京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

外崎清隆・東京地裁判決(要旨・2000年2月17日・山内昭善陪席裁判官)

【外崎清隆被告に対する判決の要旨】
(量刑の理由)
 一 本件判示第一の各犯行は、オウム真理教の出家信者であった被告人が、教祖である松本(智津夫)や多数の教団幹部と共謀の上、サリンを地下鉄電車内に撒布し、乗客ら不特定多数の者を死傷させ(以下、「地下鉄サリン事件」という)、また、いわゆる目黒公証役場事務長逮捕監禁事件の犯人として指名手配されていた教団信者松本剛の逮捕を免れさせる目的で、教団幹部と共謀の上、東京都内および石川県内のホテルや貸別荘において蔵匿・隠避し、さらに、松本剛の顔面に整形手術を施すなどして隠避した(以下、「松本剛蔵匿事件」という)事案である。
 二 これらの各犯行は、個人の犯罪という枠組みを超えて、オウム真理教団による組織的な犯罪であるという特殊性があるので、被告人の各犯行に対する関与の程度あるいはそれに対する評価といった個別的情状は措いて、まず、各犯行全般についての情状を見ることとする。
 1 地下鉄サリン事件について
 本件犯行は、オウム真理教の教組であった麻原彰晃こと松本智津夫が、教団活動を行ううちに、人類救済のためには、一般人に対する殺害行為のみならず、国家権力を打倒することが必要であるなどとして、教団の武装化を進め、その間、松本サリン事件等の数々の違法行為を行う中で、次第に捜査の包囲網が狭まり、一九九五年二月二十八日のいわゆる目黒公証役場事務長逮捕監禁事件に関して、教団関与の嫌疑が強く取り沙汰され、強制捜査が必至の状況となる中で、これを免れるため、教団幹部らと謀り、首都東京の中枢機能が集中する霞ヶ関駅を通過する地下鉄の列車内にサリンを撒布して、首都全体を大混乱に陥れようとして敢行された無差別、大量殺人テロである。その動機は、教団の利益のためには手段を選ばないとの唯我独尊的、独善的なもので、松本は、ポアという宗教上の概念を自らに都合のよいように変容させ、同人の命令に基づいて人を殺害することは救済に繋がるなどと、教団独自の論理に基づいて犯行を正当化しようとしたものであり、その非常な悪質さは言うを俟たない。
 犯行の手段、態様は、化学兵器として開発された神経剤の一種であり、ごく少量で多数の人を殺傷する能力を持つ猛毒ガスのサリンを使用し、ことさらに、最も混雑している朝の通勤時間帯を狙い、逃げ場のない密閉された空間である地下鉄の三路線五方面の電車内で、サリンをほぼ同時に漏出、気化させ、乗客などを無差別に殺傷したもので、我が国のみならず世界の犯罪史上にも類例を見ない卑劣かつ残虐で陰極まりないに行為であるといわなければならない。
 本件犯行は、約二日間という短期間にではあるが、松本を首謀者として、何度も謀議が重ねられ、犯行方法やそれぞれの役割分担等に加えて、最大の効果を上げるべく、霞ヶ関駅に同時に到着することを見計らって、地下鉄の乗車駅、乗車時間、乗車場所等細部にわたって打ち合わせ、前日には、実行役、運転手役の組み合わせで現場の下見を行うなど、周到に準備を重ねて実行されたものであって、教団による組織的かつ計画的犯行であるが、これらは同教団の結束の強さを窺わせるとともに、その狂信性と社会に対する敵対性を明確に物語るものである。
 本件犯行の結果、十二名もの乗客等がサリン中毒等で死亡しているのである。何の落ち度もないのに、通勤の途上、あるいは、営団職員として乗客の救助作業中に、急に目の前が暗黒となり、息苦しさが極度に募る中で、全く事情もわからないまま死亡していった被害者の無念さは筆舌に尽くし難く、突然夫を奪われ、父を亡くし、あるいは子供を失った遺族の憤り、悲しみは察するにあまりあるものがある。二名の被害者については、何とか生命は取り留めたものの、重篤な記銘障害が残り、あるいは半身不随等の障害が続き、将来的にも全面的に家族らに頼って生きていかざるを得ないなど、たとえようもない悲惨な状態である。本件犯行は、その他にも、罪となる事実に判示したとおり、多数の者に傷害を与えたほか、本件犯行によると考えられる数多くの被害者が病院に搬送されたことは公知の事実である。このように、本件犯行が、各被害者に与えた肉体的、精神的苦痛には最たるものがあり、被害者および遺族のほとんどが、事件に関与した者に対して、極刑を望んでいることも当然といわなければならない。また、本件犯行が引き起こした大きな社会不安も量刑に当たっては強く考慮しなければならない。
 2 松本剛蔵匿事件について(略)
 三 次に、被告人固有の情状について検討することとする。
 1 地下鉄サリン事件について
 被告人の本件犯行への関与は、当初から謀議に参加したというものではなく、最後に運転手役として松本から指名されたことによるものであり、謀議への参加も受動的なもので、実際に被告人自身がサリンを撒布したものでもない。しかしながら、被告人は、謀議に参加し犯行に向けての下見等の準備を行う中で、サリンが撒布されることなど犯行の全容を認識した上、それほど躊躇した様子も見せず、犯行に使用される自動車を借り受け、上九一色村の教団施設からサリンを運搬するに当たっての運転手役を務めたほか、実行役である横山(真人)を新宿駅まで搬送し、犯行後に同人を四ツ谷駅付近で確保し、渋谷アジトに連れ帰るなど、横山が犯行を完遂する上で不可欠な行為を行ったものであり、本件犯行において被告人が果たした役割は重要であるといわなければならない。
 また、横山と被告人が担当した丸ノ内線池袋方面行き路線においては、幸いにして、死亡者は出なかったものの重篤な傷害を負った被害者を生じている。生命、身体に及ぼす危険性は他の路線と異なるところがなかったものであり、死亡者が出なかったことは偶然の結果に過ぎず、犯行の手段、態様、同時性を考えると、その点を重視することは疑問である。さらに、被告人らは、三路線五方面にわたる犯行計画全体を認識した上で、あえて犯行を遂行したのであるから、共謀共同正犯者としてその全体について刑事責任を問われることは当然であり、この点からも死亡者が出ていないことをそれほど有利な事情として考えることは出来ない。
 加えて、被告人は、地下鉄サリン事件については、不合理な弁解に終始するなどしており、その供述態度は、残念ながら、心から非を悟り、事実をすべて語って、真摯に反省している者の態度とは異なるものといわなければならない。
 2 松本剛蔵匿事件について(略)
 四 結論
 これらの事情を総合すれば、被告人の刑事責任は、極めて重大であって、厳正な処罰が求められるというべきであり、本件いずれの犯行においても、被告人は首謀者的な立場で各犯行を計画、実行したものではなく、基本的に教団幹部の命令に従って行動したもので、従属的な立場にあったと認められること、地下鉄サリン事件においては、運転手役として関与し、実行行為そのものは行っていないこと、被告人と横山の担当した路線については幸いにして死亡者が発生していないこと、被告人は、現在は、自己の行為を反省し、地下鉄サリン事件の被害者に対して謝罪の意を表明していること、これまで前科・前歴はなく、教団へのかかわり方も、当初は、純粋に精神的なものへの興味から入会し、出家していったもので、松本らに利用された面も否定出来ないこと、現在では、教団の説く教義を否定した上、教団を脱会していること、母親が出来る限りの償いとしてオウム真理教被害対策支援基金に百万円を寄付していることなど、弁護人が指摘する被告人のために斟酌すべき事情を十分考慮しても、なお、被告人に対しては、主文掲記の無期懲役刑をもって臨まざるを得ないと考える。
 よって、主文のとおり判決する。

底本:『オウム法廷10』(2002年、降幡賢一朝日新聞社