京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

検証1-7 1995年3月18日~3月20日の麻原彰晃(松本智津夫)の動向――『オウム法廷』第7巻より(追記あり)

(以下、敬称略。原則として、名前はあいうえお順)

麻原彰晃松本智津夫)の動向、およびその根拠となる証言

1995年3月18日午前8時から9時、第六サティアン3階の村井の部屋で、村井秀夫から林郁夫、豊田亨林泰男広瀬健一横山真人に「サリンをまく」という話がされた。このときの村井の話の中に、「麻原(松本)とサリンをまく方法について相談した」という内容がふくまれていた。その時間は午前4時から8時の間と推定される。
(第7巻収録の証言には、この場面の時刻について書かれていない)
1998年10月12日、林泰男林泰男第13回公判、林泰男への検察側尋問、第7巻P278

1995年3月20日午後4時ころ、第六サティアン1階の麻原(松本)の部屋に、新実智光、杉本繁郎、林泰男が報告にきた。このとき麻原(松本)は、「君たちはこれから瞑想しなければいけない。今から言う詞章を唱えなさい。グルとシヴァ大神とすべての真理勝者方に祝福され、ポアされてよかったね。これを一万回、唱えなさい」などと言った。
(第7巻収録の証言には、この場面の時刻について書かれていない)
1998年7月2日、林泰男麻原彰晃松本智津夫)第85回公判、林泰男への弁護側反対尋問、第7巻P103-104



○引用
第7巻
P103-104

 ――事件後(九五年)三月二十日の夕方、あなたたち三人は麻原さんに会っているが、会合の時間はどのくらいか。
「おそらくだが、十分以内と思う」
 ――その時に強制捜査の話は出たか。
「記憶にない」
 ――一カ月延びたと。
「ない、と思う」
 ――実行した者が安全に帰ってきたか、という話は。
「ないと思う」
 ――へまをしていないか、犯行が発覚していないかという話は。
「ないです。そのように、否定的な考え方はしない」
 ――創価学会とか新進党がやったとかの犯行声明が出てないじゃないか、という話は。
「いいえ、ありません」
 ――君たちはよくやった。これで強制捜査を免れることが出来た、という話はなかったか。
「よくやった、ご苦労さんという言葉はあったと思うが、強制捜査は出てない、と思う。強制捜査がなくなったという言葉は記憶にないです」
 ――ご苦労さんは初めて聞くが。
「そうですか。調書にはある」


P277-278

林泰男被告の被告人質問から抜粋】
●検察側質問
 ――三月十八日、村井の部屋で指示されたとき、上申書では仮谷事件のことを思った、ということが書いてあるが、村井に、すぐやります、と言わなかったのはどうしてか。
「どうしてか、と言われると、そのときは押し黙るしかなかった、としか言えない」
 ――その原因は、と聞いているが。
「イエスともノーとも言えない、としか」
 ――地下鉄にサリンを撒くとどうなるか、思いを致したのではないか。
「それはある。人に危害を加える、ということは思っている」
 ――危害とはどういうこと。
「そのときは、はっきり、人が死ぬ、と(噴霧車製造にかかわった)松本サリン事件のようなことを心に浮かべるべきかもしれないが」
 ――なぜ、地下鉄に撒く、と村井は説明したか。
「警察官に被害を及ぼしたい、という趣旨のことを言われた、と思う」

○補足
 第7巻収録の林泰男の証言に、「逃亡したら教団から追跡されると思った」という証言がある。その判断は当然なのだが、ならば、教団側が逃亡者の追跡を徹底しないのはどう考えても理解できない。このことは何度も繰り返して言いたい。岡崎一明富田隆の追跡が徹底していた、という事実は(この第7巻もふくめて)出てこない。だらだら続いていた、らしいのだが……。


・追記
第7巻には、「松本智津夫被告弁護団の検察側冒頭陳述修正を求める意見書の要旨」(約10ページ)が収録されている。読む価値のあるものだと言える。ただし、私の意見では、弁護側の論理構成には重大な見当違いがあるように思われる。