京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

『ドストエーフスキイ全集9 悪霊 上』(1970年、米川正夫による翻訳、筑摩書房)のP313-P336

す値打ちはない。ところが、この時、一つのいまいましい事件が起こった。人の話によると、彼もそれに係り合っていたとのことである。そうして、またこの出来事はわたしの記録から、どうしても逸することができないのである。
 ある朝、いまいましく、醜い、冒涜的な出来事に関する噂が、町じゅうに広がった。町の大きな広場の入口に、この古い町でもことに珍しい古蹟とされている聖母誕生寺という古びた教会があった。この教会の塀の門際に、古くから聖母マリヤの大きな聖像が金網をかぶせて塀の中へ嵌め込んであった。ところで、この聖像が一夜の中に盗難に遭ったのだ。厨子のガラスは叩き毀され、金網は引き破られて、冠や袈裟につけてあった宝石や真珠が、非常に高価なものかどうか知らないが、とにかくいくつか抜き取られたのである。しかし、なによりひどいのは、単に盗みをしたばかりでなく、おまけに人を馬鹿にしたような、わけのわからぬ涜神の振舞いをした点だった。ほかでもない、厨子の毀れたガラスの中に、生きた二十日鼠が入っているのを朝になって発見した、というのだ。四か月を経過した今日《こんにち》では、この犯罪を行なったのは懲役人のフェージカであると確かめられてきたけれど、同時にまたどういうわけか、リャームシンもこれに係り合いがあると、つけたりにいい出すようになった。当時はだれ一人、リャームシンのことなぞ口にする者もなかったのに、今ではみんなが口を揃えて、あのとき二十日鼠を入れたのはリャームシンに相違ない、と断言している。
 忘れもしない、当時官憲も大分ショックを受けたふうである。群衆は、朝から犯罪の現場に押しかけた。どんな種類の人か知らないけれど、いつでも百人くらいの群衆が集まっていた。一人去ればまた一人、というふうなのである。近寄って来る人々は、十字を切って、聖像に接吻するのだった。やがて喜捨する人もぼつぼつ出て来たので、教会では賽銭受けの皿を出して、その傍に坊主を一人立たした。やっと三時近くなって、警察のほうでも、町民が一つところに立って、押し合いへし合いしないように、お祈りをし接吻して喜捨をすましたら、さっさと通り過ぎるように、命令することもできるわけだと気づいた。この不幸な出来事は、フォン・レムブケーにきわめて暗い印象を与えた。わたしが人からまた聞きしたところによると、ユリヤ夫人は後でこんなことをいったそうである。彼女はこの不吉な変の起こった朝以来、妙に意気銷沈した心持ちが夫の顔に現われ始めたのに、心づいたとのことである。この表情はつい二月まえ、病気のゆえをもって町を去るまで、ずっと引き続いて彼の顔を離れなかった。いま彼はこの県における短い行政官生活の後、スイスで休養を続けているのだが、この表情はおそらくあちらでも、やっぱり付きまとっていることだろう。
 今でも覚えているが、わたしも昼の十二時すぎ、その広場へ行ってみた。群衆は多く無言がちで、人々の顔はなんとなくとげとげしく気むずかしそうだった。脂ぎって黄いろい顔をした一人の商人が、田舎ふうの馬車に乗って近づいたが、傍まで来ると乗り物から下りて、額が地につくほどうやうやしく礼拝すると、聖像《みぞう》に接吻して一ルーブリの喜捨をし、嘆息しながら馬車に乗って、ふたたび向こうへ行ってしまった。また一台の幌馬車がやって来た。それには町の貴婦人が二人、例の悪戯仲間を二人お伴にして乗り込んでいた。青年たちは(ただし、一人のほうはもう青年といえなかった)、同様に馬車から下りて、かなり無遠慮に群衆を掻き分けながら、聖像のほうへ押しかけた。二人とも帽子を取らなかったばかりか、一人のほうはわざわざ鼻眼鏡を掛けた。群衆の中でぶつぶついう声が聞こえた。もっとも、低い調子ではあったが、かなり反感をいだいているらしかった。鼻眼鏡の青年は、紙幣《さつ》のぎっちり詰まった金入れから、一コペイカの銅銭を取り出して、ぽんと皿の上へほうり出した。二人は声高に笑ったり、話したりしながら、馬車のほうへ取って返した。ちょうどこの時、リザヴェータがマヴリーキイと同道で駆けつけた。彼女は馬から飛び下りると、マヴリーキイには馬上のまま、そこへじっとしているようにいいつけて、手綱をその手に投げつけるなり、聖像の傍へ近寄った。それは銅銭のほうり出された瞬間だった。憤怒のくれないが彼女の頬にさっと漲った。彼女は円い帽子と手袋を脱ぐやいなや、いきなり聖像に向かって汚い歩道にひざまずき、うやうやしく三度まで額を土につけた。それから、自分の金入れを取り出したが、その中には十コペイカの銀貨が二、三枚しかなかったので、さっそくダイヤの耳環をはずして、皿の上にのせた。
「かまいませんか、かまいませんか? お袈裟の飾りにね?」全身をわくわくさせながら、彼女は僧にこうたずねた。
「よろしゅうございます」とこちらは答えた。「喜捨はすべて功徳になりますで」
 群衆は非難の声も立てねば、賞讃の意も表わさないで、無言のまま控えていた。リーザは汚れた着物のまま馬に跨って、まっしぐらに駆け去った。

[#6字下げ]2[#「2」は小見出し

 いま話した事件から二日たったのち、騎馬の人々にとり巻かれた三台の幌馬車に分乗し、どこかへ出かけて行く大人数の団体の中に、わたしはリザヴェータを見つけたのである。彼女は手でわたしを差し招いて、馬車を止め、わたしもこの団体に加わるように、一生懸命に頼み始めた。馬車の中にはわたしが坐るだけの場所があった。彼女は、けばけばしい作りをした同乗の婦人たちに、笑い笑いわたしを紹介した後で、これから素敵に面白い遠征に出かけるところだと説明した。彼女はからからと声高に笑って、何か度はずれに幸福らしく見受けられた。ちかごろ彼女はなんだか蓮っ葉なくらい浮き浮きしてきた。
 実際、この遠征はとっぴなものだった。一同は川向こうの商人セヴァスチャーノフの家へ押しかけて行くところである。その家の離れにはもう十年近く、セミョーン・ヤーコヴレヴィチといって、単にこの町ばかりでなく、近県はおろか両首都まで知れ渡っている予言の聖者が、穏かに何不自由なく、ちんまりとその日その日を送っていた。人々、――とりわけよそから来た旅人は、彼の奇矯な一言をうるために、わざわざ訪ねて来て、拝んだり、喜捨をしたりするのであった。喜捨の金は時とすると、かなり莫大な高にのぼることがあったが、その場でセミョーン聖者が使いみちを指定しないかぎり、うやうやしく神のみ寺へ送られることになっていた。寺は町の聖母誕生寺がおもだった。で、寺からはこの目的のために僧が一人来て、絶えずセミョーン聖者の張り番をしていた。一行は図抜けて愉快な出来事を予期していた。一行中には、セミョーン聖者を見たものが一人もなかった。ただリャームシンだけは、いつか一ど行ったことがあるとかで、いま一生懸命にその話をするのだった。なんでも聖者は、彼を箒で叩き出せといいつけたうえ、大きな馬鈴薯の煮たのを二つ、自分の手で後から投げつけたとのことである。騎馬の連中のうちには、またしても借り物のコサック馬に乗ったピョートルと(彼は恐ろしく落ちつき悪そうに跨っていた)、同じく騎馬のニコライが見受けられた。彼はどうかすると、こうして一同うち揃っての騒ぎに加わることがあった。そういう場合にはいつでも人の感情を傷つけないような、愉快そうな顔を作っていたが、それでも依然として、あまり口数をきかなかった。
 この遠征隊が橋のほうへ下りて行って、町の宿屋の傍まで来たとき、たった今この宿の一室で、ピストル自殺を遂げた旅人を見つけて、警察の臨検を待っているところだと、突然だれかいうものがあった。すぐさまその自殺者を見ようじゃないか、という動議が提出せられた。この説はたちまち賛成者をえた。一行の婦人たちは、まだ一度も自殺人を見たことがなかったので。なんでも一人の婦人が、さっそく大きな声で、『もう何もかもすっかり飽き飽きしてしまったから、気の紛れることなら、ちっとも遠慮する必要ないわ、面白くさえあればいいじゃないの』といったのを覚えている。ただ幾たりか少数のものが玄関の前で待っていたばかりで、ほかのものは一同揃ってどやどやと、汚い廊下へ雪崩れ込んだ。その中には、驚いたことに、リザヴェータの姿も見受けられた。自殺人の部屋は開け放してあって、むろん、われわれに留め立てなどするものはなかった。彼はまだやっと十九になったばかりで、けっしてそれより上ではあるまいと思われるくらいな、ずぶ若い青年だった。きっと美しい容貌の持ち主だったに相違なく、白っぽい髪の毛は房々と伸び、輪郭の正しい顔は卵なりをして、額は清らかに美しかった。もう体が硬直して、白い顔は大理石のように見えた。テーブルの上には遺書がのっていて、自分の死についてはだれをも咎めてくれるな、この自殺の原因は四百ルーブリの金を『飲んでしまった』からだと書いてあった。『飲んでしまった』という言葉は、ちゃんと手紙に載っていたのである。そして、四行ばかりの間に、文法の誤りが三つまであった。そこに居合わした一人の肥った地主ふうの男が、ことに同情してため息をついていた。見たところ、用事があって同じ宿に泊っている近所同士の人らしい。この男のいうところによると、少年は家族の者、――後家でいる母親や、姉、叔母たちの命を受けて、町の親戚の婦人のもとへおもむき、その指図を受けて、一ばん上の姉の嫁入支度に必要な品をいろいろと買い調え、それを家に持って帰るつもりで村を出たのであった。幾十年間の辛抱で貯えられた四百ルーブリの金は、このとき彼に託されたのである。親たちは心配のあまり吐息をつきながら、くどくどと果てしのない教訓や、お祈りや、十字のまじないで彼を見送った。彼はこれまでごくおとなしい、末頼もしい少年だった。
 三日前に当市へ着くと、彼は親戚の婦人のところへ顔を出さないで、この宿につくやいなや、いきなりクラブへ出かけた。どこか裏のほうの部屋に、旅の銀行師か、それともストック師([#割り注]共にカルタの勝負[#割り注終わり])くらいいるだろうと、当てにしたのである。ところが、その晩はちょうどストック師も銀行師もいなかった。もはや夜なか過ぎて宿へ帰ると、シャンパンとハバナのシガーを取り寄せ、六皿か七皿の晩食を注文した。しかし、シャンパンに酔ったうえ、シガーで胸を悪くしたので、運んで来た食べ物には手も触れず、ほとんど前後不覚で床に就いた。その翌朝は、林檎のようにさばさばした心持ちで目をさました。そしてさっそく、ゆうベクラブで聞いたジプシイの部落をさして、河向こうの村へ出かけたまま、二日間宿へ帰って来なかった。ようやく昨日の夕方五時ごろ、ぐでんぐでんになって帰って来るなり、いきなりぶっ倒れてしまって、晩の十時までぐっすり寝込んだ。目がさめると、彼はカツレツにシャトー・ディケームを一びん、そして葡萄一皿を誂えて、紙とインクと勘定書を持って来さした。だれひとり彼の様子に、変わったところがあるとも気づかなかった。彼は落ちついて、静かで、もの優しかった。自殺したのはまだ十二時前後らしいが、不思議にも、だれもピストルの音を聞いたものがなかった。やっと午後の一時頃に気がついて戸を叩いたが、いくら叩いても返事がないので、戸を毀して中へ入ったのである。シャトー・ディケームのびんはなかば空しくなり、葡萄もやはり半分ばかり皿に残っていた。自殺は三連発の小型ピストルでやったもので、弾丸《たま》はまっ直ぐに心臓に打ち込まれていた。血はごくぽっちりしか出ていなかった。ピストルは手からすべって、絨毯の上に落ち、当の少年は片隅の長いすの上になかば横たわっていた。ほんの刹那に、縡《こと》切れてしまったものと見えて、知死|期《ご》の苦悶の痕はいささかも顔に見えなかった。その表情は穏かで、ほとんど幸福らしく、さながら生けるもののようであった。
 わたしたち一行は貪るような好奇心をもって、一心に見守っていた。一般に、すべて他人の不幸というものは、いかなる場合でも、傍観者の目をたのしませるようなものを含んでいる、その傍観者がだれであろうと例外にはならぬ。婦人連は無言でじろじろ見廻しているし、つれの男たちは元より皮肉の鋭さと、図抜けて胆玉が据わったので聞こえた連中だった。なるほど、これは一ばん気のきいたやり口だ、この少年もこれ以上賢い分別はつかなかったろう、と一人がいえば、ほんのちょっとの間ではあるが、生き甲斐のある暮らしをしたものだ、ともう一人が結論した。すると、第三の男が出しぬけに、どうしてロシヤではこうやたらに首をくくったり、ピストル自殺をしたりするものが多くなったのだろう、まるでみんな根が切れてしまったか、足もとの床がわきへすべり抜けてしまったかなんぞのようだ! とやっつけた。人人はこの理屈屋の顔を無愛想にちらと見た。その代わり、仲間のために道化役を勤めるのを、ほとんど名誉のように心得ているリャームシンが、皿の上から葡萄を一房ひっ張り出した。続いてもう一人が笑いながらその真似をすると、三番目のものはシャトー・ディケームのびんに手を伸ばそうとしたが、ちょうどそこへやって来た警察署長が押し留めた。のみならず、『この部屋を引き上げる』ように頼んだ。もうみんな飽きるほど見てしまったので、争おうともせずにすぐ出て行った。もっとも、リャームシンは何かいいながら、署長に付きまとっていた。一行の浮き浮きした気分と、笑声と、奔放な会話とは、そのあとの半分道を行く間じゅう、ほとんど前に倍して元気づいた。
 ちょうど午後一時、わたしたちはセミョーン聖者のところへ着いた。かなり大きな商人の家の門は開け放しになっていて、離れのほうの出入りは自由だった。行くとすぐセミョーン聖者はお食事中だけれど、面会なさるということがわかった。わたしたちの一行は一時にどやどやと中へ入った。聖者が食事をとり、来訪者に接する部屋は、三つ窓のついた、かなりゆっくりしたものだったが、高さ腰までの木格子で横に壁から壁まで、ちょうど真半分に仕切られてあった。普通の来訪者は、格子の向こうに残っていたが、特別のあやかり者だけ聖者の指定で、格子にしつらえた戸を潜って、奥へ入れられることになっていた。そのうえ、彼は気さえ向けば、自分の古い革張りの肘掛けいすや、長いすに坐らすのであった。聖者自身は必ず、ヴォルテール式の耗《す》れた古い肘掛けいすに坐るのが決まりだった。彼は年の頃五十五ばかり、かなり大柄な、ぶよぶよむくんだような、黄いろい顔をした男で、禿げた頭には白っぽい薄い髪が生え残り、顎ひげは剃り落とされていた。右の頬がはれて、口は心もち歪んだように見え、左の鼻の孔の傍に大きな疣があった。目は小さくて、顔は落ちつき払った、ものものしい、そのくせ眠そうな表情をしていた。服装はドイツふうの黒いフロックコートだが、チョッキもなければネクタイもなかった。フロックの陰からは、かなり地は粗いけれど汚れのない白いシャツが覗いていた。見たところ病気持ちらしい足には、スリッパをはいている。わたしの聞いたところでは、彼はもと官吏を勤めたこともあって、官等さえ持っているとのことである。彼はたったいま軽い魚汁《ウハー》を食べ終わって、二つ目の皿、――皮つきの馬鈴薯と塩、――に手をつけたところだった。これ以外の食べ物はけっして口に入れなかった。ただその代わり、お茶はたくさんのんだ。これが大の好物なのである。まわりには三人の給仕があちこちしていた。これはあるじの商人が給料を出しているので。一人は燕尾服を着込んだ侍僕だし、いま一人は職工組合あたりから来たものらしく、もう一人は寺の番僧かなんぞのようだった。そのほか、いたって腕白らしい、十六ばかりの小僧っ子がいた。給仕たちのほかには、少し肥え過ぎてはいるけど、相当地位のありそうな胡麻塩の僧が、賽銭受けの壺を捧げて控えていた。いくつかあるテーブルの一つには、図抜けて大きな湯沸《サモワール》が煮立っていて、その傍にはほとんど二ダースもありそうなコップをのせた盆が置いてある。反対側にあるテーブルには寄進の品々、――幾つかの砂糖の大塊や、一斤ずつ袋に入れた砂糖や、二斤ばかりの茶や、刺繍をしたスリッパや、絹のハンカチや、ラシャの切れっ端や、麻のきれや、そんなものがのせてある。金の喜捨は大抵、僧の持っている壺の中へ入ってゆくのだった。
 部屋の中は大変な人ごみで、少なくも一ダースくらいの来訪者があった。そのうち二人だけは格子の向こうへ入って、セミョーン聖者の傍に坐っていた。それは、白髪頭をした『平民出』の年寄った巡礼で、もう一人は小柄な、乾からびた、よそものの僧だったが、ちんと畏まって、伏目がちに控えていた。その余の来訪者は格子のこちら側に立っていた。大抵は平民階級の者が多かったが、中に他郡から来た顎ひげの長い、純ロシヤふうのなりをした、丸持ち長者という評判の高い肥えた商人と、年とった見すぼらしい士族出の婦人と、一人の地主がまじっていた。一同は幸運が廻って来るのを待っていたが、口に出してはいわなかった。四人ばかりのものは膝を突いていたが、中でもだれより目に立つのは、年頃四十五ばかりの肥満した地主だった。彼は格子のすぐ傍の一ばん目立つところに膝をついて、セミョーン聖者のやさしい視線か言葉のかかるのを、悲しげに待ちかまえていた。彼はもうかれこれ小一時間もそうしていたが、こちらは相変わらず少しも彼に目をくれなかった。
 われわれ一行の婦人は楽しそうな、嘲るような声でひそひそささやきかわしながら、格子のすぐ傍へ押し寄せた。膝をついていた者も、その他すべての来訪者も、ことごとく押し狭められたり、前に垣をされたりしてしまった。ただ例の地主ばかりは、根気よく目に立つ場所に居残ったまま、両手で格子をつかまえていた。貪るような好奇心に輝く楽しそうな目は、いっせいにセミョーン聖者の上にそそがれた。中には柄付眼鏡や、鼻眼鏡や、双眼鏡まで光った。少なくも、リャームシンは双眼鏡で、ためつすがめつしていた。セミョーン聖者は小さな目で一同を、落ちつき払って大儀そうにじっと見廻した。
「色目をこととするやからじゃ! 色目をこととする!」と軽く嘆息するように、彼はしゃがれたバスでいった。
 みないっせいに笑い出した。『いろめってなんのこと!』しかし、セミョーン聖者はまた沈黙に返って、馬鈴薯を平らげにかかった。ついにナプキンで口を拭きおわると、給仕が茶を出した。
 彼が茶を飲むのは、たいてい一人ではなくて、来訪の者にも注いで飲ませた。けれど、なかなか一同に残らず配ってやるようなことはしなかった。ふつう自分で中のだれかを指さして、この光栄を与えるのが常だった。その指図の仕方が思い切りとっぴなので、いつも人々を驚かした。時には富豪や高官を出し抜いて、苔の生えそうな老婆や百姓にやれといいつけることもあれば、また時には貧しい人々を素通りして、何か脂肥りのしたような金持ちの商人に飲ますこともあった。茶の注ぎ方もやはりまちまちで、砂糖をコップに入れてやったり、添えてかじらせたり、まるで砂糖なしで飲ませたりした。今日この光栄を受けた人々は、よそものの僧――これはコップの中へ砂糖を入れてもらった、――と年寄りの巡礼で、これは砂糖なしだった。町の修道院から来ている、例の壺を持った太り肉《じし》の僧は、これまで毎日一杯ずつもらっていたにもかかわらず、なぜか今日はまるで持って来てもらえなかった。
セミョーン長老さま、なにかお言葉をかけてくださいませんか。わたしはずうっと以前から、あなた様とお近づきになりたいとぞんじまして」一行中の華美《はで》づくりな婦人が笑みを浮かべ、目を細くしながら、唱うような調子でこういった。これは、さきほど『気の紛れることなら、ちっとも遠慮する必要ないわ、面白くさえあればいいじゃないの』といった当人である。
 セミョーン聖者は、そのほうに目をくれようともしなかった。例の膝を突いていた地主は、まるで大きな鞴《ふいご》を上げてまた下げたように、すうっと深いため息をついた。
「あの人に砂糖を入れたのをな!」丸持ち長者の商人を指さしつつ、セミョーン聖者は出しぬけにそういった。
 丸持ち長者は前へ進み出て、地主と押し並んで、立ちどまった。
「あれにもっと砂糖を入れてやれ!」もうコップに茶を注ぎ終わった時、セミョーン聖者はいいつけた。また一人前の砂糖が投じられた。「もっと、もっと入れるのだ!」でまた一ど、さらにまた一ど砂糖が加えられた。
 商人はさもうやうやしげに、シロップのような茶を啜り始めた。
「ああ、神様!」とささやきながら、群衆は十字を切った。
 地主はまたしても深いため息を音高く洩らした。
「長老さま、セミョーン上人さま!」悲しそうではあるが、それこそ思いがけないほど甲走った声が、ふいに高く響き渡った。それはわれわれ一行に壁へ押しつけられていた見すぼらしい老女の声だった。「もうまる一時間お情けを待っておりまする。わたくしにお言葉をかけてくださりませ。頼りのない年寄りに知恵を授けてくださりませ」
「聞いてみい」とセミョーン聖者は給仕の番僧にいいつけた。
 彼は格子の傍へ近づいた。
「あなたは、この前セミョーン上人さまのおっしゃったことを、ちゃんとそのとおりなさいましたかね?」と彼は低いなだらかな声でやもめに問いかけた。
「おお、長老さま、セミョーン上人さま、何ができるものでござりますか、あいつらを相手に何ができるものでございましょう!」とやもめは泣くように叫んだ。「あの人呑鬼《にんどんき》めら、わたくしを裁判所へ訴えるの、元老院へ突き出すのといって、脅しているのでござります。まあ、現在の母親を!」
「あれにやれ!………」セミョーン聖者は砂糖の大塊を指さした。
 小僧は飛び出して、砂糖の塊りをつかむと、それをやもめのほうへだいて行った。
「おお、まあ、長老さま! なんというありがたいことでございましょう。まあ、こんなにいただいてどういたしましょう!」とやもめは泣くような声でいった。
「もっと、もっと!」とセミョーン聖者はまだ施し物を指図するのであった。
 砂糖の塊りがもう一つ運ばれた。『もっと、もっと』聖者はまだやめなかった。三つ目の塊りに続いて、また四つ目が運んで来られた。やもめは四方から砂糖に取り囲まれてしまった。聖母寺院から派遣された僧侶は、ほっとため息を吐いた。これだけの砂糖は、これまでの例にしたがえば、今日にも僧院へ入って来るべきものであった。
「まあ、こんなにいただいて、どうしたらよろしゅうございましょう!」やもめはつつましやかに吐息をついた。「わたし一人でこんなに頂戴して……おなかを悪くしてしまいますよ! これは何かのお告げでもございましょうか、長老さま!」
「そうに違いない、きっとお告げなのだ」と群衆のなかでだれかがいった。
「あれにもう一斤やれ、もう一斤!」セミョーン[#「セミョーン」は底本では「セミヨーン」]聖者はなかなか承知しなかった。
 テーブルの上には、もう一つ大きな塊りが残っていたが、聖者は一斤だけやれといいつけた。で、やもめはまた一斤もらった。
「神様、神様!」と群衆はため息をついたり、十字を切ったりした。「たしかにお告げに違いない!」
「それはまず自分の心を愛と恵みで甘くして、それから現在自分の血を分けた生みの子を訴えに来るがいい、というような喩《たと》えでもあろうかな」先刻、茶のもてなしを受け損ねた肥えた僧侶は、意地悪い自尊心の発作にかられて、われと説明の役を引き受けながら、低いけれど、得意そうな声でいった。
「まあ、方丈さま、何をおっしゃるのでござります」とやもめはふいに腹を立て出した。「だって、あいつらはヴェルヒーシンの家が焼けた時、わたくしの頸に繩をかけて、火の中へ引きずり込もうとしたではありませんか。あいつらはわたくしの箱の中に、死んだ猫を押し込んだではございませんか。そういうふうで、どんな乱暴でもしかねまじいのでござります……
「追い出せ、追い出してしまえ!」突然セミョーン聖者は両手を振った。
 番僧と小僧は格子の向こうへ飛び出した。番僧がやもめの手を取ると、こちらは急におとなしくなって、もらった砂糖の塊りを振り返り、振り返り、戸口のほうへ進んだ。砂糖は小僧が後からかかえて行った。
「一つ取り戻せ、取り上げて来い!」傍に残っている職人体の男に向かって、セミョーン聖者はこういいつけた。
 彼は一散に駆け出して、立って行った人々の後を追った。やがてしばらくたってから、三人の給仕は、一度やっておきながら、またやもめの手から取り戻した砂糖の塊りを一つ持って引っ返した。それでもやもめは大きなのを三つ持って行ったのである。
セミョーン長老さま」うしろの戸のすぐ傍で、だれかの声が響き渡った。「わたくしは夢に鳥を見ました。鴉が水の中から飛び出して、火の中へ入ったのでございます。いったいこの夢はどういうことでございましょう?」
「寒さに向かうということだ」とセミョーン聖者は答えた。
セミョーン長老さま、どうしてあなたはわたしに、なんともご返事くださらないのでございます。わたしはもうずうっと前から、あなたに興味を持っていたのでございます」とまた一行の婦人がいい出した。
「聞いてみい!」その言葉には耳もかさず、膝を突いている地主を指さしながら、セミョーン聖者は出しぬけにいった。
 聞き役を仰せつかった僧侶は、容体ぶって地主に近づいた。
「どんな悪いことをせられましたな? 何かしろといいつかったことでもありますかな?」
「諍《いさか》いをしてはならぬ、わが手に自由をさすな、ということでございました」かすれた声で地主が答えた。
「そのとおり守りましたか?」
「まもれません、自分で自分の力に負かされるのでございます」
「追い出せ、追い出せ、箒で追い出せ、箒で!」セミョーン聖者は両手を振り始めた。
 地主は刑罰の下るのを待たないで、ぱっと跳ね起きると、そのまま外へ飛び出した。
「ここに金貨を残して行きました」床の上から五ルーブリ金貨を拾い上げながら、僧侶は披露した。
「ほら、あれにやれ!」セミョーン聖者は指で丸持ち長者をさし示した。
 丸持ち長者は辞退する勇気もなく、そのまま受け取った。
「金に金を加えるとは」僧侶はこらえ切れないでこういった。
「それから、この男に砂糖入りの茶をやれ」突然セミョーン聖者はマヴリーキイを指さした。給仕は茶を注いだが、間違えて鼻眼鏡の洒落男に持って行こうとした。
「高いほうだ、高いほうだ」とセミョーン聖者が口を出した。
 マヴリーキイはコップを受け取ると、軍人ふうの軽い会釈をして、飲みにかかった。なぜか知らないが、わたしたち一行は、きゃっきゃっと笑い転げた。
「マヴリーキイ・ニコラエヴィチ」と出しぬけにリーザがいい出した。「あの今まで膝を突いてた人が行ってしまったから、あなた代わりに膝を突いてくださいな」
 マヴリーキイはけげんそうに彼女を眺めた。
「お願いよ、後生だから、わたしのいうとおりにしてちょうだいな。ねえ、マヴリーキイ・ニコラエヴィチ」とつぜん彼女は執拗で、片意地な、熱した調子で、早口にいい始めた。「是が非でも膝をついてちょうだい、わたしぜひとも、あなたの膝をついた様子が見たいんだから。もしそれがおいやなら、もうわたしのところへ来ないでちょうだい。どうしても見たいの、どうしても!………」
 どういうつもりで彼女がこんなことをいったのか、それはわたしにもわからない。しかし、とにかく、まるで発作でも起こったように、頑固一徹な調子でいい張るのだった。これは後でまた話すつもりだが、このごろことに烈しくなったリーザのこうした気まぐれな要求を、マヴリーキイは自分に対する盲目な憎悪の突発と解釈していた。とはいえ、けっして腹立ちまぎれや何かではない。それどころか、彼女は常に彼を尊敬し、愛慕しているくらいで、それは彼自身も承知していた。つまり、何か一種特別の無意識的な憎悪で、彼女自身もどうかした拍子には、抑制することができないらしかった。
 彼は自分の持っていたコップを、うしろに立っているどこかの老婆に無言のまま手渡しして、格子の扉を開けると、許しも受けないで、セミョーン聖者の居場所となっている仕切りの中へ入って行った。そして、一同の眼前に姿を曝しながら、部屋のまん中にいきなり膝を突いた。察するところ、満座の中でリーザから無作法な、人を馬鹿にした態度を示されたために、その純な優しい心は極度にまで震撼されたのだろう。或いは自分から強《た》っていい張ってはみたものの、実際こうした見すぼらしい男の姿を見たら、リーザも自分で恥ずかしくなるだろう、とこんなふうに考えたかもしれない。もちろん、こんな正直な危い方法で女を匡正しようなどと決心しうるのは、彼を措いておそらくほかに二人となかろう。彼は持ち前の泰然自若としたしかつめらしい表情を顔に浮かべながら、細長い無恰好なおかしい体つきで、じっと膝をついていた。が、われわれ一行もさすがに笑わなかった。こうしたとっぴな行為が、ほとんど病的な効果を与えたのである。一同はリーザを見守っていた。
「膏《あぶら》を、膏《あぶら》を!」とセミョーン聖者はつぶやいた。
 リーザは急にさっと顔をあおくして、あっという叫びを発しながら、格子の向こうに飛んで行った。このときとっさの間に、奇怪なヒステリイじみた一場の光景が演出された。彼女は一生懸命にマヴリーキイを起こそうとして、両手でその肘を引き立てるのであった。
「お起きなさい、お起きなさい!」と彼女は夢中になって叫んだ。「起きてください、さあ、今すぐ! まあ、よく膝なんか突けたもんだわ!」
 マヴリーキイは膝を起こした。彼女は両手で肘の少し上をじっとつかんで、穴の明くほど相手の顔を見つめていた。恐怖の色がありありとその目に読まれた。
「色目をこととするやからじゃ、色目をこととするやからじゃ!」もう一度セミョーン聖者はくり返した。
 彼女はとうとうマヴリーキイを格子の向こうへ引き戻した。一行中に烈しい動揺が生じた。例の婦人は、こうした不穏の気分を揉み消そうとでも思ったらしく、依然わざとらしい微笑を浮かべながら、黄いろい甲走った声でセミョーン聖者に向かい、三たびくり返してこういった。
「どうしたのでございます、セミョーン上人さま、わたしに何か、『ご託宣』を聞かしてくださいませんの? わたしすっかり当てにしておりましたのに」
「ええ、この阿魔め、云々……」ふいにセミョーン聖者はこの婦人に向かって、思い切り猥雑な罵詈を投げつけた。しかし、その言葉は恐ろしいほど明瞭に、獰猛な勢いで発しられたのである。一行の婦人たちは黄いろい声を上げながら、一目散に外へ飛び出した。男たちはきゃっきゃっと笑い興じた。それで、わたしたちのセミョーン聖者訪問も終わりを告げたのである。
 ところが、ここにもう一つ、きわめて奇怪な、謎のような出来事が起こったとのことである。白状するが、わたしがこの遠征をああ詳しく書いたのも実はそのためなので。
 人の話によると、一同がどやどや入り乱れて駆け出したとき、マヴリーキイに助けられたリーザが、群衆の押し合う狭い戸口のところで、思いがけなくニコライにばったり行き会ったのである。断わっておくが、例の日曜の朝の卒倒さわぎ以来、二人はたびたび顔を合わせはしたけれど、まだ一度も傍へ寄って口をきき合ったことはない。わたしは二人が戸口で落ち合ったのを見た。二人はその時ちょっと立ちどまって、なんだか奇妙な目つきで互いに顔を見合わせた、――ように感じられた。しかし、混雑の中で見誤ったかもしれない。しかし、人々の主張、しかも恐ろしく真面目に主張するところによると、リーザはじっとニコライの顔を見つめると、急に片手を振り上げて、相手の顔と平行する辺まで持って行った。もしニコライが身をかわさなかったら、確かに顔をぶたれたに相違ない。とこういうのである。ことによったら、彼の顔の表情が気に入らなかったのかもしれないし、またつい今しがたマヴリーキイとああした挿話を演じた後だから、何か冷笑のようなものでも目にとまったのかもしれない。白状するが、わたしはなんにも見なかった。が、その代わりだれもかれもが見たと主張した。もっとも、あの混雑のなかで、一同がそんなことを見るはずはない、ただ二、三の者にすぎなかったろう。しかし、当時わたしはその話を本当にしなかった。ただ、今でも覚えているが、帰途ニコライは初めからしまいまで、やや蒼白な顔をしていた。

[#6字下げ]3[#「3」は小見出し

 ほとんどそれと同時に、いな、それと同日に、スチェパン氏とヴァルヴァーラ夫人の会見が、ついに事実となって現われた。これは夫人が前から考えていたことで、元の親友たるスチェパン氏へも、とうから通じておいたのだが、どういうわけか今まで延び延びになっていた。この会見はスクヴァレーシニキイで行なわれた。ヴァルヴァーラ夫人はのぼせあがって、せかせかしながら、郊外の持ち家へやって来た。今度の祭は貴族団長夫人の邸で催されることに、前日いよいよ決まってしまったので、夫人はすぐさま特別敏活な頭を働かして、今度の祭の後で改めて別な催しをスクヴァレーシニキイで開き、もう一ど町じゅうの者を呼び集めよう、これにはだれひとり異議を唱えるものはないはずだ、その時こそはだれの家が一番いいか、どちらが上手に客をもてなすか、どちらが趣味のある舞踏会を催す腕を持っているか、事実において確かめることができるのだ、こうはらの中ですっかり決めてしまった。全体に、夫人はまるで人が変わったようだった。以前の冒すべからざる威厳を備えた貴夫人(これはスチェパン氏の言い草なので)の面影はなくなって、ごくあり触れた、気まぐれな、社交界の婦人になり切っていた。しかし、それはただそんなふうに思われただけかもしれぬ。
 からっぽな家へ乗り込むと、夫人は昔から少しも変わらぬ忠僕のアレクセイ・エゴールイチと、装飾のほうの専門家でしかも相当苦労人のフォムシカを従えて、部屋部屋を一巡した。いろいろ相談やら評定やらが始まった。町の家からどんな家具を持って来ようかだの、道具や額はどんなのにしてどこへ置こうかだの、温室や花類はどんなにしたら一番都合がいいかだの、新しいカーテンはどこへ置こうかだの、酒場はどこへ設けようか、それも一つでいいだろうか、二つにしようかだの、そんなふうのことだった。ちょうどそうした面倒くさい相談の最中に、夫人はふと思いついて、スチェパン氏へ迎えの馬車を送った。
 こちらはもう以前から報らせを受けているので、ちゃんと覚悟を決めていた。そして、こうしたふいの招きを毎日のように待ちかまえていた。彼は馬車に乗りながら、十字を切った。今まさに自分の運命が決しられようとしているのだ。来てみると『親友』は、大広間の壁の窪みの中にすえてある小さな長いすに腰をかけて、小さな大理石のテーブルを前に控えながら、鉛筆と紙を持ってかまえていた。フォムシカは尺度《ものさし》を持って、壁の上の廻廊や窓の高さを計っていた。ヴァルヴァーラ夫人は数を書き留めては、紙のはじになにか覚え書きをしていた。そして、仕事の手を休めようともせず、横むきにスチェパン氏に会釈した。こちらが何か挨拶の言葉を口の中で述べた時、忙しげに手を差し伸べて、見向きもせずにかたえの椅子を指さした。
「わたしはじっと坐って、『心を搾めつけられるような思いをしながら』五分間ばかり待っていた」と彼は後になって話して聞かせた。「あの時の夫人は、二十年このかた見馴れた夫人と違っていた。もはやいっさいは終わったという一点疑惑の余地のない確信が、夫人をも驚かすほどの力をわたしに与えてくれた。実際、夫人はこの最後の会見で、わたしの断固たる態度に一驚を吃していたよ」
 ヴァルヴァーラ夫人はふいに鉛筆をテーブルの上に置いて、くるりとスチェパン氏のほうへ振り向いた。
「スチェパン・トロフィーモヴィチ、わたしたちは一つ真面目に話さなくちゃなりません。きっとあなたは例の花々しい言い廻しや、いろんな警句を用意していらしったことと思いますが、もう一足飛びに用件に移ったほうがよかありませんか、ね、そうでしょう?」
 彼はぎょっとした。夫人はあまり性急に自分の態度を闡明しようとしたので、何をいいだすかということは、もうちゃんと見え透いていた。
「まあ、お待ちなさい、しばらく黙ってて、まずわたしにいわせてください。その後であなたもなんなりとおっしゃい。もっとも、あなたにどんな返事ができるか、ちょっと見当がつきませんがね」と彼女は早口に続けた。「千二百ルーブリというあなたの年金は、わたし、自分の神聖な義務だと思っています、ええ、あなたの生涯の終わりまで。もっとも、神聖な義務など持ち出すことはありゃしません。ただ契約の履行です。そのほうがずっと実際的ですよ、そうじゃありませんか? もしなんでしたら、一筆書いてもいいですよ。わたしの死んだときには、特別な処置を取ることにします。けれど、そのほかあなたは今わたしから、住まいと召使といっさいの生活費を受けておられます。これをお金に直して見ますと、千五百ルーブリになります。そうじゃありません? これにまた臨時費の三百ルーブリを加えますと、ちょうど三千ルーブリかっきりになります。あなたには一年分これだけで十分でしょう。少なくはないでしょうね? もっとも、ごくごく臨時の場合には、また増して上げますよ。ですから、お金を取って、わたしの召使どもを返してくだすって、ご自分で勝手に、どこでなりと暮らしてください。ペテルブルグでもよし、モスクワでもよし、それともまた、ここでもようござんすが、ただわたしの家はいけません、ようござんすか?」
「ついこのあいだ、同じあなたの口から、同じような執拗な性急な調子で、まるっきり別な要求が発しられました」愁わしげな、しかも明晰な調子でスチェパン氏はゆっくりといった。「で、わたしは諦めて……あなたのお気に入るようにと、コサック踊りを踊りました 〔Qui' la comparaison peut e^tre permise. C'e'tait comme un petit cozak du Don, qui sautait sur sa propre tombe.〕(そうです、もし比喩が許されるならば、ちょうど自分の墓の上で踊りを踊る、ドン・コサックのようなものです)ところが、今は……」
「お待ちなさい。スチェパン・トロフィーモヴィチ。あなたは恐ろしく口数が多うござんすね。あなたは踊りを踊ったどころか、かえって新しいネクタイをして、新しいシャツを着込み、新しい手袋を嵌めて、頭に油をつけたり、香水を匂わしたりしながら、わたしのところへ出ていらっしゃいました。ええ、わたし請け合ってもようござんすわ、あなたはあの結婚がしたくてたまらなかったのです。それはあなたの顔に描いてありました。そして、まったくのところ、思い切って下品な表情でしたよ。わたしがその時すぐにこのことをいわなかったのは、ただ思いやりのためだったんですよ。が、とにかく、あなたは結婚を望んでいました、ええ、望んでいましたとも、わたしのことだの、ご自分の花嫁さんのことなど、内証の手紙の中にさんざん聞き苦しい文句をお書きになったくせに……今度はあんなこととはまるで違います。そのなんとかの墓の上で踊るドン・コサックとやらは、いったいなんのために引合いにお出しになったんですの? なんの比喩だかちょっともわかりゃしない。それどころか、あなたはけっして死んだりなんかしないで、末長くお暮らしなさいますよ。できるだけ長くお生きなさい。わたしはそれを嬉しく思いますわ」
「養老院でね?」
「養老院で? 三千ルーブリの年収を持って養老院へ行く人は、あまりないようですね。あっ、思い出した」と夫人はにやりと笑った。「本当にいつだったか、ピョートル・スチェパーノヴィチが、養老院のことで冗談をいったことがありますよ。まあ、本当にそれは何か特別な養老院だったっけ。一ど考えてみる値打ちがあるようだ。なんでも、それはごく立派な人たちのために建てたもので、陸軍大佐くらいの人もいるそうだし、ある将軍も入るとかいってるそうですよ、もしあなたがご自分の財産をすっかり持ってそこへお入んなすったらいろんな人たちに仕えられて、十分気楽に満足に暮らしてゆけるでしょうよ。そこであなたは科学の研究に従うこともできれば、好きなときにカルタの仲間を見つけることもできましょうし……」
「Passons.(もうよしましょう)」
「Passons ですって?」ヴァルヴァーラ夫人の顔はぴくりと引っ吊った。「そういうわけなら、もうそれでおしまいですよ。わたしは通告をしてしまいましたから、今後わたしたちはまったく別々に暮らすことにしましょう」
「それでおしまいですって? あの二十年の生活から残ったのが、たったそれだけなんですか? それがあなたの最後の告別の辞なんですか?」
「あなたは恐ろしい咏嘆ずきですね、スチェパン・トロフィーモヴィチ。そんなことは今まるで流行りませんよ。あの人たちのいうのは下品ですが、その代わりざっくばらんですよ。あなたは何かといえば、すぐ二十年を持ち出すんですね。あれは互いに自尊心を煽り合った二十年です、それっきりの話です! あなたがわたしに下すった手紙はどれもこれも、わたしに宛てたものではなくって、子々孫々へ残すつもりで書いたのです。あなたは修辞学者で、親友じゃありません。友情などというものは体裁のいい飾り言葉で、本当は溝水《どぶみず》の打《ぶ》ちまけっこですよ」
「ああ、まるっきり他人の口真似だ……よくまあ、お稽古が固まったものですね! あいつらはもうあなたにまで、ちゃんと自分の制服を着せたんですね! あなたもやっぱり得意でいるんですか? あなたもやっぱり太陽の国の住人になったんですか? |あなた《シエール》、|あなた《シエール》、なんというつまらない菜っ葉汁のために、尊いご自分の自由を売ってしまったのです?」
「わたしは他人の口真似をする鸚鵡じゃありませんよ」とヴァルヴァーラ夫人はかっとなった。「ええ、まったくですよ、わたしにだって自分の言葉は、うんと溜まっていますからね。いったいこの二十年間に、あなたはわたしをどうしてくだすったのです? わたしがあなたのために取り寄せた本でさえ、あなたはいやがって見せなかったじゃありませんか。その本も、もし製本屋というものがいなかったら、ページも切らずにうっちゃられるはずだったんですよ。また初めの間わたしを指導するようにお願いした時、あなたはいったい何を読ましてくれました? いつもいつもカップフィッヒの一点張りじゃありませんか。あなたはわたしの進歩にまでやきもちを焼いて、手加減をしていたのです。ところが、あなたは皆の笑い草になっていますよ。実のところ、わたしはいつもそう思っていました、あなたはただの批評家、ほんの文学批評家にすぎません。わたしがペテルブルグへ行く途中、雑誌発行の計画を洩らして、それに一生を捧げるつもりだとお話したら、あなたはすぐに皮肉な目つきでわたしを見つめて、急に恐ろしく高慢におなんなすったじゃありませんか」
「それは思い違いです、それは思い違いです……わたしたちはあのとき当局の注視を恐れたのです……」
「いいえ、本当にそのとおりでした。ペテルブルグでは当局の注視なんか、恐れるはずがなかったのですよ。その後あの二月になって、解放令の報知が伝わった時、あなたはとつぜんあおくなって、わたしのところへ飛んで来て、さっそく証明書の代わりになる手紙を書いてくれと、わたしにねだり出したのです。で、こんど計画している雑誌は全然あなたに無関係だ、遊びに来る若い人たちはわたしのお客で、あなたを訪ねて来るのじゃない。あなたはただの家庭教師で、俸給のもらい残りがあるので、わたしの家に暮らしているのだ、とこんなふうに書いてあげました。おぼえていらっしゃるでしょう! あなたは一生涯、立派な行ないばかりしていらしったのですよ、スチェパン・トロフィーモヴィチ」
「それはちょっとした気の迷いです。面と向き合った時だけのことです」と彼は悲しげに叫んだ。「しかし、いったいそんな些細な感情のために、何もかも破り棄ててしまわなくちゃならないのですか? いったいあの長い間の二人の関係から何一つ残ったものはないのでしょうか?」
「あなたは恐ろしく勘定高いこと。あなたはまだわたしに、何か貸しを押っつけようとなさるんですね。あなたは外国から帰った当座、わたしを一段高いところから見おろして、わたしにろくろくものもいわせなかったじゃありませんか、その後わたしが自分で出かけて行って、システィンのマドンナの印象を話し出したら、あなたはろくすっぽ聞きもしないで、ご自分のネクタイを見ながら、高慢そうににたりと笑いました。まるでわたしなぞはあなたと同じ感情をいだくことができないものかなんぞのように……」
「それは違います 、たぶん違うはずです…… 〔j'ai oublie'〕(わたしは忘れました)」
「いいえ、そのとおりでした。それに、わたしにご自慢なさるわけは少しもありませんよ。なぜって、そんなことはつまらない寝言ですもの。あなたの考え出した出たらめにすぎないんですもの。今どきの人はだれだって、まったくだれ一人だって、マドンナに夢中になるものはありません。そんなことに暇をつぶすのは、手のつけられないような老人連ばかりです。それはもう立派に証明されています」
「もう証明されてますって?」
「あんなマドンナなぞなんの役にも立ちゃしません。このコップは有益なものです。だって、水を注ぐことができますものね。この鉛筆は有益なものです。なぜって、なんでも書きとめることができるじゃありませんか。ところが、あの絵の女なんぞは、実際にいる女の中でも一番まずい顔ですよ。まあ、かりに林檎を一つ描いて、すぐその傍へ本物の林檎を並べてごらんなさい……いったいあなたはどちらを取ります? 必ず間違いっこないでしょう。まあ、今どきの論理は、すべてこういうふうに帰納されるんですよ。自由研究の曙光が理論のうえをも照らしたのです」
「そうです、そうです」
「あなたは皮肉な笑い方をなさるんですね、もう一つたとえていってみましょう。いったいあなたは慈善ということについて、わたしになんとおっしゃいました? ところが、本当はね、慈善の愉しみというものは、傲慢な背徳の愉しみなのです。金持ちが自分の富や権力や、自分と貧者との価値の比較、こういうものによって感じる愉しみなのです。慈善は、与えるものをも、また受けるものをも堕落させます。しかも、貧困を助長させることになりますから、目的を達することもできないのです。ちょうど博奕打ちが一攫千金を夢みながら、カルタづくえのまわりに集まるように、働くことの嫌いななまけ者が慈善家のまわりにうようよたかるんですからね。ところが、慈善家のなげうってやるいささかの小銭なんか、全財産の百分の一にも足りないじゃありませんか。あなたは一生涯のあいだ、たくさんの施しをしてやったことがありますか。八十コペイカより大きいことはありますまい、よく考えて思い出してごらんなさい。あなたが一番おしまいに施しをなすったのは、二年ばかり前でしたね、いいえ、四年くらいたってるかもしれない。あなたはただ大きな声で怒号して、仕事の邪魔をなさるばかりですよ。慈善などということは、今日の社会でも法律で禁止すべきなんです。新しい社会組織では、てんで貧乏人なんかなくなってしまいます」
「ああ、まるで他人の言葉を鵜呑みにしたのだ? じゃ、もう新しい社会組織にまで行ってしまったのですか? ああ、神様、この不幸な婦人をお助けください!」
「ええ、そこまで行ってしまったんですよ、スチェパン・トロフィーモヴィチ。あなたはいま、だれ一人知らぬ者もないようなすべての新思想を、精出してわたしの目から隠すようにしていらっしゃいました。しかも、それはわたしの心を支配したさのやきもち根性から出たことなのです。今ではあのユリヤでさえ、わたしより百歩もさきへ出ています。けれど、今こそわたしもすっかり見抜きました。わたしはね、スチェパン・トロフィーモヴィチ、できるだけあなたを弁護したんですよ。あなたはまったくみんなから攻撃されていますよ」
「たくさんです!」と彼は席を立とうとした。「たくさんです! で、わたしは今これ以上あなたに何を祈ったらいいのでしょう? 悔悟でしょうか?」
「まあ、ちょっとお坐んなさい、スチェパン・トロフィーモヴィチ、わたし、まだあなたにおたずねすることがあるんですの。あなたは今度の文学会で、何か講演を依頼されていらっしゃるでしょう。これはわたしの骨折りでそういうふうになったのですよ。いったい何を講演なさるおつもりですの?」
「いうまでもありません、あの女王の中の女王です、あの人類の理想です。あなたのお説ではコップや鉛筆ほどの値打ちもないシスティンのマドンナです」
「じゃ、あなたは歴史の話をなさるんじゃないんですか?」とヴァルヴァーラ夫人は悲しそうな驚きを浮かべた。「そんなことを聴く人はありゃしませんよ。本当にあなたはマドンナの一点ばりですね! 聴く人をみんな居眠りさしてしまうなんて、ずいぶんいいものずきじゃありませんか。ねえ、スチェパン・トロフィーモヴィチ、本当にわたしはあなたの身になって心配しているのですよ。もしあなたがスペイン歴史の中から、何か短くて気の利いた、中世紀の宮廷生活の物語を講演なすったら、どんなにいいでしょう。物語というより、ちょっとした逸話ですね、それにまたほかの逸話で色をつけたうえ、ご自分で工夫した警句でも添えてごらんなさい。あの時分には宮廷生活が華やかで、いろんな面白い貴婦人がいたり、毒殺事件があったりしたりしたのですからね。カルマジーノフもそういってましたよ。スペイン歴史の中から何か気の利いた講演ができないというのは、よっぽど変な話だって」
「カルマジーノフ? あの書きつくして筆の涸れた馬鹿者が、わたしのためにテーマをさがしてくれるって!」
「カルマジーノフ、あの人はほとんど国家的人物といってもいいくらいです! あなたはあまり口がすぎますよ、スチェパン・トロフィーモヴィチ」
「あなたのカルマジーノフなんか、あんなやつは時代おくれの、書きつくして種切れのした、意地悪の女の腐ったようなやつです! |あなた《シエール》、|あなた《シエール》、あなたはもうとうからあんな連中の奴隷になっていたのですか、おお、なんということだ!」
「わたしは今だって、あの男の尊大振りがいやでたまらないんですけれどね、それでもあの人の頭脳には、当然敬意を払わないわけにゆきません。くり返していいますが、わたしは一生懸命に、できるだけあなたを弁護してきたんですよ。そんなに是が非でも自分を滑稽な、面白くない人だと思わして、いったい何になるんです! そんなことはやめて、一つ過去の時代の代表者らしく、品位のある微笑を浮かべながら、悠然と演壇へ登って、三つばかり逸話をお話しなさいな。時々、あなたでなくてはというような話し方をなさる。あんなふうな独得の皮肉を縦横に発揮してね。あなたは老人でもかまいません、前世紀の遺物でもかまいません。またあの人たちにとり残されてるとしてもかまいません。ただこのことを前置きでちょっと自認しておいたら、あなたが愛嬌のある、人の好い、機知に富んだ老人だということを、みんなが知ってくれますから……つまり、あなたは旧時代の人物には相違ないけれど、第一流の人物であるだけに、今まで追随していたある種の思想の醜悪な点を、相当に認識するだけの頭脳を持ってらっしゃるのです。さあ、どうかわたしのいうことをきいてください。お願いですから」
「〔Che`re〕 たくさんですよ! 拝み倒すのはよしてください。わたしにはできません。わたしはマドンナの話をするのです。一つ大嵐を呼び起こします。その嵐で、やつらをすっかり打ち破るか、それとも、自分一人が斃されるかです!」
「確かにあなた一人斃されるんですよ。スチェパン・トロフィーモヴィチ」
「それがわたしの運命なのです。わたしはあの卑しい奴隷の話をするのです。手に鋏を持って第一番に梯子を攀じ登り、平等と羨望と、そして……消化の名をもって、偉大なる理想の神々しいおもわを掻き裂こうとする、あの鼻持ちならぬ放埒な下司男の話をするのです。わたしは自分の呪いを天下に轟かせなければやみません。その時こそ、その時こそ……」
癲狂院おくりですか?」
「或いはそうかもしれません。しかし、どっちにしても、わたしが負けるか、勝利者となるかです。わたしはその晩さっそく袋を取って……あの乞食のような袋を取って、わたしの財産をすっかり置いて行きます。あなたの贈り物も、年金も、未来の幸福のお約束も、すっかり遺したまま、かちでとぼとぼ出て行きます。そして、どこか商人の家のおかかえ教師で一生を終わるか、でなければ、どこかの垣の下で飢え死にします。わたしはもうそういったのです…… Alea jacta est!(骸子は投げられたり!)」
 彼はふたたび立ちあがった。
「わたしそう信じていました」目をぎらぎら輝かせながら、ヴァルヴァーラ夫人も同様に立ちあがった。「わたしもうずっと前からそう信じていました……あなたはとどのつまり、わたしとわたしの一家を讒誣して泥を塗るために、ただそれのみを目的に生きてらしったんです! あなたのおっしゃる商人のおかかえ教師とか、垣の下ののたれ死にとかは、いったいなんの意味ですの? 面当てです、讒誣です、ええ、それっきりです」
「あなたはいつもわたしを軽蔑していらしった。けれども、わたしは自分の姫に対する騎士のように、美しく生涯を終わるつもりです、なぜといって、わたしはいつもあなたのご意見を、何より最も尊重していたからです、もう今後なんにも頂戴しないで、利欲を離れて崇拝します」
「なんて馬鹿なことを!」
「あなたは一度もわたしを尊敬してくださらなかった。わたしには数限りない弱点があったかもしれません。そうです、わたしはあなたを食い潰しました(これは虚無主義の言葉を使っていってるんですよ)。しかし、食い潰すということは、けっしてわたしの行為の最高のモットーじゃなかったのです。これは自然とそんなふうになったのです。なぜだかわたしにもわかりません……わたしはいつもそう思っていました。二人の間には、何かしらん食物より以上に、高尚なものが残るだろうと。そして、一度も、まったく一度も卑劣な考えをいだいたことはありません。さあ、そこで事態を匡正するために、いよいよ旅の道に上るのだ! 晩い旅路に上るのだ! 外は秋が更けて、霧が野の上に垂れ、凍った老人のような霜がわたしの行く手をおおっている。そして、風は墓の近いことを呻き訴える……しかし、旅路に上らねばならぬ、新しい旅路へ。

[#ここから2字下げ]
心は清き愛に充ち
甘きおもいに身は浸り ([#割り注]プーシキン「貧しき騎士」[#割り注終わり])
[#ここで字下げ終わり]

 おお、さらば、わが空想よ! 二十年よ! Alea jacta est.(骸子は投げられたり)」
 彼の顔は、急に、はふり落つる涙に濡れた。彼は自分の帽子を取った。
「わたしラテン語は少しも知りませんよ」一生懸命に心を強く持ちながら、ヴァルヴァーラ夫人はそういった。
 実際、夫人自身も泣き出したかったのかもしれない。けれども、腹立たしさと気まぐれがもう一ど勝ちを占めた。
「わたしはね、たった一つだけ知ってることがありますの。ほかではありません、そんなことはみんな子供らしい駄々ですわ。あなたはそんなエゴイズムにみちた脅し文句を、とても実行するような気力はありゃしません。あなたはけっしてどこの商人のところへもいらっしゃりゃしませんよ。やっぱりわたしから年金を受け取って、あのやくざな友だちを火曜日ごとに家へ集めながら、安気にわたしの手に抱かれて死ぬんですよ。さようなら、スチェパン・トロフィーモヴィチ」
「Alea jacta est!(骸子は投げられたり!)」うやうやしく夫人に一揖して、彼は興奮のあまり生きた心地もなく、わが家へ帰って行った。

[#3字下げ]第6章 ピョートルの東奔西走[#「第6章 ピョートルの東奔西走」は中見出し]


[#6字下げ]1[#「1」は小見出し

 祭の日取りは、いよいよしっかり定められた。ところが、フォン・レムブケーはだんだん沈みがちに、だんだんもの案じ顔になっていった。彼の心は奇妙ないまわしい予感で一杯になっていた。これが一方ならず、ユリヤ夫人を不安に思わしたのである。もっとも、万事が泰平無事というわけにはゆかなかった。気のやさしい前知事が、県の行政事務をかなり乱雑にしていったうえに、目下コレラが襲いかかっているし、ある所なぞでは獣疫が頭をもたげはじめた。また夏の間じゅう、方々の町や村で祝融氏《しゅくゆうし》が猖獗を極めた。しかも、民間では、放火云々の愚かしい不満の声が、かたく根を張り出したのである。強盗も以前にくらべると、二倍に数を増してきた。もっとも、こんなことはきわめてあり触れた出来事に相違ないが、ただこのほかにもっと重大な原因があって、今まで幸福に過ごしてきたレムブケーの平安を破ったのである。
 何よりもユリヤ夫人に怪訝の念をいだかしたのは、彼が一日一日と口数が少なくなり、隠し立てさえするようになった一事である。いったい何を隠し立てする必要があるのだろう? もっとも、彼はあまり妻に言葉を返さないで、大抵の場合すっかりいわれるままになっていた。たとえば、夫人の主張にしたがって、県知事の権力を拡張するために、思い切って冒険的な、ほとんど反則にならないばかりの施策も、二、三おこなわれた。また同じ目的のために、二、三の忌むべき放漫な処置も講ぜられた。例を挙げていえば、当然裁判に付せられシベリヤに流さるべきたぐいの人たちまで、ただただ夫人がたって主張したばかりに、かえって授賞者として報告された。ある種の請願や質問に対しては、徹底してなんの答弁もしないことに決せられた。それらはすべて後に発覚したことである。レムブケーは、なんでもかでも署名したばかりでなく、自分の職務の履行にどれだけ妻が関係したかという問題さえも、講究しようとしなかった。その代わり、時時『まるっきりくだらないこと』のために血相を変えて怒り出しては、ユリヤ夫人を驚かすようになった。もちろん、服従の幾日かが続くと、ちょっとした一揆を起こしてみて、それでみずから慰めようという要求を感じるのであった。悲しいかな、ユリヤ夫人はその偉大な明察力にも似合わず、この高潔な性格の蔵している、かような高潔にしてデリケートな変化を理解することができなかったのである。彼女はそれどころでなかったのだ。これがために、多くの誤りが生じたものといわねばならない。
 ある種の事柄については、わたしなどが話すべき筋合もないし、またとてもうまく話し切れるものでもない。行政上の過失を穿鑿するのも、またわたしの任でないから、こういう行政的の方面は、いっそすっかり抜きにしようと思う。この記録を始めたについては、また別に目的とするところがあったのだ。それに、とくにこのために任命された予審委員の手によって、いろいろたくさんな事実が暴露されることだろうから、もう少し待っていればいいわけだ。とはいえ、それにしても二、三の説明は、どうしても抜いてしまうわけにいかない。
 しかし、いま少しユリヤ夫人のことを述べるとしよう。不幸な婦人は(実際、わたしはこのひとをたいへん気の毒に思っている)、この県へ転任のそもそもから覚悟していたような烈しいとっぴな運動をするまでもなく、あれほど長いあいだ牽引と魅惑を感じていたすべてのもの(名誉その他のもの)を、ことごとく獲得することができたのである。ところで、詩的空想があまり多すぎたせいか、それとも処女時代の佗しい失敗が長く続きすぎたためか、とにかく彼女は運命の急変と同時に、とつぜん自分を何か特別な選ばれたる人のように感じ出したのである。まるで『焔の舌が頭上に燃え上る』膏《あぶら》ぬられたる人のような気がしたのだ。この焔の舌が禍のもとなのである。なんといっても、こいつは付け髷のようなものと違うから、どんな女の頭にも自由にくっつけるわけにいかない。しかし、この理を婦人に説得するのは何よりむずかしい。ところが、その反対に、女に相槌ばかり打つものは常に成功疑いなしである。人々は争って婦人に相槌を打った。不幸な夫人はたちまちにして、種々雑多な影響の翻弄物となった。が、それと同時に、当人はどこまでも自分を独創性に富んだものと、自惚れているのであった。
 夫人の短い在任期の間に、狡猾な連中が彼女の周囲にうようよと集まって、その人のいいところを利用して懐ろを温めた。しかも、独立不羈という美名のもとに、どんな乱脈が演じられたことか! 大農制度も、貴族的分子も、県知事の権力拡張も、民主的分子も、新施設も新秩序も、自由思想も、社会的理想も、貴族のサロンにおける厳正な調子も、自分をとり巻く若い連中の居酒屋式の磊落な態度も、ことごとく夫人の気に入ったのである。彼女は人間に幸福を与え[#「幸福を与え」に傍点]、和し難きものを和せしめようとした、というより、むしろ夫人自身の人格崇拝というものの中に、ありとあらゆるものを結合しようと空想したのである。夫人にはまた特別のお気に入りもあった。なかでもピョートルは思い切って露骨な、そうぞうしい阿諛を弄して、すっかり夫人の心をとりこにしてしまった。けれども、彼はまたほかの原因もあって、彼女のお気に入りとなったのである。それはきわめて奇怪な点ではあるが、同時にこの不幸な夫人の性格をまざまざと描いて見せるようなものであった。ほかでもない、彼女は絶えず心の中で、ピョートルがなにか国家的の一大陰謀を自分に密告してくれるに相違ないと、深く信じていたのである! 実に想像もむずかしいくらいの話だが、これが本当なのだから仕方がない。どういうわけか夫人はこの県内に、必ず国家的陰謀が潜んでいるに相違ない、というような気がしてならなかった。
 ピョートルは時に沈黙をもって、時にほのめかすような口吻をもって、夫人の奇怪な想像の助長に努めた。彼女の想像によると、ピョートルはロシヤにおけるすべての革命分子と関係を有しながら、それと同時に、崇拝といっていいくらい夫人に信服している青年なのであった。陰謀の暴露、中央政府からの讃辞、昇進、いざという瀬戸際で引きとめるために、愛をもって新しき世代に感化を与える方法、――こういうものが夫人の幻想的な頭の中に、すっかりこびりついてしまったのである。実際、自分はピョートルを救ったではないか、彼を征服したではないか(夫人はこのことをなぜか固く信じ切っていた)。それだのに、どうしてほかの者をも救えないわけがあろう? 彼らはだれ一人、まったくだれ一人として堕落はしない、みんな自分が救ってみせる。自分は彼らを一々種類わけして、それをすっかり報告してやる。自分は最高正義の標準によって行動するのだ、もしかしたら、ロシヤの歴史、ロシヤの自由思想界が挙げてことごとく、自分の名を祝福するようになるかもしれぬ、とにかくそれにしても陰謀は暴露されるのだ。一挙にしてあらゆる利が獲られるわけである。が、それにしてもせめて祭の前だけでも、夫のアンドレイ・アントーノヴィチに、もう少し晴ればれしてほしかった。是が非でも彼を浮き立たして、安心させなければならなかった。この目的をもって、夫人は夫のもとヘピョートルを差し向けた。何か彼独得の鎮静剤的な効能を持った方法で、夫の気欝症を紛らしてもらおうと、当てにしていたのだ。ことによったら、直接、本家本元から取ってきた何か珍しい報知でもあるかもしれぬ。とにかく、夫人は彼の腕を飽くまで信じ切っていた。ピョートルはもうだいぶ久しく、フォン・レムブケー氏の書斎に入らないでいた。彼が知事の部屋へ飛び込んだのは、ちょうど自分の患者レムブケー氏が、とくに屈託した気分になっている時だった。

[#6字下げ]2[#「2」は小見出し

 実はフォン・レムブケー氏にとって、どうしても解決することのできない、こぐらかった事情が持ちあがったのである。ある郡内で(それはついこの間ピョートルが、将校連と酒宴を催したところである)、一人の少尉が直属長官から口頭の譴責を受けた。それはたまたま中隊ぜんぶの集まった席で起こった出来事である。少尉はつい近頃ペテルブルグから来たばかりの、まだいたって年若な青年で、いつも無口で気むずかしそうな顔をしているから、ちょっと見は、なかなか気取った風采だった。けれど、それと同時に、がらの小さい肥った男で、頬なぞは赤々としていた。彼はこの譴責を我慢できないで、中隊じゅうがはっと思うような奇妙な甲走った叫び声とともに、まるで何か野獣のように首をかしげながら、いきなり中隊長に躍りかかった。そして、いやというほど撲りつけておいて、力まかせに肩へ咬みついた。人々はやっとのことで彼をもぎ放した。疑いもなく、まさに気がちがったに相違ない。少なくとも最近にいたって、ほとんどありうべからざるほど奇怪千万な振舞いを見受けた、というものが続続と現われた。たとえば、自分の住まいから、家つきの聖像を二つまでほうり出して、一つは斧で叩き割ったとのことだし、また、自分の部屋に読経台のような台を三つこしらえて、その上にフォヒト([#割り注]一八一七―九五年、ドイツのダーウィン主義者[#割り注終わり])、モレショット([#割り注]一八二二―九三年、ドイツの生理学者唯物論者[#割り注終わり])、ビュヒネル([#割り注]一八二四―九九年、医学者、自然哲学者、「力と物質」の著者、唯物論者[#割り注終わり])の著書を並べ、その上に一つずつ教会用の蝋燭をともしたものである。彼のところで発見されたおびただしい書物の数は、非常な読書家だということを想像させた。もし彼に五万フランの金があったら、ちょうどゲルツェンの愉快なユーモアにみちた作に書いてある士官候補生のように、凛然としてマルキーズ島へでも去ったかもしれない。彼が捕まった時には、ポケットからも居間からも、思い切って乱暴な檄文がうんと出てきたとのことである。
 檄文そのものは要するにつまらないことで、わたしなどにいわせれば、てんで少しも面倒なことはないのだ。そんなものを見つけるのはあえて珍しいことではない。おまけに、それは新たにできた檄文ではなく、噂によれば、全然それと同じものがついこのあいだX州でも撒き散らされたということだし、一月半ばかり前、隣りのN県へ出張したリプーチンも、向こうで同じような刷り物を見たと断言している。ただ何よりレムブケーの心胆を寒からしめたのは、ちょうどそれと同時にシュピグーリン工場の支配人が、夜中に工場へ投げ込まれたのだといって、少尉のところで見つけたのとそっくり同じ刷り物を、二束か三束、警察へ届けたという一事である。しかし、その束はまだ封が切ってなかったから、職工はだれ一人として、一枚も読んで見る暇がなかった。とにかく、馬鹿馬鹿しい事実なのだが、レムブケーはひどく考え込んでしまった。なんだかこの事件が不愉快な、こぐらかったもののように思われたのである。
 この工場では、当時いわゆる『シュピグーリン問題』なるものが、持ちあがりかけたばかりだった。このことは町でも喧しく騒ぎ廻るし、首都の新聞まで尾鰭をつけて書き立てたものである。三週間ばかり前に一人の職工が、アジヤ・コレラを患って死んだ。と、続いてまた幾人かの患者が出た。ちょうどその時、隣県からコレラが襲来していたので、町民は急におじけづいた。事実、この押しかけの珍客を迎えるためには、町でもできうる限り完全な衛生施設を講じたのだが、シュピグーリンの工場だけは、持ち主が巨万の資産家で、いろいろ有力な知人縁者があったため、ついずるずるに見のがしてしまったのである。ところが、こんど急に一同口を揃えて、この中にこそ病源が潜んでいる、あれこそ黴菌の繁殖場だ、あの工場、――ことに職工の寄宿舎は、まるで手のつけられないほど不潔を極めていて、よしコレラなぞぜんぜん流行していなくとも、きっとここから発生せずにはおかない、とこんな叫び声を挙げ始めた。もちろん応急の処置が講じられた。レムブケーはさっそくすこしの猶予もなく実施するよう、夢中になって主張した。工場は、三週間ばかりかかって消毒された。が、シュピグーリンはどういうわけか知らないが、工場を閉鎖してしまった。シュピグーリン兄弟のうち、一人はいつもペテルブルグで暮らしているし、いま一人は県庁から消毒の命令を受けたのち、モスクワへたってしまった。支配人は職工の賃銀計算にとりかかったが、大胆至極なごまかしをやっていたのが、今になってはっきりしてきた。職工たちはまともな計算を要求して、だいぶ不平の声が起こった。中には馬鹿なことをいって警察へ出頭するものもあった。もっとも、大して怒号叫喚するわけでもなく、またけっして噂ほどの騒ぎもなかった。ちょうどこの時レムブケーは支配人の手から、例の檄文を受け取ったのである。
 ピョートルはごく親しい友だちか内輪の者のように、知事の書斎へ飛び込んだ。今日はおまけに、ユリヤ夫人の依頼を受けてるのだから、大威張りである。彼の姿を見ると、レムブケーは気むずかしげに顔をしかめながら、不愛想にテーブルの傍に立ちどまった。それまで彼は書斎を歩き廻って、官房役人のブリュームとさし向かいで、なにやら相談していたのである。ブリュームは、夫人の猛烈な反対にもかかわらず、わざわざペテルブルグからつれて来たドイツ人で、恐ろしくぶ骨な、むっつり屋だった。彼はピョートルが入って来ると同時に、戸口のほうへしさったが、それでも出て行こうとはしなかった。そればかりか長官と意味ありげに目くばせさえしたように、ピョートルの目には映ったので。
「おお、やっとつかまえましたよ、あなたは隠れんぼの好きな知事公ですからなあ!」とピョートルは笑いながらわめいて、掌をテーブルの檄文の上に置いた。「これでまた、あなたのコレクションがふえるわけですね、え?」
 レムブケーはかっとなった。彼の顔面筋肉は、なんだかふいにぴくりと引っ吊ったようであった。
「おいてくれたまえ、今すぐおいてくれたまえ!」憤怒のあまり身を震わせながら、彼はこうどなった。「それは失敬じゃないか……きみ……」
「なんだってあなたそんなに? 怒っておいでのようですな?」
「わたしはきみに断わっておくがね、わたしは今後、きみの 〔sans fac,on〕(非礼)を、黙って辛抱する気は少しもないんだからね。お願いだから、おぼえといてくれたまえ……」
「ちぇっ、くそ、この人は本気なんだよ!」
「黙りたまえ、黙りたまえというに!」レムブケーは絨毯の上でじだんだふんだ。「じたい生意気じゃないか……」
 いったいこのさきどうなることかと、気づかわれるほどだった。ああ、これには一つまた別な事情があるのだ。しかも、ピョートルはいうまでもなく、ユリヤ夫人でさえまだ知らないでいたことなのだ。ほかでもない、不幸なレムブケーは、すっかり頭をめちゃめちゃにしてしまって、この二、三日、こころの中でピョートルとユリヤ夫人の間を疑い、嫉妬を起こしているのであった。一人きりになった時、――とりわけ夜中などは、ずいぶん不快な感情を忍ばねばならなかった。
「ぼくはまたこう思っていました、――人が二日も続けて、真夜中すぎに自作の小説を読んで聞かせたうえ、それに関する意見まで求めている以上、少なくともその人自身からして、そんな四角ばった儀礼を超絶したものと、解釈していましたよ……それに、奥さんはぼくに対して、ごく隔てのないつきあいをしてくださる。こうなると、まるであなた方のお心持ちがわかりませんよ」と一種の威厳さえ示しながら、ピョートルはいった。「ああ、ついでにあなたの小説を持って来ました」くるくると筒形に巻いたうえ、青い紙でしっかりと包んだ、大きなどっしりしたノートをテーブルの上へ置いた。レムブケーはあかくなって、口をもぐもぐさせながら、
「きみどこで見つけたんです?」抑え切れないよろこびのこみ上げるのを、一生懸命に押しこらえながら、彼は用心ぶかい調子でこうたずねた。
「まあ、どうでしょう、こんなふうに筒形になってたもんですから、そのまま箪笥の向こうへ転がり落ちてしまったんですよ。あのときぼくは、きっと部屋へ入るなり、不注意に箪笥の上へほうり出したものと見えます。やっと一昨日、床を洗うといって見つけ出したんです。しかし、あなたは大変な仕事をぼくに授けてくれましたね!」
 レムブケーはきつい表情をして目を伏せた。
「おかげさまで、二晩つづけて寝ませんでしたよ。実はおととい見つけたんですが、お返しするのを見合わせて、すっかり読んでしまいました。昼は暇がないもんですから、夜だけね。ところでと、――不感服でしたよ。ぼくなどは思想がまるで違います。しかし、まあ、どうだっていいや、今まで批評家なんて役目は、一度も勤めたことがありませんからね。けれど、不感服ながらも、巻を措くに忍びなかったですよ! 第四、第五章あたりなんぞは、その……その……いや、もうなんといっていいかわかりませんなあ! そして、あなたもずいぶんユーモアを詰め込んだもんですね、噴き出しちまいましたよ、しかし、それにしても、あなたは sans que cela paraisse(目立たないように)茶化してしまうことがうまいですねえ! それから、あの第九章、第十章はすっかり恋物語ですな。これはぼくなどの関知しないところですが、なかなか効果がありましたよ。イグレーネフの手紙のくだりでは、ほとんど泣き出しかけたほどです。もっとも、あなたはこの男をきわめて皮肉に描出していらっしゃいますがね……いや、実際あれには感動させられます。しかし、それと同時にあなたはこの男を、偽りの側面から写し出そうと試みていられるようですね。そうでしょう? 当たりましたかどうです? ところで、大団円にいたっては、本当にあなたをぶん撲ってやりたいような気がしましたぜ。いったいあなたはなんという結論に導くつもりなんです? あれは実際のところ、お定まりの結婚の幸福に対する讃美じゃありませんか。子宝をふやして、お金を蓄めて、無事息災に暮らして、功徳を積みましたとさ、まるでこういった調子ですよ、やり切れたもんじゃない! あなたは読者を魅了する技《わざ》をもっていらっしゃる。で、ぼくも一読巻をおおうに忍びなかったんです