京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

『カラマーゾフの兄弟』P106-109   (『ドストエーフスキイ全集』第12巻(1959年、米川正夫による翻訳、河出書房新社))[挑戦46日目]

が、お前自分であのひとと親父のところへ行くなんて。」
「本当に兄さんは僕を使いにやりたかったんですか?」病的な表情をおもてに浮べて、アリョーシャはこう口走った。
「待て、お前はこのことを知ってたんだ。お前が一遍にすっかり呑み込んじまったのは、おれにもちゃんとわかっている。が、黙ってろ、しばらく黙ってろ。気の毒がることはない、泣くな!」
 ドミートリイは立ちあがって、考え込むように指を額にあてがった。
「あのひとがお前を呼んだのかい? あのひとが手紙か何かよこしたので、それで出かけるところなのかい? でなきゃ、お前が出かけるはずがないもんなあ。」
「ここに手紙があります」と、アリョーシャはかくしから手紙を取り出した。ミーチャはざっと目を通した。
「お前が裏道を通って行くなんて! おお、神様、弟に裏道を選まして、わたくしと出会わして下すったことを感謝します。本当に昔噺にある黄金《きん》の魚が、年とった馬鹿庖漁師の手に入ったようだ。聞いてくれ、アリョーシャ、聞いてくれ。おれは何もかも言ってしまうつもりなんだから。せめて誰か一人には話さなくちゃならないからなあ。天上の天使にはもう話したが、地上の天使にも話さなくちゃならん。お前は地上の天使なんだよ。よく聞いて判断して、そして赦してくれ……おれは誰か一段上の人に、赦してもらいたいんだ。いいかい、もしある二人の人間が一切の地上のものから離れて、どこかまるで類のないようなところへ飛んで行くとする、――いや、少くとも、そのうちの一人が飛んで行って亡びてしまう前に、いま一人のとこ
ろへ来てこれこれのことをしてくれと、臨終の床の中よりほかには、他人に持ちかけることのできないようなことを頼むとしたら、その男はきいてやるだろうか、どうだろう……もしその男が親友か兄弟であったとすれば……」
「僕もききます。しかし、何か言ってごらんなさい、早く言ってごらんなさい」とアリョーシャは促した。
「早く……ふむ。しかし、まあせくなよ、アリョーシャ。お前はせかせかして心配してるようだな。いまは何もせくことなんかありゃしない。いま、全世界が新しい道へ出たんだからなあ、おい、アリョーシャ、お前が有頂天になるほど考え抜かなかったのが残念だよ! しかし、おれはぜんたい何を言ってるんだ? お前が考え抜かなかったなんて! 一たいおれは、このなまけ者は何を言ってるんだ?

  人は心を潔《きよ》く持て!

 これは誰の詩だったかなあ?」
 アリョーシャはしばらく待っていることに決めた。彼は自分の仕事の全部が、あるいはここにあるかもしれない、と悟ったのである。ミーチャはちょっとの間テーブルに肘を突いて、掌で頭を抑えながら考え込んだ。二人とも無言でいた。「アリョーシャ」とミーチャは言いだした。「お前だけは笑ったりなんかしないね! おれは……自分の懺悔を………シルレルの悦びの頌歌An die Freude(歓喜について)でもって切り出したいのだ。しかし、おれはドイツ語を知らん、ただAn die Freudeということを知ってるだけだ。ところで、おれが酔っ払ったまぎれに喋ってると思っちゃいかんぞ。おれはちっとも酔っちゃいない。コニヤクがあるにはあるけれど。酔っ払うには二壜なくちゃならん。

  足よわ驢馬に跨れる
  赫ら顔なるシレーン(酒神バッカス従者シレヌス)は

 ところで、おれはこの壜を四分の一も飲んでないから、したがって、シレーンじゃない、シレーンじゃないが剛毅《シーレン》だ。なぜって、もう断乎たる決心をとってるんだからなあ。お前、おれの地口を赦してくれ。お前きょうは地口どころじゃない、まだまだいろんなことを赦さなくちゃならないんだよ。しかし心配するな、おれはごまかしゃしない、さっそく用談に取りかかるよ、だらだらと引っ張りゃしない。が、待てよ、どうだったかな……」
 彼はこうべを上げて考えていたが、突然、歓喜に充ちた調子で吟じ始めた。

  野に生い立ちし穴住みの
  裸身《らしん》の人は岩石の
  洞窟のなか奥深く
  臆せしさまに身をひそめ
  水草を迫う人の子は
  野辺より野辺へさまよいて
  野をことごとく荒し去り……
  猟夫《さつお》は槍と矢を持ちて
  いともの凄き形相に
  森また森を走るなり……
  休ろう方も荒磯へ
  波のまにまに捨てられし
  人の子らこそ悲しけれ!

  アルトー(冥府の司神)の手に奪われし
  グロゼルピンの跡追いて
  母のセンス(豊穣の神)はオリムプの
  頂きよりぞ下りしが
  見渡すかぎり天地《あめつち》は
  荒寥として横たわり
  女神の身を置くところなく
  口に入るべきものもなし
  いずくの寺も神々を
  祭れるさまは見えざりき

  いと豊かなる野の実り
  甘き葡萄の房すらも
  うたげの席に影もなく
  あけに染みたる祭壇に
  残る屍ぞ煙るなる
  愁わしげなる瞳もて
  セレスが見やるかなたには
  深き穢れに沈みたる
  人よりほかに見ゆるものなし!

 突然、歔欷の声がミーチャの胸をほとばしり出た。彼はアリョーシャの手を取った。「ねえ、お前、深き穢れだ、今でもおれは深き穢れに沈んでるんだ。人間というものは恐ろしくいろんな悲しい目にあうもんだよ。恐ろしくいろんな不幸を経験するもんだよ! しかし、おれは単に将校の肩書を持って、コニヤクを飲んだり極道な真似をしたりする、虫けらのようなやつだと思わないでくれ。おれはほとんどこのことばかり考えてるんだ。この深き穢れに沈んだ人のことをね。これはおそらく嘘じゃあるまい。まったくおれは嘘をついたり、から威張りをしたりしないように願ってるよ。おれがこの人のことを考えるのは、つまりおれがそれと同じような人間だからさ。

  堕落の淵より魂を
  振い起すを望みなば
  古き母なる大地《おおつち》と
  結び合えかし、とことわに

 ただしかし、どうして大地と結び合うのか、それが問題なんだ。おれは大地を接吻もしなければ、大地の胸をえぐることもしない。一たいおれに百姓か牛飼いでもしろというのかい? おれはこうして進んで行きながら、自分が悪臭と汚辱に踏み込んでるのか、それとも、光明と喜悦の中へはいってるのか、自分でも見分けがつかないのだ。こいつがどうも厄介なのだ、実際この世の中では一切が謎なんだ! おれが実に恐ろしい穢れた堕落の深みへはまって行く時(しかも、打れはこんなことよりほか何もしないのだ)、たれはいつもこのセレスと『人』の詩を読んでみる。ところで、それがおれを匡正したことがあるだろうか? 決して決して! なぜって、おれはカラマーゾフだものなあ。無限の淵へ飛び込むくらいなら、いっそ思いきって真逆さまに落ちるがいい、という気になるんだ。しかも、そんな恥しい境界に落ちぶれるのに満足して、それを美的だと考えるようになる。ところが、こうした汚辱のただ中にあって、おれは突然、讃美歌を剔えはじめるじゃないか。よしや自分は、呪われた、卑しい、穢れた人間であるとしても、神様の纒うておいでになる袈裟の端を、接吻したってかまわないはずだ。しかも、それと同時に、悪魔の跡へついて行こうとも、おれはやはり神様の子だ、神様を愛する、そして悦びの情を心に感じる。この悦びの情がなかったら、世界も存在することはできないのだ。

  とことわのよろこびは
  人の心を水かいつ
  醗酵の秘力もて
  いきの命の盞に
  焰をもやす
  一|茎《けい》の小草をも
  光の方へさし招き
  混沌を太陽と化《け》し
  陰陽師さえ数え得ぬ
  星屑を空に充しぬ

  息あるものはことごとく
  美しき自然の胸に
  悦びを汲み交すめり
  もろもろの生けるもの
  もろもろの民草も
  そが後に曳かれゆくなり
  悦びはさちなき人に
  友垣と、葡萄のつゆと、美の神の
  花のかなりを恵みつつ
  虫けらに卑しきなさけ……
  エンゼルに神の大前《おおまえ》

 しかし、詩はもうたくさんだ。おれはつい涙をこぼしたが、どうか十分泣かしてくれ。よしんばこんなことがほんのつまらない話で、みんなが声を揃えて笑うとしても、お前だけはそんなことをしやしない。それ見ろ、お前の目がぎらぎら光ってるじゃないか。いや、本当に詩はたくさんだ。おれがいま話そうと思ってるのは、あの神様に『卑しきなさけ』を授けられた虫けらのことなんだ。

  虫けらに卑しきなさけ

 おれはつまりこの虫けらなんだ、これは特別におれのことを言ったものなんだよ。われわれカラマーゾフ一統はみんなこういう人間だ。お前のような天使の中にもこの虫けらが巣食うていて、お前の血の中に嵐をひき起すんだ。まったくこれは嵐だ。実際、情欲は嵐だ。いな、あらし以上だ! 美――美というやつは恐ろしいおっかないもんだよ! つまり、杓子定規にきめることができないから、それで恐ろしいのだ。なぜって、神様は人間に謎ばかりかけていらっしゃるもんなあ。美の中では両方の岸が一つに出あって、すべての矛盾が一緒に住んでいるのだ。おれは無教育だけれど、このことはずいぶん考え抜いたものだ。じつに神秘は無限だなあ! この地球の上では、ずいぶんたくさんの謎が人間を苦しめているよ。この謎が解けたら、それは濡れずに水の中から出て来るようなものだ。ああ、美か! そのうえ、おれがどうしても我慢できないのは、美しい心と優れた理性を持った立派な人間までが、往々マドンナの理想をいだいて踏み出しながら、結局悪行の理想をもって終るということなんだ。いや、まだまだ恐ろしいことがある。つまりソドムの理想を心にいだいている人間が、同時にマドンナの理想をも否定しないで、まるで純潔な青年時代のように、心底から美しい理想の憧憬を心に燃やしているのだ。いや、じつに人間の心は広い、あまり広すぎるくらいだ。おれはできることなら少し縮めてみたいよ。ええ、畜生、何か何だかわかりゃしない、本当に! 理性の目で汚辱と見えるものが、感情の目には立派な美と見えるんだからなあ。一たいソドムの中に美があるのかしらん? ところで、お前は信じないだろうが、大多数の人間にとっては、まったくソドムの中に美がひそんでいるのだ、――お前はこの秘密を知ってたかい? 美は恐ろしいばかりでなく神秘なのだ。これがおれにはおっかない。いわば悪魔と神の戦いだ、そしてその戦場が人間の心なのだ。しかし、人