京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

北村浩一・東京地裁判決(要旨・1999年11月12日・木村烈裁判長)

【北村浩一被告に対する判決の要旨】
(量刑理由)
 一 1 地下鉄サリン事件について
(一)本事件の動機、目的は、教団が目黒公証役場事務長拉致事件に関与したことが発覚し、教団に対する警察の強制捜査が入ることを恐れたため、大規模なテロ行為で首都中心部を大混乱に陥れることによって右強制捜査を阻止しようというものであるが、それ自体、教団ひいては麻原の護持のためならば手段を選ばないという極めて身勝手で独善的な発想に基づくものと言え、全く酌量の余地はない。
(二)サリンは、それ自体人の殺害のみを目的とする化学兵器として開発された猛毒物質であるところ、その致死量と本事件で使用されたサリンの量を照らし合わせれば、その殺傷能力は極めて高かったと言える。そして、被告人らは、そのようなサリンを、平日の午前八時ころ、三路線、五つの地下鉄電車内で、一斉に散布したというものであって、密閉された空間である地下鉄電車内および駅構内で、しかも、多数の通勤客が集中する時間帯に行われたものであることからすれば、多数の死傷者が出ることは当初から明らかであり、このような犯行態様自体、極めて危険かつ悪質である。
(三)また、本事件は、教団の教祖として君臨していた麻原の命令により、教団幹部らが無差別大量殺人という犯行計画を策定した上、具体的な指揮命令者、サリンの生成役、サリン散布の実行役、それらを送迎する自動車の運転手役らが、綿密な打ち合わせや周到な準備を行った上で敢行したものであって、組織的、計画的な犯行である。
(四)そして、本事件によって、十二名が死亡し、重篤者二名を含めた多数の者が負傷したのであり、その結果はあまりにも重大深刻である。
 すなわち、十二名の死亡者は、いずれも通勤途上や駅の職員として勤務中に何らの理由もなく突然サリンを吸引させられ、激しい苦悶の中で即死状態または意識不明の状態に陥った上で、その生命を奪われたものであって、これら死亡者が受けた苦痛の大きさ、無念さは想像を絶するものがあり、遺族ら関係者が受けた衝撃や悲しみも筆舌に尽くしがたい。また、二名の重篤者についても、同様の苦悶の後、一命は取り留めたものの、後遺症のため通常の社会生活が全く不能となっており、その苦痛や関係者の衝撃、悲しみの大きさは、死亡者に劣るものではない。また、その他の負傷者においても、相当期間縮瞳、めまい、吐き気等の身体的苦痛を余儀なくされたばかりか、右症状が回復した後も、地下鉄に乗ることに恐怖感を感じるなど、精神的苦痛に悩まされている。
 このような被害者や遺族ら関係者の被害感情は極めて厳しく、被告人を含めた本件の関与者全員に対して極刑を望んでいるところである。
(五)さらに、本事件は、前記のとおり、大量殺人を目的とした化学兵器であるサリンを、通勤客が集中する地下鉄電車内で散布したという、我が国犯罪史上のみならず、世界的にも類を見ない犯行であり、これによって、国民一般に対して計り知れない恐怖心を与えたばかりか、首都東京の機能に大混乱を来し、我が国の治安に対する国際的な信頼をも揺るがせるに至っており、その社会的影響は深刻である。
(六)(1)被告人は、本事件において、サリン散布の実行役である広瀬(健一)を地下鉄の駅まで自動車で送迎する運転手役として関与したものであるところ、五人の実行役が一斉にサリンを散布し目的を達するためにはそれぞれの運転手役の果たした役割は重要かつ不可欠のものであった上、被告人は、実行役の出発を促すなど、現にその役割を忠実に遂行しているのである。
 しかも、右広瀬が散布したサリンによって、一名が死亡し、一名が加療期間不詳の傷害を負っているのであって、被告人の分担した路線の部分に限っても、生じた結果は極めて重大である。
(2)次に、被告人は、長年教団の出家信者として麻原に帰依し、教義に疑問を持つこともなく、細菌兵器の生成や教団内で殺害された遺体の焼却等の違法活動にも関与してきた末、本事件においても、サリンの散布によって多数の死傷者が出ることを認識していたにもかかわらず、これを「ヴァジラヤーナの教義」に基づく「救済行為」であると考え、何らの躊躇もなくこれに関与したというのであり、被告人個人の動機も独善的であり、強い非難を免れない。
(3)被告人は、本事件の被害者および遺族ら関係者に対していまだに何ら慰謝の措置を取っていない。加えて、被告人は、取り調べの際、本事件で多数の被害者を出したことについて謝罪と反省の言葉を述べ、教団あての「脱会届」を提出していたにもかかわらず、当公判の最終段階において、「脱会届」は自分の本心に基づくものではなく、麻原への信仰は変わらない旨宣言するに至っており、このような態度は、自己の犯した犯罪の原因や重大性に目をつぶり、被害者および遺族ら関係者の受けた苦痛の深刻さを全く省みないものであって、誠に遺憾と言うほかない。
 2 犯人蔵匿・隠避事件について(略)
 3 加えて、被告人は、各事件を犯しながら、何ら罪の意識のないまま、仲間の教団信者らとともに約一年半以上にわたって逃亡を続けていたのであって、犯行後の行動も芳しくない。
 4 以上の諸事情に照らせば、被告人の刑事責任は誠に重大と言うほかない。
 二 しかしながら一方、本件には、次のような諸事情も認められる。
 1 地下鉄サリン事件において、被告人が運転手役として果たした役割は必要かつ不可欠であったものの、本事件の実行を命じた教祖麻原やその意を受けた総指揮者、現場指揮者に従う立場にあった上、サリン散布の実行役と比較してもその役割の重さに差があることは否定出来ない。したがって、本事件における被告人の責任は、共同正犯とはいえ、右の者らと量刑上同一には論じられない。
 また、被告人が地下鉄電車内におけるサリンの散布に関与するという具体的な内容を知ったのは、渋谷アジトに到着した後であり、教団に対する強制捜査の阻止を目的とするという点については、明確な認識を有していたとまでは言い難い。
 さらに、本事件の背景に教団ないし麻原の説く特殊な教義があったこと自体を格別被告人に有利に斟酌することは許されないものの、本事件は、教団の絶対的権力者である麻原が、自己の保身と教団の護持を図るために、特殊な教義の下で信者らの帰依心を利用したという側面も否定し難い。
 2 犯人蔵匿・隠避事件においても、被告人の果たした役割は大きかったものの、具体的行動の大部分は、教団内の上位者である幹部の指示に従ってなされたものであり、主導的立場であったとは言えない。
 3 被告人には前科・前歴がなく、教団へ入信した動機も、高校中退後無気力な生活をしていた自己を啓蜃すべく、その手段を模索していたところ、麻原の著書に触れて関心を抱いたというものであって、それ自体格別責められるべきものではない。
 4 被告人は、取り調べの際、当初は黙秘していたものの、起訴後の任意取り調べにおいては、地下鉄サリン事件の被害者の悲惨な状況を取調官から聞き、次第に事実関係について詳細に自白するようになり、最後には、被害者に対する謝罪の言葉を述べた上、教団の教義自体が誤りであると述べて反省の念を示し、「脱会届」を提出するに至ったのであって、右意思表示は、当公判の最終段階において撤回されたものの、一時的にせよ、被告人が自ら謝罪・反省の言葉を述べ、教義の誤りを認めて教団から脱会する意思をも示したことは、将来、真の反省悔悟に至る余地を残しているものと言える。
 三 以上の諸事情、とりわけ、地下鉄サリン事件は、その罪質、動機・目的の独善性、犯行の組織性、犯行態様の危険性・悪質性、結果の重大性、被害感情の厳しさ、社会的影響の深刻さ等に照らし、誠に重大な事案と言えること、その一方で、同事件において被告人の果たした具体的役割は、共同正犯とはいえ、指揮命令者および実行役とは量刑上同一には論じられないこと等を考慮した上、被告人を無期懲役に処するを相当と判断した次第である。

底本:『オウム法廷10』(2002年、降幡賢一朝日新聞社