京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

検証1-4 1995年3月18日~3月20日の麻原彰晃(松本智津夫)の動向――『オウム法廷』第4巻より

(以下、敬称略。原則として、名前はあいうえお順)

麻原彰晃松本智津夫)の動向、およびその根拠となる証言

1995年3月18日午前2時ころ、上九一色村へ帰るリムジンの中で、村井秀夫、井上嘉浩、遠藤誠一青山吉伸、I(教団幹部)と相談(いわゆる「リムジン謀議」)。
(第4巻収録の証言には、この場面の時刻について書かれていない)
1997年1月16日、井上嘉浩、麻原(松本)第21回公判、井上嘉浩への弁護側反対尋問、第4巻P30-31

1995年3月20日午後3時ころ、第六サティアン1階の麻原(松本)の部屋に、村井秀夫、豊田亨広瀬健一横山真人が報告にきた。このとき麻原(松本)は「シヴァ大神とグル、真理勝者方にポアされてよかった」などと言った。
(第4巻収録の証言には、この場面の時刻について書かれていない)
1997年1月30日、豊田亨、麻原(松本)第23回公判、豊田亨への弁護側反対尋問、第4巻P72-73

1995年3月20日午後4時ころ、第六サティアン1階の麻原(松本)の部屋に、新実智光、杉本繁郎、林泰男が報告にきた。このとき麻原(松本)は、「君たちはこれから瞑想しなければいけない。今から言う詞章を唱えなさい。グルとシヴァ大神とすべての真理勝者方に祝福され、ポアされてよかったね。これを一万回、唱えなさい」などと言った。
(第4巻収録の証言には、この場面の時刻について書かれていない)
1997年1月30日、杉本繁郎、麻原(松本)第23回公判、杉本繁郎への弁護側反対尋問、第4巻P60-61



〇引用
4巻
P27

 弁護人 巡査長に自動車のナンバーから所有者の照会を頼んだことがあるか。
 井上証人 あります。
 弁護人 あなたの車のナンバーを警察が確認しているかどうか、調べてもらったことは。
 井上証人 あります。
 弁護人 ずいぶん教えてもらっていたんですね。
 井上証人 そんなことはないです。
 弁護人 強制捜査の情報を(事前に)得ていてもおかしくないんじゃないの。
 井上証人 一切、ありません。
 弁護人 そんなばかな。
 井上証人 ばかと言われても、ないものはないです。

P30-31

 この日は事件に至る経過、とくに井上証人が事件の日の未明、松本被告の部屋に教団の厚生省トップ遠藤誠一被告が出来たばかりのサリンを持ち込み、松本被告がその霊的エネルギーを注入する「修法」をした、という証言への疑問が主題になったが、弁護人はその中でときに挑発的な文言を挟んでいく。

 弁護人 あなたが証人出廷した公判で、飯田エリ子さんらいろいろな被告が、あなたを「うそつき」だと言っている。
 井上証人 直接には言われていません。
 弁護人 だれかに記憶を入れられたということはないか。
 井上証人 ありませんっ!

P60-61

 弁護人 何でこんなに細かいこと聞いているのかというとね、麻原さんはあなたに会っていないと言っている。(一緒に行ったという)新実さんは調書がない。(前年十二月に逮捕されたばかりの)林泰男さんはまだ調書を(検察側が)見せてくれない。あなたの証言だけだからなんだけど、あなたは麻原さんに会った?
 杉本証人 会いましたよ。
 弁護人 間違いない?
 杉本証人 間違いありません。
 弁護人「ごくろうさん」と言われたことは間違いない?
 杉本証人 間違いありません。
 弁護人 やりとりした麻原さんとあなたと、新実さん、林泰男さんとの会話はこの間の証言で間違いない?
 杉本証人 私の記憶にあるのはそうです。
 弁護人 ええっとね、井上さんとの証拠の焼却(渋谷アジトから多摩川河川敷まで証拠物を運んで焼却した=筆者注)について、麻原さんに話をしていますね。
 杉本証人 はい。
 弁護人 麻原さんは何と言いましたか。井上さんがかかわったことについて、何か。
 杉本証人 とくに記憶がありません。
 弁護人 麻原さんは「あいつはかかわるなと言っていたのに、そんなことまで」と言ったようなことはありませんか。
 杉本証人 それはありません。
 弁護人 井上さんを怒っている様子は?
 杉本証人 それもありません。(中略)

P72-73

 豊田証人 真相は知りたいと思います。
 弁護人 あなたは真相を知っているはずだ。何を知りたいのか。
 豊田証人 だれが発案したか、計画したか、を含めてです。
 弁護人 その他には、何かあるか。
 豊田証人 出来れば、動機です。
 弁護人 強制捜査の矛先を変える、というが、動機として十分に理解できるか。
 豊田証人 気持ちとしては、この法廷の被告(松本被告のことを指す)が具体的に話していないので、十分に納得しかねます。
 弁護人 事件を起こせば、強制捜査を阻止できると信じたのか。
 豊田証人 現在は、理解できません。
 弁護人 実際問題、(サリン)事件をやったことで、オウムが事件を起こしたと疑われ、教団は壊滅状態だ。こうなることは、分かっていたのではないか。
 豊田証人 私は、分かりませんでした。
 弁護人 これからどうなるのか、考えなかったのか。
 豊田証人 私は、そうです。
 弁護人 逮捕前、事件直後、まずいことをやったと、後悔していた人はいないか。
 豊田証人 記憶でははっきりしません。
 弁護人 実行行為をした後、渋谷アジトに戻ってから、ポータブルテレビがついていた。報道の中身を見ていたはずだ。自分のやっていたことの大きさに、身震いするようなことはなかったか。
 豊田証人 そういう意味では、あったと思います。
 弁護人 他の人は?
 豊田証人 分かりません。
 弁護人 得意満面という人は?
 豊田証人 はっきりしません。
 弁護人 麻原さんに報告したというが、あなた自身は何を報告しに行ったのか。
 豊田証人 マントラを聞いた印象が強いので、はっきりしません。帰ってきたことを伝える意味があったと思います。
 弁護人 報告の動機があったはずだが。
 豊田証人 村井に聞いて下さい。
 弁護人 あなた自身は、どうなのか。
 豊田証人 村井に言われたから、行っただけです。
 弁護人 恐れがあったのなら、報告はできないでしょう? あなたの気持ちを聞いています。
 豊田証人 当時の記憶にはありません。

P105-106

 中川証人 私は当時修行に入っておりまして、外的な情報はほとんど入ってこなかったし、昼間もほとんど外出していない。新聞はときどき見ていたが、強制捜査が入ってきそう、という情報は当時は聞いていない。
 弁護人 そういう噂は。
 中川証人 大阪支部に強制が入りましたよね、十九日九時か十時ころ。あれで私もああくるんだな、と実感しました。それまでは部屋の片付けをしていた。片付けというのは当時第六サティアンの建築確認の検査がまだ終わっていなかったのに、人が生活していたので、人が住んでいた形跡を消せ、ということでずっと部屋の中を片付けていた。強制捜査がくると実感が湧いたのは十九日の夜で、急いであわてて片付けた。
 弁護人 二十二日から強制捜査が始まったが、後からでもいいですが、二十二日から始まるというのを知っていたんだよ、というような話は聞いたことはないですか。
 中川証人 それはちょっと……。聞いた記憶はありません。そういう話があったのかもしれませんが、私にははっきりとしないところもあるので。
 弁護人 違う表現でもいいので、強制捜査についてはどのような話が出ていたんですか。
 中川証人 私が聞いたのは、一つは自衛隊習志野の空挺第一師団が完全武装で上九周辺に落下傘で急降下してくる、という話で、それは三月の二十日過ぎに『ヴァジラヤーナサッチャ』という教団の出版物を読んで知りまして、そういうことだったんだ、と思いました。私はそれはちょっとおおげさだったんで、教団の出版物だしウソじゃないか、とも思ったんで、井上君に本当なのかと聞くと、井上君は本当なんだと言った。
 弁護人 それはウソだとは思わなかったか。
 中川証人 その場には高橋克也君や林泰男さんもいたので聞いていると思う。高橋君や林さんはもっと事情を知っているみたいだった。

P275(いわゆる「英語陳述」、その冒頭に地下鉄サリン事件のことがでてくる)

松本智津夫被告の意見陳述要旨】
 松本被告 まず地下鉄サリン事件についてお話ししたいと思います。地下鉄サリン事件は弟子たちが起こしたものであるとしても、あくまでも、一袋二百グラムの中の十グラムぐらいのものが、十キロに散布されたものであり、本質的には傷害であるということがポイントであると言えます。そして、私自身の共同共謀につきましては、(九五年三月)十八日の夜、村井秀夫君を呼びまして、とにかくストップを命令し、それが駄目で、十九日にもう一度、これは井上嘉浩君が正しく話していれば、同じようにストップを命令し、そして、結局、彼らに負けた形になり、結果的には、まあ、じゃあ逮捕されるんだろうな、ということで終わっております。で、これは、ディプロマット、検察庁では、これは無罪として認定しています。そして、裁判長も無罪として認定しています。従って、これは本質的に傷害事件が基本となっていますから、弟子たちの求刑そのものが大変減軽されていることは間違いないはずです。

P314-315【国選弁護団の意見書のうち、検察側冒頭陳述の訂正要求部分の要旨】より引用

 検察官は、本件事件の謀議は、一九九五年三月十八日未明ころ、識華(東京・杉並の教団経営の飲食店=筆者注)から上九への帰途のリムジンの中でなされたと主張する。即ち、同リムジンの中で、被告人が村井や青山らの同乗者に強制捜査の可能性について意見を求め、その結果、本件事件を決意し、同乗していた村井らに本件事件の実行を命じたと主張するのである。しかし、井上は、「リムジンの車中では地下鉄サリンを撒くことは話題に出たことはあっても、その場ではこれを実行することは決まっていない。被告人が実行を決意したのは、リムジンが第二サティアンに到着した後、その三階の居室で被告人が瞑想して決意したのであろうと思う」と証言し、リムジン謀議を否定しているのである。一体、いずれが正しいのであろうか。もし、井上の証言が正しいとすれば、リムジン謀議は完全に書き改められてしかるべきである。
 しかるに、井上は、右リムジン謀議を否定し、その翌日である三月十九日午後二時ころ第六サティアン一階の被告人の居室で、被告人が村井に対し、運転手役五名を指名し、これらの者と実行行為者とのペアを指示したと証言し、さらに、三月二十日午前二時ころ、同じく第六サティアン一階の被告人の居室で、被告人が村井を叱咤し、サリン入りのビニール袋を持参した遠藤を前にしてこれを修法したと証言する。しかし、検察官は、運転手役およびこれらの者と実行行為者とのペアを決めたのは村井であり、また生成されたサリンに関しては被告人は直接接触しておらず、ただ「混合液のままでいい」と指示しただけであると主張し、右井上の証言する三月十九日午後二時ころおよび翌二十日午前二時ころの謀議については一切触れていない。もちろん検察官が井上の右証言が虚偽であるとするなら冒頭陳述は書き改められる必要はないであろうが、もし真実であるとするなら、当然に書き改められてしかるべきである。


〇補足
P105-106の中川智正証言が興味深い。不気味なほど鈍感という点で。ほかの証言とも突き合せないといけないが……。