京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

『カラマーゾフの兄弟』P082-085   (『ドストエーフスキイ全集』第12巻(1959年、米川正夫による翻訳、河出書房新社))[挑戦40日目]

うはっきりと言いきるの?」アリョーシャは眉をひそめながら、突然つっけんどんにこう言った。
「じゃ、なぜ君は今そういって訊きながら、僕の返事を恐れてるんだい? つまり、僕の言ったことが本当だってことを承認してるようなもんじゃないか。」
「君はイヴァンを嫌ってるんだね。イヴァンは金なんかで迷わされやしないよ。」
「そうかい? しかしカチェリーナさんの美貌はどうだね?問題は金のみにあるんじゃないよ、もっとも、六万ルーブリといったら、まんざら憎くないもんだがね。」
「イヴァンはもっと高いところを見てるよ。イヴァンは何万あろうとも、金なんかに迷わされやしない。イヴァンは金や平安を求めてはいない。たぶん苦痛を求めてるんだろう。」
「これはまた何という夢だ? 本当に君らは……お殿さまだねえ!」
「何を言うの、ミーシャ、兄さんは荒れやすい心を持ってるんだよ。兄さんの頭は囚われている。イヴァンのいだいている思想は偉大だけれど、まだ解決がついてないのだ。イヴァンは幾百万の金よりも、思想の解決を望むような大物の一人だよ。」
「それは、アリョーシャ、文学的剽窃だよ、君は長老の言葉を焼き直したね。本当にイヴァンは君たちに大変な謎を投げたもんだよ!」と、ラキーチンは毒念を隠そうともせずにこう言った。彼は顔色まで変えて、唇は妙にひん曲っていた。「ところが、その謎は馬鹿げたもので、解くほどの価値なんかありゃしない。ちょっと頭を働かしたらすぐわからあな。あの人の論文は滑稽な、ばかばかしいものさ。さっきあの馬鹿げた理論を聞いたが、『霊魂の不滅がなければ、したがって善行というものはない。つまり、何をしてもかまわないわけになる』ってなことだったね(ところで、兄さんのミーチャが、ほら、君も聞いただろう、『覚えておきましょう』と言ったじゃないか)。この理論はやくざ者にとって……僕の言い方は少々喧嘩じみてきたね、こりゃいかん……やくざ者じゃない、『解決できないほど深い思想』をいだいた小学生式の威張り屋さんにとって、すこぶる魅力があるからね。から威張り屋さんだ。ところで、その要点をかいつまんでみると、『一方から言えば、承認しないわけにゆかないが、また一方から言っても、やっぱり是認しないわけにゆかない!』でつきている。あの人の理論は陋劣の塊りだ! 人類は、たとえ霊魂の不滅を信じなくっても、善行のために生きるだけの力を、自分自身のなかに発見するに相違ない! 自由、平等、四海同胞主義に対する愛のなかに、発見するに相違ない……」
 ラキーチンは熱くなってしまい、ほとんどわれを制することができなかった。が、急に何か思い出したように口をつぐんだ。
「まあ、いいよ。」前より一倍口をひん曲げながら、彼は笑った。「君、何を笑ってるんだい? 僕を卑劣漢だとでも思ってるのかい?」
「どうして、君が卑劣漢だなんて、僕考えもしなかったよ。君は賢い人だが、しかし……まあよそう、僕はただぼんやり何の気なしに笑ったんだ。僕は君がそう熱するのも無理はないと思う。君の夢中になって話す様子で、僕も見当がついたよ。ミーシャ――君自身もカチェリーサさんに気があるんだろう。僕は前からそうじゃないかと思っていたよ。それだからこそ、君はイヴァン兄さんを好かないんだ。君は兄さんに嫉妬してるだろう?」
「そして、あの人の金についてもやはり嫉妬してる、とでも言うつもりなのかね?」
「なんの、僕は金のことなぞさらさら言うつもりはないよ。君を侮辱なんかしたくないもの。」
「君の言ったことだから信じるさ。しかし何て言っても、君たちや兄貴のイヴァンなんかどうなったってかまやしない! あの男はカチェリーナさんのことがなくたって大いに虫の好かない男だよ。それが君らにゃどうしてもわからないのだ。何のために僕があの男を好くんだ。くそっ面白くもない! 向うだってわざわざご苦労にも僕の悪口を言うんだもの、僕だってあの男の悪口を言う権利がなくってさ!」
「兄さんが君のことを、いいことにしろ悪いことにしろ、何か言ったって話を聞かないよ。兄さんは君のことなんかてんで言やしないよ。」
「ところが、あの男は一昨日カチェリーナさんの家で、僕のことをさんざんにこきおろしたって話を聞いたんだ、――それくらいあの男は『この忠実なるしもべ』に興味を持ってるんだよ。こうなってくると、誰が誰に嫉妬してるんだかわかりゃしない! 何でもこんな説をお吐きあそばしたそうだ。もし僕が近き将来において僧院内の栄達を拒み、剃髪をがえんじなかったら、必ずペテルブルグへ去って、どこかの大きな雑誌にこびりつき、必ず批評欄に入って十年ばかりせっせと書きつづけたすえ、結局その雑誌を自分のものにしてしまう。それからずっと発行をつづけるが、必ず自由主義無神論的方向をとって、社会主義的気分、というより、むしろいくぶん社会主義のつやをつける。が、しかし、耳だけは一生懸命に引っ立てて(といっても、実際は、敵の声にも、味方の声にも耳をすますんだそうだ)、衆愚の目をくらますように努める。僕の社会游泳の終りは、君の兄貴の解釈によると、こうなんだとさ。社会主義的色彩にもかかわらずだ、僕は予約の前金を流動資本に取っておいて、必要な場合にはどしどし融通する。その際、誰かジュウを顧問に頼むんだそうだ。そうして、ついにはペテルブルグに大きな家を建てて、そこへ編集局を移し、その後の残った部屋を貸家に当てる、と言うのだ。しかも、その家の場所まで、ちゃんと指定するじゃないか。いまペテルブルグで計画中だとかいう、リティナヤ街からヴィボルグスカヤ街へかけて、ネヴア河を渡る、新しい石橋のそばなんだそうだ……」
「いや、それはミーシャ、すっかりそのとおり寸分たがわず的中するかもしれないよ!」我慢しきれないで面白そうに笑いながら、いきなりアリョーシャはこう叫んだ。
「君まで皮肉を始めるんだね、アレクセイ君。」
「いや、いや、僕冗談に言ったんだ、勘弁してくれたまえ。僕まるで別なことを考えてたもんだから。ところで、失敬だが、一たい誰がそんな詳しいことを教えたの、一たい誰から聞いたの? 兄さんがその話をした時に、君自身カチェリーナさんのところにいるはずもないからねえ。」
「僕はいなかったが、その代り、ドミートリイ君がいた。僕は同君から自分の耳で親しく聞いたんだ。がしかし、実際をいうと、あの人が僕に向って話したわけじゃない。僕が立ち聞きしたのさ、とは言っても、もちろんひとりでに耳に入ったんだ。そのわけは僕がグルーシェンカの寝室にいたとき、ドミートリイ君が来たもんだから、出ることができなかったのさ。」
「ああ、そうそう、僕わすれていたが、あのひとは君の親類だってねえ……」
「親類だって? グルーシェンカが僕の親類だって?」と、急にラキーチンは真っ赤になって叫んだ。「君は一たい気でも違ったのかい? 頭がどうかしてるんじゃないか。」
「どうして? じゃ、親類でないの? そんな話を聞いたけど……」
「一たい君はどこでそんなことを聞いたんだい? よしたまえ、君たちカラマーゾフ一統はしきりに何かえらい家柄の貴族を気どっているが、君の親父は道化役者の真似をしながら、他人の家の居候をして廻って、お情けで台所の隅においてもらったんじゃないか。よしんば僕が坊主の息子で、君らのような貴族から見れば蛆虫にひとしいにしても、そんな、面白半分な厚かましい態度で、ひとを侮辱してもらうまいかね。僕だって名誉心があるからね、アレクセイ君。僕がグルーシェンカの親類なんかでたまるものかね、あんな淫売の! どうぞご承知を願いますよ!」
 ラキーチンは恐ろしく癇癪を起していた。
「後生だから勘弁してくれたまえ。僕は君がそんなに憤慨しようとは思わなかったもの。それに、どうしてあの人が淫売なの? 一たいあの人が……そんなことをしてるの?」とアリョーシャはふいに赧くなった。「しつこいようだが、僕は本当に親頚だって話を聞いたんだよ。君はよくあのひとのところへ行くけれど、恋愛関係はないって自分で言ってたじゃないの……僕は君までがあの人をそんなに軽蔑しようとは思わなかったよ! 一たいあの人はそうされても仕方のないような人かねえ?」
「僕があの女のところへ行くのは、ほかに原因があるかもしれないさ。もう君とのお話はたくさんだ。ところで、親類という話が出たが、それはひしろ君の兄さんか親父さんかが、君をあの女と親類にしてくれるだろう。僕の知ったこっちゃないよ。さあ、とうとう着いたぜ。君は台所のほうから入ったほうがいいだろう。おや! あれは何だろう、どうしたんだ? 僕らの来ようが遅かったのかしら? しかし、こんなに早く食事のすむはずがないね。それともカラマーゾフ一統がここでもまた、何か馬鹿さわぎをおっ始めたのかしらんて? 確かにそうだ。ほら、君の親父さんだ、そしてイヴァン氏も後から出て来た。あれは僧院長のところから、無理無体に飛び出したんだよ。そら、イシードル主教が上り段に立って、二人のあとから声をかけてるぜ。それに、君の親父さんも大きな声をして手を振ってる、確かに悪態をついてるんだ。おやあ、ミウーソフ氏までが、馬車で出かけるところだ、ね、行ってるだろう。地主のマクシーモフも駆け出した、――きっと醜態を演じたんだ。してみると、食事はなかったんだな! ひょっとしたら、僧院長をひっぱたいたんじゃなかろうか? それとも、あの連中がひっぱたかれたのかな? それならいい気味なんだがなあ!………」
 ラキーチンが騒ぐのも無理ではなかった。本当に類のない意想外な醜事件が起ったのである。一切はインスピレーションから生じるのである。

   第八 醜事件

 ミウーソフはイヴァンなどとともに僧院長のところへ入った時、しんじつ身分のある上品な紳士として、急に一種微妙な心境の変化が生じ、腹を立てるのが恥しくなってきた。彼は心のなかでこう思った、――フョードルはもうどこまでも軽侮すべきやくざな人間であるから、さきほど長老の庵室でしたように、冷静を失って、自分まで一緒に騒ぎだすほどの値うちがない。『少くとも、これについて坊さんたちには何の罪もないのだ』と彼は僧院長の住居の上り口で、急にこう考えついた。『もしここの坊さんたちがれっきとした人だったら(あのニコライ僧院長は、やはり貴族出の人だとかいう話だ)、その人たちに対して優しく愛嬌よく、丁寧につき合われないわけがない……』『議論なんかしないで、かえって一々相槌を打って、愛嬌で引きつけてやろう、そして……そしておれがあのイソップ(毒舌家の意)の、あの道化の、あのピエローの仲間でなく、かえって、皆と同じようにあいつのために迷惑してるってことを、証明しなくちゃならん……』
 争いの種となっている森林伐採も漁猟も(こんなものがどこにあるか、彼は自分でも知らなかった)、ごく僅かなことであるから、今日すぐにもきっぱり譲歩してしまおう、あんな訴訟事件も中止してしまおう、と決心したのである。
 こうした殊勝な決心は僧院長の食堂へ入ったとき、さらに強まったのである。しかし、正確に言うと、僧院長のところには、間数が二つしかなかったので、食堂というものはなかった。もっとも、長老の庵室よりはずっと手広くて、便利であったが、部屋の飾りは長老のところと同様に、かくべつ贅沢らしいところもなかった。家具類は二十年代(一八二〇年)の流行おくれのもので、マホガニイの革張りであった。そればかりか、床さえもペンキが塗ってないほどであった。その代り、部屋ぜんたいが光るほど磨き上げられて、窓の上には高価な草花もたくさんおいてある。しかし、この部屋のおもなる贅沢品は、当然な話だが、見事な器を並べた食卓であった。が、それも比較的の話である。とにかくテーブル・クロースは清潔で、器はぴかぴか光っているし、上手に焼かれたパンも三いろある。そのほか葡萄酒が二壜に、僧院でできる素敵な蜂蜜が二壜、それに近在でも有名な僧院製のクワス(ロシヤ特産のサイダーのごときもの)を入れた大きなフラスコなどがあった。ウォートカは少しもなかった。
 後で、ラキーチンの話したところによれば、この時の食事は五皿であった。蝶鮫《ちょうざめ》のスープに魚肉饅頭、何か特別な素晴しい料理法を応用した煮魚、それから赤魚のカツレツにアイスクリームと果物の甘煮とを取り合せたもので、最後がプラマンジェに似たジェリーであった。ラキーチンは我慢しきれないで、かねて近づきになっている僧院長の勝手口をわざわざ覗きに行って、こういうことをみんな嗅ぎ出したのである。彼はどこにでも近づきの人を拵えて、いろんなことを聞き嚙って来るような人間であった。彼はきわめて落ちつきのない、羨しがりで、人並みすぐれた才能を自覚していたが、それを神経的に誇張して考えるのであった。彼は自分が一種の敏腕家になることを確信していた。もっとも、ラキーチンは破廉恥な男のくせに、自分ではその欠点を自覚しないばかりか、かえってテーブルの上に置いてある金を盗まないという理由のもとに、自分はこの上も