京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

メモ015 「過失致死傷の常習犯」であるオウム真理教、そして「目黒事件」

今日は3月1日、三一独立運動のはじまった日であり、また、第五福竜丸事件があった日である。
しかし、今回は別のことを書くことにする。


3月1日は、オウム真理教事件の、いわゆる「目黒事件」で、誘拐(拉致)されたKさんが死亡した日である。実行犯の証言により、午前11時ごろに死亡したことが判明している。なぜ「死亡した」と書くかというと、殺人ではなかった、と各判決文で認定されているからである。わたしも、この事件は殺人事件ではなく、過失致死だったと考えている(※1)
しかし、だ。ここで思い出す必要があることがある。「オウム真理教は過失致死傷の常習犯だった」、ということである。裁判では論じられることがあまりなかったため、注意されていないが、効果の薄い医療行為・危険な薬物投与・修行中の”事故”・交通事故などの過失致死傷についての証言や記録が、『オウム法廷』など、資料のあちこちに書いてある。これはもっと追及されるべきだと思うのだが、まとまった資料が少なくて困っている。
すべての犯罪組織が、過失致死傷の常習犯であるというわけではない。むしろ、「鉄の結束」が成立している組織ならば、過失致死傷は避けようとすると思う。要するに、ミスなのだから。
もう一つ、思い出すべきことがある。1994年3月、宮崎県の資産家の拉致監禁事件とは、犯行手段がことなることである。わたしは資料を読んで、同じ実行犯がやったのか、と首をひねった。




※1 井上嘉浩被告が主張していた「殺人事件説」については、わたしは、少なくとも決定的な根拠がない主張である、と考えている。