京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

『ドストエーフスキイ全集9 悪霊 上』(1970年、米川正夫による翻訳、筑摩書房)のP289-P312

ど、その花々しい政治的活動も、あまねく知れわたっていた。ところが、こんど急にニコライが、K伯爵令嬢の一人と婚約したという噂を、疑う余地もない事実のように世間でいい出した。そのくせ、こういう噂の起こった正確な動機は、だれひとり説明ができなかったのである。例のリザヴェータに関する奇怪なスイスの出来事にいたっては、婦人連もばったり話をしなくなった。ついでにいっておくが、ドロズドヴァ親子も、今まで怠っていた訪問を、この時すっかり果たしてしまった。で、リザヴェータのことなども、自分の病的な神経を『見得にしている』ごくありふれた娘としか見なくなった。ニコライが着いた日の卒倒騒ぎも、今ではただあの大学生の見苦しい振舞いにびっくりしたもの、というふうに解釈してしまった。前には一生懸命にファンタスチックな色彩をつけようとつとめたあの出来事さえ、今は強いて散文的なものとして取り扱うようになった。妙なびっこの女がいたことなどすっかり忘れてしまって、口に出すのさえ恥じるほどになった。
「たとえびっこの女が百人いるにもせよ、だれだって若い時分のことだもの!」と人々は思った。
 また母に対するニコライの敬虔な態度も担ぎ出された。そのほか、人々はいろいろと彼の美点をさがし出して、四年前ドイツの諸大学で獲得した彼の学識を、心から感服して語り合うのだった。ガガーノフの行為にいたっては、まるで『敵と味方の区別のつかない』拙いやり方ということになってしまった。ところで、ユリヤ夫人は、非常な洞察力をもった人という、断固たる定評を下されたのである。
 こういった具合で、いよいよ当のニコライが社交界へ姿を現わしたとき、一同はこの上もない無邪気な、真面目な態度で彼を迎えた。彼にそそがれた一同の目の中には、きわめて性急な期待が読まれたのである。しかし、ニコライはすぐさま、厳正な沈黙の中に閉じこもってしまった。もちろん、それはぺちゃぺちゃいろんなことをしゃべり散らすより、遙かに世人を満足さしたに相違ない。手短かにいえば、何もかもうまくいったのだ。彼は町の流行児となった。この県の社交界は、だれでもいったん顔を出した以上、もうどうしたって逃げ隠れするわけにはいかぬ。で、ニコライも以前どおり、洗練された技巧で県内のありとあらゆる習慣を遵奉し始めた。もっとも、人々はあまり彼を愉快な人とは思わなかったが、『なに、いろいろ苦労をしてきた人だもの、ほかの連中のようにはいかない。何か考えることもあるだろうさ』といった。四年前あれほど憎まれた高慢な態度も、傍へ近寄れないほど無愛想な様子も、今はかえって世間の気に入って尊敬を受けるようになった。
 だれより得意になったのは、ヴァルヴァーラ夫人である。リザヴェータに対していだいていた空想の崩れたために、夫人がひどく落胆したかどうかは、ちょっといいにくい。それにはもちろん家名という矜持も手伝っている。ただ一つ不思議なことに、ニコラスが本当にK伯爵の家で『選択』をしたということを、夫人は急にかたく信じ始めた。しかし、それよりさらに奇怪なのは、夫人のこれを信じるにいたった理由が、世人の耳にすると同じ途上風説にすぎないという一事である。直接、ニコライに聞くのは恐ろしかった。もっとも、二、三ど我慢し切れなくなって、彼が母親に十分うち解けてくれないのを遠まわしに責めてみたが、彼はにたりと笑ったのみで、依然沈黙を続けていた。沈黙は同意のしるしと解釈された。ところが、どうしたことか、こういう事情にもかかわらず、夫人は片時もあのびっこを忘れることができなかった。彼女のことは、まるで石ころか悪夢のように胸につかえて、奇怪な幻影が謎のように夫人を悩ました。しかも、これがK伯爵の令嬢に関する空想と、同時に隣り合って、夫人の心に宿っているのであった。しかし、このことは後で話すとしよう。いうまでもなく、社交界ではヴァルヴァーラ夫人に対して、ふたたびなみなみならぬ用心ぶかい尊敬を示し始めた。が、夫人はあまりそれを利用しようとしないで、ごくたまにしか外出しなかった。
 とはいえ、彼女は表向きに知事夫人を訪問した。もちろん、ユリヤ夫人が貴族団長の夜会でのべたかの意味深長な言葉に魅了され、とりこになった点では、彼女をもって第一に指を屈しなければならぬ。あの言葉は、夫人の胸から幾多の憂悶を去り、かのいまわしい日曜以来、彼女を苦しめていたさまざまな疑問を、一挙にして解決してくれた。
『わたしはあの女を誤解していた!』と夫人はいった。そして、持ち前の一本気な性質から、いきなりユリヤ夫人に面と向かって、『わたしはあなたにお礼をいいに[#「お礼をいいに」に傍点]来ました』といい放ったほどである。ユリヤ夫人はすっかり悦に入ったが、それでも、厳然たる態度を崩さなかった。彼女はそのころ大いに自分の価値を意識しはじめた。むしろ少々度を越すくらいだった。たとえば、彼女はさまざまな話の中で、自分はスチェパン氏の事業についても、また学者としての名声についても、今まで少しも聞くところがないといい切った。
「もっとも、わたし、ヴェルホーヴェンスキイの息子さんには、出入りもさせていますし、かわいがってもいます。あの方は無分別ではありますが、なにぶんまだお若いのでございますからね。けれど、なかなかしっかりした知識を持っていらっしゃいますよ。なんといっても、時代におくれた旧式の批評家などとは違いますからね」
 ヴァルヴァーラ夫人はすぐさま大急ぎで、スチェパン氏は、今までかつて批評家だったことはない、それどころか、一生を自分の家で過ごしたのだ、と弁解した。ただあの人が有名になったのは、社会的活動の第一歩を踏み出した時の、四囲の状況のためなので、『この状況は全世界に知れ過ぎるくらい知られて』いる。近頃になってからは、スペイン歴史のほうでも知られているし、今もドイツ大学の現状について何か書こうとしているし、それからまたドレスデンのマドンナのことも、何やら書くつもりらしい、などとのべた。手短かにいえば、ユリヤ夫人にスチェパン氏をこき下ろされたくなかったのだ。「ドレスデンのマドンナですって? それはシスティンのマドンナのことですか? ヴァルヴァーラ・ペトローヴナ、わたしあの画の前に二時間ばかり腰かけて見ましたが、とうとう失望して帰りました。わたしなんにもわかりませんでした。そして、すっかり驚いてしまったのでございますよ。カルマジーノフさんも、やっぱりわからないといってらっしゃいます。今ではみんな、――ロシヤ人でもイギリス人でも、なんの値打ちもない作だといっておりますわ。あんなやかましくどなり立てたのは、老人連ばかりでございますよ」
「つまり、流行が変わったのですね」
「ですけれど、わたしロシヤの若い人たちも軽蔑してはいけない、と思いますの。みんなが、あの連中は共産主義者だ、と申しておりますが、わたしの考えでは、あの人たちをもっと寛大に扱って、もっとあの人たちを尊重しなくちゃならない、と思います。わたし今なんでも読みますの、――どの雑誌でも、どの宣言文でも、自然科学の本でも、――なんでも取り寄せておりますの。なぜって、わたしたちだってもういい加減、自分がどこに住んでいて、だれを相手にしているかってことを、知ってもいい時分でございますからね。一生自分の空想の高嶺に住んでいるわけにはまいりません。こういう結論に到達しましたので、わたしは若い人たちを手なずけて、それでもって危い瀬戸際で引き留めよう、とこういう規則を立てましたの。ねえ、ヴァルヴァーラ・ペトローヴナ、わたしたち上流社会の人間だけが、善良な感化力と優しい態度でもって、性急な老人連に無限の淵へ追いやられている青年を、危い瀬戸際で引き留めることができるのでございます。ときに、あなたのおかげで、スチェパンさまのことを伺って、いいあんばいでした。あなたはいいことを思いつかしてくださいました。もしかしたら、あの人はわたしの文学会を後援してくださるかもしれませんね。実はね、わたし予約申込みの方法で、娯楽デーを計画しているのでございます。収入は県内の貧しい保姆に寄付するはずですの。そういった保姆は、ロシヤ全国に散らばっていますが、この一郡内だけでも六人からになります。そのほか電信技手をしてるのが二人に、大学へかよってるのが二人あります。ほかの者も勉強はしたいのでしょうが、学資がないのでございます。ヴァルヴァーラ・ペトローヴナ、ロシヤ婦人の運命は恐ろしいものでございますよ! これがいま大学制度問題にもなっていますし、国会の討議に付せられたことさえあります。まったくこの奇妙なロシヤという国では、なんでも勝手なことができるんですからねえ! こういうわけでして、やはり、いま申した上流社会の親切な態度と、人手を借りぬ直接な温みのある斡旋ひとつで、この偉大な事業に正しい方向を与えることもできるのでございます。ああ、ロシヤの国には光輝ある人格の所有者が少ないのでしょうか。いえ、そんなことはありません。ただそういう人が、てんでんばらばらになっているのでございます。ですから、一つみんなで力をあわせてもっともっと強い勢力になろうじゃありませんか。で、つまり、こんなふうに計画しているのでございます。初めは文学講演会のような催しにして、そのあとでちょっとした食事を出します。それから、しばらく休憩時間として、夜は舞踏会を開くつもりでございます。初め活人画で夜会の幕を開けようかと思ったのですけれど、あまり費用《かかり》が大きくなるようでしたから、まあ一般の公衆の得心がゆくように、カドリールを一つ二つ挟むことにしました。これはある二、三の文学上の流派を象《かた》どった特色のある面や衣裳を着けて踊るのでございます。この軽い味のある趣向は、カルマジーノフさんが貸してくだすったのです。わたしはいろいろとあの人に助けてもらっておりますの。ところでねえ、あの人はまだだれも知らない最近の作を、今度の会で朗読することになっているのでございます。向後あの人は筆を折って、もう何も書かないといっておられます。で、この最後の創作は公衆に対する告別の辞になるのでございます。このすぐれた作物は『メルシイ』という題ですの。ええ、フランス語の題ですの。けれど、あの人はそのほうが愛嬌がある、優美だとおっしゃいましてね……わたしもやっぱりそう思いますの、かえって、わたしのほうからすすめたくらいでございます。いかがでしょう、スチェパンさまも何か朗読してくださいましょうね……もっとも、あまり長くないものがよろしゅうございます。そして……あまりむずかしい議論めいたものでも困りますの。そのほかピョートル・スチェパーノヴィチと、もう一人だれやらが、何か朗読をしてくださるはずでございます。いずれピョートル・スチェパーノヴィチがお宅へお寄りして、プログラムを申し上げるでしょう。いえ、それよりも、いっそわたし自分でそれを持って、お宅へ伺うわけにはまいりませんでしょうかしら」
「ねえ、あなた、わたしにもその名簿に、寄付の申し込みを書かしてくださいまし。わたしスチェパン・トロフィーモヴィチにそういいまして、自分でも一生懸命に頼みましょう」
 ヴァルヴァーラ夫人はすっかり魅了されて、家へ帰った。彼女はもう押しも押されもせぬ、ユリヤ夫人の味方だった。そして、どういうわけか、おそろしくスチェパン氏に腹を立てていた。こちらはじっと家に引っ込んだまま、かわいそうに、なに一つ知らなかったのである。
「わたし、あのひとに惚れ込んでしまいました。本当にどうして今まで、あのひとのことを思い違いしていたのか、自分ながら合点がいかないくらいですよ」夕方せわしそうに立ち寄ったピョートルと、息子のニコライに向かって、夫人はこんなことをいい出した。
「それにしても、あなたはうちの親爺と仲直りしなくちゃいけませんよ」とピョートルはすすめた。「親爺はすっかり落胆していますよ。だって、あなたはあの爺さんを、まるで台所へ追っ払うようなことをしていらっしゃるんですもの。昨日なぞも、あなたの馬車に出会ったとき、丁寧にお辞儀をしたのに、あなたはぷいとそっぽを向いておしまいになったでしょう。実はね、ぼくらは親爺をひとつ担ぎ出そうと思ってるのです。ちょっと、当てにしてることがありましてね。親爺だって、また何か役に立つこともあるでしょうよ」
「ええ、あの人に何か朗読をさせなくちゃならないのです」
「ぼくはそのことばかりいってるわけじゃありません。ところで、きょうぼくは親爺のところへ寄って行こうと思ってたのですが、じゃ、そのことを話しておきましょうね?」
「それはお心まかせに。けれど、どんなふうにしようと思ってらっしゃいますの」と夫人は決しかねたようにいった。「わたし自分であの人と相談するつもりで、日と場所を決めようと思ってたんですがねえ」
 夫人は烈しく眉をひそめた。
「なんの、日を決める必要なんかありゃしませんさ。ぼくが手っ取り早くいっておきましょう」
「じゃあ、そういっていただきましょうか。まあ、それでもやっぱり、わたしが会見の日を決めるつもりでいると、一口いい添えてくださいな。忘れないでね」
 ピョートルは薄笑いを浮かべながら、駆け出した。いまわたしの思い出す限りでは、このごろ彼はだれに向かっても概してつっけんどんで、いらいらした無遠慮な口のきき方をしていた。が、妙なことに、みんなそれを大目に見ていたのである。それに、全体として、この男に対しては特別な見方をしなければならない、といったような意見が公認されていた。ここでちょいと断わっておくが、彼はニコライの決闘事件について、なみなみならぬ憤懣を示したのである。彼にしてみると、このことは寝耳に水だった。この話を聞いたとき、彼は真っ青になってしまった。或いはいくぶん、自尊心を傷つけられたように思ったのかもしれない。なぜなら、彼がこのことを初めて耳にしたのは、やっと翌日になってからで、もうその時は町じゅうに噂が広まっていたからである。
「あなたは決闘する権利など、少しもなかったんですよ」
 とうとう五日もたって、偶然クラブでスタヴローギンに出会った時、彼はささやくようにいった。
 なお一つ奇妙なのは、ほとんど毎日ヴァルヴァーラ夫人のところへ寄っていたピョートルが、その五日間、一度もスタヴローギンに会わなかったことである。
 ニコライは『まるでなんのことだかわからない』といったような気のない目つきで、じっと言葉もなく相手を見つめていたが、そのまま立ちどまろうともせず、歩みを運んだ。彼はクラブの大広間を横切って、酒場《ブフェー》のほうへ行こうとしていたのである。
「あなたはシャートフのところへも行きましたね……そして、マリヤさんのことも発表しようと思ってるんですね」と彼はその後を追って走りながら、妙に落ちつきのない手つきで相手の肩を抑えた。
 ニコライは、いきなり肩からその手を振り落として、もの凄く顔をしかめながら、くるりと後を振り向いた。ピョートルは奇妙な引き伸ばすような微笑を浮かべながら、じっとその顔を見守った。それはほんの一瞬間だった。ニコライはさっさと向こうへ行ってしまった。

[#6字下げ]2[#「2」は小見出し

 彼はさっそくヴァルヴァーラ夫人の家から、『親爺』のところへ駆け出した。彼がこんなに急いだのは、ただ以前うけたある侮辱の腹いせをするためであった。わたしはついその日まで、この侮辱一件を少しも知らなかったが、実はこの前ピョートルが訪ねて来た時(それは先週の木曜日だった)、スチェパン氏は、自分のほうから喧嘩の火蓋を切ったくせに、とうとう息子を棒切れで追い出してしまったのである。当時、彼はこのことをわたしに隠していた。しかし、今ピョートルがいつもの癖で、子供らしいくらい高慢な薄笑いを浮かべて、じろじろと隅から隅まで探り廻すような、気持ちの悪いほど好奇心の勝った目つきで、いきなり部屋の中へ駆け込むやいなや、スチェパン氏はこっそりとわたしに合図をして、この部屋を出て行くなという意を伝えた。こういうわけで、わたしは今度こそ二人の話を初めからしまいまで聴いてしまった。で、はじめてこの親子の本当の関係が目の前に暴露されたのである。
 スチェパン氏はソファーの上に長くなって坐っていた。例の木曜日以来だいぶ痩せて、顔色まで黄がかってきた。ピョートルは思い切ってなれなれしい様子で、父親の傍に腰を下ろした。しかも、子として父に対する礼儀の要求するより、ずっと余計に場所を取りながら、両足を尻の下に敷いて、ソファーの上に納まり返ったのだった。スチェパン氏は無言のまま威を示しながら、少しわきのほうへ片寄った。
 テーブルの上には、一冊の本が開いたまま置いてあった。それはチェルヌイシェーフスキイの小説『何をなすべきか』であった。悲しい哉、わたしはここでこの親友の奇怪な、狭量な態度を、是認しないわけにはいかない。ほかでもない、自分はこの隠遁生活を脱して、最後の一戦に勝負を決しなければならぬという空想が、彼の魅惑された脳裏にだんだん強く根を張ってきたのである。彼がこの小説を手に入れて研究[#「研究」に傍点]しているのは、ただただ『怒号叫喚せるやから』と衝突の避け難くなった時をおもんぱかって、あらかじめ敵の態度と論法を、敵自身の『経典《カテヒジス》』によって究めたうえ、この戦闘準備で彼ら烏合の衆を、みごと夫人の眼前に[#「夫人の眼前に」に傍点]くつがえしてくれようという作戦である。わたしはそれを見抜いていた。ああ、この本がどれくらい彼を苦しめたことだろう! 彼はときおり夢中になってそれをほうり出しながら、いきなり椅子を飛びあがって、前後を忘れたように部屋じゅう歩き廻るのだった。
「この著者の根本思想が間違ってないということは、それはわたしも是認する」と彼は熱に浮かされたような調子でわたしに言いいいした。「しかし、それだけになお恐ろしくなる! 思想は同じくわれわれのものだ。正真正銘、われわれのものだ。きみ、われわれが初めてこれを播《ま》いて、育てたのだ。われわれが準備したのだ、――そうさ、あいつらはわれわれの後から出て来たくせに、なんの自力で新しいことがいえるものか! しかし、まあ、これはなんという表現だろう。なんという曲解だろう、なんという冒涜だろう!」と彼は指で本をはじきながら叫んだ。「いったいわれわれはこういう結果を目ざして努力したんだろうか? 本来の思想は、まるで見分けも何もつきゃしない!」
「文化の空気を呼吸してるの?」テーブルから本を取って、標題をみながら、ピョートルはにやりと笑った。「とうからそうすべきはずだったんだよ。もしなんなら、ぼくもっと気の利いたのを持って来てあげよう」
 スチェパン氏はまたもや威を示しながら、無言を守っていた。わたしは片隅の長いすに腰をかけていた。
 ピョートルは早口に来訪の理由を説明した。もちろん、スチェパン氏は一方ならず驚いて、異常な憤懣を混じた驚愕の表情で聴いていた。
「いったいあのユリヤ・ミハイロヴナが、そんなことを当てにしてるのかい、わたしが出かけて行って、朗読するなんて?」
「といっても、あの人たちは何もそんなに、お父さんを必要としてるわけじゃないんだよ。それどころか、ほんのちょっと、あんたにお愛想を見せて、それで、ヴァルヴァーラ夫人のご機嫌をとろうというだけなのさ。しかし、もちろん、この朗読を断わるなどという、そんな失礼なことはできないよ。それに、ぼくなんか、自分でもやってみたいように思われるがなあ」彼はにやりと笑った。「お父さんみたいな老人連は、だれでも地獄の火みたいな野心が勃々としてるんだから。しかしね、とにかく退屈にならないように気をつけてください。たぶん、なんだね、スペイン史か何かだろうね。何にしても、三日ばかり前に一どぼくに読ませてください。でないと、きっと眠くなるようなものに相違ないから」
 あまりにも露骨で粗暴で、しかも、せっかちなこの皮肉の調子は、明らかに前もって企んだものだった。さながらスチェパン氏に対しては、これ以外もっと婉曲な表現や観念をもって話し合うことは、とうてい不可能だというようなふうだった。スチェパン氏は依然として、侮辱に気を留めないようにと努めていた。しかし、続いて報じられた出来事は、いよいよ出でていよいよ恐ろしい印象を与えたのである。
「え、あのひとまで、あのひとまで自分で[#「自分で」に傍点]このことを伝言するように……あなた[#「あなた」に傍点]に命じたのですか?」と彼はあおくなってたずねた。
「いや、本当は二人でよく打ち合わせるために、日にちと場所を決めようといってるのさ。あなたがた二人の感傷ごっこの名ごりだあね。なにしろ二十年間、あのひとのご機嫌をとってたものだから、思い切って滑稽な癖を教え込んでしまったんだ。が、心配しなくてもいいよ。今はもうまるで違ってしまった。あのひとも自分の口から、今では『ものを見透す』ようになったと、口癖のようにいってるからね。ぼくはいきなりあのひとにこういって聞かせてやった。あなた方の友情なんてものは、まるでなんのことはない、泥水の吐き合いっこだ、とね。あのひとはね、お父さん、いろんなことを話して聞かせましたぜ。ふう、本当にお父さんは長年の間、それこそ体《てい》のいい下男奉公をしてきたってわけなんだねえ。まったくおかげで顔を赤くしちゃった」
「わたしが下男奉公をしてたって?」スチェパン氏はとうとう我慢しきれなくなった。
「もっと悪いくらいだよ。お父さんは居候だったんだ、つまり、押しかけの下男だったんだ。働くのは大儀だし、金はだれしもほしいからね。今はあのひともそれをすっかり悟っちまったのさ。少なくも、お父さんのことであのひとの聞かせた話は、実に戦慄すべきものだった。ねえ、お父さん、あのひとに宛てたお父さんの手紙では、ぼくすっかり腹をかかえて笑っちゃったよ。きまりも悪いし、いやらしくもあるしさ。しかし、とにかく、あなた方は堕落してるんだ。極端に堕落してるんだ。恩恵というやつの中には、永久に人を堕落させるようなものが含まれてるが、お父さんの場合はその好適例だね!」
「あのひとがお前にわたしの手紙を見せたって?」
「一つ残らず。もっとも、そんなものを一々読んでる暇なんか、もちろん、ありゃしないけれどね。ふう、だがお父さんも恐ろしく手紙を書き潰したもんだなあ。おおかた二千通以上あるよ……ところでね、親爺《おやじ》さん、ぼくの考えでは、あのひとがあんたと結婚する気になった時が、ほんの一瞬間くらいあったらしいね。それをお父さんが間の抜けたことをやって、取り逃してしまったのさ! ぼくはもちろんお父さんの見地に立って話してるんだよ。しかし、それでもまだ今よりはよかった。今はほんの慰み者の道化かなんぞのように、『他人の罪業』と結婚させられようとしてるんだからね、しかも、金のためにさ」
「金のために? あのひとが、あのひとが金のためにといったのか!」とスチェパン氏は病的にわめいた。
「でなきゃ、どうだというの。いったいお父さんどうしたんだ、ぼくは、むしろ、あんたを弁護したんじゃないか。実際、それがお父さんにとって、唯一の弁明法だからね。あのひとは自分でもちゃんと飲み込んだよ、――あんただって、ほかの人と同様に金が必要だったし、また、その点はおそらく正当だろうからね。ぼくはね、あんた方が利益交換を基礎として暮らしていたのを、二二が四よりも明瞭に証明してやった。つまり、あのひとは資本家だし、お父さんはお傍つきのセンチメンタルな道化だったのさ。もっとも、金のことだったら、たとえお父さんがあのひとを牝山羊のように搾ったからって、けっしてあのひとは腹を立てやしない。ただ二十年もあんたを信用したのが、いまいましいんだ。あんたが高潔高潔であのひとをだまし込んで、あの長いあいだ嘘ばかりつかしたのが腹が立つんだ。あのひと自身で嘘をついたのは、けっして自覚しやしない。しかし、そのためにお父さんは、二重にひどい目に遭わなきゃならないのだ。だが、どうしてお父さんは、いつか総勘定をする時が来るってことに思い到らなかったんだろう。それがぼくには合点がいかない。なんてっても、あんたにだっていくらか知恵があったんだからなあ。ぼくはあんたを養老院へ入れるように、昨日あのひとにすすめたのさ。まあ、安心なさい。体裁のいい所へ入れるんだよ。腹の立つようなことはありゃしない。あのひともたぶんそうするだろうよ。お父さんが二週間まえX県あてで、ぼくによこした一番しまいの手紙を覚えてる?」
「まさかお前、あれを見せやしないだろうな?」スチェパン氏は慄然として躍りあがった。
「へ、どうして見せずにいるもんですか! まっさきに見せちゃったよ。つまり、あのひとがお父さんの才を羨んで、お父さんを利用しようとしてるだの、例の『他人の罪業』のことだのを知らせてよこした、あの分でさあ。しかし、お父さん、あんたの自惚れの強いのにも驚いてしまうね! ぼく腹をかかえて笑っちゃったよ。とにかく、全体お父さんの手紙は退屈千万なもんだ。あなたの句法ときたら、たまらないからね。ぼくはしょっちゅう読まないでうっちゃっとくのだ。一通なんぞは今だに封を切らないで、ごろごろしているくらいだよ。一つ明日お返ししよう。けれど、あの、あの一番しまいの手紙ときたら、もう完全の極致だ! 実に笑っちゃった、腹をかかえて笑っちゃった」
「悪党、悪党!」とスチェパン氏はわめいた。
「ちぇっ、あきれちゃったね、あんたとは話もできやしない。ねえ、あんたはまた前の木曜日みたいに怒り出すの?」
 スチェパン氏は気色《けしき》を変えて身を伸ばした。
「なんだってお前はおれに向かって、そんな言葉づかいができるんだ?」
「へえ、どんな言葉づかいなんだろう。簡単で明瞭な言葉づかいじゃないか?」
「やい、悪党、いったい貴様はおれの子なのかどうなのだ、まっすぐに白状しろ!」
「そんなことは、お父さんのほうがよく知ってるはずじゃないか。もっとも、父親というものはこんな場合、えて目が眩みやすいものだけれど……」
「黙れ、黙れ……」スチェパン氏は全身をわなわなと慄わした。
「そうら、お父さんはまたこの前の木曜日のように、どなったり悪態をついたりして、ステッキを振り廻さないばかりの勢いだが、ぼくはあんたのために、証拠書類をさがし出してあげたよ。もの珍しさに、ゆうベ一晩がかりでカバンの中を掻き廻したのさ。もっとも、別にどうといってとりとめもないことばかりだから、安心していいよ。例のポーランド人に宛てたお母さんの手紙だがね、お母さんの性質から判断してみると……」
「もうひと言いってみろ、おれは貴様に頬桁を食らわしてやるから!」
「ああいう人だ!」突然ピョートルはぼくのほうへ振り向いた。「ねえ、ぼくらはもう先週の木曜日からこんなふうになってるんですよ。今日はそれでも、あなたが立ち会ってくださるから、ぼくは大いに嬉しいんです。まあ、考えてみてください。まず最初の事実はこうなのです。親父は、ぼくが母のことをあんなふうにいうって、怒ってるんですが、ぼくがそうするようにと仕向けたのは、親父自身なんですよ。ぼくがまだ中学生時分に、親父はペテルブルグで一晩に二度くらいずつ、ぼくを揺すぶり起こして、一生懸命にだき締めるのです。そして、まるで女の腐ったみたいに泣きながら、毎晩毎晩どんなことを話して聞かせたか、まあ、あなた想像がつきますか。つまり、今のように無作法千万な、母の昔話じゃありませんか! ぼくは親爺の口から、初めて耳にしたような始末なのです」
「おお、おれはあの時もっと高遠な意味でそういう話をしたのだ! おお、貴様はおれの心持ちがちっともわからなかったのだ。貴様は少しも、てんで少しもわからなかったのだ」
「しかし、お父さんの話は、ぼくのよりかもっと下劣だったろう。実際、下劣だったろう、白状しなさい。実はね、ぼくそんなことどうだってかまやしないんだよ。ぼくはあなたの身になっていってるので、ぼく自身の見地に戻れば、ぼくはもうとう母を責めようと思わない。その点はご心配ないように。あなたはあなた、ポーランド人はポーランド人さ。どっちだって同じことさ。お父さんがベルリンでへまな目に遭ったからって、何もぼくの知ったことじゃないからね。それに、第一、あんたなぞに気のきいたことができっこないじゃないか。いったいこんなことばかりしていても、それでもあんた方は滑稽な人間でないというの! それに、ぼくがあなたの子だろうと、またそうでなかろうと、そんなことはどっちだって同じじゃないか? 実はね」彼はまたもや出しぬけにわたしのほうへ振り返った。「親爺は一生涯、ぼくのために一ルーブリの金も使わず、十六の年までまるっきりぼくを知らなかったばかりか、その後になってぼくの財産をすっかり横領してしまったくせに、今さらとなって、やれ一生ぼくのことで心を痛めたとかなんとかわめいて、ぼくの前で役者めいた所作をするじゃありませんか。ぼくはヴァルヴァーラ夫人と違うからね、とんでもないこった!」
 彼は立ちあがり、帽子を取った。
「おれは今後、おれの名をもって、貴様を呪ってやる!」スチェパン氏は死のごとく真っ青になって、わが子の頭上に手を差し伸べた。
「人間もまあどこまで馬鹿になるか方図が知れん!」とピョートルはあきれ返った。「じゃ、さようなら、古物先生、もう二度とあんたのところへ来やしないから。論文はなるべく早く届けるんだよ、忘れないようにね。そして、できることなら、馬鹿馬鹿しい理屈は抜きにして、事実、事実、事実と、こういうふうに頼みますよ。そして、何よりも簡単でなくちゃ困る。さようなら!」

[#6字下げ]3[#「3」は小見出し

 もっとも、これにはまだ別な動機もあったのだ。実際、ピョートルは父親にすこし当てがあったのだ。わたしの考えるところでは、彼は老人を極度の絶望に導いて、そのうえである種の騒ぎを引き起こそうともくろんでいるらしかった。これは彼にとってゆくゆく別な目的に役立つのだった。しかし、このことはまた後で話そう。こういうふうの目論見や計画は、当時、彼の頭に山ほど積まれていた――が、もちろんそれはみんなとてつもない、夢のようなものばかりだった。彼の狙っている犠牲は、スチェパン氏のほかにもう一人あった。全体として、彼の犠牲は一人や二人でなかった、これは後日判明したことなので。しかし、この犠牲だけは彼も特別あてにしていた。ほかでもない、かのフォン・レムブケー氏その人である。
 アンドレイ・アントーノヴィチ・フォン・レムブケーは、自然の恩寵をほしいままにしている種族([#割り注]ドイツ人をさす[#割り注終わり])に属していた。この種族は、ロシヤでは年鑑を繰って見ると、何十万と数えるほどの人数を含んでいて、自覚こそしていないかもしれないが、その全人員をもって、厳正に組織化せられた一つの連盟を形づくっているのだ。もちろん、この同盟は、ことさら計画したものでもなければ、人為的に工夫したものでもなく、一つの種類全体がなんの契約も条文もなく、一種の精神的義務団体というような意味で、自然と結合している現存のものであって、時や場所や状況のいかんを問わず、常に連盟加入者の相互扶助を目的としている。レムブケーは幸いにして、比較的ひきや[#「ひきや」に傍点]財産の多い家の子弟でみたされた、ロシヤの高級な学校の一つで教育を受けることができた。この学校の生徒は卒業後ただちに、何か国務機関の一つに入って、かなり重要な職にありつくのだった。レムブケーは工兵中佐の叔父を一人と、パン屋の叔父を一人もっていたが、この貴族的な学校へもぐり込んでみると、自分に似たような境遇にいる同種族の者を少なからず発見した。
 彼は快活な学生だった。成績は少し鈍いほうだったが、みんなに好かれた。もう上のクラスは多数の青年が(それはおもにロシヤ人だった)、見よう見真似で、思い切り高遠な現代の諸問題を論じて、今に学校を出たら、いっさいの懸案を解決して見せるぞと、そればかり待ちかねてるようなふうでいるのに、レムブケーは依然として、のんき千万な悪戯を仕事にしていた。彼はいろんなとっぴなことを仕出かして皆を笑わした。もっとも、その冗談も大して奇才に富んでいるわけでなく、ただ猥雑なというだけのことだったが、彼はそれを自分の使命のように心得ていた。たとえば講義の席で、講師が彼に何かの質問を向けた時、何かこう奇てれつな音をさせて洟をかんで、友だちや講師を笑わしてみたり、または共同寝室で卑猥な活人画の真似をして、一同の喝采を買ったり、鼻ばかりでフラー・ディアボロ([#割り注]十九世紀におけるナポリの巨盗、オペラ「オーベル」の主人公[#割り注終わり])の開幕奏楽《ウーウェルチュール》をかなり上手に演奏したり、すべてこういったふうの類だった。また彼はわざわざ身汚い恰好をして、しかも、どういうわけか、それを一種の伊達のように考える癖があった。
 卒業の一年前あたりから、彼はちょいちょいロシヤ語の詩を書き始めた。肝腎な自分の種族の言葉は、ロシヤにおける同族の多数と同じように、ごく非文法的な知識しかもっていなかった。この詩作の傾向は、ある一人の陰欝な、何かにへしつけられたような級友を彼に接近せしめる動機となった。この級友はさる貧しいロシヤ将官の息子で、クラスでは未来の文豪視されていた。未来の大文豪はレムブケーに対して、保護者然たる態度を取った。ところが、学校卒業後三年ばかりたった時である。この陰気な級友はロシヤ文学のために勤めを抛って、ぼろぼろの靴を自慢そうにひけらかしながら、秋も更けた時候に夏外套を着て寒さにがちがちと歯を鳴らしていたが、偶然にも|馬の橋《アニーチコフ・モスト》([#割り注]ネーフスキイ通り中心[#割り注終わり])の袂で、以前の被保護者「レムブカー」に出あった(当時、学校で彼のことをそう呼んでいたのである)。ところが、どうだろう? 彼は一目みたとき、人違いではないかと思ったほどである。彼は呆気にとられて立ちどまった。目の前には、一点の隙もない身なりをした青年が立っているではないか。立派に手入れがゆきとどいて、赤みがかったつやを帯びた頬ひげ、鼻眼鏡、エナメルの靴、真新しい手袋、ゆったりしたシャルメル仕立ての外套、そうして折カバンまで小脇にかかえている。レムブケーは旧友に愛想のいい言葉をかけ、住所を知らせ、またいつか晩にでも訪ねるようにいった。聞いてみると、名前までがただの『レムブカー』ではなく、フォン・レムブケーだとのことであった。旧友はさっそくたずねて行った。しかし、それはただただ面当てのためかもしれない。どうしても正面玄関とはいえない美しからぬ階段には、それでも緋ラシャが敷いてあった。玄関番が彼を出迎えて名をたずねた。上のほうでベルが高々と鳴り響いた。客は贅を極めた住まいを想像していたが、入ってみると、わが『レムブカー』は、横のほうの小さな一間に陣取っていた。それはうす暗い古めかしい部屋で、くすんだ緑色の大きなカーテンで二つに仕切ってあった。椅子類は布張りではあるが、その布がくすんだ緑いろの思いきって古いものだった。細長い窓には、やっぱりくすんだ緑いろのカーテンがかかっていた。フォン・レムブケーは自分の保護者である、だいぶ遠縁の一将官のもとに寄寓しているのであった。彼は愛想よく客を迎えた。その態度はものものしく慇懃で、同時に垢抜けがしていた。文学の話も出たけれど、度を越えない範囲内に止められた。白いネクタイをした侍僕が、なんだか妙に薄いお茶に、小さなこつこつした丸い菓子を添えて持って来た。旧友はわざと意地悪くゼルツェル水を所望した。望みの品は出されたけれど少々手間どった。しかも、レムブケーはわざわざ侍僕を呼び寄せて、ものをいいつけるのが極りの悪いようなふうだった。彼は客に向かって、何かひと口食事をしてはどうかとすすめたが、客がそれを辞退して、とうとう帰って行った時は、いかにも嬉しそうな様子だった。手っとりばやくいえば、レムブケーは出世の第一歩を踏み出して、自分と同族とはいえ、地位のある将軍のもとに寄食者《かかりうど》となっていたのである。
 そのころ彼は、将軍の五番目の娘に、焦がれていた。そして、相手のほうでも、やはり彼を憎からず思っていたらしい。しかしそれでも、アマリヤは年頃になると、とどのつまり老将軍の昔馴染みの、年とった工場持ちのドイツ人にやられてしまった。レムブケーは大して悲観するでもなく、紙細工の劇場をこしらえた。幕があがると、役者が出て来て、手で身振りをする。桟敷には見物が坐っているし、オーケストラは機械仕掛けで、ヴァイオリンを弓でこするし、楽長は指揮棒を振り廻した。土間では伊達男や将校連が喝采する、――これがすべて紙でできていたのだ。すべて、レムブケー自身の考案であり、かつ仕事だった。彼はこの劇場の製作に六か月かかった。将軍はわざわざ内輪同士の夜会を開いて、この劇場を観覧に供した。新婚のアマリヤをまぜて五人の将軍令嬢、新郎の工場主、それに大勢の夫人令嬢が、めいめい相手のドイツ男を引き連れて出席したが、みな一生懸命に劇場を点検して、その出来ばえを褒めた。その後で舞踏が始まった。レムブケーはすっかり満足して、間もなく悲しみを忘れてしまった。
 幾年か過ぎて、官界における彼の地位も定まった。彼は相変わらず自分の同族を長官にいただいて、常に有利な位置で勤務をつづけ、ついに年の割にしては花々しい官等にまで漕ぎつけた。彼はもうだいぶ前から結婚を望んで、注意ぶかく目をくばっていた。一ど上官に内証で、自作の小説をある雑誌の編集局へ送ったことがある。ついに掲載はされなかったけれど、その代わり立派な汽車をこしらえて、またもや素敵なしろものができあがった。群集がカバンを持ったり、サックを持ったり、子供や犬をつれたりして、停車場から出たり、汽車へはいったりしている。車掌や駅夫があちこち歩き廻っているうちに、やがてベルが鳴り信号が与えられて、列車がそろそろと動き出す。この込み入った細工のために、彼はまる一年つぶした。
 しかし、それでもやっぱり、結婚しなければならなかった。彼の交友の範囲はかなり広かった。主としてドイツ人仲間だったが、ロシヤ人の交際社会にも出入していた。もちろん、上官の筋を伝って行くので。ついに彼が三十八の声を聞いた時、遺産まで譲り受けることができた。パン屋の叔父さんが死んで、彼に一万三千ルーブリの財産を、遺言で残してくれたのである。もはや問題は地位の点一つになった。もっとも、フォン・レムブケー氏は、勤務上かなり花々しい栄達をしたにもかかわらず、きわめて欲のないたちだった。彼は自分の権限にまかされた、官用薪材の受入れとかなんとか、そういったふうの小甘い汁の吸えそうな主任の地位で、一生満足していたかもしれない。ところが、忽然として、今まで予期していたミンナとかエルネスチーナ([#割り注]共にドイツ娘のありふれた名前[#割り注終わり])の代わりに、思いがけなくユリヤ・ミハイロヴナというしろものが引っかかったのである。彼の栄達はたちまちにして、いま一段の向上を見ることとなった。律義で欲のないレムブケーも、自分だって少し自尊心を持っていいわけだ、と感じるようになった。
 ユリヤ夫人は、昔ふうに勘定すると二百人の農奴のほかに、りゅうとした保護者をもっていた。一方から見ると、レムブケーは美男子で、ユリヤは四十を越している。注意すべきことには、自分がユリヤの未来の夫だと感じるにつれて、レムブケーはしだいに彼女を真剣に恋するようになった。結婚当日の朝、彼はユリヤに詩を贈った。こういうことがことごとく彼女の御意にかなったのである、その詩までが。実際、女の四十といえば冗談ではない。間もなく彼はお定まりの官等と、お定まりの勲章をもらって、それから、この県へ任命されて来たのである。
 この県へ赴任するとき、ユリヤ夫人は自分の夫について、一生懸命に策をめぐらしたのである。彼女の意見によると、彼もまんざら無能な人物ではなかった。客間へ入るすべも知ってるし、初対面の挨拶をする法も心得ている。深遠な思想でもありそうに、人のいうことを傾聴して、自分では何一ついわずに黙っていることも、きわめて慇懃に気取るすべも知っているばかりでなく、演説の一つもすることができ、いろんな思想の切れっぱしやかけらさえも蓄えていて、いまの世で必要欠くべからざる最新の自由思想のつやもかぶせおおせている。ただなんといっても心配なのは、なんだかあまり感受性の鈍いこと、長いあいだ絶えず立身出世の方法に汲々とした結果、無性に安息の要求を感じはじめたことである。夫人は自分の名誉心を、夫に注ぎ込みたくてたまらなかった。ところが、どうだろう、夫は思いがけなく紙細工の教会をこしらえ始めたではないか。牧師が出て来て説教をはじめると、人々はうやうやしく手を前に組んで、お祈りをしながら聴いている。一人の夫人はハンケチで目を拭いているし、老人は鼻をかんでいる。一番しまいにオルガンが鳴るという趣向だが、これは費用をいとわずに、わざわざスイスへ注文して取り寄せたのである。ユリヤ夫人はこのことを知るが早いか、一種の恐怖さえ感じながら、その細工をいっさい取り上げて、自分の箱の中へ鍵をかけてしまい込んだ。その代わり、彼女は小説を書くことを許したが、それも内証にという条件つきだった。それからというもの、夫人はただ自分一人のみを当てにするようになった。が、悲しいことに、それがかなり軽はずみで、おまけに度というものがなかった。運命はあまり長く彼女を老嬢の境遇にとどめていたので、今はいろんな考えが後から後からと、虚栄心の強い、しかも、幾分いらいらした彼女の脳中に浮かび出るのだった。彼女にはいろいろな思わくがあった。彼女は是が非でも、県の政治を切って廻したかった。いまにもすぐ多くの人に取り巻かれたいというのが、彼女の空想だった。彼女はさっそく方針を確定した。レムブケーは幾分ぎょっとしたが、しかし、すぐに官吏特有の直感で、自分は何も県知事の職を恐れるには当たらない、ということを悟ってしまった。初めのふた月み月はなかなかうまくいった。ところが、そこヘピョートルが割り込んで、何かこう奇妙な具合になってきたのである。
 ほかでもない、小ヴェルホーヴェンスキイは、そもそもの初めからレムブケーに対して不遜の態度を示したばかりでなく、なにか一種奇怪な優越権すら握ったかのようであった。それなのに、つねづね夫の権勢をひどく大切がっているユリヤ夫人は、まるでこのことが目に入らぬような具合だった。少なくも、これを重大視しなかったのである。ついにこの青年は夫人の寵児となって、飲み食いから起き臥しまで、この家でするようになった。レムブケーは予防線を張りはじめた。彼は他人の前でピョートルのことを『あの青年』といったふうの呼び方をしたり、いかにも保護者めかしく肩をぽんとたたいたりしたが、いっこうききめが見えなかった。ピョートルは相変わらず面とむかって、彼を冷笑するような態度をやめなかった(そのくせ、そういう時でも、ちょっと見たところは、いかにも真面目な話しっ振りだったけれど)。そして、他人のいる前で、思いきり無作法な言辞を弄するのであった。
 ある時、レムブケーが外から帰ってみると、『青年』は留守の間に自分の書斎へ入り込んで、断わりもなしに長いすに坐り込んでいた。彼の言いわけによると、ちょいと通りすがりに寄ってみたが留守だったので、『ついでに一寝入りした』とのことだった。レムブケーはむっとして、もう一ど夫人に愁訴した。けれど、こちらは夫の怒りっぽい性質を一笑に付して、皮肉な調子でこういった。どうもあなたは自分の地位に相当した態度が取れないようだ。少なくも、わたしに向かってはあの小僧っ子も、そんな狎れ狎れしい態度なんかあえて取ろうとしない。『とにかく、あの人は無邪気で清新なところがあります、社会の常軌にはずれていますけどね』レムブケーは面を膨らしたが、その場は夫人が二人の仲を取りなした。ピョートルは別に詫びをいおうともせず、何かぶしつけな洒落をいってごまかしてしまった。その洒落なども、普通の場合だったら、また別な侮辱に取られたかもしれないが、その時は後悔の意と解釈された。
 フォン・レムブケーは初《しょ》っぱなから大失策をやって、とんでもない弱点を握られてしまった。ほかでもない、例の小説のことをうち明けたのである。久しい前から、聴き手をほしがっていたレムブケーは、ピョートルを詩情に富んだ熱烈な青年のように解釈し、近づきになってからまだ幾日もたたぬうちに、ある夜、自作の一節を二章ばかり読んで聞かせた。こちらは退屈なのを隠そうとせず、無遠慮なあくびをしながら聞き終わった。そして、一度もお世辞などいわなかった。ただちょっと原稿を貸してもらいたい、暇な時に感想をまとめてみるからと、帰りしなに頼んだ。で、レムブケーは貸してやった。それ以来、彼は毎日ちょこちょこ寄って行くくせに、原稿はいっこう返しそうな模様がない。こちらからたずねても、笑いで答えるばかりだった。とうとう終いになって、あれはあの日すぐ往来でなくしたといい出した。このことを聞いたユリヤ夫人は真っ赤になって夫を怒りつけた。
「いったいあなたは教会のことも、あの人に話してしまったんじゃありませんか?」ほとんどおびえたように、夫人はこう叫んだ。
 フォン・レムブケーはひどく考え込むようになった。ところが、考え込むのは彼の体に悪いことなので、医者から固く禁じられていた。それに、県の行政上いろいろ面倒が起こるばかりでなく(このことは後で話すとしよう)、そこに一種特別の事情が介在していた。つまり、単に長官としての自尊心のみにとどまらず、夫としての感情すら傷つけられたのである。レムブケーは結婚生活に入るにあたって、将来家庭内に不和や衝突が起こりえようとは、想像さえしなかった。これまでもミンナやエルネスチーナを空想しながら、やはりそういうふうな考えを持ってきたのである。自分は家庭内の暴風雷雨に堪えられない、と彼は直感していた。ついにユリヤ夫人は、明けすけにぶちまけてしまった。
「あなた、そんなことで腹を立てるわけにいきませんよ」と、彼女はいった。「あなたのほうがあの人より二倍も三倍も分別があって、社会上の地位からいっても、比較にならないほど高い所に立ってらっしゃる、というだけの理由から見ましてもね。あの坊っちゃんには、以前の自由思想のとばっちりが、まだまだたくさん残っていますが、わたしにいわせれば、なに、ほんの子供じみた悪戯ですよ。なにしろ、急にということはできませんから、だんだん直していくんですね。ロシヤの新しき世代を尊重しなくてはなりませんよ。わたしは愛の力で感化を及ぼして、すわという瀬戸際で引き止めるつもりでいますの」
「しかし、本当にあいつは何をいい出すかわかりゃしない」とレムブケーは承知しなかった。「あいつは衆人擱座の中で、しかもわたしを目の前において、政府はことさら国民を暗愚にするためにウォートカなどを飲ませ、それで一揆を防止してる、などと断言するにいたっては、わたしもそうそう寛大な態度ばかり取ってもいられないじゃないか。他人の前でこんなことを聞かねばならぬわたしの役廻りの苦しさも、察してもらいたいよ」
 こういいながら、フォン・レムブケーは、つい近頃ピョートルと交わしたある会話を思い出した。一つ自由思想を道具に使って、相手の毒気を抜いてやろうという、罪のない目算から、彼は一八五九年以来、道楽というわけではないが、しごく有益な好奇心をもって、ロシヤはおろか外国まで手を伸ばして丹念に寄せ集めた、ありとあらゆる檄文の秘密なコレクションを出して見せた。ピョートルは彼の目的を見抜いたので、無作法な調子でこういってのけた。『新しい檄文のたった一行でも、そんじょそこらのお役所にある書類をみんな集めたより、ずっと多くの意義を含んでいますよ。おそらくあなたのお役所も、その例に洩れんかもしれませんね』
 レムブケーはぴりっとした。
「しかし、これはロシヤじゃ早過ぎる、あまり早過ぎる」と彼は檄文をさしながら、ほとんど哀願するような調子でいった。
「いや、早過ぎはしません。現にあなただって、そのとおり恐れていらっしゃるではありませんか。してみると、別に早過ぎはしないです」
「しかし、たとえば、ここにある教会破壊の煽動なぞは……」
「なぜそれがいけないんです? あなただって聡明なお方ですから、もちろん、信仰なぞ持ってはいらっしゃらないでしょう。信仰が必要なのは、単に人民を暗愚化するためにすぎないくらいのことは、自分でよくご承知のはずです。実際、真理は虚偽より美しいですからなあ」
「そのとおり、そのとおり、わたしはぜんぜんきみに同意だが、しかし、それはロシヤじゃ尚早だよ、尚早に過ぎるよ……」とレムブケーは顔をしかめた。
「へえ、あなたは本当に教会を打ち壊したうえ、棒ちぎりをもってペテルブルグへ押し寄せるのに同意する、ただ問題は時期の点にすぎないなどといいながら、よくまあ政府の公吏で澄ましていられますねえ!」
 レムブケーはこうまで無遠慮に尻尾をつかまえられて、もうすっかりのぼせてしまった。
「それは違う、それは違う」しだいに強く自尊心をいらだたせながら、彼は夢中になっていった。「きみは年も若いし、またわれわれの目的もよく了知していないので、そういう誤謬に陥るんだよ。ねえ、ピョートル君、きみはわれわれを政府の公吏と呼んだね? いかにもそうだ。それは独立不羈の公吏だろうか? いかにもそうだ。しかし、われわれがどんなふうに活動してるか、いったいきみはご承知かね? われわれには責任がある。が、結果においては、われわれもやはりきみたちと同じように、共同の事業に奉仕しているんだよ。ただわれわれは、きみたちが揺すぶるんでぐらぐらしているもの、――われわれがいなかったら、四方八方にけし飛んでしまうおそれのあるものを、抑制しているのだ。われわれだってきみたちの敵ではない、けっしてそうじゃない、われわれはあえてきみたちにそういうよ、――進みたまえ、進歩したまえ、揺すぶりたまえ、――といって、つまり、当然改造さるべき一切の古いもののことだがね……しかし、一たんその要を認めた場合には、必要な範囲内においてきみたちを制止し、それによってきみたちを自分自身から救ってあげねばならん。なぜといって、きみたちばかりでわれわれというものがなかったら、ロシヤの国をがたがたにしてしまって、しかるべき体面をなくしてしまうに相違ない。このしかるべき体面ということを心配するのが、すなわち、われわれの役目なのだ。いいかね、われわれときみたちとは、お互いに必要欠くべからざるものだ。それを腹に入れてくれたまえ。イギリスでも、進歩党と保守党とは、お互いに必要なもんだからね。そうじゃないか、われわれが保守党で、きみたちが進歩党なのさ。まあ、こんなふうにわたしは解釈してるんだ」
 フォン・レムブケーはもう熱くなってしまった。彼はペテルブルグ時代から気の利いた、自由思想めいた議論をするのが好きだったが、今は傍で聴くものがないので、なお調子に乗ってしまった。ピョートルは無言のまま、なんだかいつもに似合わず真面目な態度を持していた。これがいっそう弁士を煽ったのである。
「ねえ、きみ、わたしはこの『県の主人』だ」と書斎を歩き廻りながら、彼は語を次いだ。「ねえ、きみ、わたしはあまり任務が多いために、ほとんど何一つ実行ができないでいる。ところが、一方から見ると、わたしはここにいても何一つすることがない、これもまた正確な事実なのだ。というと、不思議なようだが、その実は政府の態度一つでどうともなるものさ。かりに政府が一種の政策のためとか、または熱烈な要求を鎮撫するために、共和国か何か、まあそんなものを建てながら、同時に一方では知事の権力を増したとする。そうすれば、われわれは県知事の席に着いたまま共和国を丸呑みにするよ。なあに、共和国がいったいどうしたというのだ! われわれはなんなりとお好み次第のものを鵜呑みにしてご覧に入れるよ。少なくともわたしは……それだけの用意があるように思う。要するに、もし政府がわたしに電報で、〔activite' de'vorante〕(献身的活動)を命令して来るとすれば、わたしは 〔activite' de'vorante〕 を開始するよ。わたしはこんど諸君の眼前で、直截にこういった。『諸君、すべて県政機関の均衡と隆興に必要なものは、たった一つしかありません、曰く、県知事の権力を拡張することであります』え、きみ、地方団体にしろ、裁判機関にしろ、すべてのこういう行政司法庁は、いわゆる二重生活の方法を取らなくちゃならん。つまり、これらの機関は存立すべきものであるが(まったくそれは必要だ)、また一方から観察すると、彼らの絶滅が必要でもある。何ごとも政府の態度一つさ。一たんこれら諸機関の必要を感ぜしめるような風潮が起これば、わたしはそれをちゃんと目の前に揃えてご覧に入れる。ところが、その必要が去ってしまえば、わたしの支配下をどんなにさがしたって、そんなものはけっしてみつかりっこなしさ。まあ、こういうふうに、〔activite' de'vorante〕 を解釈してるのだ。ところが、この活動は、県知事の権力拡張をほかにしては、けっして求めることができないのだ。わたしたちはこうして、二人きりさし向かいで話してるんだよ。わたしはね、きみ、県知事官舎の門前に、特別歩哨を一人おく必要があるということを、もうペテルブルグへ請求してやって、いま返事を待ってるところなんだ」
「あなたには二人くらいいりましょうよ」とピョートルがいった。
「なぜ二人だね?」フォン・レムブケーは彼の前に立ちどまった。
「あなたを尊敬せしむるには、おそらく一人じゃ不足でしょう。どうしても二人いなくちゃ」
 レムブケーは顔をひん曲げた。
「ピョートル君、きみは臆面もなしに、よく口から出まかせがいえるね。わたしが優しくするのにつけあがって、いろんな当てこすりをいうじゃないか。まるで bourru bienfaisant(気むずかしやの慈善家)の役廻りを演じてるのだ」
「まあ、なんとでもお考えなさい」とピョートルは言葉を濁した。「が、とにかく、あなたはぼくらのために道をひらいて、ぼくらの成功の下地を作ってくださるのですよ」
「ぼくらのためとは、いったいだれのためだね、そして、また成功とはなんのことだね」とレムブケーはびっくりして相手を見据えた。けれど、返事は聞かれなかった。
 ユリヤ夫人はこの話の顛末を聞いて、恐ろしく不満そうだった。
「しかし、そんなことをいったって」とフォン・レムブケーは弁解した。「あれはお前のお気に入りだからね、上官の権力を笠にきて、頭ごなしにやっつけるわけにいかないじゃないか。ことに差し向かいの時にね……わたしだって、ついうっかり口をすべらすこともあるさ……人がいいもんだから」
「あまり人が好すぎるもんですからね。あなたが檄文のコレクションを持っていらっしゃることなんか、わたしは少しも知りませんでしたわ。お願いだから、見せてちょうだいな」
「だが……だが、あの男がたった一日といって、無理に持って帰ってしまったんだよ」
「まあ、あなたはまたお貸しになったんですの!」とユリヤ夫人は怒ってしまった。「なんて拙いやり方でしょう!」
「すぐ取りにやるさ」
「よこしゃしませんよ」
「わたしは是が非でも要求する!」レムブケーはかっとなって、席を跳びあがった。「そんなにあいつを恐れねばならないなんて、いったいあいつは何者だ? またこっちから何一つ仕出かすことができないなんて、いったいおれは何者だ?」
「まあ、坐って気をお鎮めなさいな」とユリヤ夫人は押し止めた。「あなたの第一の問いに対して、わたしこうお答えしますわ。あの人については、わたし立派に紹介を受けていますの。なかなか才気のある人で、どうかすると、たいへん気の利いたことをいいますよ。カルマジーノフもわたしに断言しました。あの人はいたるところに関係を結んでいて、都の青年層では大した勢力をもってるんですとさ。もしわたしがあの人を通じて、すべての青年層を惹きつけたうえ、自分の周囲に一つのグループを作ったら、その人たちの功名心に新しい道を示して、滅亡の淵から救ってやれますわ。あの人は心からわたしに心服して、なんでもわたしのいうことを聞いてくれます」
「しかし、そうそう甘やかしていると、あいつらどんなことを仕出かすかわかりゃしないよ! むろんそれは立派な……考えだが……」とレムブケーは曖昧な調子で弁解するのであった。「しかし、……しかし、わたしの聞いたところでは、**郡に何か檄文が現われたとかいうことだよ」
「だって、それは夏頃の噂だったじゃありませんか、――やれ檄文、やれ贋造紙幣って、いろんなことをいい触らすんですわ。ところが、今まで一つとして手に入らないじゃありませんか。だれがあなたにそんなことをいいましたの!」
「わたしはフォン・ブリューメルから聞いたのだ」
「ああ、あんな人はまっぴらごめんですよ、あんな人のことをいったら、わたし承知しませんから!」
 ユリヤ夫人はかっとなって、しばらく口がきけないほどだった。フォン・ブリューメルは知事官房の吏員だったが、夫人はこの男をとくべつ憎んでいた。このことは後で話そう。
「どうかヴェルホーヴェンスキイのことは心配しないでください」と彼女は話の括りをつけた。「もしあの人が何かそんな悪戯に関係していたら、今あなたを初めとして、ほかのだれかれに話してるような具合に、いろんなおしゃべりができるものじゃありませんわ。多弁家はけっして恐ろしいものではありません。それどころか、わたしはかえってこう断言しておきます、――もし何かそんなふうなことが起こったら、わたし一番にあの人の口から聞き出しますわ。あの人は夢中になって、本当に夢中になって、わたしに心服してるんですの」
 事件の描写に移るにさき立って、わたしはちょっとここで断わっておく。もしユリヤ夫人の自負心と虚栄心が、あれほど烈しくなかったら、あの悪人ばら[#「悪人ばら」はママ]がこの町で仕出かしたようなことは、おそらく起こらなかったに相違ないのだ。これについては彼女に大部分責任があったのである!

[#3字下げ]第5章 祭の前[#「第5章 祭の前」は中見出し]


[#6字下げ]1[#「1」は小見出し

 ユリヤ夫人が県内の保姆たちのために、予約申し込みの方法で計画した祭の日取りは、幾度も変更され延期された。いつもお決まりで、夫人の周囲をちょこちょこしていたのはピョートルのほかに、走り使いの役を仰せつかっている小役人のリャームシン(これは、一時スチェパン氏の所へ出入りしていたが、急に例のピアノのおかげで、知事邸内のお気に入りとなったのである)、リプーチン(これは近く発行される県内の独立した新聞の編集係に当てようという、ユリヤ夫人の目論見だった)、幾たりかの夫人、令嬢、それからカルマジーノフ――などという顔触れだった。この文豪はべつにちょこちょこもしなかったけれど、文学カドリールで皆をあっといわせるのが愉快だと、公然とさも得意らしく吹聴していた。申し込み者や寄付者の数は大したものだった。町でも一流の錚々《そうそう》たるところは、ことごとくこれに加わった。しかし、金さえ持って来れば、あまり錚々たらざる連中も入場を許された。ユリヤ夫人の説によると、各階級の混合は、時として許さるべきことだった。
『でなかったら、だれもああいう人たちを教育する者がなくなるじゃありませんか』
 非公式な内輪の委員会も設けられた。その会議の結果、祭の催しは民主的ならざるべからず、ということに一致した。おびただしい申し込みの数は、自然いろいろな出費の原因となって、一同は何か素晴らしいものを作りあげたいと考え出した。こういうわけで、たびたび延期されたのである。また会場をどこにしようか、――この一日のために宏大な邸を提供しようという貴族団長の好意を無にしまいか、それともスクヴァレーシニキイなるヴァルヴァーラ夫人のところにしようか、この問題もまだ決まっていなかった。スクヴァレーシニキイは少し遠すぎるが、委員の多数は『あそこのほうが遠慮が少ないだろう』と主張した。当のヴァルヴァーラ夫人は自分の家に決めてもらいたくってたまらないのだ。なぜあの誇りの強い婦人が、あんなにユリヤ夫人の鼻息をうかがうのか、ほとんど合点がゆかなかったけれど、おそらく知事夫人のほうからも、ニコライに腰を低くして、ほかの人にはちょっと見せないくらいの愛嬌を振り撒くのが、ヴァルヴァーラ夫人の気に入ったからだろう。もう一度くり返していうが、ピョートルはこのあいだしじゅう知事邸内へ、目立たぬように一種の、すでに芽ざしていた観念を植えつけていた。つまり、ニコライはあるきわめて秘密な社会に極めて秘密な関係をもっていて、この町へも何か使命を帯びて来たに相違ない、とこういうのであった。
 当時この町の気分はなんだか妙になっていた。ことに婦人社会では、一種軽佻な気分が顕著になった。しかも、しだいにそうなったとはいいにくい。思い切って放縦ないろいろの思想が、さながら、とつぜん風にでも持って来られたような具合だった。何かしら馬鹿げて陽気な、軽々しい気分が町をおそった。が、それは、いつでも気持ちのよいものとは申しかねる。一種人心の惑乱ともいうべきものが流行し始めたのだ。あとで何もかも片がついてしまったとき、人々はユリヤ夫人に罪を帰し、夫人の周囲とその感化を責めた。けれど、何もユリヤ夫人一人から起こったとは、ちと受け取りにくい。それどころか、多くのものは初めのうちさきを争って、新知事夫人の社会を結合する腕を讃美し、急に町が陽気になったといって嬉しがったものだ。中には二、三|顰蹙《ひんしゅく》すべき出来事も起こったが(それもユリヤ夫人の全然あずかり知らぬところだ)、それでも、当時人々はただげらげら笑って、いい慰みのように心得ていた。それを防止しようというものは一人もなかった。もっとも、かなり多数の人々は当時の風潮にたいして、自家独得の見解を持し、傍観的態度を取っていた。けれど、この連中もべつだん不平を訴えるでもなく、かえって、にやにや笑っていたものである。
 今でも覚えているが、当時かなり大きな一つのグループが自然と形づくられた。その中心は、やはりどうも、ユリヤ夫人の客間にあったらしい。夫人の周囲に集まるこの水入らずのグループのなかでは(むろん、若い人たちに限られていたが)、さまざまな悪戯をすることが許されていた――というよりも、まるで憲法のようになっていた。そして、中には事実かなりだらしのない悪戯もあった。グループのうちには、なかなか綺麗な婦人がいた。こういう若い人たちは、野遊びを試みたり、夜会を催したり、どうかするとまるで騎馬行列よろしく、騎馬や馬車で町じゅう練り廻すことがあった。彼らは変わった出来事をさがして歩くばかりか、ただただ愉快な話の種をえたいばかりに、わざと自分たちで作り出したり、工夫したりするのだった。彼らはわたしたちの町を、まるで愚人町《グルーポフ》([#割り注]伝説の町[#割り注終わり])かなんぞのように扱っていた。人々は彼らを口悪だの、皮肉屋だのと呼んでいた。それは、彼らがなんでも平気でやってのけたからである。
 早い話が、こんなこともあった。土地のさる陸軍中尉の細君で、夫の俸給が少ないために、痩せこけてはいたけれど、まだごく若いブリュネットが、ある夜会でちょっとした軽はずみな心持ちから、賭けの大きいカルタの勝負に加わった。それはどうかして婦人外套を買う金だけでも勝ちたいという、ただそれだけの欲だったのである。ところが、勝つどころか、十五ルーブリも負けてしまった。彼女は夫が恐ろしいうえ、第一、払おうにも金がなかったので、もとの勇気を奮い起こして、さっそくその夜会の席で、この町の市長の息子にこっそりと借りる決心をした。市長の息子は、年に似合わぬ摺れっからしの、しようのない不良少年だったので、その頼みを撥ねつけたばかりで足りないで、おまけにげらげらと大声で笑いながら、夫のところへ告げ口に行った。実際、俸給だけで世知がらい暮らしをしていた夫の中尉は、細君を家へ連れ帰ると、泣いたりわめいたり膝を突いて詫びたりするのに耳もかさず、腹さんざん油を絞った。この苦々しい顛末は、町じゅういたるところでただ一場の笑いぐさにされてしまった。しかも、この不幸な中尉夫人は、ユリヤ夫人をとり巻くグループに入っていたわけでなく、ただこの騎馬隊に属する一人の夫人、――とっぴで元気なたちの女――が、何かでこの中尉夫人を知っていたので、彼女の家へ出かけて行って、自分のところへお客に来いと、てもなくひっ張り出したのである。このときすかさずわが悪戯小僧の面々は中尉夫人をとり巻いて、優しい言葉を浴せたり、いろいろ贈り物の雨を降らせたりして、四日ばかり夫の手へ返さずに引き留めた。彼女は元気のいい夫人の家に暮らして、毎日のようにその夫人を初めとして、人はしゃぎの連中といっしょに町じゅう散歩に練り歩いたり、いろんな陽気な催しや舞踏などに加わった。一同はこの間しじゅう彼女をけしかけて、夫を法廷へ引き出して、一騒動もち上げるようにすすめた。そして、みんな彼女の味方をして、証人になってやると誓うのだった。夫はあえて争いを挑もうともせず、口を緘して黙っていた。ついに、哀れな中尉夫人は、とんでもない災難に落ち込んだのを悟って、恐ろしさに生きた心地もなく、四日目の晩たそがれに乗じて、保護者たちの手から夫のもとへ逃げ帰った。夫婦の間にどういうことが起こったか、くわしいことはわからないけれど、中尉の借りて住んでいた低い木造の小家の窓は二つとも、二週間ばかり鎧戸を閉めたきり開かなかった。ユリヤ夫人はこの出来事をすっかり聞いた時、いたずら小僧たちの仕打ちにひどく腹を立てた。元気のいい夫人が、中尉の細君をぬすみ出した初めての日、ユリヤ夫人に引き合わせたとき、彼女はそのやり口にだいぶ不満らしかったが、このことはすぐに忘れられてしまった。
 またその次には、他郡からやって来た青年で、低いところに勤めている官吏が、これまたつまらない小役人ではあるけれど、見たところなかなか品のいい一家の主といったような人から、十七になる娘をもらい受けて結婚した。それは町でもだれ知らぬ者のない美人だった。ところが、突然、こんなことが人々の耳に入った。ほかでもない、結婚の第一夜に新郎は、その美人に対して、自分の名誉を傷つけられた復讐だとかいって、穏かならぬ振舞いをしたとのことである。祝い酒に酔いつぶれてその家に泊ったため、ほとんど全部その出来事の目撃者となったリャームシンは、さっそく夜が明けるか明けないかに、この愉快な報知を携えて、みんなのところを駆け廻った。たちまちに十人ばかりの一隊が組織され、一人の除外例もなく騎馬で出かけた。ある者、たとえばピョートルとかリプーチンなどのごときは、借りもののコサック馬に跨った。リプーチンは白髪の見え初める年をしながら、町の軽はずみな青年の企てる苦々しい馬鹿騒ぎを、ほとんど一つとしてはずしたことがなかった。町の習慣で、結婚の翌日はどんなことがあろうとも、必ず知人訪問をしなければならないので、若夫婦が二頭立ての馬車に乗って往来に現われた時、この騎馬隊はいきなり陽気な笑い声を上げて、若夫婦の馬車をとり囲み、朝の間じゅう町をぞろぞろついて歩いた。もっとも、家の中までは入らなかったけれど、馬に乗って門の傍で待っていた。新郎新婦に格別どうというほどの侮辱を加えることは慎んだものの、とにかく見苦しい光景を呈したのは確かである。町じゅうがこの噂をした。いうまでもなく、みんなげらげらと笑ったのである。しかし、この時、フォン・レムブケーが恐ろしく腹を立てて、ユリヤ夫人と一場の活劇を演じた。夫人も一通りならず立腹して、以後この悪戯小僧どもの出入りを断わろうと考えた。が、翌日ピョートルの弁解とカルマジーノフの数言によって、ついに一同をゆるすことにした。カルマジーノフがかなり機知に富んだ『洒落』をいってのけたのである。
「あれはここの気風なんですよ」と彼はいった。「少なくも奇抜ですよ、そして……痛快です。ご覧なさい、みんな笑ってるじゃありませんか、ぶつぶついってるのはあなた一人だけですよ」
 しかし、続いてかのいまわしい性質を帯びた、もはやとうてい我慢のできない悪ふざけが起こった。
 わたしたちの町に福音書を売り歩く行商の女が現われた。それは町人の生まれだったが、立派な尊敬すべき婦人であった。そのころ首都の新聞でも、こうした行商の女について、面白い批評が現われはじめたばかりだったので、それはすぐ人々の話題に上った。ところが、今度もまたやくざ者のリャームシンが、小学教師の口を求めてのらくらしている神学生と協力で、この婦人の本を買うような振りをして、外国製の猥雑な写真を一束、そっと袋の中へ忍ばせたのである。後で聞けばこの写真は、首に立派な勲章の一つも掛けていようというさる身分ある老人が(名前はいわずにおく)、この計画のためにわざわざ寄付したとのことである。老人は彼自身の言い草によると『健全なる笑いと愉快な冗談』が好きなのだった。で、哀れな婦人が町の勧工場で聖書を出そうとしたとき、例の写真がばらばらと落ち散った。群衆の哄笑、つづいて憤慨の声が起こった。一同はひしひしと詰めかけて罵り始めた。もし折よく警官が駆けつけなかったら、殴打さわぎにもなりかねないところだった。聖書売りの女は留置場に押しこめられた。ようやく夕方になって、このいまわしい事件の内幕をくわしく聞き知ったマヴリーキイが、非常に憤慨していろいろ尽力した結果、やっと釈放されて、市外へ送り出された。今度こそはユリヤ夫人も、断然リャームシンを放逐しようとしたが、その晩、連中が一同うち揃って、彼を夫人のところへつれて来た。そして、彼が一種特別なピアノの曲弾きを工夫したことを報告して、ちょっと聞くだけ聞いてくれと懇願した。それは『普仏戦争』という曲目で、まったく愛嬌のあるものだった。曲はいかめしいマルセイエーズの響きで始まった。

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Qu' un sang impur abreuve nos sillons!
   (敵の鮮血わが野を浸せ)
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 花々しい挑むような音律、未来の勝利に陶酔したような譜調がひびき出した。しかし、思いがけなく、巧みにつくり変えられた国歌の拍子と同時に、どこか隅っこの、脇のほうで、Mein lieber Augustin([#割り注]わしの愛しいアウグスチン――ドイツの俗歌[#割り注終わり])の野卑な響きが聞こえてきた。それは深い底のほうから響いていたけれど、また恐ろしく近いところに聞こえるのだった。が、マルセイエーズはそれに気づかないで、自分の雄壮な調子に酔いきったもののよう。しかし、アウグスチンはそれに屈せず、いよいよ粗暴な調子を発揮していった。と、ふいにアウグスチンの拍子はどうしたものか、マルセイエーズの拍子といっしょになり始めた。こちらは腹を立て始めたようなふうである。今になって、やっとアウグスチンの存在に気がついたので、ちょうど取るに足らぬうるさい蠅でも払いのけるように、一生懸命ふり落とそうと試みたが、『わしの愛《いと》しいアウグスチン』はしっかり食いさがってしまった。彼女は浮き浮きとして、大得意で、さも嬉しそうに、しかも暴慢だった。マルセイエーズはどうしたものか、急にひどく間が抜けてきた。もう癇癪を起こしてぷりぷりしていることを隠そうともしなくなった。それは憤慨の悲鳴だった。神に両手をさし伸べて、一生懸命に押し揉みながら発する、呪いの言葉であり涙であった。

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Pas un pouce de notre terrain,
Pas une pierre de nos forteresses.
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(われらの土地の一寸も
 われらの城の一石も)
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 しかし、すでに彼女は『わしの愛《いと》しいアウグスチン』と拍子を揃えて歌わねばならなくなった。その音はどうしたことか、ばかばかしくもアウグスチンの調に移っていって、しだいに力を弱めつつ、消ゆるになんなんとしている。ただ時時、突発的に、qu' un sang impur(敵の鮮血)という響きが聞こえるが、すぐにいまわしいワルツに飛び移るのだった。彼はもうすっかり諦めてしまった。それはちょうどビスマルクの胸にだかれて慟哭しながら、なにもかも投げ出してしまったジュール・ファーヴル([#割り注]ビスマルク講和条約を結んだ仏の外相[#割り注終わり])のようだった。こうなると、アウグスチンはますます猛威を揮った。しわがれた声が聞こえ、めちゃめちゃにビールを呷りつけたようなもの狂おしい自己喝采や、幾十億の償金、細巻きのシガー、シャンパン、人質――こういうものの要求が音響の中に感じられた。やがて、アウグスチンは猛烈な叫喚に移ってゆく……こうして普仏戦争は終わりを告げた。
 仲間の連中は喝采した。ユリヤ夫人は、ほほえみながら、『まあ、どうしたらこの人を追い出せるでしょう』といった。これで講和は締結された。この卑劣漢は、実際ちょっとした才能を持っていた。スチェパン氏は一度わたしたちに向かって、最も芸術的な天才でも、同時に最も戦慄すべき卑劣漢でありうる、この二つはけっして互いに反撥するものでないと、口を極めて主張したことがある。その後、人の噂によると、この曲は、リャームシンがある一人のきわめて謙抑な、才能ある青年の作を剽窃したとのことである。それは彼の知人で、通りすがりにしばらくこの町で逗留したのだが、そのまま人に知られないで終わった。それはさておき、今まで幾年かの間スチェパン氏の家の集まりで、おのぞみ次第に、いろんなユダヤ人の真似をしたり、聾のお婆さんの懴悔や、赤ん坊の生まれるところなどを写して見せたりして、いろいろご機嫌を伺っていたこのやくざ者が、今は時々ユリヤ夫人のところで、当のスチェパン氏をつかまえて、『四十年代の自由思想家』という名称のもとに、悪どい戯画にして見せるのであった。一同はそのたびに笑い転げた。かような次第で、しまいには全然おっ払うということができなくなった。そんなことをするには、あまりにもう必要な人物となったのである。そのうえに、彼はいやらしいくらいピョートルのご機嫌を取った。ピョートルはまたピョートルで、最近にいたって不思議なくらい、ユリヤ夫人に一方ならぬ勢力を振るうようになった。
 わたしはけっしてこんな卑劣漢のことを、とり立ててかれこれいうつもりではなかった。こんな男のために時間をつぶ