京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

『カラマーゾフの兄弟』P382-384   (『ドストエーフスキイ全集』第12巻(1959年、米川正夫による翻訳、河出書房新社))[挑戦24日目]

『ああ、そうだ、僕はここを聞き落した。聞き落したくなかったんだがなあ。僕はここのところが大好きだ。これはガリラヤのカナだ、はじめての奇蹟だ……ああ、この奇蹟、本当に何という優しい奇蹟だろう。キリストは初めて奇蹟を行う時にあたって、人間の悲しみでなく悦びを訪れた、人間の悦びを助けた……「人間を愛するものは、彼らの悦びをも愛す……」これは亡くなった長老がたえまなく言われたことで、あのお方のおもな思想の一つであった……悦びなしに生きて行くことはできない、とミーチャは言った……そうだ、ミーチャ……すべて、真実で美しいものは、一切を赦すという気持に充ちている、――これもやはりあのお方の言われたことだ……」
「……イエス彼に言いけるは、婦《おんな》よ、なんじとわれと何のかかわりあらんや、わが時はいまだいたらず。その母|僕《しもべ》どもに向いて、彼がなんじらに命ずるところのことをせよ[#「せよ」に傍点]と言いおけり……」
「せよ……そうだ、悦びを作らなきゃならない。誰か知らんが、貧しい、非常に貧しい人の悦びを作らなきゃならない……そりゃもう婚礼に葡萄酒がたりないといえば、むろん貧しい人にきまっている……歴史家の説によると、ゲネサレ湖の周囲とその付近一帯にわたって、想像もおよばないような貧しい部落があったそうだ……ところで、そこにいたいま一つの偉大な存在。つまりイエスの母の偉大な魂は、そのとき彼が降って来たのも、あながち恐ろしい大功業のためばかりでない、ということを見抜いたのだ。自分の貧しい婚筵に愛想よく彼を招いた無知な、とはいえ正直な人々の淳朴な罪のない楽しみも、彼の胸に感動を与え得るということを、イエスの母は見抜いたのだ。「わが時はいまだいたらず」と彼は静かなほお笑みを浮べながら言った(きっとつつましいほお笑みを母に示したに相違ない)……実際、彼は貧しき人々の婚筵の席で、葡萄酒をふやすために地上へ降ったのではあるまい。しかし、彼は悦んで母の乞いを容れたではないか……ああ、また読んでいらっしゃる。』
「イエス僕《しもべ》どもに水を甕に満せよと言いければ、彼ら口まで満たせり。
 またこれを今くみ取りて持ちゆき筵《ふるまい》を司る者に与えよと言いければ、彼らわたせり。 筵を司るもの酒に変りし水を嘗めて、そのいずこより来りしを知らず。されど、水をくみし僕は知れり。筵を司るもの新郎《はなむこ》を呼びて。
 彼に言いけるは、およそ人はまずよき酒をいだし、酒たけなわなるにおよびて魯《あ》しき酒をいだすに、なんじはよき酒を今まで留めおけり。」
『おや、これはどうしたことだ、これはどうしたことだ? なぜ部屋がひろがり出したのだろう……ああ、そうだ……これは婚筵だ、結婚式なのだ……むろんそうだとも。ほら、あそこに客人たちがいる、ほら、そこに新郎新婦が坐っている。そうして、群衆は楽しそうな様子をしている、しかし……筵を司る賢者はどこにいるのだろう? ところで、あれは誰だ? 誰だろう? また部屋がひろがって来たぞ……あの大テーブルの陰から立ちあがったのは誰だろう? え……一たいあのお方がここにいらっしゃるのかしらん? あのお方は棺の中に臥ていらしたではないか……しかし、やはりここにいらっしゃるのだ……立ちあがってから、僕を見つけて、こちらへ歩いておいでになる……ああ!』
 そうだ、彼のほうへ、彼のほうをさしてその人は進んで来る。顔には小皺の一ぱいある、痩せた小柄な老人が、静かに悦ばしげに笑っている。棺はもはやそこにはなかった。彼はゆうべ客人たちを集めて、談話を交換した時と同じ着物をきている。顔ぜんたいが開け放したような表情をおび、目はきらきらと輝いている。これはどういうわけであろう。きっとこの人も筵に呼ばれたに相違ない、ガリラヤのカナの婚筵に招かれたに相違ない……
「やはり、そうじゃ、倅、やはり呼ばれたのじゃ、招かれたのじゃ」という静かな声が彼の頭上で響いた。「お前どうしてこのようなところに隠れて姿を見せぬのじゃな……さあ、お前も一緒にみなのほうへ行こう。」
 あの人の声だ。ゾシマ長老の声だ……こうして自分を呼ぶ以上、大違いなぞというはずがない。長老はアリョーシャの手を取って引き起した。で、こちらはついていた膝を伸ばして立ちあがった。
「おもしろく遊ぼうではないか」と痩せた小柄な老人は語をついだ。「新しい酒を飲もう、偉大な、新しい歓びの酒を酌もう。見ろ、何という大勢の客であろう! そこにいるのが新郎《はなむこ》に新婦《はなよめ》じゃ。あれは筵《ふるまい》を司る賢者が、酒を試みておるのじゃ。どうしてお前はそう驚いた顔をして、わしを見るのじゃな? わしは葱を与えたためにここにいるのじゃ。ここにいる人は大てい葱を与えた人ばかりじゃ、僅か一本の葱を与えた人ばかりじゃ……ときに、わしらの仕事はどうじゃ? お前も、わしの静かなおとなしい少年も、今日ひとりの渇した女に、一本の葱を
与えたのう。はじめるがよい、倅、自分の仕事をはじめるがよい……ところで、お前にはわれわれの『太陽』が見えるか、お前には『あのお方』が見えるか?」
「恐ろしゅうございます……見上げる勇気がございません……」とアリョーシャは囁いた。
「恐れることは少しもない。われわれにはあの偉大さ、あの高さが恐ろしゅうも見える。しかし、限りなくお慈悲ぶかいのはあのお方じゃ。今も深い愛のお心からわれわれと一緒になって、われわれと遊び戯れておいでになる。そうして、客の歓びがつきぬために、水を酒に変えて、新しい客を待ち受けておいでになる。永久に絶ゆることなく、新しい客を招いておいでになる。そら、新しい水を運んで行く。ごらん、器を運んで行くではないか……」
 何ものかがアリョーシャの胸に燃え立って、とつぜん痛いほど一ぱいに張りつめてきた。そして、歓喜の涙がこころの底からほとばしり出た……彼は両手をさし伸べて、一声叫んだと思うと、目がさめた……
 ふたたび棺、開け放した窓、静かな、ものものしい、区切りのはっきりした読経の声が甦った。不思議にも彼は膝をついたまま眠りに落ちたのに、今はちゃんと両足を伸ばして立っている。と、急に飛びあがるような恰好をして、速い、しっかりした歩調で三足ふみ出し、棺のそばにぴたりと寄り添うた。その時、パイーシイ主教に肩をぶっつけだが、それには気もつかなかった。主教はちょっと書物から目をはなして、彼のほうへ転じたが、青年の心に何か不思議なことが生じたのを悟り、すぐまたその目をそらしてしまった。アリョーシャは三十秒ばかり棺の中を見つめた。なき人は胸に聖像をのせ、頭に八脚十字架のついた頭巾をかぶり、全身をことごとく蔽われたまま、じっと横たわっている。たった今この人の声を聞いたばかりで、その声はまだ耳に響いている。彼はまたじっと耳をすましながら、なおも声の響きを待ちもうけた……が、とつぜん身をひるがえして、庵室の外へ出た。
 彼は正面の階段の上にも立ちどまらず、足ばやに庭へおりて行った。感激に充ちた彼の心が、自由と空間と広濶を求めたのである。静かに輝く星くずに充ちた穹窿が、一目に見つくすことのできぬほど広々と頭上に蔽いかぶさっている。まだはっきりしない銀河が、天心から地平へかけて二すじに分れている。不動といってもいいほど静かな爽やかな夜は、地上を蔽いつくして、僧院の白い塔や黄金《きん》色をした円頂閣は、琥珀のごとき空に輝いている。おごれる秋の花は、家のまわりの花壇の上で、朝まで眠りをつづけようとしている。地上の静寂は天上の静寂と合し、地上の神秘は星の神秘と相触れているように思われた……アリョーシャは佇みながら眺めていたが……ふいに足でも薙がれたように、地上へがばと身を投じた。
 彼は何のために大地を抱擁したか、自分でも知らない。またどういうわけで、大地を残る隈なく接吻したいという、抑えがたい欲望を感じたか、自分でもその理由を説明することができなかった。しかし、彼は泣きながら接吻した、大地を涙でうるおした。そして、自分は大地を愛する、永久に愛すると、夢中になって誓うのであった。「おのが喜悦の涙をもってうるおし、かつその涙を愛すべし……」という声が彼の魂の巾で響き渡った。一たい彼は何を泣いているのだろう? おお、彼は無限の中より輝くこれらの星を見てさえ、感激のあまりに泣きたくなった。そうして『自分の興奮を恥じようともしなかった。』ちょうどこれら無数の神の世界から投げられた糸が、一せいに彼の魂へ集った思いであり、その魂は『他界との接触に』顫えているのであった。彼は一切に対してすべての人を赦し、それと同時に、自分のほうからも赦しを乞いたくなった。おお! それは決して自分のためでなく、一切に対し、すべての人のために赦しを乞うのである。『自分の代りには、またほかの人が赦しを乞うてくれるであろう』という声が、ふたたび彼の心に響いた。しかし、ちょうどあの穹窿のように毅然としてゆるぎのないあるものが、彼の魂の中に忍び入るのが、一刻一刻と明らかにまざまざと感じられるようになった。何かある観念が、彼の知性を領せんとしているような心持がする、――しかもそれは一生涯、いな、永久に失われることのないものであった。彼が大地に身を投げた時は、かよわい青年にすぎなかったが、立ちあがった時は生涯ゆらぐことのない、堅固な力を持った一個の戦士であった。彼は忽然としてこれを自覚した。自分の歓喜の瞬間にこれを直感した。アリョーシャはその後一生の間この瞬間を、どうしても忘れることができなかった。『あのとき誰か僕の魂を訪れたような気がする』と彼は後になって言った。自分の言葉に対して固い信念をいだきながら……
 三日の後、彼は僧院を出た。それは『世の中に出よ』と命じた、故長老の言葉にかなわしめんがためであった。