『「子供を殺してください」という親たち』の紹介および精読のためのメモ
『「子供を殺してください」という親たち』の紹介および精読のためのメモ
ときどき、福本マンガや青木マンガや真鍋マンガのネタをまぜる。精神的にきつくなるから。
第1巻 「慎介」さんの事例
このコワモテ、説得なんかできるのか? どうやって説得するのか? (もっとひどい毒親だと、「自分さえ助かれば患者なんかどうだっていい。こいつ(押川)をどう利用するか……」と考える)
なぜ飼い猫を殺したか
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家族の中の弱いものに暴力をふるった。マンガには書かれていないが、飼い猫の次が妹、その次が職場で飲み物をおごるなどいちばん親切にしてくれたひとに暴力をふるった、という。
この場面、鈴木氏は悩んだそうである。
あえていえば、体が大きくなって親を舐めてる、という言い方もできる。「慎介」さんの事例より、もっとあてはまる事例があるが。
僕の友達
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ちゃんと認めてくれた他人、ということ。この場面をみのがしてはいけない。ここを見逃さなかった押川氏は一定以上の見る目があるといえる。
12巻から13巻 「実吉」さんの事例
「私たち、選ばれてるんで!」
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アホが……! たかが大企業とやらにはいった程度で……! まだ権力を、「勝ち」を握るはるか前の段階……! 足元をすくわれる……! 警戒心ゼロ……! 格好のカモ……!
「もっともっといい暮らしができて当然」
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覚えとけよ。奴隷くん(カモ)になりやすいのは、丸わかりのクズとか、脂ぎった中年とかだけじゃネェんだわ。不相応に欲掻いてるやつだ。よくわかんねえって顔だな。まあお前もこの仕事してりゃよーくわかる。
3巻から4巻 「美佐子」さんの事例
「人間はきれいなままじゃだめなの!」「だけど汚く汚れてもだめ!」「きれいに汚れなきゃだめ!」
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人間の善悪両面をうけとめられないとだめになる、おかしくなる、と「わたし」は第一番にうけとった。
「美佐子」さんの親は、汚いことを隠す事しかできないタイプのクソだった。もう絵に描いたように。
以下の記事が、このマンガのマンガとしての長所を的確に指摘している。
『「子供を殺してください」という親たち』に見る、家族の問題点 : マンガを読む
ひきこもりの実態を描く『「子供を殺してください」という親たち』2巻 : マンガを読む
『「子供を殺してください」という親たち』3巻が問う“覚悟” : マンガを読む
『「子供を殺してください」という親たち』の「確信の4巻」 : マンガを読む
連続して起きた不幸な事件と『「子供を殺してください」という親たち』5巻 : マンガを読む
作品として「フェイズ2」に突入した『「子供を殺してください」という親たち』6巻 : マンガを読む
『「子供を殺してください」という親たち』7巻、価値観のアップデートについて考える : マンガを読む
お金について考える、『「子供を殺してください」という親たち』8巻 : マンガを読む
1巻レヴュー
本作は、こうした違和感の描き方が抜群にうまい。
「#01:【ケース1】精神障害者か犯罪者か」の荒井慎介を例にすれば、彼は外出時にシャツの上にスタジャンを着ているのだが、スタジャンからシャツの襟が片方だけはみ出している。
あるいは「#02:【ケース2】親と子の殺し合い 前編」の木村則夫。彼は初対面の押川に煙草をねだる。「初対面の人間に「煙草をくれ」や「ジュースを奢って」などと平気で言うのが彼らの特徴の一つ」と、その直後に解説され、僕はここに「あるある」と大きくうなづいたシーンだ。
木村の特殊性を際立たせようとするなら、通常のマンガ文法なら、ここは大きくクローズアップしがちだ。しかし本作では、そのエピソードをことさら際立たせようとはしておらず、まるで喫煙所や居酒屋で友人にお願いするような軽さで、初対面の押川に煙草をねだっている。
その自然さが、リアルだ。マンガ担当の鈴木マサカズは、『銀座からまる百貨店 お客様相談室』では、デパートの「お客様相談室」を舞台にモンスター・クレーマーへと豹変する市井の人々描いた。
一見普通そうに見えて、少し接してみると「あれ、この人おかしいな」と思わせる描き方がうまく、豹変する人間ならではのサインをそっと提示するのが絶妙だ。この原作と作画は実にマッチしている。
2巻レヴュー
さて、押川の描き方で、もうひとつ言及しておく点がある。
それは構図だ。
他の登場人物と対峙するシーン以外は、基本的に押川は左側(向かって左ページ側)を向く構図が多い。どの回にも共通することだが、より顕著なのは「#08:【ケース4】親を許さない子供たち 中編」だろう。卓也との会話シーンでは、とくに押川がページ左側を向く構図が多い。
基本原則として、マンガは右ページから左ページへと進んでいく。そして左ページの終点に到達すれば、ページをめくることになる。つまりマンガの文法においては、「左側は未来」なのである。『あしたのジョー』のラストショットを引き合いに出すまでもなく、「あした」はつねに左側に存在するわけだ。
精神疾患を抱えた利用者、とりわけひきこもり当事者たちの「止まった時間」を動かすのが押川の仕事である以上、押川の視線は未来志向でなくてはならない。このキャラクターの視線がつねに「あした」に向いているからこそ、この物語は推進力を得ることができて、重苦しい題材を扱っているにもかかわらず、よどみなく読み進めていけるのだ。
(やっぱり、福本マンガの三点リーダ多用は便利。視覚的になんというかマンガ的なわかりやすさがある。)
(中沢マンガや水木マンガが戦争マンガというより、マンガとして成功しているというのはどういうことだろうか。マンガの長所であり短所、なんとなくでもよむことができる、ということ。)
家族、というからある意味でややこしくなる。一番近い人、と言いかえれば、ある意味で話はわかりやすくなる。ここでとりあげられている事例は、すべて生みの親=育ての親。「親密圏の暴力性」
メモ
2巻 「毒家」になった理由。生まれもった攻撃性ではない。それは第一番ではない。「ありもしない呪い」、これが決定的
4巻 清さん そしてさみしい人生だった 金があっても、医療につながっても、満たされないどころではないささみしさ
4巻 ミサコさん 汚い事を何もかもかくすクソ親 クリスマスというかイベントの危うさ、汚いことをかくすこと。ピンクのティッシュだけの一見「きれい」な部屋
4巻 根性焼きと舌を切ったことの意味。ただの狂気ではない。おそらく威圧?
海に連れて行くとある程度おとなしくなる。
みるべきところ。金の使い方と部屋の中。プライバシー。いまだったらスマホの中もはいるか。
3巻
ふつうの家庭にも、闇と言うか盲点がある。
移送対象は答えは最初から言っていた!
大笑い
↓
必要なくなった、正しく役に立ったということ。
7巻 最後の取引
子供を個人ではなく男、または投資対象としてむきあっている。
まず言葉をそのままうけとること。
金を巻き上げる方法が暴力ではなくホストか結婚詐欺師まがいのやりかた、ともいえる。
9-10艦
つれまわしてるだけ。
斎藤正人の事例。 あやしいサインはよく見ればあちこちに出ている。精神科医は、患者が嘘をつくとはおもわずに診断している。