからは、恐ろしく気持がそわそわして、妙なことばかりするのに誰でも気がついていました。ちょうどそこへあなたがつけ込んで、あの人を台なしにしてしまったのです。これは、あなたが変なことをあの人に吹き込んだのです。まるひと月というもの、あなたのそばにこびりついてたじゃありませんか。』
 それにどうであろう、単に彼の妻ばかりでなく、町じゅうの人がみんな余にくってかかり、余を非難するのであった。『これはみなあなたのせいだ』と言うのである。余は何も言わなかったが、心の中では嬉しくてたまらなかった。なぜなれば、おのれに向って反旗をかかげ、われとわが身を罰した不幸な人に対する疑いなき神の慈愛を看取したからである。とうとう余は彼に面会を許された。彼自身熱心に余と告別を乞うたがためである。入ってみると、すぐ気がついた。彼の命は日数ばかりでなく、時の数まで定められているのであった。彼はもう痩せ衰えて、顔は黄色味をおび、手はぴくぴく顫えて、苦しげに息を切らしていたが、目は感激に充ちて悦ばしそうであった。『とうとう成就した!』と彼は口をきった。『前から君に会いたくてたまらなかったのに、どうして来てくれなかったね?』
 余は会わしてもらえなかったことを知らせなかった。『神様が僕を憫んでおそばへ呼んで下さるのだ。もう死期の近いことは知っているが、十何年の後に初めて歓喜と、平和を感じることができた。僕は自分のすべきことをはたすやいなや、忽然として心の中に天国が感知せられた。今では平気で自分の子供らを愛することができる。接吻してやることができる。僕の言うことは誰ひとり本当にするものがいない。妻《さい》も、判事も本当にしなかった。だから、子供らも決して本当にしないだろう。これにつけても、子供らに対する神様のお慈悲がわかる。いま死んでも、僕の名は子供らにとって、何の穢れもないものとして残るに相違ない。もう今から神様のおそばに近いことが感じられて、心は天国にあるように浮き浮きしている……本当に務めをはたしたのだ……』
 彼はもうものが言えなかった。はあはあと息を切らしながら、熱く余の手を握りしめ、燃えるような目で余を見つめていた。しかし、余らは長いこと話しているわけにゆかなかった。彼の妻がたえまなしに二人の様子を覗きに来るからである。が、それでも彼はおりを見て余にこう囁いた。
『君、覚えているかね、僕があのとき二度目に君のところへ行ったのを? そればかりか、覚えていたまえと言いつけたじゃないか? あれは何のために行ったのか、君にわかるかね? 実は君を殺しに行ったんだよ!』
 余は思わず慄然とした。
『僕はあのとき君のとこを辞して闇の中へ出た。そして、往来をさまよいながら、自分自身と戦ったのだ。すると、急に君が憎くてたまらなくなって、どうしても我慢ができなかった。「あの男は今おれを縛る唯一の人間だ、おれの裁判官だ。もうあの男が何もかも知っているから、明日はどうしても刑罰をこばむわけにゆかない。」しかし、僕は君の告訴を恐れたのではない(そんなことは考えもしなかった)。ただ、「もしおれが自首しなかったら、どうしておめおめあの男に顔が合されよう?」と考えたのだ。たとえ君がどんな世界の果てにいようとも、生きながらえている間は同じことだ。君が生きていて、すべてを知り、しかも僕を審判するという想念は、僕にとって実にたまらなかった。僕はまるで君が一切の原因であり、一切の罪びとであるかなんぞのように君を憎んだ。で、僕は君の家へとって返した。あの時、君のテーブルの上に、ヒ首が置いてあったのを覚えていたのだ。僕は腰をかけて、君にもかけるように勧めた。そして、まる一分間考えた。もし僕が君を殺したら、たとえ以前の犯罪を自首しなくても、この殺人罪のために自滅しなければならない。しかし、僕はそのことを少しも考えなかった。またその時は、考えたくもなかったのだ。僕はただ君が憎くてたまらないので、すべてのことに対して君に復讐しようと、一生懸命のぞんでいたのだ。しかし、神様は僕の心中の悪魔を征服された。それにしても、覚えておきたまえ、あの時ほど君が死に近づいていたことは、かつてないのだからね。』
 一週間の後、彼は死んだ。棺は町じゅうの大に墓場まで見送られた。そして、大僧正が感動に充ちた弔辞をのべた。人々は彼の寿命を縮めた恐ろしい病気を嘆き悲しんだ。しかし、野辺送りをすました時、町じゅうの人が余の敵となって、交際場裡へも入れないようになってしまった。もっとも、中には彼の告白の真実を信じる人があった。初めのうちはごく少数であったが、だんだんとその数が多くなってきた。彼らはしきりに余を訪問して、異常な好奇心と歓びをもって、根掘り葉掘り訊ねるのであった。なぜなれば、人間はただしき人の堕落と汚辱を好むものだからである。しかし、余はあくまで口をつぐんでいた。そして、間もなくその町をすっかり引き払って、五カ月の後には神のみ恵みによって、壮麗堅固なる道へ踏みだすことができた、かくまで明らかにこの道を指し示してくれた目に見えぬ指を祝福しながら。ところで、苦しみ多かりし神の下僕《しもべ》ミハイルのことは、今日にいたるまで日ごと祈躊を怠らないでいる。

   第三 ゾシマ長老の説話と教訓の中より

    (E) ロシヤの僧侶とその可能なる意義について

 敬愛する諸師よ、僧侶とははたして何者であろう? 現今、文明社会においてこの言葉は、すでに冷笑をもって発しられている。それのみか、中には嘲罵の言葉として取り扱っているものもある。これは時をへるにしたがって次第に烈しくなる。もっとも、悲しいかな、事実、僧侶仲間には多くの徒食者や、肉の奉仕者や、邪淫のやからや、傲慢な無頼漢が交っている。世間の教養ある人々はこの事実を指さして、『お前たちはなまけ者だ、無益な社会の穀つぶしだ、他人の労苦で生きてゆく恥知らずの乞食だ』と言う。しかし、僧侶の中にも、真に謙虚、温順な人たちがたくさんあって、静寂な孤独の中で熱烈な祈りを捧げることを渇望している。世間の人は、あまりこの種の僧侶を指し示さず、ぜんぜん黙殺の態度をとっている。それゆえ、もしこれらの孤独を渇望する謙虚な僧侶の中から、ふたたび口シヤ全土の救いが現われるかもしれぬなどと言ったら、どのように驚くかしれないであろう! いや、まったく彼らは静寂の中にあって、『一時より一日、一日より一年』と自己の鍛練をしているのである。今のところ、彼らは孤独の中に閉じ籠って、古い古い昔の祖先、使徒や殉教者たちから伝えられたキリストの輝かしい姿を、いささかも曲げることなくそのままに保存して、時いたらば現世のゆらげる真理の前に、この姿を掲げ示そうとしている。ああ、何という偉大な思想であろう。この星はやがて東の空から輝きだすのである。
 余は僧侶についてこんなふうに考察する。これがはたして偽りであろうか、傲慢であろうか? これを知るには、世間の人の現状を見るがよい。人民の上に君臨している神の世界において、神の姿とその真理が曲げられていないであろうか? 彼らの社会には科学がある。しかし、科学の中には五官に隷属するものよりほか何一つない。人間の貴き一半を形づくっている精神界は、凱歌でも奏するような態度で駆逐されてしまった。いな、むしろ憎悪をもって拒否されたのである。彼らは自由を強調しているが(これは最近にいたってことにはなはだしい)、このいわゆる自由の中に発見し得るものは何であろう。ただ、隷属と自滅にすぎぬではないか! なぜというに、世間の人は、『お前らは欲望を持っているのだから、大いにその満足をはかるがよい。なぜなれば、お前らも貴族や富豪と同等の権利を持っているからだ。欲望は恐るるところなく満足させるばかりでなく、進んで増進すべきだ』と叫んでいる、――これが彼らの教義である。彼らはこの中に自由があると思っている。
 ところで、この欲望増進の権利からいかなる結果が生じたか? ほかでもない、富者にあっては孤独と自滅、貧者においては羨望と殺人である。そのわけは、ただ権利のみを与えて、欲望満足の方法を示さないからである。世間はこんなことを説いている、――世界は時を経るにつれて次第に密接に、四海同胞的まじわりに向って合一されてゆく。つまり人間は距離を短縮したり、空気によって思想を伝達することができるからである、と。おお、決してこのような合一を信してはならない。人人は自由を目して、欲望の増進と満足というふうに解釈することによって、自分の自然性を不具にしているのだ。それは、自己の中に無数の愚かしい無意味な希望や、習慣や、思いつきを生み出すからである。人々はただ羨望と、肉の奉仕と、倨傲とのためのみに生きている。宴会や訪問や、馬車や官位や、奴隷や下僕を持つということが、彼らにとっては必須なことに思われて、この必要を満足させるためには、自分の生活も品位も愛他心も、ことごとく犠牲にすることを惜しまない。この欲望を満足させることができないために、自殺するものさえ珍しくない。あまり富裕でない人々についても同じように言える。ところが、貧しい人々においては欲望の満足も羨望も、今のところ、飲酒によってまぎらされている。しかし、間もなく、彼らは酒の代りに血をすするようになる。必ずそこへ導かれてゆくにちがいない。試みに訊ねてみるが、これがはたして自由な人であろうか? 余はある『理想のための戦士』を知っている。この人がみずから余に話したところによると、一ど牢獄で喫煙の自由を奪われた時、極度にこの欲望のために苦しめられ、ただ煙草さえならえるなら、自分の『理想』を売ってもいいとまで考えた、とのことである。こういう連中が、『主義のために戦う』などと言っているのだ。一たいこういう連中がどこへ行って、何をしようというのか? ただ速成的な仕事に向くくらいのもので、長く持ちこたえることはとうていできない。それゆえ、彼らが自由の代りに隷属におちいり、同胞相愛と人類結合に対する奉仕の代りに、乖離と孤独におちいったのは、あえて怪しむにたらぬ(乖離という言葉は余の青年時代に、余の先覚たる謎の客が言ったことである)。かようなわけで、人類に対する奉仕と