メモ012 オウム真理教の脱走者対策は、犯罪組織とは思えないほど不十分なものだった
重要な結論を書く。
オウム真理教の脱走者対策は、あれだけの犯罪を実行した犯罪組織とは思えないほど不十分なものだった。
以下、『オウム法廷』全13巻(降幡賢一)において、「脱」で検索した結果をしめす。
1上巻
74件、1下巻
71件2上巻
64件2下巻
62件3巻
92件4巻
39件5巻
65件6巻
93件7巻
67件8巻
61件9巻
66件10巻
85件11巻
81件12巻
60件13巻
73件
以上の結果で、脱走対策についての証言をさがしたのだが、1つも見つけることができなかった。私の見落としがある可能性もある。しかし、99%見落としがないだろう。
特に注目すべきは、岡崎一明(1990年2月10日に脱走)(※1)と富田隆(1994年12月に脱走)の事例である。
どう考えても、脱走後に殺される可能性があったはずなのである。
それなのに、オウム真理教の幹部たちが、殺害計画をたてた根拠はなにもない。追跡調査をしたかどうかすら怪しいぐらいだ。私もこの結果を知って、非常に驚いている。
念のため、岡崎一明、富田隆、新実智光(脱走対策をしていた”はず”の自治省大臣)の検察側論告、弁護側最終弁論、判決文も読み直したのだが、脱走対策についてはほぼまったく書かれていない。新実智光の判決文のP31に少し書いてあるが、これ以外の刑事事件があったとは書かれていない(※2)。
もう一度書く。
オウム真理教の脱走者対策は、あれだけの犯罪を実行した犯罪組織とは思えないほど不十分なものだった。
『オウム法廷』全13巻(降幡賢一)を根拠とするかぎり、99%確実に断言できる。
もしこの結論を批判したければ、供述調書か裁判の証言(速記)をすべて調べる必要がある。
もちろん、脱走対策をなにもしていなかったというわけではない。脱走後に連れ戻された事例もあるし、監禁された事例もある。たとえば、山形明と杉本繁郎の事例である。しかし、この2人は(相対的に)帰依がうすかった。くわしくは書かないが、そうとられる行動を犯行中にしており、麻原(松本)が少し注意すれば、脱落しそうだということは気がついただろう。裁判でも早くからオウム真理教と麻原(松本)から決別していた。不思議なのは、そんな人間を実行犯にし続けたオウム真理教と麻原(松本)である。
※1 オウム家族会の会長N氏の長男が脱走したのは、1990年1月25日である(2上巻P152)。岡崎一明がこれについて証言したことはないようだが、何らかの影響があった可能性はある。
※2 新実智光の判決文
http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/817/005817_hanrei.pdf