京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

『ドストエーフスキイ全集10 悪霊 下』(1970年、米川正夫による翻訳、筑摩書房)のP005-024

[#1字下げ]第三編[#「第三編」は大見出し]




[#3字下げ]第1章 祭――第一部[#「第1章 祭――第一部」は中見出し]


[#6字下げ]1[#「1」は小見出し

 祭はシュピグーリン騒ぎの日の、さまざまな奇怪な出来事にも妨げられず、いよいよ開催されることになった。わたしなどの見るところでは、よしやレムブケーがつい前の晩に死んでしまっても、祭はやはりその朝、催されたに相違ない、――それくらいユリヤ夫人はこの催しになみなみならぬ意義を認めているのであった。悲しいかな、彼女は最後の瞬間まで目がくらんでしまって、社会の気分が少しもわからなかったのである。しまいには、この祭の日に、何か恐ろしい大事件が起こらないですもうとは、だれひとり信じるものがないほどになった。一部の人などは、何か『カタストロフ』が起こるに相違ないと、前から揉み手をして待ちながら、話し合っていた。もっとも、大抵の人は気難かしげな、外交的な様子をつくろおうと努めていたが。だいたいロシヤ人というものは、全社会を引っくり返すような見苦しい騒動を、夢中になってよろこぶ癖がある。とはいえ、この町には、単なる醜聞を待ち設ける渇望以上に、もっともっと真面目な何ものかがあった。それは世間一般の焦躁である。何かしら医《いや》し難い毒心である。だれもかれも、すべてのものに飽き飽きしているような具合だった。なんだか世間一般に妙にぐらつきやすい皮肉、――やっと無理に持ちこたえているような皮肉が弥漫していた。ぐらつかないのは婦人連ばかりだった。ただし、それもユリヤ夫人に対する容赦のない憎悪という、ただ一つの点のみである。この点で、婦人社交界の各派が、ことごとく結束したのである。ところが、こちらは夢にもそんなことを知らなかった。彼女は最後の瞬間まで、自分は全社会に『取り巻かれて』いる、すべてのものが自分に『狂信的に信服している』と思い込んでいたのである。
 この町にいろいろなやくざな連中が姿を現わしたことは、もはや前にちょっとほのめかしておいた。総じて、混乱した動揺時代、過渡時代には、常にどこでもいろんなやくざものが現われるものだ。わたしがいうのは、いわゆる『先達《せんだつ》』連中のことではない。いつでも、人よりさきへ駆け抜けようと急いで(それが彼らの第一の苦心である)、いつも大抵ばかげ切ってはいるが、その代わり多少とも一定した目的を有する連中のことをいうのではない。わたしはただほんのやくざ者のことをいってるのだ。すべて過渡期には、どんな社会でもこのやくざ者がいる。彼らはなんの目的も持っていないばかりか、思想の兆候らしいものの持ち合わせさえなく、ただ、一生懸命に不安と焦躁を体現するのみである。そのくせ、これらのやくざ者は知らず識らずのうちに、一定の目的をもって行動している少数の『先達』の指揮下に落ちてしまう。そして、この少数の一団は、よくよくの馬鹿でない限り(もっとも、そういうこともよくあるのだ)、このごみごみした有象無象を、勝手放題に操るのである。
 で、この町でもいっさいが終わった今日《こんにち》では、みんなこういうふうなことをいっている。つまり、ピョートルを操っていたのはインターナショナルであるが、そのピョートルはユリヤ夫人を操り、ユリヤ夫人はまたピョートルのさし金で、いろんなやくざ者を踊らしていたというのである。町でも一ばん頭のしっかりした人たちは、どうしてあの当時ぼんやりしていたのだろうと、今さら自分で自分にあきれている。いったいこの地方の混乱時代というのは何をさすのか? また過渡時代とは、何から何への過渡なのか?――それはわたしにもわからないが、まただれ一人わかるものはないと思う。もしわかれば、それはよそからやって来た、縁も何もない少数の人ぐらいなものだろう。とにかく、思い切りやくざな連中が急に幅を利かし出して、もとは口もろくに開き得なかったものが、だれはばからぬ大声ですべて神聖なものを評価し始めたのである。しかも、今までこともなく勢力を維持していた第一流の人々が、とつぜん彼らの言に耳を傾けて、自分たちはてんでものをいわなかったではないか。中には、おぞましくも調子を合わせて、お世辞笑いをする者さえあった。
 リャームシンとか、チェリャートニコフとか、地主のチェンチェートニコフとか、洟《はな》ったらしの自称ラジーシチェフ([#割り注]第一編第一章五(二〇頁)の注参照[#割り注終わり])とか、愁わしそうな、そのくせ高慢ちきな薄笑いを浮かべていたユダヤ人だとか、よそからやって来た笑い上戸の旅客だとか、都から来た主義主張のある詩人だとか、主義や才能の代わりに百姓外套を着込み、タールを塗りこくった長靴をはいた詩人だとか、自分の職務の無意味を嘲笑して一ルーブリでも余計な儲けがあれば、さっそく剣を棄てて、鉄道書記かなんぞの椅子へすべりこもうとする少佐や大佐だとか、弁護士に鞍替えする将軍だとか、発達した仲買人だとか、発達しかけている商人だとか、数限りない神学生だとか、婦人問題の権化でございといいそうな女だとか、こういうものがみんな急にこの町で威張り出した。しかも、だれに向かって威張るのかというと、クラブとか、名誉ある政治家とか、義足を曳いて歩く将軍とか、傍へ寄りつくこともできないほど厳正な貴婦人社会に向かってなのである。ヴァルヴァーラ夫人さえ、息子に恐ろしい不幸の破裂するまで、このやくざ連の走り使いまでしかねないほどであったから、当時その他のわが貴婦人《ミネルヴァ》たちがことごとく血迷ってしまったのも、いくぶんゆるすべき点があるのだ。
 もう前にいったとおり、今では何もかもインターナショナルのせいにしてしまって、よそから来た無関係の人にさえ、この意味で話して聞かせるほどこの考えが深く根を張っている。ついこの間のことだが、クーブリコフといって、スタニスラーフ勲章を頸にかけた六十二歳の老官吏が、だれに呼ばれもしないのに、のこのこやって来て、自分はまる三か月間、うたがいもなくインターナショナルの影響を受けていたと、さも仔細ありげな声でいい出した。人々は、彼の年齢や功績に深い尊敬を払ってはいたものの、もっとよく得心のゆくように話してもらおうと、わざわざ招待したところ、彼は『自分の全感覚で直感した』というほか、なんの証拠も提出することができなかったが、とにかく、だんぜん最初の宣言を変えないので、人々もそれ以上たって追求しようとしなかった。
 くり返していうが、初めからこの騒ぎを遠ざかって、まるで錠でも下ろしたように家へ閉じこもっている、少数の用心深い一団の人々が残っていた。しかし、どんな錠前だって、自然律に抵抗のできようはずがない。どんなに用心ぶかい家庭の中でも、やはり同じように女の子が大きくなって、舞踏の一つもしなければならなくなる。で、とうとうこういう人たちもみな、結局、婦人家庭教師のために寄付することになった。しかも、舞踏会は思い切って華々しい、世にも類のないものと予想されていた。まるで奇蹟のような噂が行なわれた。柄付眼鏡を持った来遊の公爵、左の肩にリボンを付けた十人の幹事(みんな若い踊り手なのである)、ペテルブルグにいてすべてを操っていた幾たりかの人、こういうことが人々の話題にのぼった。そればかりか、カルマジーノフがあがり高をふやすために、この県独得の婦人家庭教師の服装をして『メルシイ』を読むことに同意しただの、ぜんぶ仮装ずくめの文学カドリールというものがあって、一つ一つの仮装がそれぞれ文学上の流派を現わすだの、まだその上に何かしら『ロシヤの高潔な思想』とかいうものが、同じく仮装で踊るのだという噂があった。これなどはまったく珍といわざるを得ない。どうして申し込まずにいられよう。人々は争って申し込んだ。

[#6字下げ]2[#「2」は小見出し

 祭の一日は、プログラムによると、二部にわかれていた。つまり、正午から四時までが文学の部で、九時から以後は、夜通し舞踏会ということになっていた。しかし、この手配りそのものの中に、混乱の原因が蔵されていたのである。第一に文学の部が終わるやいなや、午餐会が開かれるという噂が、最初から公衆の間に固く根を張ってしまったのである。それどころか、文学の部の終わらないうちに、とくにこれがために定められた休憩時間に午餐会は開かれる……もちろん、それはプログラムの一部となっていて、料金不要、しかもシャンペンさえつくという噂が立ったのである。三ルーブリという高価な切符代も、余計にこの噂を助長したのだ。『でなかったら、ただで寄付することになってしまうじゃないか? 会は一昼夜ぶっ通しの予定なんだから、食わしてくれるのが当たりまえだ。でなけりゃ、みんな腹をへらしてしまわあ』とこんなふうに町の人は考えた。
 実のところ、これは当のユリヤ夫人が、例の軽はずみな性質のために、自分からこういう不利な噂のもとを作ったのである。ひと月ばかり前、まだこの偉大な計画を思いついたばかりのころ、嬉しさのあまり夢中になってしまって、会う人ごとに慈善会のことをしゃべった。そして、当日はいろいろな意味のトストが挙げられる、というようなことまでしゃべり散らしたばかりか、ある首都の新聞にさえそれを報道したのである。当時、夫人は何よりもこのトストが嬉しくて、自分でその音頭が取りたくてたまらなかったので、慈善会の日を待ち設けている間に、いろいろなトストの数を考え出したものである。これらのトストは同志の旗幟を鮮明にして(いったいどんな旗幟だろう? わたしは請け合っておくが、この哀れな婦人は何一つ考えつけなかったに相違ない)、首都の各新聞の通信欄に掲載され、中央政府の人々を歓喜、讃嘆させ、驚異と模倣を呼び起こしつつ、ほかの各県へも広がっていくはずであった。しかし、トストのためにはシャンペンが必要である。ところで、シャンペンはすき腹で飲むわけにゆかないから、したがって、食卓と午餐の必要が生じるのであった。その後、夫人の運動で委員会が組織され、真面目に仕事に着手したとき、もし宴会など空想していたら、たとえ上上のあがり高が得られるとしても、家庭教師に贈る金はいくらも残らないということが、さっそく明白に証明されたのである。こういうわけで、この問題の解決法は二つとなった。盛んな饗宴を張ってトストを挙げ、家庭教師連には九十ルーブリかそこいらの金を贈るか、それとも莫大な寄付金を募って、会のほうはいわばほんの型ばかりのものにするか? もっとも、これは委員会のほうでちょっと夫人を脅やかしてみただけで、さらに第三の折衷的な賢い方法を工夫した。つまり、饗宴はすべての点において相当なものにして、ただシャンペンだけ抜きにすれば、九十ルーブリどころでなく、かなりまとまった金が残ることになる、とこういうのであった。しかし、ユリヤ夫人は賛成しなかった。彼女は生まれつき町人根性から出た中庸を卑しんでいた。で、彼女は即座にこう決めてしまった、――もし原案を実現することができなければ、直ちに全力を挙げて反対の極に投じなければならぬ。つまり、他県でも羨むくらい莫大な金を集めなければならぬ――
『世間の人だって、それくらいなことは理解してくれなくちゃなりません』と彼女は委員会の席上で、熱烈火のごとき調子で論結した。『一般人類の目的を達するということは、刹那の肉体的快楽よりも、遙かに高尚なものでございます。今度の催しも、事実、偉大な理想の宣伝にすぎないのですから、もしあんな馬鹿馬鹿しい舞踏会なんてものが、なくてすまされないということでしたら、ただほんの申しわけに、思い切ってつましいドイツ式の舞踏会で、辛抱しなくちゃなりません!』といったような勢いで、急に夫人は舞踏会を不倶戴天の仇のように憎み始めた。
 しかし、人々はやっとのことで夫人をなだめた。例の『文学カドリール』や、その他の芸術的な催しも、そのとき考えついて、これをもって肉体的快楽に代えるよう、夫人にすすめたのである。カルマジーノフがいよいよ『メルシイ』の朗読を承諾したのも、やはりその時なのである(それまではなんとかかとか、煮え切らぬことをいってじらしていた)。そうすれば、たしなみのない町の人たちの頭に巣くっている食物うんぬんの考えも、自然消滅する道理である。こういったわけで、この催しはとにもかくにも、ふたたび堂々たる華々しいものとなった。もっとも、以前とは少し意味が違っては来た。しかし、あまり浮き世ばなれがしてしまってはというので、舞踏会の初めにレモン入りの茶と円い菓子を出し、それから巴旦杏水とレモン水、そうして、最後にアイスクリームさえ出そうということに決めた。が、それきりなのである。
 ところで、いついかなる場所でも、必ず空腹、――ことに喉の渇きを感じるような連中のためには、一番はじのほうに食堂を設けて、プローホルイチ(クラブのコック頭)を、そのかかりにすることとした。彼は委員会の厳重な監視の下に、何品でも注文のものをすすめてかまわないけれど、ただ別に代金を払わねばならない。そのため、とくに広間の戸口に『食堂はプログラムの中に含まず』という張り札をしておくことに決めた。けれど、食堂は、カルマジーノフが『メルシイ』朗読を承諾した白い広間から、五つ間へだてて置くはずになっていたにもかかわらず、第一部のあいだは朗読の邪魔にならないように、ぜんぜん食堂を開かないことにした。この事件、即ち『メルシイ』の朗読を、委員会の人々がむやみに重大視したようにみえるのは、まったく不思議なくらいである。しかも、きわめて実際的な人たちすら、その例にもれなかった。少し詩的趣味を持つ人々にいたってはもう論外である。たとえば、貴族団長夫人などはカルマジーノフに向かって、自分は朗読がすむとすぐ、白い広間の壁に大理石の板を嵌めるようにいいつける。その板には金文字で『何年何月何日この所において、ロシヤおよび欧州の文豪が一代の筆をおくに際して「メルシイ」を朗読し、これによって、当市の名士を代表とするロシヤ公衆に、第一回の告別を行ないたり』と記すつもりだ。すると、この文句はすぐ舞踏会の席で、つまり、朗読が終わって五時間の後に、一同の目に触れるのだと予告した。わたしは確実に知っているが、カルマジーノフがだれよりもさきに立って、自分の朗読中はどんなことがあろうとも、食堂を開かないようにと主張した、――もっとも、二、三の委員から、そういうことは土地の風習に合わぬと、注意が出たには出たのである。
 こういう事情になっていたにもかかわらず、町じゅうのものはみんな依然として、ヴァルタザール式の饗宴、つまり無料で委員会から提供する食堂を信じていた。まったく最後の一時間まで、信じきっていたのである。若い令嬢たちまで菓子やジャムや、それから何かしら、聞いたこともないようなものが、山ほど出るように空想していた。人々は集金が素晴らしい高にのぼったことも、町じゅう大騒ぎをしていることも、郡部のほうからさえ出かけるものがあって、切符が足りないくらいだということも、よく承知していた。それから、また一定の入場料のほかに相当な寄付があったことも、一般に知れ渡っていた。たとえば、ヴァルヴァーラ夫人などは、切符代として三百ルーブリ払った上に、広間の装飾用にといって、邸内の温室にある花をすっかり寄付してしまった。貴族団長夫人(委員会のメンバー)は会場として自分の家と、それに要するあかりを提供するし、クラブは楽隊と召使を融通した上、いちんちプローホルイチを譲ることにした。
 まだそのほかに、金額はさまで大きくないが、さまざまな寄付があったので、三ルーブリの切符をニルーブリに減じよう、という考えさえ浮かんだほどである。実際、委員会のほうでも初めのうちは、三ルーブリの入場料では令嬢たちがやって来まいと心配して、何か家族切符とでもいうようなものをこしらえようではないか、という提案が生じたくらいであった。つまり、一つの家族は、その中の令嬢一人だけの分を払えば、その家庭に属するほかの令嬢たちは、たとえ十人いても無料で入場できるようにしよう、というのである。しかし、すべての心配は杞憂に終わって、かえって令嬢たちがおもな入場者であった。ごくごく貧乏な小役人でさえ、娘を連れてやって来た。もし娘がいなかったら、彼ら自身この催しに申込みをしようなどとは、夢にも考えなかったに相違ない、それは火を見るよりも明らかなことだった。ごくつまらない一人の書記などは、七人の娘をみんなつれて来た(もちろん細君は勘定に入れない)。しかも、その上に、姪までいっしょに引っ張って来たが、この連中が一人一人、三ルーブリの入場券を手にしていたものである。
 こういう有様であるから、町じゅうがどんな騒ぎだったか、想像するに難くない。祭が二部に分かれていたから、婦人たちの着物も、朗読の時のモーニングドレスと、舞踏の時の夜会服と、二通り必要になって来る。この一つだけでもたいてい見当がつく。これは後でわかったことだが、中流階級の多数はこの日の用意に、家庭の肌衣から、敷布、蒲団の類にいたるまで、何もかも町のユダヤ人どもに質入れしかねない勢いであった。またこのユダヤ人の連中が、まるでわざと狙ったように、三年ばかり前から市中に地盤を固めていって、なおも時と共にいよいよ盛んに入り込んで来るのであった。役人どもは大抵みんな月給を前借りするし、地主の中には、なくてならない家畜を売り飛ばすものもあった。それもこれも、娘をお姫様のように仕立てていって、だれにもひけを取らせまいがためだった。今度の衣裳の派手さは、ここらあたりで今までに例のないようなものであった。
 もう二週間も前から、町は家庭内の悶着ばなしにみたされてしまった。しかも、そういう噂話はすぐさま町の金棒引きによって、ユリヤ夫人の邸へ伝わっていくのであった。それから、家庭内の紛擾を描いたカリカチュアも、人々の間を転転し始めた。現にわたしもユリヤ夫人のアルバムの中で、こういったふうの画を何枚か見たくらいである。こういうことがすっかり何もかも、逸話の出処のほうへ知れてしまったので、近ごろ町の各家庭内につのって来たユリヤ夫人に対する烈しい憎悪も、案外こんなところに起因しているのではないかと思われる。今ではみんなが夫人をさんざんに罵倒して、当時を思い出しては歯噛みしている。とはいえ、もし委員会が何か公衆の気に入らぬことをしたり、舞踏会をおろそかにするようなことがあったら、それこそ未曾有の不平が爆発するに相違ない、それは前からちゃんと見え透いていた。こういうわけで、だれもかれもが心の中で、何かの騒ぎを期待していた。まったくの話、それほど期待されていたのだとすれば、騒ぎは実際おこらずにすむわけがないではないか?
 正十二時にオーケストラが轟き出した。わたしは幹事の一人だったので、つまり、『リボンを付けた十二人の青年』の一人だったので、この汚らわしい記憶すべき日が、どういう具合に始まったかということを、自分の目でちゃんと見たのである。まず尋常一様でない入り口の混雑から始まった。どういうわけで、警察を初めとして皆の者が、こんな点をうっかりしていたのだろう? わたしは何も本当の意味の公衆を非難するのではない。一家の父たる人々は、相当の官位を持っているにもかかわらず、横柄ずくで入口に押し寄せたり、ほかの者を圧しつけたりしなかったばかりか、かえって往来に立ったまま、この町に珍しい群衆のひしめきを眺めて、当惑したようなふうだったという話である。実際、群衆はぎっしりと車寄せをとり囲んで、ただ入るというのでなく、まるで突貫でもするような勢いで、飛びかかるのであった。その間に、馬車は絶え間なく寄せて来て、ついにはまったく道をふさいでしまった。
 この記録を綴っている今日では、わたしも正確な材料を握っているから、あえて断言するけれど、町で屑の屑とされているやくざ者が幾人となく、リャームシンやリプーチンの手引きで、切符なしに入り込んだのである。もしかしたら、わたしと同じ幹事役を勤めている連中の中にも、こういう手引きをしたものがあるかもしれない。少なくも、郡部のほうやなにかからやって来た、まるで見覚えも何もないような手合いまで顔を出した。こういう野蛮人どもは広間へ入るやいなや、いっせいに(まるで教えられでもしたように)、食堂はどこだときくのであった。食堂はないと聞くと、少しも遠慮なしに、この町で聞いたこともないような無作法千万な調子で、悪口雑言を放ち始めた。もっとも、そうした手合いの中には、酔っぱらったものもあった。中にはまるで野蛮人のように、今までかつて見たことのない貴族団長夫人の邸宅の華美な広間に驚嘆して、入って来る瞬間に鳴りを静め、ぽかんと口をあけたまま、あたりを見廻すものもあったのである。
 この宏大な白い広間は、古い建築ながらまったく壮麗なものであった。まず素晴らしい大きさで、窓は上下二列になっており、昔ふうにさまざまな模様を描いて、それに黄金《きん》をちりばめた天井を頂き、コーラス席の設けもあり、窓と窓の間には鏡を張り、白地に赤のカーテンを垂れ、大理石の彫像を並べ(どんな作りにもせよ、とにかく彫像である)、白地に金を施した枠《わく》に赤のビロードを張った、古いナポレオン時代のどっしりした家具類を配置してある。この日は広間の一端に、朗読を行なうべき文学者たちのために、ちゃんと高い演壇がしつらえてあった。そして、広間ぜんたいには、まるで劇場の平土間のように、椅子が一面に並べてあり、その間あいだには聴衆のために、いくつかの幅広い通路が設けてあった。しかし、最初、しばしが間《ま》の驚嘆の後、思い切って意味のない質問や意見が聞こえ始めた。
『われわれは朗読なんか聞きたくないというかもしれないぞ……われわれは金を払ったんだ……世間の者をずうずうしくごまかしやがったのだ……主人役はわれわれなんだ、レムブケーや何かじゃありゃしないぞ!………』
 手みじかにいえば、この連中を会場へ入れたのは、ただこんなぶしつけな言葉を吐かせるためではないか、と思われるくらいであった。とくに今でもおぼえているが、このとき一場の衝突が起こって、昨日の朝ユリヤ夫人の客間に来ていた、例の高いカラーをつけた、木造りの人形みたいな来遊の公爵が、ぐっと器量を上げた。この人もユリヤ夫人の切なる乞いによって、左の肩にリボンを付けて、幹事補佐の役を勤めることを承諾したのだが、この唖のように口数の少ない、バネじかけの蝋人形然とした男がしゃべるほうはとにかくとして、一種独得の働きをする能力を持っていることがわかった。ほかでもない、一人のあばた面をした、見上げるように大きい退職大尉が、後から続く一群の有象無象をたのんで、食堂へはどう行ったらいいかとしつこくたずねた時、公爵は鷹揚に巡査のほうへ目くばせした。この合図は猶予なく実行された。酔っぱらった大尉の悪口雑言に耳もかさず、巡査は彼を広間の外へ引き摺り出してしまった。そうこうしている間《ま》に、やっと『本当の』聴衆が顔を見せはじめた。彼らは長い三条の列を作って、椅子の間に作られた三つの通路を、ぞろぞろと動いて行った。不穏な分子はだんだん静まり始めたが、しかし、群衆の顔には、一番『とり澄ました』連中の間にさえ、不満げな意外らしい表情が現われていた。婦人たちの中には、もうすっかり仰天しているものもあった。
 ついに一同は席に着いた。奏楽の音もやんだ。人々は鼻をかんだり、あたりを見廻したりしながら、あまりなと思われるくらい仰々しい顔つきで待ち設け始めた――これはどんな場合でも、よくない兆候なのである。しかし、『レムブケー一家の者』はまだ来なかった。絹、ビロード、ダイヤモンドなどが四方から燃え輝いて、あたりにはえならぬ香りが漂っていた。男はありったけの勲章を付けているし、老人たちは大礼服さえ着込んでいる。やっと貴族団長夫人が、リーザといっしょにやって来た。この朝ほどリーザが目ばゆいばかりあでやかに見えたことは、今まで覚えがないほどである。またこれほど華美《はで》な衣裳を着飾って来たのも、これまでについぞないことだ。髪は豊かな房をなしてうねり、目はきらきらと輝き、顔には微笑が照りはえていた。彼女は疑いもなく一同を驚嘆させたらしい。人々は彼女を見廻したり、ささやき合ったりした。そして、『あれは目でスタヴローギンをさがしているのだ』といい合ったが、スタヴローギンもヴァルヴァーラ夫人も、姿を見せなかった。わたしはそのとき、彼女の顔の表情がわからなかった。どういうわけであんなに幸福と、よろこびと、エネルギーとがこの顔に溢れているのだろう? わたしは昨日の出来事を思い合わせて、何が何やらわからなくなってしまった。
 とはいえ、『レムブケー一家の者』は依然として顔を出さなかった。これからしてすでに失策なのである。これは後で聞いたことだが、ユリヤ夫人はいよいよという間際まで、ピョートルを待ち通したのだそうである。自分で自覚こそしていなかったものの、もうこの頃、夫人はこの人なしでは一歩も足を踏み出せなくなったのである。ちょうどついでにいっておくが、ピョートルは前日、最後の委員会があった時、幹事のリボンを辞退して、ひどく、涙の出るほど夫人を失望させた。そして、驚いたことには、この夫人の驚きは後に狼狽と変わった。彼はこの朝すっかり姿をくらましてしまって、文学会の間じゅう顔を出さなかった。そういうわけで、この日の晩までだれひとり彼の姿を見た者がないのである(このことをさき廻りして断わっておく)。ついに公衆は明らかに焦躁の色を見せはじめた。演壇のほうへもやはり登って来る人はなかった。うしろの列では、まるで芝居へでも来たように拍手を始めた。老人や夫人たちは眉をひそめて、『レムブケー一家の者はあまりもったいぶり過ぎる』とつぶやいた。聴衆の中でも、人柄な連中の集まっている方面でさえ、ことによったら、本当にこの催しは立ち消えになるのかもしれない、もしかしたら、レムブケーは本当に気がどうかしたのではないか、といったような馬鹿げきったひそひそ話が始まった。しかし、仕合わせと、ついにレムブケーが姿を現わした。彼は妻の手を引いていた。実のところ、わたし自身も、非常に彼らの到着を気づかっていたのである。が、これで馬鹿馬鹿しい想像は自然に消滅して、事実が勝ちを占めたわけである。群衆はほっと一息ついたような具合だった。
 レムブケー自身は、健康この上なしに見受けられた。わたしの覚えているかぎりでは、みなもそう確信したらしい。多くの視線が、降るように彼のほうへそそがれた。事態を闡明する便宜上、一言いい添えておくが、ぜんたいとして町の上流社会には、レムブケーが何か特殊な病気にかかっていると考えている人は、きわめて少数だった。人々は彼の行為を、全然ノーマルなものと認めていたので、昨日の朝の広場の出来事なども、かえって賞讃の声をもって迎えたほどである。
『いや、実際はじめから、あんなふうにやったほうがいいのだ』と上級官吏の連中はいった。『普通はたいてい赴任の時には恐ろしい人道主義だが、結局、あんなふうなやり方で終わるんだ。しかも、それが人道主義そのもののためにも必要なのを、ご自分で気のつかない人が多いんだからなあ』少なくも、クラブではこういうふうに批評したのである。ただあのとき彼が興奮し過ぎたのを非難して、『あれはもう少し冷静な態度でやる必要があった。しかし、まだ着任早々のことだからね』と事情に通じた人たちは、こういった。
 それと同じくらい烈しい好奇の目が、ユリヤ夫人のほうへも向けられた。もちろん、ある一つの点に関しては、何人といえども説話者たるわたしに向かって、あまり精確な説明を要求する権利を持っていないはずだ。それは秘密である。女性の一身に関したことである。しかし、ただ一つわたしの知っていることがある。ほかでもない、ゆうべ夫人はレムブケーの書斎へ入って行って、十二時すぎるまで坐り込んでいた。つまり、レムブケーはゆるされ、慰められたのである。夫婦はすべての点で一致した、何もかも忘れられた。そして、話の終わりにレムブケーが、突然おとといの晩の幕切れの一段を思い出し、慄然として妻の前にひざまずいたとき、夫人の美しい手と、それに続いて美しい口が、古《いにしえ》の騎士のようにデリケートな、とはいえ、感激に心弱った男の熱した懺悔を、押し止めてしまった。
 人々は彼女の顔に幸福の色をみとめた。彼女は見事な衣裳をつけ、晴ればれしい面もちで、しずしずと進んだ。今や夫人は、希望の頂上に立っているかのようであった。自分の政策の目的であり栄冠である慈善会が、ついに実現されたではないか。演壇のすぐ手前にある自席まで辿りつくと、レムブケー夫妻は小腰をかがめて答礼した。二人はたちまち人垣に囲まれた。貴族団長夫人は立ちあがって、彼らを出迎えようとした…が、その時一ついやな手違いが生じた。オーケストラが出しぬけに祝賀のための吹奏曲を轟かし始めた。それはけっしてマーチや何かでなく、まったく食堂向きの吹奏であった。よく町のクラブで、一同が晴れの食卓に向かって、だれかの健康を祝しながら、乾杯を唱えるときなどに使うやつである。わたしも今ではよく知っているが、これはリャームシンが幹事という資格で、入り来る『レムブケー』夫妻に敬意を表するため、余計な骨折りをしたとのことである。もちろん、彼はよく知らなかったからとか、またあまり一生懸命になり過ぎたからとかいって、弁解する余地があったのだ……ところが、悲しいかな、わたしは当時すこしも知らずにいたが、彼らはもう弁解のことなど、てんで心配していなかった。この一日で何もかも片をつけようと、考えていたのである。
 けれど、吹奏曲ばかりではすまなかった。聴衆のいまいましそうな怪訝の色と薄笑いにつれて、突然ホールの端のほうとコーラス席で万歳《ウラー》の声が響き渡った。やはりレムブケーに敬意を表するものらしい。それはあまり多人数の声ではなかったが、正直にいうと、ややしばし鳴りも止まなかった。ユリヤ夫人はかっとなって、その目はぎらぎら輝き出した。レムブケーは自席に近く立ちどまって、声のするほうへ振り向きながら、ものものしく厳めしい態度で広間を見廻した……が、人々は急いで彼を席に着かせた。彼の顔にはまたしても昨日の朝、夫人の客間でスチェパン氏の傍へ近寄る前に、じっと相手の顔を見つめていた時と同じような、例の危険性を帯びた微笑が浮かんでいた。わたしはそれに気がついて心もとなく思った。実際、いま彼の顔は、何かしら不吉な表情があるように思われた。何よりもいけないのは、その表情がいくぶん滑稽じみていたことである。――つまり、ひたすら妻の高尚な目的にそわんがために、一身を犠牲に捧げようとしている人の表情なのであった……ユリヤ夫人は手早くわたしを傍へさし招いて、これからすぐカルマジーノフのところへ走って行き、早く始めるように頼んでくれとささやいた。で、わたしがやっと体を転じようとする間もなく、またもや新しい醜事件が始まった。しかも、前よりもっともっと醜いのである。
 演壇の上に、――今まで一同の視線と、一同の期待が集中されていた空しい演壇の上に、――今まではただ小さいテーブルと、その前に置かれた椅子と、テーブルにのせられた銀盆の上の水呑みコップのほかには、何一つ目に入るもののなかった空しい演壇の上に、とつぜん燕尾服に白いネクタイを締めた、レビャードキン大尉の魁偉な姿が、ちらと映った。わたしはもう仰天してしまって、われとわが目を信ずることができないほどだった。大尉はちょっと鼻白んだらしく、演壇の奥深いところに立ちどまった。とつぜん聴衆の中から『レビャードキン! きみはいったい?』という叫び声が聞こえた。
 大尉の愚かしい真っ赤な顔には(彼はすっかり酔いくらっていた)、この叫びを聞くとひとしく、鈍そうな薄笑いがぱっと広がったように思われた。彼は手を挙げて額を押し拭うと、もしゃもしゃした頭を一振りした。そして、もうどんなことだってやって見せるぞ、と決心したように、ずかずかと二歩まえへ踏み出した、――が、急にぷっと噴き出してしまった。あまり大きくないが、引き伸ばしたような、高く低く揺れるような、さも幸福げな笑い声を立てながら、肥満した体をゆり立てて、目を細めるのであった。このありさまを見て、ほとんど聴衆の大半が笑い出した。二十人ばかりの者は、手さえ叩いた。聴衆の中でも真面目な人々は、浮かぬ顔つきで互いに目と目を見合わせていた。もっともこれはほんの三十秒たらずの間だった。突然、例の幹事のリボンを付けたリプーチンが、二人の小使を連れて演壇へ駆け登った。小使が用心深く大尉の両手を取ると、リプーチンは何やらその耳にささやいた。大尉は眉をひそめながら、「ふん、そういうわけならどうも」とつぶやいて片手を振ると、幅の広い背中を聴衆のほうへ向け、三人のものに伴われて姿を隠した。しかし、すぐにまたリプーチンは、演壇へ飛びあがった。彼の唇には思い切って甘ったるい微笑が浮かんでいた(いったい、いつもの彼の笑い方は、ふつう砂糖酢みたいな感じのするものだった)。手には一葉の書簡紙を持っていた。小刻みな忙しい足どりで、彼は演壇の端へ進み出た。
「諸君」と彼は聴衆に呼びかけた。「ちょっとした不注意のために、滑稽な手違いが生じましたが、それもすでに片づいてしまいました。ところで、わたしはこの土地における詩作家の一人から、きわめて懇切鄭重なる依頼を受けまして、成功の希望をいだきながら、その任を引き受けたのであります……それは外形こそなん[#「なん」に傍点]でありますけれど……人道的な高尚な目的……つまり、本県における教育のある、貧しい乙女たちの涙を拭うてやろうという、われわれ一同をここに結束さしたと同じ目的を、深く心にひめたこの紳士は、いや、その……土地の詩人は……なるべく名を出したくないという、平素の希望にもかかわらず……この舞踏会の初めに……いや、その、朗読会の初めに当たって、自作の詩が朗読されるのを見たいと、熱望しておる次第であります。もっとも、この詩は番外で、プログラムに入ってはおりませんが……なぜといって、手に入ってから、まだやっと三十分ぐらいしかならんからで……しかし、われわれ[#「われわれ」に傍点]は(いったいわれわれとはだれのことだろう? とにかく、わたしはこの途ぎれ途ぎれな、覚束ない演説を、一語一語そのままに記しておこう)、驚くべき快活と、同様に驚くべき無邪気な感情を結合した点において、この詩の朗読も或いは妙かもしれんと思ったのであります。もちろん真面目な作品としてでなく、ただこの盛会にふさわしいあるものとしてであります……手短かにいえば、会の精神にふさわしいあるものとして……ことに中の数行にいたりましては……かような次第で、敬愛すべき公衆諸君のお許しを乞おう、と思った次第なのであります」
「読みたまえ!」広間の向こうの端で、一人の声がこうどなった。
「では、読むのでございますか?」
「読みたまえ、読みたまえ!」という大勢の声が響いた。
「それでは、公衆諸賢のお許しを得て、読み上げることといたしましょう」相変わらず例の甘ったるい微笑を浮かべたまま、リプーチンはまたもや口をひん曲げた。
 彼はそれでも、なんとなく決しかねたふうであった。わたしの見たところでは、わくわくしているようにさえ思われた。こういう連中は、思い切って傍若無人な振舞いをするくせに、やはりどうかすると、何かにつまずくことがあるものだ。もっとも、神学生だったらつまずくことはないだろうが、リプーチンはなんといっても、旧社会に属する人間だった。
「わたしはちょっと断わっておきますが、いや、ちょっとお断わりをしときますが、これはよく祝祭などに当てて書かれておった、以前の頌歌のようなものではありません。これはほとんどまあ、狂歌といったようなものであります。しかし、遊び好きな心持ちと結び合った真摯なる精神もあれば、最も現実的な真理も含まれておるのであります」
「読め、読め!」
 彼は紙きれを広げた。むろん、だれひとり彼を止める暇がなかった。それに、彼は幹事の徽章を付けて現われたのである。彼は声高らかに朗読を始めた。

[#ここから2字下げ]
 祖国なる婦人家庭教師へ、祭の庭にて、詩人より。

ご機嫌よろしゅう家庭教師さん
うんと騒いでお祝いなされ
退歩主義者かジョルジュ・サンド
なんでもかまわぬお浮かれなされ!
[#ここで字下げ終わり]

「ああ、これはレビャードキンだ! レビャードキンの仕事に相違ない!」という幾たりかの声が聞こえた。
 どっと笑い声が起こった。人数は少なかったけれど、拍手の音さえ聞こえた。

[#ここから2字下げ]
洟《はな》ったらしの子供らに
フランスのいろはを教えちゃおれど
誘う水ありゃ寺男にさえも
色目つかうも厭やせぬ
[#ここで字下げ終わり]

「ウラー、ウラー!」

[#ここから2字下げ]
とはいうものの、大改革の今の世にゃ
寺男でさえもろうちゃくれぬ
銭がいります、お嬢さん、それが駄目なら
やはりいろはと首っ引き
[#ここで字下げ終わり]

「そのとおり、そのとおり、なるほどこれは現実的だ、金がなくちゃ二進《にっち》も三進《さっち》も行きゃしない!」

[#ここから2字下げ]
ところが今日は酒もり半分
わしらがお金を集めて上げた
ダンスしながら持参の金を
ここの広間で贈りましょう
退歩主義者かジョルジュ・サンド
なんでもかまわぬお浮かれなされ!
お前は持参金つきの
家庭教師じゃないかいな
何に遠慮があるものか
さあさ祝うた祝うた!
[#ここで字下げ終わり]

 正直にいうと、わたしは自分の耳を信じることができなかった。そこにはたとえ無知をもって弁明するとも、とうていリプーチンをゆるすことのできないような、見え透いたずうずうしい企みがあった。それに、本来、リプーチンは馬鹿ではない。目的とするところは、少なくもわたしにとってきわめて明白だった。まるでだれもかれもがわれさきにと、混乱をかもし出そうとしているようであった。この馬鹿げきった詩の幾連かは(たとえば、一番しまいの一連のごとき)、どんな無知の輩《やから》といえども、黙過し難いような性質のものだった。リプーチン自身も、こういう殊勲はたててみたものの、自分一人であんまり責任を負い過ぎたなと感じたらしく、自分で自分の無鉄砲におじけづいて、演壇を去ることもできず、まだ何かいい足したそうに立ちすくんでいた。きっと、何かもっと違った結果を予想していたのだろう。ところが、朗読の間じゅう喝采していた一団の無頼漢でさえ、やはり同様におじけづいたものらしく、急にしんと静まり返ってしまった。何よりも馬鹿馬鹿しいのは、彼らの多数がこの朗読を夢中になって歓迎したことである。つまり、くだらない落首だなどとはもうとう考えず、婦人家庭教師に関する正真正銘の現実的真理、語を変えていえば、立派な傾向詩と合点したのである。けれど、あまりといえばあまりなこの詩のぶしつけな調子は、ついにこういう連中をさえひやりとさせた。
 一般聴衆はどうかというに、彼らは気色《きしょく》を悪くするのを通り越して、目に見えて侮辱を感じたらしかった。わたしはこの時の印象を伝えるのに、けっしてあやまたないつもりである。ユリヤ夫人は後になって、もう一分間あのままで過ぎたら、気絶して倒れたに相違ないと語った。中でも、とりわけ地位の高い一人の老人は、老夫人をたすけ起こして、人々の不安げな視線に送られながら、二人ともさっさと広間を出てしまった。或いは、ほかに幾たりかの人が、この例にならったかもしれないが、ちょうどおりよく、この瞬間に当のカルマジーノフが、燕尾服に白い頸飾りをしめ、ノートを手にして、演壇へ姿を現わした。ユリヤ夫人は、まるで救い主かなんぞのように、歓喜に溢れた目をそのほうへ向けた……けれど、わたしはもう楽屋のほうへ入っていた。リプーチンに話がしたかったのである。
「きみ、あれはわざとしたんでしょう?」憤懣のあまり彼の手をつかみながら、わたしはいきなりこういった。
「どうして、どうして! 思いもそめないこってすよ」彼はさっそく嘘をつき出した。そして、さも不仕合わせな人間らしい表情をしながら、体をくねくねさせるのであった。「あの詩は、たった今もって来たばかりなので、ぼくはただほんの座興によかろうと思って……」
「きみはまるでそんなことを思やしなかったのです。いったいきみはこの愚にもつかないやくざな詩《もの》を、罪のない座興と思うんですか?」
「ええ、ええ、そう思いますよ」
「きみはなんのことはない、ただ嘘を吐いてるんです。それに、この詩は、けっしてたった今もって来たばかりじゃありません。これはきみが自分で、レビャードキンといっしょに作ったのですよ。ひょっとしたら、もう昨日あたりできてたのかもしれない。つまり、見苦しい騒ぎが起こしたかったんだ。最後の一連は確かにきみの作です。寺男のくだりもやはりそうです。いったいあの男はどういうわけで、燕尾服なぞ着込んで出たんです? つまり、あの男に朗読させようという、きみたちの狂言なのです。ただあの男がぐでんぐでんに酔っぱらったもんだから……」
 リプーチンは冷たい毒のある目つきでわたしを見つめた。
「いったいそれがきみにどういう関係があるんです?」妙に落ちつき払って、彼は突然こうきいた。
「どういう関係がある? きみだってやはりこのリボンを付けてるんでしょう……ピョートル君はどこにいるんです?」
「知りません。どこかその辺にいるでしょうよ。いったい何用です?」
「ほかじゃありませんよ、ぼくは今こそ何もかも、すっかり見え透いて来ました。これは、つまり、みんなが申し合わせて、今日の催しにけち[#「けち」に傍点]をつけるために、ユリヤ夫人を陥れる陰謀に相違ないです……」
 リプーチンはいま一度わたしを尻目にかけた。
「それがきみにとって、どうだというんです?」彼はにたりと笑って、肩をすくめると、そのままわきのほうへ行ってしまった。
 わたしはまるでひや水でも浴せられたような気がした。わたしの疑惑はことごとく事実となって現われたのである。ああ、それだのに、わたしはどうか思い違いであれかしと祈っていたのだ! いったいどうしたらいいのだ? スチェパン氏に相談しようかと思ったが、彼は姿見の前に立っていろいろな笑い方の研究をしながら、ノートのしてある紙きれを、ひっきりなしに覗き込んでいた。彼は今すぐカルマジーノフの後で、演壇に登らなければならないので、もうわたしと話などしている余裕がなかった。では、ユリヤ夫人のところへ駆けつけたものだろうか? しかし、夫人に告げるには、まだ時期が早かった、彼女の病気をなおすには、――自分はみんなの者に『取り巻かれて』いる、みんな自分に対して『ファナチックな信服を示して』いるという迷いをさますには、もっともっとひどい目に遭わなくてはならないのだ。彼女は到底わたしの言葉を信じないで、わたしを妄想狂だと思うに違いない。それに、夫人だって、どうともしようがないではないか?『ええ、ままよ』とわたしは考えた。『まったくのところ、おれにどういう関係があるんだ。いよいよおっ始まったら[#「いよいよおっ始まったら」に傍点]、リボンをはずして家へ帰るまでだ』わたしはこのとき本当に『いよいよおっ始まったら』といった。わたしはそれを覚えている。
 が、とにかく、カルマジーノフの朗読を聞きに行かなければならない。最後に楽屋を振り返って見たとき、用もない人たちがかなり大勢、出たり入ったり、うろうろしているのに気がついた。中には女さえ交っている。この『楽屋』というのは、幕で厳重に仕切れたかなり狭くるしい場所で、うしろのほうは一筋の廊下によってほかの部屋部屋へ通じている。そこで講演者が番を待つことになっていた。
 しかし、このときとくにわたしの注意を惹いたのは、スチェパン氏の次に講演するはずになっている人だった。それはやはり大学教授といったような人で(わたしは今だにこの人がどういう人物なのか、はっきり知らない)、かつて学生間に騒擾のあった時、進んである学校を退いたが、こんど何用があったか、つい二、三日前この町へやって来たのである。この人も同じくユリヤ夫人に紹介されたが、夫人はまるで神様のように彼を迎えた。今ではわたしもよく知っているが、彼は朗読会の前にたった一晩、夫人のところへ出かけたばかりである。しかも、一晩じゅうむっつりと黙り込んで、ユリヤ夫人を取り巻く一座の諧謔や、全体の調子に対して、うさん臭い薄笑いを洩らしていた。その高慢げな、と同時に臆病なほど自尊心の強そうな様子は、人々に不快な印象を与えた。こんど彼に朗読を依頼したのは、ユリヤ夫人自身の所望なのであった。
 いま彼はスチェパン氏と同様に、部屋の中を隅から隅へと歩き廻りながら、何やら口の中でぼそぼそつぶやいては、鏡は見ないで、じっと足もとを見つめていた。彼はしょっちゅう貪婪な薄笑いを浮かべていたが、笑い方の研究などはしなかった。この男にも話ができないのは、一見して明瞭だった。見たところ四十恰好の年輩で、背は低いほう、頭は禿げて、頤には灰色がかった鬚をたくわえ、みなりはきちんとしていた。しかし、何よりも面白いのは、くるりと一廻りするたびに、右の拳を振り上げて、頭の上で空《くう》に一振りすると、だれか目に見えぬ敵を粉砕するように、いきおい込んでその手を打ち下ろす。この芸当をのべつ幕なしにくり返すのであった。わたしは妙に息づまるような気がしたので、急いでカルマジーノフの講演を聴きに飛び出した。

[#6字下げ]3[#「3」は小見出し

 広間のほうでも、何やら不穏な空気が漲っていた。前もってお断わりしておくが、わたしは、むろん、天才の威光に跪拝するものである。しかし、どういうわけでわがロシヤの天才諸氏は、その光栄ある生涯の終わりに際して、時々ちっぽけな子供みたいな真似をするのだろう? むろん、彼が文豪カルマジーノフとして、五人の侍従をたばにしたような気取り方で出たからって、そんなことは別にどうこういうものはない。しかし、たった一つの文章で、この町のような聴衆を一時間以上も惹きつけることが、どうしてできるものか! 全体として、わたしの観察するところでは、たとえどんな素晴らしい天才にもせよ、こういう肩の凝らない公けの朗読会では、二十分以上無事に聴衆の注意を惹きつけることは、まあまあ不可能である。もっとも、この大天才の登壇が、きわめて敬虔な態度で迎えられたのは事実である。ごくごくやかまし屋の老人連さえ、好意と興味の色を現わした。婦人たちにいたっては、ある程度、歓喜の情さえ浮かべたほどである。とはいえ、拍手はあっさりしたもので、なんだか不揃いな、ちぐはぐな感じがした。しかし、カルマジーノフ氏が口をきくまでは、うしろのほうでも別にとっぴな半畳を入れるものは一人もなかった。とにかく、どこがどうというほど不都合なことは起こらなかった。ただまあ、なんとなく得心のいきかねるような色が見えただけである。わたしはもう前にもちょっといっておいたが、彼の声はあまりきいきいしていて、いくぶん女じみた感じさえする上に、生粋な貴族特有のしゅっしゅっというような、洒落た発音がついて廻るのであった。
 彼が、やっとふた言かみ言しかいわないうちに、とつぜんだれか後列のほうで、無遠慮にも大きな声で笑い出した。たぶんそれは今まで上流社会の端くれも覗いたことのない、おまけに、元来おかしがりに生まれついた、立派な社交界を知らぬ馬鹿者に相違ない。しかし、示威などの意味は、これっからさきもなかった。それどころか、かえってこの馬鹿者は、ほかの人からしっしっと制止されて、それきりぐうの音《ね》もたて得なかった。ところが、カルマジーノフ氏は、気取った身振り、声音《こわね》でやり出した。『自分は初めどうしても朗読したくないといったのだ』(そんなことを広告する必要がどこにある!)『中でもある数行のごときは、真に肺腑を衝いてほとばしり出たもので、ほとんど言葉で形容できないほどである。それゆえ、こういう神聖なものを公衆にさらすに忍びない。(それでは、なんのために哂したのだ?)しかし、人々の乞いもだし難く、ついに断然さらすことにした。その上、自分は永久に筆をおいて、今後いかなることがあっても書かないと決心したから、つまり、これら自分にとって絶筆となるわけである。また自分は今後どんなことがあろうとも、公衆の面前で朗読しないように誓ったから、即ちこの一文が公衆に向かう最後の朗読なのである』というようなことを、くどくどと述べ立てた。
 けれど、こんなことは、まあ、どうでもいいのだ。だれだって、作者の前置きがどんなものかってことは、百も承知している。もっとも、ついでにちょっといっておくが、町の聴衆の教養の不十分なことや、後列の人々の気短かな点などを考えたら、こういうこともやはり影響しないとはいえない。実際、何か短い物語でも読んでおいたほうがよくはなかったろうか? もと彼がよく書いていたような小短編などは、よしんばあまり磨き過ぎて厭味になっているとはいえ、それでも時には機知に富んだものがあった。そうしたら、何もかも埋め合わせがついたに相違ないのだ。ところが、そうでない、まるでそんなことじゃないのだ! 長たらしいお説教が始まったのだ! おまけにその中には、一切合切みんな詰め込まれているのだ! わたしはきっぱり断言するが、この町の人ばかりでなく、首都の聴衆だってうんざりしてしまうに相違ない。まあ、かりに気取った役にも立たない世迷いごとが、印刷で三十ページも続くような文章を想像してみるがよい。おまけに、この人はまるで同情のあまりお慈悲でもって、高い所から見おろすような態度で読んだのだから、聴衆に対してほとんど侮辱に当たるくらいだった……
 ところでテーマは?………こいつがまただれにだってわかりっこないのだ! それはまあ、いわば、いろんな印象や追憶の総締めのようなものであった。しかし、なんの印象だろう? なんの追憶だろう? 一同は朗読の半ばごろまで、額に皺を寄せて、一生懸命に意味をつかもうとしたけれど、田舎者の悲しさで何一つ呑み込めず、後の半分はほんのお義理で聞いているだけであった。もっとも、恋のことがしこたま書いてあった。それはある婦人に対する天才の恋だが、正直なところ少々落ちつきが悪かった。わたしの見るところでは、この文豪の小柄なずんぐりした姿に対して、最初の接吻の物語はどうもうつりが悪かった……それにまた癪にさわるのは、この接吻の仕方が、一般人類のそれと違っていることである。まずあたりには必ず一面に、えにしだが生えていなければならぬ(ぜひともえにしだか、或いは植物学の本でも調べねばならぬような草であることを要する)。それから、空にはぜひ紫色の陰影が必要である。これなどはもちろん、凡人どものかつて気づかなかったものだ。つまり、見てはいたけれど、気をつけることができなかったのである。ところで、文豪は『そら見ろ、おれは一目でちゃんと見てとった、お前たち馬鹿者のために、ごくごくありふれたものとして、描いて見せてるのだ』といったふうである。この興味ある一対の男女が、根もとに座を占めた木は、必ずオレンジか何かの色をしていなければならぬ。二人坐っているのは、ドイツのどこかである。とつぜん彼らは、闘いの前夜のポンペイウスかカッシウスを見て、歓喜の冷感が骨髄に滲み入るような気がした。何かニンフみたいなものが藪の中で啼き出すと、突然グリュックが、葦の茂みでヴァイオリンを弾き始める。彼の奏した曲は en toutes lettres(すっかり完全に)名を呼びあげられたのだが、だれ一人知ったものはない。音楽辞典でも調べてみなければならない。やがて霧が渦巻きはじめた。その舞うこと舞うこと、まるで霧というよりは、数百万の枕といったほうが適切なくらいである。と、ふいに何もかも消えてしまって、こんどは、冬の暖い上溶けの日に、文豪はヴォルガの河を橇で渡っている。この渡河に二ページ半ついやしてあるが、それでもとうとう氷に明いた穴へ落っこちてしまう。天才は沈んで行く、――そしてついに溺死してしまう、と読者諸君は思われるかもしれないが、どうして、どうして、そんなことは夢にも考えていないのだ。それはただ、彼が水の底へ沈んでしまって、あぶあぶもがいている時、ふいに目の前ヘ一|塊《かい》の氷を浮かばせるためなのである。それはきわめて小さな、豌豆くらいな大きさだが、まるで『凍れる涙』とでもいいたいほど、清らかに透き通っている。この一塊の氷の中にドイツ、――というより、むしろドイツの空が映っているのだ。この映像の虹のような閃きが、ある一滴の涙を思い起こさせたのである。それは、――
『お前はおぼえているか、わたしたちがエメラルド色をした木の下に坐っていると、お前はよろこばしげな声で、「罪なんてものはありません!」と叫んだ。「そうだ。しかし、もしそうだとすれば、この世に正しき者もなくなるわけだ」とわたしは涙のひまから答えた。と、この時、お前の目からまろび出た涙なのだ。二人は烈しく慟哭して、そのまま永久に別れてしまった』
 つまり、女はどこかの海岸へ、彼はある洞窟の中へと、別れて行ったのだ。で、いま彼は洞窟の下を一生懸命に下りて行く。モスクワのスハレヴァ塔の下あたりを、三年の間ひたすら下りつづけている。すると、ふいに土の懐のただ中とおぼしきあたりで、彼は一つのともし火を見いだした。ともし火の前には一人の隠者がいる。隠者は祈祷を捧げている。天才はささやかな格子窓へ近づいた。と、思いがけなく吐息の声が聞こえた。読者諸君はこれを隠者の吐息と思われるか? なんの、彼はそんな隠者などに少しも用はないのだ! ただただこの吐息が、三十七年前の彼女の最初の吐息を、思い出させたばかりなのだ。
『お前はおぼえているか、わたしたちがドイツで、瑪瑙色の木の下に坐っていると、お前はわたしにこういった。「いったいなんのために愛するのでしょう? ごらんなさい、あたりにはあかい色の花が咲いています。あの花が咲いてる間は、わたしもあなたを愛します。けれど、あの花が咲かなくなったら、わたしの愛もさめるのです」このときふたたび霧が渦巻いて、ホフマンが現われた。ニンフが、ショパンの何かを笛に吹き始めると、霧の中から忽然としてアンクス・マルチュウス([#割り注]紀元前六三八―六一四年、ローマ四世の帝王と伝えられる[#割り注終わり])が月桂冠を戴いて、ローマの空高く立ち現われた。歓喜の冷感がわたしたちの背筋を走って、二人は永久に別れた』云々、云々。
 手っとり早くいうと、わたしの話が間違っているかもしれないし、またわたしにこういう話をする能がないのかもしれないが、このおしゃべりの意味はこんなふうのものだった。それに、全体として、ロシヤの天才の有する高等|地口《じぐち》を弄びたがる性癖は、なんという浅ましいことだろう! ヨーロッパの大哲学者も、碩学も、発明家も、奮闘家も、殉教者も、――すべてこういう重荷を背負って努力している人々も、わがロシヤの大天才にとっては、まったくわが家の台所にうようよしている料理人同様である。つまり、彼が旦那様なのだ。彼らは手に白頭巾を持って、彼のもとへ伺候し、その命を待っているようなあんばいである。もちろん、彼はロシヤそのものをも、高慢ちきに冷笑している。そして、ヨーロッパの天才の面前で、あらゆる点におけるロシヤの破産を宣言するのが、何より愉快なことに相違ないのだが、しかし彼自身にいたっては、もはやこれらヨーロッパの天才さえ、眼下に見おろしているのだ。そんなものはすべて彼の地口の材料にすぎない。彼が何か他人の思想を取って、それに対するアンチテーゼをくっつければ、もうちゃんと地口ができるわけなので。犯罪は存す、――犯罪は存せず、真理は存せず、正しきものは存せず、そのほか無神論、ダーヴィニズム、モスクワの鐘……(しかし、悲しいかな、彼はすでにモスクワの鐘を信じていないのだ)、ローマ、月桂冠……(しかし、彼は月桂冠さえ信じていないのだ)……それから、お定まりのバイロン式憂愁、ハイネから借用して来た渋面、ペチョーリン式の味などを、ちょいと添える、――と、もう文豪の機械はしゅっしゅっと、風を切って動き出すのだ……
『しかし、とにかく褒めたまえ、褒めたまえ、ぼくはそれが大の好物なんだから。なに、一代の筆をおくというのは、ただちょっとそういってみるだけさ。待っていたまえ。ぼくはまだ三百編くらい書いて、きみたちを悩まして上げるよ。読むのに飽き飽きするくらいね……』とでもいいたそうであった。
 もちろん、あまり無事にはすまなかった。が、何よりもいけないのは、彼自身から騒ぎを起こした点である。もうだいぶ前から足をごそごそいわせたり、鼻をかんだり、咳をしたりする声が聞こえ出した。つまり、どんな文学者にもせよ、朗読会で二十分以上、聴衆を引き止めた時に起こる現象が、ここでも始まったのである、しかし、天才はそんなことにはいっこうお気がつかなかった。彼は聴衆のほうなぞいっさいおかまいなしに、相変わらずしゅっしゅっという音を立てたり、口の中でむにゃむにゃいったりしているので、とうとうみんなは呆気にとられてしまった。その時、とつぜん後列のほうで、たった一人きりではあるが、大きな声でこういうのが聞こえた。
「まあ、なんという馬鹿げた話だ!」
 これは自然に口をすべり出た言葉で、そこになんら示威の意味を含んでいないことは、わたしの固く信ずるところである。ただもうがっかりしたのだ。けれど、カルマジーノフ氏は朗読をやめて、嘲るように聴衆を一瞥した。そして、威厳を傷つけられた侍従官といった態度で、突然しゅっしゅっという音を立てながら、口を切った。
「諸君、諸君は大分わたしの朗読に退屈されたようですね?」
 つまり、こうして、彼のほうからさきに口を切ったのが悪かったのだ。こうして答えを求めるような言葉を発したために、かえっていろんなごろつきどもに大威張りで口を出す機会を与えたからである。もし彼がじっと押しこたえていたら、みんな無性に洟をかんだかもしれないけれど、とにかくなんとか無事にすんだはずなのである……ことによったら、彼は自分の問いに対して、拍手を期待していたのかもしれない。ところが、拍手の音は響かず、あべこべにみんなびっくりしたように、小さくなって静まり返ってしまった。
「あなたはアンクス・マルチュウスなんか、まるで見たこともないのだ。そんなのはみんな美文ですよ」一人のいらいらした悩ましげな声が、出しぬけにこう響き渡った。
「そのとおり」ともう一人の声がすぐに引き取った。「今の世の中に幻なんかありゃしない。今は自然科学の時代だ。少し自然科学でも調べてごらん」
「諸君、わたしはそんな抗議を受けようとは、夢にも思わなかったですよ」カルマジーノフは恐ろしく面くらってしまった。
 大天才はカルルスルーエにいる間に、すっかり祖国のことにうとくなってしまったのである。
「今の時代に、世界が三匹の魚で支えられてるなんて、本で読むのも恥ずかしいくらいですわ」とふいに一人の娘が甲高い声でいい出した。「カルマジーノフさん、あなたは洞窟の中へ入って隠者に出会ったりなんか、できないはずじゃありませんか。それに、今の世の中で、隠者の話なんかするものはありゃしませんよ」
「諸君、諸君がそう真面目にとられるということは、わたしの何よりも驚愕に堪えないところであります。もっとも……もっとも……まったく無理はありません。何人といえども、わたし以上にリアリスチックな真実を尊ぶものはないのですから……」
 彼は皮肉な微笑を浮かべてはいたが、それでもひどく狼狽していた。その顔の表情はまるで、『わたしは、諸君の思っておられるような人間じゃありません。わたしは諸君の味方です。ただわたしを讃めてください、もっと讃めてください、できるだけ讃めてください。わたしはそれが大好きなんですから……』とでもいってるようだった。
「諸君」とうとうすっかり自尊心を毒されてしまって、彼はこう叫んだ。「見受けたところ、わたしの詩は不幸にも発表の場所を誤ったようですな。それにわたし自身も出るべき場所を誤ったようです」
「からすを狙って、かますを打ったのかね」とだれか馬鹿なやつが大きな声を一ぱいに張り上げてどなった。きっと酔っぱらいに相違ない。したがって、こんなやつにはぜんぜん注意を払う必要はなかったのだ。
 もっとも、ぶしつけな笑い声が響いたのは事実だ。
かますですって?」とカルマジーノフはすぐに抑えた。彼の声はだんだんきいきいしてきた。「からす[#「からす」に傍点]とかます[#「かます」に傍点]のことについては、わたしはわざと口をつぐむことにします。たとえ無邪気なものとはいいながら、そんな比較を口にするべく、あまりに聴衆を尊敬しています。よしやどのような種類の聴衆でも……しかし、わたしはこう思っていました……」
「しかし、きみはあまり口が過ぎやしないかね」とだれやら後列のほうからわめいた。
「けれど、わたしは一代の筆をおくに際して、読者に別れを告げようとしているのですから、とにかく聴いていただけることと思っていました……」
「聴きます、聴きます、わたしたちは聴きたいのです」思い切って勇を鼓したような二、三の声が、やっと前列のほうか