京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

『カラマーゾフの兄弟』P042-045   (『ドストエーフスキイ全集』第12巻(1959年、米川正夫による翻訳、河出書房新社))[挑戦30日目]

「神聖なる長老さま、どうかおっしゃって下さいまし、わたくしがあんまり元気すぎるために、腹を立てはなさいませんか?」肘椅子の腕木に両手をかけて、返答次第でこの中から飛び出すぞというような身構えをしながら、フョードルはふいにこう叫んだ。
「お願いですじゃ、あなたも決してご心配やご遠慮のないように。」長老は諭すように言った。「どうかご自分の家におられるつもりで、遠慮なさらねようにお願いしますじゃ、まず第一に自分で自身を恥じぬことが肝要ですぞ。これが一切のもとですからな。」
「自分の家と同じように? つまり、飾りけなしでございますか? ああ、それはもったいなさすぎます、もったいなさすぎます、がしかし、――悦んで頂戴いたしましょう! ところで、長老さま、飾りけなしなぞと、わたくしを煽てないで下さい、けんのんでございますよ……飾りけなしというところまでは、当人のわたくしさえ突き当る元気がありません。これはつまりあなたを護るために、前もってご注意するのでございます。まあ、そのほかのことはまだ『未知の闇に葬られて』おります。もっとも、中には、わたくしという人間を、むやみと悪しざまに言いたがる仁《じん》もありますがな、――これはミウーソフさん、あんたにあてて言っとることですぜ。ところで、長老さま、あなたにあてては歓喜の情を披瀝いたします!」彼は立ちあがって、両手を差し上げながら言いだした。「『なんじを宿せし母胎は幸いなり、なんじを養いし乳房は幸いなり、ことに乳房こそ幸いなれ!』あなたはただいま、『自分を恥じてはならぬ、これが一切のもとだから』とご注意くださりましたが、あのご注意でねたくしを腹の底までお見透しなさいました。まったく、わたくしはいつも人中へ入って行くと、自分は誰よりも一番いやしい男で、人がみんな自分を道化者あつかいにするような気がいたすのでございます。そこで、『よし、それなら一つ本当に道化の役をやって見せてやろう。人の思わくなど怖かあない。誰も彼もみんなわしより卑屈なやつらばかりだ!』こういうわけで、わたくしは道化になったのでございます。恥しいがもとの道化でございます、長老さま、恥しいがもとなのでございます。ただただ疑ぐり深い性分のために、やんちゃをするのでございます。もしわたくしが人の中へ入る時、みんなわたくしのことを、世にも面白い、利口な人間と思うてくれるに相違ない、こういう自信ができましたなら、いやはや、その時はわたくしも、どんないい人間になったことでしょうなあ! 長老さま!」と、いきなりとんと膝を突いて、「永久の生命《いのち》を受け継ぐためには、一たいどうすればよろしいのでございましょう?」
 はたして彼はふざけているのか、それとも本当に感激しているのか、どちらとも決めかねるほどであった。
 長老はそのほうへ視線を注ぎ、笑みを浮べながら言った。
「どうすればよいか、自分でとうからご存じじゃ。あなたには分別は十分ありますでな。飲酒に耽らず、言葉を慎しみ、女色、ことに拝金におぼれてはなりませんぞ。それからあなたの酒場を、皆というわけにゆかぬまでも、せめて二つでも三つでもお閉じなさい。が、大事なのは、一ばん大事なのは、――嘘をつかぬということですじゃ。」
「というと、ディドローの一件か何かのことで?」
をつかぬことですじゃ。みずから欺き、みずからの偽りに耳を傾けるものは、ついには自分の中にも他人の中にも、まことを見分けることができぬようになる、すると、当然の結果として、自分に対しても、他人に対しても尊敬を失うことになる。何者をも尊敬せぬとなると、愛することを忘れてしまう、ところが、愛がないから、自然と気をまぎらすために淫らな情欲に溺れて、畜生にもひとしい悪行を犯すようになりますじゃ。それもこれも、みな他人や自分に対するたえまのない偽りから起ることですぞ。みずから欺くものは、何より第一番に腹を立てやすい。実際、時としては、腹を立てるのも気持のよいことがある。そうではありませんかな? そういう人はな、誰も自分を馬鹿にした者はない、ただ自分で侮辱を思いついてそれに色どりをしただけなのだ、ということをよく承知しております。一の絵に仕上げるため自分で誇張して、僅かな他人の言葉に突っかかり、針ほどのことを棒のように触れ廻る、――それをちゃんと承知しておるくせに、自分から先になって腹を立てる。しかも、よい気持になって、何ともいえぬ満足を感じるまで腹を立てる。こうして、本当のかたき同士のような心持になってしまうのじゃ……さあ、立ってお坐りなされ、お願いですじゃ。それもやはり偽りの身振りではありませぬか。」
「ああ、有徳《うとく》なお方だ! どうぞお手を接吻さして下さいませ。」フョードルはひょいと飛びあがって、長老の痙せこけた手を大急ぎでちゅっと吸った。「まったくそのとおり、腹を立てるのがいい気持なんでございます。実によく言い当てなさいました。そういうことを、わたくしは今まで聞いたことがございません。まったくそのとおり、わたくしは一生涯、いい気持になるまで腹を立てました。つまり、その美学的に腹を立てたのでございます。なぜと申して、侮辱されるというやつは気持がいいばかりでなく、どうかすると美しいことがございますでな。この美しいということを、一つ言い落されましたなあ、長老さま! これはぜひ手帳に書きとめておきましょう。ところで、わたくしは本当に嘘をつきました、それこそ一生のあいだ毎時毎日嘘をつきました。まことに偽りは偽りの父なり! でございますよ。もっとも、偽りの父ではありませんな。いつもわたくしは、聖書の文句にまごつきますので。まあ、さよう、偽りの子くらいのところでたくさんですよ。しかし……天使のような長老さま……ディドローのような話も時にはよろしゅうございますよ! ディドローの話は害になりません、害になるのはときどき口をすべる言葉でございます。ああ、そうそう、うっかり忘れるところだった、ついでに一つ伺いたいことがございます。これはもう三年も前から調べてみるつもりで、こちらへ参上してぜひぜひ詳しく伺おう、と決心しておったのでございます。しかし、ミウーソフさんに口出しをさせんようにお願いいたします。ほかではありませんが、『殉教者伝』のどこかにこんな話があるのは、本当のことでございましょうか。それは何でもある神聖な奇蹟の行者が、信仰のために迫害されておりましたが、とうとう首を切られてしまいました。ところが、その人はひょいと起きあがるなり、自分の首を抬って、さも『いとしげに口づけしぬ』とあるのです。しかも長い間それを手に持って歩きながら、『いとしげに口づけしぬ』なんだそうです。一たいこれは本当のことでしょうか、どうでしょう、皆さん?」
「いいや、嘘ですじゃ」と長老は答えた。
「どんな『殉教者伝』にも、そのようなことは載っておりません。一たい何聖者のことをそんなふうに書いてありましたかな?」と図書がかりの僧が訊いた。
「わたくしもよく知りません、一向存じません。だまされたんですな。わたくしも人から聞いたのです。ところで、誰から聞いたとお思いですか、このミウーソフさんですよ。たった今ディドローのことであんなに腹を立てたミウーソフさんですよ。この人が話して聞かせたのです。」
「僕は決してそんなことを、あなたに話した覚えはありません。それに全体、僕はあなたと話なんかしやしません。」
「そりゃまったくわしに話したことはありませんがな、あんたが大勢あつまっておる席で話したところ、その場にわしも居合せたんですよ。何でも四年ばかりも前のことでしたなあ。わしがこんなことを言いだしたのは、あんたがこの滑稽な話でもってわしの信仰をゆるがしたからです。あんたは芋の煮えたもご存じなしだが、わしはゆるがされたる信仰をいだいて帰って、それ以来ますます動揺をきたしておるんですよ。なあ、ミウーソフさん、あんこはわしの大堕落の原因なんですぜ。これはもうディドローどころの騒ぎじゃない!」
 フョードルは悲痛な熱した調子で弁じた。しかし、またしても彼が芝居をしているということを、一同はもうはっきりと見抜いたのであるが、それでもやはり、ミウーソフは痛いところを突かれたような気がした。
「なんてくだらない、あんたの言うことはみんな馬鹿げてる」と彼は呟いた。「僕は実際いつか話したことがあるかもしれん……しかし、あなたに話したのじゃない。僕自身からして人に聞いたんですものね。何でもパリにいた時あるフランス人が、ロシヤでは『殉教者伝』の中にこんな逸話があって祈禱式に朗読するとかって話して聞かせたんです。その人はなかなかの学者で、ロシヤに関する統計を専門に研究しているんです……ロシヤにも長く暮したことがあります……僕自身は『殉教者伝』を読んだことがない……それに、また読もうとも思いませんよ……まったく食事の時などは、どんなことを喋るかしれたもんじゃない……そのときちょうど食事をしていたんですからね……」
「さよう、あんたはそのとき食事をしておられたでしょうが、わしはこのとおり、信仰をなくしたんですよ!」とフョードルがちょっかいを入れた。
「あなたの信仰なんか僕の知ったことじゃありません!」とミウーソフは呶鳴りかけたが、急に虫を殺してこう言った。「あなたはまったく譬えでなしに、自分の触ったものにすっかり泥を塗るんですよ。」
 長老はとつぜん席を立った。
「失礼ですが、皆さん、わしはちょっと十分間ほど、あなた方をおいて行かねばなりませんじゃ」と彼は一行に向って言った。「実はあなた方より前に見えた人たちが待っておりますのでな。しかし、あなたは何というても、嘘をつかねほうがようござりますぞ。」フョードルに向って愉快そうな顔をしながら、彼はこう言いたした。
 彼は庵室を出て行った。アリョーシャと聴法者は階段を助けおろすために、その後から駆け出した。アリョーシャは息をはずましていた。彼はこの席をはずせるのが嬉しかったけれど、長老が少しも腹を立てないで、愉快そうな顔をしているのも、嬉しいことであった。長老は自分を待ちかねている人たちを祝福するために、廊下のほうをさして進んだ。しかし、フョードルはそれでも庵室の戸口で彼を引き止めた。
「神聖なる長老さま!」と彼は思い入れたっぷりで叫んだ。「どうかもう一度お手を接吻さして下さいませ! 実際あなたはなかなか話せますよ、一緒に暮せますよ! あなたはわたくしがいつもこのような馬鹿者で、道化た真似ばかりしとるとお思いなされますか! なに、わたくしはあなたをためそうがために、わざとあんな真似をしておったのでございます。あれはつまり、あなたと一緒に暮すことができるか、あなたの気高いお心にわたくしの謙遜の居場所があるかどうかと思って、ちょっと脈をとってみたのでございますよ。しかし、あなたには褒状をさし上げてもよろしい、――一緒に暮すことができますよ! さあ、これでもう口をききません、ずっとしまいまで黙っております。椅子に腰をかけたっきり、黙っております。ミウーソフさん、今度はあなたが話をする番ですぜ、今度はあなたが一番役者ですぜ……もっとも、ほんの十分間だけな。」

   第三 信心深い女の群

 そと囲いの塀に建てつけられた木造の廊下の傍には、今日は女ばかりの一群、二十人ばかりの女房が押しかけていた。彼らは、いよいよ長老さまがお出ましになると聞いて、こうして集っているのであった。上流の婦人のために設けられた別室に控えて同様に長老を待っていた地主のホフラコーヴァ夫人も廊下へ出た。この一行は母と娘の二人であった。母なるホフラコーヴァは富裕な貴婦人で、いつも趣味のある服装をしているうえに、年もまだずいぶん若いほうである。少し色目は悪いけれど、非常に可愛い顔立ちをしていて、ほとんど真っ黒な目が恐ろしく生き生きしている。年はまだせいぜい三十四くらいなものだが、ものの五年ばかり前からやもめになっている。十四になる娘は足《そく》痛風に悩んでいた。不幸な娘はもう半年も前から歩くことができなくなったために、車のついた細長い安楽椅子に乗ったまま方々へ運ばれていた。美しい顔は病気のために少し痩せているけれど、うきうきしていた。睫の長い暗色《あんしょく》の大きな目には、何となくいたずららしい光があった。母は春頃からこの娘を外国へ連れて行く気でいたが、夏の領地整理のため時期を遅らしてしまった。母娘《おやこ》はもう二週間ばかりこの町に滞在しているが、それは神信心のためというより、むしろ用事の都合であった。もう三日前に一度長老を訪れたのに、今日もまたとつぜん母娘《おやこ》の者は、もう長老がほとんど誰にも会えなくなったことを承知しながら、ふたたびここへやって来て、もう一度「偉大な救い主を拝む幸福」を授けて欲しいと、祈るようにして頼んだのである。長老が出て来るのを待つあいだ、母夫人は娘の安楽椅子の傍らなる椅子に腰かけていた。彼女から二歩ばかり離れたところに一人の老僧が立っていた。これはこの僧院の人ではなく、あまり有名でない北のほうの寺から来たのである。彼も同じように長老の祝福を受けようとしていた。しかし、廊下に姿を現わした長老は、初めまっすぐに群衆のほうへと通り過ぎた。群衆は低い廊下と広場を繋いでいる、僅か三段の階《きざはし》をさして詰め寄せた。長老は一ばん上の段に立って袈裟を着け、