京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

ロシア・Достое́вский地域での業務日記 20日目

九州北部で感染拡大か?
どういう経路か? 経路がわかればわかるだけ、本当の安心ができるようになるはず。

2日前に、あまりにくだらない新聞記事を読んだ。調べてわからなかったら、わからないとはっきり言え、そうでないと読者が混乱するだろうが。
対策に、『サリヴァンの精神科セミナー』(2006年、中井久夫による訳、みすず書房)を時間をかけて読むことにする。
問題行動をとる人物(いわゆる”患者”)1人に関する、長時間の面接の逐語的記録というのは他に例がないそうである。伏見事件と違うところもあるが、ほかにいい方法が見つからないので、この本から始めることにする。それにしても、なんでわたしがこの本をこういうふうに読まないといけないのか。
引用の量がたまったら、あとでまとめる。

P017

(略)
 サリヴァン 患者はどういう人かな?
 クヴァーニス 五フィート十インチ。平均体重。好青年です。髪を刈り上げ、ときどき、髭剃りを忘れます。外見は特にユダヤ人ふうではありません。話の途中にときどき、追い詰められた者の表情になります。
 サリヴァン 私なら、仮にこの人が患者でないとした上で、どういう青年かを頭に描こうとする。また、はっきりプラスの点とマイナスの点を挙げて、一種の貸借表を作ろうとする。
(略)

P041

 サリヴァン 精神医学の中のどんなものにも使える重要な一つのアプローチがあって、これは患者を相手とする時に諸君の意識の手の届くところにいつもあってもらいたいから、諸君全員の血となり肉となるようにしたいと思っているものだ。何にでも始まりがある。始まりが、ね。もし、ものごとが完全に円滑に進行して終わりまでゆけば、それはそれでいいんだが、途中で変化が起これば、その変化には日付がある。そして患者と共同作業をおこなえる見込みが少しでもあれば、その位置づけができる。


あの一連の記事に足りない物。
いくつもあるが、まず、実行犯Aがどんな人物像なのか、さっぱりわからないこと。たとえば、事件30日前の時点で、明日にでも人を殺しそうなのか、殺しはしないが殴りそうなのか、暴言をぶつけそうなのか、それとも別の犯罪をおこしそうなのか、犯罪ではなく別のことで気を紛らわせることができるか、その判断材料がない。今回の事件の準備として、さかのぼれるのが事件3日前まで(住んでいたところから出た時点)それ以上追及する報道がない。「計画的」という言葉が実質的に意味を失っている。たとえば、放火の訓練をまったくしていなくても「計画的」? 少なくとも、現時点において不正確な判断であることは間違いない。