京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

青山吉伸・東京地裁判決(要旨・2000年3月29日・裁判長は不明)

青山吉伸被告に対する判決の要旨】
〔罪となるべき事実〕 第一~第一一 (略)
〔補足説明〕
第一 (略)
第二 殺人未遂の公訴事実について(滝本サリン事件=筆者注)。
 一 本件液体について
 1 弁護人の主張 滝本弁護士の車に滴下された液体は、サリンではない。
 2 当裁判所の判断 滝本弁護士の車からは、サリンの分解物であるメチルホスホン酸モノイソプロピルが検出されている。液体を準備した共犯者は、これをサリンと認識していた。液体を滴下した共犯者と滝本弁護士には、それぞれサリン中毒とおぼしき症状が現れている。これらの事情を総合すれば、その液体がサリンであったことは明らかである。
 二 殺意および共謀について
 1 弁護人の主張
 被告人は、滝本弁護士に危害が加わるとは全く考えていなかったから、殺意はない。共犯者との共謀も存在しない。
 2 当裁判所の判断
 被告人は、滝本弁護士の車に何らかの薬物を仕掛け、同弁護士を死亡させるという本件犯行計画につき、当初の謀議段階から接した上で、あえてこれに参画し、共犯者に対し同弁護士の予定やその行動様式など重要な情報を提供するとともに、犯行直前の現場においても共犯者に具体的な指示を与えるなど、計画の実行に不可欠な役割を果たした。その間、犯行に際しては、共犯者から渡されたサリン中毒症の予防薬をあらかじめ自ら服用するとともに、別の共犯者にも確実に服用させている。また、被告人の知らないうちに被告人の車を滝本弁護士の車に接近させた右の共犯者に対しては、近付けてはいけない旨述べて叱責した。このように、被告人は、一連の事態を通じて、仕掛ける薬物の危険性を了知していたとみられる言動をしていた。
 仕掛ける薬物について、被告人がこれを特定の毒物であるサリンと認識していたと断定するには、なお足りないものが残る。しかし、その薬物が人体に有害な作用をもたらすものであり、その影響により同弁護士が死亡するという事態があり得る旨を被告人において認識し、そのような前提の下に共犯者と行動を共にしていた事実は、本件証拠上動かし得ない。
 被告人は、滝本弁護士の生命身体に危険が及ぶようなことがあってはたいへんであると考えて不安になり、松本に尋ねたところ、危険な結果は出ないから安心しろ、参加者の一人を試すからよろしくなどと言われたので、これは、右の者に対する「結果の出ないマハームドラー」と称する修行の一形態であって、同弁護士の生命身体に危険が及ぶことはないものと安心した旨弁解する。しかし、被告人の立場からみた場合においても、松本らは、教団にとって邪魔な存在である滝本弁護士に対し、その車に秘かに薬物を滴下してこれを吸引させようと計画したものであって、同弁護士が薬物を吸引した場合には、そのこと自体によって同弁護士が死亡する可能性も否定出来ない上、同弁護士が車の運転中に薬物の効果が現れた場合には交通事故により死亡する可能性が容易に想定されるのであって、右が同弁護士の殺害をも意図した襲撃計画であることは、みやすいところである。事態は、その後も薬物による襲撃計画の具体化とその実行という一定の方向へ向かって淀みなく進行しており、共犯者の行動が単なる演技に過ぎず、実際には滝本弁護士への危害は生じないと思わせるような事情は、全く存在しない。被告人が宗教上の指導者として松本を信頼していたとする事情を考慮しても、被告人の弁解は、滝本弁護士の生命身体への危険について不安を抱いたにもかかわらず、前記程度の松本の言によって不安が全面的に解消されたとする点で、著しく不自然かつ不合理であり、また何らの裏付けも伴わないものであって、本件における具体的な証拠関係に照らし、到底信用し得るものではない。
 したがって、被告人に殺意および共犯者との共謀が存在したとの点は、これを認めるに十分である。
〔量刑の理由〕
 一 本件の特異性
 本件は、教団の信者で弁護士の資格を有する被告人が、教団のためには法を犯すこともあえて厭わないという考えの下に、いわば職業的に犯罪を重ねていった事案である。各犯行は、いずれもそれ自体犯情によくない点があるが、弁護士がその立場や知識経験を利用して敢行したことから、相応の功を奏することも多かったものであって、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする弁護士が一連の各犯行に及んだという点において、特異な性格を有している。
 二 被告人と教団との関係
 被告人は、京都大学在学中に司法試験に合格し、司法修習を経て、一九八四年大阪弁護士会所属の弁護士となり、法律事務所において弁護士業務に従事していた。しかし、体調が思わしくなかったことから健康を気遣っていたところ、たまたま松本の著作に接して感銘を受けたことなどから、次第にその教えに傾倒していき、八八年二月ころ教団に入信し、やがて法律事務所を辞して、八九年十二月には出家と称する教団中心の生活に入った。被告人は、教団が社会との軋轢を募らせる中、次々に生ずる各種の法的紛争について、教団の弁護士としてこれに対応し、余人をもって代え難い存在として、教団内において重きをなしていった。
 三(略)
 四 殺人未遂(滝本サリン事件=筆者注)
 本件は、弁護士の行う法律事務に対し、殺害行為をもって応じようとしたものであり、言語道断の犯行である。犯行の態様は、計画性および組織性が顕著であるほか、手口が危険かつ陰湿であり、しかも、被告人と被害者がともに弁護士の職責上顔を合わせる機会をとらえて、裁判所構内で実行されており、犯情悪質である。
 五~九(略)
 一〇 被告人の刑事責任
 本件各犯罪自体は、いずれも教団にとって不都合な事態を違法行為をもって排除し、あるいは教団の利得を図ろうとして敢行された組織ぐるみの犯行である。それだけに全体として悪質性が目立っているが、被告人個人に対する量刑判断に当たっては、弁護人が指摘するとおり、被告人自身の認識や関与を吟味することが必要である。共犯者の中に特別な悪情状を有するものがあるとしても、これを直ちに被告人の悪情状と評価すべきものではない。しかしながら、そうした観点に留意しつつ検討した場合においても、被告人の有する弁護士資格と法技術に係る知見がこれらの犯行において果たした役割は、やはり大きいといわざるを得ない。被告人は、教団内で過ごすうち法律家としての責務を忘れ、弁護士の良心を捨てて行動していながら、それが正義であるかのように強弁する破滅的な道を突き進み、長年にわたり常習的に違法行為を重ねたものであって、その責務は誠に重大である。以上のような犯情にかんがみると、被告人のために斟酌すべき事情を十分に考慮しても、被告人に対しては、主文の刑を科するのが相当である。

底本:『オウム法廷11』(2003年、降幡賢一朝日新聞社