京都アニメーション放火殺人事件(京都市伏見区放火殺人事件、2019年07月18日)の資料収集の会

(元・オウム真理教事件・資料収集および独立検証の会、できるかぎり同時進行)

『初恋』   (『ドストエーフスキイ全集5 地下生活者の手記』P115~P151、1970年、米川正夫による翻訳、筑摩書房)

初恋
フョードル・ドストエーフスキイ
米川正夫

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)馥郁《ふくいく》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)|謎々遊び《シャラード》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数)
(例)[#割り注]スペイン[#割り注終わり]

〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)〔"Mais c'est tre`s se'rieux, messieurs, ne riex pas!"〕
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
https://www.aozora.gr.jp/accent_separation.html

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 そのときわたしは、もうちょっとで満十一になろうという年ごろであった。七月になってから、モスクワ在にあるTという親戚のところへ泊まりにやってもらった。当時そこには五十人か、それとももっとたくさんだったか……数えて見なかったからはっきり覚えていないが、とにかく、大勢の泊まり客が押しかけていた。いやはや、賑やかな騒々しいこと。それは内輪のお祭といったようなものらしかったが、はじまったが最後、際限なしにつづくというのは、はじめからの予定だったのである。その家の主人は、できるだけ早く莫大な財産をつぶしてしまおうと、みずから誓ったのではないかと思われるほどであったが、とどのつまり、最近この念願を達した。ほかでもない、なにもかもきれいに、塵っぱ一つ残さずなくしてしまったのである。新しい客があとからあとからと、ひっきりなしにやって来た。なにしろモスクワがついひと足、目と鼻のあいだにあるのだから、帰るものがあっても、それは新来の人に席を譲るというだけのことで、お祭はそれにかまわずつづいた。いろんな遊びが取りかえ引きかえ催され、楽しい趣向は尽きるところを知らなかった。大勢が幾組にも別れて、近郊近在を馬で乗りまわしたり、松林へ散歩に行ったり、川でボート遊びをしたり、ピクニックを催して野原で食事をしたり、邸の大きなテラスで夜食をしたり、といったようなふうであった。このテラスは、三列に植えた珍奇な草花で取り囲まれていたので、馥郁《ふくいく》たる薫りが夜の空気をみたしているうえに、煌々たる照明装置がしてあったから、それでなくてさえ一人残らず美しい婦人たちは、なおひとしおあでやかに見受けられた。その顔は消えやらぬ昼間の印象に生き生きとし、目はきらきらと輝き、話し声は弾力があって、はすっぱにひびき、鈴のように朗らかな笑い声が、たがいに縺《もつ》れつ解けつしている。絶えざるダンス、音楽、歌。もし天気が悪ければ、活人画や、|謎々遊び《シャラード》や、ことわざあそびがはじまる。家庭演劇も催された。漫談家、話家、警句家なども現われた。
 幾たりかの人が、前面へはっきりと押し出された。悪態、陰口が横行したのはもちろんである。なにぶんこれが世界を支えているので、もしこれがなかったら、何百万という人が退屈のあまり、蠅のようにころころと死んでしまうだろう。けれども、わたしはたった十一の子供だったので、当時そういう人たちには気をとめなかった。わたしが気を取られていたのは、まるっきり別のことだった。たとえなにかに気がついたとしても、全部というわけにはいかない。なにやかや思いおこしたのは、もうずっとあとになってからである。ただ輝かしい一面がわたしの子供らしい目に映るばかりで、その輝き、一同の高潮した気分、あたりの騒ぎ、――そういう、今までかつて見たことも聞いたこともないようないっさいのものが、わたしに烈しいショックを与えたので、はじめの二、三日というものは、すっかり面くらってしまって、わたしの小さい頭はめまいを感じるほどであった。
 わたしは十一という自分の年ばかりいっているが、もちろん、わたしは子供であって、子供以上のものではなかった。そこに集まった美しい婦人たちの多くは、わたしをかわいがってくれはするものの、わたしの年を頭において手加減しよう、などという考えはてんでなかった。しかし、不思議なことには、なにかしらわたし自身にも不可解な感覚が、早くもわたしを領してしまったのである。これまでかつて覚えのない未知の何ものかが、わたしの心をくすぐりはじめた。そのために、どうかすると、まるでおびえでもしたかのように、心臓が燃えて躍りだし、顔に思いもよらぬくれないがみなぎることもしばしばであった。わたしは子供というので、いろいろな特権を与えられているのが、ときには妙に恥ずかしく、ときには腹立たしいことさえあった。またどうかすると、わたしはなにか驚きといったようなものにとらわれることがあった。すると、どこかだれにも見つからぬようなところへ隠れに行く。まあ、いって見れば、ほっとひと息入れて、なにかを思い起こすためらしかった。それは、これまでよく覚えていたのに、今ひょいとど忘れしてしまった。ところが、これを思い出さなければ、どこへも顔出しができず、それに立っても居てもいられない、といったような気がしたのである。
 それかと思うと、またときには、自分がなにかしらみんなに隠していて、だれにもそれをこんりんざいいうまいとしている。それは、こんな小さな子供が、といわれそうで、涙が出るほど恥ずかしかったからである。間もなく、自分を取り囲んでいる旋風のただ中にあって、わたしはなにか妙な孤独を感じはじめた。そこにはほかの子供たちもいた。が、みんなわたしよりずっと小さすぎたり、ずっと大きすぎたりした。もっとも、わたしはそんな子供どころではなかったのだ。もちろん、もしわたしが特殊な立場に置かれていなかったら、わたしの身の上にはなんにも起こらなかったに相違ない。前にいった美しい婦人たちの目から見ると、わたしは相も変わらぬちっちゃな、漠然とした存在で、ときには愛撫することもできれば、かわいらしい人形のようにもてあそぶこともできるのであった。ことにその中の一人――わたしがその後もついぞ見たこともないような、またたしかに永久に見られそうもない、みごとな濃い金髪をもった妖艶なブロンドの婦人が、まるでわたしをじっとさせて置かないと、誓いでも立てたかのような具合であった。彼女はわたしを相手に突拍子もない悪ふざけをしては、のべつあたりの人を笑わすのであった。わたしたちのまわりにおこるその笑い声は、わたしにきまり悪い思いをさせたが、彼女はそれがおもしろく、嬉しくて嬉しくてたまらないらしかった。専門学校にでも入っていたら、彼女はきっと友だちのあいだで、いたずらな小学生といわれたに相違ない。彼女は珍しい美人であったが、その美しさにはなにかしら、ひと目見ただけで頭に烙《や》けつくようなところがあった。もういうまでもなく、彼女は生毛《うぶげ》のような白っぽい髪をした、小さい含羞《はにかみ》やのブロンドや、白鼠かドイツ人の牧師の娘のような優《やさ》形とも、まるっきり似たところがなかった。背はあまり高くなく、いくらか肥りじしであったけれども、顔の輪郭は名匠が描いたように微妙な優しい線をしていた。その顔にはなにか稲妻のようにひらめくものがあった。それに、彼女ぜんたいが生き生きした、すばしこい、軽々とした感じであった。大きなあけっぱなしの目からは、まるで火花でも散るように思われた。それはダイヤモンドのような輝きを放つのであった。わたしはこの火花を散らす空色の目を、どんな黒い瞳にも換えようとは思わない。たとえそれが、黒いアンダルシヤ([#割り注]スペイン[#割り注終わり])ふうの瞳であろうとも、である。まったくそのブロンドの婦人は、有名な美しい詩人が歌いあげた、かの名だたるブリュネットにおさおさ劣りはしまい。この詩人はいとも流麗な句をつらねて、もしこの麗人のマンチリヤに指の先でも触れることを許してもらえたら、われとわが身の骨を砕いてもいとわないと、カスチリヤ([#割り注]スペイン[#割り注終わり])全土にかけて誓ったものである。なおそれにつけ加えるならば、わたしの[#「わたしの」に傍点]麗人は、この世のありとあらゆる麗人の中でいちばん陽気な、いちばんでたらめなふざけん坊で、笑い上戸で、子供のような跳ねっかえりであった。そのくせ結婚してからもう五年になるのだ。たったいま太陽の光線とともに、紅いかぐわしいつぼみを開いたばかりで、まだ冷たい大粒な露の乾きもやらぬ、さわやかな暁のばらのような唇からは、笑いの影が消えたことがない。
 今でも覚えているが、わたしの到着した二日目に、家庭演劇の催しがあった。ホールは、いわゆる鮨づめの満員で、あいた席などは一つもなかった。わたしはなぜか遅れて行ったので、立ってお芝居見物をしなければならなかった。しかし、陽気な演技はしだいにわたしを前へ前へと釣り出したので、わたしはいつともなく一番の前列へ出て行った。そして、とうとうある婦人の椅子の背に肘づきしながら、そこに陣取ってしまった。それがわたしのブロンドだったのである。けれども、わたしたちはまだそのとき知合いでなかった。ところが、どうしたのか、わたしはふと乳の泡のように白い、むっちりした、なんともいえぬ円みを帯びた、人の心を誘わずにはおかぬような、彼女の肩にじっと見入っていた。もっとも、わたしにして見れば、美人のすばらしい肩を見ようが、第一列に坐っている老婦人の白髪を隠している、猩々緋のリボンのついた帽子を眺めようが、全然なんの変わりもなかったのである。ブロンドのそばには、すっかり薹《とう》の立ってしまった老嬢が坐っていた。あとでわたしの観察したところによると、こういう老嬢はいつもどこかの若い、美しい婦人のそばちかく納まりたがるものである。それもなるべく、周囲に集まる若い取り巻き連中を追っぱらわないような人を選ぶのだ。しかし、そんなことが問題なのではない。ただこの老嬢がわたしの凝視に気がついて、ブロンドのほうへ身をかがめ、ひひひ笑いをしながら、なにやらその耳にささやいたのである。ブロンドはとつぜん、つと振りかえった。今でも覚えているが、焔のような光を帯びた目が薄暗がりの中で、わたしのほうへ向けてきらっとかがやいたので、そういう邂逅に対して心がまえのできてなかったわたしは、焼けどでもしたように、ぶるっと身慄いした。麗人はにっこりとほほえんだ。
「お芝居おもしろくって?」と彼女はたずね、ずるい、からかうような目つきでわたしを見つめた。
「ええ」依然としてなにか驚いたような感じで彼女を眺めながら、わたしはそう答えた。彼女のほうでもそれが気に入ったらしかった。
「なんだって立ってらっしゃるの? それじゃ疲れますわ。席がないんですの?」
「それがないんです」今度はもう、火花を散らす佳人の目から、実際問題のほうに注意を移して、わたしはこう答えた。ようやく親切な人が現われたので、自分の悲しみをうち明けることができると、心底から嬉しくなったのである。「ぼく、もうさんざんさがしたんだけど、椅子はすっかりふさがってるの」椅子がすっかりふさがっているのを訴えるような調子で、わたしはこうつけ加えた。
「ここへいらっしゃい」と彼女はいった。万事につけて決断の早い彼女は、そのいたずらっ子らしい頭の中に、どんな気ちがいめいた考えが浮かんでも、すぐ実行に移すというたちであった。「ここへいらっしゃい、わたしんとこへ、わたしの膝の上にのせてあげるから」
「膝の上に?」とわたしは度胆を抜かれて、おうむ返しにいった。
 前にもいったとおり、わたしは自分の子供としての特権に、しんから憤慨を感じ、また同時に気咎めを覚えはじめていた。しかも、この婦人はほかの人とは比べものにならないほど、まるで人をからかってでもいるように、とてつもないことをいい出すではないか。おまけに、それでなくとも、つねづね臆病ではにかみやのわたしは、そのとき婦人たちの前で格別おじけづいたらしく、すっかりまごついてしまった。
「ええ、そうよ、膝の上へさ! どうしてあんたはわたしの膝に乗りたくないの!」と彼女は笑いながらいい張ったが、その笑いがだんだん大きくなっていって、ついには手放しの高笑いになった。自分の思いつきがおもしろいのか、それともわたしがまごついたのがおかしいのか、それはどうだかわからないが、とにかく、彼女はわたしのそうした様子を期待していたのだ。
 わたしは真っ赤になって、もじもじしながら、どこか逃げるところはないか、とあたりを見まわした。けれど、彼女は先《せん》を越して、どうしたものかうまくわたしの手をつかまえ(つまり逃がさないためである)、ぐいとそばへ引き寄せると、驚いたことには、まったくだしぬけに、いたずららしい熱い指で、いやというほどしめつけて、わたしの指をぐいぐいこじりだした。それがとても痛かったので、わたしは叫び声を立てないために、一生懸命の努力をして、おまけに、いとも滑稽なしかめ面までして見せたのである。のみならず、子供を相手にこんなつまらないことをいうばかりか、おまけになんのためやら満座の中で、こんな痛い目にあわすような、おかしな意地の悪い女の人が世にもあるものかと思うと、なんともいえない驚きと怪訝《かいが》の念、いやそれどころか、恐怖さえいだいたほどである。おそらくわたしの情けなさそうな顔は、その驚きを残りなく反映していたと見える。というのは、このいたずら婦人がまるで気でも狂ったように、わたしに面とむかって、高笑いを浴びせたからである。しかも、それと同時に、ますますわたしの不運な指をつねったり、こじったりするのであった。彼女はうまく悪ふざけの機会を見つけて、哀れな子供を当惑させ面くらわせたのが嬉しくて、夢中になっているのだ。わたしは進退とみにきわまった。だいいち、わたしは恥ずかしさに全身が燃えるようであった。なにぶんにも、まわりの人がみんなわたしたちのほうへ振り向いて、けげんな顔をしているではないか。中にはたちまち、この美しい婦人がなにかいたずらをしているなと悟って、げらげら笑っているものもあった。そればかりでなく、わたしは叫び声を立てたくてたまらなかった。というのは、わたしが叫び声を立てないために、彼女はなにかやっきとなってわたしの指をこじったからである。しかし、わたしはスパルタ人のように、あくまで痛みを我慢しようと決心した。叫び声など立てたら、騒動をひきおこすに違いない、そんなことをしたら、わたしはどんなことになるかもしれないと、それを心配したからである。絶望の発作にかられて、わたしはとうとう戦闘を開始し、自分の手を力かぎり引っぱろうとしたが、わたしの暴君はわたしよりずっと力が強かった。いよいよわたしは我慢ができなくなって、あっ、とひと声さけんだ、――ところが、相手はただそればかり待っていたのである! 彼女はたちまちわたしの手を放して、悪ふざけをしたのは自分ではない、だれかほかの人だといわんばかり、そ知らぬ顔をしてぷいと向こうをむいてしまった。それはまるで小学生が、ちょっと先生があちらを向いた暇に、隣りにいるちっぽけな弱い男の子をつねるなり、指ではじくなり、足で蹴るなり、肘のところを突くなり、そんなふうのいたずらをしておきながら、たちまちまたむこうを向いて、つんと取りすまし、本に顔を突っこんで宿題の暗記をはじめる。そして、物音を聞きつけて、かんかんに腹を立て、はやぶさのように飛んで来た先生を拍子抜けさせ、いとも間の抜けた顔で引きさがらせる、ちょうどそういった具合であった。
 わたしにとって仕合わせなことには、このとき一同の注意は、邸の主人の素人ばなれした演技に吸いつけられていた。彼はおりから進行中のスクリーブの喜劇で、主役を演じていたのである。だれも彼もが喝采をはじめた。その騒ぎにまきこまれて、わたしは第一列をすべり出て、反対の端に当たるホールのいちばんうしろへ走って行き、円柱のかげに身をひそめて、恐怖の念をいだきながら、あのずるい美人の坐っている席をうかがった。彼女はハンカチで口をおおいながら、まだいつまでも高笑いをしていた。それからまだ長いあいだ、彼女はうしろを振りかえり振りかえりして、すみずみくまぐま、わたしを物色するのであった。おそらく、あの気ちがいめいたつかみあいが、あっけなくすんでしまったのが残念でたまらず、なにかもっといたずらの種はないかと考えていたのであろう。
 こうして、わたしたちの交際がはじまった。この晩から、彼女はもうわたしを一歩も離れようとしなかった。むやみやたらに、恥も外聞もなくわたしのあとをつけまわして、彼女はわたしの迫害者となり、暴君となったのである。彼女のいたずらの滑稽味はどこにあるかというと、ほかでもない、わたしに首ったけ惚れこんだようなふりをして、衆人環視の中でわたしをからかうことであった。もちろん、ずぶ野育ちのわたしにとっては、それは涙の出るほどつらい、いまいましいことだったので、もう幾度となく真剣な危機にさらされ、狡猾な自分の崇拝者とあやうく喧嘩しかねないほどであった。わたしの無邪気な当惑ぶりと、言葉につくせぬ悩みの色は、いよいよ彼女に拍車をかけて、とことんまでわたしをいじめぬこうという気にしたのである。向こうはなさけ容赦ということを知らなかったし、わたしはどこへ身をのがれたらいいかわからなかった。わたしたちの周囲におこる笑い声、彼女がたくみに誘い出す笑い声は、いよいよ彼女を焚きつけて、新しいいたずらを考えださせるのであった。しかし、しまいには、はたの人も、彼女の冗談がすこし度を過ごしていると考えるようになった。またじじつ、今思い出して見ても、わたしのような子供に対する彼女のやりかたは、あまりにも行きすぎであったと思う。
 しかし、もうそういう質《たち》だったのである。彼女はどこからどこまでも甘やかされた女のタイプであった。あとで聞いたところによると、だれよりも彼女を甘やかしたのは、彼女の夫そのひとであった。これはひどい肥っちょで、ひどい背っぴくで、ひどいあから顔で、大変な金持ちで、大変な事業家(少なくとも見たところは)だそうである。ちょこちょこしたせっかちで、ものの二時間と一つところにじっとしていられない。毎日、わたしたちのいる村からモスクワへ出かけて行く、ときとしては、二度も往復することがある、しかもそれが、ご当人のいうところによると、商用のためなのである。この滑稽であると同時に、いつも紳士然としている顔の持ち主より以上に、陽気で善良な人物はほかにちょっと見つかるまい。彼は一つの弱点といわれるくらい、気の毒なくらい妻を愛しているばかりでなく、まるで偶像崇拝といっていいほど彼女をあがめていたのである。
 彼は何ごとにつけても、妻を束縛するようなことがなかった。彼女には男や女の友だちがうんといた。第一、彼女を好かない人というのはあまりなかったし、第二には、彼女自身が軽はずみなたちだったから、自分の友だちをあまり選り好みしなかったのである。もっとも、彼女の性格の根柢には、いまわたしの話したことから推して想像されるよりも、ずっと余計にまじめなところがあったのだ。しかし、自分の友だちの中でだれよりもいちばんすきで、一人とくべつ扱いしていたのは、今やはりわたしたちの仲間に入っている、遠い親戚の若い婦人であった。二人のあいだにはなにかしら微妙な、優しい関係が結ばれていた。それは、まったく相反する二つの性格が接触したときに、しばしば生ずるていのものであった。ただし、そのうち一人は相手のほうより厳粛で深みがあって、純潔でなければならぬ。すると、相手のほうは高潔な謙抑の精神をもって、自分自身の価値を正当に批判し、友の優越を完全に理解したうえで、その友情をおのれの幸福として胸に抱きしめるのである。そのときはじめて、こうした二つの性格のあいだに優しい、高潔な、微妙な関係が生ずる。一方の側からは愛情と徹底した譲歩であり、いま一方の側からは愛情と尊敬である、――それは一種の恐怖に近いほどの尊敬で、その当人は自分の崇拝する人から見下げられるようなふるまいをしまいと戦々兢々とし、生活の一歩ごとにその人の胸に近く寄り添わんものと、一心不乱に飽くことなく念願するのだ。
 二人の親友は同じくらいの年配であったが、彼らのあいだにはまず顔の美しさからはじめて、何から何まで天と地ほどのちがいがあった。M夫人も同様になみはずれて美しい人であったが、その美しさの中には、世間におびただしい美人群ときっぱり区別する、なにか一種特別なものがあった。彼女の顔には、たちまち否応なしにすべての人の好感をひくような何かがあった、というより、見た人の心に清らかな高調した好感を呼びさますような何かがあった。世にはそういううらやましい顔があるものだ。だれでも彼女のそばにいると、なんとなく気持ちがよく、ずっと自由になったような、暖かいような感じがする。そのくせ、焔と力にみちた彼女の沈みがちな大きな目は、おずおずした不安げな表情をしているのだ。それは絶えず敵意をもった恐ろしいものの脅威に曝されている、とでもいったふうなのである。この不思議な小心翼翼とした表情が、ときおりなんともいえぬ憂愁の翳となって、イタリアの名匠の描いたマドンナの、晴れやかな顔を思わせる彼女の静かな、つつましやかな面ざしを曇らすので、それを見ていると、自分までがなにか人ごとならぬ悲しみでもあるように、すぐさま同じ憂愁にとらわれるのであった。この青ざめた、心もち瘠せた感じの顔には、なにひとつ非の打ちどころのない正しく清らかな美しい輪郭を通して、定かならぬ憂愁を秘めたわびしく厳しい表情のかげから、原始の子供らしく晴々した面影の透いて見えることがしばしばであった、――まださほど遠くない、人をも世をも信じやすかった年ごろの面影、無邪気な幸福を楽しんでいた時代の面影である。それから、あの静かな臆病でためらいがちな微笑、――そういうものを見ていると、だれしもなんのわけもなくこの婦人にひき寄せられて、思わず知らず甘美な、温い心づかいが湧きおこって来る。この心持ちが、まだ遠く離れたところから、彼女がだれであるかを語ってくれ、まだ縁もゆかりもないのに肉親感をいだかせるのだ。しかし、それでいて、この美人は妙に口数の少ないたちで、なにか隠しだてでもしているような感じを与えるところがある。とはいえ、だれか同情を必要とするような場合、彼女ほど他人に注意ぶかく愛情のこまやかな人はないのである。世の中にはまるで看護婦のような女性がいるものである。彼らの前ではなにひとつ隠す必要がない、少なくとも、胸の傷、心の痛みをつつむ必要がない。苦しめるものは大胆に希望を持って彼らのもとへおもむき、迷惑になりはしないかなどと心配しないがよい。というのは、こうした女性の胸には、どれだけ限りない忍従の愛と、憐憫と、いっさいをゆるす寛仁の精神が宿っているか、それを知っているものがわれわれの中にあまりないからである。こうした純潔な心は、同情と、慰藉と、希望の宝庫である。それはしばしば、同様に傷つけられた心なのである。なぜかといえば、愛情多き心は悲しみも多いからであるが、しかしその傷はものずきな人の目からは注意ぶかくかくされているのだ、――深い悲しみはつねに黙しひそむからである。彼らは傷の深さにも、そこから流れる膿《うみ》にも、その悪臭にも驚かない。彼らのかたわらに近づいたものは、すでに彼らの愛情に価するのだ。しかも、彼らは一見したところ、こういう功業のために生まれて来たもののように思われる……M夫人は背が高く、しなやかで、すらりとしていたが、いくぶん瘠せていた。そのすべての動作には、なにかむらがあるように思われた。ゆっくりして、なめらかで、なんとなくものものしくさえ見えるときがあるかと思うと、子供っぽいほど敏捷なときもある。それと同時に、彼女の動作には、なにかしら臆病なあきらめといったようなものが窺われた。なにか頼りない、おどおどと慄えているような感じなのだが、しかし保護を求めたり、哀願したりするようなところはなかった。
 もう前にもいったように、あのずるいブロンドのけしからぬ追究は、わたしを苦しめ、羞恥に燃えさせ、血のにじむほどわたしの胸を傷つけた。しかし、それにはもう一つの秘密の原因があったのである。それは奇怪な愚かしいもので、わたしはそれを心に深く秘めかくし、ただ一人、自分自身とさしむかいでいるときでさえ、このことを思い出しただけで、卑しい奴隷のように慄えたものである。わたしはよく例のいたずら好きのブロンドの美しい空色の目、――からかうような表情をした油断のならぬ目の届かない、どこかの薄暗い秘密の場所で、ただ一人がっくりと首をうしろへ仰向けながらも、ちょっとそのことを心に浮かべただけでも、困惑と、羞恥と、不安のために、ほとんど息がつまるばかりであった、――ひと口にいえば、わたしは恋をしていたのである。いや、これはわたしがでたらめをいったのだとしよう。そんなことはありえない。しかし、わたしを取り巻いていた多くの人の顔の中で、いつもただ一つだけがわたしの注意を捕えるのは、どうしたわけであろう? その当時のわたしとしては、婦人たちを物色したり、その近づきを求めたりするなどということには、てんで没交渉であったにもかかわらず、なぜわたしは好んで一人の女性だけを、目で追っていたのだろう? それはたいてい、みんなが雨で家の中へ閉じこめられたような晩が多かった。わたしは広間のどこかの片隅に、しょんぼりと身をひそめながら、ほかにまるですることがないままに、あてもなくぼんやりあたりを見まわしたものである。なにぶんにも、例のわたしをいじめて喜ぶ婦人たちをのけると、わたしに話しかけてくれる人はあまりなかったのだ。で、そういう晩は退屈で退屈でたまらなかった。わたしは周囲の人々の顔をしげしげ見守ったり、なにひとつわけのわからぬことの多い会話に、耳を傾けたりしていたが、それと同時にM夫人の(それは彼女なのであった)静かなまなざしや、つつましやかな微笑や、あでやかな顔が、どういうものかわたしの心を魅了して、わたしは無意識にそれを捕えようとする。そして、この奇妙な、とりとめのない、しかも不思議に甘美な印象は、もうけっして消えようとしないのだ。幾時間も幾時間もぶっつづけに、わたしは彼女の姿から目を放すことができない思いであった。わたしは彼女の身ぶりや、動作の一つ一つを胸にたたみ、その幅のある、銀鈴のような、しかしややぼかしをかけたような声の響きに聞き入った、――と、不思議なことに、わたしはこうしたいっさいの観察のなかから、臆病な甘い印象といっしょに、なにかえたいの知れない好奇心が、あとあとまでも頭に残るのであった。それはまるで、わたしがなにかの秘密を探り出そうとしているようなあんばいなのである。
 わたしにとってなによりもつらかったのは、M夫人のいる前でからかわれることであった。こうした悪ふざけや冗談半分の追いまわしは、当時のわたしの感じからいえば、わたしの品格を落とすものでさえあった。よくわたしの様子がおかしいといって、一同がどっと笑い崩れ、その中にM夫人までが思わず知らず仲間入りするようなときなど、わたしは悲しさに前後を忘れ、絶望にかられながら、暴君たちの手を振りほどき、二階へ逃げ去り、ふたたび広間へ顔を出す勇気もなく、そのままその日の残りを孤独のうちに過ごすのであった。もっとも、わたしは自分でもまだ自分の羞恥も興奮も理解していなかった。すべてはわたしの内部で無意識に体験されたのである。M夫人とはまだほとんど二言と話していず、また自分でもそうする勇気がなかったのはもちろんである。ところが、ある夕方、わたしのためにとても堪えがたい一日が終わったのち、わたしは散歩の途中みんなから離れて、おそろしく疲れていたため、庭園ごしに家へ帰って行った。と、淋しい並木道のとあるベンチに、M夫人の姿を見かけた。彼女はわざとこんな淋しい場所を選んだかのように、それこそたった一人で坐っていた。首を胸の上に垂れて、機械的にハンカチを手にまさぐっている。しかも、ひどくもの思いに沈んでいて、わたしがそばまで来たのに、気がつかないほどであった。
 わたしの姿をみとめると、彼女はすばやくベンチから立ちあがり、くるりとわきを向いて、手早くハンカチで目を拭いた、――それにわたしは気がついた。彼女は泣いていたのである。拭き終わると、にっこりわたしに笑いかけて、いっしょに邸のほうへ歩きだした。わたしたちが何を話したかは、もう覚えていない。けれども、彼女はさまざまな口実を設けて、のべつわたしを追っぱらった。ときには花を折ってくれといったり、隣りの並木道を馬に乗って行くのはだれか見てくれ、と頼んだりした。そして、わたしがそばを離れると、すぐハンカチを目にもっていって、いうことを聞かぬ涙を拭いていた。涙はどうしても夫人を見棄てようとせず、不運な目から絶えず溢れ出るのであった。こんなふうに、のべつわたしを追っぱらうので、どうやらわたしは自分が夫人の邪魔になるらしいと悟った。それに、夫人自身も、わたしがなにもかも気がついていることを、早くも見て取ったのではあるが、しかしどうしてもこらえきれないだけである。そのためにわたしはなおのこと、夫人がかわいそうで、胸が張り裂けそうであった。わたしはその瞬間、愛想が尽きるほど、自分で自分に腹が立ち、自分の無器用さ、気転のきかなさを呪った。にもかかわらず、わたしは夫人の悲しみに気がついたことをそぶりに出さず、うまくそのそばを離れる方法がわからなかったので、もの悲しい驚き、というより、むしろ愕然とした気持ちで、夫人と並んで歩いていた。もうすっかりとほうにくれて、しだいにとぎれがちになる会話を支えようにも、まるで言葉が見つからないのであった。
 この出来事は、わたしに非常なショックを与えたので、わたしはその晩ずっと、貪るような好奇心をいだきながら、そっとM夫人を注視し、しばしも目を放さなかった。しかし、わたしがこうして観察している最中に、彼女は偶然二度ばかり、わたしを不意打ちしたことがある。つまり、わたしのそうしているところを見つけたのだが、二度目には、にっこり笑って見せた。それはこの晩を通じて、彼女の示した唯一の微笑であった。今はひどく青ざめて来た顔から、愁《うれ》いのかげは去らなかった。彼女はしじゅう、一人の年とった婦人と静かに話していた。それは意地のわるい口やかましい女で、探偵をしたり陰口をきいたりするために、みんなから嫌われていたが、そのくせだれもが怖がっていた。そういうわけで、みんなしょうことなしに彼女の機嫌を取っていた……
 十時ごろ、M夫人の主人がやって来た。それまでわたしは夫人の愁わしげな顔から目を放さず、仔細に観察していたが、今おもいがけなく主人が入って来たとき、夫人がぴくりと全身を慄わせたのに気がついた。それでなくとも、すでに蒼白だった顔が、不意にハンカチよりも白くなった。それはあまりにもきわだっていたので、ほかの人たちも気がついたほどである。わたしはそばの人のきれぎれな話を耳にしたが、それによって、あの気の毒なM夫人はあまり幸福でないのだな、とどうやら察しがついた。みんなの話によると、主人はまるで黒ん坊みたいに[#「黒ん坊みたいに」はママ]嫉妬ぶかいのだが、それも愛情からでなく、自尊心から出ているとのことであった。この男はなによりもまず西欧人であり、新しい理念の見本をちょっぴりもっていて、それをひけらかしている現代人であった。外貌からいえば、髪が黒くて背の高い、図ぬけて肥満した紳士で、西欧ふうの頬ひげを生やし、独善的なあから顔に砂糖のように白い歯を光らせ、申し分のない紳士的な威容を備えていた。世間では彼のことを利口な人[#「利口な人」に傍点]と呼んでいた。ある種の仲間では、他人を犠牲にして腹を肥やした特殊な人種を、一般にそう呼んでいるらしい。彼らは断じてなにひとつしないばかりか、断じてなにひとつしようとしない。そして不断の怠惰と無為のために、心臓が脂の塊りに変わっているのだ。そういう連中の口からは絶えず、おれはなにもすることがない、その原因はなにかしらこんぐらかった不都合な事情であるが、そのため、「おれの天才は疲憊し」てしまう、こういうわけで、おれは「はた目にも憂鬱な」存在となったのだ、といったような言葉が聞かれる。それは彼らにあってはおそろしくものものしい美辞麗句 mot d'ordre、合言葉、標語のたぐいであって、それをばわが食い肥った紳士たちはのべつ幕なしに振りまくので、もうとっくの昔からみんなに飽きあきされ、正札つきのタルチュフ流儀だ、からっぽな言葉にすぎない、といわれるのである。とはいうものの、どうしてもなすべき仕事を発見することのできぬこうした剽軽《ひょうきん》な連中のなかには、――もっとも、彼らはけっしてそんなものをさがしたことはないのだが、ほかならぬこういうことを狙っているものがある。つまり、自分たちの心臓は脂の塊りに変わっているどころか、一般的にいってなにかきわめて深遠[#「なにかきわめて深遠」に傍点]なものである、とこんなふうに人から思われたいのだ。しかし、それがはたして何ものであるかは、たとえ第一流の外科医でも名ざすことはできまい、むろん、礼節を重んじてである。この連中の世渡りの術といえば、自分のありったけの本能を、粗暴な悪口や、きわめて近視眼的な非難や、方図《ほうず》の知れない傲慢ぶりに集中することである。彼らにとっては、他人のあやまちや弱点を発見し、かつ強調するよりほかなにも仕事がないし、善良なる感情といっては、ちょうど牡蠣《かき》が神さまから授けられている程度しかないものだから、右のごとき警戒手段をもって、かなり用心深く他人と暮らしていくということは、あえて難事でないのである。彼らはそれを大いに誇りとしている。たとえば、彼らはこんなことを信じきっている。ほとんど全世界は自分たちに税を払うのが当然であって、自分たちはそれを牡蠣のように、いざという時のため予備に取って置くのである。自分たちを除けると、だれも彼もみんなばかの集まりで、蜜柑か海綿みたいなものだから、甘い汁が吸いたいときには、いつでもしぼりさえすればよい。つまり、自分たちはいっさいのもののご主人なのであるが、こういう立派な制度が樹立されたのも、ほかではない、自分たちが非常に賢い、ど性骨のある人物だからである。
 こういう方図の知れない増上慢であるから、彼らはおのれにいかなる欠点の存在も認めない。彼らは世界に横行している狡猾児の典型、つまり生まれながらのタルチュフやファルスタッフの一族に酷似している。この人種は、こそこそした悪事をし散らしたものだから、しまいには自分から、こうあるべきが当然だ、換言すれば、生きていることはすなわち、こそこそ的悪事を働くことだ、と思いこむにいたったのである。彼らはのべつ他人に向かって、自分は正直な人間だとくり返しくり返しいったために、ほんとうに自分は潔白な人間であり、自分のこそこそ的悪事こそ潔白な行為である、と信じきるようになった。一般的な内部の審判や、高潔な自己批判は、彼にとっては不向きなのである。ある種の事物のためには、彼らはあまりにもつらの皮が厚すぎるのだ。彼らにとっていつも、何ごとにつけても第一の場所を占めているのは、大事な大事なご自身であり、彼らのモロフ([#割り注]フェニキヤの神、犠牲を要求し、貪婪性を特色とする[#割り注終わり])であり、ヴァール([#割り注]セム族の主神、日の神[#割り注終わり])であり、いとも壮麗な彼らの自我である。自然ぜんたい、世界ぜんたいは彼らにとってみごとな鏡にすぎない。それは絶えず自分の姿を映して見とれるために創られたものであって、そのご自分の姿が幅をきかしているために、ほかのものはなにひとつ、だれ一人見えないのだ。こう説明したら、彼らがこの世のいっさいをかくも醜い姿で眺めるのは、あえて異とするに足るまい。彼らは何ごとに対しても既成品の文句を用意していて、しかも、――ここが彼らの狡智の頂点なのだが、――それが最近流行の言葉なのである。のみならず、彼ら自身がその流行を助けるので、こいつは成功しそうだなと思った思想をいたるところの辻々で、ただ闇雲に宣伝する。まったく彼らはそうした流行の思想を嗅ぎだして、人よりさきにそれを身につけるだけの敏感さを持ち合わしている。だから、その思想の出どころはほかならぬ彼らである、といったような印象を与えるのだ。と に彼らが[#「と に彼らが」はママ]そうした流行文句を用意するのは、人類に対するおのれの深甚なる同情を表明するときと、理性の是とする最も正しい博愛は何ぞやという定義をする場合である。それから最後に、ロマンチズム、すなわちいっさいのよきもの美しきものを懲罰するためにも、そうした取っときの文句を持ちだすのだ。しかし、その善きもの、美しきものは、たとえいとも小さな微分子たりといえども、彼らなめくじ的種族ぜんたいを束にしたよりも貴重なのである。彼らの粗暴な頭脳は、真理が捕捉しがたい、過渡的な、未完成の形を取っているときは、けっして見わけることができない。すべて成熟せず、定着しないで、醗酵のなかばにあるものは、なんでも撥ねのけてしまう。こうして、食い肥ったこれらの紳士は、自分ではなにひとつせず、あらゆる仕事という仕事がいかなる労苦を払って行なわれるものか、いっさいごぞんじなしに、なにもかも据え膳で、おもしろおかしく一生を送る。したがって、なにか無骨なことをいったりして、彼らの脂ぎった感情にさわったら、それこそ災難である。そういうことはいっかな勘弁せず、いつでもそれを想いおこして、復讐の快楽を味わうのだ。最後の総締めは、ほかでもない、わが主人公はとどのつまり、このうえふくらしようのないほどふくれた巨大な袋にほかならず、その中にはありとあらゆる種類のお説教や、流行文句や、レッテルがつまっているのだ。
 とはいえ、M氏にも独自な点があって、なかなか注意に価する人物であった。彼は警句家で、おしゃべりで、上手な話し手だったので、どこの客間でも、彼のまわりにはいつも人が集まった。その晩、彼はとくべつ一座に印象を与えることに成功した。彼は会話をひとり占めにして、うけに入っていた。なにか嬉しいことがあるらしく浮き浮きとして、みんなに自分を眺めさせるだけの力を備えていた。けれども、M夫人はしじゅう病人みたいであった。その顔はいかにも侘しそうで、今にもその長い睫毛にさっきのような涙が光りはしないかと、しじゅうわたしはそんな気がしてしようがなかった。前にも述べたとおり、そういったふうのことがわたしにショックを与え、ひどく不思議なことに思われた。なにかしら妙な好奇の念をいだいて、わたしは部屋へ帰ったが、めったにいやらしい夢なんか見たことのないわたしが、その晩は夜っぴてM氏の夢ばかり見つづけた。
 その明くる日、わたしは朝早く活人画の稽古に呼ばれた。わたしにもひと役あったのである。活人画と、芝居と、舞踏会、これを同じ晩にいちどきにやることになっていて、日どりはわずか五日さきと決まっていた。邸の主人の末娘の誕生日なので、内輪のお祭をしようというのである。ほとんど即興的に成立したこのお祭には、モスクワとその近郊の別荘地から、また百人からの客が招待されたので、その忙しさ、ごたごた、騒動といったら大変なものだった。稽古、というより衣裳調べは、都合の悪い早朝にきめられていた。それは邸の主人の友だちであり、客であり、画家である演出主任のRが、主人に対する友誼のために脚本の執筆と上演、およびわたしたちの稽古まで引き受けたのだが、けさは小道具類を買い整えたり、もよおし全体の最後の準備を完了するために、急いでモスクワへ出かけなければならなかったために、わたしたちは一刻も無駄にすることができなかったのである。わたしはM夫人と二人で、活人画の一つに出ることになっていた。それは中世紀の生活から取った一場面で、『城主の奥方と小姓』という芸題であった。
 わたしは稽古で、夫人といっしょになったとき、名状しがたい困惑を感じた。わたしはなんだか、きのう以来わたしの頭に生まれたもの思いや、疑惑や、想像を、夫人が一つ残らずわたしの目から読み取りそうな気がしてしようがなかった。のみならず、わたしはきのうゆくりなく夫人が泣いているところを見、その悲しみを妨げたために、夫人に対して申しわけないような感じがしていたので、夫人はきっと不愉快な目撃者として、また頼まれもせぬのに秘密に立ち入ったおせっかいとして、わたしを白眼視するに相違ない、と思いこんでいた。しかし、ありがたいことに、万事はたいして厄介なこともなくすんだ。わたしなどは、てんで眼中になかったのである。夫人はわたしや稽古どころではなかったらしい。ぼっと放心した様子で、沈みがちで、暗いもの思いにふけっていた。見受けたところ、彼女はなにか大きな心配ごとがあって、悩んでいるらしかった。夫人相手の役の稽古をすますと、わたしは大急ぎで着替えに行った。そして十分ののちには庭に面したテラスへ出た。と、ほとんど同時に、別の戸口からM夫人が出て来た。そこへ、庭から帰って来るM氏のおさまりかえった姿が現われた。たったいま大勢の婦人たちを引率して行って、ある世話焼きの cavalier servant([#割り注]奉仕の騎士、婦人の命を唯々諾々と実行する男[#割り注終わり])に、手から手へと引きわたしたばかりなのである。明らかにこの夫妻の出会いは意外だったらしい。M夫人は、どういうわけか知らないが、急にもじもじして、そのじれったそうな身ぶりには、軽いいまいましさといったようなものが閃めいていた。主人のほうは歩きながら、口笛でなにかのアリアをのんきそうに吹いて、なにか考えぶかそうに頬ひげをひねりつづけていたが、いま夫人に出会うと、急にむずかしい顔をして、じろっと一瞥を与えた。それは今おもい出して見ても、だんぜん大審問官じみた目つきであった。
「おまえ、庭へ行くのかね?」妻の手にパラソルと書物をみとめて、彼はこうたずねた。
「いいえ、森ですの」と夫人はちょっと顔をあからめて、答えた。
「一人で?」
「この子といっしょですの……」とM夫人はわたしを指さしながらいった。「わたし朝は一人で散歩することにしていまして」と彼女はなにか不安定なはっきりしない声でつけ加えた。人が生まれてはじめてうそをつくときには、ちょうどこんなふうの声が出るものである。
「ふむ……わたしはたった今、あすこヘ一中隊引率して行ったばかりなんだよ。みんなあの花の四阿《あずまや》に集まってるよ、Nの送別をするというのでね。Nは出発するんだが、知ってるかい……なにかしら向こうで、オデッサで厄介なことができたとかで……おまえの従妹《クジーヌ》ったら(彼はブロンドのことをいったのである)、笑ってるかと思うと、あやうく泣き出さんばかりで、なにもかもいちどきなんだろう、何がなんだかわかりゃしない。もっとも、あのひとの話だと、おまえはなにか知らないがNに腹を立てていて、そのためにあの送別の集まりに行かないんだそうだが、もちろん、でたらめだろう?」
「それはあのひとが、からかったんですわ」とM夫人はテラスの段々をおりながら答えた。
「じゃ、これがおまえに毎日つき添ってる cavalier servant なのかね?」とM氏は口をゆがめて、柄付き眼鏡をわたしのほうへ向けながら、こうつけ加えた。
「お小姓です!」わたしは柄付き眼鏡とひやかし口調に腹を立てて、いきなりこう叫ぶと、面と向かって大きく高笑いを浴びせておいて、テラスの段々を一気に三つ飛びおりた……
「気をつけて行っておいで!」とM氏はつぶやいて、自分は自分で勝手に向こうへ行ってしまった。
 M夫人が、夫にわたしをさして見せたのであるから、わたしはもちろん、すぐさま夫人のそばへ寄って、まる一時間も前から散歩に誘われているような、それどころか、まるひと月のあいだ、毎朝いっしょに散歩しているような態度を取った。しかし、どうして夫人はあのようにもじもじしたのか、また、あのちょっとしたうその助けを借りようと決心したとき、いったいどんな考えが胸にあったのだろう? 一人で散歩に出かけるのだと、なぜざっくばらんにいってしまわなかったのだろう? こうなって見ると、わたしは彼女の顔をまともに見上げられない気がした。しかし、あっけに取られながらも、わたしはまたぞろ勇気を取りもどし、とぼけた様子で夫人の顔を眺めはじめた。けれども、一時間前の稽古のときと同様に、夫人はわたしの不思議そうな目つきにも無言の問いにも、まるっきり気がつかないのであった。依然として悩ましい心づかいが、その顔にも、その歩きぶりにも、興奮した様子にも映っていた。ただ前よりさらにあらわになり、深刻になっただけの相違である。夫人はしだいしだいに歩みを早めながら、どこかへ急いでいたが、絶えず不安げに一つ一つの並木道をうかがい、森の中の切通しを覗き、庭のほうを振りかえって見るのであった。わたしも同様に、何ごとかを期待する気持ちになっていた。とつぜん、わたしたちのうしろのほうから馬蹄の音がひびきわたった。それは、不意にわたしたちの仲間を見棄てて行くことになったNを見送る、おびただしい騎馬の男女の一隊であった。
 婦人たちのあいだには、M氏の口から泣いたとうわさされた例のブロンド夫人もまじっていた。けれど、彼女はいつものとおり、子供のようにからからと高笑いしながら、みごとな栗毛の駒をはすっぱに飛ばしていた。わたしたちのそばまで来ると、Nは帽子を取ったが、べつに馬をとめようともせず、M夫人にひと口も言葉をかけなかった。間もなく、この一隊は眼界から姿を消してしまった。わたしはちらとM夫人を見上げた、と、驚きのあまりあやうく叫び声を立てんばかりであった。夫人は布《ぬの》のように真っ青な顔をして、目からは大粒の涙が、ぼろぼろこぼれているではないか。ふとわたしたちの目がぴったり出会った。M夫人は急にぽっと顔をあからめて、いっとき顔をそむけた。不安といまいましさの念が、まざまざとその顔にひらめいたのである。わたしはきのう以上に余計な存在なのだ、それは火を見るよりも明らかなのだけれども、しかしどこへ隠れたらいいのだろう?
 とつぜん、M夫人はなにか思いついたらしく、手に持っていた本を開くと、真っ赤な顔をして、いかにもわたしのほうを見ないように努力している様子で、ついたったいま気がついたといわんばかりの調子で、わたしに話しかけたものである。
「あっ! これは第二巻だった、わたしうっかり間違えて。ねえ、お願いだから第一巻を取って来てちょうだいな」
 これがどうして合点せずにいられよう。わたしの役割は終わったのだ。これ以上てっとり早くわたしを追っぱらう道はないだろう。
 わたしは本を持って駆けだすと、それきり帰っては行かなかった。第一巻は、その朝、いとも悠然とテーブルの上にのっていたのである……
 けれども、わたしは居ても立ってもいられなかった。心臓は絶え間のない驚愕におそわれてでもいるように、早鐘を打ちつづけていた。わたしはありったけの智略をめぐらして、M夫人に会わないように努めたのである。そのかわりムシュウMのほうは、まるで今こそこの人になにか特別なものが秘められているに相違ないと感じたかのように、わたしはなにか度はずれな好奇心をいだきながら、そのいい気持ちそうに納まりかえった様子をじろじろ眺めまわした。わたしのこうした滑稽な好奇心の中に何が潜んでいたのか、われながらふつふつ合点がいかない。ただはっきりわかっていたのは、その朝見たり聞いたりしたいっさいのものに、一種不思議な驚きを感じさせられたことである。しかし、わたしの日はようやくはじまったばかりなので、それはわたしにとってさまざまな出来事に充満していたのである。
 その日は非常に早く食事をすました。夕方には、一同うち揃って隣りの村へ賑やかにくりだす予定になっていた。そこではたまたま土地のお祭が催されていたからである。食事を早くしたのも、準備に時間を見ておかなければならなかったからなので。わたしはもう三日も前から、尽きぬ楽しみを空想して、この晩を待ちかねていた。コーヒーのときには、ほとんど一同のものがテラスに集まった。わたしは用心ぶかく、みんなのあとからついて行って、三列に並んだ肘掛けいすのかげにかくれた。わたしは好奇心に引きずられていたのだけれども、M夫人に顔を見られるのは、どうしてもいやだったのである。しかし偶然の悪戯は、わたしを例の意地悪なブロンド夫人のそばへすわらせてしまった。このとき、彼女の身にはほとんど奇蹟ともいうべき意外なことがおこった。彼女は普段の倍も美しくなったのである。どうして、なぜそういうことがおこったのか知らないけれど、しかし女にそういう奇蹟が生じるのは、むしろ珍しくないほどである。そのときわたしたちの中に一人新しい客がまじっていた。背の高い、青白い顔をした青年で、わがブロンド夫人の崇拝者として折紙をつけられていた。彼はたった今モスクワから着いたばかりであるが、いかにもきょう出発したNのかわりにまいりました、といわんばかりであった。このNがまた気も狂わんばかり、美しいブロンド夫人に恋しているという、もっぱらの評判であった。ところで、新しく到着した青年はというと、彼はもう前からこの夫人に対して、シェイクスピアの『空騒ぎ』に出てくる、ビアトリーチェに対するベネジクトそっくりの関係になっていた。簡単にいってしまうと、わが麗人はこの日かくべつ有卦《うけ》に入って、その冗談や饒舌は優雅をきわめ、いかにも人を信じきったような無邪気な調子で、怒るにも怒られぬような不用意さで撒きちらされた。みんなだれも彼もが自分にうちょうてんになっていると思いあがっている、その得々とした様子がなんともいえぬほど優美なので、じじつ、彼女はしじゅうなにか特別な崇拝の雰囲気に包まれている形だった。彼女をひしひしと取り囲んで、驚嘆したように惚れぼれと聞き入っている人々の環は、ついぞ切れるということがなかった。また彼女自身もこれほどの魅惑を発散したことは、かつてないほどであった。その一語一語が誘惑となり、賛嘆の種となって、人々はあらそってそれを摩訶不思議として捕えようとし、順々に口から口へと伝えた。こうして、彼女の冗談も突飛な行動も一つとして空に消えなかった。どうやらだれ一人として、彼女からそれほどの趣味と、光輝と、機智を待ち設けていなかったらしい。すべて夫人のすぐれた資質は、思いきってわがままな気ちがいめいた行為と、ほとんど道化じみるほどの強情な悪ふざけの中に、毎日毎日葬り去られていたので、あまりみとめられていなかったのである。またみとめたにしても、ほんとうにしなかったのである。というわけで、今も夫人のなみなみならぬ成功は、満座の驚きと感嘆のささやきで迎えられた。
 もっとも、この成功を助けたのは、一つの特別な、かなり尻くすぐったい事情である。少なくとも、そのときM夫人の主人が勤めた役割で判断された。このいたずら夫人は、彼を猛烈に攻撃しようと決心したのである。ここでつけ加えなければならないのは、それが一同、ことに若い人たちによって歓迎されたことである。この攻撃はおそらく、夫人の目から見て、かなり多くの重大な原因によるものらしかった。夫人はムシュウMと、皮肉、嘲笑、諷刺の一大合戦をはじめた。それも否応のない、そのくせきわめてぬらりくらりとした、瓢箪なまずの、四方八方から閉じこめられた、しかもつるつるした諷刺であり嘲笑であった。それゆえ、両方ともその反撃に狙いをつけることができず、むなしい努力の中に相手を疲弊させるのみで、ついには両方とも気ちがいのようになり、すこぶる喜劇的な絶望におちいった。
 確かなことはわからないが、どうやらブロンド夫人の突飛なやり方は、あらかじめ計画したものであって、即興ではなさそうであった。この盲滅法な決闘は、もう食事のときからはじまったのである。わたしは『盲滅法』という、なぜなら、ムシュウMはなかなか容易に兜《かぶと》をぬがなかったからである。彼はまっこうから頭ごなしに、めちゃめちゃにやられ、決定的な恥をこうむらないためには、ありったけの度胸と、皮肉と、頓智を動員しなければならなかった。この果たし合いは、満座の人々と当事者の絶え間なき抱腹絶倒の間につづけられた。少なくとも、ムシュウMにとって、きょうはきのうに似ていなかった。M夫人が幾度か不注意な女友だちを押しとどめようと試みたのには、わたしも感づいた。ところが、ブロンド夫人はこの焼きもちやきの夫に、是が非でも思いきって滑稽な道化の衣装を着せたくて、たまらなかったらしい。それは多くの点から想像したところ、『青ひげ』の衣裳に相違ない。わたしの記憶に残ったところから判断しても、またこの間違いでわたしの演じた役割から判断しても、おそらく[#「おそらく」は底本では「おれらく」]それに違いなかろう。
 これは突然おもいがけなく、滑稽きわまる偶然からおこったのである。そのときわたしはちょうどあつらえたように、目立つ場所に立っていて、そんな災難が持ちあがるとは夢にも知らず、つい二、三日前の不注意さえ忘れ果てていた。と、意外にも、わたしはムシュウMの不倶戴天の仇として、自然な競争者として、舞台の前面へ押し出された。わたしの女暴君がすぐその場で、この子はM夫人にめちゃくちゃに惚れこんでいると誓いを立てたうえ、現にわたしは証拠を握っている、たとえば、ついきょうも森の中で現場を見た……といったものである。
 しかし、夫人は最後までいい終わらなかった。わたしが最も堪えがたい瞬間に彼女をさえぎったのである。この瞬間は、いちばん最後の思いきり道化た下げのために、無良心に計画され、腹黒く準備され、抱腹絶倒的な装置がしてあったのだ。そのために、何ものをもってしてもおさえきれぬ満座の爆笑が、この最後の狂言を中絶したのである。わたしはそのとき、いちばんいやな役割を背負いこんだのは自分ではない、ということを悟ってはいたものの、しかし、極度にまごつかされ、いらいらさせられ、おびやかされ、涙と、悲しみと、絶望で、胸がいっぱいになっていたので、恥ずかしさに息を切らしながら、肘掛けいす二列あとから、人ごみをわけて前へ出た。そして、涙と憤怒にとぎれがちな声で女暴君に叫んだ。
「あなたそれで恥ずかしくないのですか……大きな声で……女の人が大勢いるとこで……そんな意地悪な……うそをつくなんて※[#疑問符感嘆符、1-8-77]……あなたは、まるで子供みたいに……男の人の大勢いる前で……みんな、なんていうと思います?………あなたはそんな大人で……奥さんのくせに!………」
 が、わたしがいい終わらぬうちに、耳を聾するような拍手が響きわたった。思いもかけぬわたしの所作は、じつに furore(センセーション)を巻きおこしたのである。わたしの無邪気な身ぶり、わたしの涙、それよりも主として、あたかもわたしがムシュウMの弁護に出たような形になったことが、この地獄の騒ぎのような爆笑を呼びおこしたので、それは今ちょっと思い出しただけでも、われながらおかしくてたまらなくなるくらい……わたしは恐ろしさにおじけづき、ほとんど夢中になってしまった。体じゅう火薬のように燃え、両手で顔を隠しながら、部屋を飛び出す拍子に、戸口に入って来るボーイの手から盆を叩き落として、二階の自分の部屋へ駆け昇った。そして、戸の外にささっていた鍵を引き抜くなり。中からぴんと錠をおろしてしまった。これはうまくやったわけである。というのは、数多い中でもとくに美しい婦人令嬢たちが、わたしの部屋の戸口を包囲してしまったからである。朗らかに響く笑い、なにやらぺちゃぺちゃしゃべる話し声が、わたしの耳に入った。みんないちどきに、燕のようにさえずっていた。婦人たちは声を揃えて、ほんのちょっとでもいいから戸をあけてくれ、悪いことはこれっからさきもしない、ただめちゃめちゃにキスしてあげるだけだからと、頼むどころか哀願したものである。けれども……この新しい脅喝以上に恐ろしいものが、はたしてあるだろうか? わたしは戸のこちら側で羞恥に燃え、枕に顔を埋めたまま、鍵をあけるどころか、返事もしなかった。みんなはまだ長いこと戸を叩いたり、哀願したりしたが、わたしは十一歳の少年らしく、つんぼのように無感動であった。
 とはいえ、これからどうしたものであろう? なにもかも発見された、わたしがあれほど一生懸命だいじにし、秘し隠していたものが、なにもかもあばき出されてしまった! わたしの頭上には永遠の羞恥と恥辱がふりかかったのだ! もっとも、正直なところ、いったいわたしは何をそんなに恐れたのか、何を隠そうとしたのか、われながらわけがわからなかった。が、とにかく、わたしは何かを恐れ、その何かが発覚するのを今の今まで、木の葉のごとく慄え恐れていたのは事実である。ただ一つ、それがいいことかわるいことか、晴れがましいことか恥っさらしなのか、褒められることか叱られることか、何が何やらその時までわかりかねていた。ところが、今こそ強制的に受けた悲しみと悩みの中で、それが滑稽な恥ずべき[#「滑稽な恥ずべき」に傍点]ことなのを知ったのである! その時にも、かかる宣告が偽りであり、非人間的であり、粗暴であることを、本能で感じてはいたけれども、しかしわたしは完全に粉砕されてしまった。意識のプロセスはあたかも中断され、わたしの内部で混乱したかのようであった。わたしはこの宣告に反抗することも、よく考えて見ることもできなかった。わたしの頭はぼっとしていた。ただ自分の心がなさけ容赦なく、無慚にも傷つけられていることを感じて、さめざめと無力な涙にかきくれるのであった。わたしは気持ちがいらいらしていた。心は憤怒に煮えたぎり、今まで知らなかったような憎悪に燃え立っていた。なぜなら、生まれてはじめて真剣な悲しみと、侮辱と、屈辱を経験したからである。それはなにもかもそのとおりで、なんの誇張もないのだ。わたしみたいな子供の内部に芽生えた、まだろくろくはっきりした形さえできない、はじめての不馴れな感情が、荒々しい手にいじりまわされたのだ。最初のかぐわしい童貞の羞恥心が、早くもあばき立てられ、嘲笑されたのだ。ことによったら、ほんとうに真剣だったかもしれない最初の美的印象が、単なる座興にされたのだ。もっとも、笑いぐさにした人たちも、わたしの苦しみの多くを知りもしなければ、予見もしなかったのは、もちろんである。そこには、わたしがそれまでよく吟味する暇のなかった、というより、妙に吟味するのを恐れた隠微な事情が、半分がた介入しているのであった。悲しみと絶望の中で、わたしは顔を枕に埋めたまま、いつまでもべッドに身を横たえていた。熱と慄えが、かわるがわるおそった。二つの疑問がわたしを悩ましつづけた。一つは、あのいやなブロンド夫人はきょう森の中で、わたしとM夫人がどうしているところを見たのだろう、ということであり、最後にいま一つは、こうなったら、自分はどうして、どの面さげてM夫人に顔が合わされよう、羞恥と絶望のためにその瞬間、即座に死んでしまわぬようにするには、いったいどうしたらいいのか、ということであった。
 そのうちにとうとう、戸外の恐ろしい騒ぎがわたしを半意識の状態から呼びさました。わたしは起きあがって、窓ぎわへ行って見た。内庭は馬車と、乗馬と、右往左往する馭者、馬丁でいっぱいになっていた。どうやら、みんな出かけているらしかった。中にはもう馬に跨がっている人もあれば、馬車に乗りこんでいる客もあった……そのときわたしは、予定されていた隣村行きを思い出した。すると、不安の念がだんだんとわたしの心に忍びこんで来た。わたしは目を皿のようにして、自分の馬はいないかと、内庭をきょろきょろ見まわしたが、わたしのやくざ馬は見当たらなかった。してみると、みんなわたしのことを忘れたのだ。たまらなくなって、わたしは一目散に階下《した》へ駆けおりた。もういやな出会いのことも、さきほどうけた恥辱のことも考えずに……
 ところが、そこには恐ろしい知らせが待ち設けていた。わたしのためにはそのとき乗馬もなければ、馬車の中に席さえもなかったのである。なにもかも先どりされ、占領されていたので、わたしは他人に譲るよりほか仕方がなかった。
 この新しい不幸に打ちのめされて、わたしは入口階段に立ったまま、箱馬車や、軽装馬車や、幌馬車の、長い列を眺めていた。これほどたくさんな車の中に、わたしのためにはほんのちょっとした片隅さえあいていないのだ。きらびやかに装った麗人たちを乗せた馬は、さも待ち遠しそうに脚を踏み変え、踏み変えしている。
 一人の騎手がなぜかぐずぐずしていたので、一同は早く出発しようにも、この人を待たなければならなかった。車寄せのところには一匹の馬が、くつわを噛み、ひづめで土を掘り、絶えず驚いてぶるぶると身を慄わせては、後脚で突っ立ちながら待っていた。二人の馬丁が用心ぶかくくつわをつかまえてい、だれもがこわそうにこの馬を敬遠して控えていた。
 じつは、思いも寄らぬ事情がふって湧いて、そのために、わたしがいっしょに行かれない羽目になったのである。新しい客がどやどやと押しかけて、馬車の席も乗馬も、きれいに残らず横取りしたばかりでなく、乗馬が二頭病気にかかったのである。その中の一頭がわたしのやくざ馬であった。しかし、その出来事のために迷惑したのは、わたし一人だけでなかった。聞けば、もう前に話した新しい客、例の青白い顔をした青年も、やはり乗馬がなかったのである。この不快な事情を解決するために、主人はやむを得ず最後の手段に訴えた。ほかでもない、乗りこなされていない暴れ馬をすすめることである。主人は自分の気安めにこうつけ加えた――これはとても乗用にならない悍馬《かんば》だから、もう前から売り飛ばすことに決めている、もっともそれは買い手が見つかった時の話である、と。しかし、このことわり口上を聞かされた客は、なに、自分は相当に乗れるからかまわない、それに何にだって乗る覚悟だ、とにかくいっしょに行きたいのだからと言明した。そのとき主人は口をつぐんだが、今はわたしの見たところでは、口辺になにか曰くありげな、ずるそうな微笑が漂っているのであった。乗馬術の自慢をした客を待つあいだ、自分も鞍に乗らないで、じれったそうに揉み手しながら、のべつ出口のほうを振りかえっていた。なにかしらそれに似たような気持ちが、牡馬を抑えている二人の馬丁にまで感染した。悪くしたら人間ひとり犬死させかねない馬をひかえて、大勢の人たちの注目を集めているのだと思うと、二人は誇らしさに息がはずむくらいであった。彼らは目を剥き出しながら、勇敢なお客さまの出て来る戸口のほうを、待ち遠しそうに、一心に見つめていたが、その目の中にも、旦那さまと同じずるそうな微笑に似たものが光っていた。最後に牡馬までが、まるで主人や馬丁と申合わせでもしたかのようであった。さながら幾十の目が自分が観察しているのを感じたように、傲慢不遜なふるまいをしていたのみか、やんちゃものという自分の評判を一同の前で誇ってでもいるようなふうであった。それはちょうど、手のつけられぬ暴れものが、自分の無法な所行を自慢するようなあんばいなのである。さあ、おれの独立不羈を侵そうなんて了見をおこした不敵なやつめ、早く出て来い、といっているように思われた。
 この不敵な男は、ついに姿を現わした。みんなを待たしたのに恐縮して、せかせかと手袋をはめながら、向こう見ずに歩いて来ると、出入り口の段々を降りた。そして、待ちくたびれた馬の肩をつかもうとして、手をのばした瞬間にはじめて目を上げたが、その途端、馬が気ちがいのように後脚で立ちあがり、一同がびっくりして警戒の叫びを上げたので、青年は度胆を抜かれてしまった。一歩さがって、けげんそうに暴れ馬を見やった。馬は木の葉のように全身を慄わせながら、意地悪そうに鼻を鳴らし、血走った目をもの凄く動かしては、絶えず後脚をかがめ、前脚を上げるのであった。それはさながら、二人の馬丁ともども虚空《こくう》を翔ろうとでもしているようであった。青年はすっかり荒胆をひしがれて、いっときそこにたたずんでいた。ややあって、いくらかどぎまぎしながらかすかに顔をあからめ、目を上げてあたりを見まわし、驚き騒ぐ婦人たちを眺めた。
「なかなかいい馬ですね!」と、彼はひとり言のようにいった。「それに、わたしの見たところでは、乗り心地もひどくよさそうです。が……しかし、ねえご主人、わたしは乗るのはよしましたよ」と、この家の主《あるじ》に向かって言葉を結んだ。その単純そうな満面の笑みは、善良で利口らしい顔にいかにもうつりがよかった。
「それにしても、わたしはやはり、あなたが立派な乗り手だということは疑いませんよ、まったくのところ」と、こちらは熱意をこめて答え、感謝のしるしに、客に握手さえするのであった。だれ一人そばへ寄せつけぬこの暴れ馬を持っているのが、嬉しくてたまらないのであった。「というのは、あなたがただひと目みただけで、こいつがどんな野獣かということを、見抜かれたからですよ」と、彼は品位を帯びた態度でつけ足した。「ほんとうになさるかどうか知らんが、わたしは、――二十三年も軽騎兵隊に勤めたこのわたしが、こいつのおかげでありがたい仕合わせにも、もう三度、土の上にねかされましたよ。つまり、こいつに……この穀《ごく》つぶしに乗った度数だけですな。こら、タンクレード、ここにはきさまに向くような人間はおらんと見えるわい。きさまの乗り手は、イリヤー・ムーロメツ([#割り注]ロシヤ国民の崇拝の的となっている伝説の英雄[#割り注終わり])か何からしいが、それはカラチャーロヴォ村にどっかり坐りこんで、貴様の歯が抜けてしまうのを待っておるだろうて。さあ、こいつを連れて行け! もう皆さんがたをびっくりさせるのはたくさんだろう! こんなやつを引っぱり出して、余計な手間つぶしをしたよ」と彼は満足げに揉み手しながら、言葉を結んだ。
 ことわっておかなければならないが、タンクレードは主人の役に立つことなどなにひとつなく、ただ餌を食べているばかりであった。のみならず、この老騎兵は役にも立たぬ見かけ倒しの穀つぶしに、べらぼうな金を出して、昔、馬匹徴発官として売った名前をふいにしてしまったのである……が、それにもかかわらず、彼はタンクレードが自己の威厳を失墜しなかったので、うちょうてんになっていた。この悍馬はまた一人乗り手をしりごみさせて、新しくえたいの知れぬ月桂冠を獲得したわけである。
「え、あなたお乗りにならないんですの?」とブロンド夫人は叫んだ。このとき彼女はどうしても、cavalier servant をかたわらに従えておきたかったのである。「いったいあなたは臆病かぜを吹かしなすったの?」
「正真正銘そのとおりです!」と青年は答えた。
「それをあなたはまじめでおっしゃるの?」
「だって、ぼくに頸の骨を折らすのが、あなたのお望みなんですか?」
「じゃ、大急ぎでわたしの馬にお乗んなさいよ。びくびくなさらなくっても大丈夫よ、あれはごくごくおとなしい馬だから。お手間は取らせません、すぐ鞍を取り替えさせますから! わたしあなたの馬に乗りますわ、いくらタンクレードだって、いつもいつも無作法ばかりするなんて、そんなはずはないでしょうよ」
 この宣言は即座に実行された。いたずら夫人はひらりと鞍から飛びおりると、最後の一句をいいも終わらないうちに、早くもわたしたちの前に立った。
「タンクレードがあなたのやくざな鞍をつけさせるなどとお思いでしたら、あなたはこいつをまだよくごぞんじないんです! それに、わたしもあなたに頸の骨を折らせたくはありませんて。まったく、それはもったいない話ですからな!」と主人はいった。彼は内心大いに得意だったので、いつもの癖として、さらでだにわざとらしいこしらえものの磊落《らいらく》な、というよりむしろ粗暴な話しぶりを、いやがうえに誇張したものである。それは彼にいわせると、人の好い老軍人ということをはっきり感じさせるもので、しかもご婦人がたのお気に召すはずなのであった。これが彼の妄想の一つであり、彼の十八番であることは、わたしたち一同も承知していた。
「さあ、泣虫さん、おまえさんひとつやって見ないかえ? だって、いっしょに行きたくってたまらなかったんじゃないの」と勇敢な女騎士は、ふとわたしに気がつくとこういって、からかうようにタンクレードを顎でしゃくって見せた。――それはつまり、いったん馬からおりた以上、無意味にすましてしまうのがいやだったからでもあるし、わたしにもなにか一言ちくりとやる機会をのがさないためでもあった。なにしろわたしが自分でうっかりして、目にかかるとこにいたのが悪いのである。
「おまえさんはきっとあの……なにみたいなことはないでしょう……まあ、なにもいうことはありゃしない、有名な英雄なんだから、臆病かぜなんか吹かしたら恥ずかしいものね。とりわけ人の見てるところではねえ、かわいいお小姓さん」と、M夫人のほうをちらりと流し目に見て、彼女はこうつけ加えた。ちょうど夫人の馬車は入口階段にいちばんちかいところだったので。
 美しい女騎手《アマゾン》がタンクレードに乗るといって、わたしたちのほうへ寄って来たとき、憎悪と復讐の念がわたしの心にたぎり立った……けれど、このいたずら夫人が思いがけない挑戦の言葉を発したとき、わたしの気持ちがどんなであったかは、しょせん言葉でいい現わされるものではない。ふと彼女の視線がM夫人にそそがれているのを見ると、わたしは目の前が暗くなってしまった。瞬間、わたしの頭に一つの想念が燃えあがった……がしかし、それはほんの瞬間であった。瞬間よりもっと短いほどで、火薬の発火にもたとえられよう。もう堪忍袋の緒が切れてしまった。とつぜんわたしは気力を回復してよみがえったようになり、憤激の念に燃え立った。わたしは不意に自分の敵という敵を、片っぱしから撫で斬りにして、衆人環視の前でいっさいの仇を討ち、自分がどういう人間かということを見せてやりたくなった。それとも、この瞬間、だれかが何かの奇蹟で、これまでなんの知識もなかった中世史をわたしに教えてくれたのかもしれない。わたしの逆上《のぼ》せきった頭の中を、騎士たちの武芸競技の場面や、勇士英雄、美しい貴女たち、そして、先ぶれたちの角笛、剣戟のひびき、群集の叫びや拍手が、きこえてきた。栄光と勝利者などが、走馬燈のようにかすめた。そういう叫びやどよめきの中に、おびえた心からもれた臆病な叫びがひと声きこえる。それは勝利や光栄よりもさらに甘く、わたしの驕れる魂を愛撫してくれるのだ。――こうしたばかばかしい妄想が、いや、もっと正確にいえば、この避けがたい未来のばかばかしい妄想の予感が、そのときわたしの頭にひらめいたのかどうか、自分にもわからない。しかしとにかく、わたしはわが時至れりと直覚したのである。心臓はぴくりと躍り慄え、わたしはもう前後も夢中で、ひと跳びに入口階段を飛びおり、タンクレードのそばへ駆け寄った。
「あなたは、ぼくがびくつくとでも思ってるんですか?」もうすっかり逆上《のぼ》せあがって、目の前が真っ暗になってしまったわたしは、興奮のあまり息を切らしながら、不敵な調子で傲然といい放った。顔は真っ赤になって、涙が頬を焼くような感じであった。「さあ、見てごらんなさい!」というなり、タンクレードの肩に手をかけて、人々がわたしを押しとどめようとして身を動かす暇もないうちに、片足を鐙《あぶみ》にのせた。と、その瞬間、タンクレードはさっと後脚で立ちあがり、首をひと振りすると、あっけに取られている馬丁たちの手をもの凄い力で振りほどくや、つむじ風のように走りだした。人々はただあっと驚きの声を立てたばかりである。
 荒馬がまっしぐらに走る中を、どうしていま一方の足を向こう側へ廻すことができたか、それはもう神さまでなければわかりはしない。またどうしてわたしが手綱を放さずにいられたか、これも合点のいかぬことである。タンクレードはわたしを乗せて、格子になった門の外へ出ると、くるりと右へ向いて、道も選ばずめちゃめちゃに、格子に沿って走りだした。やっとその時になって、わたしは五十人ばかりの叫び声をうしろに聞いたが、その叫び声は痺れたようなわたしの心の中で、なんともいえない満足と誇りの気持ちとなって反響した。わたしはこの少年時代におけるもの狂わしいひとときを、生涯わすれることはない[#「わすれることはない」は底本では「わすれることではない」]。体じゅうの血が頭へ逆流して、気を遠くさせ、恐怖の念を溺らせ、圧し潰してしまったのである。わたしは前後不覚であった。まったくいま思い出して見ても、この出来事の中には、なにかまさしく騎士的なものがあったような気がする。
 もっとも、わたしの騎士ぶりはつかの間にはじまり、かつ終わってしまった。さもないと、騎士はひどい目に遭っていたに相違ない。どうしてわたしは命拾いをしたのか、自分でもわからないほどである。わたしは乗馬だけは、ともかくできた、ひととおり習っていたのである。しかし、わたしに当てがわれた馬は、乗用馬というよりむしろ牝羊に似ていた。いうまでもなく、もしタンクレードにその暇さえあったら、わたしはきれいに鞍からおっぽり出されたに違いない。ところが、五十歩ばかり走ったとき、ちょうど道ばたにあった大きな岩に驚いて、馬は急にうしろへひと跳ねした。走りながら向きを変えて、しかも非常な急角度で向こう見ずのやりかただったから、どうしてわたしが鞍から毬《まり》のように三間ばかり先へほうり出され、叩き味噌のようになってしまわなかったか、そしてタンクレードもそういう急廻転のために脚をくじかないですんだか、これまた、今もって謎なのである。タンクレードは門のほうへあと返りをはじめたが、烈しい勢いで首を振り立て、狂憤のあまり酔っぱらったもののように、胴体を左右に揺すぶり、でたらめに脚を高く上げて、ひと駆けごとにわたしを背中から振り落とそうと、一生懸命であった。それはまるで虎が襲いかかって、牙と爪でその肉に食い入ってでもいるかのよう。もう一分間つづいたら、わたしはもんどり打ったに相違ない。いや、もう現に落馬しそうになっていた。しかし、幾人かの騎馬の人がわたしの救助に駆けだして来た。その中の二人は原中の道をさえぎるようにし、また別の二人は近々と馳せ寄って、わたしの脚を押し潰さんばかりに、自分の馬の脇腹で両方からタンクレードをしめつけた。こうして、二人ながら早くもその手綱を取っていた。幾分かののちには、わたしたちはもう邸の入口階段に近く立っていた。
 馬から扶けおろされたときのわたしは、真っ青な顔をして、息も絶えだえであった。わたしは風に吹かれる木の葉のように、全身をわなわなと慄わせていたが、タンクレードとても同じことで、さながらひづめが大地に生えたかのごとく、全身をうしろへ突っぱって、煙を立てているような赤い鼻の孔から、重々しく火のような息を吐き、全身を木の葉のごとく小刻みにふるわせ、罰をのがれた大胆不敵な小わっぱに対する憤怒と侮辱感に、化石したかのようであった。わたしのまわりには困惑と、驚嘆と、畏怖の叫喚が響きわたった。
 その刹那、わたしのうろうろした視線は、不安のあまり真っ青になったM夫人の目と出会った、――わたしはこの瞬間を忘れることができない、――たちまちわたしの顔はくれないを潮し、赤く染まり、火のように燃えはじめた。もうわれながら、どうなったやらわけがわからなかったが、自分自身の感触に当惑しおびえて、おずおずと目を地に伏せた。しかし、わたしの視線は気づかれ、捕えられ、盗み取られた。一同の目はいっせいにM夫人にそそがれた。一同の注意に不意を打たれて、夫人までが、われともないナイーヴな感じのために、とつぜん、子供のように顔をあからめ、きわめて不手際ではあったけれども、その赤面を笑いにまぎらそうとした……
 それはもちろん、なにもかもわきから見たら、滑稽きわまる場景にきまっている。が、このとき、じつに無邪気な思いがけない突飛な所作が、一同の笑いからわたしを救い、この出来事ぜんたいに特殊な色彩を添えたのである。大騒動の火元であるかの美しき女暴君は、不意にわたしに飛びかかって抱きしめるなり、接吻しはじめた。ブロンド夫人は、わたしが大胆にも挑戦を受け、彼女がM夫人をちらと一瞥して投げた手袋を拾い上げるのを見て、われとわが目を信じることができなかったのである。わたしがタンクレードに乗って、まっしぐらに駆けだしたとき、恐ろしさと良心の呵責のため、あやうく即死せんばかりであった。もうなにもかもすんでしまった今となって見ると、ことに彼女がほかの人々とともに、M夫人に投げたわたしの一瞥と、当惑と、不意に真っ赤になったわたしの顔を見て取ったあとなので、――それに、自分の軽はずみでロマンチックな気分から推して、この瞬間になにかしら新しい、秘密な、いいがたい意味を賦与したあとなので、こういうものがすべて重なり合った今となってみると、彼女はもう文句なしにわたしの『騎士ぶり』で、うちょうてんになってしまい、感激と、わたしに対する誇りの念と、嬉しさのあまり、いきなり飛んで来て、わたしを胸に抱きしめたのである。一瞬ののち、夫人は、わたしたちのまわりに集まった人々に向かって、無邪気のきわみでもあり、同時にきわめて厳めしい顔を上げた。その上には、小さな水晶の玉みたいな涙が、ふたしずく光っていた。彼女は、わたしを指しながら、今までかつて聞いたことのないまじめなものものしい声で、〔"Mais c'est tre`s se'rieux, messieurs, ne riex pas!"〕(これはまじめなことですよ、皆さん、笑わないでください!)といったが、みんなが彼女の朗らかな感激に見とれて、魔法でもかけられたように立っているのには、気もつかないのであった。彼女のこうした思いがけない動作、その厳めしくかわいい顔、その単純率直な態度、いつも笑ってばかりいる目の中にみなぎる、つい今の今まで思いもかけなかった涙、これらはすべてじつに意想外きわまる奇怪事だったので、一同はそのまなざしと、早口な火のような言葉と、その身ぶりに、電気でもかけられたかのように、茫然と彼女の前に立っていた。どうやらだれ一人として、彼女から目を離すことができなかったらしい。その顔に感激をみなぎらした稀れなる瞬間を逸するのが、心配だったのである。邸の主人までが、チューリップのように真っ赤になっていた。のちになって、彼が自白したところによると、『お恥ずかしいことながら』、あやうくこの美しい女客に惚れこまんばかりだった。少なくとも、ある人はこれを彼の口から聞いたと称している。さあ、こういうことがあった以上、わたしが騎士となり英雄とされたのはもちろんである。
「ドロルジュ! トーゲンブルヒ!」という声々がまわりに響いた。
 拍手の音がおこった。
「ようよう、若き世代!」と主人はつけ加えた。
「でも、この人は行くのよ、ぜひわたしたちといっしょに行かなくちゃだめよ!」とわが麗人は叫んだ。「わたしたち、この人のために場所を見つけてあげるわ、見つけなくちゃならないわ。わたし自分のそばへ坐らしてあげよう、それとも膝の上か……いえ、いえ! いいまちがい……」と彼女は訂正して、からからと笑いだした。わたしたちがはじめて近づきになった時のことを想いおこして、笑いをこらえることができなかったのである。しかし、笑いながらも、わたしの手を優しく撫で、わたしが腹を立てないように、一生懸命なずけようとつとめた。
「ぜひ! ぜひそうしましょう!」という幾たりかの声が、彼女の言葉を引き取った。「この子は行かなくちゃならない、自分で自分の場所を戦い取ったんだからね」
 問題は即座に解決された。わたしをブロンド夫人に紹介した例のオールド・ミスが、すぐさま四方八方から若い連中に取り巻かれて、どうか家に残ってこの子に席を譲ってくれと、懇願を浴びせかけられた。で、老嬢はいまいましくてたまらず、腹立ちまぎれに小さな声でぶつぶついいながらも、微笑を浮かべて承知せざるを得なかった。彼女は、自分の保護者のまわりをうろうろしていたが、今までわたしの敵であったのに、とつぜん今度は親友になったブロンド夫人は、もう逸《はや》りに逸る馬に跨がって※[#「足へん+鉋のつくり」、第 3水準 1-92-34]を踏ませながら、子供のような高笑いとともに、老嬢に話しかけるのであった。――わたしはあんたが羨ましいほどよ、だって今にも雨がふりだして、わたしたちはだれも彼も濡れねずみになるにきまっているから、わたしだって家に残っていたいくらいよ。
 ところで、ほんとうに夫人は雨を予言したのである。一時間も経ったころ、烈しい驟雨が襲って、わたしたちの遠乗りはおじゃんになってしまった。幾時間もぶっつづけに、百姓家に分宿して雨あがりを待ち、雨後の湿った空気の中を、晩の九時過ぎに家路につかなければならなかった。わたしはちょっとした熱病をおこしてしまった。いよいよ馬車に乗って出発しようとするとき、M夫人がわたしのそばへ寄ったが、わたしが短い上衣一枚で、しかも襟もとが開いているのにびっくりした。わたしはマントを取って来る暇がなかったと答えた。夫人はピンを取り出して、わたしのルバーシカの襞襟の上のほうをとめ、のどを冷やさないように、頸にマフラーを巻きつけてくれた。夫人はとても急いでいたので、お礼をいう暇もなかった。
 けれど、うちへ帰って、小さい客間に夫人をさがし出した。そこには、ブロンド夫人と、例のタンクレードに乗るのを辞退したために、立派な騎手という光栄をかちえた、青白い顔をした青年もいっしょにいた。わたしはお礼をいって、マフラーを返すためにそばへ寄った。しかし、ああいう出来事があったあとでは、かえってわたしはなにやら気はずかしいようであった。で、すこしも早く二階へあがって、暇にまかせてなにかしらよく考え、ちゃんとした判断をくだしたかった。わたしはさまざまな印象で頭がいっぱいだったのである。マフラーを返しながら、わたしは例によって耳の付け根まで赤くなった。
「ぼく、賭けでもしますよ、この子は奥さんのマフラーを取って置きたくてたまらなかったに相違ありませんよ」と青年は笑いながらいった。「あなたのマフラーと別れたくなかったのは、あの目を見ただけでわかりますもの」
「そうよ、ほんとうにそのとおりよ!」とブロンド夫人が引き取った。「まあね! なんていう!………」と目に見えていまいましそうな様子で、頭を振りながらいったが、M夫人のきまじめな視線に気がついて、うまく言葉を切った。夫人は冗談をあまり深入りさせたくない様子であった。
 わたしは急いでそばを離れた。
「まあ、この子はなんていうんでしょうねえ!」といたずら夫人は次の間でわたしに追いつき、隔てのない様子で両手を取りながらいった。「おまえさん、もしそれほどあのマフラーがほしいのなら、黙って返さなきゃよかったのに。どこかへ置き忘れたっていえば、それでおしまいだったのにねえ。なんて子だろう! それくらいのことがいえないなんて! ほんとにおかしな人ね!」
 そこで彼女は、わたしがけしの花のように赤くなったのに笑い興じながら、指で軽くわたしのあごを叩いた。
「だって、わたしはもうおまえさんの友だちなんだものね、――そうだろう? わたしたちの喧嘩も、もうおしまいになったんだわね、え! そうなの、そうでないの?」
 わたしは笑いだし、黙って彼女の指を握りしめた。
「そう、それそれ!………どうしておまえさんは今そんな青い顔して慄えてるの? 寒けでもするの?」
「ええ、ぼく気分がわるいの」
「まあ、かわいそうに! それはあんまり強い印象が重なったせいだわ! ねえ、こうしたらどう? いっそお夜食を待たないで、行って寝たら? ひと晩のうちになおってしまうわ。さあ、行きましょう」
 彼女はわたしを二階へつれて行ってくれた。その世話焼きぶりは果てしがないように思われた。着換えをさせて、わたしを一人残して、下へ駆けおりると、わたしのために茶を注文し、もうわたしが横になったとき、自分で持って来てくれた。それから暖い掛け蒲団も持って来た。こうした介抱ぶりや心づかいは、ひどくわたしを驚かせ、感動させた。が、それとも、わたし自身がこの一日の出来事と、遠乗りと、熱病のために、そんな気分になっていたのだろうか。ともあれ、別れしなにわたしは、このうえもなく優しく親しい友だちとして、熱情こめてかたく彼女を抱きしめた。と、もういっさいの印象が、弱った心にどっとばかり押し寄せて来たので、わたしは彼女の胸にひしと身を寄せて、あやうく泣き出さんばかりであった。相手もわたしの感じやすい性質に気がついて、このいたずら夫人までがいささか感動したらしい。
「おまえさんはとてもいい子ねえ」と静かな目つきでわたしを見ながら、彼女はこうささやいた。「どうかわたしに腹を立てないでね、え? 立てないでね?」
 ひと口にいえば、わたしたちはこのうえもなく優しい信実の友として別れたのである。
 わたしが目をさましたのは、かなり早かったけれど、もう太陽は部屋の中にまぶしい光をみなぎらせていた。わたしはすっかり健康を取りもどして、元気に床から跳ね起きた。きのうの熱病はまるでなかったようで、そのかわりに、今は名状しがたい喜びを感じていた。わたしはきのうのことを思い出して、もうわたしの新しい友だちになったブロンドの美人と、きのうのように抱き合うことができたら、いかなる幸福でも投げ出して惜しくないような気がした。が、まだ時間が早くて、みんな眠っていた。手早く着換えをして、わたしは庭へおり、そこから森へ行った。なるべく緑が色濃く、木の香がなるべく樹脂《やに》っぽいほうへくぐって行った。そこには太陽の光線がさも楽しげにさしこんで、煙ったような葉の繁みを、そちらこちらでうまく突き抜いたのを喜んでいるらしい。それはすばらしい朝であった。
 いつとはなくしだいに遠く分け入って、とうとうわたしはモスクワ河の岸にある森の向こうのはずれへ出てしまった。河は二百歩ばかり隔てた丘の麓を流れていた。向こう岸では草刈りの最中であった。わたしはそれに見入ってしまった。幾列にも並んだ鋭い大鎌が、草刈りのひと振りごとに、仲よく日光を浴びたかと思うと突如、火の蛇のように消えてしまう、まるでどこかへ隠れたかのよう。根もとから切られた草は、厚いしなやかな塊りとなってわきのほうへ飛び、長い真っ直ぐな畦のように重なっていく。どれくらいこの草刈り見物に時を過ごしたか覚えていないが、不意に二十歩ばかり離れた森の中の切通し(これは街道から、地主邸のほうへ通じていた)で、じれったそうにひづめで土を掘っている馬の脚音と、鼻息がわたしの耳に入った。騎手が近づいて立ちどまるやいなや、この馬の鼻息を聞きつけたのか、それとももう長いことこの物音が聞こえていたのか、とにかく、それはむなしくわたしの耳をくすぐるだけで、空想からわれに返らす力がなかったのである。わたしは好奇の念をいだきながら、森の中へ入った。と幾足か進んだとき、だれか早口に、しかし低い声で話しているのが聞こえた。わたしはなおもそば近く寄って、切通しを縁どっている最後の灌木の最後の枝を、そろっと押しわけたが、とたんにびっくり仰天して飛びのいた。わたしの目の前には見覚えのある白衣《びゃくえ》がちらつき、わたしの胸には静かな女の声が音楽のように伝わった。それはM夫人であった。夫人は馬上のまま忙しそうに話している騎手のそばに立っていたが、驚いたことには、この騎手はきのうの朝帰って行った青年Nであった。この人の出立のことでは、ムシュウMがひどくやきもきしていたが、そのときみんなの話では、Nはどこかたいへん遠い南方へ立つとのことであった。だから、こんな早朝に、しかもM夫人とさしむかいのところを見たので、わたしはひどくびっくりしてしまった。
 夫人は、かつて見たことのないほど元気づき、興奮しており、その頬には涙が光っていた。青年は夫人の手を取って、鞍の上からかがみながら接吻していた。わたしは別離の場面へ来合わせたのである。どうやら二人は急いでいるらしかった。最後に、青年はポケットから封をした手紙を取り出して、M夫人に渡し、片手で夫人を抱きながら、前のように馬からおりないで、長いこと、強く接吻した。と、たちまち馬に鞭をくれて、わたしのそばを矢のように駆け去った。M夫人はしばらくそれを目送していたが、やがてもの思わしげにしおしおと、邸のほうへ歩きだした。けれども、切通しを幾足か歩いたとき、ふと心づいたように、せかせかと灌木を押しわけて、森の中へ入って行った。
 いま見たことに困惑し、一驚を吃したわたしは、そのあとをつけて行った。心臓は何かにおびやかされたように、烈しく鼓動していた。わたしは全身麻痺したようになり、頭にはぼっと霧がかかって、考えは粉々に打ち砕かれ、散乱していたが、それでもなぜか、おそろしく気が沈んだことは覚えている。ときおり木々の緑を透かして、夫人の白衣が目の前にちらついた。夫人から目を放さぬようにしながら、そのくせ、夫人から見つかってはとびくびくもので、機械的にわたしはあとをつけた。とうとう、夫人は庭へ通ずる小道へ出た。三十秒ばかり待って、わたしも同じ小道へ出た。ところが、わたしの驚きはどんなだったろう、とつぜん小道の赤い砂の上に、封をした紙包みを見いだしたのである。それはひと目見ただけで、十分前にM夫人が受け取ったあの封筒だと知れた。
 わたしはそれを拾い上げた。どこを見ても白い紙で、なんの上書きもしてない。ちょっと目には小さいけれど、がっちりして重く、まるで便箋が三枚か、それ以上も入っていそうであった。
 この包みはいったいどういう意味を持っているのだろう? 疑いもなく、全部の秘密はこれで説明されるのだ。もしかしたら、あいびきの時間が少ないために、Nがいい出せそうもないと思ったことが、この中に書いてあるのかもしれない。なにしろ、馬からおりさえもしなかったのだから……Nは急いでいたのか、それとも別離の瞬間におのれにそむくことを恐れたのか、――神のみぞ知ろしめす、である……
 わたしは森から出ないで立ちどまり、小道のいっとう目に立つ場所へ包みを投げ出すと、それから目を放さず見守っていた。M夫人が落としものに気がついて引っ返し、さがすだろうと考えたからである。けれども、四、五分待ったのち、わたしは我慢しきれなくなり、拾いものを取り上げて、ポケットへ入れ、M夫人を追って駆けだした。わたしが夫人に追いついたのは、もう庭の大きな並木道のところであった。夫人はせかせかと急がしげな足取りで、まっすぐに邸のほうへむかっていたが、それでも、もの思わしげに目を伏せていた。わたしはどうしたものかわからなかった。そばへ寄って渡したものだろうか? が、それはつまり、わたしはなにもかも見て知っています、ということになる。そんなことをすれば、わたしは最初の一言から自分にそむくことになるのだ。それに、わたしはどうして夫人の顔が見られよう? また夫人のほうでも、どうしてわたしの顔が見られるだろうか? どうか夫人が気づいて落としたもののことを思いだし、あとへ引き返してくれるようにと、わたしはそればかり待ち設けていた。そうすれば、わたしは気づかれないように、封筒を道の上へ投げ出すことができるし、夫人は苦もなくそれを見つけるだろう。けれど、それもだめだ! わたしたちはもう近くなり、夫人の姿は人に見つかってしまった……
 その朝は、まるでわざとのように、ほとんどみんな早く起き出したのである。というのは、隣村行きが失敗に終わったため、まだ昨夜のうちから新しい遠出が計画されたからで、わたしはそれを知らなかったのである。一同は出発の準備をととのえ、テラスで朝食をしていた。わたしは、M夫人といっしょのところを見られたくなかったので、十分ばかりじっと待っていた。それから庭をぐるりと廻って、夫人とはずっと遅れて、反対側から邸へ近づいた。夫人は胸の上に腕組みをして、青ざめた心配そうな顔つきで、テラスの上をあちこち歩きまわっていた。その様子から推して、悩ましい居ても立ってもいられぬ心の苦しみをおさえつけようと、一生懸命に歯を食いしばって、努力しているらしかった。それは目の色にも、歩きぶりにも、全体の動作にも、ありありと見えるのであった。ときどき、夫人は階段をおりて、花壇づたいに庭のほうへ幾足か歩きだすこともあった。その目はさもじれったそうに、ほとんど不注意なくらい貪るように、小道の砂の上やテラスの床の上をさがしている。もはや疑うところもない、夫人はあの包みに気がついて、どこかこのあたり、邸の近くで落としたものと思っていたのだ、――それに相違ない、夫人はそう思いこんでいるのだ!
 だれかが夫人のことを、青い顔をして心配そうな様子だといい出し、ほかのものもその尾についた。体の加減はどうかなどという問いが、うるさく四方から浴びせられた。夫人は冗談や笑いにまぎらして、快活を装わなければならなかった。ときおり夫人は夫のほうをちらと見やった。ムシュウMはテラスの向こう端に立って、二人の婦人となにか話をしていたのである。かわいそうに、夫人ははじめて夫が到着したあの晩と同じように、戦々兢々として当惑を包みかねているのだ。わたしは片手をポケットヘ突っこみ、その中で封筒をひしと握りしめたまま、みんなからすこし離れたところに立って、どうかM夫人がこちらを向いてくれますようにと、内心ひそかに神さまに祈っていた。わたしはせめて目つきだけでなりとも、夫人を元気づかせ、落ちつかせ、できればなにかほんの一言でも、内緒でいいたかったのである。けれど、夫人が偶然ちらりとわたしを見たとき、わたしはぴくりっとして、目を伏せてしまった。
 わたしは夫人の苦悶を見とめた、しかもそれは見まちがいではないのである。わたしはきょうまでその秘密の内容を知らない、自分で見たこと、今ここに物語ったことのほかは、なにひとつ知らない、この間《かん》の関係は、一見して想像しうるようなものとは、まるっきり違うかもしれない。もしかしたら、あの接吻は別離の接吻であって、夫人の平安と貞淑に捧げられた犠牲をねぎらう、最後のはかない賞与だったかもわからない。Nは旅行に出かけていたので、あるいは永久に夫人を見棄てて行ったのかも図られぬ。だいいち、わたしが手の中に握っているこの手紙だって、どんなことが書いてあるか知れたものでない。なんと判じようもないし、だれしも非難めいたことなどいえたものではない。しかし、もし秘密が暴露したら、それは夫人の生涯でも最も恐ろしい出来事であり、青天の霹靂となることは疑いをいれない。わたしはその瞬間の夫人の顔を今でも覚えている。人間あれ以上苦しむことはできない。十分か、十五分かたったら、いな、一分ののちに封筒がだれかに見つけられ、拾い上げられ、何もかも暴露してしまう、――それを感じ、知り、確信し、それを刑罰のように待ち受けるその気持ち! なにしろあの封筒は上書きがないのだから、開封されるかもしれないのだ、そのときは……そのときは、まあ、どうだろう? 夫人を待ち設けている刑罰以上に恐ろしいものが、はたしてありうるだろうか? 彼女は未来の裁き手のあいだを歩いているわけであった。もう一分たったら、にこにことお世辞笑いを浮かべている彼らの顔は、なさけ容赦もない恐ろしい表情になるのだ。彼女はこれらの顔に嘲笑と、憎悪と、冷たい侮蔑を読み取るだろう、それから彼女の生涯に尽くる期《ご》のない無明《むみょう》の夜が訪れる……なるほど、わたしはそのときのことを、いま考えているほどはっきりとは理解していなかった。わたしはただ推察し、予感し、夫人の危機について心を痛めることしかできなかった。その危機さえも完全には意識していなかったのである。しかし、夫人の秘密の内容がどういうことであるにもせよ、わたしが心ならずも目撃した、永久に忘れることのできない、あの悲しむべき幾分間は、多くのものを贖《あがな》ってくれた。ただし、もし何ものかを贖う必要があるとすれば、である。
 やがて出発を告げる楽しげな声がひびきわたった。一同はさも嬉しそうにざわめきはじめた。あちらからもこちらからも、はずんだ話し声や笑いが聞こえて来た。二分ばかりすると、テラスはがらんとしてしまった。M夫人は同行をことわった。とうとう気分がすぐれないと白状したのである。しかし、いいあんばいに、みんな出発まぎわで、そわそわしていたので、うるさくたずねたり、残念がったり、忠言めいたことをいったりするものはなかった。みな暇がなかったのである。居残りの人もすこしはあった。ムシュウMは、夫人にふたことみこといった。夫人は、きょうにもすぐよくなるから、心配しないでほしい、床につくほどのことはない、わたしはこれから一人で、庭へ散歩に行きます……この子をつれて、と答えた。そのとき夫人はちらとわたしを見たが、それ以上、わたしにとって幸福なことはまたとなかった! わたしは嬉しさのあまり真っ赤になった。一、二分して、わたしたちはもう出かけていた。
 夫人はさっき森から帰ったときと同じ並木道、小道、細道を選んで行った。本能的に以前の道筋を思い浮かべながら、じっと目を前のほうへ据えて、地面から放さず、わたしが話しかけても返事をしなかった。もしかしたら、わたしといっしょに歩いていることを忘れたのかもしれない。
 けれども、わたしが手紙を拾ったところまで来ると、M夫人は不意にぴったり歩みをとめた。そこは小道の終わるところであった。夫人は悩ましさに消えも入りそうな弱々しい声で、ひどく気分が悪くなったから、家へ帰るといいだした。が、庭の格子まで行きつかないうちに、夫人はまたもや立ちどまって、しばらく考えていた。絶望の微笑がその唇に浮かんだ。疲れきって、全身の力が抜けてしまった風情であったが、あらゆる場合に対する決心がつき、いっさいのことを諦めたらしく、無言のまま元の道へ引っ返した。今度はわたしにそのことをいうのさえ忘れたほどである……
 わたしは胸が張り裂けるように苦しかったが、どうしていいかわからなかった。
 わたしたちは歩いて行った、というよりも、むしろわたしが案内して行ったのだが、一時間まえに馬蹄の音と二人の話し声を聞きつけた場所へ出た。そこには、こんもり繁った楡《にれ》の木のかたわらに、大きな一枚岩で彫った腰かけがあった。常春藤《きづた》が一面に絡みついて、あたりには野生のジャスミンや野茨が生えていた(この森は全体に、小さな橋や、四阿や、洞穴や、そういうしゃれたものが、思いもかけぬところに、ひょいひょいと現われる仕組みになっていた)。M夫人はこの腰かけに腰をおろして、わたしたちの前に展けたすばらしい景色に、無意識の視線を投げたが、すぐに本を開いて、じっとそれに吸いこまれてしまった。そのくせ、ページをめくるでもなければ、読むでもなく、自分でも何をしているか、ほとんど意識していない様子だった。もう九時半ごろであった。太陽は高く昇って、深々と藍をたたえた空をわたっていたが、自分の焔の中に溶けてしまうかと思われた。草刈りたちは遠く向こうへ行ってしまって、こちらの岸からはかろうじてそれと見わけられるほどであった。草刈りたちのうしろには、刈り倒された草が畦のように果てしなくつづいて、あるかなきかのそよ風がわたしたちのほうへ、そのかぐわしい匂いを吹き送るのであった。まわりには、「蒔かず刈らざる」空の鳥たちの音楽が、絶えずひびいて来た。彼らは元気よく翼をひるがえして、自分たちとおなじように自由な大気を、縦横に切っているのであった。この瞬間、一本一本の野の花も、見る影もない雑草の葉までが、自然の祭壇に燻ずる香の薫りに酔いながら、自分たちを創った主にむかって、『天なる父よ! われは天恵を受けて幸福なり』といっているように思われた。
 わたしは気の毒なM夫人をちらりと眺めた。この喜ばしい大自然の中にあって、このひと一人だけが死人同然なのだ。烈しい胸の痛みにしぼり出された大粒の涙がふたしずく、睫毛にじっと宿っている。この消えも入りそうな哀れな心をよみがえらせ、幸福にする力は、わたしの掌中に握られているのだけれど、ただわたしはどうしてその一歩を踏み出したものか、見当がつかなかったのである。わたしは悶え苦しんだ。ものの百度も夫人のそばへ寄ろうとしたが、そのたびに一種の直感のようなものが、わたしをその場にひきとめ、そのたびにわたしの顔は火のように燃えるのであった。
 突然、ある想念が輝かしくわたしの心を照らした。方法は見いだされた。わたしはよみがえったのだ。
「ねえ、ぼく花束をこさえて来てあげましょうか!」といった。
 わたしの声が、さも嬉しそうだったので、M夫人は急に顔を上げて、じっとわたしを見つめた。
「こさえてちょうだい」と夫人はやっと弱々しい声でいい、あるかなきかの微笑を浮かべると、すぐまた本に目を落とした。
「だって、ここもやっぱり刈られちまって、花なんかなくなるかもしれないんですもの!」と叫んで、わたしは浮き浮きと花つみに出かけた。
 間もなくわたしはありふれた貧しい花束をつくった。これは部屋の中へ持ちこむのが、恥ずかしいようなものであった。しかし、それを集めて縛っているあいだ、わたしの心臓はどんなに浮き浮きと躍ったことか! 野茨と野生のジャスミンはすぐにその場で集められた。わたしはこの近くに、熟した裸麦の畑があるのを知っていた。そこへ矢車草を取りに飛んで行った。わたしは矢車草のあいだに裸麦の穂をまぜたが、いちばん黄金色《こがねいろ》の美しい、よく実の入った、長いのを選んだ。またすぐそこから遠くないところに、忘れな草の大群落を見つけたので、わたしの花束はもうだいぶ充実して来た。それからさきの原中で、青い釣鐘草と野生のカーネエションが見つかったし、黄色い睡蓮を取るためには、わざわざ河岸《かし》っぷちまで走って行った。いよいよ最後に、もう元のところへ帰ろうとして、ちょっと森の中へ寄り道した。それは緑の色あざやかな蛙手《かえで》の葉を幾枚か取って、花束のぐるりに添えるつもりであったが、偶然、三色菫の群生に行きあたった。しかも、運よくそこで得もいわれぬ菫の薫りがしたのを頼りに、びっしり繁った水々しい草の中に潜んでいる、まだ輝かしい露を一面につけた匂い菫を見つけた。これで、花束はできあがった。わたしは細長い草を紐に撚って花束を縛り、その中へそっと手紙を入れて、花で隠した。が、ちょっとでもこの花束に注意を向けてもらえたら、すぐに見つかるようにして置いた。
 わたしはそれをM夫人のところへ持って行った。
 みちみち手紙があまり目立ちすぎるような気がしたので、もすこし丁寧に隠した。それから、さらにそば近く寄ったとき、もっと奥へ突っこんだが、いよいよ腰かけに近づいたとき、ふいにすっかり花束の中へ押しこんで、もう一見して何も気がつかないようにしてしまった。わたしの頬は火のように燃えていた。わたしは両手で顔を隠して、いきなり逃げ出したくなったけれども、夫人がわたしの花束をちらと見た目つきは、わたしが花を集めに行ったことを、すっかり忘れているらしい様子であった。機械的に、ほとんど相手の顔も見ずに、夫人は手をさし伸べて、わたしの贈り物を受け取ったが、すぐに腰かけの上へ置いてしまった。まるでわたしが捧呈したのは、すぐほうり出されるためみたいであった。夫人はふたたび本に目を落として、忘我の境に陥ったふうであった。この失敗に、わたしは泣きだしそうな気がした。『でも、ぼくの花束をそばにさえ置いてもらえたら』とわたしは考えた。『忘れられさえしなければ[#「しなければ」は底本では「しなれけば」]!』わたしは近くの草のうえに横になって、右手を枕にし、さも眠くなったというように目を閉じた。しかし、わたしは夫人から目をはなさずに待ち受けていた。
 十分ばかり経った。わたしの目には、夫人の顔がいよいよ青ざめて行くように思われた……と思いがけなく、ありがたい偶然が助け舟を出してくれた。
 その幸運というのは、親切な風が吹き送ってくれた一匹の大きな、黄金色をした蜜蜂であった。はじめわたしの頭の上でぶんぶん唸っていたが、やがてM夫人のほうへ飛んで行った。夫人は一、二度片手を振ったが、蜜蜂はわざとあつらえたように、いよいようるさくつきまとった。とうとうM夫人はわたしの花束を取って、目の前をひと振りした。その途端に花の中から手紙が抜け出して、うまく開いた本のうえに落ちた。わたしはぎくっとした。しばらくのあいだ、M夫人は驚きのあまり声もなく、その手紙とわが手に持った花束を見比べていたが、その様子はわれとわが目を信じかねる、というふうであった。と、不意に顔をぱっとあからめて、わたしのほうをちらりと見た。けれども、わたしはいち早くその視線を捕えたので、かたく目を閉じて、眠っているようなふりをした。わたしはこのときこんりんざい、夫人の顔をまともに見る勇気がなかった。心臓は萎えしびれて、ぼうぼう頭をした村の悪童に捕えられた小鳥のように慄えていた。こうして、どれくらい目をつむったままねていたか知らない、――二分間か、それとも三分間ばかりか、――ついにわたしは思いきって目を開いた。M夫人は貪るように手紙を読んでいたが、その燃えるような頬や、涙に光る目や、一線一画が喜びに慄えている明るい顔から見ても、この手紙は幸運をもたらしたので、夫人の悩みは名ごりなく煙のように飛び散ったに相違ないと悟った。悩ましく甘い感じがわたしの心に滲み拡がって、わたしはそらを使っているのが苦しくなった……
 この瞬間は永久に忘れることではない!
 突然、どこか遠いところで人々の声が聞こえた。
「マダムM! ナタリイ! ナタリイ!」
 M夫人は返事をしなかったが、つとベンチから立ちあがって、わたしのそばへ寄り、低くかがみこんだ。わたしは夫人がまともに顔を見つめているのを感じた。わたしの睫毛は、ぴりりと慄えたが、わたしは我慢して目をあけなかった。できるだけ穏やかに、むらのない息づかいをしようとしたが、心臓がもの狂わしく鼓動して、わたしは息がつまりそうであった。夫人の熱いいぶきがわたしの頬を焼いた。夫人はさながら、ためしてみようとでもするかのごとく、低く低くわたしの顔にかがみこんだ。と、接吻と涙が、胸にのせていたわたしの手の上に落ちた。二度まで夫人はその手を接吻した。
「ナタリイ! ナタリイ! どこにいるの?」という声がまたもや聞こえたが、今度は非常に近いところであった。
「ただいま!」とM夫人は持ち前の厚味のある、銀鈴のような声で答えたが、その声は涙に曇って慄えていた。しかも、その「ただいま!」は、わたし一人にしか聞こえないほど低かった。
 けれども、その瞬間、わたしの心臓はついにわたしを裏切った。体じゅうの血はことごとく顔に昇ったような気がした。その瞬間に、あわただしい熱い接吻がわたしの唇を焼いたのである。わたしは弱々しい叫びを立てて、目を見開いたが、その途端にきのうの紗のマフラーが顔の上に落ちて来た、――ちょうど夫人がそれで日光の直射を防いでくれたかのように。その次の瞬間には、夫人はもうそこにはいなかった。ただ急がしげに遠ざかる軽い足音が、さらさらと聞こえるばかりであった。わたしは一人ぼっちだ……
 わたしはマフラーを取って、歓喜のあまり無我夢中で接吻した。しばらくのあいだ、わたしはまるで気ちがいのようであった!………ようやく息をついで、草の上に肘突きし、じっと無意識に前方の景色を見つめはじめた、――耕地がまだら模様みたいになっている周囲の丘、その裾をめぐって流れ、さらに新しい丘のあいだを蜿蜒と眼路《めじ》の及ぶかぎりはるかに遠くうねっている流れ、一面に光を浴びている遠方《おちかた》に、点々と見え隠れ[#「見え隠れ」は底本では「見れ隠れ」]する村々、白熱した空のはてに煙るかのようにほの見えている青い森、この画面の崇高な静けさから吹きかようようななにか甘い寂莫感、こういうものがしだいしだいにわたしの湧きかえる心を鎮めてくれた。わたしはいくらか気持ちが軽くなり、息もすこし楽になった……けれど、わたしの魂はどこか奥のほうで甘く萎えていた。それはなにかの透視のようであり、なにかの予感みたいでもあった。ある期待のためにかすかに慄えるわたしのおびえた心は、おずおずとしかも喜びをもって、ある何ものかを推察しようとする……と、不意に、胸はなにかに刺し貫かれたように、おののきはじめ、気が沈んでくる。そして涙が、甘い涙が滝のように流れだすのであった。わたしは両手で顔をおおい、全身を草の葉のように慄わせながら、最初の自覚、内心の啓示、わが本性のまだ定かならぬ最初の洞察に、だれはばかることもなく没入した。この瞬間とともに、わたしの少年時代の初期は終わりを告げたのである…………………………………………………………………………………………………………………………
 二時間ほどして、わたしが邸へ帰ったとき、もうM夫人はいなかった。なにか急な用事ができて、夫といっしょにモスクワへ帰ったのである。それ以来、わたしはもう二度と、夫人にめぐり会わない。



底本:「ドストエーフスキイ全集 5」河出書房新社
   1970(昭和45)年1月20日初版発行
入力:いとうおちゃ
校正:
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