京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

『おとなしい女』その1   (『ドストエーフスキイ全集14 作家の日記上』P497~P508、1970年、米川正夫による翻訳、筑摩書房)[挑戦11日目]

作家の日記

十一月

おとなしい女 ――空想的な物語――

   著者より

 わたしはまずもって読者諸君に、今度、いつもの形式をとった『日記』の代わりに、一編の小説のみを供することについて、お許しを願わねばならぬこととなった。しかしながら、事実一か月の大部分、わたしはこの小説にかかっていたのである。いずれにしても、わたしは読者の寛恕を乞う次第である。
 さて、これから、当の物語について一言する。わたし自身はこの物語を最高度に現実的なものと考えているくせに、「空想的」という傍題を冠した。しかし、この中にはまったく空想的なところがある。というのは、物語の形式自体なのであるが、この点、まえもって説明しておく必要があると思う。
 問題は、これが物語でもなければ、手記でもないという点にあるのである。まず一人の夫を想像していただきたい。その妻は数時間前に窓から身を投げて自殺し、遺骸がテーブルの上に安置されているのである。彼は動顚してしまって、まだ自分の考えをまとめる暇がない。彼は部屋の中を歩きまわりながら、この出来事の意味を発見しよう、「自分の考えを一点に集中しよう」と努めているのだ。おまけに彼は、自分で自分を相手にしゃべるといったふうの、病い膏肓に入ったヒポコンデリー患者である。現に彼は自分を相手に話をして、事件のいきさつを物語り、それを自分に闡明[#「闡明」に傍点]しているのである。その話は一見順序だっているようだが、それにもかかわらず、彼は論理においても、感情においても、しょっちゅう自己撞着をしているのである。いま自分を弁護して、彼女を責めているかと思えば、今度は無関係なよそごとの説明をはじめる。そこには思想と心情の粗野な面が現われたかと思うと、深遠な感情がうかがわれる。やがて次第次第に、彼は実際、事件を自分自身に闡明[#「闡明」に傍点]して、「思想を一点に」集中してくる。彼の幾多の追憶は、ついに否応なく彼を真実[#「真実」に傍点]へ導いてくる。と、真実は必然的に彼の理性と心情を高めていく。終わりに近づくにしたがって、物語の調子までが無秩序な冒頭と比較して変わってくる。真理は不幸な男の眼前にかなりはっきり、決定的に展開されるのだ、少なくとも彼自身にとっては。
 これが主題である。もちろん、物語の過程はちぐはぐな形式をとって、と切れたり、間をおいたりしながら、数時間にわたってつづく。いま彼は、自分自身に話しかけているかと思うと、今度はまた目に見えない聴き手や、何か裁判官のようなものに話しかける、かのようなあんばいである。しかし、これは現実でもよくあることだ。もし速記者がその場に居合わせ、彼の言葉を聞いて、後から後から残らず書きつけることができたとすれば、その物語がここに提供したものよりも、いくらかでこぼこした、荒削りなものになったろうが、わたしの想像するかぎりでは、心理的順序はおそらく同一のものであろう。このなにもかも書きつけた速記者という仮定(後でわたしがその書きつけたものを推敲したとして)、これこそわたしがこの物語において、空想的と名づけるものである。とはいえ、多少これに類したことは、芸術においてすでに一再ならず行なわれているのである。例えば、ヴィクトル・ユーゴーのごときはその傑作『死刑囚の最後の日』で、ほとんど同様の手法を用いている。そして、速記者こそ持ち出さなかったけれど、それ以上の荒唐無稽を許して、死刑の宣告を受けたものが最後の一日どころか、最後の一時間、やかましくいえば、最後の一瞬まで手記をつづけ得る(その時間を有する)ものと、仮定しているのである。しかし、かりに彼がこの空想をあえてしなかったら、作品そのもの、――彼によって書かれたものの中で最もリアリスチックな、最も真実味に富んだ作品は、おそらく存在しなかっただろう。

第 1 章

  1 わたしは何ものであったか、彼女は何ものであったか

 ……こうして、彼女がここにいる間は、――なんといってもまだいい。そばへ行って、一分ごとに顔が見られる。ところが、明日かつがれて行ってしまったら、――わたしはどうして一人きり残っていられよう? 彼女はいま、広間のテーブルの上に安置されている。二脚のカルタつくえが並べておいてあるのだ。棺は明日来ることになっている。白い、白い、ナポリ織の絹の打敷き、だが、そんなことはどうでもいい……わたしはのべつ歩きまわりながら、この出来事を自分で自分にはっきりさせようとしている。ああ、もう六時だ、わたしははっきりさせたくてたまらないのだが、なんとしても考えを一点に集中することができない。要するに、わたしはのべつ歩いて、歩いて、歩きまわっている……それはこういう事情だったのだ。ひとつ簡単に順序を追って話すことにしよう。(この際、順序なんて!)諸君、わたしはおよそ文士とは縁の遠いものだ、それは諸君も見られるとおりである。が、そんなことはどうだってかまわない、わたしは自分で解釈しているとおりに話してしまおう。ところが、わたしがなにもかもちゃんと解釈しているということ、それがわたしの恐ろしいところなのだ?
 実は、もしそれを知りたいとお望みならば、つまりそもそもの初めから知りたいとお望みならば、彼女はあのときわたしのところへ、ただふらりと質をおきに来たのだ。『ゴーロス』紙上に出した広告料にあてるためである。その広告はしかじか、しかじかと紋切り型よろしくあって、家庭教師として雇われたし、地方行き、出稽古に応ず、等々、といったようなものである。これがそもそもの初めで、わたしはもちろん、彼女をほかの連中と区別などしなかった。なにしろ、ほの連中と同じようにやって来て、いろいろ型のごとくあっただけなのだから。しかし、やがてそろそろ目につきだした。彼女は白っぽい髪をした、中背よりもやや高めの、いかにもなよなよとほっそりした女で、わたしと応対する時には、いつもきまり悪そうに固くなっていた(思うに、彼女は他人に対しては、だれにでもこんなふうだったに違いない、わたしなどはもちろん、彼女にとっては甲だろうと乙だろうと、少しも変わりはなかったに違いない。つまり、もしわたしを質屋としてでなく、一個の人間として見るならばである)。金を受け取るやいなや、彼女はすぐにくるりと身をひるがえして出て行った。それがみんな黙ったままなのである。ほかの連中は少しでもよけいに借りようと思って、争ったり、ねだったり、押し問答をしたりするものだが、この女は一風ちがって、出されたものだけ持って行く……わたしはなんだか脱線ばかりしているような気がする……そうだ、わたしはまず第一に、彼女の持って来る品物にあきれてしまった。金めっきをした銀の耳環、やくざな小さいロケット、高高二十コペイカぐらいの代物である。彼女は自分でも、それが十コペイカぐらいの値うちしかないことを承知していた。しかしわたしは彼女の顔つきで、それが彼女にとって貴重な品であることを見てとった。後で知ったことだが、はたしてそれらは両親から彼女に残されたすべてだったのである。ただ一度だけ、わたしは彼女の品物を見て、意識しながらにやりとしたことがある。つまり、お断わりしておくが、わたしはこういうことは決してしないことにしていたのである。客を相手にする場合、わたしの態度は紳士で、――口数すくなく、慇懃厳正なのである。「一にも厳正、二にも厳正、三にも厳正」である。しかし、彼女はあるときとつぜん、古い兎の毛皮で作った袖無短上着《クツアヴェイカ》の残り(つまり、文字通りに)を臆面もなく持って来たことがある。――で、わたしもついこらえかねて、思わず彼女になにかしら皮肉めいたことをいってしまった。いやはや、彼女がその時どんなに赤面したことか! 彼女は大きな空色のもの思わしげな目をしていたが、――それがなんと燃えるように輝いたことか! しかし、一言もいわないで、その「残り物」を持って、――出て行ってしまった。そのときわたしは初めて彼女を特別に[#「特別」に傍点]認め、そしてやはり同じような具合に彼女のことを何やら考えた。つまり、何か特別な具合に考えたのである。そうだ、わたしは今でもまだその時の印象を覚えている。お望みなら申しあげるが、それは最も主要な印象、いっさいのものの綜合なのである。つまり、あの女おそろしく若いな、十四ぐらいにしか見えない、若いな、といった感じである。ところが、彼女はその時もう三か月で十六になるのであった。だが、わたしがいおうとしたのは、そのことではない、全綜合は決してそんなところにあったのではない。あくる日、彼女はまたやって来た。後で知ったのだが、彼女はこの袖無短上着《クツアヴェイカ》を持って、ドブロヌラーヴォフのところへも、モーゼルのところへも行ったが、どちらも金製品よりほかには扱わないので、てんで話にならなかったわけである。ところが、わたしはいちど彼女から浮彫石《カメオ》(ごくお粗末な)をとったことがある、――後で気がついて、われながら驚いたのだが、わたしも金銀以外のものは決してとらなかったのに、彼女にだけ浮彫石《カメオ》をさし許したのである。これが当時、彼女に関する第二の想念であった、わたしはそれをよく覚えている。
 彼女は今度は、というのはつまり、モーゼルのところを出たその足で、琥珀の葉巻パイプを持って来た、――代物としては相当なもので、道楽向きの品だったが、われわれのところでは結局、一文の値うちもないのであった。なにぶん、われわれは金製品しか扱わないのだから。しかし、彼女は昨日の叛逆[#「叛逆」に傍点]のあとでやって来たのだから、わたしは厳かに彼女を迎えた。わたしの厳かというのは、そっけない態度のことである。そのくせ、彼女に二ルーブリの金をわたしながら、わたしはついこらえかねて、いくぶんいらだたしさを見せながら、「まったくあなただから[#「あなただから」に傍点]お貸しするんですよ。モーゼルなんか、こんなものは受けつけやしませんからね」といってしまった。「あなただから[#「あなただから」に傍点]」という言葉にわたしはとくに力を入れた。つまり、ある意味[#「ある意味」に傍点]を持たせたのである。わたしは意地が悪かった。この「あなただから[#「あなただから」に傍点]」を聞くと、彼女はまたかっとあかくなったが、黙りこくって、金もほうり出さずに受け取った、――貧乏の悲しさである! それにしても、なんて真っ赤になったことか! わたしはまんまと一本刺したなと悟った。彼女が出て行ってしまうと、急にわたしは自分にたずねた、――では、はたして彼女に対するこの勝利が、二ルーブリに値するだろうか? へ、へ、ヘ! 忘れもしない、わたしはほかならぬこの問いを、二度までも自分にかけてみた。「値するだろうか? 値するだろうか?」そして、笑いながら、腹の中でそれを肯定の意味に解決した。その時、わたしはもうやたらにうきうきしていた。しかし、これはよからぬ感情ではなかった。わたしは心あって、計画的にそうしたのである。わたしは彼女を試してみたかった、というのは、わたしの頭にはそのときふいに、彼女を目あてにある考えが湧いてきたからである。これが彼女についてわたしがいだいた第三の特別[#「特別」に傍点]な考えであった。
 ……さて、こうして、それ以来すべてが始まったのだ。もちろん、わたしは早速わきのほうからいっさいの事情を探り出そうと骨折った。そして、特別こらえきれぬ思いで彼女の来るのを待っていた。彼女が間もなくやって来るのを予感していたのだ。いよいよやって来た時、わたしは特別の慇懃さで、愛想のいい話をはじめた。なにしろ、わたしは相当の教育を受けているし、行儀作法も心得ている。ふむ! その時はじめて、これは心だての優しい、おとなしい女だな、とわたしは察した。心だての優しいおとなしいものは、長く突っ張ることをしない、決してむやみにうち明け話もしないけれど、話をそらしたりすることはどうしてもできないのである。口数こそ少ないけれど、答えることは答える。そして、さきへ行けば行くほど、だんだん言葉数が多くなる。もし何か知りたかったら、こちらに根気さえあればいいのである。もちろん、そのとき彼女は自分からは何もいわなかった。『ゴーロス』紙のことも、そのほかいっさいのことも、みんな後で知ったのである。彼女はその時なけなしの金をはたいて広告した。初めはもちろん、大風《おおふう》にかまえて、「家庭教師、地方行き可。条件は封書にて密送のこと」ところが、後には、「教授、夫人令嬢の話し相手、家政婦、病人の看護、裁縫、その他いっさい可」云々、云々、すべてみな様ご承知の文句なのだ! もちろん、こうしたことはみんな手を換え品を換えて、広告のたびごとにつけ加えられていったのだが、とどのつまり、いよいよ脈がないとなった時、「無給、食事のみにて」とまでやってのけたが、それでもだめ、口は見つからなかった! そのときわたしは最後に彼女を試してみようと決心した。だしぬけにその日の『ゴーロス』紙をとって、次のような広告を彼女に見せてやった。「若き婦人、まったくの孤児、主として年輩のやもめの宅に幼年子女の家庭教師の地位を求む、家政の労をとるも可」
「ね、ごらんなさい、これは今朝出た広告だが、この女はきっと夕方までに口を見つけますよ。広告ってものは、こういうふうにしなくちゃだめですよ!」
 彼女はまたもやかっと真っ赤になり、またもや双の目がぎらぎら輝きだした。彼女はくるりと踵を転じて、そのまま行ってしまった。それが非常にわたしの気に入った。もっとも、わたしはその時もう万事につけて確信を持っていたので、いっこうに恐れなかった。パイプを質にとるものはどこにもあるまい、というわけだ。しかも、彼女の手もとには、そうしたがらくたももう出払ってしまったのである。はたせるかな、三日目に彼女は真っ青な顔をして、わくわくしながら入って来た、――わたしは何か家で起こったのだなと悟ったが、実際そのとおりであった。何が起こったかはすぐ説明することとして、今はただこれだけのことをいっておこう。そのときわたしはとつぜん、自分の洒落た凡ならざるところを見せて、彼女にわたしという人間を見直させたのである。ふいにそういう計画が、わたしの心に浮かんだのである。実は、彼女が例の聖像を持って来たのだ(思いきって持って来たのだ)……ああ、聞いてくれ! 聞いてくれ! これから、いよいよはじまりなのだから、今までわたしはとりとめないことばかりいっていたのだ……要するに、わたしは今こうしたことを残らず思い出したのだ、こうした些細なことを一つ一つ、こまかい端の端まで。わたしは考えを一つの点に集中したくてたまらないのだが、それができない。つまり、こういった些細なことを、端から端まで……
 聖母像である。みどりごを抱いた聖母像、家伝来の古いもので、袈裟は銀台に金めっきがしてある、――値うちがある、――まあ、六ルーブリがとこの値うちはある。見受けたところ、彼女にとっては大事な聖像らしい。袈裟をはずさずに、聖像をそっくりそのまま質に入れようというのである。そこでわたしはいった。――袈裟だけはずしたらどんなものです、そして聖像は持ってお帰んなさい。だって、聖像はやっぱりどうも、その。
「まあ、聖像をとることはさし止めになっているんですの?」
「いや、さし止めというわけでもないが、ただ、もしかしたら、あなた自身に……」
「じゃ、はずしてください」
「ああ、いいことがある、はずすのをやめて、このままあのお厨子の中へ収めておきましょう」とわたしはちょっと考えてからいった。「ほかの聖像といっしょに、お燈明の下にね(わたしのところではいつも、帳場を開くと同時に、燈明に火を入れた)。そして、ただなんということなしに、十ルーブリ持っていらっしゃい」
「あたし十ルーブリなんていりませんの。五ルーブリだけちょうだいします、きっと受け出しますから」
「十ルーブリはいらないんですって? 聖像はそれだけの値うちがあるんですがなあ」またもや彼女の目が、きらきら光りだしたのを認めて、わたしはこうつけたした。
 彼女は口をつぐんだ。わたしは彼女に五ルーブリ出してやった。
「だれであろうと、人を軽蔑してはいけませんよ、わたしも自分で同じような苦労をしてきた人間なんです。いや、それよりもっとひどかったくらいです、今わたしはごらんのとおりこんな商売をしていますが……これというのも、みないろんな目にあってきたあげくのことなんです……」
「あなたは社会に復讐していらっしゃるんですのね? そうでしょう?」と彼女はふいにかなり辛辣な嘲笑を浮かべて、わたしの言葉をさえぎったが、その中にはしかし、たぶんの無邪気さがあった(つまり、一般的なものなのである。なぜなら、彼女はそのときわたしを全然ほかの人間と区別していず、ほとんどなんの毒気もない調子でいったからである)。
『ははあ!』とわたしは考えた。『お前はそういう女か、性根が出てきたぞ、新しい傾向の』
「実はね」とわたしはすぐ、半ば冗談らしく、半ば神秘めかしていった。「わたしは、――われは悪をなさんと欲して、善を行ないつつある大いなるものの一部の一部なり……」
 彼女は素早くなみなみならぬ好奇心(その中には、とはいえ、たぶんの子供らしさを含んでいた)をもって、わたしを眺めた。
「ちょっと待ってください……それはいったいどういう思想ですの? どこからそんな句をお引きになったんですの? あたしどこかで聞いたような……」
「頭をおひねりになることはいりません、このいいまわしで、メフィストフェレスが、ファウストに自己紹介をしているんです。『ファウスト』を読んだことがありますか?」
「いえ……いえ、走り読みに」
「つまり、ちっとも読まなかったでしょう。読まなくちゃいけませんな。しかし、お見受けするところ、またあなたの唇に嘲笑のかげが浮かんだようですね。お願いですから、わたしが質屋という自分の役目を粉飾するために、あなたの前でメフィストフェレスを気どろうとしたなんて、そんな無趣味な人間だなどと思わないでください。質屋は結局、質屋です。わかってますよ」
「あなたはなんだか妙な方ね……あたし、そんなことをあなたにいおうなんて、まるで考えてもいませんでしたわ……」
 彼女は、「あたしあなたが教育のある方だなんて、思いがけませんでしたわ」といいたかったのだが、口に出してはいわなかった。そのかわりわたしのほうで、彼女がそう思ったことを知っていた。わたしはひどく彼女の御意にかなったのである。
「そりゃあね」とわたしはいった。「どんな職場にいても、いいことをすることはできます。もちろん、わたしは自分のことをいっているのじゃありません。かりにわたしは悪いことよりほか何もしていないにしろ、しかし……」
「そりゃもう、どんなところにいたって、いいことはできますわ」と彼女は素早い、浸み入るようなまなざしで、わたしを見ながらいった。「まったくどんなところにいたってもね[#「いたってもね」はママ]」と唐突に彼女はいいたした。
 おお、わたしは覚えている。こういった一瞬一瞬をことごとく覚えている。それから、なおつけ加えておきたいのは、こういった若い人たちは、こういったふうの愛すべき若い人たちは、何かこれに類した、賢い、人の心に滲み入るようなことをいいたくなると、急にあまりにも誠実無邪気に、「そら、今わたしはお前にかしこい、心に滲み入るようなことをいうのだよ」といった気持ちを顔に出すものである、――もっとも、それはわれわれのように虚栄心からやるのではなく、彼ら自身ひどくそれを尊重し、信仰し尊敬して、相手も当人と同じように、それを尊敬してくれるものと思い込んでいることが、ありありと見えているのである。おお、誠実!これで[#「誠実!これで」はママ]彼らは相手を征服するのである。しかも、彼女にあっては、それがどんな魅力となったか!
 わたしは覚えている、なに一つ忘れはしなかった! 彼女が出て行くと、わたしはひと思いに肚をきめた。さっそくその日のうちに、わたしは最後の探索に出向いて、彼女について聞き残していた現在の真相を知った。過去の真相は、当時彼らのうちに勤めているルケリヤを数日前に買収して、すっかり知りつくしていたのである。ところが、現在の真相たるや、あまりにも恐ろしいものだったので、わたしは彼女がそれほどの恐怖のもとにおかれながら、よくもさきほどあんなに笑ったり、メフィストフェレスの言葉に好奇心を起こしたりすることができたものだと、ふつふつ合点がゆかないくらいであった。しかし、――若さの力である! そのときわたしは彼女のことを、誇りと喜びをもって、まさしくこう思ったのである。なぜなら、そこには寛大な心があったからである。滅亡の淵に瀕していながら、ゲーテの偉大なる言葉はその心に輝くのだ。若い人たちというものは、ほんの滴ほどでも、常に寛大な心をもっているものである。よしんば方向は歪んでいるにもせよ。つまり、わたしは彼女のことをいっているのだ、彼女一人だけのことをいっているのだ。要するに、そのときわたしはすでに彼女を自分のもの[#「自分のもの」に傍点]として眺め、自分の力を疑わなかったのである。もはやなんの疑いもなくなった時のこうした考え、その甘美さといったらないのである。
 しかし、わたしはどうしたということだ? こんな調子でいったら、いつすべてを一つの点に集中することができることやら! 早く、早く、――問題は全然こんなことにあるのではないのだ。ああ、やりきれない!

   2 結婚申込

 彼女について知った「真相」を一言で説明しよう。父と母とはもうずっと以前、三年も前に死んでしまって、彼女はだらしのない叔母たちの手に取り残された。もっとも、彼らのことをだらしがないというだけではたりない。一人の叔母はやもめだが、家族は大人数で、年のあまり違わない六人の子供をかかえていたし、もう一人は老嬢で根性の悪い女であった。どちらも根性がよくなかった。彼女の父親は官吏だったが、書記くらいのところで、身分はしがない一代貴族、――要するに、なにもかもわたしには手ごろであった。わたしなどはそこへ行くと、まるで掃き溜めへ鶴が降りたようなものであった。なんといっても、光輝ある連隊の退職二等大尉で、世襲貴族で、立派な一本立ちの人間、などと数え立てたらきりがない。質屋の店という点にいたっては、叔母たちはただ尊敬の目をもって見うるのみであった。彼女はこの叔母二人のところで、三年のあいだ奴隷のような境遇におかれていたが、にもかかわらず、その間にどこかの試験を受けた、――受けて首尾よく合格した。日雇かせぎのような情け容赦もない労働の中から暇をぬすんで合格したのである、――彼女がかように高いもの、上品なものにあこがれて突き進んで行ったということは、相当意味のある事実ではないか! わたしのほうとしては、なんのために結婚を思い立ったかというと……だが、自分のことなんかどうでもいい、それは後のことだ……第一、そんなことが問題だろうか!-彼女は叔母の子供を教えたり、肌着を縫ったりしていたが、しまいには肌着どころか、あの弱い胸をもちながら、床まで洗ったものである。手っとり早くいえば、叔母たちは彼女をうち打擲し、口にするパンの一切れ一切れをやかましくいったのである。そしてあげくのはては、彼女を売り飛ばそうと考えるまでにいたった。ぺっ! こんな穢らわしいことの仔細ははぶくとしよう。その後、彼女はなにもかも詳しくわたしに伝えてくれた。
 こうした一部始終を、まる一年間じっと見ていたのが隣りの肥った商人であったが、それはただの小商人でなく、食料雑貨店を二軒も持っていたのである。この男はもう女房を二人殺して、三人目をさがしているところだったので、彼女に目をつけたわけである。「静かな娘で、貧乏に育ったから、苦労も知っている。なにしろ、おれが女房をもらうのは、子供のためなんだからな」という気になった。実際、この男には子供があったのだ。そこで申込みという段取りとなり、叔母たちと談合をはじめた。おまけに、この男は年も五十からになるのである。彼女はぞっとしてしまった。つまりこの時から、彼女は『ゴーロス』へ広告を出すために、わたしのところへせっせと足を運びだしたのである。とどのつまり、彼女は叔母たちに向かって、ほんのちょっぴり考える暇をくれるようにと頼みはじめた。そのちょっぴりは許されたが、それもただ一度きりで、二度とは聞いてくれない、「よけいな口がなくてさえ、自分たちだけでも食うに困っているんじゃないか」と責めつけられるのであった。わたしはそういう事情をもうすっかり知っていたので、その日、朝のことがあってから、肚をきめてしまった。その晩、例の商人が、店から五十コペイカぐらいの菓子を一フント(四一〇グラム)持ってやって来た。彼女はそのそばにすわらされたわけである。わたしは台所からルケリヤを呼び出し、わたしが門のそばに待っていて、何か急な話があるといっていると、彼女にそっと耳打ちするようにいいつけた。わたしはそうした自分に満足であった。概してその日はいちんち、わたしはひどく満足な気持ちだった。
 わたしはいきなりその門のそばで、ルケリヤの聞いている前で、わたしに呼び出されたことだけでもいいかげん驚いている彼女に向かって、これこれしかじかで、もしご承諾ねがえれば幸福とも名誉とも考えている、云々と切り出した……第二に、――わたしの振舞いにびっくりせぬように願いたい、門のそばでこんな話はさぞ変に思われるだろうが、自分は「まっすぐな人間で、事情も十分に研究したうえなのだから」と説明した。わたしがまっすぐな人間だといったのは法螺ではない。まあ、こんなことはどうだっていい。だが、わたしの話し方はきちんとして作法にかなっていた。つまり、わたしが教養のある人間だということを示したのであるが、そればかりでなく、ぜんたいの持ちかけ方が奇抜なのであった。そして、これが最も有効だったのである。いったいこうしたことを告白するのは罪だろうか? わたしは自分を裁きたい。だから現に裁いているのだ。わたしはproかcontra(是か非)かをいわなければならない、だからそれをいっているのだ。わたしは後になっても、その時のことを思いだすといい気持ちであった。もっとも、こんなことはばかげた話であるが……わたしはそのとき率直に冷静な態度で、第一、自分はべつにこれといった才能もなく、取り立てて賢くもなく、あるいはまたあまり善良ですらなくて、かなり安価なエゴイストかもしれず(わたしはこの表現を記憶している、わたしはそのとき途々こいつを考え出して、自分でもそれに満足していたのである)、その他の点においても、いろいろ不快なところがあるかもしれない、それは大いにあり得ることだと言明した。しかも、これらすべてを一種特別な、誇りやかな[#「誇りやかな」はママ]調子でいってのけたのである、――普通こういうことがどんなふうに語られるかは、わかりきった話だ。もち。ろん、わたしは、自分の欠点を堂々と言明しておいて、そのあとで、「しかしそのかわり、これこれこういうことがある」などと、自分の長所をならべ立てるようなことをしないだけの趣味《このみ》のよさがあった。わたしは、彼女がまだ目下のところ、ひどくこわがっていることを見てとったが、その不安を解こうとしなかったばかりか、わざとそれを煽り立てるように、食うことに事は欠かせないが、さて衣裳とか、芝居とか、舞踏会などという贅沢はいっさいさせない、それは、まあ、将来、目的を達してから後の話だと、真正面からいっておいた。この厳粛な調子が気に入って、わたしはすっかり夢中になってしまったのである。なおわたしは、これもできるだけさりげない調子で、自分がこんな仕事を選んだのは、つまり質屋の店などを開いているのは、ただある目的を持っているためで、要するに、ある一つの事情がしからしめたからだとつけ加えた……しかし、わたしはそういうだけの権利は持っていたのだ。実際、わたしにはそういう目的、そういう事情があったのである。ちょっと待っていただきたい、諸君、わたしは生涯この質店を自分からさきに立って憎悪していたのである。しかし、実のところ、こんな神秘めかしい文句を使って話をするのは、われながら滑稽に聞こえるが、わたしは実際、「社会に復讐していた」のである、ほんとう、ほんとう、ほんとうなのだ! だから、その朝、わたしが「復讐している」とかいった彼女の皮肉は、心から出た言葉ではなかったのである。つまり、そのわけはお察しでもあろうが、もしわたしが「そうです、わたしは社会に復讐しているのです」と直接言葉をもっていおうものなら、彼女は朝のように笑ってしまって、事実、滑稽なものになったであろう。それを、遠まわしの暗示で、神秘めかしい文句を使っていたから、かえって相手の想像を籠絡することができるのである。そればかりでなく、そのときわたしはすでになにものをも恐れていなかった。なにしろわたしは、肥っちょの商人はいずれにしても、わたし以上彼女にきらわれているので、門のそばに立ったわたしは、解放者として現われたのだということを、ちゃんと承知していたからである。実際、わたしはそこを呑み込んでいた。おお、人間はことによく卑劣を理解するものである! だが、これははたして卑劣だろうか? どうしてこのような場合、人間を裁くことができよう? いったいその時でさえ、すでにわたしは彼女を愛していなかっただろうか?
 待っていただきたい。もちろん、わたしはそのとき彼女に向かって、恩がましいことなどはおくびにも出さなかった。それどころか、まったくその反対に「恩を受けるのはわたし[#「わたし」に傍点]で、あなた[#「あなた」に傍点]ではない」といったくらいである。しかも、それを口に出してしまった。つい自分を抑制することができなかったのである。で、結局、ばかげたことになってしまったらしい。その証拠には、彼女の顔にちらりと皮肉なかげが走るのを認めたからである。が、全体としては、断じてわたしの勝ちであった。まあ、待っていただきたい、こうした穢らわしいことを逐一回想する以上、最後の卑しい考えも白状してしまおう。わたしは立っていたが、頭の中には一つの想念がうごめいていた、――おれは背も高いし、恰好もすらりとして、教育もある、それから、――最後に、うぬぼれなしにいっても、男振りだって悪くない。こうした考えがわたしの頭の中をおどっていたのである。いうまでもなく、彼女は即座に門のそばでわたしにうん[#「うん」に傍点]といった。けれど……けれど、つけ加えなければならないが、彼女はその門のそばで、うん[#「うん」に傍点]というまえに、かなり長いこと考えていた。あまり考え込んでしまったので、わたしはとうとう、「さあ、どうですか?」とたずねた。――のみならず、つい我慢しきれないで、変に気どって、「さあ、どうですかね?」と、きざな「ね」までつけたくらいである。
「待ってください、あたし考えてるんですから」
 彼女の顔つきはいかにもまじめなものであった、そのまじめさといったら、そのときすでに読み取ることができたはずだと思われるほどであった! ところが、わたしは少しむっとして、『この女はおれと商人とを天秤《てんびん》にかけているのだろうか?』と考えた。おお、そのときわたしはまだ悟らなかったのである! そのときわたしはまだなんにも、なんにも悟らなかったのである! いや、今日が日まで悟らなかったのである! 忘れもしない、わたしがもう帰りかけた時に、ルケリヤがわたしのあとから駆け出して来て、路上にわたしを呼びとめ、息を切らせながら、こういった。「旦那様、うちのかわいいお嬢さんをもらってくだすって、ご奇特なことでございます。ほんとうに神様からお恵みをお授かりになりますよ。ただお嬢さまにこんなことをおっしゃらないでくださいまし、気位の高い方ですからね」
 なるほど、気位の高い女だ! わたしは自体、気位の高い人間が好きである。気位の高い女はことにいい、わけても……わけても、彼らに対する自己の優越のもはや疑いのない時には、なおさらである。え、どんなものだ? おお、下劣な、へまな男! ああ、わたしはじつに大満悦であった! ところで、もしかしたら、彼女はわたしにうんという返事をしようとして、あのとき門のそばで考え込んでいるし、わたしは返事が遅いのに驚いていた時、あるいは彼女の頭にこんな考えが浮かんでいたかもしれないのだ。『どうせどっちへ行っても不幸を見るくらいなら、いっそ初めから悪いほう、つまり肥っちょの商人のほうを選んで、一日も早く酔ったまぎれに打ち殺されるほうがよくはないかしら?』え! 諸君はどう思われるか、そういう考えが起こり得たであろうか。
 今でもわたしはわからない、今でもなに一つわからない。わたしはたった今、彼女はそうした考えを持っていたかもしれない、といった。つまり、二つの不幸のうち悪いほう、すなわち商人を選ぼうという考えを持ったかもしれないといったが、そのとき彼女にとって、わたしと商人とどちらがより大きな悪であったろう? 商人のほうか、それともゲーテを引用する質屋か? これはいまだに疑問である! なに、疑問だって? お前はそれすらまだわからない、答えは現に、テーブルの上に横たわっている。それだのに、お前は疑問だなどといっている! ちえっ、おれのことなんかどうでもいい! 問題はぜんぜんわたしなんかにあるのではない……だが、ついでに一言、いまわたしにとって――問題がわたしにあろうとなかろうと、それがいったいどうしたというのだ?いやはや[#「いうのだ?いやはや」はママ]、こうなるとまるで解決がつかない。いっそ横になって寝るとしよう。頭が痛い……

   3 高潔無比の人、されどみずから信ぜず

 眠れなかった。それに眠るどころの話ではない。頭の中では、何か脈のようなものがずきんずきん打っている。わたしはこうしたことをすっかり納得のゆくように、頭の中で整理したいと思う。こうした穢らわしいことを、すっかり整理したいのだ。おお、穢らわしい! おお、そのときわたしはどんな穢らわしい世界から彼女を引きあげてやったと思う。彼女はそれを理解して、わたしのしたことをありがたく思わなくてはならなかったのだ! わたしはまたいろんなことを考えて喜んでいた。例えば、わたしは四十一だが、彼女はやっと十六だというようなことが気に入ったものである。このことはわたしを魅了しつくした。この不釣合いの感じ、それはじつに甘美なものである、なんともいえないほど甘美なものである。
 例えば、わたしはa l'anglaise (イギリス式)で、つまり断然二人きりで、ただ二人の証人だけ立ち会ってもらって(その一人はルケリヤだ)、結婚式が挙げたかった。それから、すぐ汽車に乗って、例えばモスクワへでも行き(ちょうどそこには用事もできたので)、二週間ぐらい宿屋暮らしをしようと思った。が、彼女は反対して、そんなことを許さなかった。で、わたしはやむなく彼女をよこしてくれる里方として、叔母たちのところへ敬意を表しに行かなければならなかった。わたしはすべていうなりになって、叔母たちにも相当のことをしてやった。わたしはこの畜生どもに、百ルーブリずつもくれてやったうえ、まだその後からも色をつけると約束した。もちろん、彼女にはそのことを話さなかった。そんな卑しいいきさつで彼女を悲しませたくなかったからである。叔母たちはさっそく猫撫で声になった。支度のことでも議論が起こった。彼女はほとんど文字通りに無一物であったが、彼女は何もいらないといった。しかし、わたしは彼女に、まんざらの裸というわけにもゆかないと納得させて、支度はわたしが調えてやった。彼女にそんなことをしてくれる人は、ほかにだれもいなかったからである。しかし、まあ、わたしのことなどはどうでもかまやしない。とにかく、わたしはいろんな自分の考えをそのとき彼女に伝えるだけの余裕はあった。少なくとも彼女には知っておいてもらいたかったからである。しかし、ことによったら、わたしのは[#「わたしのは」はママ]急ぎすぎたかもしれない。が、何よりも特筆すべきは、彼女は気を強く持とうと思っていたにもかかわらず、初めからいきなり愛情をもってわたしのふところへ飛び込んで来たことである。よく晩にわたしが出かけて行くと、さもさもうれしそうに出迎えて、例の子供っぽい話しぶりで(魅力ある純真な子供っぽさ!)自分の少女時代のこと、幼年時代のこと、両親の家のこと、父親や母親のことなどを話して聞かせた。けれど、わたしはこうした感激に、いきなりその場で冷たい水をぶっかけるようなことをしてしまった。その中にこそわたしの思想があったのである。歓喜に対して、わたしは沈黙をもって答えた。もちろん、好意の沈黙ではあったが……しかし、彼女はいくばくもなくして、わたしたち二人の間には大きな差別があり、わたしが一つの謎であることを見てとった。ところがわたしは主としてこの謎を狙ったのである! ただ謎をかけるためのみに、わたしはこんなばかな真似をしたのかもしれないのだ! 第一、厳格、――この厳格のもとに彼女を家へ入れたのである。一口にいえば、そのときわたしは大満悦でありながら、一つのシステムを創りあげたのである。いやなに、それは別段なんの無理もなしに、自然とできてしまったのである。またそうよりほかにやりようがなかったのだ。わたしはのっぴきならぬ事情によって、このシステムを、