京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

『キリストのヨルカに召されし少年』『百姓マレイ』『百歳の老婆』『宣告』(『ドストエーフスキイ全集14 作家の日記上』より、1970年、米川正夫による翻訳、筑摩書房)

やまったくあり得べからざるもののように思われてきたのだ。いったい、まあいったい、黄金時代は瀬戸物の茶碗の模様よりほかには、存在しないのであろうか?
 閣下、黄金時代[#「黄金時代」に傍点]という言葉を聞いて、そう顔をしかめないでください。誓っていいますが、わたしはなにもあなたがたに黄金時代の扮装をさせて、――腰の辺に木の葉を一枚つけて歩かせようというのではありません。あなたのその将官の制服をつけたままでかまわないのです。くり返していいますが、黄金時代だって、将官の位に昇ることもできるのです。閣下、ただちょっと今すぐやってみてくださればいいのです、――だって、あなたが位からいっていちばん上なのですから、あなたに発言の義務があります、――そうすれば、あなた自身でさえ意外なくらいの、いわばピロンそこのけという頓知が湧いてくるのが、ご自分にもちゃんとわかります。あなたお笑いになるのですか? あなたほんとうにできないのですか? まあ、みなさんに腹の皮をよらして、わたしも満足ですが、しかし今のわたしの叫びはパラドックスではない、まったくの真実です……ただあなたの不幸は、あなたがそれをほんとうにできないことに存するのです。
第 2 章

  1 「お手々」の子供

 子供というものは不思議な人種だ。夢に現われたり、目さきにちらついたりする。ヨルカの前からヨルカの当日へかけて、わたしはいつも同じ町のとある四つ角で、どうしても七つより上とは思われない一人の子供に出会った。恐ろしい凍《い》ての日にも、彼はほとんど夏支度であったが、それでも、頸だけにはなにかのぼろきれを巻きつけていた、――つまり、この子を送り出す時に、なにかの世話をしてやるものがやはりあると見える。彼は「お手々」を出して歩いている。これは一つの術語で、袖乞いをすることをいうのである。この術語は、こういう子供たちが自身で考え出したのだ。こんな子供たちはうようよするほどいて、人の歩いている鼻さきをちょこちょこし、なにか教えられた文句をわめきたてる。しかし、この子供はわめきたてることをせず、なんだか無邪気な不慣れらしいもののいい方をして、頼るような目つきでわたしの顔を見あげていた、――つまりこの商売を始めたばかりなのである。わたしの問いに対して、姉があるけれど、病気のために仕事ができないで、家にじっとしているということを告げた。あるいは、事実かもしれない。けれど、後に知り得たところによると、こうした餓鬼たちはうようよするほどいるのだそうである。彼らはどんな酷寒な日にでも、「お手手」を出して歩くべく追い出される。そして、からっきし収穫がないときには、容赦のない折檻が家で彼らを待ち受けているに相違ない。幾コペイカの端銭を集めると、少年は氷のように固くなった真っ赤な手を出して、怪しげなごろつきどもの一隊が酒に酔いしれているどこかの地下室へ帰って行く。それは「日曜日をあてこんで、土曜日に工場をずらかったまま、水曜日の晩でなければ決してふたたび仕事に戻らない」といった連中なのである。そこでは、こういう地下室では、飢えと折檻に衰えはてたこの連中の女房たちが、いっしょになって酔いくらっているかと思えば、すぐそのそばでは乳呑児が飢えに泣いている。ウォートカ、汚臭、淫蕩、――が、なにより悪いのはウォートカである。子供はたったいま集めて来た金を握って、酒屋へ使いにやられる。そして、また新たに酒を提げて帰って来るのだ。時には座興に乗じて、その口の中へ強烈な酒を注ぎこみ、子供がほとんど正気を失ってしまって、引きちぎったような息づかいをしながら倒れたのを見て、高声をあげて笑うこともある。

  「……わが口ヘウォートカの悪酒《あくしゅ》
  情け容赦もなくそそぐ!………」

 少年がやや成長すると彼らはもはや厄介払いという調子、で、どこかの工場へ追いやってしまう。しかし、賃金はやはりこのごろつきどもに納めなければならぬ。すると、こちらはいっぺんでそれを飲んでしまうのだ。けれど、工場へ出るようになる前から、こういう子供らは立派な犯罪人になりすましている。彼らは市中いたるところを彷徨して、方々の地下室の中へ、人に見られないようにもぐりこんで、一夜を明かすことのできる場所を、のこらず知り尽くすのである。こういった手合いの一人が、ある家の庭番のところへ忍びこんで、大きな籠の中で幾晩かつづけて寝ていたのを、庭番は少しも気がつかなかったとのことである。こういう連中がこそこそ泥棒になっていくのは、もう当然の話である。八つぐらいの子供でさえ、盗癖が一種の情熱となり、ときとすると、その行為の犯罪性をまるで自覚しないことさえある。こうして、最後にはただただ自由のためのみにいっさいのものを、――飢えも寒さも折檻も堪え忍んだあげく、自分の保護者たるごろつきのもとを遁れ出て、今度は自分一人でごろつき始める。こうした野育ちの存在物は、なに一つわきまえない場合が多い、――自分がどこに住んでいるかも、自分がどういう国民に属しているかも、神があるかも、皇帝があるかも、知らないのである。彼らのことについては、とてもほんとうと思えないような話を耳にするが、しかしそれはことごとく事実なのである。

   2 キリストのヨルカに召されし少年

 けれど、わたしは小説家であるから、どうやら自分でも一つの「物語」を創作したようだ。なぜ「ようだ」などと書くのかといえば、なにしろわたしは創作したことは自分でもたしかに知っていながら、それでもこれはどこかで、ほんとうにあったことのような気がしてならないからである。ちょうどクリスマスの前夜に、ある[#「ある」に傍点]大きな都会で、恐ろしい凍ての晩にあったような気がしてならないのだ。
 わたしの胸には一人の少年の姿が浮かぶ、まだ非常に小さくて、やっと六つか、あるいはそれよりも幼いくらいである。この少年はじめじめした冷たい地下室で、朝、目をさました。なにか寝衣のようなものを着てふるえている。息が白い蒸気になって吐き出される。少年は片隅の箱の上にすわったまま、退屈まぎれに、わざと口から息を吐いて、それが湯気になって飛び出すのを見ながら、気をまぎらしていた。けれど、彼は何か食べたくてたまらないのだ。朝から幾度も寝板のそばへ近寄ってみた。そこには煎餅のように薄い敷物を敷き、枕の代わりに何かの包みを頭にあてがって、病気の母が横になっている。彼女はどうしてこんなところにいるのだろう? きっと子供を連れて、よその町からやって来たところが、急に病みついたものに相違ない。家主のおかみさんは、つい二、三日前に警察へ引っ張られて行った。なにしろ祭日のことなので、間借人たちもちりぢりばらばらになってしまい、たった一人残ったバタ屋も、祭日の来るのを待たないで、へべれけに酔っぱらってしまい、もうまる一昼夜というもの、死んだように寝込んでいる。部屋の向こうの隅では、八十からになる老婆がリューマチで唸っている。これはかつてどこかで子守りに雇われていたのだけれど、今では一人淋しく死んで行きながら、唸り声を立てたり、溜息をついたりして、少年にぶつぶつ、小言ばかりいっていた。で、彼はもうこの老婆の寝ている片隅へは、こわがってあまり近寄らなくなった。少年は、飲み水はどこか入口の廊下あたりで手に入れたが、食べるものといったらパンの皮一つ見つからなかったので、もう十ぺんばかり母親を起こしに、寝板のそばへ行って見た。そのうちに、とうとう薄暗がりの中にいるのが不気味になってきた。もう日はとっくに暮れかかっているのに、あかりがともらないのである。彼は母親の顔にさわってみた。すると、母が少しも身動きしないで、壁のように冷たくなっているのにびっくりした。「ここはどうもとても寒いや」と彼は考え、無意識に亡くなった母の肩に手を置き忘れたまま、しばらくじっとたたずんでいたが、やがて手にほっと息を吹きかけ、かじかんだ指を温めた。と、ふいに寝板の上を探って、小さな帽子をつかむと、手さぐりでそろりと地下室から抜け出した。もっと早く出て行きたかったのだけれども、階段の上に頑張っていて、隣りの出口で一日唸り通している大きな犬がこわかったのだ。しかし、もう犬がいなくなったので、彼はいきなり往来へ飛び出した。
 ああ、なんて素晴らしい街だ! 今まで一度もこんな街を見たことがない。ここへ来る前にいた田舎の町は、長い通りに街燈がたった一つしかなく、夜になると真っ暗やみであった。木造の低い家は、すっかり鎧戸を締めきって、通りには日が暮れるが早いか、人っ子一人いなくなってしまう。みんなめいめい自分の家に閉じ籠ってしまうのだ。ただ何百匹、何千匹というほどおびただしい犬が唸り出すばかり、それが夜っぴて唸ったり、吠えたりし通すのだ。しかし、そのかわり、むこうは暖かくって、いつも食べものがもらえたのに、ここは、――ああ、ほんのぽっちりでも食べたいものだなあ! それに、ここはなんて騒々しい物音や騒ぎ声でいっぱいなのだろう、なんてまぶしい明りが漲っていることか、それにおびただしい人、馬、馬車、そして恐ろしい寒さ、身も切れるような寒さ! 凍った蒸気が、追い立てられる馬の体からも、熱した息を吐くその鼻からも立ち昇っている。ほろほろした雪を通して、舗石にあたる蹄鉄の音がかつかつと響き、人々はお互いに不遠慮に突き当たっている。ああ、なにか食いたくてたまらない、なにかの切れっぱしでも噛りたい。急に指がたまらなく痛くなってきた。巡査がそばを通り抜けたが、わざと少年に気がつかないふりをして、そっぽを向いてしまった。
 やがて、また別な通りが開けた。――おお、なんという広い通りだ! ここではそれこそ間違いなく轢き殺されてしまうだろう。だれもかれも、なんて騒々しいわめき声を立てながら、駆け出したり車を飛ばしたりしていることか。それに、あの明り、すさまじい明り! だが、あれはなんだろう? や、なんて大きなガラスだ、ガラスのむこうは部屋になっていて、部屋の中には、天井に届きそうなほど大きな樹が立っている。あれは降誕祭樹だ、ヨルカには数知れぬほど灯りや、金紙や、林檎などがつけてあって、その下には人形や玩具の馬がぐるりと並べてある。きれいな着物を着たかわいい子供らが、部屋の中を駆けまわったり、笑ったり、遊戯をしたりして、なにか飲んだり食べたりしている。一人の女の子が男の子と踊りを始めた。なんてかわいい娘だろう! ああ、音楽もやっている、ガラス越しに聞こえて来る。少年はそれを眺めてびっくりしながら、いつの間にか笑いかけている。けれど、もう足の指まで痛くなってきて、手の指などはすっかり真っ赤になってしまい、曲げることもできなければ、ちょっと動かしても痛いほどになってきた。すると、ふいに少年は、自分の指がこれほどまでに痛いのを思い出して、泣きながらさきのほうへ駆け出した。ふとまた見ると、そこにもガラス越しに部屋があって、やはり同じような樹が立ててある。テーブルの上にはいろんな菓子が並べてある、――アメンド入りのや、赤いのや、黄色いのや、種々さまざまなのが置いてある。テーブルのそばには金持ちらしい奥さんが四人すわっていて、来る人ごとにお菓子をやっている。入口の戸は絶え間なしに開いて、大勢の人が表から入って行く。少年はそっと忍び寄り、ふいに扉を開けて中へ入った。その時の騒ぎ、みんな手を振りまわしながら、彼をどなりつけた。一人の奥さんが大急ぎでそばへ寄って、彼の手に一コペイカ銅貨を握らせると、自分で入口の戸を開けて、外へ追い出した。彼はびっくりしてしまった! 銅貨はその場で手から転がり落ち、入口の階段でちゃりんと鳴った。彼はその赤い指を曲げて、金を握っていることができなかったのである。少年は外へ駆け出すと、やたらにせかせかと歩き出したが、どこへ急いで行くのか、自分でもわからない。彼はまた泣きだしたくなったけれど、叱られるのがこわくて、両手に息を吹きかけながら、ひた走りに走った。なんだかもの悲しくなってきた。急に一人きりなのが心細く、不気味に思われてきたのだ。と、ふいに、ああ! これはまた、いったいなにごとだ? 大勢の人が黒山のようにたかって、あきれたように見物している。窓ガラスの向こう側には、小さな人形が三つ並んでいたが、赤や青の着物を綺麗に着飾って、まるで、――まるで生きているよう! 一人のお爺さんが腰をかけて、大きなバイオリンのようなものを弾いていると、あとの二人はすぐそばに立って、ちっちゃなバイオリンを弾きながら、拍手に合わせて首を振り、お互い同士顔を見合って、唇を動かしてはなにかいっている、ほんとうにいっている、――ただガラスのむこうだから聞こえないばかりなのだ。少年は初めそれを生きているものと思ったが、やがて人形だとはっきり気がつくと、いきなり大声で笑いだした。今までこんな人形を見たことがないので、こういうものがあるとは知らなかった! 彼は泣きだしたいのだけれど、そのくせ人形を見ているとおかしくてたまらないのだ。ふいにだれかうしろから、彼の寝衣をつかんだような気がした。見ると、大きな体をした腕白小僧が立っていて、だしぬけに彼の頭を引っぱたき、帽子を引っ剥がして、足で一つ尻を蹴りあげた。少年は地べたに転がった。その時、そばでわめき声を立てられたので、ちょっと気が遠くなったけれども、また跳ね起きて駆け出した、――一目散に走りつづけているうちに、ふと自分でもどこかという考えもなく、よその内庭へ通ずる門の下へ駆け込んだ、――そこに積んである薪の陰にしゃがんで、「ここなら見つかりっこない、それに暗いから」と考えた。
 彼はしゃがんで、身を縮めた。恐ろしさのあまり、おちついて息をつぐこともできないほどであったが、ふいに、まったくふいに、なんともいえないいい気持ちになってきた。手も足も急に痛みがとまって、ぽかぽかと暖かくなってきた。まるで、煖炉の上にでも寝ているように暖かいのだ。と、彼はとつぜんぶるっと身ぶるいした。ああ、これはうとうとしかけていたのだ! このまま眠ったら、どんなにいい気持ちだろう。「しばらくここにすわっていて、また人形を見に行こう」と少年は考えた。人形のことを思い出すと、軽くほほ笑んだ。「まるで生きてるみたいだ!………」すると、思いがけなく、頭の上で母親が子守歌を唄いだすのが聞こえた。「母ちゃん、ぼく、寝てるの、ここで寝てると、そりゃいい気持ちだよ!」
「わたしの降誕祭樹《ヨルカ》のお祝いへ行こう、坊や」という静かなささやきが、ふいに頭の上で聞こえた。
 少年は、これもやっぱり母親の声だと思ったが、すぐにそうでないと気がついた。だれが呼んだのか目に見えないけれども、だれか上のほうからかがみ込んで、暗闇の中で彼を抱きしめるものがあった。彼は手をさし伸べた。すると、――するとふいに、――おお、なんというまばゆい光だろう! おお、なんという素晴らしいヨルカだろう! いや、これはヨルカともいえないくらいだ、今までこんな樹を見たことひない! いったいこれはどこへ来たのだろう。なにもかもが光り輝いて、まわりには一面に人形が並んでいる、――でも、それは人形ではなくて、みんな男の子や女の子ばかり、ただその体が透き通るように明るくて、彼のまわりをくるくるとまわったり、飛びまわったりして、みんなで彼を接吻したり、抱いたり、かかえて歩いたりする。そして、彼自身も宙を飛んでいるのだ。ふと見ると、母親もこちらを見て、さもうれしそうに笑っている。「母ちゃん! 母ちゃん! ああ、ここはとてもいい気持ちなんだよ、母ちゃん!」と少年は大きな声で叫び、また子供らと接吻する。彼はガラス窓の内側に見た人形のことを、少しも早くみんなに話したくてたまらない。「きみたちはだれなの? あんたがたはだれなの?」と男の子や女の子に見とれて、にこにこしながら問いかける。
「これは『キリストさまのヨルカ』なのよ」と子供たちは答える。「キリストさまのところではね、この日にはいつもヨルカがあるんだよ。それは、自分のヨルカを持たないちっちゃな子供たちのために、立ててあるのよ……」聞いてみると、この男の子や女の子たちは、みんな自分と同じような身の上で、ペテルブルグの役人の家の戸口にあたる階段の上に棄てられたまま、籠の中で凍え死んだのもあれば、養育院でフィンランド女の乳房に圧されて窒息したのもあり、自分の母親のしなびた乳のかたわらで死んだのもいるし(それはサマラの飢餓の時である)、中には三等車の中でたえがたい悪臭のために、息をつまらしたのもいる。それがみんな今ここに集まって、だれもかれも天使のようになり、だれもかれもキリストの子になっている。そのキリストはみんなのまん中に立っていて、一同に手をさし伸べながら、子供らとその罪深い母親を祝福している……子供らの母親はすぐその脇のほうに立って、みんなさめざめと泣いている。だれもが自分の子供を見分ける。すると、子供たちはそのそばへ飛んで行って、接吻したり、小さな手のひらで涙を拭いてやったりしながら、自分たちはここでこんなにいい気持ちなのだから、どうか泣かないでくれ、と母親に頼む……
 ところが、下界では、そのあくる朝庭番が、薪のうしろに駆け込んで凍え死んだ男の子の小さな死骸を見つけた。やがて、その母親もさがし出されたが……彼女はもう子供よりもさきに死んでいた。親子は天なる主の神のみもとでめぐりあったのである。いったいわたしはなぜこんな物語を創作したのだろう、ありふれた分別くさい日記、しかも作家の日記には、およそふさわしくない物語! おまけに、はじめから実際の出来事を主として書くと約束したのではないか! けれど、そこが問題なので、わたしはこういうことがほんとうに起こり得るような気持ちがたえずしていて、そんな幻想が目さきにちらついているのだ、――つまり、地下室の出来事も、薪のうしろで起こったことも、キリストのヨルカで行なわれていることも、ただそれがほんとうにあり得たかどうかは、なんとも申しあげかねる。しかし、わたしは小説家だから創作するのが商売なのである。

3 幼き犯罪者の部落 陰鬱な特殊人間  穢れたる霊魂の改造 その最善と認められた方法 幼く放胆なる人類の友

 祭りの三日目に、わたしはこうした「堕落せる天使」を一時に五十人ばかり見た。といったからとて、彼らを冷笑しているのだ、などと思ってもらっては困る。彼らが「辱かしめられたる」子供たちであることは、もはや疑いを入れる余地がない。けれど、だれに辱かしめられたのか? どういうわ



きたような、放縦と虚偽の新しい段階を、ぜひとも味わわねばならぬのだろうか? (われわれが文明の第一歩を堕落から踏み出したということは、だれしも異存のないことと思うが、いかがであろう?)。この点に関して、なにかもっと心の安まるような説を聞きたいと思う。ただわたしはなんとなしに、こう信じたいような気がする、――ロシヤの民衆は、ほとんど無限に大きい存在物であるから、たとえどこから新しい濁流が現われてそそぎ始めても、そんなものはしぜんとこの大集団の中で消滅してしまうに相違ないと。
 さあ、このへんで握手しようではないか。そうして、事業を簡単に正確に進行させるために、めいめいの「顕微鏡的な努力」をもって互いに尽くし合おうではないか。しかし実際、われわれ自身なに一つ能のない人間で、ただ自分の「祖国を愛ずる」というだけがせめてもの取柄である。まあ、手段の点については、めいめい異存もあることだろうから、これからまた大いに議論をたたかわしたらよいのだ。もうわれわれが善人だということがきまったとすれば、さきでどんなふうになろうとも、とにかく、結局ことはうまくゆくに相違ない。これがわたしの信念である。くり返していうが、要するに二百年ばかりの間、あらゆる仕事から遠ざかっていたことが原因であって、それ以外のなにものでもない。この仕事から遠ざかったということのために、われわれはことごとく一様に、相互の理解力を失ったのを最後として、いわゆる「文明時代」の幕を閉じることになったのである。もちろん、わたしは真摯誠実な人のことのみをいったのである。相互に理解することができないでいるのは、こういう人たちばかりである。ところが投機者流にいたっては、ぜんぜん別問題である。彼らはいつでも互いによく理解し合っていたから……

   3 百姓マレイ

 しかし、こんなprofessions de foi(信条声明)を読むのは、退屈至極なことと思うから、わたしはある一つのアネクドートを語ろうと思う。もっとも、アネクドートというのはあたらない。要するに、一つの遠い昔の思い出にすぎないのだが、わたしはなぜかそれをとくに民衆論の結びとして、今ここで語りたくてたまらない。わたしはその時、生まれてわずか九つの年であった……いや、それより、わたしの二十九の年のことから始めたほうがよかろう。
 それは光明週間([#割り注]復活祭の週[#割り注終わり])の二日目であった。大気は暖かく、空は碧瑠璃に、太陽は高く「暖かく」輝かしかったが、わたしの心のうちは限りなく暗澹としていた。わたしは獄舎の裏手をさまよいながら、頑固な柵の杙《パーリヤ》を見つめて、その数を読んでいた。この数を読むのは、わたしの習慣になっていたけれど、その時はなぜかあまり気が進まなかった。監獄の中の「祭り」もこれでもう二日目であった。囚人たちは労役にひっぱり出されないので、酔い潰れてしまったものがだいぶできて、そちらの隅でもこちらの隅でも、のべつつかみ合いや喧嘩がおっぱじまった。聞き苦しい下司な歌、寝板の下に開帳されたカルタ遊び、それからまた、特別な乱暴を働いたがために、仲間の私刑で半死半生の目にあわされたうえ、息を吹き返して気のつくまで寝板の上に臥《ね》かされて、皮衣《かわごろも》をきせられた囚人(こんな手合いがもう幾人かできた)、幾たびとなく鞘を払われたナイフ、――こうしたいろいろなものが祭りの二日間に、病気になりそうなほどわたしの神経をさいなんだのである。もともとわたしは百姓らの酒飲み騒ぎを見ると、いつも嫌悪の念を禁じ得なかったが、こういう場所では、なおさらその感が強かった。
 二日間、看守は牢をのぞきにも来なければ、身体検査もせず、酒を没収しようともしなかった。こういう人生の落伍者にも、年に一度ぐらいは自由に遊ばしてやらねばならぬ、そうしなければ、かえってよからぬ結果をきたすということを、彼らは心得ているのだ。とうとうわたしの心中にも、憎悪の念が燃えあがってきた。ふとM-ツキイという政治犯ポーランド人に出会った。彼は沈んだ目つきでわたしを見つめたが、その目はぎらぎらと輝き、唇はふるえた。
 ”Je hais ces brigands!”(わたしはあの無頼漢どもを憎む)彼は歯を食いしばりながら、小さい声でわたしに向かってこういうと、そのままかたえを通り過ぎてしまった。
 わたしは監獄へひっ返した。そのくせ、つい十五分ばかり前に、気ちがいのようにその中から駆け出したばかりなのだが……その時ちょうど、六人の屈強な百姓が、根性骨を直してやるのだといって、酔っぱらいの韃靼人《だったん》人([#割り注]タタール人。ロシヤ本土の東南にすむトルコ系諸族の総称[#割り注終わり])のガージンを目がけて、一時に飛びかかってなぐりはじめたのである。それはばかげた、お話にならぬなぐり方であった。あんななぐり方をされたら、駱駝でも死んでしまうに相違ない。しかし、このヘラクレスはなかなか容易に参りはしないということを、ちゃんと承知しているので、百姓らは容赦なしにぶちのめした。いまわたしが帰って見ると、牢の向こうの端にある寝板の上に、もうほとんど生の兆候を失ったガージンが、意識もなく横たわっているのが目に入った。彼は皮衣をきせられて横たわっていたが、一同は無言にそのそばをよけて通って行った。そして、なに、明日の朝になったら気がつくだろうとは信じながらも、「あんなになぐられたんだからひょっとま[#「とま」に傍点]んが悪かったら[#「ひょっとま[#「とま」に傍点]んが悪かったら」はママ]、死んじまうかもしれないぞ」というような目つきをしているのであった。
 わたしは鉄格子の窓に面した自分の場所へたどりつくと、そのまま両手をうしろ頭へあてがって、仰向けにごろりと寝ころびながら目を閉じた。わたしはこうして臥ているのが好きだった。臥ていれば、うるさく突っかかって来るものはないから、その間に空想したり、考えたりすることができる。けれど、わたしは空想などしていられなかった。心臓は不安げに鼓動して、耳の中では、”Je hais ces brigands!”というM―ツキイの言葉が響いた。が、くだくだしく細かい印象など書くことはないのだ。わたしは時々この折のことを夢に見る。そして、わたしにとってこれくらい悩ましい夢はないのだ。中には、気のついた人があるかもしれないが、わたしはこれまで一度も印刷物の上で、自分の牢獄生活を語ったことがない。十五年前に書いた『死の家の記録』は、自分の妻を殺した犯人という、仮想の人物の物語ということになっている。ついでに、詳細を期するため一言申し添えておくが、世間ではあれ以来わたしのことを、自分の妻を殺したためにシベリヤへ流されたように考えている人がはなはだ多い。中には、今でもそう確信している人さえあるくらいだ。
 わたしはだんだん忘我の境に陥って、いつとはなしに追想に沈んでしまった。牢獄生活の四年間に、わたしは絶え間なく自分の過去を追想していた。そして、この追想の中で、自分の過去の生活を残らず新たにくり返したものである。こういう追懐は、ひとりでに、浮かんでくるのであって、わたしが自分から呼びさますことはきわめてまれであった。まず、ほとんど目にも入らぬくらいの一点一画からはじまって、後にはだんだん一つの完全な画面に拡大され、強烈な首尾一貫した印象になってゆくのであった。わたしはこれらの印象を解剖して、遠い以前に経験した事柄に新しい風貌を添えた。が、なによりもかんじんな点は、それを訂正したことである。わたしは絶え間なく自分の過去を訂正した。それがわたしにとってなによりの楽しみだったのである。
 で、このとき思いがけなくわたしの心に、まだ生まれてやっと九つになったばかりの、きわめて幼い少年時代に属する、ほとんど目にも入らぬぐらいな一つの瞬間、もうすっかり忘れてしまっているはずの瞬間が、どういうわけか、ふと浮かんできたのである。当時、わたしは非常に幼い頃の追憶をことに好んでいた。
 わたしは、わが家の領地の小さな村で過ごしたある年の八月を想い出したのである。それは晴れて乾いた、とはいえ、少し風のあるうそ寒い日であった。夏もはや終わりだったから、わたしも近いうちにモスクワへ帰って、またもやひと冬、フランス語の課業で、退屈な思いをしなければならないと考えると、村を去るのが残り惜しくてたまらなかった。わたしは打穀場を抜けて、谷を下り、「ロスク」へ登って行った。これは、谷の向こう側から森のすぐそばまでつづいている深い灌木の林を、村でそう呼んでいるのであった。やがて、わたしは灌木の繁みの中へ分け入った。そして、三十歩ばかり隔たったほど遠からぬ林間の空地で、百姓がたった一人、畑をおこしている物音を、聞くともなしに聞いていた。百姓の耕しているのが急な山畑で、馬の歩みの苦しそうなのに気がついた。ときどき、「それ、それ!」というかけ声が、わたしのところまで聞こえてきた。
 わたしは自分の村の百姓をほとんどみんな知っていた。けれど、いま耕しているのはだれだかわからなかった。しかし、そんなことはどうでもいい、わたしはいま自分の仕事に夢中になっていた。わたしにもやはり仕事があるのだ。ほかでもない、蛙を打つのに使う胡桃の枝を折っていたのである。胡桃の木で造った鞭は美しくて、しなしなして、白樺の枝どころではない。それから、また甲虫もわたしの興味をひいた。で、わたしはそれを集めにかかった。なかなかきれいなのがいる。わたしはまた黒い斑のある赤黄色い、小さなはしっこい蜥蜴も好きだったが、しかし蛇はこわかった。もっとも、蛇は蜥蜴よりずっと少ない。きのこはこの辺ではあまりない。きのことりには白樺の林へ出かけなければならない。そこで、わたしは出かけることにした。わたしはこの世で森ほど好きなものはない。きのこ、野苺、甲虫、小鳥、針鼠、栗鼠《りす》、それから、なんともいえぬほど好もしい朽葉の湿っぽい匂い……わたしはこれを書きながらも、村の白樺林の匂いを嗅ぐような思いがする。こうした印象は一生涯きえることはあるまい。
 とつぜん、深い深いしじまの中に、わたしは「狼が来る!」という叫びを、はっきり、まざまざと聞きつけたのである。わたしは驚愕のあまり、われを忘れて、きゃっと声を出して叫ぶと、例の畑をおこしている百姓を目がけて、林の間の空地へと駆け出した。
 それはうちの百姓のマレイであった。そんな名があるかどうか知らないが、とにかく、みんなこの男をマレイと呼んでいた、――五十ばかりの、がっしりした、かなり背の高い、おびただしく白髪の混った黒っぽい亜麻色のひげで、ぐるりと顔を包まれた百姓であった。わたしは彼を知っていたけれど、それまでほとんど一度も言葉を交わすような折がなかった。わたしの叫び声を耳にすると、彼は自分の牝馬の歩みを止めてくれた。そして、わたしが一目散に走り寄って、片手で彼の鋤に、片手でその袖にしがみついた時、彼ははじめてわたしの恐怖に気がついたのである。
「狼が来る!」とわたしは息を切らせながら叫んだ。
 彼は頭をあげて、ちょっといっときわたしの言葉を信じながら、思わずあたりを見まわした。
「どこに狼がね?」
『そういったんだ……だれだかいま『狼が来る!』って、大きな声でいったんだ……」わたしはやっとのことで舌をまわしながらいった。
「なにをいうのだね、なにを? どこに狼がいるもんかね、そら耳だよ、ほんに! なんの狼なんぞがおってたまるもんかね!」と彼はわたしを励ましながらつぶやいた。
 しかし、わたしは全身をわなわなとふるわせながら、なおもひしとその百姓外套にしがみついた。きっと恐ろしく青い顔をしていたに相違ない。彼はわたしのことが心配でたまらぬらしく、不安げな微笑を浮かべながら、じっとわたしを見つめていた。
「ほんに、はあ、おったまげたこんだべ、やれやれ!」と彼は首を振った。「もうたくさんだよ、ぼん、なあ、ぼんはえらいだに、よう」
 彼は手をさし伸べて、ふいにわたしの頬を撫でた。
「さ、たくさんだというに、さあ、キリストさまがついてござらっしゃる、十字切るだよ」
 けれど、わたしは十字を切らなかった。わたしの唇の両隅がぴくりぴくりと引っつった。それがことに彼の胸にこたえたらしい。彼は静かに、黒い爪をした、土で汚れた太い指を伸ばして、ぴくぴくと引っつっている、わたしの唇に、そっとさわった。
「ほんに、はあ、どうも」たんとなく母親らしい感じのする、引き伸ばしたような笑い方で、彼はわたしにほほ笑みかけた。「あああ、いったいこれはなんちゅうこんだ、ほんにはあ、どうも、やれやれ!」
 わたしはやっと、狼などいないということを合点した。「狼が来る!」という叫びは、ただわたしのそら耳にそう聞こえただけに相違ない。もっとも、それははっきり、まざまざと聞こえたのではあるが、そういう叫びは(狼のことばかりではない)以前も一、二度そら耳に響いたことがあったので、わたしもそのことを心得ていた(その後、少年期が終わるとともに、こういう幻覚はなくなってしまった)。
「じゃ、ぼく、行くよ」相談するように、臆病げに彼を見あげながら、わたしはこういいだした。
「ああ、行かっしゃい。わしもうしろから見とってあげるだ。わしがおったら、お前さんを狼などにやるこんでねえから!」依然として母親らしくほほ笑みつつ、彼はこういいたした。「さ、キリストさまがついてござらっしゃる。さあ、行かっしゃい」
 彼は片手でわたしに十字を切ると、今度は自分にも十字を切った。
 わたしは歩きだした。ほとんど十歩ごとにうしろをふり返りながら。マレイはわたしの歩いている間じゅう、自分の牝馬といっしょにじっとひとつところに立って、わたしがふり返るたびにうなずいて見せながら、いつまでも見送ってくれるのであった。わたしは、あんなに慴《おび》えた姿を彼に見せたのが、少々きまりわるくはあったが、それでも谷の斜面を昇って、最初の穀倉へ出るまでは、やはり狼が恐ろしい、恐ろしいと思いながら歩いた。が、穀倉まで来ると、恐ろしさはどこへやら行ってしまった。すると、とつぜん、どこから現われたのか、家の番犬のヴォルチョークがわたしに飛びかかった。ヴォルチョークが来たので、すっかり元気づいて、わたしは最後にもう一度マレイをふり返ってみた。もう顔ははっきり見分けられなかったけれど、やはり同じように優しくほほ笑みながら、こっくりこっくりをしているように感じられた。わたしは彼に手を振ってみせた。すると、向こうでも同じように手を振って、それから牝馬を追い始めた。
「それ、それ!」ふたたび馬を追う彼の声がはるかに聞こえて、牝馬はまた鋤を牽きはじめた。
 こういうことが、なぜかしら、すべて一時にわたしの記憶によみがえったのである。しかも、驚くばかりこと細かに、正確をきわめているのだ。わたしはとつぜんわれに返って、寝板の上に起きなおった。そして、今でも覚えているが、わたしの顔には静かな追憶のほほ笑みが残っていた。しばらくの間、わたしはまたもや追憶をつづけた。
 わたしはその時マレイのところから家へ帰っても、この「出来事」はだれにも語らなかった。それに、「出来事」というほどのことはもちろんないのだ。そして、マレイのことも当時まもなく忘れてしまった。その後、時おり彼に出会っても、狼のことばかりでなく、たにごとにつけても、一度も話をしたことがなかった。ところが、今二十年もたった後、しかもシベリヤの涯で、この邂逅をこうまでまざまざと、最後の一点すらもらさずに想い出したのだ。してみると、この邂逅は、自分でもまるで、意識しないのに、しぜんに、いつともなくわたしの心の底にひそんでいて、ちょうど必要な時に突如として浮かび出したのである。あの貧しい農奴の優しい母親めいた微笑、彼の切ってくれた十字、そのうなずき、「ほんに、はあ、おったまげたこんだべ、な、ぼん!」といった言葉、それがいま記憶に浮かんだのである。ことに、わたしのふるえる唇に静かに、おずおずと優しくさわったあの土で汚れた太い指。
 もちろん、子供を励ますくらいのことはだれしもする。しかし、この淋しい原中の邂逅の中には、なにかしらまったく趣きの違ったところがあった。もしわたしが彼のほんとうの子だったとしても、あれ以上晴れやかな愛に輝く目つきで、わたしを眺めることはできなかったであろう。それなら、だれか彼にそれをしいるものがあったか? 彼はうちの農奴となっている百姓だから、わたしはなんといっても、彼のために坊っちゃんであった。けれど、彼がわたしをいたわったことなどだれも知るはずがないから、それに対してべつに報酬が得られるわけでもない。それなら、彼はなみはずれて子供好きだったのか? そういう人間もよくあるものだ。
 それは淋しい、がらんとした原中の邂逅であった。したがって、当時まだ自分の自由のことなどはまるで夢にも思い設けていなかった、獣のように無知で粗野なロシヤの農奴が、どれくらい進化した人間らしい深い感情と、どれくらいこまやかな、ほとんど女のような優しさに胸を充たしていたかは、おそらく神のみが高いところからみそなわすばかりであろう。読者よ、コンスタンチン・アクサーコフがロシヤ農民の高い教養といったのは、この点を意味したのではなかろうか?
 わたしが寝板から下りて、あたりを見まわした時、今でも覚えているが、忽然として、「今こそ自分はこれらの不幸な人々をぜんぜん別な目で見ることができる」と直感した。そして、急になにかある奇跡によって、あれほどの憎悪と毒念がわたしの胸から、残りなく消えたような気がした。わたしは出会う人々の顔に見入りながら歩きだした。髪を剃りおとされ、顔に烙印を打たれた公民権のない百姓、酔っぱらって、しわがれた声でわけのわからぬ歌をわめき散らしているこの百姓も、ことによったら、あのマレイと同じ人間かもしれない。なにぶん、わたしとても彼の心をのぞいて見るわけにはゆかないのだ。
 わたしはその晩、もういちどM―ツキイに会った。おお、不幸な男! 彼はマレイといったようなものについて、なんらの追憶も持っていず、またこれらの人たちに対しても、”Je hais ces brigands!”(わたしはあの無頼漢どもを憎む)というよりほかに、なんら変わった見方をもち得ないのだ。実際、このポーランド人たちは、そのときわたしら以上の苦しみを嘗めたのだ。

    第 2 章
   7 クロネペルグの事件について

 一か月ばかり前、ペペテルブルグ地方裁判所で審理されたタロネベルグの事件については、だれもが承知のことと思う。



いくらかでもはっきりした希望がなければ、良い現実などは生じ得るものでないからである。いな、今よりもっとひどい醜悪事よりほかにはなにものも生じない、ときっぱりいうことができる。たとえ今は見苦しくとも、より良くなりたいという明らかに自覚された希望があれば(すなわち、より良きものを願う理想があれば)、いつかは実際により良くなれるという機会が、少なくともわたしには残っているのだ。これは少なくとも、「悪い」理想をいだきながら、すなわち、「悪い」希望を持ちながら、より良くなろうというきみの心づもりほどには、およびがたいものではない。
 ガンマ氏よ、きみはわたしの数言に立腹されないことと庶幾《しょき》する。お互いにおのれの意見を持しながら、解決の日を待とうではないか。解決の日はおそらく、さほど遠くはあるまいと思う。

   2 百歳の老婆

 その朝、わたしは大へん遅くなりました。――この間ある婦人がわたしにこんな話をした。――で、家を出たのは、もうかれこれ午ごろでした。しかも、その時にかぎって、まるでわざと狙ったように、用事がたくさんたまっていました。ちょうどニコラエフスカヤ通りで、ふたところ寄らねばならないところがありました。が、その二軒はあまり離れてはいませんでした。まず初めに事務所へ寄りましたが、ちょうど門のすぐそばで、そのお婆さんに出会ったのです。腰が弓のように曲って、手に杖を持ったお婆さんで、ずいぶんひどい年寄りに見えましたけれど、でもほんとうの年は想像がつきませんでした。お婆さんは門のところまでたどり着くと、その片隅に置いてある屋敷番のベンチに腰をおろして、息を休めました。けれども、わたしはさっさとそのそばを通り過ぎてしまったので、お婆さんの姿はただちらと目をかすめたばかりでした。
 十分ばかりたって、わたしは事務所を出て、すぐ三軒目の店へ寄りました。そこには、もう先週からソーニャの靴が誂えてあったので、わたしはついでにそれをとって行こうと思ったのですが、ふと見ると、例のお婆さんがもうちゃんとこの家のそばへ来て、また門際のベンチに腰をおろしながら、じっとわたしを見ているではありませんか。わたしはにっこり笑いかけると、そのまま店へ入って、靴を受けとりました。その間、まあ、三分か四分たったでしょう、――それから、ネーフスキイ通りへ出かけましたが、まあ、どうでしょう、――例のお婆さんはもうちゃんと、次の家のそばへ来ているではありませんか。やはり門のそばなんですが、今度はベンチでなしに、壁からちょっと突き出た石の上に、尻をおちつけていました。この門内にベンチがなかったのです。わたしはとつぜん、思わずその前に立ちどまりました。いったいこの女はなんだって、行くさきざきの家のそばにすわってるのだろう、とこう考えたわけなのです。
 ――疲れたの、お婆さん?――とわたしはききました。
 ――疲れますよ、奥様、すぐに疲れてしまいます。今日は暖くて、お陽様がぽかぽか照っていらっしゃるから、ひとつ孫たちのところへ出かけて、ご馳走になろうかと思いましてね。
 ――それじゃ、お婆さん、お前さんはご馳走をよばれに行くところなの?
 ――ご馳走をよばれるんでございますよ、奥様、ご馳走を。
 ――だけど、お前さん、そんなふうじゃ、とても向こうまで行き着けやしなくってよ。
 ――なあに、行き着けますよ、しばらく歩いちゃ一休みしましてね、それからまた腰を持ちあげて、歩きだしますんで。
 わたしはじっと相手を見つめているうちに、激しい好奇心が起こってきました。それは小柄な、小ざっぱりしたお婆さんで、古ぼけた着物を着て、手に杖を持っていました。きっと町人階級の女なのでしょう。青黄色い顔は骨に乾きついたようですし、唇はまるで血の気がなくって、ちょうどミイラかなんぞのようでしたが、じっとすわったまま、にこにこ笑っているのです。太陽はこのお婆さんを、まともに照らしていました。
 ――ねえ、お婆さん、お前さんはきっと、ずいぶん年寄りなんだろうね?――とわたしはむろん、冗談半分でこうききました。
 ――百四つでございますよ、奥様、百と四つなんでございますよ、やっとね[#「やっとね」に傍点](これは老婆がちょっと洒落たわけなのです)……ところで、奥様はどちらへお出かけでございますかね?
 こういって、わたしを見ながら笑っているのです。話し相手を見つけたのが、うれしかったのかもしれません。ただ百歳の老婆がこんなことに心を使うのが、不思議なようにも思われました。わたしがどこへ行こうと、そんなことがこの老婆になんの必要があるのでしょう。
 ――なにね、お婆さん、――とわたしは笑いました。――いま店で嬢やの靴をとって来たので、これから家へ持って帰るところなの。
 ――まあ、なんという小さな靴だろう。おおかた、ちっちゃなお嬢さまでございましょうね? ほんとうにけっこうでございますねえ。ほかにまだお子さんがおありですかね? まだやはり笑いつづけながら、わたしの顔を見ていました。もうほとんど死んだような鈍い目なのですが、その中からなにかしら温い光が流れ出すようなあんばいでした。
 ――お婆さん、なんなら、わたし五コペイカ玉をあげようか、パンでも買ってちょうだい。こういいながら、わたしはその五コペイカ玉をさし出しました。
 ――なんだって五コペイカ玉をくださるんです? なに、まあ、いただきますよ、ありがとうございます。
 ――さあ、ほら、お婆さん、怒らないでちょうだい。
 お婆さんは受けとりました。見たところ、物乞いなどしているふうはありません、それほど困ってもいない様子でしたが、お婆さんは快くわたしの贈物をとってくれました。けれど、それは決して施しものをもらうというようなふうではなく、礼儀のためといおうか、それとも善良な心持ちのためといおうか、まあ、そんなような具合でした。もっとも、ひょっとしたら、お婆さんはこれが大へん気に入ったのかもしれません。なぜってふだんだれ一人こんなお婆さんに話しかけるものもないのに、とつぜんいろんな言葉をかけるばかりか、まだそのうえに愛情をこめて、自分の身の上を心配してくれるものが出て来たのですもの。
 ――じゃ、さようなら、お婆さん、――とわたしはいいました。――無事に行ってらっしゃい。
 ――まいりますとも、奥様、まいりますとも、ちゃんと向こうまで行き着いてお目にかけますよ。では、奥様もお孫さんのとこへ、早く帰っておあげなさいまし。――わたしを家で待っているのは娘だということを忘れて、お婆さんはこんなことをいいだしました。おおかた、だれでも孫を持っているような気がしたのでしょう。
 やがて、わたしは歩きだしました。最後にもう一度ふり返って見ると、お婆さんはさも骨が折れるというように、そろそろと身を起こして、杖をとんと地に突くと、やがてとぼとぼ通りをたどりはじめました。たぶん自分の孫たちのところへたどり着いて、「ご馳走になる」まで、道々まだ十ぺんぐらいすわって休むことでしょう。それに、いったいどこへご馳走を食べに行くのだろう? ほんとうに奇妙なお婆さん。
 わたしはその朝この物語を聞いたなりで、――もっとも、物語というほどのものでもない、ただ百歳の老婆に遭遇した一種の印象談にすぎない(しかし、実際のところ、百歳の老婆、しかもこんな精神生活に充ちた老婆に出会うなどということは、そうめったにあるものでない)、――すっかりそのことを忘れていたが、その晩おそくある雑誌の論文を読み終わって、その雑誌をわきのほうへ押しやった時、ふいにこの老婆のことが思い出された。そして、どういうわけか一瞬の間に、彼女が孫たちのところへ行き着いて、ご馳走になったという、後日譚を想像の中に描きあげた。こうして、も一つ小さなスケッチができあがった。もしかしたら、大いにほんとうらしくできたかもしれない。
 孫たちは(もしかしたら、曾孫かもしれない。が、彼女はみんないっしょくたに孫々と呼んでいるのだ)、たぶんどこかの組合に加入している職人かなんぞで、もちろん、一家を構えた人たちに相違ない。でなければ、彼女がご馳走など食べに行くはずがない。彼らは地下室に住んでいるか、それともなにか床屋の店でも出しているのかもしれない。むろん、貧しい境涯にはいるけれど、それでもその日の暮らしにことを欠かず、万事、人並みにやっているのだ。彼女がそこへたどり着いたのは、おそらくもう一時すぎであったろう。みんな思いも設けなかったけれど、かなり愛想よく出迎えたことと想像される。
 ――やあ、これは、マリヤ・マクシーモヴナ。入んなさい、入んなさい。さあ、どうぞ、お祖母さん!
 老婆は、ひひひひと笑いながら入って行く。入口のベルがまだ長いあいだ、か細い、鋭い調子でじーんと響いている。孫娘はこの床屋の家内に相違ない。主人公の床屋はまだ血気な男で、かれこれ三十五くらいの年頃であろう。元来、床屋というものは軽薄な商売であるが、その商売柄にしては、どっしりと貫目のあるほうであろう。着ているフロックはもちろん、まるでブリン([#割り注]薄熱きパンケーキ[#割り注終わり])のように油びかりがしている。それはポマードのせいかなにか知らないが、とにかく、それ以外のなりをした「床屋さん」をわたしは一度も見たことがない。それに、またフロックの襟ときたら、いつでもきまって粉をまぶしたようになっているのだ。小さな子供が三人、――一人は男で、二人は女である、――さっそく曾祖母《ひいばあ》さんのところへ走り寄る。たいていこんなふうに思いきり年とった老婆は、どういうものか、子供とごく仲よしになるのがきまりである。それに、彼女ら自身からして、精神的に恐ろしく子供に似てくるものである。どうかすると、まるで一分一厘ちがわないことさえある。老婆は腰をおろした。この家の主人のところには、遊びに来たとも用事で来たともつかぬ一人がいあわせた。年頃やはり四十ばかりの知り合いの男で、もうそろそろ帰り支度をしているところであった。それに、もう一人甥が逗留している。主人の姉の息子で、十七ばかりの若い衆である。これは活版所へ入りたいという望みを持っている。老婆は十字を切って腰をおろし、客のほうを見やった。
 ――おお、くたびれた! そこにいなさるのは、どなただね?
 ――それはわっしのことですかい?――と客はにやにや笑いながら答える。――なんですかね、マリヤ・マクシーモヴナ、いったいわっしを見忘れなすったかね? 一昨年、あんたといっしょに森へ茸狩りに行こうと、いつも約束してたじゃありませんか。
 ――ああ、お前さんかね、知ってるとも、あの口悪さんだろう。ちゃんと党えてるよ。だけど、なんという名前だっけか、思い出せないんだよ。だが、覚えてることはちゃんと覚えてるよ。ああ、なんだかすっかりくたびれてしまった。
 ――だが、マリヤ・マクシーモヴナ、どうしてお前さんはちっとも大きくおなんなさらないんですい、それをひとつうかがいたいもんで。――と客は戯れた。
 ――ええ、まあ、お前さんは。――と老婆は笑ったが、それでも満足そうな様子であった。
 ――わっしはね、マリヤ・マクシーモヴナ、これでも根はいい人間なんでさあ。
 ――ほんに、いい人とはちょっと話しても面白いというからね。おお、どうもわたしは息ぎれがしてしようがない。もうセリョージャに外套をこさえてやったとみえるね。
 彼女は甥を指さして見せた。
 甥はずんぐりした丈夫そうな若い衆であったが、口いっぱいに微笑をたたえながら、間近くそばへ寄って来た。彼は新しい鼠色の外套を一着していたが、いまだに平気な心持ちでそれを着ることができないらしかった。平気な心持ちになれるのは、まだまだ一週間ぐらいさきのことであろう。いま彼は一分ごとに袖の折返しや、襟や、そのほか全身を鏡に映して見ながら、自分自身に対して特別な尊敬を感じているのであった。
 ――まあ、お前ひとつあっちへ向いてごらん。――と床屋の家内がさえずりはじめる。――まあ、マクシーモヴナ、どんな外套をこしらえたか見ておくんなさいよ。六ルーブリというお金が、まるで一コペイカぐらいしきゃ費《つか》いでがしないんですからね。なんでも、プロホルイチのとこじゃ安く造ってくれるという話だが、今さらあんなところで造るのはおよしなさい、あとで泣かなきゃならない、これにしておきなすったら、もうそれこそ末代もんだっていうもんですからね。まあ、このきれ地を見ておくんなさい! それ、お前あっちい向いてごらん! それに、この裏地はどうでしょう、丈夫なことったら、それこそとびきりでさあね! さあ、お前、あっちい向いてごらん! ねえ、マクシーモヴナ、こんなことでお金がどんどん出て行ってしまうんですからねえ、辛抱して残したお金もみんな片なしでさあ。
 ――ああ、もうこの節じゃ、なんでも諸式が高くなってしまったからねえ、なにもかもまるで釣合いがとれないくらいだよ。いっそお前、そんな話をして聞かせなきゃいいのに、わたしゃ気持ちが悪くなってしまったよ。――とマクシーモヴナは感慨にたえないような調子でこういったが、まだやはり十分息がおちつかないらしい。
 ――なあに、まあ、いいさ。――と主人が口を入れる。――何か一口食べようじゃないか。どうだね、お祖母さん、どうやら見たところだいぶくたびれたらしいね?
 ――おおお、お前、疲れたとも、今日はあんまり暖くていい日和だもんだから、ひとつあの子たちを訪ねてみよう……寝てばかりいたってしようがない、とこう思ったのでね。おお! ところが、途中で一人の若い奥さんに出会ったよ。なんでも子供たちの靴を買って帰るところらしかったが、「どうしたんだね、お婆さん、くたびれたのかえ? さあ、五コペイカあげよう、パンでも買っておあがり……」と、こんなにおっしゃるじゃないか。それでね、わたしゃその五コペイカ玉をもらっといたよ……
 ――いや、お祖母さん、それにしても、なによりさきにちょっくら一休みしなさいよ。なんだって今日はそんなに息を切らしてるんだね?――とつぜんなんだかとくべつ心配そうな調子で、主人がそういった。
 一同は老婆を見やった。まったく彼女は急にひどく真っ青にたり、唇などはまるで血の気がなくなってしまった。彼女も同様に一同を見まわしたが、その目つきはなんとなくどんよりしていた。
 ――それでね、子供に生姜《しょうが》餅でも買ってやろうか……とそう思ってね……その五コペイカ玉でさ……
 こういいながら、また言葉を切って息をついだ。まわりの人はみんな五秒ばかりの間、じっと声をひそめてしまった。
 ――どうしたんだね、お祖母さん?――と主人は彼女のほうへ屈みこんだ。
 けれど、老婆は返事をしなかった。またもや、およそ五秒ばかり沈黙がつづいた。老婆の顔はいっそう白くなって、なんだか急にげっそりこけたように思われた。目はじっと据わって、微笑が唇の上に凍りついたようになっていた。じっとまっすぐに前を見つめていたが、もうなんにも目に入らないようなふうであった。
 ――早く坊様を!――とつぜんうしろのほうから、中年の客があわただしそうな小声でこういった。
 ――しかし……もう手遅れじゃあるまいか?――と主人がつぶやく。
 ――お祖母さん、お祖母さん!――と床屋の家内は急におどりあがりながら、呼びかけた。けれど、老婆は身じろぎもしない。ただ頭が一方へ傾くばかりであった。テーブルに載せた右手には、例の五コペイカ玉を握り、左の手は一番年上の曾孫、ミーシャという六つばかりの男の子の肩へ載せたままである。男の子は身動きもせずに突っ立ったまま、びっくりしたように大きな目を見ひらいて、祖母を見つめている。
 ――往生だ!――と主人は背を伸ばしながら、おちついたものものしげな調子でそういって、軽く十字を切った。
 ――へえ、そうだったのか! 道理でだんだん体がかしいでいくと思った。――と客は感にたえたような、ひきちぎったような調子でいった。彼はひどくこの光景に打たれた様子で、一同の顔を見まわしていた。
 ――ああ、大変だ! まあ、ほんとうにねえ! いったいこれからどうしたらいいんでしょう? マカールイチ! あっちへ返したもんでしょうか?――すっかりとほうにくれた様子で、家内はせきこみながらさえずりはじめた。
 ――あっちたあどこのことだ?――と主人はもったいらしく答えた。――ここでおれたちがお葬いをするんだ。いったいお前はこの人の身内じゃないというのかい?
 ところで、これから知らせに行かなくちゃたらない。
 ――なにしろ、百四つというんだからなあ、え!――いよいよ感にたえた様子で、客は一つところをうろうろうろついていた。彼は顔まで真っ赤にしているのであった。
 ――そうだ、この二、三年は、もう世の中のことも忘れるようになってたからなあ。――主人は帽子をさがしたり、外套をはずしたりしながら、いっそうものものしい気どった調子でいった。
 ――だが、つい一分間前まで、あんなにうきうきして笑っていたのになあ! ほら、五コペイカ玉をちゃんと手に握ってさ! 生姜餅のことなんかいってたっけが、あああ、人間の命って脆いもんだねえ!
 ――さあ、ピョートル・スチェパーヌイチ、出かけようじゃないか。――と主人は客をさえぎって、二人とも出て行った。
 もちろん、こういう故人のために泣くものはない。百四つという年まで生きて、「病気もなしに極楽往生を遂げた」のではないか。家内は、近所の女房たちへ使いをやって、手伝いをたのんだ。女房たちは、たちまちのうちに馳せ参じて、ほとんど満足の色を浮かべて知らせを聞きながら、溜息をついたり、叫び声をあげたりした。むろん、まず第一番にサモワールの用意をした。子供らはびっくりしたような顔をして、片隅に小さく縮こまりながら、遠くのほうから死んだお祖母さんを眺めている。ミーシャはこのさきどれくらい生きのびるにしても、この老婆が自分の肩で手を握りしめたまま死んだことを、生涯おぼえているに相違ない。けれど、いったんこの少年が死んでしまったら、かつて昔こうした老婆が存在していて、なんのために、またどんなふうにか知らないが、百四年も生きのびていたということを、この地球上にだれひとり知っているものも、覚えているものもなくなるわけである。それに、またなんのために覚えている必要があろう。そんなことはどうでも同じではないか。こうして、幾百万の人がこの世を去って行く、――だれの目にも入らぬ生活をして、だれの目にも入らないように死んでいくのである。ただこういう百歳からの老人や老婆の臨終の瞬間には、なにかしら一種人を感激させるような、静寂に充ちたあるものが含まれている。いや、それどころか、平和をもたらすような重大なものがひそんでいる。百歳という年は今日まで、なにかしら一種の恐怖をもって人間に働きかけている。神よ、単純にして善良なる人々の生と死を祝福したまえ!
 しかし、とにかくこれだけのごく軽い、主題もなにもない一場のスケッチである。正直なところ、ひと月の間に耳にした話の中で、なにかもっと面白いことを読者に物語るつもりであったが、いざ仕事にかかってみると、どうもそうするわけにはゆかなかったり、あるいは、性質上不似合いであったり、あるいは「知ってることでもみなまでいうな」の戒めもあったりして、結局、いちばん主題の欠けた話ばかりが残ったわけである……

   3「個別化」

 さて、わたしは「見たこと、聞いたこと、読んだこと」について書いているわけである。けれど、いいあんばいに、「見たこと、聞いたこと、読んだこと」をなんでも[#「なんでも」に傍点]書くと約束して、自分を縛るようなことはしなかった。それに奇妙なことがだんだん多く耳に入ってくる。その奇妙なことがてんでんばらばらにやってきて、どうしてもひと束にまとまろうとしないのだから、どうにも伝えようがない! ほんとうにロシヤには、全社会こぞっての「個別化」時代が到来したように思われる。だれもかれもが別々になり、孤立して行く、一人一人のものがなにか独自な、新しい、未曾有のことを案出しようと欲している。あらゆる人が、以前、思想や感情において共通していたものを排斥して、自分の独自な思想や感情から始めようとしている。あらゆる人が最初から始めようと欲している。以前の羈絆は未練もなく切断して、めいめい自分勝手に行動し、それを唯一の慰めにしている。現在行動していないにせよ、今にしたいと思っている。かりに大多数の人はなにも始めていないし、いつになっても始めることがないとしても、とにかく絆《きずね》を切ってしまって、わきのほうにたたずみながら切れたところを眺め、手をこまぬいて、何かを待っている。ロシヤでは万人が何かを待っている。さればとて、なにごとにも精神上の協和がほとんどなく、すべてが分裂してしまった。そして、現に分裂しつつある。しかも、集団らしいものに分かれるのではなく、まったく個々の単位に分裂している。なによりいけないことには、時としていかにも軽々しく、満足げに行なわれているのだ。例えば、現代の新人の中から芸術家や文学者を取ってみるがよい。彼らは文壇に出ても、従来のことはてんから知ろうとしない。彼らはなにごとも自分本位であり、自己標準である。彼らは新しいことを宣伝して、いきなり新説と新人の理想を提出する。彼らはヨーロッパの文学も、自国の文学も知らない。彼らはなに一つ読まなかったのみか、また読もうとしないのだ。彼はプーシキンツルゲーネフのものを読まなかったばかりでなく、ベリンスキイやドブロリューボフなどという、自己の陣営に属する人のものさえほとんど読んでいない。彼らは新しい英雄と新しい女を描き出すが、その新味は、けじめの九歩を忘れて、一足飛びに第十歩目を踏み出すことである。それゆえ、たちまち想像もできないほどいかさまな状態に落ちこんで、自滅してしまい、読者の教訓にもなれば、誘惑にもなるのである。つまり、このいかさまな状態が教訓の全部なのである。こういったすべてのことには、新しいところがきわめて少なく、かえって手垢のついた古いことばかりである。しかし、それはたいしたことではない。著者が、「自分は新しいことをいったのだ、自分は独自になったのだ」と確信して、当然、大満足でいるところに問題がある。この例は古くて些細なことであるが、ついこの頃、ある新しい言葉に関する話を耳にした。さる「ニヒリスト」があった。彼はすべてを否定し、苦しんだあげく、長い間いろいろとやっさもっさをつづけて、暗いところにまでぶちこまれた後、がぜん、心中ふかく宗教感を体得した。その時、さっそく彼は何をしたと思うか? 彼はすぐさま「独自になり、孤立した」のである。わがキリスト教をすぐに要心深く迂回して、従来のものをいっさい排斥し、たちまち自分の信仰を案出した。それも同じくキリスト教ではあるが、そのかわり「自己独自の」信仰である。彼には妻子がある。妻とは同棲せず、子供は他人の手にあずけてある。彼はさきごろアメリカへ奔《はし》った。そこで新しい信仰を宣伝するためかもしれない。要するに、めいめいが自分本位で、自分勝手にやっているのである。だが、はたして彼らはただ独創ぶったり、気どったりしているのか? なかなかそうではない。今日は反省の時代ではなくて、むしろ直情の時代である。多くの人たちは、おそらくきわめて多くの人たちは、実際に悶え苦しんでいる。彼らは実際、きわめてまじめに従来の羂絆を切断し、最初から始めなければならぬはめになっている。彼らに光を与えるものが一人もないからである。学者や指導者は彼らに合槌を打つばかりである。中には、卑屈な恐怖のためにそれをやっている(あの男をアメリカへやってならないという法はない、アメリカへ奔るのはなんといっても、自由主義的ではないか、といった調子である)、またあるものは、てもなく彼らをだしに使って、ふところを肥やしている。こうして、清新な力は滅びていくのである。人はわたしにいうであろう、そんなことはわずか二、三の事実にとどまって、たいしたことではない、かえってすべてが以前よりも鞏固に共同し、結合していく。そして、銀行会社をはじめ、諸種の協会が現われるでは



”Je m'en vais entreprendre un long voyage. Si cela nereussit pas qu'on se rassemble pour feter ma resurrec-tion avec du Cliquot. Si cela reussit「 je prie qu'on neme laisse enterrer que tout a fait morte「 puisqu'il esttres desagreable de se reveiller dans un cercueuil sousterre. Ce n'est pas chique!”
 これを邦訳すると、
「長い旅に出ます。もしも自殺が成功しなかったら、みんな集まって、グリコの乾盃でわたしの蘇生を祝ってちょうだい。もしうまくいったら[#「もしうまくいったら」に傍点]、ただ一つお願いしておきますが、わたしが死んだことを、よく確かめて葬ってください。だって、地下の棺の中で目をさますのは不愉快千万ですもの。あんまりシックでなさすぎますわ[#「あんまりシックでなさすぎますわ」に傍点]!」
 このいまわしい無作法なシックという言葉の中に、わたしの考えでは、挑戦、憤慨、怨恨が響いているように思われる、――が、それは何に対してか? 粗野な性格の所有者のみが、物質的な皮相の外面的理由で自殺するものであるが、遺書の調子から見ると、彼女にそうした理由があり得たとは思えない。また憤慨があったにせよ、それは何に対してか?……現前せるものの単純さに対してか、人生の空虚に対してか? これも要するに、人間が地上に現われ出ずる「愚かしさ」や、この出現の無意味な偶然性や、妥協しがたい凡庸な原因の暴圧などに憤慨おくあたわざる人々、つまり、わかりすぎるほどわかりきっている例の人生の裁き手、人生否定者なのであろうか? そこには、父親のまで子供のときから感染されている生活現象の「直線性」に我慢できず、それに対して憤激している魂が感じられる。そして、何よりも醜態なのは、彼女がもちろんいささかの明確な疑惑をも持たずに死んだことである。彼女の心には、いわゆる人生問題に関する意識的な疑問がなかった、というのがいちばんほんとうらしい。また、幼い頃から教えられたことはなんでも言葉通り信じていたということ、これもたしかに間違いないらしい。してみると、空気がたりないとでもいったように、ただ生きているのが息苦しくなって、いわば動物的なえたいの知れぬ苦悩をいだいて「冷たい闇と退屈」のために死んだまでの話である。魂が無意識的に、直線性にたえきれなくなり、無意識的に何かもっと複雑なものを求めたのである……
 ひと月ばかり前、ペテルブルグのありとあらゆる新聞に、ペテルブルグで行なわれたある自殺事件が、ふさい活字で短く数行掲載された。裁縫女をしている若い貧しい娘が、「どうしても口すぎのための仕事が見つからなかったので」、四階の窓から飛び降りたのである。それにつけ加えて、飛び降りて地面に墜ちた時には、両手に聖像をいだいていた[#「両手に聖像をいだいていた」に傍点]としてあった。この両手にいだいた聖像というのは、今まで自殺には聞かれなかった奇妙な特徴である! これはなんとなくつつましやかな、おとなしい自殺である。ここにはおそらくなんの不平も怨みもなかったらしい、――ただ食えなくなって、「神様のお心に合わなくなった」ので、――お祈りして死んだのである・世の中には外見はいかにも単純に[#「単純に」に傍点]見えても、長いあいだ考えやめられず、妙に念頭に閃き、おまけに、それが自分自身の責任のようにさえ思われる事柄があるものである。このみずから滅ぼしたつつましい魂は、われともなく思いを悩ませる。ところで、この死はわたしの心に、この夏しらせてもらった亡命者の娘の自殺を思い起こさせた。しかし、なんとかけ離れた二人の人間、まるで二つの異なった遊星から来たもののようである! 死に方も、二人ながらなんという違いであろう! ところで、いったいこれらの二つの魂のうち、いずれが地上でより多く苦しみ、悩んだであろうか? ただし、こんな暢気な質問がたいして無作法ではなく、許され得るものとしたならば、である。

   4 宣告

 ここでついでに、退屈のために[#「退屈のために」に傍点]自殺したある男、もちろん、唯物論者のある考察をお目にかけよう。
「……まったくのところ、いったい自然はどういう権利があって、何かえたいの知れない永遠の法則のために、このおれを世の中へ生み出したのだろう? おれは意識あるものとして創られた、ゆえにこの世界を意識した[#「意識した」に傍点]。自然はいかなる権利をもって、人の承諾も得ないで、おれを意識あるものとして生み出したのか? 意識するものとは、とりもなおさず、悩むもののいいだ。が、おれは悩みたくない――なぜなら、悩むことに同意するはずがないからである。自然ほおれの意識を通して、なにかしら全体としての調和とやらをおれに告げ知らせる。人類の意識はこの告知からふんだんに宗教をこしらえた。自然はおれに告げて曰く、お前は自分で、『全体としての調和』に参与することなど、現在も未来もできないし、またそれが何を意味するか理解することもできっこないのを、よく承知はしている。が、それでもやはり、お前はこの告知にしたがって諦めをつけ、全体としての調和のために苦悩を受け入れ、生きることを承諾しなければならないのだ、と。しかし、意識して選択するとすれば、もちろん、おれはただ自分[#「自分」に傍点]が存在している間だけ幸福でありたいと思う。全体だの調和だのというものは、おれが無に帰してしまえば、その全体や調和がおれの死後この世に残ろうと、またはおれといっしょに亡びてしまおうと、われ関せず焉《えん》である。そもそもなんのために、おれは死んだ後までもその保存をさほど心配しなければ。ならないのか、――ひとつ伺いたいものだ? こんなことなら、いっそ理知的に自己を意識しないで、ただ生きているだけの動物として創られたほうがましなくらいだ。おれの意識にいたっては、それこそ調和どころか、反対に不調和なのだ。なぜなら、おれは意識あるがゆえに不幸だからである。見ろ、この世ではたしてだれが幸福なのか、どんな人間が生きることに賛成している[#「賛成している」に傍点]か? それはほかでもない、動物に似ている連中だ、意識が十分発達していないため動物のタイプに近い連中なのだ。この連中は喜んで生きることに賛成するが、それは要するに動物として生きること、すなわち、食い、飲み、眠り、巣をつくり、子供を生むことを条件としてである。人並みに食い、飲み、そして眠ることは、金儲けをし、掠奪をすることであり、巣を造るということは、主として掠奪して来ることである。あるいは人これに反駁して、いままでのように掠奪によらずとも、理知的な基礎と、科学的に正しい社会的精神に立って、身のおさまりをつけ、巣を営むことができる、とこういうかもしれない。よろしい、かりにそうだとして、ひとつおたずねするが、それはなんのためか? なんのために身のおさまりをつけるのか、また人間社会において、正当に、合理的に、道徳的に、正しく身のおさまりをつけるために、なぜそれはどの労を費やすのか? もはやこれに対してはもちろん、何|人《ぴと》もおれに答えられるものはあるまい。答えることができたとしても、それは『享楽を得んがために』というくらいが関の山だろう。もしおれが草花か牝牛ででもあったら、なるほど享楽も得たであろう。が、今のように、のべつ自分で自分に問題を出していたのでは、たとえ近きものに対する愛を感じ、人類からも愛されるという最高直接な[#「直接な」に傍点]幸福を享受しているにもせよ、おれは幸福であることはできぬ。なぜなら、明日にもそれらのすべてが無に帰してしまうことを、承知しているからである。おれも、この幸福ぜんたいも、愛も、人類も、――なにもかも空に帰し、もとの混沌に化してしまうのだ。このような条件では、おれはなんとあっても、いかなる幸福をも受け容れるわけにゆかない。受け容れることに賛成する気がないからでも、主義のための依怙地なんてもののせいでもなく、ただ明日にも零に帰するおそれがあるといったような条件では、幸福になり得ないし、未来も幸福ではないからである。これは感情である。直接にくる感情である、だから、おれは、それに打ちかつことができない。まあ、かりにおれが死んだとしても、せめて人類だけでもおれの代わりに永久に残ってくれたら、なんといっても気休めになったかもしれない。しかし、ご承知のとおり、わが遊星は永遠のものではなく、人類にも期限がある、――それは、おれの場合と同じく、ただの一瞬にすぎない。いかに理知的に、喜ばしく、正直に、聖者のごとく人類が地上に生活を築いても、――それが明日ことごとく同じ零に帰してしまうのだ。よしんばこれがなんのためか知らないが、ある全能にして永遠な、死せる自然律によって必要なものであるにもせよ、誓っていうが、この思想の中には、なにか人類に対する深甚な軽視が含まれていて、それがおれにひどく屈辱を感じさせ、そこにだれも責任者がいないだけに、いっそう我慢のならぬものになってくるのだ。
「そこで、とどのつまり、ついに人間がこの地上に理知的、科学的な基礎の上に生活を築くというお伽噺を、可能なものと仮定して、それを信じ、ついに来るべき人類の幸福を信ずるとしても、――人類をこの幸福へ達せしめる前に、数千年のあいだ責めさいなむことが、自然にとってはその蒙昧な法則上、必須であると考えただけでも、ただこれだけ考えたばかりでも、すでに憤慨おくあたわざるほどである。さて、そのうえにかてて加えて、ようやく人間に幸福を許したその同じ自然にとっては、人類がこの幸福のために払ったあらゆる苦難にもかかわらず、この幸福をすべて明日の日、無に帰してしまうことがなぜか必要なのである。しかも、何より重要な点は、自然は牝牛には隠しているのに、おれの意識にはこれをいささかも隠そうとしないことだ。こう考えてみると、知らずしらずひどく愉快な、しかし、やりきれないほど憂鬱な考えが頭に浮かんでくる。『もし人間というものが、こんな生物でも地上に住みおおせるものかどうかというずうずうしい試みのために、地上へ放たれたものだったらどうだろう?』こう考える悲哀のおもなところは、――ここでもやはり責任者というものがなく、だれもそんな試みをしたものもなければ、だれをも呪うべき人がなく、ただすべては、おれにとって不可解で、おれの意識とはどうしても一致できない死んだ自然律によって生じたことである。Ergo(かかるがゆえに)――
「幸福に関するおれの問題に対しては、おれ自身の意識を通して自然から、『お前には理解もされないし、また明らかに永久理解することのできない全体としての調和の中においてのみ、お前は幸福であり得る』という答えを与えられているがゆえに、――
「自然は、説明を要求する権利をおれに認めてくれないのみか、ぜんぜんおれに答えようともしない、――しかも、答えることを欲しないためではなく、答えることができないからでもあるがゆえに、――
「自然はおれの問いに答えるために、おれ自身[#「おれ自身」に傍点]をおれに任命し(無意識的に)、おれ自身の意識をもっておれに答えている(なぜなら、おれはこれらすべてを自分にいっているのだ)、かく確信したがゆえに、――
「最後に、かような状態では、おれは同時に原告と被告、犯人と裁判官の役を引き受けることになる、しかも、おれはこの喜劇を、自然の側からいえば、まったく愚劣なものと見なすし、おれの側からいえば、こんな喜劇を我慢することはむしろ屈辱である、かく考えるがゆえに、――
「それがゆえに、おれは原告と被告、裁判官と犯人の紛れなき権能を行使して、かくも無作法にずうずうしくおれを苦難のために生み出した自然を、おれとともに破滅すべしと宣告する……が、おれは自然を滅却することができないから、おれ一個を滅ぼす。ただし、それは単に、責任者のない暴虐を忍ぶ味気なさから、のがれるためにすぎないのだ。N・N」

    第2章
   1 近東問題の新段階

 近東問題は第二期に入った。第一期は終わったが、それは世にいうごとく、チェルニャーエフの敗北で幕になったのではない。そんなことをいえば、元帥スヴォーロフだって退却を余儀なくされたのだから、スイスで敗北したことになってしまう。しかし、われわれははたして、スヴォーロフが敗れたなどということに、同意できるだろうか? 余儀ない事情のもとに、ロシヤ国民をフランスへ引率したからとて、それは彼の罪ではない。われわれはスヴォーロフと、チェルニャーエフを比較するわけではないが、ただスヴォーロフですら退却しなければならぬような事情もある、ということを一言