京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

『カラマーゾフの兄弟』P134-137   (『ドストエーフスキイ全集』第12巻(1959年、米川正夫による翻訳、河出書房新社))[挑戦53日目]

けたほかの人を、みんな一人残さず呪いつくして、少しも容赦なさらないでしょうか? こういうわけですから、一たん神様を疑うようなことをしたところで、後悔の涙さえこぼしたら赦していただけるものと、私は信じているのでございますよ。」
「待てよ、」フョードルはすっかり夢中になって、黄色い声で叫んだ。「じゃ、何だな、とにかく、山を動かすことのできる人間が、二人だけはいるものと考えるんだな? イヴァンよく覚えて、書き留めといてくれ。ロシヤ人の面目躍如たりだ!」
「ええ、まったくおっしゃるとおりです、これは宗教上の国民的な一面ですよ。」わが意を得たりというような微笑を浮べながら、イヴァンは同意した。
「同意かね? お前が同意する以上それに相違なしだ! アリョーシカ、そうだろう? まったくロシヤ人の宗教観だろう?」
「いいえ、スメルジャコフの宗教観は、まるっきりロシヤ的じゃありません。」真面目な確固たる調子でアリョーシャはこう言った。
「わしが言うのは宗教観のことじゃない、あの二人の隠者という点なのだ、あの一つの点なのだ。ロシヤ式だろう、まったくロシヤ式だろう。」
「ええ、その点はぜんぜんロシヤ式です」とアリョーシャはほお笑んだ。
「驢馬君、お前の一ことは金貨一つだけの値うちがあるよ、そして、本当に今日お前にくれてやるわ。しかし、そのほかのことは嘘だ、みんな嘘だ、真っ赤な嘘だ。よいか、こら、われわれ一同がこの世で信仰を持だないのは心が浅いからだ。つまり、暇がないからだよ。第一、いろんな用事にかまけてしまう、第二に、神様が時間を十分授けて下さらなかったので、一日に二十四時間やそこらのきまりでは、悔い改めるはさておき、十分に寝る暇もないでなあ。ところが、お前が迫害者の前で神様を否定したのは、信仰のことよりほか考えられないような場合じゃないか。ぜひ自分の信仰を示さなきゃならん場合じゃないか。おいどうだ、一理あるだろう?」
「一理あるにはありますが、まあ、よく考えてごらんなさい、グリゴーリイ・ヴァシーリエヴィッチ、一理あればこそ、なおのこと私にとって有利になってくるのです。もし私が正真正銘、間違いなしに信仰を持っているとしたら、自分の信仰のために苦しみを受けないで穢わしいフイフイ教へ乗りかえるのは、もちろん、罪深いことに相違ありますまい。しかし、それにしても、苦しみなどというところまでゆかないですみはずですよ。なぜって、そのとき目の前の山に向って、『早く動いて来て敵を潰してくれ』と言いさえすれば、山は即時に動きだして、油虫かなんぞのように、敵を押し潰してくれるはずじゃありませんか。で、私はけろりとして、神の光栄をたたえながら引き上げて行きますよ。ところが、もしその時この方法を応用して、このフイフイ教徒どもを押し潰してくれと、わざと大きな声をして山に呶鳴ってみても、山はじっとしていて敵を潰してくれないとしたら、私だってそんな恐ろしい命がけの場合に、疑いを起さずにいられるものですか? それでなくてさえ天国ってものは、完全に得られるものじゃないということを承知しているのに(だって、山が動いて来なかったところをみると、天国でも私の信仰を本当にしてくれないでしょうから、あの世でも大したご褒美が待っていないことがわかりますからね)、何のとくにもならないことに、自分の生き皮を剥がれる必要がどこにありますか? 実際、もう半分背中の皮を剥がれた時だって、私が呶鳴ったり喚いたりしてみても、山はやっぱり動きゃしませんからね。こんな時には疑いが起るくらいでなく、恐ろしさのあまりに分別さえなくなぶかもしれません。いや、分別をめぐらすなんてことはまったく不可能です。してみると、この世でもあの世でも、かくべつ自分のとくになることもなければ大したご褒美ももらえないとわかったら、せめて自分の皮でも大切にしまっておこうと思うのが、一たいどうして悪いのでしょう? ですから、私は神様のお慈悲をあてにして、綺麗さっぱり赦していただけるものと思っていますので……」

   第八 コニヤクを傾けつつ

 争論は終った。しかし、不思議なことに、あれほど浮き立っていたフョードルが、しまい頃には、急に顔をしかめだした。顔をしかめてぐいとコニヤクを呷ったが、これはもうまるで余分な杯であった。
「おい、もう貴様らはいい加減にして出て行かんか」と彼は二人の下男に呶鳴りつけた。「もう出て行け、スメルジャコフ。約束の金貨はあす持たしてやるから、お前はもう帰ってよいわ。グリゴーリイ、泣かずにマルファのところへ行け、あれが慰めていいあんばいに寝かしてくれらあ。」
「悪党めら、食事のあとで、静かに坐っておることもさしやせん。」命に従って二人の下男が立ち去った後、彼はいきなりいまいましげに打ち切るように言った。「この頃スメルジャコフは食事のたびに出しゃばりだしたが、よっぽどお前が珍しいと見はイヴァンに向って言いたした。
「決して何も」とこちらは答えた。「急に僕を尊敬する気になったんですよ。なに、あれはただの下司ですよ。しかし、時が来たら、一流の人間になるでしょうよ。」
「一流の?」
「まだほかにもっと立派な人も出てくるでしょうが、あんなのも出て来ますね。まず初めにあんなのが出て、それからもっとましなのが現われるんです。」
「で、その『時』はいつ来るんだな?」
「狼火《のろし》が上ったら……しかし、ことによったら、燃えきらないかもしれませんよ。今のところ、民衆はあんな下司の言うことをあまり好きませんね。」
「なるほどな。ところでお前、あのヴァラームの驢馬はいつも考えてばかりいるが、本当にどんなところまで考えつくか知れやせんぜ。」
「思想をため込んでるんでしょうよ」とイヴァンは薄笑いをもらした。
「ところでな、わしにはちゃんとわかっておるのだ。あいつは、ほかの者もそうだけれど、わしという人間に我慢ができんのだ。お前だって同じことだぞ、お前は『急に僕を尊敬する気になった』などと言うておるけれどな。アリョーシカはなおのことだ、あいつはアリョーシカを馬鹿にしておるよ。しかし、あいつは盗みをせん、そこが感心だ。それにいつも黙り込んで告げ口をせんし、内輪のあくぞもくぞを外へ出て言わんし、魚饅頭《フィッシュ・パイ》も上手に焼く。しかし、あんなやつなぞ、本当にどうだってかまやせん。あんなやつの話をする値うちはないよ。」
「むろん、値うちはありません。」
「ところで、あいつがひとり腹の中で何を考え込んでおるかというと……つまり、ロシヤの百姓は一般に言うて、うんとぶん殴ってやらにゃならんのだ。わしはいつもそう言っておるんだよ。百姓なんてやつは詐欺師だから、可哀そうだなどと思ってやるにはあたらん。今でもときどき、ぶん殴るものがおるから、まだしも結構なんだ。ロシヤの土地は、白樺のおかげで保《も》ってるんだから、もし林を伐り倒したら、ロシヤの土地もくずれてしまうのだ。わしは利口な人の味方をするなあ。われわれはあんまり利口すぎて、百姓を殴ることをやめたけれど、百姓らは相変らず、自分で自分をぶっておる。それでよいのさ。人を呪わば穴二つ……いや、何と言うたらよいかな……つまり、その、穴二つだ。実際、ロシヤは豚小屋だよ。お前は知るまいが、わしはロシヤが憎うてたまらんのだ……いや、ロシヤじゃない、その悪行を憎むのだ、しかし、あるいは、ロシヤそのものかもしれんな。Tout cela c'est de la cochonnerie(それはみんな腐敗から出るのだ)一たいわしの好きなのは何か知っとるか? わしは頓知が好きなのだ。」
「また一杯、よけいに飲んでしまいましたね。もうたくさんですよ。」
「まあ待て、わしはもう一杯と、それからまたもう一杯飲んで、それで切り上げるんだ。どうもいかん、お前が途中で口を出すもんだから。わしは一度よそへ行く途中モークロエ村を通ったとき、一人の老爺にものを訊ねたことがある。すると、老爺の答えるには、「わしらあ旦那、言いつけで娘《あま》っ子をひっぱたくのが何よりもいっち面白えだ。そのひっぱたく役目は、いつでも若えもんにやらせますだ。ところが、今日ひっぱたいた娘《あま》っ子を、もうその翌の日、若えもんが嫁にもらうと思いなさろ。せえじゃけに、あまっ子らもそれをあたりめえのように思うとりますだあ』ときた。何という侯爵《マルキー》ド・サード(一七四〇―一八一四、仏の淫蕩文学者、精神病院にて死す、サディズムの起源となる)だろう。もし何ならうがった皮肉と言うてもよいくらいだ。一つみんなで出かけて見物したらどうだな、うん? アリョーシャ、お前赧い顔をするのか、いい子だ、何も恥しがることはないよ。さっき僧院長の食事の席に坐って、坊さんたちにモークロエ村の娘の話をして聞かせなかったのが残念だよ。アリョーシカ、わしはさっきお前んとこの僧院長にうんと悪態を言うたが、まや腹を立てんでくれ。わしはどうもついむらむらっとなっていかんよ。もし神様があるものなら、存在するものなら その時はもちろんわしが悪いのだからして、何でも責任を引き受けるがな、もし神様がまるっきりないとしたら、あんな連中をまだまだあれくらいのことですましておけるものじゃない、お前んとこの坊主どもをさ。その時は、あいつらの首を刎ねるくらいじゃたりゃせんよ。なぜというて、あいつらは進歩を妨げるんだからなあ。イヴァン、お前は信じてくれるかい、この考えがわしの心を悩ましとるんだ。駄目駄目、お前は信じてくれん。その目つきでちゃんとわかるわ、お前は世間のやつらの言うことを信じて、わしをただの道化だと思うとるんだ。アリョーシカ、お前もわしをただの道化だと思うかい?」
「いいえ、ただの道化だとは思いません。」
「本当だろう、お前がしんからそう思うとるということは、わしとにかく、お前の寺はすっかり片をつけてしまいたいもんだなあ。本当に、ロシヤじゅうの神秘主義の巣窟を一ペんに引っ摑んで、世間の馬鹿者どもの目をさますために、影もないように吹っ飛ばすとよいのだ。そうしたら、金や銀がどのくらい造幣局へ入るかしれやせん!」
「何のために吹っ飛ばすんです?」とイヴァンが言った。
「それは少しも早く真理が輝きだすためだ、そうなんだよ。」
「もしその真理が輝きだすとしたら、第一にあなたをまる裸にした上で……それから吹っ飛ばすでしょうよ。」
「おやおや! いや、あるいはお前の言うとおりかもしれんぞ。いや、わしも馬鹿だった」とフョードルはちょいと額を叩いて急に身を反らした。「そういうことなら、アリョーシカ、お前の寺もそのままにしておこう。まあ、われわれ利口な人間は暖かい部屋の中に坐って、コニヤクでもきこしめすとするさ。なあ、イヴァン、ことによったら神様が、ぜひこうあるように造って下さったのかもしれんて。ところで、お前、神はあるかないか言うてみい。よいか、しっかり言うんだぞ、真面目に言うんだぞ! 何をまた笑うておるのだ?」
「僕が笑ったのは、さっきあなたが、スメルジャコフの宗教観、例の山を動かすことのできる二人の隠者が、どこかにいるってやつですな、あれについて気のきいた批評をされたからです。」
「では、今のがあれに似ておったかな?」
「非常に。」
「してみると、わしもロシヤの人間で、どこかロシヤ的な一面があると見えるな。しかし、お前のような哲学者にもこんなふうの一面があるのを、摑まえてみせることができそうだぞ。何なら押えてみしょうか。わしが受け合っておく、明日にでもさっそく押えてみせるよ。とにかく、神があるかないか言うてみい。ただし真面目に! わしは今まじめになりたくなったのだ。」
「ありません、神はありません。」
「アリョーシカ、神はあるか?」
「神はあります。」
「イヴァン、不死はあるか、いや、まあ、どんなのでもよい、ほんの少しばかりでも、これから先ほどでもよい。」
「不死もありません。」
「どんなのも?」
「ええ、どんなのも。」
「つまり、まったくの無か、それとも何かあるのか? ことによったら、何かあるかも知れんぞ。何というても、まるっきり何もないはずはないからなあ!」
「まったく無です。」
「アリョーシカ、不死はあるか?」
「あります。」
「神も不死も?」
「神も不死もあります。[#「「神も不死もあります。」はママ]
「ふむ! どうもイヴァンの方が本当らしいわ。ああ、考えてみるばかりでも恐ろしい、人間がどれだけの信仰をいだいたか、どれだけの精力をこんな空想に費したか、そうして、これが何千年の間くり返されてきたか、考えても恐ろしいくらいだ!