京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

『ドストエーフスキイ全集6 罪と罰』(1969年、米川正夫による翻訳、筑摩書房)のP529-P544

エピローグ

      1

 シベリヤ。茫漠《ぼうばく》たる大河の岸に、ロシヤの行政中心の一つとなっている市街がある。町には要塞《ようさい》があり、要塞の中に監獄《かんごく》がある。監獄の中にはもう九か月というもの、第二級徒刑囚ロジオン・ラスコーリニコフ禁錮《きんこ》されていた。彼の犯行の日からほとんど一年半の歳月が流れた。
 彼の犯罪にかんする裁判は大した困難なしに終了した。犯人は事情を紛糾《ふんきゅう》させることもなく、自己を有利にするために事実をまげたり、状況をやわらげたりすることもなく、いかなる微細な点をも忘れず、きっぱりと正確明瞭に自分の供述を裏書きした。彼は殺人の全過程を一分一厘ももれなく詳述し、殺された老婆の手中に発見された質物[#「質物」に傍点](うすい鉄をはさんだ板切れ)の秘密を明瞭にした。それから、殺した老婆の手からかぎを取った模様をくわしく物語り、そのかぎの形まで説明し、長持そのものとその内容を説明した。それのみか、中にあった個々の品物さえ二、三点数えあげた。彼はまた、リザヴェータ殺害のなぞをも解いて聞かせ、コッホが来てドアをたたいたことや、そのあとから大学生がやって来て、ふたりがかわした話の内容まで物語った。それから犯人の彼が階段をかけおりて、ミコールカとミーチカのきゃっきゃっという叫び声を聞き、あき家に隠れていて、それから家へ帰った一部始終を述べ、最後に、ヴォズネセンスキイ通りのある邸内の門の下に、石材のあることを明示した。はたしてその下からは、盗品や金入れが発見された。ひと口にいえば、事件は明々白々となったのである。とりわけ予審判事や、裁判官たちは、彼が金や物品を使いもせず、石の下に隠していたことに驚いたが、しかしそれにもまして、彼が自分の盗んだしろ物の詳細を知らないのみならず、その点数さえ誤っていたことに、深く驚かされたのである。彼が一度も金入れを開かないで、その中に、いくら金がはいっているかさえも知らなかった事実は、ことにありうべからざることに思われた(金入れの中には、三百十七ルーブリの紙幣《さつ》と、二十コペイカ銀貨が三つはいっていた。長いあいだ石の下敷きになっていたために、上のほうにあった大きい紙幣《さつ》の二、三枚は、ひどくいたんでいた)。ほかのことは細大もらさず、すすんで正直に白状しているのに、なぜ被告はただこれ一つだけうそをつくのか? この点をつき止めるのに、人々は長いこと苦心した。けっきょく、ある人々は(とくに心理学者は)、彼がじっさい金入れの中をのぞかなかったこと、したがってその中に何かあったか知らないままに石の下へ隠してしまったということは、ありうべき場合だと承認したが、それと同時に、犯罪そのものも、ある一時的な精神|錯乱《さくらん》によるもので、それ以上なんらかの利得を目的とする打算のない、強盗殺人の病的な偏執狂から生じたので、それ以外の何ものでもない、という結論に達した。ちょうどそこへ、今日《こんにち》しばしば、ある種の犯人に適用しようとつとめている、一時的精神錯乱という最新流行の理論が加勢にはせ参じた。なおそのうえに、ラスコーリニコフの痼疾《こしつ》的なヒポコンデリイ症状が、医師のゾシーモフや、昔の学友や、下宿の主婦や、女中や、その他多くの証人によって、確実に証明された。こうしたすべての事情は、ラスコーリニコフがありふれた殺人犯や、強盗や、物とりなどとは、まったく似ても似つかぬもので、そこには何かもっと違ったものがある、と結論させるのにあずかって力があった。ただこの意見をとった人々が、このうえもなく遺憾《いかん》に思ったのは、犯人自身がほとんど自己弁護をしようとしなかったことである。いったい、何が彼を駆《か》って殺人におもむかしたか、また、何が彼を駆って略奪を行なわせたとかいう、いよいよ最後の質問を受けたとき、彼はきっぱりと明瞭に、思いきり乱暴なほど正確な語調で、いっさいの原因は彼の苦しい状態であり、赤貧であり、たよりない境遇であると答え、老婆を殺したら手に入るものとあてにしていた、少なくとも三千ルーブリの金を土台にして、出世の第一歩を確実にしようと望んだのであるといった。彼が殺人を決心したのは、自分の薄志狭量《はくしきょうりょう》に、かててくわえて、窮乏《きゅうぼう》と不遇《ふぐう》のためにいらだちやすくなった性格からきたのである。では、自首を決心した動機は何かという尋問にたいして、彼は心底からの悔悟《かいご》だと端的に答えた。これらはすべて、ほとんど乱暴といっていいくらい、むぞうさであった……
 とはいえ判決は、人々が犯行から推して期待していたよりは、はるかに寛大なものであった。これはまったく犯人が自己弁護をしようとしなかったばかりか、かえって自分のほうから、できるだけ罪を重くしようとする気持ちを示したからである。そして、この事件の有している奇怪な特殊な点が、ことごとく考慮に取り入れられた。犯罪遂行前の犯人の病的な、いたましい心の状態は、いささかも疑いをさしはさまれなかった。彼が盗品を利用しなかった事実は、一部は悔悟の念のきざしてきた影響と、一部は犯行当時の精神能力が十分健全でなかったためと判定された。思いがけなくリザヴェータを殺したことも、かえって、この想定を裏書きする実例として役たった。二度まで殺人を行なった人間が、しかもそれと同時に、ドアのあけ放しになっているのを忘れていたのである! また最後に、意気|銷沈《しょうちん》した狂信者二コライの虚偽《きょぎ》の自白があったために、事件がなみなみならず紛糾《ふんきゅう》していたうえ、真犯人にたいして明白な証拠《しょうこ》どころか、ほとんど嫌疑《けんぎ》さえかけられていなかったにもかかわらず(ポルフィーリイは完全に約束を守ったので)、そうしたときに自首して出たということ、これらすべてが、いよいよ被告の運命を緩和する助けになったのである。
 なおそのほかに、まったく思いがけなく、被告にとって非常に有利な事情が、もう一つ現われたのである。もとの大学生ラズーミヒンが、どこから掘り出したのか、被告ラスコーリニコフが大学在校当時に、なけなしの財布の底をはたいて、貧しい肺病患者の一学友を補助し、ほとんど半年間もめんどうを見てやったという情報をもたらして、有力な証拠を提供したのである。彼はその学友が死んでしまうと、あとにとり残された老衰している亡友の父を世話してやった(この学友はまだ十三になるやならずのときから、自分の働きで父親を養っていたのである)。そして、ついにはこの老人を病院へ入れ、これも同じく死んでしまった時、葬《とむら》いまでしてやったとのことである。すべてこれらの事情は、ラスコーリニコフの運命の決定に、かなりよい影響をあたえたのである。前の下宿の主婦でなくなったラスコーリニコフの許嫁《いいなずけ》の母にあたる、寡婦《やもめ》のザルニーツイナも、彼らがまだピヤーチ・ウグロフ(五つつじ)の家に住まっていた当時、ラスコーリニコフが、ある夜中の出火にさいして、もう火のまわった一軒の住まいから、ふたりの幼い子供を救い出し、そのために火傷《やけど》までしたことを証言した。この事実は綿密に取り調べられ、多くの証人によって、かなり十分に証明された。けっきょく、ひと口にいえば、犯人がいさぎよく自首したことと、その他二、三の酌量《しゃくりょう》すべき情状を尊重して、第二級|懲役《ちょうえき》を宣せられ、刑期もわずかに八年ときまったのである。
 まだ裁判の初めごろから、ラスコーリニコフの母は病気になった。で、ドゥーニャとラズーミヒンは、この裁判の間じゅう、彼女をペテルブルグから連れ出すことにした。ラズーミヒンは裁判の模様を細大もらさず正確に知ると同時に、できるだけ多くアヴドーチヤ・ロマーノヴナと会えるように、ペテルブルグからほど遠からぬ鉄道沿線の一市街を選んだ。プリヘーリヤの病気は一種奇妙な神経病で、しかも、ぜんぜんとはいえないまでも、多少は精神|錯乱《さくらん》の徴候をともなっていた。ドゥーニャが兄と最後の面会から帰ってみると、もう母親はすっかり病人になっており、熱に浮かされながら、うわ言をいっていた。その日の晩に、彼女はラズーミヒンと相談して、母から兄のことを聞かれた場合、なんと答えたらよいか申し合わせをして、ラスコーリニコフは、将来、金と名声をもたらすべきある非公式の依頼を受けて、どこか遠い国境地方へ出発したという、一条の物語さえ母のために考え出したくらいである。けれども、ふたりの驚いたことには、プリヘーリヤはこの点について、当時ばかりかそのあとになっても、何ひとつ尋ねようとしなかった。それどころか、彼女自身もむすこの急な出発について、一つの物語を作りあげているのであった。彼女は涙ながらに、ロージャが彼女のところへ、いとまごいに来た時の模様を話した。それから彼女ひとりだけが、きわめて重大な秘密の事情を知っているということや、ロージャには非常に有力な敵がたくさんあるので、一時身を隠さなければならないのだということなどを、それとなしにほのめかすのであった。彼の将来の身のおさまりというだんになると、二、三のおもしろからぬ事情さえすんでしまえば、疑いもなく、はなばなしいものになるに相違ないと、彼女は思いこんでいるのであった。彼女は、ラズーミヒンをつかまえて、むすこはやがてそのうちに国家的な人物になるだろう、それは彼の論文と、はなばなしい文学的才能が、ちゃんと証拠だてているといいはった。この論文を彼女はのべつひっきりなしに読んだ。ときには音読までするくらいで、それこそ抱いて寝ないばかりだった。が、それでも、現在ロージャはどこにいるかというだんになると、みなが話を避けているのが見えすいていて、それだけでも、疑いを呼びおこすのに十分だったが、にもかかわらず、彼女はこのことを聞こうとしなかった。で、とうとう彼らは、二、三の点に関するプリヘーリヤの奇怪な沈黙を、心配するようになった。たとえば、以前田舎の町にいたときには、かわいいロージャの手紙が少しも早く来るようにと、その希望と期待だけで生きていたのに、今は彼から手紙の来ないことを少しも哀訴しなくなってしまった。このことは、あまりといえばあまりに説明のできないことなので、ひどくドゥーニャを不安にした。彼女の頭にはこういう考えが浮かんだ――ことによったら、母はむすこの運命に何かしら恐ろしいことを予感していて、このうえ、もっと恐ろしいことを知らされはしないかと、いろいろくわしく尋ねるのを恐れているのではあるまいか。いずれにせよ、ドゥーニャは母がほんとうに健全な状態でないのを、明瞭に見てとったのである。
 もっとも、二度ばかり母親のほうから、今ロージャがどこにいるかを答えずにいられないようなぐあいに、話をもっていったことがある。その返事が、いやでもおうでも、あいまいな、うさんくさいものになってしまったとき、彼女は急におそろしく悲しげに気むずかしく、黙りこんでしまい、それがいつまでもつづいた。で、とうとうドゥーニャはうそをついたり、細工をしたりするのがむずかしいのをさとって、二、三の点にかんしては、まったく沈黙を守ったほうがよいという、最後の結論に到着した。しかし、哀れな母親が何か恐ろしいことを疑っているのは、だんだん明瞭すぎるほど明瞭になってきた。それやこれやの間に、ドゥーニャは最後の運命的な日の前夜、スヴィドリガイロフとあの恐ろしい一場を演じた後、彼女が夜中にうわ言をいったのに母が耳をすましたそうだから、ことによったら、そのとき何か聞きわけたかもしれない、といった兄の言葉を思い出した。しばしば――ときによると幾日も幾週間も、気むずかしい陰鬱《いんうつ》な沈黙と無言の涙がつづいたあとで、病人はなんとなくヒステリックに元気づき、とつぜん声に出して、むすこのことや、自分の希望や将来のことなどを、ほとんどやみ間なしにしゃべりだすことがあった……彼女の想像は、ときとすると、きわめて奇怪なものだった。ふたりは彼女を慰めて、一生けんめいに相づちをうった。彼女自身もおそらくは、ふたりがただ気やすめに、相づちをうっているにすぎないのを、はっきり知っていたかもしれないが、彼女はそれでもやっぱり話しつづけた……
 犯人の自首から五か月たって、判決がくだった。ラズーミヒンはできうるかぎり、牢内で彼と面会した。ソーニャも同様だった。ついに別離の時がきた。ドゥーニャは兄に向かって、この別離は永久のものでないと誓った。ラズーミヒンも同様である。ラズーミヒンの若々しく熱しやすい頭には、この三、四年のあいだに、できるかぎり、せめて将来の地位の基礎だけでも作り、いくらかなり、たくわえをしたうえ、あらゆる点において土地が豊かで、働き手と資本の少ないシベリヤへ移住しようという計画が、堅く根をはっていた。そこで、ロージャのいる町に居を定め、そして……みんないっしょに、新しい生活をはじめようというのである。別れぎわには、だれもかれも泣いた。ラスコーリニコフは最後の三、四日間、非常に考えこんでしまって、いろいろ母親のことを根ほり葉ほり尋ね、たえず彼女のうえを心配していた。あまり心配ばかりするのでドゥーニャが不安を感じはじめたほどであった。母の病的な気分について、くわしい顚末《てんまつ》を聞いてから、彼はいっそう憂鬱《ゆううつ》になった。ソーニャとはなぜかずうっと、とくに口数が少なかった。ソーニャはスヴィドリガイロフが残してくれた金で、もうとっくに、すっかり支度をすまし、やがて彼のまじって行く囚人隊について、出かけて行く心がまえをしていた。このことは、彼女もラスコーリニコフも、まだ互いに一度も話しあったことがなかったけれど、そうなるにちがいないのは、ふたりとも承知していた。いよいよ最後の別れのとき、妹とラズーミヒンが、出獄後の幸福な未来を熱心に誓ったとき、彼は奇怪な微笑をもらしながら、母の病的な状態が近く不幸におわるだろうと予言した。彼とソーニャはついに出発した。
 二か月後に、ドゥーネチカはラズーミヒンと結婚した。結婚式はわびしい、しんみりしたものだった。もっとも、招待された人々の中には、ポルフィーリイとゾシーモフがまじっていた。最近ずっとラズーミヒンは、堅く決意したらしい様子をしていた。ドゥーニャは、彼がいっさいの意図を実現するに相違ないと盲目的に信じきっていた。また信じないではいられなかった。この男には鉄のごとき意志がみえていたからである。さまざまなことのある問にも、彼は大学を完全に卒業するため、また講義をききに通学を始めた。ふたりは絶えず未来の計画を立てていた。五年後にはかならずシベリヤへ移住しようと、ふたりながら堅く決心していた。それまでは向こうにいるソーニャに望みをかけていたのである……
 プリヘーリヤは喜んで娘を祝福し、ラズーミヒンとの結婚を許した。しかしこの結婚後は、なんだかいっそう沈みこんでしまい、よけい心配そうな様子になった。ラズーミヒンはちょっとのまでも母を喜ばせようと、ラスコーリニコフの学友と老衰したその父親にかんする一件だの、去年ロージャがふたりの幼児の命を救って、身に火傷《やけど》を負ったばかりか、病気にまでなった事実を話して聞かせた。この二つの報告は、それでなくとも頭の調子の狂っているプリヘーリヤを、歓喜のあまり、ほとんどうちょうてんにしてしまった。彼女はのべつこの話ばかりして、町へ出てまで人をつかまえて、その話を始めるのであった(もっとも、いつもドゥーニャがそばについてはいたけれど)。乗合馬車の中でも店屋でも、だれでもかまわず聞き手をつかまえて、自分のむすこのこと、その論文のこと、学友を援助したこと、火事で負傷をしたことなどに、話を向けるのであった。ドゥーネチカは、どうして母を止めたらいいかと、とほうにくれるほどであった。こうして、病的に興奮した気分そのものの危険もさることながら、そのうえにまだだれかが、いつか裁判事件で有名になったラスコーリニコフの姓を思い出して、それをいいださぬともかぎらないので、そのほうの心配があったのである。プリヘーリヤは、火の中から救い出された幼児の母親の住所までも聞き出して、ぜひとも彼女をたずねたいといいだした。そのうちに、とうとう彼女の不安は極度にはげしくなった。彼女はどうかすると、ふいに泣きだしたり、しょっちゅう病みついては、熱に浮かされてうわ言をいったりした。ある朝、彼女はいきなり真正面から、自分の勘定によると、ロージャはもうまもなく帰って来るはずだ、あの子はわたしと別れて行くときに、九か月たったら帰るものと思ってくれと、自分でいったのを覚えている、とこう明言した。それからしじゅう、うちの中をかたづけて、わが子を迎える準備をはじめ、ロージャのものと決めた部屋(つまり自分自身の居間)の飾りにとりかかり、家具を清めたり、窓掛けを洗ったり、掛けかえたりするのであった。ドゥーニャは心をいためたが、なんにもいわないで、自分でも兄を迎えるために、部屋のかたづけを手つだった。たえまのない空想と、よろこばしい夢と、涙の中に不安な一日を送ったあとで、彼女はその夜発病したが、翌朝はもう熱が高くなり、うわ言ばかりいうようになっていた。熱病が始まったのである。こうして、二週間後に彼女は死んでしまった。うわ言の間に彼女の口からもれた言葉によると、彼女ははたで想像していたよりもずっと深く、わが子の恐ろしい運命について、疑念をいだいていたものと断定することができた。
 ラスコーリニコフは長いあいだ、母の死を知らなかった――もっとも、彼がシベリヤに落ちついたその時から、ペテルブルグとの通信は規則的に行なわれていた。通信はソーニャを通してつづけられていたのである。彼女は毎月きちょうめんに、ラズーミヒンヘあててペテルブルグへ手紙を送り、そして毎月きちょうめんにペテルブルグから返事を受けとった。ソーニャの手紙は初めのうち、ドゥーニャやラズーミヒンの目から見て、なんとなくそっけなく、ものたらぬように感じられたが、後になって彼らはふたりとも、それ以上うまく書くのが不可能だとさとった。なぜなら、彼らはけっきょく、それらの手紙のおかげで、不幸な兄の運命について、このうえなく充実した、正確な観念を持つことができたからである。ソーニャの手紙は、きわめて平凡な日常|茶飯事《さはんじ》と、ラスコーリニコフの獄中生活の環境にかんする、いたって平凡明瞭な叙述にみたされていた。そこには彼女自身の希望の表明も、未来にたいする想像も、自分自身の感情の発露《はつろ》もなかった。彼の精神状態とか、ぜんたいにその内面生活とか、そういうものを説明するかわりに、単なる事実の報告があるばかりだった。つまり、彼のいった言葉だとか、彼の健康状態にかんする詳細な報告だとか、いついつの面会のときに、彼がどういうものを望んだとか、彼女に何を頼んだとか、どういうことを委任したとか、そういったふうのことである。しかも、これらの報告はすべて精密をきわめているので、けっきょく、不幸な兄のおもかげが、しぜんと浮きぼりになってき、正確明瞭に描き出された。そこにはまちがないなどのあろうはずがない。なぜなら、すべてが正確な事実だったからである。
 しかし、ドゥーニャとその夫はこれらの報告から、ことに最初の間は、あまり多くの喜びをくみとれなかった。ソーニャはたえず、彼がいつも気むずかしく、言葉数の少ないことを報じてきた。ペテルブルグから手紙を受けるたびに、ソーニャがいろいろの報知をつたえてやっても、彼は少しも興味を持たないとのことであった。ときどき母親のことを尋ねていたけれど、もうほぼ真相を察しているだろうと思って、ソーニャがついに母の死を告げたとき、驚いたことには、彼は母親の訃報《ふほう》にさえ大して動かされた様子はなかった。少なくとも、外面から判断すると、そう思われたとのことである。とりわけソーニャの報知によると、彼は見たところ深く自分自身に沈潜《ちんせん》して、まるでいっさいのものから自己を遮閉《しゃへい》しているように見えるが、それにもかかわらず――自分の新しい生活にたいしては、きわめて率直自然な態度をとっていた。彼は自分の境遇をはっきり了解して、近い将来に何ひとつよい変化を期待もせず、いっさい軽率な希望をいだこうともしないで(これは彼の境遇として当然なことではあるが)、以前とは似ても似つかぬ新しい環境にとり巻かれたまま、ほとんど何事にも驚く様子がないのであった。またソーニャは、彼の健康は少しも気づかいのないむねを報じた。彼は黙々と労役《ろうえき》に出かけて行って、べつだん、それを避ける様子もないけれど、さりとて、すすんでしたがる様子もない。食物にたいしてほとんど無関心であるが、この食物というのが、日曜祭日以外は、いかにもひどいものなので、とうとう彼もすすんで女――ソーニャからいくらかの金をうけとり、毎日きまって茶を飲むことにしたほどである。しかし、それ以外のことでは、あまり自分のためにそういろいろ心配してもらうと、いらいらするばかりだから、いっさいかまわないでほしいと、かたくソーニャにことわった。それからなお、彼女の報知によると、獄内における彼の監房《かんぼう》は、みんなと共同だとのことであった。彼女は獄舎の内部を見たことはないが、そこは狭くてきたなくて、健康に悪いと断言している。彼は毛布を敷いて寝板の上に眠るのだが、それ以外にはどういう設備も望んでいない。けれど、彼がこんなにそまつな、貧しい生活にあまんじているのは、けっしてあらかじめ考えた計画や意図によるのではなく、ただただ自分の運命にたいする外面的な無関心と、不注意からきているにすぎない。ソーニャはまた、次のようなことを知らせてきた。彼はことに初めのあいだ、彼女の訪問を喜ばないのみか、かえって、彼女にいまいましそうな顔を見せ、口もろくろくきかず、ほとんど無作法なくらいの態度をとっていたが、しまいには、この面会が彼にとって習慣、というより、ほとんど要求になってきて、このごろでは、もし彼女が病気でもして二、三日たずねることができないようなときには、非常に寂しがるようにたったと、あからさまに報じている。ふたりの面会は日曜祭日に、監獄の門ぎわか衛舎《えいしゃ》内かで行なわれる。彼はそこへ四、五分間だけ呼び出されて来るのであった。平日は労役へ出るので、彼女はそちらへ出向いて行き、ときには作業場、ときには煉瓦《れんが》工場、ときにはイルトゥイシュ河畔《かはん》の小屋で会った。自身のことについては、ソーニャは町で、何人か知り合いや後援者ができて、仕立物などさしてもらっているが、町にはほとんど気のきいた婦人服屋がいないので、ほうぼうの家でなくてかなわぬ人間になった、というようなことを報じた。ただ彼女のおかげで、ラスコーリニコフが長官の保護をうけ、労役なども軽減されている、などというようなことだけは筆にしなかった。やがて最後に(もっとも、ドゥーニャは彼女からうけとった最近の二、三通に、何か一種特別な動揺と不安さえ認めていたが)、彼がいっさい人を避けるようにするので、獄内でも囚人たちが彼をきらうようになったし、彼自身も幾日も幾日も黙りこんでいるので、非常に顔色が悪くなっていく、という報告がとどいた。そのうちにとつぜん、ソーニャは最後の一通で、彼が非常な重患《じゅうかん》にかかり、監獄病院にはいっていると知らせてよこした。

      2

 彼はもう久しくわずらっていた。しかし、彼の力をくじいたものは牢獄生活の恐怖《きょうふ》でも、労役でも、食物でも、そり落とされた頭でも、つぎはぎだらけの着物でもなかった――ああ! 彼にとってこれしきの苦痛や呵責《かしゃく》がなんであろう! それどころか、彼はむしろ労役を喜んでいるくらいだった。労働で肉体的に苦しんだとき、彼は少なくとも安眠の数時間を獲得できるのであった。また彼にとって食物――たとえば、あの油虫のはいった実《み》のない汁がなんだろう! 学生時代の以前の生活では、それすら手にはいらないことがたびたびあった。着物は暖かくて、彼の生活様式に適当していた。足かせなど彼はまるで感じないくらいだった。そり落とした頭や、印《しるし》のついた上着などを、彼として恥ずかしがる筋がどこにあろう? また、だれにたいして? ソーニャにたいしてか? ソーニャは彼を恐れているのに、その彼女にたいして恥じるわけがないではないか!
 では、なんだろう? 彼はソーニャにたいしてさえも身を恥じて、そのために侮蔑《ぶべつ》にみちた粗暴な態度で彼女を苦しめたのである。しかし、彼が恥じたのは、そり落とした頭でも、足かせでもなかった。彼の自負心が極度に傷つけられたせいである。彼が病気になったのも、この傷つけられた自負心のためであった。ああ、もし彼がみずから罰することができたら、どんなに幸福だったろう! そうしたら、彼は恥でも屈辱《くつじょく》でも、いっさいのものを堪え忍んだはずである。ところが、彼は峻厳《しゅんげん》に自己をさばいてみたけれど、たけり狂った彼の良心は、だれにでもありがちの単なる失敗[#「失敗」に傍点]をのぞいては、自分の過去にかくべつ恐るべき罪を見いださなかった。彼が恥じたのはほかでもない、彼ラスコーリニコフが盲目な運命の判決によって、かくまで盲目、愚劣に、むざむざとなんの希望もなく身をほろぼし、もし多少とも心を落ちつけたいと思えば、えたいの知れぬ判決の『無意味さ』と妥協《だきょう》し、その前に、屈服せねばならぬということなのである。
 現在においては、対象もなければ目的もない不安、未来においては、何ものをもあたえない不断の犠牲《ぎせい》――これがこの世で彼を待っているいっさいである。八年たっても彼はまだやっと三十二で、また生活を新規まき直しにすることができるといったって、それになんの意味があろう? なんのために生きて行くのだ! 何を目標におくのだ? 何に向かって突進するのだ? 存在せんがために生きて行くのか? しかし、彼はもう以前から百ぺんも千べんも、思想のため希望のために、いやそれどころか、空想のためにすら、自己の存在を投げ出す覚悟をしていたではないか。単なる存在そのものは、彼にとって常に多くの意義を持たなかった。彼はつねづね、より多くのものを欲していた。おそらく彼は単に自分の欲求の力のみで、あの当時、他人にくらべて、より多くのものを許された人間と、みずから思いこんでいたのかもしれない。
 もし運命が彼に悔恨《かいこん》を送ったら! 心の臓を打ちくだき、眠りを奪う焼けつくような悔恨、その恐ろしい苦痛に堪えかねて、縊死《いし》や入水《じゅすい》さえ心に描かずにはいられないような悔恨を、もし運命が送ったら! おお、彼はそれをいかぽかり喜んだかしれない! 苦痛と涙も、要するにやはり生活ではないか。けれど、彼は自分の犯罪を悔いなかったのである。
 すくなくとも、われとわが愚劣さに憤懣《ふんまん》を感じることができたら、どんなにらくだったろう。以前、彼は自分を囚《とら》われの人とした、おのれの醜悪、愚劣をきわめた行為に、憤懣を感じたものであるが、しかし今は、もう牢獄の中にありながら自由になって[#「自由になって」に傍点]しまった彼は、自分の過去の行為を、もう一度残りなく吟味し、熟考してみたのであるが、かつて運命的な瞬間に感じられたほど、それほど醜悪《しゅうあく》、愚劣なものとは、なんとしても考えられなかった。
『どういうわけで』と彼は考えた。『いったい、どういうわけでおれの思想は、開闢《かいびゃく》以来この世にうようよして、互いにぶっつかりあっているほかの思想や理論にくらべて、より愚劣だったというのだ? 完全に独立|不羈《ふき》な、日常茶飯事の影響から離脱した、広汎《こうはん》な見かたで事態を観察しさえすれば、そのときはもちろん、おれの思想も、けっしてそれほど……奇怪でなくなってくるのだ。おお、五コペイカ銀貨ほどの値うちしかない否定者や賢人たち、なぜ、きみらは中途半端なところで立ちどまるのだ!』
『いったいどういうわけで彼らの目には、おれの行為がそれほど醜く思われるのだろうか?』と彼はひとりごちた。『それが悪事だからというのか? しかし、悪事とは何を意味するのだろう? おれの良心は穏やかなものだ。もちろん、刑法上の犯罪は行なった。もちろん、法の条項が犯されて、血が流されたにちがいない。では、法律の条項に照らして、おれの頭をはねるがいい……それでたくさんなのだ! もちろんそうとすれば、権力を継承したのではなく、みずからそれを掌握《しょうあく》した多くの人類の恩恵者は、おのおのその第一歩からして、罰せられなければならなかったはずだ。しかし、それらの人々は自己の歩みを持ちこたえたがゆえに、したがって、彼らは正しい[#「彼らは正しい」に傍点]のだ。ところが、おれは持ちこたえられなかった。したがって、おれはこの第一歩をおのれに許す権利がなかったのだ』
 つまりこの一点だけに、彼は自分の犯罪を認めた。持ちこたえられないで自首したという、ただその点だけなのである。
 彼はまた、こういう思念にも苦しめられた――なぜ自分はあのとき自殺しなかったのか? なぜあのとき河のほとりに立ちながら、自首のほうを選んだのか? いったい、この生きんとする願望の中には、これほどの力がこもっていて、それを征服こる[#「征服こる」はママ]のが、そんなに困難だったのであろうか?
 あの死を恐れていたスヴィドリガイロフでさえ、それを征服したではないか? 彼は悩ましい思いをいだきながら、しじゅうこの問いを自分自身に発したが、もうあのとき河のほとりに立ちながら、自分自身の中にも、自分の確信の中にも、深い虚偽《きょぎ》を予感していたかもしれないのを、彼は了解することができなかった。またこの予感が、彼の生涯における未来の転機、未来の復活、未来の新しい人生観の先駆だったかもしれないのを、彼はさとることができなかったのである。
 彼はむしろそこに、ただ本能の鈍い重圧のみを許容《きょよう》しようとした。彼はそれを引きちぎることもできなければ、またそれを踏み越えて行こうという力も、やはりなかったのである(つまり無力で、いくじがないためである)。彼は獄中の仲間を見て、彼らがだれもかれも人なみに人生を愛し、かつ尊重しているのに驚いた! まったく彼の感じたところによると、彼らは獄中にいる時のほうが、自由な時よりも、はるかに人生を愛し、尊重しているのであった。彼らの中のあるもの、たとえば浮浪漢《ふろうかん》などは、どんな恐ろしい苦痛や拷問《ごうもん》を経験したかわからない。それにもかかわらず、たった一筋の太陽の光線や、鬱蒼《うっそう》たる森林や、どこともしれぬ森の奥に、たまたま見つけた冷たい泉などが、どうして彼らにあれほどの意味をもちうるのだろう? たとえば、その泉を見つけたのはもう一昨年のことなのだが、浮浪漢はそれにふたたびめぐりあうのを、まるで恋人とあいびきでもするように空想して、夢にまでその泉や、それをとり巻く緑の草や、木叢《こむら》にうたう小鳥などを見るほどである。じっと周囲の現象に見いれば見いるほど、彼はますますこうした説明のできぬ実例を無数に発見するのであった。
 彼は牢獄内や、自分をとり巻いている周囲の中に、もちろん、多くのものを認めなかったし、また、頭から認めようともしなかった。彼は、いわば目を伏せたようなふうに生活していた。彼としては見るのがいまわしく、たえがたいのであった。しかし、だんだんそのうちに、いろいろなことが彼を驚かすようになった。彼はいつともなく、以前ゆめにも考えてみなかったことに、気がつくようになった。概して何より彼か驚かしはじめたのは、彼自身とそれらすべての人々の間に横たわっている、かの恐ろしい越えがたい深淵であった。彼と彼らはまるで違った人種のようだった。彼と彼らは互いに不信と、敵意の目で見あっていた。彼はこうした対立の一般的な原因を知ってもいたし、またさとってもいた。しかし、以前はかつて一度も、この原因がじっさい、これほど根深く力強いものとは、仮想さえもしたことがなかった。獄内にはやはり流刑の国事犯であるポーランド人もいた。彼らはこうした人々のぜんたいを、単に無教育な奴隷《どれい》扱いにして、頭から軽蔑していた。けれど、ラスコーリニコフはそんな見かたができなかった。彼はこれらの無教育者が多くの点から見て、むしろ当のポーランド人たちよりもはるかに賢明なのを、明らかに見てとったのである。そこにはまた同様に、これらの人々を軽蔑しきっているロシヤ人もいた。それはひとりの将校あがりと、ふたりの神学生であった。ラスコーリニコフは彼らの誤謬《ごびゅう》をも、明瞭に認めたのである。
 彼自身はどうかというと、一同は彼をきらって、避けるようにしていた。のみならず、ついには憎むようにさえなった――なぜだろう? 彼はそれを知らなかった。一同は彼を軽蔑し、彼を嘲笑《ちょうしょう》した。彼よりもずっと罪の重い犯人が、彼の犯罪を嘲笑するのであった。
「お前はだんな衆じゃないか!」と彼らはいった。「お前はおのなんか持って歩くがらかね。そんなのはだんな衆のするこっちゃねえよ」
 大斎期《だいさいき》の二週間目に、彼は同房の一同とともに精進《しょうじん》する番になった。彼は教会へ行って、ほかのものといっしょに祈った。あるとき何が原因だったか、彼自身にもわからなかったが――けんかがもちあがった。一同はものすごい勢いで、一度に彼に いかかった[#「彼に いかかった」はママ]。
「この不信心者め! てめえは神さまを信じねえんだ!」と彼らは叫んだ。「てめえなんかぶち殺してやらなきゃならねえ野郎だ!」
 彼は一度も神や信仰の話をしたことがなかったが、彼らは無神者として彼を殺そうとしたのである。彼は沈黙を守って、言葉を返そうとしなかった。ひとりの囚人はもうすっかり夢中になってしまい、彼に飛びかかろうとした。ラスコーリニコフは落ちつきはらって、無言のまま待ちうけていた。彼は眉ひとつ動かしもせず、顔面筋肉一本のふるえも見せなかった。おりよく看守が彼と乱暴者の間へ飛び込んだが、さもなかったら、血を流さねばやまないところだった。
 彼にとってはまだ一つ、解決しがたい問題があった。ほかでもない、なぜ彼らがひとりのこらずソーニャを愛するようになったか、ということである。彼女はべつに彼らのきげんをとるでもなかったし、また彼らもたまにしか彼女を見なかった。彼女はただ、ときおり一同の仕事場へ、彼に会うために、ほんのちょっとやって来るばかりであった。にもかかわらず、一同は彼女を知っていた。彼女が彼のあとを追って[#「彼のあとを追って」に傍点]来たことも、彼女がどこでどう暮らしているかということも、ちゃんと知っていた。ソーニャは彼らに金を恵んだこともなければ、かくべつこれという世話をやいてやったこともなかった。ただ一度クリスマスのとき、獄内の囚人全部にピローグ(揚げまんじゅう)と丸パンを贈っただけである。けれど、彼らとソーニャの間には、しだいに一種の近しい関係が結ばれていった。彼女は彼らのために、身内の者へ送る手紙を書いてやったり、それを郵便で出してやったりした。この町へやって来た彼らの親戚は、彼ら自身の指定にしたがって、彼らに贈る品物ばかりか金までも、ソーニャの手に残して行った。彼らの妻や情婦たちも彼女を知って、彼女のところへやって来た。彼女がラスコーリニコフをたずねて仕事場へ姿を現わしたときとか、労役に行く囚徒の一隊と道で出会ったときなどは――みんな帽子をぬいで、彼女におじぎをした。「ああ、ソフィヤ・セミョーノヴナ、お前はおれたちのおふくろがわりだよ。やさしい思いやりの深いおふくろだよ!」これらの荒くれた極印《ごくいん》つきの懲役人たちが、このちっぽけな、やせこけた女に向かって、こんなふうに声をかけるのであった。彼女はにっこり笑いながら会釈《えしゃく》をかえした。彼らはみんな彼女の笑顔が好きだった。その歩きぶりまでが好きだった。だれもかれもが、彼女の歩いて行く姿を見送るために、わざわざふりかえって彼女をほめそやした。彼女があんなふうに小がらなことをまでほめそやして、しまいには、何をほめたらいいかわからないくらいだった。中には彼女のところへ、病気をなおしてもらいに行くものさえあった。
 彼は大斎期の終わりと復活祭の一週間全部を、ずっと病院に寝て過ごした。もうそろそろ回復期に向かったころ、彼はまだ熱に浮かされて、うわ言ばかりいっていた時分の夢をふと思いおこした。彼は病気の間にこんな夢を見たのである。アジアの奥地からヨーロッパヘ向けて進む一種の恐ろしい、かつて聞いたことも見たこともないような伝染病のために、全世界が犠牲にささげられねばならぬこととなった。いくたりかの、きわめて少数な選ばれたる人々をのぞいて、人類はことごとく滅びなければならなかった。それは人間の肉体に食い入る一種の新しい微生物、繊毛虫《せんもうちゅう》が現われたのである。ところが、この生物は、理性と意志を賦与《ふよ》された精霊だった。で、それにとりつかれた人々は、たちまちつきものがしたようになり、発狂するのであった。しかし、人間は今まであとにもさきにも、これらの伝染病患者ほど自分を賢い、不動の真理を把握したもののように考えたことは、かつてないのであった。彼らほど自分の判決や、学術上の結論や、道徳上の確信や信仰などを、動かすべからざる真理と考えたものは、またとためしがないほどである。人々は村をあげ、町をあげ、国民全部がこぞって、それに感染し、発狂していくのであった。だれもかれも不安な心もちにとざされて、互いに理解しあうということもなく、めいめい自分ひとりにだけ真理が含まれているように考え、他人を見ては煩悶《はんもん》し、われとわが胸をたたいたり、手をもみしだいたりしながら泣くのであった。だれをどうさばいていいかもわからなければ、何を悪とし、何を善とすべきかの問題についても意見の一致というものがなかった。まただれを有罪とし、だれを無罪とすべきかも知らなかった。人々はなにかしら意味もない憎悪《ぞうお》にとらわれて、互いに殺しあった。互いをほろぼし合うために大軍をなして集まったが、軍隊はもう行軍の途中で、とつぜん自己|殺戮《さつりく》をはじめた。列伍は乱れ、兵士は互いにおどりかかって突き合ったり、切り合ったり、かみ合ったり、食い合ったりした。村々ではついに警鐘を鳴らして、人を呼び集めたが、だれがなんのために呼んでいるのか、それを知るものはひとりもなかった。一同はただ不安につつまれていた。ありふれた日常の仕事は放擲《ほうてき》されてしまった。てんでに思い思いの意見や善後策をもちだすけれど、一致を見ることができないからであった。農業も中止された。人々はここにひとかたまり、あちらにひとかたまりとかけ集まって、何かの決議をしたうえ、決してわかれまいと誓った――けれどたちまちのうちに、たったいま自分たちで予定したのとはまるで反対なことをやりだして、互いに相手を責めながら、つかみ合い切り合いを始めるのであった。火災が起こり、飢饉《ききん》が始まった。何もかも、ありとあらゆるものが滅びていった。疫病はしだいにはげしさを増し、ますます蔓延《まんえん》していった。世界じゅうでこの厄をのがれたのはようやく四、五人にすぎなかった。それは新しい種族と新しい生活を創造し、地上を更新し、浄化すべき使命をおびた、選ばれたる純な人々であった。しかし、だれひとりとして、どこにもそれらの人を見たものもなければ、彼らの言葉や声を聞いたものもなかった。
 この無意味なうわ言が、彼の記憶にかくもうら寂しく、かくも悩ましく反響をつづけ、この熱に浮かされた夢の印象が、かくも長く消えようとしないのが、ラスコーリニコフを苦しめるのであった。それはもう復活祭後の第二週間目だった。暖かく、明るい春らしい日がつづいた。監獄病院でも窓が開かれた(それは格子《こうし》づくりになっていて、下を歩哨《ほしょう》が歩いていた)。ソーニャは彼の病中たった二度しか、病院へ見舞いに来られなかった。そのたびに許可をえなければならなかったうえに、それが容易でなかったからである。けれど、彼女はしょっちゅう(ことに夕方)、病院の庭へ来て、病室の窓の下に立った。またときには、ほんのちょっとのま庭に立って、せめて遠くからでも病室の窓を見るために、わざわざやって来ることもあった。ある日の夕方、もうほとんど全快していたラスコーリニコフは、ひと寝入りして目をさますと、なにげなく窓に近よった。と、はるか病院の門のそばに、ソーニャの姿を認めた。彼女はじっと立って、何か待っているような風情《ふぜい》であった。この瞬間、何かが、彼の心臓をぐさと刺したような気がした。彼はぴくりと身ぶるいし、いそいで窓のそばをはなれた。翌日ソーニャは来なかった。三日目も同様だった。彼は不安をいだきながら彼女を待っている自分に気づいた。やがて彼は退院した。監獄へ帰って、囚人仲間から聞いてみると、ソフィヤ・セミョーノヴナは病気して家にこもったきり、どこへも出ないでいるとのことだった。
 彼はひとかたならず心配して、彼女の容体《ようだい》を聞きに人をやった。やがてまもなく、彼女の病気は危険なものでないと知れた。ソーニャはソーニャで、彼がそんなにまで自分を恋しがり、心配しているのを知ると、鉛筆で走り書きの手紙をよこして、もうからだはたいへんよくなった、病気はただちょっとした感冒なのだから、近いうちに、ごく近いうちに仕事場のほうへ会いに行く、と前ぶれした。この手紙を読んだとき、彼の心臓は痛いほど鼓動《こどう》した。
 それはまたよく晴れた暖かい日であった。早朝六時ごろに彼は河岸の仕事場へ出かけて行った。そこには一軒の小屋があって、雪花石膏《せっかせっこう》を焼くかまどの設備があり、そこで焼いた石をうすで突くのであった。みなで三人の働き手がそこへ出かけた。囚徒のひとりは看守《かんしゅ》について、何かの道具をとりに要塞《ようさい》へ行った。いまひとりは薪《まき》をこしらえて、それをかまどの中に積み始めた。ラスコーリニコフは小屋から河岸っぷちへ行って、小屋のそばに積んである丸太に腰をおろし、荒涼《こうりょう》とした広い大河をながめ始めた。高い岸からは、ひろびろとした周囲の眺望がひらけた。遠い向こうのほうから、かすかな歌声がつたわってきた。そこには、日光のみなぎった目もとどかぬ草原の上に、遊牧民のテントが、ようやくそれと見わけられるほどの点をなして、ぽつぽつと黒く見えていた。そこには自由があった。そして、ここの人々とは似ても似つかぬ、まるでちがった人間が生活しているのだ。そこでは、時そのものまでが歩みを止めて、さながら、アブラハムとその牧群《ぼくぐん》の時代が、まだ過ぎ去っていないかのようであった。ラスコーリニコフは腰をおろしたまま、目も放さずにじっと見つめていた。彼の思いは夢のような空想と、深い黙思に移っていった。彼はなんにも考えなかったが、なんともしれぬ憂愁が彼を興奮させ、悩ますのであった。
 とつぜん、彼のそばヘソーニャが現われた。ほとんど足音もたてずに近よると、彼とならんで腰をおろした。時刻はよほど早かった。朝寒はまだやわらいでいなかった。彼女は例の貧しげな古い外套を着て、緑色の布《きれ》を頭からかぶっていた。その顔はまだ病気のなごりをとどめて、やせて青白く、ほおがげっそりこけていた。彼女はよろこばしげにあいそよく、にっこりと彼にほほえみかけたが、いつもの癖で、おずおずと手をさしのべた。
 彼女はいつもおずおずと彼に手をさしのべるのであった。ときによると、押しのけられないかと恐れるように、まるで出さないことさえあった。いつも彼はさもいやそうにその手をとり、なんだかいまいましいという様子で彼女を迎えた。ときによると、彼女がたずねて来ている間じゅう、かたくなに口をつぐんでいることもあった。それで、彼女は彼をこわがって、深い悲しみをいだいて帰るのであった。ところが、いまはふたりの手は離れなかった。彼はちらとすばやく彼女を見ただけで、なんにもいわずに目を伏せた。彼らはふたりきりだった。だれも彼らを見るものはなかった。看守はちょうどこのとき、向こうをむいたのである。
 どうしてそんなことができたか、彼は自身ながらわからなかったけれど、ふいに何ものかが彼をひっつかんで、彼女の足もとへ投げつけたようなぐあいだった。彼は泣いて、彼女のひざを抱きしめた。はじめの一瞬間、彼女はすっかりおびえあがって、顔はさながら死人のようになってしまった。彼女はその場からおどりあがり、わなわなふるえながら彼を見つめた。けれどすぐ、その瞬間に、彼女は何もかもをさとった。彼女の目の中には無限の幸福がひらめいた。彼女はさとった。男が自分を愛している、しかも、かぎりなく愛しているということは、彼女にとってもうなんの疑いもなかった。ついにこの瞬間が到来したのである……
 彼らは口をきこうと思ったけれど、それができなかった。ふたりの目には涙が浮かんでいた。彼らはふたりとも青白くやせていた。しかし、この病み疲れた青白い顔には、新生活に向かう近き未来の更生、完全な復活の曙光《しょこう》が、もはや輝いているのであった。愛が彼らを復活させたのである。ふたりの心はお互い同士にとって、生の絶えざる泉を蔵していた。
 彼らは隠忍《いんにん》して、待とうと決心した。彼らにはまだ七年の歳月が残っていた。それまでには、いかばかり堪えがたい苦痛と、かぎりない幸福があるかしれない! けれども、彼はよみがえった。そして自分でもそれを知っていた。自分の更生した全存在で、それを完全に感じたのである。そして彼女は――彼女はもとより、ただ彼の生活のみで生きていたのだ!
 その日の夕方、はや監獄もしまったとき、ラスコーリニコフは寝板の上で横になって、彼女のことを考えていた。この日は、かつて彼の敵であった囚人たち一同が、もう別な目で彼を見ているような気がした。彼は自分のほうから進んで、彼らに話しかけたくらいである。すると、向こうでも優しくそれに答える。彼は今それを思い出した。しかし、それは当然そうなくてはならなかったのだ。今すべてが一変してはならぬという法はないではないか?
 彼は彼女のことを考えた。自分が絶えず彼女を苦しめ、彼女の心をさいなんでいたことを思い出した。彼女の青白いやせた顔を思いうかべた。が、今ではこれらの思い出も、ほとんど彼を苦しめなかった。これから、どんなにかぎりない愛をもって、彼女のいっさいの苦痛をあがなうかを、自分で知っていたからである。
 それに、こうしたいっさいの、いっさいの[#「いっさいの」に傍点]過去の苦痛とは、はたしてなんであるか! 今となってみると何もかも――彼の犯罪、宣告、徒刑《とけい》さえも、この感激の突発にまぎれて、なにかしら外面的な奇怪事のような、まるで人の身の上に起こったことのような気がした。とはいえ、彼はこの夕べ、何事によらず、長くみっちり考えたり、思想を集中させたりすることができなかった。いま彼は何事にもせよ、意識的に解決することができなかったに相違ない。彼はただ感じたばかりである。弁証法のかわりに生活が到来したのだ。したがって意識の中にも、何かまったく別なものが形成さるべきはずである。
 彼のまくらの下には福音《ふくいん》書があった。彼は機械的にそれを取りあげた。この書物は彼女のもので、彼女がかつて彼にラザロの復活を読んで聞かせた、あの本である。彼は徒刑の初めころ、彼女が宗教談で自分を悩まし、うるさく福音を説いて、書物を押しつけるだろうと思っていた。ところが、驚さいったことには、彼女は一度もそのような話をしないどころか、まるで福音書を勧めようとさえしなかった。とうとう彼は病気になるちょっと前に、自分から彼女に持って来てくれと頼んだ。彼女は何もいわずに本を持って来た。しかし、この時まで、彼はそれをあけて見ようともしなかったのである。
 彼はこの日もそれを開かなかった。けれど、ある一つの想念が彼の頭にひらめいた。『今となったら、もう彼女の確信は同時におれの確信ではないか? すくなくとも、彼女の感情、彼女の意欲ぐらいは……』
 彼女もやはりこの日いちにち興奮していたが、夜になってから、またまた病気になってしまった。けれど彼女は幸福だった、あまり思いがけなく幸福だったので、自分の幸福にほとんど恐れおびえたほどである。七年、たった七年! ころした幸福の初めのあいだ、彼らはどうかした瞬間に、この七年を七日と見なすほどの心もちになった。彼は、この新生活が無報酬《むほうしゅう》でえられたのではなく、まだまだ高い価を払ってそれを買い取らねばならぬ、そのためには、ゆくゆく偉大な苦行《くぎょう》で支払いをせねばならぬ、ということさえ考えないほどだった。
 しかし、そこにはもう新しい物語が始まっている――ひとりの人間が徐々に更新して行く物語――徐々に更生して、一つの世界から他の世界へ移って行き、今までまったく知らなかった新しい現実を知る物語が、始まりかかっていたのである。これはゆうに新しい物語の主題となりうるものであるが、しかし、本編のこの物語はこれでひとまず終わった。