京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

『カラマーゾフの兄弟』P098-101   (『ドストエーフスキイ全集』第12巻(1959年、米川正夫による翻訳、河出書房新社))[挑戦44日目]

   第二 リザヴェータ・スメルジャーシチャヤ

 この事件には、グリゴーリイの以前からいだいていた不愉快な穢わしい疑いを、弁護の余地がないほど明確に裏書きする事情があって、それが彼の心を深く震撼させたのである。
 このリザヴェータは恐ろしく背の低い娘で、死んだ後までも多くの信心ぶかい町の老婆たちが、『二アルシンと少ししきゃなかったのう』などと感にたえたような調子で話したほどである。はたちになる彼女の幅の広い顔は、達者そうに赤々としていたが、純然たる白痴の相好であった。目つきはおとなしそうであるけれど、じっとすわって、不快な色をおびていた。夏でも冬でも、しじゅう彼女は麻のシャツ一枚で跣のまま歩き廻った。厚い髪はほとんど真黒で羊のように渦を巻き、まるで大きな帽子かなんぞのように頭にのっかっていた。おまけに砂や泥に汚れ、枯葉や、木っぱや、鉋屑などがくっついていた。いつも地べたや泥の上に寝るからであった。父のイリヤーは無茶苦茶に飲んだくれて家財を蕩尽した宿なしの病身な町人で、同じくこの町の町人である物持の家に雇男として長年住み込んでいる。母はとうの昔に亡くなっていた。イリヤーは年百年じゅう病身でいらいらしていたので、娘が帰って来ると容赦なく折檻するのであった。しかし、リザヴェータはあまり家へ寄りつかなかった。なぜなら、彼女は神聖な神の使いというので、町全体の居候となって暮していたからである。
 イリヤーの主人夫婦や、イリヤー自身や、町内の思いやりの深い多くの人たちが(それはおもに商人や、商人の妻であった、リザヴェータに肌衣一枚という無作法な恰好でなく、も少し気のきいた服装《なり》をさせようと試みたのも、一度や二度でなかった。そして、冬が迫って来ると裘《かわごろも》を着せたり、靴を履かせたりした。彼女は、大抵だまって勝手に着さしておきながら、そこを去るとすぐどこかで(おもに寺院の玄関で)、必ず恵まれたものをすっかり、――頭巾であろうと、腰巻であろうと、外套であろうと、靴であろうと、何もかも一切ぬぎ捨ててその場に残したまま、またもとの肌衣一枚に素足で立ち去るのであった。ある時こんなことがあった。当県の新任知事が巡視のついでにこの町を視察した時、リザヴェータの姿を認めて、その美しい感情に深い侮辱を感じた。そしてなるほどこれは報告どおりの宗教的畸人《ユロージヴァイ》であるとは合点したが、それにしても若い娘が肌衣一つでうろうろしているのは大いに風教を害するから、向後こんなことのないようにと訓示した。しかし、知事が去った後、リザヴェータはまたもとの通りに棄て置かれた。
 やがてついに父も死んだが、そのため彼女は身なし児だというので、かえって町の信心ぶかい人だちから、一そう可愛がられるようになった。実際、彼女は皆から愛されていると言っていいくらいであった。子供、ことに学校子供というものは、とかくことを起したがるものであるが、子供たちさえ彼女をからかったり、侮辱したりしなかった。彼女が見知らぬ家へどんどん入っても、誰も追い出そうとしないばかりか、かえってさまざまにいたわって小銭をやったりなどした。しかし、彼女は金をもらっても、すぐそれを教会か監獄かの慈善箱へ持って行って、投げ込んでしまうのであった。市場でフランスパンや丸パンをもらっても、出会いがしらの子供にすぐくれてやったり、時には町でも屈指の金持の奥さんを引き止めてやることもあった。自分はどうかというと、黒パンと水よりほか決して何も食べなかった。彼女はよく大きな店へ行って坐り込むが、その前に高価な品物や金などが置いてあっても、店の主人は彼女を警戒するようなことをしなかった。たとえその前に何千ルーブリ積上げたまま忘れても、一コペイカだって取られる心配はないということを、承知しているからであった。
 教会へ立ち寄ることはめったになかった。夜は、寺院の玄関か、さなくばよその編垣を越して(この町には塀の代りを勤める編垣が、こんにちにいたるまで随所にあるから)、菜園の中に寝るにきまっていた。うち、といってつまり、亡父の住んでいた主人の家へは、およそ一週間に一ど顔を出したが、冬になると毎日やって来た。しかしそれもほんの夜だけ、玄関か牛小屋で泊るためなのである。人々は彼女がこんな生活にたえてゆくのに、驚いていたが、もうこれが習性となってしまったのである。彼女は背こそ小さいけれど、並みはずれてがんじょうな体格を持っていた。町の紳士の中には、彼女がこんなことをするのは、一種の見得にすぎない、などと断定する人もあったけれど、どうもそれでは辻褄が合わなかった。彼女は一ことも口をきくことができず、ただどきどき妙に舌を動かして、むむと唸るだけであった、――こんな有様で見得も何もあったものではない。
 ある時こういうことがあった、それは、もうずっと以前のこと、月影も謌ちた九月の明るい暖いある夜、この町で言えばだいぶ遅くなった刻限に、遊び疲れて酔っ払った町の紳士の一群、一騎当千の強の者が五六人、クラブから裏町づたいに家路についていた。横町の両側には編垣がつづいて、その向うには家々の菜園が見えていた。横町は、この町で時とすると小川と呼ばれることもある臭い長い水溜りに渡してある、板橋の方へ抜けるようになっていた。一行は編垣のそばの蕁麻《いらくさ》や山牛蒡の中に、リザヴェータが眠っているのをすかし見た。遊びほうけた連中は大声に笑いながらそのそばに立ちどまって、口から出まかせに猥褻な警句を吐き出した。突然ある一人の若い貴族が、口にするにたえない、とっぴな問題を思いついた。『誰でもいいが、この獣を女として扱うことのできるものがいるだろうか。今すぐにでも証明するものがあるかしらん、云々。』この問いに対して人々はさも穢わしいというような、傲然たる態度で、金輪際不可能だと答えた。しかし、この一群の中に偶然フョードルがいあわして、すぐさましゃしゃり出た。そして女として扱うことができる、大いにできる、しかも一種特別なぴりっとした味がある云々、と断言した。実際のところ、彼はその時分、ことにわざと道化の役を買って出て、どこへでも出しゃばって、皆のものを浮かれさせることを好んだ。うわべは対等のつき合いらしく見せていたけれど、事実はまったく一同の下男であった。それはちょうど、彼が前妻アデライーダの訃報を、ペテルブルグから受け取ったばかりの頃であったが、それにもかかわらず彼は帽子に喪章をつけたまま、放埒のありったけをつくしていたので、この町のかなりしたたかな道楽者さえ、彼の姿を見て、眉をひそめるくらいであった。一行はこのとっぴな意見を聞いて、からからと笑い興じた。誰であったかその中の一人は、フョードルをけしかけさえしたが、ほかの者は一そう眉をしかめて唾を吐いた。がそれでも、度を過した陽気な気分は依然として失われなかった。とうとう一同はそこを去って向うへ行ってしまった。
 後になってフョードルは、自分もその時みんなと一緒に立ち去ったのだ、と誓うように言い張ったが、はたしてそのとおりであったかどうか、誰一人たしかなことを知っているものはない。しかし、何カ月かたって、町じゅうの人は、リザヴェータが大きな腹を抱えて歩いている、と心からの憤懣を表わしながら噂し始めた。人々は一たい誰の罪なのか、無法者は誰なのかと、さまざまに調べたり訊ねだりした。このとき突然、無法者は例のフョードルだという恐ろしい噂が、町じゅうに拡がったのである。この噂は一たいどこから出たのか? その夜一緒に騒いだ連中の中で、当時町に残っていたものはたった一人しかなかった。それも年頃の娘を幾人も持った家庭の人で、世間から尊敬されている相当の年輩の五等官であるから、本当に何かあったとしても、決して言いふらすはずがない。五人ばかりいたほかの仲間は、その頃みんなちりぢりになっていた。しかし、世間の噂はきっぱりとフョードルを名ざしたし、今だに名ざしつづけている。とはいえ、彼はこれに対してあまり弁解しなかった。取るにたらぬ商人や、町人どもを相手にする必要がなかった。当時彼はだいぶ高慢になって、一生懸命お太鼓を持っている官吏や貴族の仲間でなければ、口もきかないというふうだったからである。
 ちょうどこの時、グリゴーリイは一生懸命になって、主人のためにつくした。彼はこんな言いがかりを防いだばかりでなく、主人のために喧嘩口論までして、多くの人の意見を変えさした。『あの下司女が自分で悪いことをしたんだ』と彼は断乎たる調子で言った。『当の相手はあのねじ釘のカルプでなくって誰だよ。』(これは当時、町でも有名な一人の恐ろしいお尋ね者で、県庁の監獄を脱け出して、ひそかにこの町で暮していたのである)。この推察は本当らしく思われた。人々はカルプのことを覚えていた、――ちょうどその秋はじめの頃、彼が毎夜毎夜町内を徘徊して、三人ばかり通行人を剥いだ事実はまだ皆の記憶にあった。
 しかし、こうした事件も風説も、哀れな不具者から町の人の同情を奪わなかったのみならず、人々は余計にこの女を大事にかけて保護するようになった。商人の後家で裕福なコンドラーチエヴァという女は、まだ四月の末頃から彼女を自分の家へ引き取って、産のすむまで、外へ出さないように取り計らったほどである。家の人は、夜も眠らないくらいにして見張っていたが、結局この苦心の甲斐もなく、リザヴェータは最後の日の夕方、そっとコンドラーチエヴァの家を抜け出して、突然フョードルの庭園に姿を現わしたのである。どうして彼女がただならぬ体をして、高い堅固な塀を乗り越したかということは、いまだに一種の謎になっている。ある者は、誰かほかの人にたすけられたのだとも言うし、またある者は、何かもののけにたすけられたのだとも言った。が、何より確からしいのは、この動作がきわめて困難ではあるが、自然な方法で行われたという説である。つまり、リザヴェータはよその菜園で夜を明かすために、編垣を越すのが上手であったから、フョードルの家の塀にも何とかして這いあかって、体に障るとは知りながら、妊娠の身をもいとわずそこから飛びおりたのであろう。
 グリゴーリイはマルファのところへ飛んで行って彼女をリザヴェータの介抱にやり、自分はちょうどいいあんばいについ近くに住んでいる取りあげ婆を迎えに駆けだした。赤ん坊は仕合せと助かったけれど、産婦は夜明け近く死んでしまった。グリゴーリイは赤ん坊を抱いて家へ連れて帰り、妻を坐らして、その胸へ押しつけるように、赤ん坊を膝の上へのせた。『みなし子ちゅうものは神様の子で、皆のものの親類だによって、わしら夫婦にとってはなおさらのこっちや、これは家の赤ん坊がわしら二人に授けてくれたんだ。ところで、この子は悪魔の子と神様のお使わしめの間にできたもんだで、お前自分で育ててやるがええ、もうこれからさき泣くでねえだぞ』と言った。そこでマルファは子供を育てることにした。子供は洗礼を受けてパーヴェルと名づけられたが、父称は誰いうとなく自然に、フョードロヴィッチと呼ばれるようになった。
 フョードルはかくべつ抗議を唱えるでもなく、むしろ興あることのように思っていたが、そのくせ一生懸命にすべての事実を打ち消すのであった。彼がこの捨て児を引き取ったということは、町の人の気に入った。後になってフョードルはこの子のために、苗字まで作ってやった。母親の綽名のスメルジャーシチャヤ(悪臭を発する女)から取って、スメルジャコフと呼んだのである。このスメルジャコフが彼の第二の下男となって、この物語の初めのころ老僕グリゴーリイ夫婦とともに、離れに住んでいたのである。彼は料理人として使われていた。この男についてもとくに何か言っておく必要があるけれど、こんな珍しくもない下男たちのことに、あまり長く読者の注意を引き留めるのも気がひけるから、スメルジャコフのことはいずれ物語の発展につれて、自然何か言うときが来ようとあてにしておいて、物語のつづきをに移ることにする。

   第三 熱烈なる心の懺悔――詩

 アリョーシャは、父が僧院を立ち去る時、馬車の中から大きな声で発した命令を聞いて、しばらくの間ひどく途方にくれ、その場にじっと立っていた。しかし、何も棒のように立ちすくんだというわけではない。そんなことはなかった。それどころか、心配は心配であったけれど、彼はすぐさま僧院長の勝手へ行って、父が客間でしでかした一部始終を聞いた後、大急ぎで町の方へ出かけた、自分を悩ます問題もみちみち何とか解決がつくだろう、という望みを胸に抱きながら……前もって断わっておくが、『枕も蒲団もかついで』家へ帰って来いという父の命令も叫び声も、彼は一向に恐れなかった。ああしたわざとらしいざようさんな声で発せられた命令は、ただあまり図に乗りすぎて、いわば舞台効果を狙ったものにすぎないということを、彼は百も承知していた。例えて言えば、つい近頃おなじ町の或る商人が、自分の命名日に、あまり食べ過した挙句、もうウォートカは出さないと言われたのに腹を立てて、客の前をも憚らず自分の家の器をこわしたり、自分や細君の着物を引き裂いたり、自分の家の椅子や、はてはガラスまで叩きこわしたが、これも同じく舞台効果を強めるためなので、――ちょうどこれと同じようなことが、今日父の心にも生じたのである。その酔い狂った商人も、翌日はすっかり酔がさめて、自分のこわした茶碗や皿を惜しがったが、老人も明日になったらまた自分を寺へ帰してくれる。いや、今日にもすぐ帰してくれるに違いない、とアリョーシャは見抜いていた。それに、父がほかの人