京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

検証1-12 1995年3月18日~3月20日の麻原彰晃(松本智津夫)の動向――『オウム法廷』第12巻より

(以下、敬称略。原則として、名前はあいうえお順)

麻原彰晃松本智津夫)の動向、およびその根拠となる証言

1995年3月18日午前2時ころ、上九一色村へ帰るリムジンの中で、村井秀夫、井上嘉浩、遠藤誠一青山吉伸、I(教団幹部)と相談(いわゆる「リムジン謀議」)。

遠藤誠一の証言によれば、リムジン謀議での麻原(松本)の「サリンを作れるか」という発言は単なる可能性についての質問で、具体的な犯行計画の一部とは考えていなかった、ということである。)
(第12巻収録の証言には、この場面の時刻について書かれていない)
遠藤誠一、弁護側冒頭陳述、P53-58
遠藤誠一地裁判決、P371-372

1995年3月19日夜(不純物をふくんだサリンが生成された後)、第六サティアンの麻原(松井)の部屋に遠藤誠一が報告に来た。そのとき、麻原(松本)は「「いいよ、それで」と言って、サリンを分留せず、混合液の状態のままで本件犯行に使用することを了承した。」
井上嘉浩の証言「1995年3月20日午前2時ころ、第六サティアン1階の麻原(松本)の部屋に遠藤誠一サリンを持って来た」に対して、遠藤誠一は「そのようなことはなかった」と正面から否定している。
(第12巻収録の証言には、この場面の時刻について書かれていない)
遠藤誠一、弁護側冒頭陳述、P53-58
2001年9月26日、遠藤誠一新実智光第96回公判遠藤誠一への被告人質問、P246-254


○引用
第12巻
P53-58

 四 地下鉄サリン事件
 1 食事会およびリムジン内のことについて
 九五年三月十五日、被告人は、第六サティアンで麻原および村井から、部署のリーダーを全員正悟師にすると伝えられた。
 三月十七日早朝、被告人は、熊本の教団施設に飛行機で出向き、夕方羽田に着いて一人で車を運転して上九に戻った。
 三月十八日未明、被告人は、東京杉並区の教団経営の飲食店「識華」での正悟師祝いの食事会に出席した。食事会が始まる直前、井上嘉浩が麻原に対しなにか話しかけていた。食事会ではXデーなどの話は出ていない。
 また、食事会終了直後に、井上が麻原に話しかけており、それがきっかけで帰りの車の配車が変更になった。リムジンに乗ったのは、麻原、村井、井上、青山吉伸、I(元法皇官房トップ=筆者注)および被告人であった。Iと被告人については、しばらく間があった後、最後に名前を呼ばれてリムジンに乗ることになった。(中略)
 リムジン内は、車の走行音や車内備え付けの空気清浄機「コスモクリーナー」の雑音で会話内容は聞こえず、また被告人は前日からの疲労で眠ってしまった。そして、ふと気付くと麻原から「サリンが作れるか」と聞かれていた。被告人は「条件が整えば作れると思います」と答えたが、作れという具体的な指示ではなかったし被告人の回答も一般的なものとしてであった。
 これ以上の会話には加わっていないし、聞こえてもいない。
 リムジンに乗るよう言われたとき被告人は、ルドラチャクリンのイニシエーションが食事会直後に予定されているためだろうと思っていたし、事実リムジンが第二サティアンに到着してしばらく後にイニシエーションが始まった。
 2 サリン生成の指示
 三月十八日昼過ぎ、被告人は、第六サティアン三階の村井の部屋で村井から「中川が君のところに行くのでよろしく頼む」と言われ、CMI棟で中川を待つ。ように言われた。
 同日夕方ころ、CMI棟に来た中川は、クーラーボックスに入ったジフロを被告人に見せながら「ジフロからサリンを作らなくてはいけない」旨述べた。中川によれば、ジクロなしでジフロからサリンを生成する方法は何通りかあるということだった。しかし中川は、直ちに生成を始めることはなく、とりあえず廊下におかれたジフロを保冷室に入れた。
 被告人は、このときのジフロの製造・保管・隠匿には一切かかわっていない。
 被告人は、サリンの生成は一貫して土谷と中川の仕事だと思っていたので、同日夜、保冷室のジフロを土谷に渡した。
 その後、三月十八日夜のことであったが、第六サティアン一階で、被告人は麻原からサリン生成を指示された。量や時期などの指示はなかった。
 3 サリンの生成状況
 三月十九日の朝、中川がCMI棟に来て、そろそろ作り始めなくてはならない旨述べた。その後被告人は村井を捜して第六サティアンに行ったところ、第六サティアン一階の麻原の部屋で麻原から、サリンという言葉は出なかったが進行状況を聞かれた。被告人はまだ始めていない旨答えた。その後村井から、今日中にやるようにとの指示を受けた。
 被告人はCMI棟に戻り、中川、土谷とともにサリン生成の準備にとりかかった。土谷からジフロを戻されたが、土谷は「今(土谷棟には)スーパーハウスがないので生成は無理です」と述べていた。
 その後、中川の指示に従い物質収支表に沿って薬品の混合を開始し、土谷が生成開始の滴下を始めた。途中、反応が進まないということで中川と土谷の指示で反応温度を上げた。被告人は、途中から田下聖児に実験の補助を依頼した。
 このころ、教団大阪支部強制捜査が入った旨の連絡があり、被告人らもこのことを知った。
 土谷から、サンプリングの結果サリンが出来ていることおよび不純物の分離には時間がかかることを聞かされたが、これに対し麻原は、その状態でいいと答えた。被告人は麻原のこの回答に「上九にも強制捜査が入るかもしれないのでこれで実験はやめるように」という指示だと受け取った。
 CMI棟に戻ると、中川はビニール袋を持っており、それにサリンをつめるよう指示されたとのことであった。サリンをつめる前に、水袋でサンプルを作り、村井に見せに行った。
 その後、被告人と田下が溶液を濾過し、中川が作製したビニール袋に被告人と中川とでサリンを入れ密封する作業を行った。
 その後、このサリン入りビニール十一袋を段ボール箱に入れ、第七サティアンの村井に渡した。
 被告人が、同日のサリン生成に関与することになったのは、当時強力なドラフトがCMI欄にしかなかったためであると思われる。
 4 サリン生成後の被告人の行動
 サリンの生成を終えた後、被告人は第六サティアンの麻原の部屋に行ったことはあるが、このとき被告人が、サリンの入った段ボール箱を持っていたという事実はない。したがって、修法などという事実もまったくない。(中略)
 CMI棟に戻った被告人は、この後村井から、水入りビニール袋を数個作るよう指示を受け、そのとおり作製して第七サティアンの村井に渡した。
 このとき、実行犯五名が第七サティアンにいたことはない。
 被告人はCMI棟に戻ったが、それからさらに村井は、被告人か中川のどちらかに第七サティアンに来るよう指示をした。中川は後片付けがすんでいなかったので、被告人が第七サティアンに行ったのであるが、このとき第七サティアン一階には、村井と他に数名の者がいた。村井は被告人に新聞を調達してくるよう指示を出し、被告人は再度CMI棟に戻って新聞を探し第七サティアンの村井に届けた。その際、村井は被告人に、予防薬を持ってくるよう指示した。
 被告人はまたCMI棟に戻り、中川から予防薬一シートをもらい第七サティアンで村井に渡した。この間被告人は、村井の指示で何度もCMI棟と第七サティアンを往復しただけであり、村井以外の者の行動や会話を見聞きしていなかった。
 その後CMI棟に戻った被告人は、後始末をし、仮眠をとった。
 三月二十日朝、被告人は第六サティアン三階の自室に行った。
 同日昼過ぎ頃、被告人は第六サティアンで、地下鉄サリン事件のことを知った。いてもたってもいられず、第六サティアンの一階の麻原のところに行ったが、そこには村井、豊田亨広瀬健一横山真人がおり、彼らとほぼ入れ違いに麻原の部屋に入った。麻原は被告人に対し「暗いから修行しろ」と述べ、被告人は第六サティアンの自室で修行した。


P246-254

遠藤誠一被告 被告人質問から抜粋】
●弁護側質問
 ――「ジーヴァカ、お前、サリン作れるか」と調書にあるが。
「お前というのは入ってないです。麻原さんは、お前はサリンを作れるのか、という一般的なこととして聞かれた、と思う。そう検察官に言ったのが、調書上そういう表現になった、と思います。これはもう一般的なことと思った。私は、お前、遠藤は(それまで)サリンと関係しなかったが、お前はサリンを作れるのか、どうなのか、と聞かれた、と思った。ですから、詳しく言うと、横にサリンプラント(建設を指示されている)の村井さんがいる。サリンに関して、全然上の村井さんが乗っているわけなんです。それまでのサリンは土谷さんや中川さんが作ったのを麻原さんは知っているから、私に製造方法を聞いてきている、とは思っていない。だから、一般的な話として聞かれている、と思いました」
 ――条件が整えば出来ると答えたというのは。
サリン生成というのは、条件を整えるのは土谷さんと中川さんしかいないわけです。製造方法を研究している以上、中川さんや土谷さんのもとでは、一般的に森脇さんや佐々木さんがやったようになら私も出来る。器具の扱いはマスターしているから、出来るのではないか、と答えました」
(略)

遠藤誠一地裁判決
P371-372
https://s3731127306973026.hatenadiary.com/entry/2020/01/11/000000

○補足
地下鉄サリン事件全体についてならば、書くことが多すぎて、別のところで書かないといけない。