京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

『カラマーゾフの兄弟』P292-303   (『ドストエーフスキイ全集』第13巻(1959年、米川正夫による翻訳、河出書房新社))

とがあります!………これは証拠の書面です……手紙です……手にとってすぐ読んで下さい、はやく!……これはその悪党の、それ、その男の手紙です!」と彼女はミーチャを指さした。「お父さんを殺したのは、あの男です。あなた方も今すぐおわかりになります。あの男がお父さんを殺すつもりだと、わたしに書いてよこしたのです! ですが、あちらの方は病人です、譫妄狂にかかっているのです! わたしはもうあの人が譫妄狂にかかっているのを、三日も前から知っています!」
 彼女は夢中になってこう叫んだ。廷丁は、裁判長のほうへさし出された書類を受け取った。カチェリーナは自分の椅子にどっかと腰をおろすと、顔を蔽って、痙攣的に身をふるわせ、声を忍んで泣きはじめた。彼女はしきりに身ぶるいしながらも、法廷から出されはしないかという懸念から、微かな唸り声さえ抑えていた。彼女のさし出した書類は、ミーチャが料理屋『都』から出した手紙で、イヴァンが『数学的』価値のある証拠と名づけたものである。ああ、裁判官たちも事実、この手紙に数学的価値を認めたのである。この手紙さえなければ、ミーチャは破滅しなかったかもしれない、少くとも、あんな恐ろしい破滅の仕方をしなかったかもしれない! 繰り返し言うが、筆者は詳しく観察することができなかった。今でもただ一切のことが、雑然と頭に残っているばかりである。確か裁判長はその場ですぐ、この新しい証拠品を、裁判官たちと、検事と、弁護士と、陪審員一同に提供したはずである。筆者の憶えているのは、ふたたびカチェリーナの訊問が始まったことだけである。もう落ちついたか? という裁判長の優しい問いに対して、カチェリーナはすぐさまこう叫んだ。
「わたしは大丈夫です。大丈夫です! わたしは立派にあなた方にお答えができます。」彼女は依然として、何か聞きもらされはしないかと、ひどく恐れてでもいるように、言いたした。
 裁判長は彼女に向って、一たいこれはどういう手紙で、どういう場合に受け取ったのか、詳しく説明するように、と乞うた。
「わたしがこの手紙を受け取ったのは、兇行の前の日でした。けれど、あの人がこれを書いたのは、それよりまだ一日前で、つまり、兇行の二日前に料理屋で書いたのです、――ごらん下さい、何かの勘定書の上に書いてあるじゃありませんか!」と彼女は息をはずませながら叫んだ。「その時分、あの人はわたしを憎んでいました。だって、自分で卑劣なことをして、この売女のところへ行ったのですもの……それにまた、あの三千ルーブリをわたしに借りていたからですわ……ええ、あの人は自分が卑劣なことをしたものだから、この三千ルーブリがいまいましくてたまらなかったんですわ! この三千ルーブリはこういうわけでございます、――お願いですから、後生ですから、わたしの言うことを逐一きいて下さいまし、――あの人はお父さんを殺す三週間まえに、ある朝わたしのところへやってまいりました。わたしはその時、あの人にお金のいることも、何のためにいるかってことも知っていました、――それはこの売女をそそのかして、駈落ちするのに必要だったのでございます。わたしはその時あの人が心変りして、わたしを棄てようとしてるのを知っていたので、わざとそのお金をあの人に突きつけました。モスクワにいる姉に送ってもらいたいと言って、出したのでございます。その時お金を渡しながら、わたしはあの人の顔をじっと見つめました。そして、『一カ月後でもかまわないから』、気の向いた時に送ってもらったらいい、と申しました。そうです、わたしはあの人に面とむかって、『あなたは、わたしをあの売女に見かえるために、お金が入り用なんでしょう。だから、このお金をお取んなさい。わたし自分でこのお金をあなたに上げます。もし、これが受け取れるほどの恥知らずなら、遠慮なくお取んなさい!』と言ったようなわけでございます。どうして、どうしてあの人にそれがわからないはずがありましょう。わたしは、あの人の化けの皮をひん剥こうと思ったのでございます。ところが、どうでしょう? あの人は受け取りました。受け取って、持って帰って、あそこで一晩のうちに、あの売女と二人で費いはたしてしまったのです……けれども、あの人は悟っていました。わたしがお金を渡したのは、あの人がそれを受け取るほどの恥知らずかどうか、試しているのだということを、その時ちゃんと悟っていたのです。そしてまた、わたしが何もかもすっかり承知していることも、あの人にはわかっていたのでございます。ほんとうですとも、わたしがあの人の目を見ると、あの人もわたしの目を見ました。そして、あの人は何もかもわかったのです、すっかりわかっていたのですとも。それでいながら、わたしの金を受け取って、持って帰ったのでございます!」
「そうだ、カーチャ!」とミーチャはとつぜん叫んだ。「おれはお前の目を見て、お前がおれに恥をかかせようとしていることを悟ったよ。だが、やはりお前の金を受け取った! みんなこの卑劣漢を軽蔑して下さい。いくら軽蔑されたって、それは当然なんです!」
「被告」と裁判長は叫んだ。「もう一こと言うと、法廷から下げてしまいますぞ。」
「そのお金があの人を苦しめたのです」と、カーチャは痙攣したようにせきこんで言葉をつづけた。
「で、あの人はわたしにお金を返そうとしました。ええ、返そうとしたのです、それは本当です。けれど、この女のために、やはりお金がいったのです。そこで、あの人はお父さんを殺したのでございます。ですが、それでもお金はわたしに返さないで、この女と一緒にあの村へ行って、とうとう捕まったのでございます。それに、お父さんを殺して取って来たお金も、あの村でつかいはたしてしまいました。ところで、お父さんを殺す前々日に、あの人はわたしにこの手紙を書いたのです。酔っ払って書いたのです。わたしはその時すぐに、この手紙は面あてに書いたのだってことがわかりました。そして、たとえお父さんを殺しても、わたしがこの手紙を誰にも見せないってことを、あの人はよく知っていたのです。確かに知っていました。でなければ、こんな手紙を書くはずがありません! あの人はわたしが復讐をしたり、あの人を破滅さしたりするのを望まないってことを、ちゃんと知っていたのでございます。けれど、読んでごらんなさい、注意して、どうか十分に注意して読んでごらん下さい。あの人がどんなふうにお父さんを殺そうかと、前もって考えていたことや、どこにお金があるかちゃんと知っていたことなど、すっかりこの手紙の中に書いてあるのがおわかりになります。ごらん下さい、見おとさないようにごらん下さい。その中に『僕はイヴァンが出発するとすぐに殺すつもりだ』という句がありますから。それは、あの人が前もって、どんなふうにお父さんを殺そうかと、よく思案していた証拠でございます。」カチェリーナは毒々しく小気味よさそうな声で、裁判官に入れ知恵した。ああ、彼女がこの宿命的な手紙を残るくまなく熟読して、一点も残さず研究したことは明らかだった。「あの人も酔っ払っていなければ、わたしにそんな手紙を書きはしなかったでしょうが、まあ、ごらんなさい、これには何もかも予告してあります。何もかも寸分たがわずそのとおりです。あとでそのとおりにお父さんを殺したのです、まるでプログラムのようです。」
 彼女は夢中になってこう叫んだ。むろん彼女はもはや自分にどんな結果が降りかかってもかまわない、と覚悟を決めていたのである。もっとも、彼女はその結果を、一カ月も前から見抜いていたかもしれない。なぜなら、彼女はその時分から憎悪にふるえながら、『これを法廷で読み上げたものかどうだろう?』と考えていたらしいからである。けれども、彼女はそのとき崖から飛び下りたようなあんばいだった。今でも憶えているが、その場ですぐ書記が、声高らかにこの手紙を読み上げて、一同に驚くべき印象を与えた。ミーチャは、この手紙を認めるかどうかと訊かれた。
「私のものです、私のものです!」とミーチャは叫んだ。「酔っ払っていなければ書かなかっただろうに!………カーチャ、二人はいろいろなことでお互いに憎み合っていたね。だが、おれは誓って言う、本当に誓って言うが、おれはお前を憎みながらも愛していた。ところが、お前はそうじゃない!」
 彼は絶望のあまり、両手をねじり合せながら、どっかと自席へ腰をおろした。検事と弁護士とはかわるがわる、彼女に訊問を提出しはじめた。それは主として、『どうしてさっきそんな証拠を隠していたのです、また、なぜその前は全然ちがった気持と調子で申し立てをしたのです?」というような意味であった。
「そうです、そうです。わたしはさっき嘘を言いました。まったく名誉と良心を捨てて、嘘ばかり言いました。けれど、わたしはあの人を助けようと思ったのです。だって、あの人はあんなにわたしを憎んで、軽蔑していたんですもの!」とカーチャは狂気のように叫んだ。「ええ、あの人はわたしを恐ろしく軽蔑していました、いつも軽蔑していました。しかも、それは、それは、――わたしが例のお金のために、あの人の足もとに倒れて、お辞儀をしたあの瞬間から、わたしを軽蔑するようになったのです。わたしにはそれがわかっています……わたしはその時すぐに、それと気がつきましたけど、長いあいだ本当にすることができませんでした。わたしは幾度となくあの人の目つきに、『何といってもお前はあの時、自分でおれのところへ来ようと決心したじゃないか』という意味を読みました。ええ、あの人にはわからなかったのです。あのとき、わたしが何のために、あの人のところへ駈けつけたかってことは、ちっともわからなかったのです。何でもかでも、下劣な心から出たように疑うよりほか、あの人には芸がないんです! あの人は自分の物差しで人を量って、誰でもみんな自分のようなものだと思っていたのです。」カーチャはもう無我夢中になり、激しく歯をかみ鳴らすのであった。「あの人がわたしと結婚しようと思ったのは、ただわたしが財産を相続したからです。そのためです、そのためです! わたしはしょっちゅう、そうだろうと疑っていました! ええ、あの人は獣です! あの人はお腹の中で、わたしがあの時お金をもらいに行ったことを恥じて、一生涯びくびくしているに違いない、だから永久にわたしを軽蔑することができる、つまり主権を握ることができる、といつも信じきっていたのです、――だから、わたしと結婚しようという気になったのです! そうです、それに違いありません! わたしは、自分の愛でこの人に打ち勝とうと試みました。あの人の変心さえ忍ぼうとしました。けれど、あの人には何にも、何にもわからなかったのです。それに、あの人がものを理解するような人でしょうか! あの人はごろつきです! わたしはこの手紙を翌日の晩うけ取りました、料理屋から届けて来たのです。ところが、わたしはついその朝、ちょうどその日の朝まで、何もかも、――心変りさえ赦そうと思っていたのですからねえ!」
 むろん、裁判長と検事は彼女を落ちつかせようとした。彼女のヒステリイを利用して、こうした申し立てを聴き取るのが、彼らでさえも恥しかったらしい。筆者《わたし》は今でも記憶しているが、『あなたがどんなに苦しいか、私たちにもよくわかっています。どうか信じて下さい、私たちだって感情をもっている人間なのです』などという彼らの言葉を耳にした。けれども、やはりこのヒステリイで夢中になった女から、必要な陳述を引き出したのである。最後に彼女は、イヴァンが自分の兄である「ごろつきの人殺し」を救おうと、この二カ月間肝胆を砕いたために、ほとんど発狂しかかっていることを、きわめて明確に陳述した。そうした明確さは、こういう緊張した精神状態の時、ほんの瞬間的ではあるが、しばしば閃光のように現われるものである。
「あの人は苦しんでいました」と彼女は叫んだ。「あの人はわたしに向って、自分も親父を愛していなかった、あるいは自分も親父の死ぬのを望んでいたかもしれない、などと告白したりして、しじゅう兄さんの罪を軽くしようと骨折っていました。ええ、あの人は深い深い良心をもった人です! それで、自分の良心に苦しめられたのです! あの人は何もかもわたしに打ち明けていました、始終わたしのとこへ来て、たった一人の親友として、毎日わたしと話をしていました。ええ、わたしはあの人にとってたった一人の親友で、またそれを名誉に思っています!」彼女は挑むように目を輝かして、だしぬけにこう叫んだ。「あの人は二度スメルジャコフのところへ行きましたが、いつでしたか、わたしの家へ来て、もし下手人が兄でなくってスメルジャコフだったら(だって、当地ではスメルジャコフが殺したのだという、ばかばかしい噂がたったからです)、自分にも罪があるかもしれない、なぜって、スメルジャコフは自分が父親を愛していないことを知っていたし、また自分が父の死を望んでいるように思っていたかもしれない、とこう言ったことがあります。その時わたしはこの手紙を出して見せました。すると、あの人はいよいよ兄さんが殺したのだと確信して、ひどく仰天してしまったのです。親身の兄が親殺しだと思うと、たまらなかったのでございます。一週間ばかり前に会った時など、そのために病気にかかっているのが、わたしにようくわかりました。近頃は、わたしの家へ来て、譫言を言うほどになったのです。わたしは、あの人が正気を失ってゆくのに気がつきました。誰でも通りで出会った人は知っていますが、あの人は歩きながら譫言を言っていました。わたしの招きでモスクワから来た医者は、一昨日あの人を診察して、譫妄狂のような病気に近いと申しました、――みんなあの男のためです、あのごろつきのためなんです! とろが[#「とろが」に傍点]、ゆうベスメルジャコフが死んだことを聞くと、あの人はあんまりびっくりしたために、すっかり気が狂ってしまいました……これというのも、みんながあのごろつきのためです……ごろつきを助けたいという一心からきたんです!」
 ああ、むろん言うまでもなく、こうした言葉やこうした告白は、一生涯にたった一度いまわの際に、たとえば断頭台へのぼる瞬間ででもなければ、とうていできるものではない。けれど、カーチャはそれができるような性格でもあったし、またそういう刹那にぶっ突かったのである。それはあのとき、父を救うため若い放蕩者に自分の身を投げ出した、あの激しい気性のカーチャなのである。また先刻、この大勢の聴衆を前にして、気高い無垢な態度で、ミーチャを待ち受けている運命を少しでも軽減したいばかりに、『ミーチャの高潔な行為』を物語って、処女の羞恥を犠牲にした、あのカーチャと同一人なのである。で、今もまた彼女は自分の身を犠牲に供した。が、それはもうほかの男のためである。彼女ははじめてこの瞬間、この一人の男が今の自分にとって、いかに貴いかを感じもし、悟りもしたのであろう! 彼女は男の一身を気づかうあまり、男のためにおのれを犠牲にしたのである。とつぜん男が『下手人は兄ではない、自分だ』という申し立てで、一身を滅ぼしたと想像するとともに、男とその名誉と体面とを救うため、われとわが身を犠牲に供したのである! けれど、ここに一つ恐ろしい疑問がひらめいた。ほかでもない、彼女はミーチャとの古い関係を述べた時、嘘を言ったのではあるまいか、――しかし、これは問題である。いやいや、彼女は自分が頭を土につけて跪拝したために、ミーチャが自分を軽蔑していたと言ったが、それは決して故意に讒誣をしたのではない! 彼女はこれを信じていたのである。頭を地につけて跪拝した瞬間から、その時まだ彼女を尊敬していた単純なミーチャが、彼女を冷笑し軽蔑しはじめたものと、深く信じきったのである。で、彼女はただ自尊心のために、傷つけられた自尊心のために、ヒステリイ性の無理な愛をミーチャに捧げたのである。この愛は真の愛というより、むしろ復讐に似た点が多かった。ああ、このしいられた愛は、あるいは本当の愛に成長したかもしれない。カーチャは何よりもそれを望んでいたことだろう。しかし、ミーチャの変心は、彼女を魂の底まで侮辱したので、魂が赦すことを肯《がえ》んじなかったのである。ところが、突如として復讐の機会が降って来た。辱しめられた女の胸に、長いこと欝積していた一切の苦痛は、思いがけなく、一時に外部へほとばしり出た。彼女はミーチャを裏切ったが、同時に自分自身をも裏切ったのである。むろん、彼女は言うだけ言ってしまうと、急に心の張りがゆるんで、恥しさにたえられなくなった。またヒステリイが起った。彼女は泣いたり、叫んだりしながら、床に倒れた。こうして、法廷から連れ出されてしまった。彼女が外へ出されたその瞬間に、グルーシェンカはわっと泣きながら、誰もとめる暇のないうちに、自分の席からミーチャのそばへ駈け寄った。
「ミーチャ!」と彼女は喚いた。「毒蛇があんたの身を破滅させちまった! あの女はとうとうあなた方に本性を出して見せましたね!」彼女は憎悪のあまり身をふるわせながら、裁判官に向ってこう叫んだ。
 裁判長の合図によって、人々は彼女を摑まえて、法廷から出そうとしたが、彼女はなかなか応じないで、身をもがきながら、ミーチャにすがりつこうとした。ミーチャも叫び声を立てて、やはり彼女のほうへ飛び出そうとしたが、結局二人ともしっかり抑えられてしまった。
 実際、この光景を見た婦人たちは、さだめし満足したことと思う。実に得がたい変化に富んだ場面だったのである。ついで、モスクワの医者が現われたように憶えている。裁判長はイヴァンの手当てをさせるため、どうやらその前に廷丁をやったものらしい。医師は裁判官に向って、患者は非常に危険な譫妄狂の発作におそわれているから、すぐ病院へ連れて行かなければならない、と申し出た。それから、検事と弁護士との問いに対して、患者が自身でおととい診察を受けに来たこと、そのとき近いうちに発作が起ると予言したけれど、患者が治療を望まなかったこと、などを証言した。『患者はまったく、健全な精神状態ではなかったのです。自分で私に言ったことですが、患者はうつつに幻を見たり、とっくに死んでしまった人を通りで見たり、毎夜、悪魔の訪問を受けたりするそうです』と医師は言葉を結んだ。自分の申し立てを終えると、この有名な医師は退出した。カチェリーナが提出した手紙は、証拠物件の中に加えられた。裁判官は合議の上で審問を継続し、この二人(カチェリーナとイヴァン)の意外な申し立てを、調書に書き込むことにした。
 しかし、筆者《わたし》はもうそのあとの審問を書くまい。その他の証人の申し立ては、それぞれみんな異なった特質を持ってはいたが、しかし結局、以前の申し立てを反復し、裏書きするにすぎなかった。けれど、繰り返し言っておくが、すべての申し立ては検事の論告で一点に集中されているから、筆者はこれからその論告に移るとしよう。人々はいずれも興奮していた。みな最後の大椿事で電気に打たれたような姿で、熱心に大団円、――検事の論告と、弁護士の弁論と、裁判長の宣告を待っていた。フェチュコーヴィッチは、カチェリーナの申し立てに打撃を感じたらしかったが、その代り検事のほうは大得意であった。審問が終った時、ほとんど一時間ちかく休憩が宣せられた。やがて、いよいよ裁判長が弁論の開始を宣言して、検事イッポリートが論告を始めたのは、ちょうど夜の八時であったように思う。

   第六 検事の論告 性格論

 イッポリートは論告を始めた。彼は額とこめかみに病的な冷汗をにじませ、体じゅうに悪寒と発熱をかわるがわる感じながら、神経的にぶるぶると小刻みに身ぶるいしていた。それは、彼自身のちに言ったことである。彼はこの論告を自分のchef d'oe&uvre(傑作)と心得ていた。自分の一生涯を通じてのchef d'oe&uvre(傑作)すなわち白鳥の歌と考えていたのである。実際、彼はそれから九カ月後、悪性の肺病にかかって死んでしまった。だから、もし彼が自分の最後を予感していたものとすれば、彼は実際、自分で自分を臨終の歌をうたう白鳥に譬える権利を、立派にもっていたのかもしれない。彼はこの論告に自分の全心をそそぎ、あらんかぎりの知識を傾けて、そのためにはからずも、彼の心中に公民としての感情や、『永遠の』疑問が(少くも[#「少くも」はママ]、彼の内部にいれ得る範囲において)、ひそんでいることを証拠だてた。ことに、彼の論告はその真剣さで人を動かした。彼は被告の罪を本当に信じていたのである。彼は人から注文されたのでもなければ、単なる職務上の要求のためでもなく、心から被告の罪を認めて、『復讐』を主張しながら、『社会を救いたい』という希望に慄えていたのである。イッポリートに反感をいだいていた当地の婦人連でさえ、異常な感銘を受けたことを告白したほどである。彼はひびの入ったような、きれぎれなふるえ声で弁じはじめたが、やがてその声にだんだん力が入って来て、それからずっと論告の終るまで、法廷全部に朗々と響き渡った。けれど、論告を終るやいなや、彼はすんでのことに卒倒しないばかりであった。
陪審員諸君」と検事は口をきった。「この事件は全ロシヤに鳴り響いております。しかし、一見したところ、そこに何の驚くべきものがあろう? とくに何の恐るべきものがあろう? といった気がいたします。われわれにとって、とくにその感が深いのであります。われわれはかかる事件に慣れきっているはずです! しかし、われわれの恐怖は、むしろかかる暗黒な事件さえすでに人々を驚かすにたりなくなった、という点にあらねばなりません! それゆえ、われわれはおのれ自身の習慣を恐るべきであって、ある個人の罪悪に驚く必要はありません。かかる事件、すなわち好ましからぬ将来をわれわれに予言するかかる時代の特徴に対して、われわれが冷淡な微温的態度をとり得るのは、そもそもいかなる理由でありましょうか? それは吾人のシニズムにあるのでしょうか、それとも、まだ壮年期にありながら、すでに時ならずして老耄した社会の理性と、想像の萎微に存するのでしょうか? あるいはまた、わが国における道徳性の基礎の動揺にあるのでしょうか、それとも結局、わが国人がこの道徳性をぜんぜん有していないためでしょうか? 本職もこの疑問を解決することはあえてしません。まして、この疑問は非常に悩ましいものであって、すべての公民はこの疑問に苦しまずにいられないばかりか、また当然苦しむべき義務があるのであります。しかし、幼稚で臆病なわが国の新聞雑誌は、何といっても社会に対して、幾分かの貢献をしたに相違ありません。なぜかと言えば、もしこれがなかったら、放縦なる意志と道徳の廃頽が生み出す恐怖を、多少なりとも詳細に知ることができないからであります。新聞雑誌は絶えずこれらの恐怖を掲載して、ただにこの聖代の賜物たる新しい公開の法廷を訪《おとな》う人ばかりでなく、あらゆる人々に報道しているからです。われわれがほとんど毎日のように読むものは何でしょう? ああ、それは本件のごときすら光を失って、ほとんど平凡きわまるものに思われるほど、恐ろしい事件の報道なのであります。しかし、最もおもなことは、わがロシヤの国民的刑事事件の大部分が、一般的なあるもの、――すなわち、わが国民の習性と化したある一般的不幸を証明していることであります。したがって、一般的悪としてのこの不幸と戦うのは、われわれにとって非常に困難なのであります。
「ここに上流社会に属する立派な一人の青年将校がいます。彼はその生活と栄達の道を踏み出すか出さぬうちに、早くもいささかの良心の呵責も感ぜずして、卑劣にも夜陰に乗じて、おのれの恩人ともいうべき一小官吏と、その下女とを斬りました。それは自分の借用証書と一緒に、官吏の金を奪うためなのであります。その金は『社交界の快楽と、将来の経歴をつくるために役に立つだろう』というのでした。彼は主従を殺してしまうと、二人の死人に枕をさせて立ち去りました。また次に、勇敢な行為によって多くの勲章を下賜されている若い勇士は、まるで強盗のように大道で、恩を受けた将軍の母親を殺しました。しかも、自分の同僚を仲間に引き入れるために、『あの人は僕を親身の息子のように愛しているから、僕の忠告なら何でもきいて、大丈夫警戒しやしない』と言っています。この男はむろん無頼漢でしょうが、本職はいま、現代において、無頼漢はこの男だけだと言い得ないのであります。ほかの者は殺人こそしないが、内心ではこの男と同じように考えもし、感じもしているのです。心の中はこの男と同じく破廉恥なのです。彼は孤独の中で、自分の良心に面と向って相対した時、『一たい名誉とは何だろう? 血を流すことを罪だというのは偏見ではあるまいか?』と自問したことでしょう。ことによったら、人々は私に反対して、叫ぶかもしれません、――お前は病的でヒステリックな人間だ、ロシヤに向って奇怪な悪口をついているのだ、たわごとを言っているのだ、とこう言うかもしれません。勝手に何とでも言うがいい、――ああ、もし実際その人たちの言うとおりなら、私はまっさきに喜んだでしょう! ああ、私を信じないがよい、私を病人と思うがよい。けれど、私の言葉だけは記憶してもらいたいです。もし私の言葉に、十分の一でも、二十分の一でも真実があれば、――それは恐るべきことであります! ごらんなさい、諸君、ごらんなさい、わが国の青年はどしどし自殺しているではありませんか。ああ、彼らは『死んだらどうなるだろう?』などという、ハムレット式の疑問を毛筋ほども持たない。こうした疑問は影ほどもないのです。彼らはわれわれの霊魂と、来世でわれわれを待っている一切のものに関する議論を、心中とっくに抹殺し葬り去って、上から砂をかけてしまったかのようであります。最後に、わが国の放縦と無数の淫蕩漢をごらんなさい。本件の不幸なる犠牲者フョードル・パーヴロヴィッチも、彼らの中のある者に比較すれば、ほとんど何の罪もない孩兒のようなものです。しかも、われわれは彼を知っています。『彼はわれわれの間に生きていたのであります。』……そうです、いつかはわが国のみならず、ヨーロッパにおいても第一流の学者が、ロシヤの犯罪心理を研究することでしょう。この問題はそれだけの価値があります。しかし、この研究はもっと後になって暇な時、つまり、現在の悲劇的混沌が比較的背後に遠ざかった時、初めて行われるでありましょう。その時こそ、人々は私などよりはるかに理知的に、かつ公平に観察することができるに相違ありません。
「しかし、今日においてはわれわれはただ驚いているか、あるいは驚いたようなふりをしながら、実はかえってその光景に舌鼓を打ち、自分たちの遊惰になったシニカルな頽廃気分を衝動するような、とっぴな、強烈な感覚を愛するか、あるいは小さな子供のように、その恐ろしい幻影を払いのけて、もの凄い光景が消えてしまうまで、頭を枕の中に突っ込んでいて、そのあとですぐ、快楽と遊戯の中にすべてを忘れてしまうか、この三つのうちどれかであります。しかし、われわれもいつかは真面目に、考え深く生活を始めねばなりません。自己に対しても、社会に対するような視線をそそがなければなりません。われわれもわが国の社会的事件について、何らかの理解を持たねばなりません。少くとも、理解を持とうと努めなければなりません。前代の大文豪(ゴーゴリ)の一傑作(死せる魂)の結末において、全ロシヤをある不明な目的に向って疾走するトロイカに喩えて、『ああ、トロイカよ、小鳥のようなトロイカよ、誰がお前を考え出したのか!』と叫びながら、誇らしい歓喜をもって、このまっしぐらに駈けて行くトロイカに遇うと、諸国民がみな敬意を払って脇へよける、とこうつけ加えています。そうでしょう、諸君、敬意を払おうが払うまいが、むろんよけるのは結構です。しかし、天才ならぬ私の目から見れば、この偉大な芸術家がかような結論をしたのは、子供らしい無邪気な楽天主義に捉われたためか、それとも単に、当時の検閲を恐れたためとしか思われません。なぜかと言えば、もし彼のトロイカに彼の主人公なるソバケーヴィッチや、ノズドリョフや、チーチコフなどをつないだならば、誰を馭者に仕立ててみても、そんな馬ではろく[#「ろく」に傍点]なところへ走りつくはずがないからであります! しかも、それは昔の馬で、今日のわが国の馬にははるかにおよびません、現代のチーチコフはもっともっと上手《うわて》であります!………」
 ここで、イッポリートの演説は拍手のために中断された。ロシヤのトロイカの比喩にふくまれた、自由主義が気にいったのである。もっとも、その喝采は二つ三つもれただけなので、裁判長も聴衆に対して、『退廷を命ずる』などと嚇す必要がなかった。ただ野次のほうをきっと睨んだにすぎなかった。しかし、イッポリートはすっかり乗り気になってしまった。彼は今まで一度も喝采されたことがなかったのだ! 彼は長いあいだ傾聴されることなくして今日にいたったが、今やたちまち全ロシヤに呼号する機会を得たのである。
「実際」と彼は言葉をつづけた。「今度とつぜん、ロシヤ全国に悲しむべき名声を馳せたこのカラマーゾフ一家は、そもそもいかなるものでありましょうか? 私はあまりに誇張しすぎるかもしれませんが、わが国現代の知識階級に共通なある根本的の要素が、この家族の中に閃めいているように思われます、――もとより、すべての要素全部でないばかりか、『ただ一滴の水に映った太陽のように、』顕微鏡で見なければならぬほど小さな閃めきですが、しかしやはり、それは何事かを反映しているのです、何事かを語っているのです。この放縦で淫蕩な不幸な老人、あんな悲惨な最期を遂げたこの『一家の父』をごらんなさい。貧しい食客をもってその経歴を始め、思いがけない偶然な結婚によって、持参金から小資産を握ったこの生れながらの貴族は、最初は知的才能をもった、――それも決して少からぬ才能をもった小さな詐欺師で、かつ追従軽薄を事とする道化者で、ことに何よりも高利貸でしたが、年を経るにしたがって、すなわち資産が殖えるにしたがって、だんだん気が大きくなって、屈服と追従は影を消して行き、単に皮肉な毒々しい冷笑家、兼淫蕩漢になってしまいました。生活の渇望が猛烈になるとともに、精神的方面はきれいに抹殺されたのであります。そして、結局、肉的快楽のほか人生に何ものをも認めなくなり、自分の子供たちさえそういうふうに教導したのであります。彼は父としての義務観念など少しももっていません、むしろそんなものを冷笑していました。彼は自分の小さい子供たちを、下男まかせに邸裏で養育させ、彼らがよそへ連れて行かれた時などむしろ喜んだくらいで、すぐさま彼らのことを忘れてしまいました。この老人の精神的法則は、すべて――apre`s moi le de' lug(おれさえいなくなったら、洪水が起ったってかまうことはない)彼に公民という観念に反するものの好適例でした。最も完全な、毒々しい個人主義の標本でした。『世界じゅうが焼けてしまっても、おれさえ無事ならかまわない』という流儀でした。彼はいい気持で満足しきって、まだ二十年も三十年も、こういうふうに生きたいと渇望していたのです。彼は現在自分の息子の金をごまかして、つまり母親の財産を息子に渡してやらないで、その金でもって息子の恋人を奪おうとしたのです。そうです、私はペテルブルグから来られた敏腕なるフェチュコーヴィッチ氏に、被告の弁護を譲ることを欲しません。私自身、真実を語ります。彼が息子の心に投げ込んだ数々の忿懣を、私自身よく理解しているのです。しかし、この不幸な老人のことはもうよしましょう、たくさんです。彼はその報いを受けました。ところで、われわれの思わねばならぬことは、彼が父親であったことです、現代の典型的な父親の一人であったことです。彼が現代多数の父親の代表的な一人であるということによって、私ははたして社会を欺くことになるでしょうか? もとより、現代の父親の多くは、あれほど厚顔ではありません。なぜというに、彼らはよりよき教育、よりよき教養を得ているからであります。けれど、悲しいかな、彼らもほとんどフョードルと同じような哲学をもっています。おそらく私は厭世家でしょう。それでもかまいません。私はあなた方に赦してもらえるという条件の下に、この論告を始めたのです。で、前もって約束しておきましょう、あなた方は私を信じなくなってもよろしい、ただ私に話させて下さい、私の言いたいことをすっかり言わせて下さい、そして私の言葉を多少なりとも記憶して下さい。ところで、今度はこの老人、この一家のあるじの子供たちです。その一人は現に目の前の被告席におります。彼のことは後に言いましょう。あとの二人について、ちょっと簡単に言っておきますが、この二人の兄弟のうち、兄のほうは現代青年の一人です。彼は立派な教育を受け、きわめて鞏固な知力をもっていますが、何ものも信じようとせず、多くのものを、――人生におけるきわめて多くのものを、父親と同様に否定し、抹殺しています。われわれ一同は彼の説を聴きました。彼はこの町の社交界に歓迎されています。彼は自己の意見を隠蔽しない。それどころか反対に、まったく反対に、公々然と述べていました。したがって、いま私は彼のことを評する勇気を与えられたわけであります。しかし、むろん、それは個人としてでなく、ただカラマーゾフ家の一員として論ずるのであります。さて、昨日当地の町はずれで、病いに苦しんでいる一人の白痴が自殺しました。彼はこの事件に密接な関係を有する人間であって、同家の以前の召使を勤めていましたが、あるいはフョードル・パーヴロヴィッチの私生児かもしれません。すなわちスメルジャコフであります。彼は予審の時、ヒステリイじみた涙を流しながら、この若いカラマーゾフ、すなわちイヴァン・フョードロヴィッチがその放縦な思想をもって、いかに彼を驚かしたかを物語りました。『あの人の考えによりますと、その世では何事もみんな許されているのでございます。これからは何一つ禁じられるものはない、――と、こうあの人は教えて下さいました』と言いました。この白痴は、こうした説を教えられて、そのためにすっかり発狂してしまったらしいのであります。むろん持病の癲癇と、主人の家に突発した恐ろしい騒動が、彼の精神錯乱をたすけたことは言うまでもありません。けれど、この白痴は一つきわめて興味のある言葉をもらしました。それは、より以上聡明な観察者の言としても、立派なものと言っていいくらいで、したがって、私もこのことを言いだしたのであります。ほかでもない、『三人の息子たちの中で、その性質からいって一番フョードル・パーヴロヴィッチに似ているのは、あのイヴァン・フョードロヴィッチでございます』とこう彼は私に言いました。私はこの言葉を紹介して、一たんはじめた性格論を中断することにいたします。なぜなれば、これ以上言うのは、デリカシイを欠くものと認めるからであります。ああ、私はもうこれ以上断案を下すことは望みません。この青年の未来に対して、不吉な鴉啼きをしようとは思いません。動かしがたい正義の力が、今なお彼の若い心の中に生きていて、血族的な愛の感情が、不信やシニスムに消されていないことを、われわれは今日ここで、この法廷で認めました。この不信やシニスムは、真の苦しい思索の結果というよりも、むしろ父親から遺伝したものなのであります。次には第三子ですが、彼はまた敬虔、謙譲な青年で、兄の暗黒な腐爛した人生観と正反対であります。彼はいわゆる『国民精神』、――というよりも、むしろ、わが国の思想的知識階級に属する理論家の間で、この奇妙な名称を与えられているところのもの、――に合致せんとしています。ご存じでしょうが、彼は僧院に入っておりまして、いま少しで僧侶になるところだったのです。彼の心中には、無意識ではあろうが、早くからかの臆病な絶望が現われたように思われます。今日の悲しむべきわが国の社会においては、シニスムとその腐敗的影響を恐れて、一切の罪悪をヨーロッパ文明に嫁するような誤謬におちいり、この臆病な絶望に曳かれるままに、彼らのいわゆる『生みの大地』に走るものが多いのです。つまり、幻影に嚇された子供が、母親の抱擁に身を投ずるように、彼らは生みの大地に抱かれようとしているのであります。たとえ一生惰眠を貪っても、その恐ろしい幻影さえ見なればいいというので、弱りはてた母親の萎びた乳房に取りつき、安らかに眠ろうとしているのです。私一個としては、善良にして天才的なこの青年に、ありとあらゆる幸福を望みます。私は彼の若々しく美しい魂と、国民精神に対するその憧憬が、後にいたって、世間でよくあるように、精神的方面では暗黒な神秘主義におちいらぬよう、また政治的方面では盲目的な偽愛国主義に走らぬように望みます。この二つの要素は、彼の兄を苦しめているヨーロッパ文明、――犠牲を払わずして得られ、かつ曲解されたところのヨーロッパ文明、――から生ずる早老より、さらに危険なものであります。」
 偽愛国主義神秘主義に対して、また二三の拍手が起った。イッポリートはもうすっかり熱中しきっていた。しかし、彼の演説は少々事件に不適切な上に、筋道がすこぶる漠然としていた。けれども、憎悪の念に燃えたっている肺患者の彼は、せめて一生に一度でも、思う存分言いたくてたまらなかったのである。その後、町で行われた噂によると、イッポリートはかつて一二度、衆人の面前で、イヴァンに議論でやり込められたのを忘れないで、今こそ復讐してやろうという卑しむべき動機から、イヴァンの性格論をやったに相違ない、ということであった。けれども、そういう断案が正しいかどうか、筆者《わたし》は知らない。とにかく、これはほんの序論で、やがて演説は次第に、事件の本質に接近して行った。
「しかし、もう現代式の家長であるフョードルの長子にかえりましょう」とイッポリートは言葉をつづけた。「彼はわれわれの前で被告席に坐っております。われわれは彼の生活と、業績と、行為とを眼前に有しています。ついに時期が来て、何もかも表面に暴露されてしまったのです。自分の弟たちが『ヨーロッパ主義』や『国民精神』を抱擁しているのに反して、彼は、現在あるがままのロシヤを代表しています、――ああ、しかし、ロシヤぜんたいを代表しているのではありません。もしロシヤぜんたいだったら、それこそ大へんです! しかし、そこには彼女、われわれのロッセーユシカ、母なるロシヤが感じられます。彼女の匂いがし、彼女の声がきこえます。ああ、われわれロシヤ人は端的です。われわれは善と悪との驚くべき混合です。われわれは文明とシルレルとの愛好者でありながら、しかも酒場酒場を暴れ廻ってば、酔っ払いの飲み仲間の髯を引きむしっています。ああ、われわれとても、立派な善良な人間になることがあります。しかし、それはただわれわれ自身愉快な時にかざるのであります。そうです、われわれは高尚な理想に動かされることさえあります。ただし、その理想はひとりでに実現されねばならぬ、という条件つきであります。天から鼻のさきに落ちて来なければならん、つまり無報酬で(これが肝腎なのです)、無報酬で得られなければならんのであります。そのために一さい代価を支払う必要のないものでなければなりません。われわれは支払いをすることが大嫌いだが、その代り、もらうことは大好きです。しかも、万事につけてそうなのです。まあ、一つわれわれに与えてごらんなさい。人生において得られる限りの幸福を与えてごらんなさい(実際、得られる限りの幸福でなければいけない、それより安くは妥協しません)。そして、何事によらず、一さい、われわれのわがままを妨げずにおいてごらんなさい。その時はわれわれも、立派な咎人になり得ることを証明するでしょう。われわれは決して貪婪ではありません。が、なるべくたくさん、できるだけたくさんの金を与えてごらんなさい。そうすればわれわれが寛大無比な態度で、賤しむべき阿堵物《あとぶつ》に対する軽蔑を現わしながら、一夜のうちにむちゃくちゃにつかいはたしてしまうのを、あなた方はごらんになるでしょう。もしぜひとも必要な時に金をくれるものが誰もなければ、われわれはそれを立派に手に入れてお目にかけます。しかし、この事件はあと廻しにして、順序を追うて[#「追うて」はママ]お話しすることにしましょう。まずわれわれの前には、投げやりにされた憐れな子供がおります。それは先刻、尊敬すべき当地の市民(もっとも残念ながら、外国の生れではありますが)の言われたとおり、『靴もはかずに裏庭で』跳ね廻っていたのです。もう一度くり返して申しますが、私も被告を弁護する点においては、決して人後に落ちるものでありません。私は告発者であると同時に、弁護者でもあるのです。そうです、私も人間です、私は幼年時代や生家などの最初の印象が、人間の性格にいかなる感化を与えるものであるかを知っています。ところが、その子供は今やすでに成長して、立派な青年であり、士官であります。彼は乱暴を働いたり、決闘をいどんだりしたために、わが豊饒なるロシヤの辺境の町へ還されて、そこでも勤務し、かつ放蕩な生活を送ります。むろん、大きな船は航海も大きいわけです。しかし、必要なのは金です、まず何よりも金です。そこで、長いこと論争したあげく、とうとう父親から最後の六千ルーブリを受け取ることに決着して、その金が届いたのであります。ここで注意しなければならんことは、彼が証文を渡し