『カラマーゾフの兄弟』P026-029   (『ドストエーフスキイ全集』第12巻(1959年、米川正夫による翻訳、河出書房新社))[挑戦26日目]

の僧院で長老に逢ったのである。
 それは前に述べたように長老ゾシマである。ここでわが国の僧院における長老とは何ぞや、ということについて一言説明を要するけれど、残念ながら筆者はこの方面において、あまり確かな資格がないような気がする。とはいえ、ちょっと手短かに表面的な叙述を試みようと思う。まず第一にしっかりした専門家の説によると、長老とか長老制度とかが、わが国の僧院に現われたのはごく最近のことで、まだ百年もたっていない。しかるに、すべての東方の正教国、ことにシナイとアトスには千年以前からあったとのことである。なお彼らの確説によれば、ロシヤにも古代存在していた、もしくは存在していたはずであるが、ロシヤの国難――韃靼の侵入とか、混沌時代とか、コンスタンチノープル陥落以来、東方との交通断絶とか、そういう事件の結果、わが国におけるこの制度も忘れられて、長老というものも跡を断つに至った。これが復活したのは前世紀の終り頃で、有名な苦行者(世間でそう呼ばれている)の一人パイーシイ・ヴェリチコーフスキイと、その弟子たちの力であった。それからほとんど百年もたつ今日に至っても、ごく僅かな僧院にしかおかれていない。それさえどうかすると、ロシヤでは話にも聞かない新制度として、迫害を受けることがあった。ロシヤにおいてこれがことに隆盛をきたしたのは、カゼーリスカヤ・オープチナのある有名な僧院であった。
 この制度が私たちの町の郊外にある僧院で、いつ誰によって創められたかは、確言することができない。しかし、ここの長老はもはや三代もつづいて、ゾシマはその最後のものである。しかるに、この人が老衰と病気のため、ほとんど死になんなんとしているにもかかわらず、誰を後継者としたらいいかわからなかった。これは僧院にとって重大な問題であった。なぜなら、この僧院にはこれまで何ひとつ有名なものがなかった。聖僧の遺骨もなければ、霊験あらたかな聖像もなく、国史に縁のある面白い伝説もなければ、歴史的勲功とか国家に対する忠勤とかいうものもない。それにもかかわらず、この僧院が隆盛をきたして、ロシヤ全国に名を響かしたのは、とりもなおさずこの長老のおかげであった。彼らを見たり聞いたりするために、ロシヤの全土から多くの巡礼者が、千里を遠しとせず、群をなしてこの町へ集って来るのであった。
 ところで、長老とは何かというに、これは人の霊魂と意志を取って、自分の霊魂と意志に同化させるものである。人は一たんある長老を選み出したら、全然おのれの欲望を断ち、絶対の服従をもって、長老に自分の意志を捧げるのである。願がけをした人は長い苦行ののち自己を征服し、かつ制御する日が来るのを楽しんで、こうした試煉、こうした恐ろしい『人生の学校』を、みずから進んで双肩に柤うのである。この生涯の服従を通じて、ついには充実した生活と完全な自由、すなわち自分自身に対する自由に到達する。そして一生涯のあいだ自己を発見することのできない人々と、運命をともにするのを避けることができるのである。この長老制は理論的に創設されたものでなく、現代のものについて言えば、すでに千年来の実験によって編み出されたのである。長老に対する義務は、いつの時代にもわが国の僧院にあった普通の『服従』とは、類を異にしている。ここに認められるものは、服従者の永久の懺悔である、命令者と服従者との間の破ることのできない関係である。例えばこんな話がある。キリスト教の創始時代ある一人の服従者が、長老に命ぜられた何かの義務をはたさないで、僧院を去って、他の国へ赴いた。それはシリヤからエジプトへ行ったのである。そこで長い間いろいろ偉大な苦行をしたが、ついに信仰のために拷問を受け、殉教者として死につくことになった。すでに教会は彼を聖徒と崇めて、その体を葬ろうとしたとき、『許されざるものはは出でよ!』(祈禱式でこの言葉が発せられた時、キリスト教徒でない者は教会を出るべきものと定まっていた)という助祭の声が響き渡ると同時に、とつぜん殉教者の体を納めた棺が、むくむくと動き出して寺の外へけし飛ばされた。これが三度まで繰り返されたのである。その後ようやく、この忍辱の聖徒が服従の誓いを破って、自分の長老のもとを立ち去ったため、たとえ偉大な功業があるにしても、長老の許可なくしては、罪を赦してもらえないということがわかった。で、呼び迎えられた長老が彼の誓いを解いた時、初めてようやく葬式を営むことができたとのことである。
 もちろん、これはほんの昔話であるが、ここに一つ、つい近頃起った事実談がある。一人のロシヤ現代の僧がアトスの地に行いすましていたが、とつぜん長老がその僧に向って、彼が聖地としてまた穏かな避難所として、心底から愛しているアトスの地を棄てて、まず聖地巡礼のためエレサレムへ赴き、その後ロシヤヘ引っ返して、北のはてなるシベリヤへ行けと命じた。『お前のいるべき場所はあちらなのだ、ここではない。』思いがけない悲しみに打ちのめされた僧は、コンスタンチノープルなる最高僧正のもとへ出頭して、自分の服従義務を解いてくれるように哀願した。ところが、最高僧正の答えるには、単に最高僧正たる自分にそれができないばかりでなく、一たん長老にせられた服従命令を解き得る権力は、世界じゅうさがしてもない、いな、あり得ない、それができるのは、服従を課した当の長老ばかりだ、とのことであった。
 こういうわけで、長老は一定の場合において、限りのないほとんど不可解な権力を授けられている。わが国における多くの僧院で、初めのうち長老制度が迫害を蒙ったのは、これがためである。けれども、すぐに長老は民間で、非常な尊敬を受けるようになった。私たちの町の長老のところへも、平民貴人の区別なく押しかけて来たが、それはみな長老の前へ体を投げ出した上、懐疑や罪悪や苦悶を殲悔して、忠言と教訓を乞うためであった。これを見た長老の反対者は、さまざまな非難の叫びを上げ始めた。その非難の一つはこうである。
『長老は懺悔の神秘を自分勝手に、かるがるしく卑しめている。』ところが、聴法者なり普通世間の人なりが、自分の霊魂の内部を長老に打ち明ける際、何ら神秘らしいところはないのである。しかし、結局、長老制度は維持されてきて、次第次第に到るところの僧院へ侵入することになった。もっとも、奴隷の状態から精神的完成と自由とに向かって人間を更生させるこの武器、――千年の経験を積んだこの武器も、場合によっては双刃の兇器となることがある、これは実際の話である。なぜと言って、中には完全な自己制御と忍従へおもむかないで、反対に悪魔のような傲岸、すなわち自由でなくして束縛へ導かれる者がないともかぎらないからである。
 長老ゾシマは今年六十五歳、地主の出であったが、ごく若い時分軍務に服してコーカサスで尉官を勤めたこともある。彼が何かしら一種独得な性格でアリョーシャの心を震撼したのは、疑いもない事実である。アリョーシャは長老の特別な愛を獲て、その庵室に住むことを許された。ちょっと断わっておくが、当時アリョーシャは、僧院に住んでいるといっても、まだ何の拘束もなかったので、どこへでも勝手に、幾日でもぶっ通しに出て行ってかまわなかった。彼が法衣を纒っていたのは、僧院の中でほかの人と違ったふうをするのがいやさに、自分の勝手でしていることなのであった。しかし、言うまでもなく、この服装は自分でも気に入ったのである。ことによったら、長老をしっかり取り巻いている名声と力とが、彼の若々しい心に烈しく働きかけたのかもしれない。長老ゾシマについては、多くの人がこんなことを言っていた、――彼のところへは大勢の人が、自分の心中を打ち明けて、霊験のある言葉や、忠言を聞こうという希望に渇しながらやって来る。長老はこういう人たちと永年のあいだ無数に接して、その懺悔や、苦悶や、告白を数限りなく自分の心に納めたので、しまいには、自分のところへ来る未知の人を一目見たばかりで、どんな用事で来たのか、何が必要なのか、いかなる種類の苦悶がその人の良心をさいなんでいるか、というようなことを見抜き得るほど、微妙な洞察力を獲得した。そして、当人がまだ口をきかないさきに、その霊魂の秘密を正確に言いあてて、当人を驚かしたり、きまり悪がらせたり、どうかすると気味悪く感じさせたりするのであった。
 しかし、アリョーシャは、はじめて長老のところへさし向かいで話しに来る多くの人が、大抵みな恐怖と不安の表情で入って行くが、出て行く時には、悦ばしそうな明るい顔つきになっているのに気がついた。実際、恐ろしく沈み込んでいた顔が、僅かの間にさも幸福そうになるのであった。いま一つアリョーシャを感動さしたのは、長老が人と応対するとき決して厳格でないばかりか、かえっていつも愉快そうな顔をしていることであった。彼は、少しでもよけい罪の深い者に同情して、最も罪の深い者を誰より一ばんに愛するのだ、と僧たちは話し合っていた。僧たちの中には、長老の生涯が終りに近づいた時でさえ、彼を憎んだりそねんだりするものがあった。しかし、そんな人は次第に少くなって、あまり悪口をつかなくなった。もっとも、そういう人の中には、僧院でもずいぶん名を知られた有力な人も幾たりかあった。わけてもその中の一人は非常に古参の僧で、偉大な沈黙の行者であり、かつ異常な禁慾家であった。
 しかし、それでも大多数は、すでに疑いもなく長老ゾシマの味方であった。のみならずその中には、心底から熱情を籠めて、彼を愛している者も少くなかった。ある者はもうほとんど狂信的に彼に傾倒していた。こういう人たちは公然にこそ言わないが、長老は聖徒である、それにはいささかの疑いもない、と噂していた。そして、ほどなく長老の逝去を予見しているので、ごく近いうちに僧院にとって偉大な名誉となるような奇蹟が、必ず現われるに相違ないと期待していた。長老の奇蹟的な力はアリョーシャも絶対に信じて疑わなかった。それはちょうど、寺の中からけし飛んだ棺の話を絶対に信じたのと同じ理屈であった。彼は病気の子供や大人の親類などを連れて来て、長老様がその上にちょっと手を載せて、お祈りを言って下さるようにと頼む多くの人を見た。彼らは間もなく(中にはすぐその翌日)やって来て、涙とともに、長老の前に打ち倒れ、病人を全治してもらった礼を述べるのであった。それははたして長老が全治さしたのか、病気が自然の経過をへて快方に向ったのか、――そんな問題はアリョーシャにとって存在しなかった。何となれば、アリョーシャはすっかり師の精神力を信じきって、今の名声をその勝利のしるしかなんぞのように思いなしていたからである。
 ことに、彼が満面照り輝いて胸のときめきをとどめ得なかったのは、長老に会って祝福を受けるためにロシヤの全土から流れ寄って、庵室の門口で待っている平民出の巡礼の群へ、しずしずと長老が姿を現わす時であった。彼らはその前へ打ち倒れて、泣きながらその足に接吻し、その足の踏んでいる土を接吻し、声を上げて働哭した。また女房どもは彼の方へ子供を差し出したり、病める『|憑かれた女《クリクーシカ》』を連れて来たりする。長老は彼らと言葉を交え、簡単な祈禱を捧げ、祝福をして、彼らを退出させるのであった。最近にいたって病気の発作のため、時とすると、庵室を出ることができないほど弱ってしまうことがあった。そんなとき巡礼者は二日でも三日でも僧院の中で、彼が出て来るのを待ち受けていた。何のために彼らはこれほど長老を愛するのか、なぜ彼らは長老の顔を見るやいなやその前に倒れて有難涙にくれるのか、それはアリョーシャにとって、少しも疑問にならなかった。
 おお、彼はよく知っていた! 常に労役と悲哀、――いな、それよりもなお一層、日常坐臥の生活につき纒う不公平や、自己の罪のみならず、全人類の罪にまで苦しめられているロシヤ民衆の謙虚な魂にとっては、聖物でなければ聖者を得てその前に倒れぬかずきたいというより以上の、強い要求と慰藉はないのである。『よしわれわれに、罪悪や、不義や、誘惑などがあ方がおいでになる。あの人は、われわれに代って真理を持っていらっしゃる、真理を知っていらっしゃる、つまり真理は地上に亡びていない証拠だ。してみると、その真理はいっかわれわれにも伝わってきて、神様が約束されたように、地球全体を支配するに相違ない』とこんなふうに民衆は感じている、感じているのみか考えてさえいる。アリョーシャにはそれがよくわかった。そして、長老ゾシマが民衆の考えているのと同じ聖人であり、真理の保管者であるということを毫も疑わなかった。その点において、彼自身もこれらの有難涙にくれる百姓や、子供を長老の方へ差し出す病身な女房などと変りはなかった。
 また長老が永眠の後、この僧院になみなみならぬ名誉を与えるという信念は、僧院内の誰よりも一ばん深く、アリョーシャの心に根ざしていた。それに全体として、このごろ何かしら深刻な焔のような心内の歓喜が、いよいよ烈しく彼の胸に燃え盛るのであった。何といっても、自分の目に見える真理の把持者は、この長老ただ一人にすぎないということも、決して彼を当惑さぜなかった。
『どっちにしても同じことだ。長老は神聖な人だから、あの人の胸の中には万人に対する更新の秘訣がある。真理を地上に押し立てる偉力がある。それですべての人が神聖になり、互いを愛し得るようになるのだ。そして、貧富高下の差別もなくなって、一同が一様に神の子となる。こうして、ついに神の王国が実現されるのだ。』これがアリョーシャの心に浮ぶ空想であった。
 今までまるで見たことのない二人の兄の帰省は、アリョーシ